観世流の能を鑑賞して



1組 Y君

能の観劇をして僕が感じたことは、何とも言えない能の音楽に感銘を受けたことです。歌を詠むとき、腹の奥から出された声が何とも言えない深い味わいがあり、厳かな中にも何とも言えない情緒を感じることができました。また、当時の情緒が浮かんでくるようでもありました。

現代社会は価値観が多様化し、忙しい日々の中で自分の身体と対話することはあまりないでしょう。しかし、能を観劇し身体感覚を感じながらゆったりとした感覚を味わうことができました。それは何とも幻想的な感覚でした。

 話の内容は難しかったのですが、劇の合間に丁寧に説明がされていたのが、とてもよかったです。

今回の能の観劇でいくつか興味・関心を持ちました。一つ目が、能の中での歩き方です。音を立てずに歩くということが能の基本だということを今回初めて知ることができました。二つ目が能の音楽、楽器についてです。腹の底から出す息の強さにすべてをかけた声楽と笛、小鼓、大鼓、太鼓といった楽器で演奏されていますが、非常に幻想的でリズムの複雑さと気迫の強さが表現されており、心惹かれる思いがしました。能の音楽は日本人の身体感覚のとてもマッチしていると思いました。どこか懐かしい心地を感じました。この音楽は恐らく日本人に脈々と受け継がれているリズムなのではないかと僕は思いました。

 また、能を観劇するまで僕は「能面」とは無表情なものだと思っていました。しかし、実際は全く違っていました。「能面」は仮面ではなく、実は演技者の技によって無限の表情を表しているということを知りました。とても迫力があり、表情という物が非言語的な中での伝達手段としてとても大きな意味があることを改めて気づかされました。

 今現在は我先にという風潮がありますが、能のように一歩下がっても周りの意見を尊重しながら、自分の意見を述べるということが、大切であると感じました。それは、非言語的な中でも表情などによって表されています。

 今回の能の観劇はゆったりとした流れの中で、自分を振り返るよい時間となりました。


 




3組 K君   

 僕は能を見るのはこの観劇会が初めてで、普段能や狂言、歌舞伎などの日本の伝統芸能を見ることがない僕にとってはたいへん貴重な機会でした。
僕が観劇会を見て一番印象深かったのは、一人一人の所作の丁寧さです。どの動きをとっても、ひとつひとつが丁寧で誰一人として物音を立てることがなく、会場の雰囲気が張り詰めていたと思います。
解説をしてくださった山階さんはすり足の練習だけで1時間ほど行うとおっしゃっていました。きっとたくさんの時間をかけて稽古を積み重ねあそこまで丁寧な動きができるようになったのだとおもいました。
能について教わる時間に能の歌を歌う機会がありました。能の歌は普通の歌とリズムや声の出し方が全く違いとても難しかったです。なんとかしてお手本のようにやってみようと試みましたが、どうしてもお手本のように歌うことはできませんでした。やはり、そんなすぐにできるようになってしまうほど簡単なものではなく、膨大な時間をかけて稽古してやっとできるようになるものなのだと思いました。

能は遥か何千年も前から今に至るまで受け継がれてきたものです。その伝統を途切れさせず長く続かせるためには能を見る側の人たちが必要です。
僕が今から能の道に入るということはとても難しいことだと思いますが、能を見ることで伝統を途切れさせない手助けをすることもできると思います。また、積み重ねられてきた歴史に触れることもできると思います。だから、いつかまた能を観たいと思いました。






5組  K君    

今回僕は能を観ました。能を観たのは今回が初めてで、正直僕は能について歴史の授業で名前を聞いたことがある程度でどのようなものなのか全く知りませんでした。

初めて見て一番印象に残ったことは、能特有の独特の声な出し方でした。能について話していた時のいつもの声とは全く異なり、とても迫力のある声で驚きました。他にも歩くときは目線の高さを常に一定に保ち、音をたてないようにすり足で歩くなどといったいくつもの決まりがあることにとても驚きました。

踊りも現代のものとは全く異なり独特で不思議なものでした。このようなことが室町時代から現代に至るまで受け継がれてきたと思うととてもすごいなと感動しました。能の説明の途中で実際に能の型を教わりました。普段の生活では、学ぶことのできない貴重な経験をしました。単調な動作で簡単なように見えていた能は実際にやってみるととても難しかったです。実際にやってみることで初めて理解できることがたくさんあり、やはり日本の伝統芸能はすごいなと思いました。

能という言葉を聞いたときに想像しやすいものが能面でした。今まで僕は能面は白い顔で無表情な仮面としか思っていませんでした。しかしその能面は無表情でなく、あらゆる感情を内蔵し、演技者の技によって無限の表情を生み出すものだというものだということを知りとても驚きました。
今回能を観て思ったことは一つ一つの動作やものに意味があるということです。そこに日本の伝統芸能のすばらしさがあるのではないかと思いました。貴重な経験を活かし、今後能などの日本の伝統芸能に興味を向けていきたいです。






7組 Tさん 

 今回の観劇会で私は日本の古典芸能の一つである能を初めて鑑賞した。私は今までに鑑賞した古典芸能は歌舞伎だけだった。歌舞伎は様々な音楽が流れている中で物語が進行して登場人物が台詞を言うものだったが、能では音楽は単調で、役者の動作や役者が台詞を言うスピードはゆっくりだったため、台詞の一つ一つに重さが感じられた。また、舞台のセットでも、歌舞伎は場面ごとに背景が変わるが、能では舞台のセットが変わらないため、自由に場面を想像できるのではないかと思った。

 能についての説明では、能の歴史を知ることができた。農村地域で行われた田楽やその他の音楽の影響も受けていて、使用されている楽器は笛の静かな演奏や、小鼓、大鼓であった。太鼓の拍子は物語に入りやすいように感じた。役者は白い足袋を履いて摺り足をすることや、汗を流してはいけないことから、能は清らかで神を尊い存在としていることを感じた。また、豊臣秀吉が戦の前に能をしたという説明を聞いて、戦国時代では芸能文化は政治との接点があったということに驚いた。 「井筒」では能面の表情や装束の華やかさ、音楽のリズムが井筒の世界観を作り出していて、独特な芸能だと感じた。役者の台詞は一言ずつがゆっくりで抑揚があり、普段触れることのできない言葉だったため、すべての台詞を聞き取ることはできなかった。しかしその分、自分で場面を考えることができたのだと思った。

 印象に残っていることは、観劇会の終わりに「外見を整えることが内面を整えることにつながる」というお話があったことだ。このことは普段の生活にもつながることだ。まずは外見や身なりを整えることで、内面が浄化されるのだと思う。能を観劇したことで能の事を学び日本の伝統芸能に触れることができて、日本の持つ伝統文化の素晴らしさを感じた。その素晴らしさは世界に誇ることができると思った。これを良い機会に伝統芸能に触れていきたいと思う。






9組 H君  

僕は能を観劇して、能の見方が変わりました。観劇会では最初に能で舞う感情の動作をいくつか紹介してくださり、みんなでその動作をやってみてとても会場も盛り上がっていておもしろかったです。能での感情の表し方は今自分たちが感情を表す時の動作とは少し違い、体全体を使って大きく表現したりと今と昔とのそういった違いにも気づくことができました

そして、後半いざ能をやってくださるとなると空気は少し変わり独特なリズムに合わせて舞っていました。今までだと舞っているのを見ていてもただいろいろ動いているというふうにしか見えていませんでしたが、どういう動きが何を表しているのかを少し知るだけでもその動きがでてきたら今どういう感情なのかとわかることができ、違った楽しみ方をすることができました。さらに、能を楽しむためにはもっといろいろな動作の意味を知っていたら楽しめていたと思うので、次能を見る機会があったらその時は能をもっと学んでから見てみたいと思いました。






11組  I君

 私達は、水曜日に能劇を見ました。私は能を見たことがなかったので、観るのを少し楽しみにしていました。能について色々な事を能役者の人から教えてもらい、とても楽しく、学ぶことができました。手の振り付けに意味がありすぎるだろと思い、最近悲しい時とかは能の振り付けをする時がよくあります。

実際の能を見て、余りにもゆっくりとしなやかに美しく歩いたり踊ったりしていたので、本当に男性が演じているのかと疑問に思いました。正直本気で女性に見えました。

他にもいろんな人が違う役目をしていました。私は以前に歌舞伎を見たことがありますが、それとはまた全く違う風景が見ることができました。

回の能劇で、1番興味が湧いたのは能面です。私はあの女性のお面でしかやらないのかとずっと思っていたのですが、帰って調べてみたら、何十種類ものお面が存在していてびっくりしました。
コレクション出来ちゃうのではないかとも思うくらいでした。
また、基本的に全部怖い顔をしてるのだとも思いとても興味深いものでした。

この劇を人生で一度は見たいとずっと思っていたのと、漢文や古文の練習にもなると思ったので、とても素晴らしい機会になったと思います。また違う日本文化も見て見たいと思いました。