わらび座 KINJIRO!を鑑賞して

8組 F君  

  最初に水曜日のイベントでミュージカルが行われるということを耳にした時、私はこれまであまりそういったものを観賞する機会が無かったため非常に楽しみにしていました。一方タイトルにある通り「金次郎」についてのミュージカルという事で、一体どういった劇になるのか全く予想出来ていませんでした。ですが今回、劇を観賞してそのクオリティの高さに只々圧倒され、私にとって意義のある貴重な経験を積むことが出来たと実感しています。

物語の内容は、初めに生徒2人が学校にある二宮金次郎の像の前でその撤去の是非について話しており、一方の生徒が金次郎の生涯について語り、終わりに金次郎から学んだことを通して、2人は和解するというものでした。
 生涯が語られる場面では金次郎が村の再興のため悪戦苦闘する様子が、様々な音楽やダンスと共に躍動的に、かつ分かりやすく表現されていました。

その中でも私が特に印象に残ったものは金次郎が小田原藩の家老、服部家に奉公し、家政再建を成功させる場面です。そこでは金次郎は徹底した倹約を行い、百姓という自由ではない身分でありながらも、持ち前の優しさを生かし、ついには小田原藩藩主、大久保忠真の信頼をも勝ち取り、さらなる大仕事へと取り組んで行きます。
この場面では当然金次郎に反感を抱く人々もいて、それを表現する歌や踊りがとてもユニークで飽きることなく楽しむことが出来ました。

また、桜町領の復興に携わっていた際、周りの人間から軽蔑され自信を失い旅に出ていく場面では、最終的に、物事にはそれぞれの事情というものがあり、あらゆる角度から考えなければ一つの目標に到達できないということを悟り、金次郎が再び新たな一歩を踏み出して人々のために努力し続けていきます。
こうした場面からは二宮金次郎という人物がどう優れていたのかということがより一層明確になり、その偉大さから私達が学ぶものも大きかったように思います。

最後に、私は今回の劇を観賞してミュージカルが創り出す鮮やかな演出の数々と、二宮金次郎の重みのある生涯の物語が合わさったこの作品に深く感動しました。
 今まであまり知ることのなかったミュージカルと二宮金次郎に触れ自らの教養を深めることが出来、またと無い素晴らしい体験をすることが出来たと思います。


 




9組 Tさん

私は二宮金次郎についての知識はほとんどありませんでした。文系の高校生として恥ずかしいことです。

 彼の生まれは貧しい百姓の家だったらしいのですが、生涯で成し遂げたことの大きさは身分など全く問題にならないものだと思います。劇中では身分差による苦悩が描かれていました。身分制社会に特有の苦しみです。今では身分制が崩壊し、出自に関係なく活躍できる社会が当たり前となっています。金次郎のように後世に名の残る人間になるかは別として、社会貢献できる機会はいくらでもあるのが今の社会です。私は、少しでも改善したいと思うことがあれば、喩え小さな事であっても、金次郎のような行動力で人や社会に貢献できる人間になりたいです。

 演劇は楽しいものでした。幼い頃によく行った観劇会を思い出しました。私は演劇の音楽と役者さんの人間味溢れる演技が好きです。今回の演劇で印象的だったのは特に音楽です。西洋風の親しみやすい音楽が多かったですが、江戸時代という背景を考慮に入れているのか、和風のメロディーや楽器が使われていてとても面白かったです。また、高校生向けに工夫された演出が素晴らしいと思いました。

 観劇中は大勢の人が一緒に笑ったり、悲しくなったり、前向きな気持ちになったりします。演劇がその場に一体感をつくり出すのは、本当にすごいことだと思います。それだけでなく、今の自分や社会を見つめ直す良い機会になりました。二宮金次郎の人間らしさに触れられて嬉しかったです。






10組 M君 

私は今回の観劇会で、舞台から感じられる不断の努力と、内容から伝わるあきらめない気持ちが真っ直ぐに心に届きました。普段では体験できない素晴らしいものでした。

ホールに入ってすぐ目に飛び込んできたのは、普段見ている舞台とは思えないくらいの立体感と魅力が感じられるセット。オブジェのように立つ二本の柱を中心に、和太鼓や琴が、これから行われる劇のわくわく感を増幅させていました。そしていよいよ開演。私はこの劇で特に3つの点に注目しながら鑑賞していました。

一つ目はなんといっても声量、動きのキレ、間合いが完璧な役者さんの存在です。セリフの重厚感はもちろん、シーン毎の感情や揺れ動く想いを、大きく体を使いながら、観客に伝えようという思いが伝わってきました。さらに同じ役者が複数の役を演じており、声のトーンや役の年齢、性別、役柄など見事に演じ分けられていて、まるで違う役者さんが演じているかのように感じられました。また、僕の座席は舞台とかなり離れていましたが、それにもかかわらず役者さんの表情の変化がくっきりと見えました。さまざまな役者さんの努力が驚きと感動となって伝わり、舞台に、さらにのめりこんでいきました。

二つ目はめまぐるしく変わる大道具や小道具です。舞台の真ん中にある金次郎の銅像の台が腰かけや模型を飾る台となり、しまいにはお立ち台にもなっていました。同じものを違うものに見せるには、それに対する接し方や変化を動きで、はっきりと表現する必要があります。しかし今回の劇の中では音と動きが相まって、同じ道具であっても、あたかもそれぞれの役割を果たしているかのように感じられました。ここでもプロの劇団のすごさがよく伝わってきました。

三つ目は舞台上の雰囲気や流れを決める照明です。どんなに舞台の構成等が優れていても、照明の演出が効果的に入っていないと、舞台における世界観を完全に作り出すことはできません。フェードアウトや、カットアウトなど様々な技法を巧みに駆使して観客が飽きない場面転換や演出を行っており、表舞台に出ることのない裏方の方々の努力を感じることができました。

お話の中にあったあきらめない心、厳しくも人間味のある優しさ。そうあろうとしてもなかなか達成することの難しいことでも、着実な努力を積むことで成し遂げることを、金次郎からだけでなく、わらび座の皆さんから感じ取ることができました。私たちが直面している受験勉強も同じことが言えるのではないかと思います。農業のようにすぐに結果が出ないこともたくさんあります。しかし、たとえそうだったとしても、金次郎のように今の自分を責めずに、置かれている状況で今何ができるかを冷静に考えていけるようになりたいです。今回の経験を確かなものにして、これから続いていく困難に立ち向かっていきたいと思います。






11組 Yさん  

私は二宮金次郎という人物がどういう人間であったかを知りませんでしたし、また知ろうともしませんでした。

勤勉=生真面目で面白みにかけるというイメージしかなく、寸分惜しまず、まきを背負いながらひたすら勉学に励み、もはや家庭における働き手として重要な役割を果たしつつ、離れ業をやってのけた人物。そこには堅苦しささえ感じます。

そんなイメージを持つ二宮金次郎のような人間になれよ、という親の期待と羨望が入り混じった銅像は、思春期の私たちに、自分に到底できないことだという決めつけと、ちょっとした反抗心もあり、なかなか認めることもできず、あえて聞こうとしない、興味のないふりをしてきました。

しかしどうも金次郎はそんな単純な人間ではなかったようです。

金次郎はただの賢く、生真面目で勤勉なだけでなく、とても人間味あり、愛にあふれ、それにより時に悩み苦しみ、だからこそ人の心を掌握し、大成功している魅力的な人です。まさに切磋琢磨して生き抜いた人。人間として生を受けたならば、こんな人生を送りたいという大変うらやましく思える人物でした。

この劇では冒頭の金次郎のそんなイメージを吹き飛ばそうという演者の意図がとても良く伝わってきました。
尺八、太鼓。その他の楽器。彼のめまぐるしく変わる人生を伝えるのに大きな役割を果たしていました。ダンスもしかり。その技術の高さは、ぐっと心に入り込んでくるものです。
その他にも興味深い点がありました。

感性も知に結び付けることができることもわかりました。
私にとって感性は時として知の力を身に付けるのには邪魔に感じるものでした。
勉強をする時は、特にそう思っていました。
怒ったり、傷ついたりまたはウキウキすることによって感情に波ができ、平常心でいようとした時には惑わされたり引きずられたりして面倒に思うこともしばしばありました。

しかし、そればかりではないということがこの劇を通じて解りました。

感じることにより、知的好奇心が生まれ、知的欲求を刺激し、物事を吸収する原動力となります。これからは、物事を一方向からばかりでなく、色々な方向から目を向け、自分の感じたことを押し殺さず、何故、どうしてという気持ちで向き合うべきだと思いました。

知の力、その力に基づいた決断や行動はたくさんの人に影響をもたらします。また、その力の使い方によっては困っている人たちを助けることもできます。
私もいつかその力を身につけることができたならば、惜しみなく人に尽くし、力を注いでいこうと改めて決心しました。

それにはまず、そこかしこに散らばっている学びの機会を逃さず、向上心を持って一日一日を大切に過ごすようにしなければならないと感じました。そして、いつの日か人の役に立ち、社会に還元できるような力を蓄えられるよう精一杯の努力をしていこうと思います。 






1組 Fさん 

私は日本の古の文化や文学、精神の魅力に大いに惹かれています。ですから、今回の演劇は万全の準備を期して臨みました。そして思ったのは、今回観劇した演劇の主人公である二宮金次郎は、日本人の勤勉で真面目な精神の鑑だということです。わらべ座は劇中に「現代の」電子音と同時に「古の」和楽器を取り入れ、今までに聞いたことのない斬新な音合わせで、独特な世界観を生み出していました。

劇中で、金次郎氏は前妻に対して無意識に行ってしまった、家庭を顧みないような行為を、今妻には行わないという場面がありました。妻に愚痴を聞いてもらっていた場面は、前妻のころの過ちを埋めているかのようで、さらに「一緒にいてくれてありがとな。愚痴を聞いてくれてありがとな」という台詞は、自然と涙してしまうような、ただただ金次郎氏の純粋さがあふれる感動的な場面でした。きっと、前妻の時に気持ちを伝えきれなかった後悔が残っていたのだと感じました。本当に大切な人を失って初めて気づくことです。当然で、わかりきったことなのに何故いつも人間は後悔をしてしまうのでしょう。そう考えさせられたような気がしました。

また、後半に金次郎氏がソロで歌った「歩け 歩け」という場面は、今受験に直面してつらい日々を過ごす私には、「なにがなんでも進み続けろ」というエールを送られているような気がして、観劇中にはつい涙があふれてしまいました。私に限らずいろんな人の、現代の「銅像の二宮金次郎」に対する気持ちが、今後、必ず変わっていくと思います。金次郎氏の人間性が、この世のみんなに伝われば、世の中は平和になるのにと強く感じました。

現代の日本人には、古の思いやりの精神が欠如しているのではないでしょうか。今回の演劇で、改めてそう思いました。江戸取生活最後の演劇に、このような素晴らしい作品を観劇できて本当に良かったです。本校を卒業しても、古の精神を決して忘れず、礼儀を弁えた「正しい人間」に、私はなっていきたいと思います。






2組 Nさん

二宮金次郎と聞くと、小学校の玄関近くにある銅像のことや、何となく歴史に出てくる人だということしか知りませんでした。しかし、今回、わらび座の方々による私たちにもわかりやすい、様々な音楽や親しみやすいシチュエーションなどを用いた劇により、二宮金次郎の何事にもめげない前向きな姿を知ることができました。

度重なる自然災害かつ両親の死を早く経験したにも関わらず、幼い弟2人を支え、家を立て直し、さらに村の人との関わり合いも忘れることはない。だが、あまりにも仕事に集中してしまい、自分が本当に大切にしなければならない家族のことまで手が回らないこともありました。しかし、自ら農業を営みながら、600以上の村に農業指導をし、飢饉から人々を救った金次郎は、知識だけを身に付けるのではなく、実践することを念頭に置き、行き詰ったら現場に行って現実をよく見てからまた取り組んでいくという姿勢がつねにありました。そして、農業は、自然に生かされているので、1人では何もできず、数々の支えがあって自分があるということを自覚し、感謝の心を常に持っていました。

将来、医師を目指している私にはこの、金次郎のような他人のために、一生懸命行動するということは本当に必要なことです。常に周りへの感謝の気持ちを忘れずに、自分の今できることをこなしていくことが、いかに大事なことかということを学ばせていただきました。ありがとうございました。