観劇会(大蔵流 狂言) 感想


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  1組

 私は、今回の大蔵流狂言の観劇会をとても心待ちにしていました。私はこれまでに、2回狂言を観劇したことがあります。初めて狂言を観た時、大きなセットも無いのにセリフと身ぶり手ぶりでストーリーがきちんと伝わる劇がとてもおもしろくて、本当はその場所にあるはずのない、襖や木がステージの上に見えたような感覚になりました。その感覚が衝撃で忘れられず、それから狂言を好きになりました。

 今回の狂言の観劇会の演目は「棒しばり」でした。「棒しばり」は、主人が出かける間、太郎冠者と次郎冠者がお酒を盗み飲みできないように太郎冠者の手を棒に縛り付け、次郎冠者を後手に縛るものの、2人が知恵を働かせて互いにお酒を飲ませ合う方法を見つける話です。公演を観ていて、時々わからない言葉がセリフで出てくることがありましたが、セリフが難しくても、役者さんの身振り手振りで今は2人がこんなことをしているんだと、ストーリーがちゃんとわかりました。物語の初め、主人が太郎冠者と次郎冠者を縛り付けるシーンでは、太郎冠者が両腕を広げたらいきなり主人に棒と手を縛られて訳がわからず慌てているところが面白かったです。次郎冠者も抗いますが結局後手に縛られて、太郎冠者と2人で、しょんぼり座っている姿は、普段は必ず何かをやらかす2人が今回こそは何もできないのではないかと思ってしまいます。それでも、お酒が飲みたい太郎冠者と次郎冠者はすぐにお酒をどう飲むか考え出します。太郎冠者と次郎冠者が酒に酔って歌って踊り出すところは、とても陽気で賑やかで見ている自分まで気分が良くなっていくかのようでした。宴もどんどん派手になっていきますが、そこに主人が帰ってきますが、太郎冠者と次郎冠者は主人が帰ってきたことに気付かずに、お酒の水面に映っている主人の顔の悪口を言ってしまいます。そこで主人が襖を思いっきり開けて2人を叱りつけるところはとても迫力があって、太郎冠者と次郎冠者が慌てふためいていて、思わず笑ってしまいます。

 今回はオンラインでの鑑賞でしたが今度狂言を見る機会があったら生で見たいと思いました。「ももやそチャンネル」というYouTubeのチャンネルで狂言について色々知ることができるそうなので、今度見てみようと思います。

 
 

 
  2組

 私は正直、今まで歌舞伎や能、狂言などの古典芸能に興味がありませんでした。昔の言葉で話しているので自分にはわからないだろうと思っていました。しかし、今回初めて狂言を鑑賞して古典芸能の楽しさを知ることができました。

 
私たちが観たのは「棒しばり」という狂言です。話の内容は、主人が家を留守にしている間に2人の家来が主人の大切な酒を飲もうとするというものでした。主人は、2人の家来が酒を盗み飲みできないよう、1人には手を棒と一緒に縛り、もう1人の家来には背中で両手をひもに結びます。そんな中でも何とかして酒を飲もうとする2人の姿が見どころです。昔の言葉は難しくて私には理解できないだろうと思っていましたが、実際は、思っていたほど難しくなくどんな内容なのか読み取ることができました。これからは自分の思い込みで物事を遠ざけるのではなく積極的に参加して様々なことに興味を持ちたいと感じました。

 大蔵彌太郎さんは東京、千葉、宮城、横浜で稽古場を主催し、狂言の普及、指導に勤め能楽界の発展に意欲的に取り組まれているそうです。また、ヨーロッパを中心とした海外公演も数多く好評を得ていたり、震災復興ボランティアに参加されたりしてご活躍されているそうです。私は、大蔵さんのようになりたいと思いました。なぜなら世界中で活躍され、世間に貢献しているからです。

 このようなコロナ禍の中でも善意を持って学校で狂言を教えてくださった大蔵彌太郎さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。また、行事を企画してくださった先生方にも感謝しています。

 
 

 

  3組

 私はこの観劇会で、人生で初めて狂言を観ました。今回はコロナ禍での対応として、私たちの学年は、オーディトリアムで行われている狂言を教室からオンラインで観る形とはなりましたが、本物の狂言の迫力は凄かったです。

 実は、最近の音楽の授業で、教科書に取り上げられていた歌舞伎の「勧進帳」の演目を観たところでした。だから、狂言を見る前は、狂言も歌舞伎も同じ伝統芸能なので、似ているものではないかと思っていました。しかし、
実際に狂言を観て思ったことは、狂言と歌舞伎には違うところが多いということです。例えば、授業で観た歌舞伎「勧進帳」は歴史上の出来事、源義経が安宅の関所を通ることが題材で、義経が見つからないか案じながら、弁慶の凄さを感じながら見ていました。また、台詞のの言い回しや発し方が独特で、少し聞き取りづらかったです。しかし、観劇会で見た「棒しばり」は、実際には起きていない、太郎冠者と次郎冠者が酒を盗み飲みしないように手を縛られながらも試行錯誤して飲もうとする愉快な話です。2人のどうにかして酒を飲もうとする姿や、酒盛りをして、謡や舞で盛り上がる姿は、自然と笑ってしまうくらいおかしかったです。また、日常の言葉で演じられるので、台詞も聞き取りやすく、内容を簡単に理解することができました。

 観劇会の中では、演じられた狂言を観るだけではなく、狂言での感情表現の仕方や、所作の方法などを教えてもらいました。例えば、酒を飲む所作です。扇などを杯の代わりとし、両手で持ちます。そして、角度をだんだんつけて飲み干し、扇を床に置くというものです。全校生徒でこの所作をやり、面白かったです。

 私は今回狂言を観るまで、伝統芸能は少し内容が難しく、敷居が高いものだと思っていました。しかし、
実際に狂言を観て、思っていたよりも日常の言葉が使われていて、室町時代の生活の様子が垣間見えるものだと知り、身近に感じました。次観るときは、他の演目の狂言を観てみたいです。
 
 


  4組

 私は初めて本格的な狂言を見て、本当に室町時代にいるような感覚になりました。「棒しばり」の中で、主人が家臣を信じられずに棒に縛ってしまうところや、縛られてもどうしてもお酒を飲もうとする姿が、とても面白かったです。また、狂言独特の演技に中毒性があって、いつまでも見ていたいという気持ちになりました。室町時代と聞くと、とても昔で言葉が今と全く違うイメージがあったので、現代まで通用するお笑いなのだと、とても感激しました。大きなセットを使うのではなく、簡単に用意できるものを使って、見立てて演じるのが、繊細な日本人らしいなと思いました。
 

 また、狂言が現代にも残る最も古い劇だということを初めて知って、日本の、古き良き文化を大切にする気持ちがあったから、こんなに長く続いているのかなと思いました。時代がかわっていくと、それに合わせ大衆文化も変わっていく中で、700年を超えて人々に愛され続けるというのは、本当にすごいことだなと思います。

 今回の公演で、伝統芸能は、後世に残したいとたくさんの労力をかけて伝承しようとする人がいるから続いていくのだなと改めて感じることができました。私は大蔵さんのお話で、「装束はちゃんとしたのを使わないと、伝統的な衣装を作る技術も廃れてしまう」という言葉が印象に残りました。舞台に出る人だけではなく、物を作る人がいるからこそ伝統芸能が成り立つのだなと思いました。
 最近ものが便利になってきて、海外から色々な影響を受け、日本独自の文化が少なくなってしまっているような気がします。私は、先陣を切って伝統文化を受け継ぐような立場ではないけれど、民衆の一人として、伝統を愛することはできます。今回の公演で伝統文化に深く興味を持つことができました。今度は自分で狂言を見に行こうと思います。

 
 
 

 

  5組

 今回の観劇会はとても貴重な体験でした。正直な気持ち、最初は4、5時間目を潰して狂言を聞くと言われて “めんどくさい” “早くお弁当を食べたい”という気持ちでいっぱいでまったく狂言に興味がありませんでした。しかし、思いのほかに狂言の面白さにだんだん気付いていって、狂言が終わった時には大きな拍手をしていました。

 個人的に一番面白かったところはお酒を飲むシーンだと思いました。物語の中で何度もお酒を飲むシーンのところはとても滑稽でお腹を抱えるほど笑ってしまいました。最後の生徒からの質問コーナーでも丁寧に生徒からの質問に答えていて生徒のためにその場で考えた演技も披露してくれて本当に親切な人たちだなと思いました。

 最近、自分はテストでのケアレスミスが目立ってあまり良い点数が取れなくて悩んでいました。そのせいか自然に笑うことが減ってしまい、ついには笑い方までも忘れてしまいそうなほど追い詰められていました。そんなときに僕は今回の狂言を観ました。この狂言を観たことで僕は助かったと思いました。理由は、狂言を観たことによっておもいっきり笑うことができ、自分の気持ちが楽になったからです。自分には気晴らしというものがあまりなくなかなかに自分の気持ちを溜め込むクセがありました。自分でも驚くくらい狂言を観たときには、普段の生活よりも集中して聴くことができ、すごく気持ちが晴れることがわかりました。舞台の上に立って頑張っている役者さんを見ると、自分も頑張らなくてはと思うし、迫力のある演技を観たことによって強く自分の心に突き刺さりました。

 今回の大蔵流の狂言を観てまた次回も見てみたいと衝動的に思いました。日本の伝統の素晴らしさに気付いた一生の思い出に残る1日になりました。
 
 



  6組

 歴史の授業の時に狂言という言葉を習いました。狂言とは、猿楽から発展した日本の伝統芸能で、対話を中心としたせりふ劇です。自分は、大蔵さん達の狂言を見るまで、狂言を見たことがありませんでしたが、実際に見てみると、とても面白く、とても愉快になるものでした。自分が面白いと感じたところとすごいと思ったところは、再現度と動きの面白さです。

 再現度に関しては、
実際に劇場にないものが、自分の空想の中で浮かび上がってくるような感覚でした。例を挙げると、酒の飲み方や掬い方、また、飲んだ時の顔の赤さなどから、実際にない酒を思い浮かばせるような感覚がありました。動きの面白さに関しては、棒に縛られていたり、縄で縛られていたりしているのに、酒をなんとかして飲もうとする動きがとっても滑稽なものでした。また、身体の不自由な状態で、あのような激しい動きができるのを、すごいと思う気持ちもありました。このようなことから、自分は狂言に興味、関心を持つようになりました。

 他の狂言について調べてみると、粟田口や素襖落などがありました。また、それらも棒縛りと違う、独特な面白さがありました。この行事をきっかけに、今度狂言を見に行こうと思いました。そして自分がよかったと思った点が、笑顔という点です。狂言はさまざまな面白さが客人たちを笑顔にしてくれ、また、狂言をしている人たちも楽しいというところから、笑顔が出たりと、笑顔があふれるような楽しい行事でした。

 まだ、狂言については知らないことばかりですが、今回の狂言でたくさんのことを知り、学びました。自分が今努力を重ねるべき勉強や部活などを楽しんで努力できるような、そんな人になりたいです。また、自分の楽しいと思えるようなものを見つけ、その物を活かして、自分が将来、世界を築くような礎となる人となり、この世界を動かすような、心豊かなリーダーになろうと思いました。
 
 




  7組

 僕は先日、初めて狂言を鑑賞しました。伝統芸能と聞いたら長く、ただ踊ったりしているというイメージがとても強く、つまらないものだと思っていました。しかし、その勝手なイメージは狂言によって払拭されました。大蔵さんの分かりやすく、面白い解説により、頭の中にスラスラと入って来ました。声の出し方や歩き方、表情の作り方など色々な事がとても新鮮に感じられました。また、動作1つ1つの力強さの中にある繊細さも合わせ持っている素晴らしい伝統芸能であると感じました。

 その中で特に面白いと感じたのは声そのものです。声だけを発しているのにも関わらず、本当にその行動をしているかのように感じ、何か胸に残るものがありました。また、言葉の意味などを全く知らない状態で聞いても、内容が何となく入ってくる事から、改めて声の力について考えさせられたと思います。

 現代の社会は更に開発が進み、最新とは何かを考える社会へと変化しています。未来を良くするためには技術や知恵ではなく、過去の出来事をしっかりと学ぶ事が大切であると思います。しかし、先人達の努力によって現代へと継承された文化は消滅の危機に瀕しています。その状況を変えることが出来るのは、今を生きる若者達であり、自分達です。今ばっかりを見つめず過去を感じる。この事を特に強く訴えかけられたような気がします。そういう意味で、狂言を鑑賞するという機会は、自分達にとってとても良い経験となりました。学び、深められた事は成長していくための糧になるので、伝統芸能を次の世代へと受け継ぐことができるようにしたいと思います。
 
 



  8組

 私にとって狂言は初めての鑑賞になりました。今まで、「狂言」について、聞いたことがあるだけで自ら調べよう、観てみようという気持ちにはなりませんでした。私にとっての狂言は昔の言葉を使っているため何を言っているのか分からず、難しいお話ばかりだと思い、つまらないものだと思っていました。

 しかし、今回、実際に狂言を観て、あまり難しいものではないということが実感できました。なぜなら、実際に見る前に、そもそも狂言とは何か、狂言で使われる感情表現を教えていただいたからです。悲しい表情や嬉しい表情、驚きの表現などをはっきりとした感情で表していました。今回は「棒しばり」という狂言でした。手を縛られていても、必死にお酒を飲もうとする二人が笑いを誘ってくれました。また、私たち中学生2年生は国語の授業で古文を習っているので、少し難しい古い言葉も少しは理解できたような気がします。

 狂言は昔からずっと日本の伝統として存在し、狂言ならではの礼儀、文化があることが理解できました。例えば、服装でも、昔の人が実際に着ていたものを着て演じるということでした。説明もとてもわかりやすく、私たちにどのように古い衣装を着るのか、目上の人に会う時はどんな格好をするのかということも教えていただきました。また、舞台の後ろには松の絵が大きく描かれていました。それは、神社に祭られている大きな松の木で、それも真似して描いているとおっしゃっていました。それは「神様の前で演技をする」と言う意味があるそうです。

 今回の狂言の観劇会がなかったら、日本の文化の一つでもある狂言を私は何一つ知ることができなかったと思います。狂言は古い演劇であっても、私たちにとっては新鮮な知識であり、初めての経験となりました。狂言にも色々な意味がありその意味を理解し実際に観ること、服装や持ち物にこだわることによってその時代にタイムスリップしたような気がして、とても楽しいひと時を過ごすことができました。コロナ禍の中、このような得難い機会を得られたことに感謝します。