10月14日(水)社会科見学(富岡製糸場)
2組「富岡製糸場を訪れて」
今回、私達は社会科見学で群馬県にある富岡製糸場を訪れました。まず、今回の社会科見学は新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で中止になると予想していましたが、先生方の多大な努力により行けることになりました。僕はバス内研修がいつも楽しみで、今回もその時間をとても楽しみにしていましたが、バスの中では私語厳禁だったのでとても残念でした。
さて、富岡製糸場の話に移りますが、ガイドの方に詳しく教えて頂き色々な発見がありました。事前学習で絹や蚕のことを調べていましたが、実際に説明してくれた内容では、富岡製糸場の建物に関してのことが多かったです。ただ、僕は建物の構造などに非常に興味を持っていたので、その当時の最先端技術を使って建てられた倉庫などの話は、その当時を想像しながら聞いていました。中でも設立指導者のポール・ブリュナや、製図工のオーギュスト・バスティアンの話は特別面白く、トラフ構造を使うことにより、内部の柱を無くして、作業場所の面積をより効率的にしたことや、当時、日本にはガラス製造の技術が無かったので、フランスよりガラスを輸入することになったことについての話を聞いてより建築物に対する興味や関心が向上しました。
この社会科見学を通じて、現代の科学技術がたくさんの礎の上に成り立っていることを再確認することが出来ました。富岡製糸場以外にも、明治、大正の工業を担っていた施設はたくさんあるので、他の場所にも行ってみたいと思いました。
4組「日本の近代化を支えた富岡製糸場を訪れて」
僕は富岡製糸場が世界遺産になったばかりの時に訪れたことがありました。ですが、まだ小さかったので、この場所のすごさを理解したのは今年、歴史の授業を受けた時でした。また、今回の社会科見学で改めて訪れてみると、教科書的な「海外の生糸の技術を日本各地の人たちに教える教育施設」という一面以外にも、多くを学ぶことができました。たとえば、当時の日本人がどれだけ生糸の生産のために建物の構造を工夫したのか、なぜ工女さんを当時では異例と言われるほど労わったのか、などです。
現地を訪れることで、授業だけでは絶対に学べない当時の人たちの努力を実際に見ることができました。オレンジのレンガと白い窓が数多くある建物は、初めて訪れた時に「昔からあるのに、かっこいい建物だなー」と印象に残ったのですが、今回の見学で、壁のレンガは、レンガを一度も作ったことのない瓦職人さんが手探りで作ったものであり、また、日本の気候も考慮して、蚕を乾燥させるための風通しをよくするために100枚以上の窓がつけられているなど、当時の最先端を行く建物だったと知ることができました。
その他にも、実際に訪れて話を聞くまで知らなかった秘話があり、「もし明治時代にこのような文明開化がなされていなかったら、今日本はこんなに発展していたのだろうか」とぞっとしました。
6組「社会科見学を終えて」
今年度社会科見学で訪れたのは、「明治・日本の産業革命遺産」の一つである富岡製糸場です。僕は今回見学させていただいて感じ取ったことがあります。それは明治時代に生きた先人たちの、列強諸国に追いつこうという心意気や思いの強さです。このような心意気や思いなどの意志の力は、今の新型コロナウイルスによって非日常となってしまった状況でこそ、生きてきて必要な力になるのではないのかと思いました。なぜなら、今あるこの非日常を受け入れて、いずれ来る新しい日常に備えなければならず、そのために、ほかの人や国より一歩先を進まなければならないからです。 このような意志の力を感じ取ることのできる上に、歴史的に重要な価値があるからこそ、富岡製糸場は世界遺産に登録されたのではないかと思いました。
今回の社会科見学では、富岡製糸場を訪れて、富岡製糸場の歴史・設備に加えて、人の意志の力の大切さも学ぶことができました。来月には、修学旅行で松下村塾を訪れることができます。そこでどのようなことを得られるのかが楽しみです。8組「明治維新とコロナウイルスによる環境変化について」
富岡製糸場は、明治5年10月、つまり季節は丁度今頃、操業を開始しました。当時、日本は江戸幕府から明治維新への流れが落ち着き、世界と対等の関係を築くべく、産業や生活様式がガラッと変わった時期です。
今の、新型コロナウイルスにより、リモート化・IOT化が急激に進み、生活様式が変わった事と少し重ねて見学しました。
江戸から明治に移り、外国と触れ合う機会も急に増える中、富岡製糸場は設立当時、工女を募集するにあたってきちんとした家庭の子女を求めましたが、新しい事についていけずに、『外国人は生き血を吸う』という噂も流れ、なかなか工女が集まりませんでした。今でこそ、謎の答えはわかりますが、当時のフランス人が飲むワインが原因でした。正しい知識がないという事は新しい可能性を潰してしまうものなのかと考えました。
以前、講話の中で、「君たちは今からは想像もつかない職業についている事でしょう」と伺った事を思い出しました。古い偏見にとらわれず、常に新しいものを見て、富岡製糸場計画の一端を担った資本主義の父、渋沢栄一のような柔軟さが、まさに今求められています。新型コロナにより、世界では、IOT化・クラウドサービス化が、黒船が来たかの如く加速しています。今回の社会科見学は正に『温故知新』でした。