観劇会(大蔵流狂言)を鑑賞して





3組 Aさん
 今回は第123回目の観劇会でした。そして狂言の方が来るのは今回で2回目だそうです。しかも今回来てくださったとても気さくな大蔵彌太郎千虎さんは重要無形文化財の能楽者でもあります。私は生きているうちにこのような方の狂言を見ることが出来てとても運が良いと思いました。
私は狂言とはとても厳かな雰囲気で行われるものだと思っていましたが、実際はちがいました。狂言大蔵会のホームページには「ちょっとダメな人が登場する物語」と狂言について記載されていました。今回見た棒縛りでも太郎冠者と次郎冠者の滑稽な掛け合いがとても面白かったです。私達が生まれる相当前にできた狂言を見て今でも面白いと思えるのは特別なことだと思います。話している単語は当然、今の時代のものではなく、言葉だけで理解するのはとても難しいですが、それでも物語の内容は理解できるので演技する方々の表現力の高さを窺えます。例えば、そこにはない扉でも口や手の動きであるように思えます。また、私は狂言の小道具やセッティングにも驚きました。オンラインで会場を見た時、後ろに松が描かれた鏡板がありました。まさか学校で鏡板が見れる日が来るとは思いませんでした。鏡板に松が描かれている理由は松が一年中緑色の葉をつけているのでどの季節にも合うからだそうです。風情があってとても日本文化らしいなと思いました。
もしまた来ていただく機会があったら今度は実際の舞台で見てみたいです。







5組 Bさん
 私は今回の狂言を見て、単純に言うととても面白いと感じました。狂言を見るには初めてで、歴史の授業などで成立年代を知っているくらいで、能と同じような感じであり、何となく違いといえば、お面を被っていないくらいなのかなと思っていました。能は、以前見たことがありましたが、正直に言って、あまり面白いと感じませんでした。狂言も同じような感じなのかなと思っていましたが、大きく違っていました。まず、能と違い、動きが多いと思いました。笑う動作や怒る動作、泣く動作も決まっていて、その動作に何度か笑いを誘われたりもしました。その他にもお酒をすくったり、踊り出したりと動きがとても多く、見ていてとても面白かったです。また、酩酊したことで足元がおぼつかなくなったりする状況が、本当のことのように見え、また、そこには無いはずの蔵の扉やお酒が入っている桶がまるでそこにあるかのように見えました。「狂言は想像力が必要」とおっしゃっていましたが、その想像を掻き立てるように演じるのもとてもすごいことだと思いました。今回見た狂言は「棒しばり」という題名のものでしたが、お話も面白かったです。家来2人のお酒に対する執着に驚き、主人が可哀想にも思えました。また、家来2人が気を許して、縛られやすいような格好になってしまう少し抜けているところも、愛着を感じました。昔の演劇となると、昔の言葉ばかりを話していて、わかりにくいだろうなとか、どこかとっつきにくいものを感じていて、あまり触れたりすることがありませんでした。しかし今回の公演のおかげで、そんなに難しくなく、自分でも気軽に楽しめるものであると思いました。Youtubeでも見ることができるということなので、今後も身近なものとして触れ合っていければいいと思います。ありがとうございました。







組 Cくん
 僕は、今回初めて大蔵流狂言の「棒しばり」を実際の舞台で見て、能と狂言の明確な違いを学ぶことができました。以前、僕が中2のときに、江戸取で同じように能を見る機会がありましたが、そのときは感情表現などが全て身振り手振りでしか表現されていなかったため見ていて何をやっているか全くわかりませんでした。しかし今回の大蔵流狂言を見たときに、能とは違って身振り手振りに加えて台詞があったので、能とは全く違うことに驚かされました。そしてこの「棒しばり」という曲の中で登場する次郎冠者は彼の棒術を披露してほしいと主に言われて棒術のスキを突かれて手足を縛られ、彼の兄である太郎冠者は弟の次郎冠者に罪を擦り付けようとして主に裏切られ、うしろ手を縛られてしまい兄弟そろって間抜けなところに思わず笑ってしまいました。そして、その二人の姿を見て自分は正直に生きようと強く思いました。そして主が出かけた後二人は、あきらめずに酒を飲もうとしました。彼らは悪いことをしていますが、諦めずに努力して工夫を続ければ道は開くのだと感じました。そして二人は、酒を飲み続け、酔っ払い踊っているうちに主が帰ってきていることに気づかず、さらに酒を飲み続け、主に見られていることに気づかずに酒の表面に写っている主の顔を見て悪口を言っていました。二人の間抜けな部分を面白いと思いながら、「壁に耳あり障子に目あり」とは、まさにこのことで今の世の中、誰に、どこで自分の言動を人に見られたり、聞かれたりするのかわからないので、自分の言動の戒めにもなりました。今回の大蔵流狂言は、面白い部分もあり、これから生きていく上で教訓になることも数多くありました。今後、この教訓を生かしていきたいと思います。





7組 Dさん
 私が狂言を見て1番感じたことは、日本人の笑いというのは大昔から変わっていないのだなと思いました。中学生の時に見た能はこの世のものでない者を演じていることもあって、どこか自分達とは違う世界で、言葉も全然分からなくて難しいという印象があったのですが、今回の狂言の棒縛は人間味があって太郎冠者と次郎冠者の酒盛りにクスッと笑ってしまいました。
台詞と仕草で構成された「喜劇」がこんなにも面白いものなのかと、とても楽しい気持ちになりました。小道具もとても上手く使われており、お酒を飲むシーンでは本当に飲んでいるかのような音に驚きました。どこか親しみやすい雰囲気があり、700年前の文化とは思えないほどわかりやすかったです。また、言葉は分からなくても雰囲気、表情でこれ程までに面白さを表現出来るのかと、とても感動しました。 700年も続いているなんて信じられないと思っていたのですが、どんな人にも面白さが伝わる狂言ならと納得がいきました。
今回演じてくださった能楽師大蔵流狂言方の演目は180演目あり、「ももやそ」と読むと聞いた時はなんだかとても可愛い言い方だなと思い、今回の「棒しばり」の他にも見てみたいと思いました。日本の伝統芸能はこんなにも魅力的なものなのかと、今回強く感じました。これからもっと沢山の日本の伝統芸能の魅力を見て、感じてみたいと思います。





8組 Eさん
 大蔵流狂言を観劇しました。私自身古文が苦手で物語の内容を理解できるか不安な部分が多かったのですが、いざ観始めると狂言の魅力にどんどん惹かれていきました。大蔵彌太郎千虎さんが始めに、狂言とは何かということをレクチャーしてくださり、今まで全く知らなかった狂言の歴史や能との違いなど様々なことを教えていただけて昔ながらの日本文化について知ることができてとても嬉しく思いました。
また、演目「棒縛り」の物語はとても滑稽で思わず笑ってしまう場面が多くありました。中でも家来である太郎冠者と次郎冠者が主人のいない間に酒を飲み、酔っ払って主人が帰ってきたことに気づかずに歌を歌い続けている点です。最後に狂言の小物の使っての演技の仕方について教えて頂きました。お酒を継いでもらってお酒を飲み干すという動作一つとっても、リアリティと狂言ならではの趣があってとても印象に残っています。
また、感情の表し方についても教えて頂きました。現代の演技とは打って変わって、全面に感情を表す声や動き、表情が豊富で理解しやすいものでした。今回の観劇をきっかけに狂言に興味を持つことができたので、是非また機会を得て他の演目も観てみたいと思いました。





10組 Fさん
 私は今まで狂言についてなじみがなく、詳しい知識をありませんでした。しかし、今回貴重な時間を頂き、大蔵流表現を鑑賞して狂言の面白さが分かりました。狂言はしぐさが大きく、表情の表し方も分かりやすかったので難しい言葉の意味が理解できなくても内容が伝わり、とても面白かったです。狂言の主幹ともなる舞の中で、メリハリをつけて際立たせるべきところは足の踏みを強くすることで楽器による演奏がなくても心を引き付けられました。また、春日大社の影向の松をもとに背景の絵は描かれていることを知り、神様の前で芸能を行うというところが、他国の文化や現代の文化にも類似するものが少なく面白い伝統芸能の一つだと思いました。
狂言は、世界最古の伝統芸能であり、日本の笑いの起源でもあると私は思います。今回見させていただいた『棒しばり』でも、両手を縛られた太郎冠者が、不自由な格好のままどうにかしてお酒を飲もうとする場面で、勢い余って自分の顔に酒をかけてしまうところが現代のコントに似ているように感じました。演目は中世の庶民の日常や説話などを題材にしています。しかし、今もなお親しまれているのは人間の普遍的な部分を上手に切り取っているからだと思いました。そのような点で、海外の人が見ても面白いのではないかと思います。
最近は新型コロナウイルスにより劇場の舞台で鑑賞することは厳しい状況ですが、インターネットなどで世界最古の伝統芸能である狂言の素晴らしさを世界中の人と分かち合いたいと思いました。最後に狂言を披露して下さった皆さまありがとうございました。