みんなの声

11月3日(火)~11月7日(土)修学旅行

1組

 私は今回の修学旅行で様々なことを体験しました。そのどれもが新しい発見、驚きに満ちていましたが、その中でも特に心に残ったものが三つあります。
 一つ目が、ホテルの部屋の中でのクラスメイトとの会話です。修学旅行には部屋内研修の時間が就寝前に二時間ほどありました。就寝直前というと普段なら家でプライベートな時間を過ごす時間で、人の前では出せない素の自分が出せる数少ない時間です。よって、部屋内研修の時間では、普段は見られないありのままの姿のクラスメイトと会話することができました。そのおかげでいつもより深くお互いの話ができ、クラスメイトとの信頼関係がより強まった気がしました。

修学旅行写真
 二つ目は、各地の素晴らしい景色です。今回の修学旅行では九州から京都に移動しながら各地を観光して行きました。私は今までに九州旅行はおろか関東圏を出たことすらなく、飛行機も今回の修学旅行で初めて乗りました。そのため、私は西日本の観光名所の美しさに大変驚きました。中でも秋吉台や秋芳洞、嵐山の小倉山などの自然によって作られたものには、自然の神秘や雄大さを感じ、私の心は大きく動かされました。今まであまり観光に対する興味はありませんでしたが、今回の修学旅行で自然に触れる楽しさを知ったので、またどこか美しい観光名所に行ってみたいと思いました。
 三つめは、広島平和記念公園での平和学習です。今回の修学旅行で一番印象に残ったのがこれです。私がいたA班は被爆者の方による講話を最初にお聞きしました。私は講話が始まる前は 「どんな凄惨な原爆投下時の話がされるのだろう。」 とネガティブな話がされるイメージを勝手に膨らませて身構えていました。しかし、被爆者の方が話されたのはネガティブな話ではありませんでした。当時の環境と今の環境の違いを、原爆の救護にあたったご自分のお母様の話を交えながら話した後に、生活していた環境が今と比べて苦しいものであっても家族を大切にする心や感謝する心があれば心は貧しくならず幸せな生活が送れる、つまり、今幸せな生活が送れているのは親など自分に関わる人たちに大切に思われているからだと教えてくださいました。私はそれを聞いた時に何気なく過ごせている日常は、周りの人に恵まれ、助けられているからこそ成り立っていることを知り、感涙にむせびました。今までも感謝をすることは大切だと教えられそれを行ってきたつもりでしたが、今回の講話で感謝をする意味をしっかりと実感したので、より深く自分の中で意識しながら人に感謝を伝えられるようになると思います。
 今回はこのコロナ禍の中での修学旅行でしたが、私はとても有意義な体験ができました。今回の修学旅行をサポートしてくださった方々、先生方に感謝します。

2組

 一日目の東光寺・松陰神社の景観について。日暮れ時の夕日に紅く染められた空、深緑の草木に少しだけ紅葉が始まりだした大森林、日本の伝統的な木造建築などなど。これらのいくつもの要素が織りなすコントラストは、声を出すことも、息の音をさせることすら、はばかられるような静謐を作り出していました。
 二日目の秋吉台・秋芳洞について。これに関しては、個人的に驚きの発見をしました。修学旅行に行く前、私は秋吉台に対して、「明灰色の石灰岩がゴロゴロしていて、緑なんてほんの少ししかないのだろう」といったようなイメージ・先入観を持っていました。しかしそのイメージは打ち破られました。現地入りして私の目に映ったのは、雄大に若い緑をたずさえた丘に、遺跡のように固まった石灰岩が点在していた姿でした。また、秋芳洞についての以前までの私のイメージは「土っぽくないクリスタルのような質感・景観をしている。千枚田のようなところは大理石のように硬く平たく、綺麗な輝きを放っている。」というものでした。これも覆されました。実際は、金に近い土色で、千枚田のようなところは鍾乳石でできた枠に、澄んだ地下水を湛えていたのでした。
 三日目の宮島・厳島神社に関しては残念なことが一つありました。厳島神社の鳥居が、工事中で見られなかったことです。それでも、宮島の景色は美しかったです。山の上から、紅葉の始まった木々と青々した海を一望した景色は格別でした。

修学旅行写真
 四日目の北野異人館周辺について。これには、他の4項目と違う感覚を受けました。北野異人館から南に向けて降りていくと、東京は渋谷のような都会的な街が広がっていました。あまりマッチしないはずの建築物をうまく調和させ、街並みを成立させた工夫については圧巻と言うほかありません。また、ここで食べたスイーツは非常に美味でした。というのも、事前に調べているときに、田島先生から「神戸は昔から交易の要衝であり、西洋の技術を取り入れたものがたくさんある。そのおかげで、日本の洋風スイーツの開祖たる名店が軒を連ねている。」とうかがっていたため、リサーチして食べに行ったのです。
 五日目の嵐山周辺について。とにかくおいしいものが多かったです。景色は、時間の関係であまり楽しめませんでしたが、それを補って余りある甘味を得ることが出来ました。抹茶アイスクリームとわらびもちが、他のスイーツとは一線を画していました。
 最後に我々が楽しく修学旅行を過ごせるように尽力してくださった先生方、並びにJTBの方々に格別の感謝を申し上げて、修学旅行の感想を締めくくらせて頂きます。

3組

 私が今回の修学旅行で一番印象に残っているのはヒロシマでの平和学習です。
 事前に国語や社会の授業で第二次世界大戦について学んでいましたが、被爆された方の話をお聴きしたり、実際に被爆した建物を見たりすると、それ以上に戦争の恐ろしさが伝わってきました。

修学旅行写真
 今回お話ししてくださった石原さんは、実際に被爆したのではなく、胎児の時に被爆した、胎内被曝者でした。直接被爆したのではなく、胎児の時に被爆しても被害を受けることに驚きました。
 今回主にお話ししてくださったのは、直接被爆したご家族の体験談でした。その中で一番衝撃的だったのは、石原さんの母親が駅で体験した話です。石原さんの母親は、八月七日に広島の駅に行き、そこでの光景を目の当たりにしました。被爆により皮膚が焼け落ちた人、駅に並べられた黒焦げの死体など、この世のものとは思えない光景を見たとおっしゃっていました。事前に観た戦争の被害についての動画以上に、直接聞いた体験談はとても衝撃的でした。
 また、このような戦争の体験談をお聴きするとき、多くの場面で「このことを後世に伝えて下さい」といった言葉を聞きます。確かに戦争は恐ろしく、二度と起こるべきではないと思います。それでも、実際に戦争の悲惨さを体験していない私たちが、まるで自分のことのように戦争について伝えることは違和感があるように思っていました。しかし、今回のお話の最後に石原さんがおっしゃった、「今の毎日を精一杯生きてください」という言葉は、とても心に響きました。戦争を体験したことのない私達にできることをしていこうと思います。
 次に、二番目に思い出に残ったのは、異文化交流プログラムです。異文化交流プログラムでは、日本で暮らす留学生の方々と英語でコミュニケーションをとることができました。留学生の方はフレンドリーで話しやすく、とても楽しい時間を過ごすことができました。
 私達のグループに来てくださった方はアルジェリア出身で、アルジェリアについて様々なことを教えて頂きました。このプログラムを通して、英語を楽しめただけでなく、日本の文化とアルジェリアなどの外国の文化との違いを学ぶことができました。もっと英語などの外国語を学んで、世界中の人々と話せるようになりたいです。
 また、今回一番楽しかったのは、友達とのコミュニケーションです。この修学旅行を通して、クラスメイトとより一層仲を深めることができたと思います。今回の旅行は四泊五日で、とても長い時間を友達と過ごすことができました。部屋での会話はもちろん、一緒に観光地を巡るのもとても楽しかったです。学校で会うのとは違う、友達の新たな一面を知ることができました。
 様々なことがありましたが、とても楽しい五日間を過ごすことができました。コロナ渦の困難な状況で、このような貴重な機会を与えてくださった先生方や旅行会社の方々、送り出してくれた家族など、支えてくださった様々な人に感謝します。

4組

 今回、コロナウイルスが流行している中、修学旅行に行けたことはとてもありがたいことだと思います。ここでは、四日目の異文化交流プログラムと三日目の平和学習で感じたことを書きたいと思います。
 まず、異文化交流プログラムで学んだことです。私たちの班でのシニアバディーはクウェート出身で、ショウグさんという方でした。ここは、イラクとサウジアラビアに挟まれた小さな国です。日本とクウェートの文化の違いについて話してくださったのは食事マナーと交通手段、文章を書く方向についてでした。まず、食事マナーについてです。日本では飲食の際に音を出すことには寛容ですが、クウェートではそれは愚かなことだと言われています。次は、交通手段についてです。日本には電車があり、多くの人が利用しています。しかし、クウェートには電車がなく、車での移動がメインになります。文章の書く方向での違いは、日本では左から右または縦書きになりますが、クウェートでは右から左になることです。私は、具体的な違いを知ったことで今まで全くわかっていないのにも関わらず、上辺のことだけでわかっている気になっていたと痛感しました。

修学旅行写真
 次に、平和学習で学んだことです。私の祖父は広島出身で、祖父の妹は、広島原爆死没者追悼平和祈念館のガイドをしています。そして私の曽祖母は被爆者でした。家族旅行で広島に行ったとき、曾祖母の話を聞いて、幼かった私は、とても恐怖を感じました。しかし当時は幼すぎたために、詳しい経緯なども知らず、アメリカはなんてひどいことをする国だと思っていました。ですが、今回の平和教育では違ったことを感じました。アメリカにはアメリカなりの理由があり、日本には日本なりの理由があり、戦争が続いていました。どちらかが正しいと一方的に言うことはできません。人の間には、争いが絶えず、国家間にもなると人を殺しあうまでの争いが起こってしまいます。この中で、私たちが平和に暮らせている日常は尊いことなのだと実感しました。また、戦争という痛々しいものから目を背けないと決めました。授業や修学旅行で「平和学習」をするまでは、「平和の大切さはわかるけれど私たちの日常が壊れるわけがない」「戦争など起こるわけがない」と、他人事のように思っていました。今、国際問題では、コロナウイルスによって、アメリカと中国のように国家間の溝が深まっています。両国に挟まれた、日本にも「戦争」の危機が迫っているのかもしれません。このような問題に、以前なら関係ないと目をそらしてしまっていました。しかし、最悪の場合に第一線で戦うのは自衛隊の方です。私の兄は医官を目指し、医官になるための学校に通っていますが、兄と同様に医官を目指すものとして、目を背けてはいけないと思うようになりました。
 班別行動、友人との集団行動等、楽しい思い出も作ることができ、実り多く、とても充実した一週間でした。

5組

 今回の修学旅行で私の中で一番心に残っているのは、3日目に訪れた広島平和記念公園です。私は今まで日本は戦争の一番の被害者であると思い込んでいました。日本は世界で唯一の被爆体験国です。私は家族と広島旅行に行った際に資料館の中を見ました。原爆直後の広島の写真を見て「アメリカは何て惨いことをしたんだ。無実の人々をこんなに殺めて、何の意味があるのだろうか。」と考えていました。ですが、石原智子さんの講話を拝聴して日本は決して被害者であるだけではないと認識を改めました。日本人もたくさんの人々を殺めてきました。戦争に参加してしまった以上、日本は戦争において永遠に加害者側であるというレッテルを貼られ続けるのです。あの頃の戦争を実際に体験した人たちは殆ど残っておらず、語り部の人たちも少なくなっています。けれども、戦争の恐ろしさと戦争の無意味さを私たちはずっと心に刻み続けていかねばならないのです。私は絶対に忘れないように、戦争についてより多くのことを学んでいこうと思います。
 今回の修学旅行を通し一番大切だと感じたことは「実際に体験する」ということです。学校の授業や本、インターネットで知って終わりにするのではなく、実際に見聞きして感じるということをしなければ、そのものの本質を理解することはできないはずです。そのため、これからは私は江戸取で行われている体験型学習に積極的に参加していこうと思います。

修学旅行写真

6組

 今回の4泊5日の修学旅行で、自分は様々なことを学びました。今回の修学旅行で学んだことを大きく分けると二つあります。平和について、異文化交流についての二つです。今回の作文では、この二つについて書いていきたいと思います。まず最初に、平和学習で学んだことです。講話では、被爆者の一人で被爆時母親の胎内にいた、「胎内被爆者」と呼ばれている方にお話をお聞きしました。今回の講話をお聞きする前は、原爆被爆者には様々な種類があるということは知らず、母親の胎内にいた人も被爆者と呼ばれると聞いた時、少なからず驚きました。今回の講話で、戦時中の話や戦後の被爆地での暗い話が出る中、唯一救いがあったのは、被爆者の平均寿命が非被爆者の平均寿命とさして変わらないということと、今は普通に家庭を持って幸せな人が多数いるということです。被爆者の平均寿命が思ったより高い理由は、日本に原爆が落とされた後に、日本が被爆者に対しての治療に多大なお金をかけたからだそうですが、その日本の行動のおかげで被爆者の平均寿命は伸び、こうして自分たちが被爆者の方のお話を直接聞けたのです。そう考えると、感慨深いと思います。修学旅行に行く前の平和学習で、原爆についてのビデオは見ましたが、やはり本人から聞くと重みが違うなと感じました。広島での出来事は、心に深く残り、生涯忘れてはいけない体験であると考えました。
 修学旅行で学んだことの二つ目は、異文化交流で外国人留学生と英語で会話したことです。特に記憶に残ったのは、英語だけを使って、外国人留学生とプレゼンテーションを作ったことです。プレゼンテーションのテーマは、「外国と日本の文化について」で、自分達のグループを指導してくれた方の母国である韓国と日本との文化の違いについて発表しました。最初にプレゼンテーションを作ることになった時、一番最初に困ったことは、日本と韓国の文化の差を見つける事でした。日本と韓国では、地域も近くて分かりやすい差があまり無かったので大変でした。文化の違いを考えるよりも、その文化の違いを上手に英語にまとめることが大変だろうと自分は思っていたのですが、実際やってみると、今まで勉強した文法でほぼまとめられることに気がついて、案外簡単にまとめられました。結果として、プレゼンテーションは成功に終わりました。そのものを表す英語が分からなくても、それに関連する英語を伝えられた時は楽しかったです。今回の異文化交流で、英語を話す楽しさを特に感じられて、英語をさらに身近な存在に感じられるようになりました。
 その他の経験も、人生の中でとても大切なものになりました。

修学旅行写真

7組

 自分はこの修学旅行を通して、人として忘れてはいけない精神、そして集団行動をする中で重要なことを学びました。そしてたくさんの貴重な体験ができたことは、自分の後の人生に大きな価値を生むと思います。
 この修学旅行では、多くの新たな知識を得ることができましたが、その中でとても印象深い事は、広島の原爆の語り部の方のお話でした。自分は、原爆によって市民に与えられた苦痛は、家族の死だけではなく、周りで苦しんでいる人を見ることも大きな苦痛になっていくことを新たに知りました。その講話をお聴きして、苦しんでいる人を助けることが出来ないことに悲しくなるのは、本人の他人に対する優しさから来ているのではないかと感じました。また自分がもしこのような場面に直面した場合、家族のことで頭がいっぱいになってしまうと思いました。また広島市内の地下には多くの亡くなった方が眠っていることを知った時にはとても心が痛みました。しかし当時生き残った方々が、亡くなった方々の思いを背負って、今の広島、そして今の日本に繋げて来たのだと感じました。その中で、原爆ドームや原爆資料館が亡くなった方々の思いを今に伝える道具であり、教訓になっているのだと思います。そして広島の原爆を伝える中講話ので、「米国を悪者扱いにしていることが多く日本の加害責任をあまり責めないことが多いのではないか。」とおっしゃられていましたが、自分もそうだと思います。物事が起きる時、一つの理由だけでなく多くの理由が絡み合っていることがほとんどです。この間学んだ国語の授業で登場した文章や社会の授業で重要視する考えがその考えととても関係しているのだと思います。自分も改めて理由を一つに決めつけずに行動していかなくてはいけないと考えました。

修学旅行写真
 そして4泊5日の修学旅行を通して大切なことに気づきました。コロナウイルスという世界的な危機の中で旅行に行けたのは、大変嬉しいことでしたが、それは学校や参加した全員がしっかりと協力したから達成したのだということです。一人ひとりコロナウイルスや修学旅行に対する思いは異なっても、一丸となって協力し合えることはとてもすごいことです。一丸となって協力することで、改めて自分は一人でも自分勝手な人がいると組織として成り立たなくなることでもあることを認識しました。また初めて行く未知の場所でも、しっかりと江戸取の精神をもって行動することは修学旅行だけでなく多くの場面においても重要であると考えました。
 修学旅行という中学生生活の大きな行事が終わり、今度は卒業式という集団行動が試される行事が待っています。中学一年生の時には、遠い未来だと思っていましたが、その未来が、あと半年もたたないうちに現実になろうとしています。時間はあっという間に過ぎていくので、後悔がないように精一杯頑張っていきたいと改めて考えました。

8組

 今回の修学旅行を終えて僕が思ったことは「楽しかった。」という一言だけです。小学生のような感想になってしまうほど充実した五日間でした。もちろんたくさん勉強になるところもありました。しかしそれよりも「楽しい」が勝ってしまう最高の修学旅行でした。
 まずは初日。家を出たところから数えて、約十時間の移動を乗り越えて到着したのは山口県萩市。途中昼休憩は挟んだものの、さすがに十時間の移動に疲れてしまっていました。しかし萩市内のいい意味で東京や千葉とは全く違う景色に感動して疲れなんて宿につく頃には吹き飛んでいました。ちなみに松陰神社で引いたおみくじが大吉だったことでもテンションが上がっていました。
 二日目。朝バスに乗り込み向かったのは、日本最大級のカルスト台地秋吉台です。秋吉台には目を疑うような光景が広がっていました。何本、何百本、何万本あろうかというほどのススキが穂を揺らしていました。きれいだという感想しか出てこないほど圧倒されました。秋吉台を出ますと、すぐ近くの大鍾乳洞、秋芳洞に行きました。そこには地球が何万年もかけて生み出した神秘的な光景が広がっていました。そしてその後、岩国市にある錦帯橋に行きました。世界遺産を目指しているそうで、非常にきれいでした。

修学旅行写真
 三日目。朝から宮島観光ということで、厳島神社に向かいました。二日目に宮島についた時にはもう少し暗くなっていて、よく見えなかったのですが、起きると綺麗な鳥居が、というわけではなく改修工事中の鳥居が。少し残念でしたが、観光を楽しみました。午後からは広島市内に移動し、原爆関連のお話を伺いました。お話してくださった方が、「かわいそうだと思ってほしくない。」とおっしゃっていたのがとても印象的でした。やはり原爆に限らず戦争の体験談を聞くと、どうしてもかわいそう、という思いになってしまいがちなのですが、中にはそんなこともなく、幸せだった人もいるんだなと思いました。今回の修学旅行で一番の学びでした。
 四日目。神戸市内の北野異人館に行きました。町全体が洋風に作られていて、どこを写真にとっても画になると言いますか何と言いますか、とてもきれいでした。午後は異文化交流に行きました。英語を使っていくうちにどんどん楽しくなっていきました。
 五日目。最終日は嵐山に行きました。初日は「これから五日間もあるのか。」という感じでしたが、最終日にもなると、帰りたくない、と思うようになっていました。そんな中巡った嵐山。天龍寺の庭園やその裏の竹林に行ってきました。庭園のおそろしく管理された景色に感動したのはもちろん、カレンダーや雑誌の表紙にもなっていそうな竹林にすごく感動しました。今回の修学旅行ではたくさんの思い出と元気をもらいました。それを生かして残り僅かな中学生活を頑張りたいと思いました。