私には憧れの人がいます。その人物とは父です。私の父は大学の教授で、休日などに数学を中心に教えてもらっています。父は私がいくら考えてもわからなかった問題も、私がしっかり理解できるまで、優しく丁寧に教えてくれます。そんな父に小さい頃から憧れています。私は理系の教授になりたいと思っています。なぜ、私が理系の教授になりたいと思ったかというと、それは私の過去を振り返ることで明らかになります。
私が受験勉強を始めたのは、小学四年生の頃でした。当時十歳だった私には、中学受験を終えた兄がいました。中学校生活が始まり、自宅に帰ってくる兄は、とても楽しそうに学校で起きた面白い出来事を話してくれました。そんな毎日輝いている兄を見て、私も勉強を一生懸命頑張って、楽しい中学校生活を送りたいと思うようになりました。
しかし、当時の私は、小学校での成績はよかったのですが、塾ではその反対で、一番下のクラスでした。中でも算数の成績が一番悪いのでした。毎週毎週、難しくなっていく算数に、私は嫌な思いを抱くようになっていきました。そんなとき、父がわからない問題があったらいつでも言ってねと声をかけてくれました。私は自分で一生懸命考え、自分の力で理解しなければ、こと算数に関しては納得することができませんでした。ですから、人から教えてもらうということをしませんでしたので、父に声をかけてもらえたのは、確かに嬉しかったのですが、最初は抵抗がありました。しかし、どうしてもわからない問題があり、質問をしてみることにしました。父は嫌な顔ひとつせず、むしろ私が質問したことに対し、とても喜んでくれました。そして、先程述べた通り、私がしっかり理解できるまで優しく丁寧に教えてくれました。
それをきっかけに、私は父に、たくさん算数のわからない問題を質問するようになりました。その結果、受験前には算数が一番の得意教科になりました。(ちなみに理科と社会に関しては、私が疲れて眠い時や、お風呂に入っている時などに、母がずっと横で教科書やテストで間違えた知識事項を読み上げてくれたり、口頭でテストをしてくれたりしてくれました)。そして、両親のおかげで、私は第一志望であった江戸川学園取手中学校に合格することができました。
今でも数学のわからない問題があれば、藤田先生が不在の時などは、父に質問をしています。二学期中間テストでは、試験範囲の週末課題をできるようになるまで特訓してくれたおかげで、前回よりもよい点数がとることができました。これからも気を抜かず、よい点数をとれるよう努力します。
私は今、行きたいと思っている京都大学に入学し、将来は理系の教授になることを目標に、これからも一生懸命勉強に励むことを、この場を利用して誓います。憧れの人を超えられるように、誰よりも何倍も努力して、後悔のない人生を過ごしたいと思います。そして、いつか教えられる側から教える側になり、父を超えていってみせます。
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