みんなの夢作文

1組  

 昨年、僕は自分の将来について綴るこの作文で、外科医として働くという具体的な理想像について思い描くことができました。今年は何について考えを深めていくべきかと考えました。いま世界では新型コロナウイルスのパンデミック化によって、あらゆる地域で悲惨な状況が起こっています。そのような状況下で医師は一体どんな気持ちで働いているのだろうか、という疑問が浮かびました。

 僕は医師国家試験に合格していないどころか、医学部入試突破すらしていないので、まだ医療に携わることはできません。世界の悲惨な状況をニュース番組を通じてただ傍観している事実が僕にはとても悔しく、何か助けられることはないかという気持ちが高まる反面、医療従事者においてもコロナ患者が出ており、遺書を残す人も少なくないという事実が僕の気持ちを消極的にさせます。医療器具をつくっている人たちも、ワクチン生成を世間に急かされている製薬関係の人たちも、病院の看護師さんも、想像できないほど仕事量が増えています。僕が目指す外科医の職務も通常以上のものとなっているのは想像できるのに、自分はこの困難に立ち向かうことが可能なのだろうかと考えされられます。

 それにおそらく身体的な持久力だけでなく、臨機応変に対応する状況判断力も必要となってきます。僕にはこれらの能力がまだ全然劣っていることを自覚しています。このように弱気になることもあった僕ですが、今医科ジュニアコースで実施されている医科講話やSTEMでは、医師となった先輩の話や新聞の社説を通して色々な観点で医療分野の問題について学んで、考えを深めることを行っています。

 またSTEMのアンケートをまとめたパワーポイントで、僕たちからどのような意見があったのか、考えを共有しています。本当にこの取り組みは将来のためになるなと感じています。勉学だけでなく、将来必要となるものの考え方まで指導して下さる江戸取にとても感謝しています。今、取り組んでいることが、将来へつながっていると思うと一層頑張れる気がしてきます。もともと長文を書くことが小学校の頃から苦手な僕でしたが、ノート1ページの感想文を書き続けてきたことで、こうやって自分の思っていることを綴ることができています。

 結論として僕が考えることは、医師とは様々な観点でいろいろな人から必要とされて頼られる尊い存在であることはコロナ以前から変わらないことであり、変わっていくべきなのは弱い自分なのだということです。コロナがいつおさまるのか全く分かりませんが、この状況が終わる頃には立派な人間性を持てるように、そしてこれからも友人と切磋琢磨し、勉学に精進していきたいです。



2組 

今回、中等部各学年の代表生徒と卒業生のスピーチを聴き、自分の夢に対する想いは果たしてこれほど強いものなのかと身の引き締まる思いでした。そして、自分の目標を再確認し、現状足りていないこととしなければならないことを明確にすることができました。

 私の夢は、医師になり多くの人々を救うことです。この夢は小学六年生の頃から変わらず、ずっと目標としていることですが、小学六年生の頃とは、この夢に対する想いが大きく変わったと思います。昔は、両親の職業と江戸取に医科コースがあるということが、医師という夢を持つ大きなきっかけでした。しかし、江戸取に入学してからの様々な経験を通し、夢に対する想いが強く、深くなっていきました。そして今、僕が医師を目指す理由は、多くの人の人生を良い方向に進められるからです。

 例えば、難病でこの先長く生きられるかわからないと言われていた患者を、医師である私ができる限りのことをして治療した結果、病状が改善して命の心配もなくなり、その後寿命を迎えるまで生きることができたとします。これは、今ではよくあることなのかもしれませんが、本当に大きな出来事だと私は思います。自分が救った人が歴史を動かすような大きな人物になったら、私は歴史が変わるきっかけになったということです。このようなことにやりがいがあるのではないかと今は考えています。

 しかし、人の人生を変えるということは、良い方向だけでなく悪い方向へ向いてしまうことも、自分の行いによって起こってしまいます。もし、手術において小さなミスをしてしまった場合、それはミスで済まされることではなく、命を左右することになってしまいます。このように、医師という仕事は、他の仕事に比べて責任がとても大きい仕事だと思いますが、だからこそ、一つ一つのことに真剣に全力で向き合い最善を尽くすということを日々心がけていくべきだと強く思います。そのために、授業はもちろん校外での活動にも積極的に取り組み、自分は最善を尽くすことができたのかをきちんと振り返るようにしていこうと思います。

 また、医師という仕事につくことの大変さも、医科講話を始め様々な先生方のお話や、新型コロナウイルスによって医療が逼迫している現状を通して感じました。そして、医師になることへの覚悟は半端なものではいけないということを再認識させられました。医師という仕事は時には死と向き合わなければなりませんが、それで落ち込み次へ進めないような医師であってはいけないと思います。そのような大変で辛いことを乗り越えるためには、心技体を充実させることが大切だと思うので、これからの学校生活で精神面・技術面・体力面を鍛え、夢の実現へ近づいていきたいと思います。




3組

 僕の将来の夢は、ソフトウェアやアプリケーションを作ることのできるITエンジニアになることです。その理由として、プログラミングが好きなことや、自分でモノづくりをしてみたいと思っていることなどが挙げられます。

 僕は小学生の頃にプログラミングに初めて触れて以来、よくプログラミングで作品づくりをしています。なぜプログラミングが好きなのかというと、自分の作った作品が思い通りに動くことに達成感を見出せるからです。プログラミングをする上で、僕は過去に何度も行き詰まったことがあります。しかし、そういった問題を解決できた時には、今までに味わったことがないくらいの達成感を感じます。

 僕がITエンジニアになりたい理由はもう一つあります。それは、たくさんの人々の暮らしをお手伝いしたり、支えたりしたいからです。 昨年、2020年の新型コロナウィルスの流行で、印象に残っていることが僕にはあります。接触確認アプリCOCOAです。厚生労働省が主体となり開発されたアプリで、感染者との接触があった際に教えてくれる、というものです。こういった画期的なサービスが今、世界を救う事例が多くなっています。僕は、このようなニュースを見る度に、自分の将来就く仕事によって世界を少しでもより良くできたらいいな、と思います。

  更に、最近は他にも色々な分野でIT化が進んでいます。大手会社のオフィスや工場、あるいは教育現場でもIT化が進み、「脱ハンコ」の動きも出ています。 このように変化していく世の中で役立つソフトウェアやアプリケーションを作るためには、それ相応の努力も必要だと思います。少し前まで、僕の勉強時間は極端に少なかったのですが、最近になって徐々に学習時間が増えてきたと実感しています。僕は今、東京大学を目指し、東大ジュニアコースに所属していますが、東京大学に合格するための勉強量としてはまだまだ少ないと思います。今後も少しずつ学習時間を増やし、夢に向かって全力で努力していきたいと思います。

 実は僕はモノづくりをするのはあまり得意ではありません。新しいものを思いつくのには発想力が欠かせませんが、今の自分にはそれが足りていないと思います。ただ、以前よりも僕の発想力は向上していると考えています。その理由は江戸取の道徳教育です。毎授業後の感想の記入が、文章想像力を高め、発想力をも同時に高めていると思います。 自分から見ても、僕たちは恵まれた環境にいると感じます。だからこそ、その素晴らしい環境を活かして、夢に向かって前進していきたいです。



4組

 令和2年は、とにかくコロナウイルスに振り回された一年でした。様々なことが制限され、多くの人が不安に苦しめられ、同時に団結と分断が世界中で起きていました。実際に僕自身も、授業がオンライン授業になったり、部活動の大会が中止になったりと、多くの影響を受けました。このような、世の中を変えてしまったとさえ言える、コロナウイルスの流行で、家にいることが多くなった僕は、ある日二つのニュースに目を止めました。

 一つは、二月に突如武漢が閉鎖され、滞在する日本人が日本へ帰国できなくなってしまい、その人たちを日本へ帰国させるために奔走する駐中国大使館の方たちのドキュメンタリー番組で、もう一つは、菅総理初の国連総会での演説の準備に追われる日本国国連代表部の外交官を紹介したニュース番組でした。どちらも外交官と呼ばれる人の仕事を紹介したニュースでしたが、このとき僕は初めて外交官という仕事を知りました。もちろん、外交官という名前は聞いたことがありましたが、通訳専門なのかな、くらいしか知識がありませんでした。

 今回初めて外交官という仕事を知って感じたことは、マルチな仕事だということと、日本と外国が付き合いを続けていく上で、必要不可欠な存在だということです。今回の二つのニュースでわかる通り、同じ外交官と言えども、違うスキルが求められ、日常的に目にするニュースの多くに外交官が関わっています。コロナウイルスによる自粛中に、様々なニュースを見たり調べたりするうちに、自分もこの人たちのように外交官になって働きたいと思うようになりました。

 しかし、当たり前ですが、今のままではその目標は叶えられません。まず、圧倒的な英語力の不足です。僕は、江戸取に入って初めて英語を学びました。そのため、一貫生や小学生から英語をやっていた人たちには、なかなか追いつくことができません。しかし、中学生になって初めて英語を勉強したという人でも、成績がいい人がたくさんいます。一度、そういう人にどのように英語を勉強しているか聞いたことがあります。すると、その人は、毎日ラジオを聞いたりするなど、日々計画的に英語を勉強していると言っていました。この、習慣的に行うということは、英語のみならず、僕の一番の弱点と言えます。具体的には、毎日のClassiへの入力や朝学習、お手伝いなどが挙げられます。このような、小さな積み重ねができない人は、何をやってもできません。逆に、小さなことを積み重ねられる人は、小テストも、受験も、最終的な目標も叶えることができます。この小さなことを大切にするということは、自分の強い心でしか変えることができません。ですから、日々の学習を大切にし、コツコツと努力を積み重ね、将来日本人のため、世界のために働けるような外交官になるために、頑張っていきたいと思います。

  



5組  

 医師というのは人の命を預かる数少ない職業です。僕は父やドラマの影響を通して、医師という存在の大きさについて学ぶことができました。医師の中でも救命救急の医師になりたいと思っています。

 救命救急の医師は他の専門の医師とは異なり、患者に来ていただくのではなく医師が直接現場へと向かい、その場で診察をします。病院ではないため、設備も整っていない中で患者を助ける姿に憧れました。僕も将来救命救急の医師となって、多くの人を助けたいと思います。 このような医師になるために必要なことは数多くあります。

 まず、学力を高い学力を身に着けることです。医師になるためには学力を上げることは絶対条件です。特に、英語を上達させなくてはなりません。江戸川学園取手中・高等学校にはアメリカやイギリス・フランスアカデミックツアーなど、外国語を使用する機会が多くあります。このイベントに参加することで、外国語がより身近なものとなり、力をつけることができます。また、多くの外国語を話すことができるようになれば活動範囲を広げることもできるので、様々な国で医療活動を行うことができます。学校が用意してくださっている行事に積極的に参加して自分を高めていきたいです。

 次に、コミュニケーション力を磨いていきたいです。いくら成績が良くても医師はコミュニケーションが大切な職業であるため、この力がなければなりません。特に僕が目指している救命救急には重症の患者が運ばれてくることは珍しいことではありません。その時にコミュニケーション力があれば落ち着いて容態を的確に伝えることができると思います。また、焦っている患者をリラックスさせることもできます。さらに、コミュニケーション力があれば患者との会話も増え、信頼を得ることができるのではないかと考えています。このように、コミュニケーション力は現場でも活かせることが多々あるのではないでしょうか。同じ医師や消防隊、患者と十分なコミュニケーションをとることが何よりも大切であるはずです。そして、この力もまた学校で鍛えることができます。日々の会話はもちろん、スピーチコンテストなどもこの力を鍛えるには絶好の機会です。このような機会を活用しながら、確かなコミュニケーション力を身に着けていきたいです。

 最後に、現場での適応力を向上させることが求められると考えています。救命救急の仕事は医師が直接現場に行かなくてはならないため、現場では誰よりも落ち着いて周囲をリラックスさせ、現場のリーダーとして状況に応じて冷静に判断し、最善の対応をすることが求められます。救命救急の医師として最も必要な能力なのではないでしょうか。 このように高い学力、コミュニケーション力、適応力など、医師には専門性だけでなく、総合的な能力が求められると考えています。このことを念頭に置いて、同じ夢を持っている仲間と切磋琢磨していきたいです。医師への道はとても長く険しい道ですが、向上心をもって日々の生活を充実させていきたいです。
 


6組 

 私の現在の将来の夢は新聞記者になることです。「新聞記者」と一口に言っても写真記者や校閲など様々な職種があると思います。その中でも私は自ら取材をして文を書く取材記者に強い憧れがあります。

 何故取材記者に憧れを持ったのか。それは自分の書いた文章が多くの人の心に影響を与えることが凄いと思ったからです。私は昔から作家や編集長など、文章で他人に影響を与える仕事が将来の夢でした。昔は想像の世界を文にすることが大きな中心でしたが、今は事実を多くの人に伝えてきちんとした文章を書く取材記者という仕事につくことが目標です。さて、毎日届く新聞には九十九パーセントミスがありません。ミスがないだけではなく、内容面もとても充実しています。取材した映像を流すテレビのニュースもすごく大変なのに、新聞はニュースを記事にして、校閲をし、印刷をしています。毎日多くの人の手がかかっているのでしょう。沢山の努力の結晶である新聞に、自分も携わってみたい、自分も人々を魅力させる文を書きたいと強く思います。

 そして、新聞記者になるために必要なものはコミュニケーション力、文章力、英語が最低必須条件だと考えます。取材をするには話さなくてはいけないのでコミュニケーション力が大事になりますし、外国人への取材もありえるので英語力も磨かなくてはなりません。私はこのような力は普段の授業にしっかりと集中することが基本になると思います。発言の場などでは自分の意見をはっきりと述べることでコミュニケーション力を鍛えられるでしょう。今の私はあまり授業に積極的ではなく、受け身だけの授業になってしまっています。ですので、これを機会に発言の場やディスカッションの際はしっかりと参加できるようになりたいです。

 現在、世界では新型コロナウイルスが流行しており、世界のニュースを伝えることはとても大切なことです。また、アメリカの大統領選挙や気候現象など、これからも世界のニュースは日本にとって欠かせないものになるでしょう。高い普及率のインターネットでもこのようなニュースは載っていますが、間違ったニュースが流れているのも事実です。そして、それによって混乱が起こりやすい環境になってしまっています。新聞はインターネットほどの普及率ではありませんが、正確なニュースが載っています。世界の話題に追いつき、その中でも正しいことを見極められるように、今から英文の読解力や時事問題の勉強に力を入れていきたいと思います。

 新聞にたくさんの努力がある所を毎日見られる訳ではありません。しかしそのことを忘れずに努力し続け、自分も将来つくる立場に立ちたいです。



7組

 江戸川学園取手中学校に入り、約2年が経ちました。いろいろな先生方にたくさんのことを学びました。家族の大切さや友情、人間関係など数えきれないほどあります。その中でも特に印象に残っているのが「夢」についてです。

 今、自分自身には「○○になりたい」などの明確な夢はありません。しかし、働くならば人のため、社会のために働く仕事につきたいと思っています。なぜなら、自分が今不自由なく生活しているのも、きっと誰かの働きがあって成り立っていると思うからです。今握っているペンも誰かが頑張って作った努力のモノです。だから自分も社会の誰かのために出来る限りのことを尽くせればと思っています。このことから、学校の先生になりたいとぼんやり考えています。自分の知っている知識を分け与えて、子どもの成長をサポートする。子供が大人になった時、自分が教えたことを覚えているかわかりませんが、きっとたくさんの子供のためになる素敵な仕事だと思うのです。

 自分が先生になりたいと考え始めたのは、小学3年生の時です。善悪の区別が少ししかついていない頃でした。給食の時間、友達とじゃれていた時、机にぶつかってお皿を割ってしまいました。その時自分は怒られると思い、とても怖い思いをしました。しかし、先生が放った一言により、とても安心することができました。その一言とは「怪我はない? 大丈夫?」です。その児童のことを一番に思う言葉と、先生の温かいまなざしに心を強く打たれました。そして、いつか自分も常に子どものことを思える、そんな先生になりたいと強く思いました。しかし、先生になるためには今の努力だと足りません。先生というのは、知識を与える以外に、生徒の命を預かる必要があります。生半可な覚悟で学校の先生になることはできません。しっかりとした知識を持ち、正確な判断を瞬時に行うことが求められます。また、子どもと話すうえではコミュニケーション能力も必要です。常に子どもの立場に立って、気持ちを考えて行動しなければいけません。このような能力は自分には少ししか備わっていないと思います。学校の先生になるために必要な能力を今のうちに補わないといけません。

 今回、学校の先生になりたいと書きましたが、将来が確定したわけではありません。しかし、将来についていろいろ選択できるように、勉強や部活動を頑張り、人とどのように接していくのか、そういうことについて学んで基地隊と思います。少しずつ自分の将来について考える時間を増やし、目標をしっかりと定めて、日常生活に落とし込んでいきたいと思います。


8組  

 三月頃から新型肺炎の感染拡大により休校になってしまいました。当時は学校に行くことが出来ずとても悲しかったのですが、この期間は私にとって自分の将来について考えることができる良い機会になりました。私の父の兄弟、私にとってのおじは警察官をしています。父の実家に帰るといない時の方が多く、その時はただ忙しいだけなんだなと考えていただけでした。しかし、この休校期間中にあることがきっかけで警察官に興味を持つようになりました。

 私は去年、夢がしっかりと定まっておらず、教師のように人の役に立てるような仕事につきたいなと考えていました。これは当時勉強が好きだったことや憧れていた先生がいたからです。そして、警察官という夢を志したときに絶対に人の役に立てるような人間になろう、人を助けられるような人間になろうと決意しました。

 私が目指したい人間像は「誠実な人間になる」です。これは警察官という夢を抜きにしても絶対に守りたいです。誠実というのは相手もそうですが自分に対して誠実であるというのが大切です。自分の行動を自分で客観視して生活し、信頼してもらえるような人間でありたいです。また、夢を実現するにあたって自分の強みについても考えるようになりました。私が考える自分の強みは「まわりのことを見ることができる」ということです。誰も置いていかにように、故意でなかったとしても仲間外れのようにしないということを考えることができます。これは、相手の立場になって考えることができるという点で夢に役立てることができると思います。家族にも聞いてみたところ、私が自分で強みと考えている部分と多く重なっていました。

 自分ができないこと、苦手分野を減らすことも大切だとは思いますが、ここなら絶対に他の人に負けないということ、自分のアピールポイントをもっと伸ばしていくことが大切だと思いました。逆に、自分に足りないことは人にものを強く言えないことです。特に仲が良い人だとこれからの関係が壊れてしまうのかと不安になりちょっとだけならと考えてしまうことがあります。しかし、弱気になってしまってはチャンスがあっても掴むことが難しくなると思います。授業で指される前に挙手して発言したり、クラスをより良くするための案を出したり、自分でも意識して積極的になっていきたいです。

警察官になろうと考えた理由は他にもあります。中学一年生の頃の道徳の授業で遠藤先生の授業を受け、命の尊さを強く感じました。それから毎日のニュースに目を向けてみると日本はまだ治安が良い方ですが、完全に殺人などの事件や思わぬ事故などがなくなっているわけではありません。この前も学校も近くで殺人未遂事件が起こり犯人逃亡。今は捕まりましたが思い出しただけでもあの時の恐怖を感じます。全てが防げるわけではない、防げる事件の方が少ないと思うのですが、自分ができることを精一杯やるようにしたいです。ここからもっと具体的に夢を広げ実現に向けて努力していきたいです。