観劇会(大蔵流狂言)に参加して

1組 狂言を鑑賞する

 今回「棒しばり」という大蔵流の狂言を鑑賞して、約700年前から受け継がれている日本のユネスコ無形文化遺産を間近で体験することができました。もっと昔にも日本独自の文化や風習はたくさんありましたが、それらは時代と共に廃れていってしまったので、この狂言が無形文化遺産第一号として登録されているようです。互いに酒を飲ませあっているときの飲む音や主人が帰ってきたのを何度も確認しているところなど、面白い場面がたくさんありました。またそういった面白さをただ表現するのではなく、それぞれの演目に合った装束を身につけたり、決まった姿勢や歩き方をしたり、伝統の歴史を感じました。

  小学生の頃に学校の行事で落語を見たことがあります。落語は一人で何役も演じ、様々な喋り方で聞き手に訴えかけているようなイメージを抱きました。今回初めて鑑賞した狂言では、登場人物一人一人の語り方、考え、行動などを一人一役で演じることで、落語にはない迫力や魅力を感じました。

 今まで狂言に触れたことがなかったので、最初は内容を理解するのに苦労しましたが、気持ちや動作を大きく表現する舞や、巧みな小物の使い方 に思わず引き込まれました。数少ない道具で豊かな表現を引き出す技術は、まさに圧巻です。また、狂言に関する簡単な姿勢や表現の仕方なども 、いくつか詳しく教えてもらいました。笑いや驚きを表現する時は、とにかく大袈裟に表すことで観衆は内容を理解しやすくなります。同時に、その表現だけで会場が湧いてしまうような迫力を引き出すことができるのです。

 観劇会が終わった後に、狂言についてもっと知ったうえで「棒しばり」を鑑賞したかったと少し後悔しています。日頃から様々なことに好奇心を抱き、すぐに調べる習慣をつけることが大切だと改めて思いました。歴史や伝統の持つ落ち着いた雰囲気を感じることができ、とてもいい機会となりました。

2組 日々の疲れを忘れて楽しむ狂言

 今回は、私にとって初めての狂言でした。最初は、狂言というのは社会の歴史でしか習ったことがなく、どのようなものか分かりませんでしたが、見てみると、思っていた以上に楽しいものでした。

 今回の狂言の内容は、「主人が留守の間に、2人の使用人たちは、お酒を飲まないようにと縛られているにも関わらず、主人の大切なお酒を飲んでしまい、それが見つかって大目玉を食らう」というお話でした。言葉は、難しくて何を言っているのか分からない部分もありましたが、役者の方々の表現の仕方がとても上手だったおかげで、内容がよく伝わりました。

 狂言の劇をやる前にも、狂言について、分かりやすく教えてくださり、狂言についてたくさん知ることが出来ました。「狂言というのは、昔の人たちの娯楽である」と小学6年生の頃に教わったのですが 、その理由がとてもよく分かりました。狂言を今のもので例えるなら、テレビや舞台でよくやる「漫才」です。漫才は、日々の疲れを忘れてしまうぐらい楽しい もので、いつも人々のこと笑わせています。きっと、昔の人たちも狂言を見て、日々の疲れを忘れて楽しんでいたのではないでしょうか。

 そして、最後に役者の方々が狂言の笑い方について教えてくださいました。それを見ながら、みんなで狂言の笑い方を練習し、今までよりも狂言について知ることができたと思います。この狂言を見て、 多くのことを学ぶことができま、中学生時代のよい思い出になりました。ありがとうございました。

2組 子供にも面白い狂言

 今回は初めて日本の伝統である能の狂言を見せていただきました。能や狂言は大人 の娯楽だと思っていましたが、今回見せていただいた『棒しばり』は中学生の自分でもわかりやすい内容で、とても楽しむことができました。主人公二人が棒に縛られている時の、機転のきいた酒の飲み方はとてもおもしろいものでした。お酒を飲むにつれ、顔が赤くなるなど、本当にお酒を飲んでいるかのような演技にはとても感心しました。今回、このような公演がなかったら、狂言を見ることは一生なかったかもしれません。今回の観劇会をきっかけにして、大人になったら 、また鑑賞したいと思います。どうもありがとうございました。

3組 笑うことの大切さ

 私は観劇会で大蔵流狂言「棒しばり」を鑑賞しました。中一生は新型コロナウイルス感染症対策のため教室でのオンライン鑑賞でした。私は小学生の頃に芸術鑑賞会で劇団四季のミュージカルを観たことがあります。そのミュージカルは大勢のキャストが登場し、舞台装置はスケールの大きいものでした。一方、狂言「棒しばり」では演者は3人で、舞台装置は松の絵、小道具は葛桶の蓋など数は多くありません。ただ、狂言は演者の表情やしぐさ を通した鑑賞者のイメージでストーリーを理解し、楽しむことができます。また、ミュージカルには楽器がありますが、狂言「棒しばり」にはありません。しかし、「声」だけであることが狂言の面白さなのではないかと感じました。

 日本の伝統芸能というと言葉が理解できず、難しいものだと思っていました。しかし、大藏彌太郎千虎さんの「分からない言葉があっても無視」というお話で 、言葉が分からなくても楽しめることが狂言のすばらしさなのだと感じました。演目の内容も分かり易く、手を棒に縛られたり、後ろで手を縛られたりしても何とかしてお酒を飲もうとするしぐさや舞を舞う姿に笑いました。また機会があれば他の狂言も観てみたいです。

 今回は演目を鑑賞するだけでなく、大藏彌太郎千虎さんのお話もお聴きすることができました。私は小道具や衣装について興味があったので、それについて知ることができ 、良かったです。また、皆で狂言の「お酒を飲む」動作を実践したのも面白かったです。

 観劇会で特に印象に残っているのが、最後にした「笑い締め」です。ここにも狂言の「笑い」に重きを置く思想が表れていると感じました。今回は感染症対策のため 、大きな声で笑い締めをすることができませんでしたが、自宅で一人、狂言の「笑い」をしてみると自然と明るい気分になりました。私は笑うことが好きです。

 外出自粛などでモヤモヤしている人が多い今こそ、笑って皆でこの危機を乗り越えていく必要があると思いました。改めて笑うことの大切さに気付かされました。

4組 長く後世に受け継がれるべきもの

  私は今回、狂言を初めて見ました。狂言についてあまりよく知らなかったのですが、日常の言葉で演じられ、昔の現実の社会をコミカルに表現しているとうかがいました。小学校の教科書にも 載せられていて、幼いころから教えられていた人も多くいました。昔から伝承され続けているもので、一番長く、古いそうです。長い間、広く愛され続け、「伝統」として受け継がれていることを感じました。

 今回、多くの人に愛され続ける伝統芸能を鑑賞するという、とてもよい機会をいただきました。はじめに、狂言について説明をしてくださり、狂言には笑う、泣く、怒るなどの決まった型があり、見ている観客がよりいっそうリアルに感じられ、その世界観 を想像しやすいそうです。

 驚いたことは、裏のセットの松の絵にも意味があるということです。松は春夏秋冬、緑色のままで、どの季節の演目もできるとうかがいました。狂言は声や動作が大胆にリアルに表現され、どんな世界か、景色や感情を様々に想像しながら観ることができま す。どんな年代、年齢でも、そして初めて観る人でも 内容や世界観がわかるところが能楽の魅力であり、多くの人に広く受け継がれていく理由であるということです。今の時代は、年賀状がメール やラインなどに変わり、昔からの伝統が消えつつあります。長い間で蓄積されてきた技術なども薄れてきてしまっています。狂言が受け継がれなくなってしまったら 、伝統として伝えられてきたものが薄れてしまったら、衣装や小物などを作っている方々の技術も文化も廃れていってしまいます。そのような時代に生きる私たちは、少しでも伝統として受け継がれてきたものを残していかなければなりません。長い間 、多くの人に愛され続けている能楽という伝統を受け継いでいく理由を見つけることができました。

 

5組 武士の心構えと狂言の表現

僕は今回、大藏彌太郎千虎さんの解説をお聴きして、「武士は戦う意志がないことを示すために左足から歩き始めて、後ろに歩く時は右足から歩き始めるのだ」ということを知り、武士の時代が700年も続いたのは、そのような武士同士や、武士と百姓とのマナーや礼儀、作法があったからなのだろうと思いました。また狂言が終わってからの質問の時間で服装についての質問があったときに「主人の服装で足まで袴があるのはあえて歩きにくい服装にして、戦う 意志がないことを示している」というのを聞いて、武士の心構えに感動しました。狂言では小道具の使い方に感心しました。扇子にはいろいろな使い方があるのを聞いて、狂言 の小道具は実によく考えられていると思いました。また、言葉がわからないところがあるものの、表現の仕方や現代の言葉に似ているところから読み取れる ところは面白いと思いました。泣く動作や笑う動作はとてもわかりやすく、海外の方からも人気があるのは、そのような動作から、言語の違いはあるが 、海外の方も読み取れるのだなと思いました。

室町時代に栄えたものが現代まで継承されるというのは、それほど狂言というのがどの時代の人からも愛されていた からだと思います。昔のことを語りながら、笑いも取れる狂言は素晴らしい芸能だと思います。約180個 の演目をすべて覚えている少々びっくりしました。

今回この狂言を体験した上で、狂言の面白さや、武士のマナーや礼儀、作法のことや、感情の表現の仕方を教えていただき、狂言や武士について興味を持ちました。機会があったらもう一度 観てみたいです。

5組 狂言の笑い方

 大蔵流狂言を初めて鑑賞し、感動したことが三つあります。一つ目は、「迫力」です。狂言とは言葉 と仕草によって表現する伝統芸能です。普通の人の日常を、面白おかしく表現したものでもあります。何故これを見て、すごい迫力を感じたのかというと、声が大きく笑い方が独特だったからです。 公演の最後には、笑い方を教えてもらいましたが、なかなか難しく、笑うことは実に難しいものだと初めて知りました。狂言では、笑いが大切であるという ことがよく分かりました。僕が感じた迫力の中で一番大きな部分を占めているのが「笑い」でした。

 二つ目は、狂言での「表現」の仕方です。僕がこの狂言を 観ていた時に感じたことは、表現の仕方が日常会話のしゃべり方とは明らかに異なることです。たとええば、電車の車掌さんは、普通では、細く揺れた声で喋ってはいないですが、少し声を変えています。あれは、乗っている人などの耳入るようにわざとやっているのです。 同じように狂言も、耳に入りやすい迫力ある声にしているのです。

 三つ目は、「言葉 と仕草」だけですべてを表現している点が特徴的だということです。言葉だけでは伝わらない点を仕草や、体を少し使って補 うのだそうです。今日は、狂言を鑑賞させていただき、ありがとうございました。

6組 みんなで笑い方の練習

 狂言を鑑賞し、まず独特な発声の仕方が強く印象に残りました。初めの自己紹介の時、とても明るい方で、大きな声で話す方だなと思いましたが、狂言 が始まった途端、その声が一変、どこから声を出しているのか不思議なくらい、太くてたくましい声に、まるで別人のように変化していました。
 

 狂言を鑑賞するのが初めての僕でも内容が理解できるよう、あらかじめどんな内容の狂言かということを解説してくださったおかげで、話の内容を理解しながら 、楽しく鑑賞できました。特に面白いと感じたところは、お兄さんとお父さんが、弟の手を華麗に縛った後、お父さんはお兄さんを裏切り、腕を縛 るシーンや、お酒を蔵から汲む際、工夫して汲んだり、兄弟で協力して飲んでいたりするシーンです。
 

 また、狂言では笑う時にどのように笑うか、泣く時はどのように泣くかなど、様々な感情表現の 仕方を教えてくださり、とても勉強になりました。実際、自分も狂言を学んでみようかと興味を抱きました。何より中学1年のこの時期に 、狂言について学ぶことができたことはとても有意義な経験でした。
 

 観劇会の最後には、生徒全員で笑い方を練習する時間がありましたが、その時 、僕はお手本のようには上手くできず、やっぱりプロは大したものだと改めて実感しました。もちろんプロも、練習を重ねてきたからこそ、あのように上手に 演技できるというのは言うまでもないことです。
 

 大蔵彌太郎千虎さんは舞台の他にも様々なことに挑戦されていることを知り、まだまだ人生経験の浅い僕ですが、これから自分も、もっと様々なことに挑戦していき、今回のように周囲の人に笑いを与え、感動してもらえるような人になりたいと思いました。このような貴重な機会をくださり、ありがとうございました。ここで学んだことを将来のために活かせるように頑張ります。

7組 誇らしい日本の伝統文化

 私は今回初めて世界無形文化遺産の一つである狂言を鑑賞しました。新型コロナウイルスの影響でスクリーン上で鑑賞しましたが、まるでその場にいるような迫力を感じました。

 狂言は650年という長い年月をかけて受け継がれていると考えると、どのようにして、生まれたのかと、とても不思議な気持ちになりま す。狂言の名曲「棒しぼり」では、一つ一つの表現の豊かさや、小道具の使い方、アドリブの巧みさに感動しました。

 私が特に興味を持ったのは、狂言における笑いや酒を飲むなどの動作です。私も笑う動作をやってみると、意外と大きな声を出さなければ ならず、腹筋を使うため、とても大変でした。酒を飲む動作も、練習をしないと本当に飲んでいるようには見えません。そのような点からすると、簡単そうに 見えますが、意外に難しいものであり、しっかりと指定された役をこなしている狂言師の姿は 自信に満ちていて、実に素晴らしいと感じました。

 狂言は何百年と続く、とても素晴らしい日本の伝統文化の一つです。しかし 、私のようにまだ狂言の存在を知らない人々がたくさんいます。この日本の伝統を次世代に伝え、守らなければいけません。この伝統文化を次世代の人にも自分の目で見てもらい、日本の伝統文化を理解し、学んでいってほしいと思います。私も今回の狂言を通して、さらに日本の伝統文化について学んでいきたいです。

8組 言葉と身体を使って感情表現

 12日に大倉彌太郎千虎さんによる 「棒しばり」を鑑賞しました。大倉彌太郎千虎さんはテレビでも活躍しておられ、日本だけではなく、海外でも活躍されている狂言師です。 狂言は小学校の国語の授業で少し勉強したことがありましたが、実際に観たことはありませんでした。

 今回の「棒しばり」は、手を縛られていたのにも関わらず 、綺麗に大きく舞っていたので、ずいぶん練習を重ねられたことが想像できます。いつも使っているという小道具の扇子を使い、声を出してお酒を飲んでいる様子を表現していました。狂言は声だけではなく、足音や手を使って泣く、笑う、怒る、驚くといった感情を表現します。言葉だけではわからないところを、動きと合わせることによって話の内容を伝えようとします。そこが狂言の魅力です。今回の「棒しばり」は、クスッと笑ってしまうような場面も多く、楽しい時間を過ごすことができました。狂言には多くの演目があるそうなので、次の鑑賞できる機会が待ち遠しいです。