12月3日(木)観劇会(狂言鑑賞)
1組「観劇会 狂言 大蔵流 に参加して」
私は小さい頃から西洋の舞台舞踊であるバレエを習っています。また、中学に入学してからは演劇部に所属し、現代演劇に携わっています。普段から舞台芸術に触れる機会がかなり多い私ですが、今年はあまり舞台関連では動けていません。特に演劇部の公演が今年に入ってからでも二つ、延期となっています。「演劇」ではセリフをよみ、他の人と互いに向き合って役を演じる必要がありますが、新型コロナウィルスが流行している今、感染リスクが高い「舞台」の存在はよく思われないことがほとんどです。
しかし、そのような状況においても大ホールで生の狂言の舞台を観劇することができ、私はとても嬉しかったです。
私は以前大ホールで観劇した能や、私の身近にあるバレエ、現代演劇と照らし合わせて観劇してみました。すると、私は途中で「表現の仕方」が似ているということに気が付きました。
私は今回の観劇会を通じ、舞台芸術には、人々を笑顔にする力があるということを改めて感じました。何より今回、私は「棒しばり」を演じられていた方々の姿に感動しました。能楽界でも恐らく公演の機会が少なくなっていると思います。しかしそのような状況においても、私たちのために観劇会で狂言を演じてくださいました。私自身、全ての面において多くの機会を失っていて、今年になってから活動に対しての意欲や情熱がほとんどありませんでしたが、あまりポジティブな雰囲気ではない今だからこそ、舞台という形で、少しでも人々の生活への活力を与えていくことがこれから重要になってくるのではないかと思いました。
これからは、私も一人の舞台人として、周りの人を笑顔に出来るよう、逆境に負けず自分の技術を発展させ、更なる高みを目指していきたいです。
3組「狂言を鑑賞して」
私は今回の狂言を他の演劇と比べて、発見することがたくさんありました。一つ目に、昨年学校で鑑賞した能と比べて、狂言は一つ一つの動きがリアルだと思いました。能と同じように喜怒哀楽など型は決まっていますが、演じる人によって型も少しずつ違っていました。そこには、伝統を伝承しながらより発展させていく仕組みがあると思います。次に、狂言はドラマやミュージカルと違って、楽器によるサウンドがないことと、語り手や心の声がないことが挙げられます。劇中のサウンドは場面をより鮮やかにできますが、リアルからは遠ざかってしまいます。ここから能が演劇の中でもリアルを求めるものだということがわかりました。また、心の声などがないことで観る人は第三者としてどの役にも感情移入せず、現在のコントと同じように楽しめると思います。私にとって、以前の日本の演劇のイメージは型に沿って動いているものでしたが、今回狂言を見て、狂言は様々な意味で型に縛られない現代の演劇の基礎になるものだと思いました。それを一番感じたのは、お椀に主人の顔が写っている時に悪口を言う場面です。とても面白くて笑ってしまいました。現在でもコントやドラマで使われる定番の場面が700年前からあると考えると、どの時代の人にも通じる笑いを作った昔の人たちは、本当にすごいと感じました。この機会を通じて、私も何百年も通じるもの作りに貢献したいと思いました。
5組「狂言を鑑賞して」
今回、私はこのような事態の中、狂言を見ることができて本当に勉強になりました。今まで狂言を見たことがなかったのですが、狂言っておもしろいものなんだなと思いました。「日本の文化のもの」 といわれると堅苦しくて、あまり理解できないものというイメージが強かったのですが、狂言のおかげでその気持ちは消え去りました。能と狂言の違いがあまり分からなかったのですが、大蔵さんの解説で、分かりやすく理解できました。狂言は継承されている歌劇の中で世界最古のものだと知り、日本文化の歴史の深さを感じました。また、小道具が少なく場面転換がやりやすいことなども学びました。楽しみやすい喜劇だったので、いっそう興味深かったです。実際に歩き方やお酒を飲む実技では、大蔵さんの演技にとても驚かされました。歩く時も止まっている時もあの姿勢でいるなんて信じられませんでした。意外にも体力がいるものなんだと感じました。そして狂言の実演では、ひとつひとつの演技に力が入っていてとてもかっこよく、声だけであんなに バリエーションがあるのはすごいなと思いました。そして何より見ていておもしろかったです。また装束の値段について、一着50万と聞きとても高価なものなんだと感じました。日本人として、国際文化を学ぶ者として、今回の鑑賞は大変貴重な経験となりました。できればもう一度、狂言を見たいと思いました。またほかの文楽や海外の多彩な歌劇にも触れていきたいと今回の狂言を見て思いました。
7組「狂言をみて」
私は今回初めて狂言を見ました。二年前の中学一年生の時には、能を見ましたが、狂言は、能とは違う面白さがありました。狂言を演じていた人達は、狂言で使う太鼓の名前や使い方、笑う、泣く、怒るなどの感情表現の仕方、舞台で歩く時の歩き方など、分かりやすく説明してくださいました。その際、コロナのため私たちが大声を出せない中、「小さい声でやってみて」と声をかけるなど、工夫していらっしゃいました。さらに、狂言と能を合わせて能楽と言うことなど、いろいろな説明を私たちがわかるように面白おかしく説明してくださいました。狂言と能は約六百五十年前の室町時代に誕生した伝統芸能で、和食などとともに日本無形文化遺産に登録されています。室町時代に誕生したことにも驚きましたが、もっと驚いたのは、世界で一番古くから途切れないで伝承されているということです。
言葉は難しかったものの、それでも動きを見ることで、内容をつかむことができたので、楽しく見ることができました。おだてられて棒術の型をするところ、お酒を飲みたいばかりに知恵を振り絞ってお酒を飲むところ、また、お酒を飲んで謡と舞を舞って、帰ってきた主人が怒り盃に映っている主人の顔を見て笑い主人の怒りを買ったことの感情の起伏が面白かったです。狂言が終わった後の、生徒の質問への返事でもおどろかされました。狂言で使う装束は、一つ一つ作ってもらっていて、たいへん値段が高いとのことでした。狂言の人達が服を頼むことで服を作る技術が今後も残っていくということです。
今回は初めて狂言を見たからどこを注目すればいいのかよくわかりませんでした。もし次に見ることがあれば、いろいろ調べてから見てみたいです。