社会科見学を終えて



1組 

 私たちは、2月26日に佐倉市の国立歴史民俗博物館と、香取市の佐原の町並みを見学に行きました。新型コロナウイルスの影響が心配される中、バス会社さんなどの徹底した感染症対策のおかげで、無事に行くことができました。往路のバス内では、事前学習だけでなく、ガイドさんから窓から見える風景の色々な説明がありました。国立歴史民俗博物館に到着した後は、最初にホールでガイダンスを受けました。そこでは、各展示室の大まかな展示内容の説明をお聞きしました。私の班は、第5展示室の近代の展示を中心に見学しました。そこでは、幕末のペリー来航から大正時代終わりまでの社会を様々な人たちの視点から映し出しています。幕末は黒船に驚く庶民たちの視点で構成されています。教科書に載っているような資料が間近で見られるのは、とても貴重なことだと思いました。そして開国後、文明開化によって教育の現場にも西欧文化が流入したことが当時のオルガンや当時の住民の寄付によって建てられた学校の校舎の模型からも示されています。また、工業については、当時の港湾施設のミニチュアや、炭鉱、製鉄所での労働の様子がわかります。当時の労働者の給金はまだ低かったことがわかります。このような施設の労働力には、アイヌ民族が無理やり労働させられていたこともわかります。また、同じように差別、迫害されていたえた、ひにん、などといった被差別部落出身者への詳しい差別の様子も展示されていて、胸が痛みました。最後に、関東大震災前後、大正時代の大衆文化についての展示がありました。モデルは浅草の路地裏で、当時のカフェや映画館の外装が再現されていました。当時人気だった俳優、女優の名前をまとめた紙や、めんこなど、現代にもありそうでないようなものが多くあり、レトロな雰囲気を楽しみました。見学のための時間はあっという間に過ぎ、クラス写真を撮影した後、昼食を頂きました。高速道路で香取市にある佐原まで移動しました。佐原では、最初に伊能忠敬記念館を訪れました。そこには、伊能忠敬の生涯や功績を紹介する展示だけでなく、国宝にも指定されている貴重な資料も展示されていました。伊能図上には、地図だけではなく、山に向かって引かれた赤い線など、伊能図の作成の際に用いたような線も残されていて、手書きで制作したということがよくわかりました。他には、忠敬のお墓のレプリカなどもあり、忠敬の人生や功績がよく分かりました。その後、記念館の出たところにある「じゃあじゃあ橋」と呼ばれている樋橋をわたり、川の対岸にある伊能忠敬旧宅にわたりました。樋橋は江戸時代前期に作られた用水を川の対岸に通すために樋が作られ、その上を人が渡れるようにしたものです。今の樋橋は、平成になってからかけられた橋で、樋橋の落水の音は日本の音風景100選に選ばれたそうです。伊能忠敬旧宅では、家の中の様子が再現されていました。そこでは、昔、伊能家は佐原に広大な土地を所有していたことがわかりました。今回の社会科見学で、私は歴史の授業を一層楽しみに感じるようになりました。また、地元の歴史上の人物のことも調べてみたいと思いました。

    

1組 

 今回の社会科見学で私達はたくさんの事を学ぶことが出来ました。A隊の私達が一つ目に訪れたのは国立歴史民俗博物館です。私達の班は近代の展示がされている第展示室を見学しました。主に文明開化、産業と開拓、都市の大衆の生活風景や政治の様子、教育方針などを文字盤や立体模型、映像など、たくさんの展示方法で展示されていました。見学していて特に印象的だったのは、上野・浅草の街並みが展示されているゾーンです。明治時代風に描かれた絵や本物の看板、映画のチラシ、街並みの景観、人々の家々の中身、台所の一部、など本当にその時代にいるような感覚で見る事ができました。普段絶対に見る事が出来ない光景で、とても臨場感に溢れていたゾーンでとても感動しました。私達が見学した第展示室の時代の政治や文化が今の時代にどれだけ影響しているか、どのように影響を与えたのか、がはっきりわかりました。他の展示室に行く事は出来ませんでしたが、一つ一つの展示が本当に印象的で中学二年生から社会で歴史を勉強する事になる私達にとって、とても記憶に残りやすく、良い経験になったのではないかと思います。今回私達が見学した第展示室で学んだ事や分かった事を中学二年生からの歴史の授業や歴史を学ぶ上で活かしていきたいと思っています。そして二つ目に訪れたのは千葉県香取市にある佐原の街並みです。バスを降りた瞬間から普段私たちが生活している市や町とは全然違う、とても新鮮な空気に包まれ、まるで江戸時代に来ているかのような雰囲気の街を目の当たりにしました。実際に街を歩いているとお店の名前など現在とは逆向きに読む看板があったり、木造住宅で瓦が沢山ついている家が沢山あったりと江戸時代の街並みが維持されていてとても感心しました。小野川沿いを歩いていたところ、あまり見る事が出来ない迫力満点の流水も目にする事が出来ました。高層ビルが立ち並ぶ都市部とは違い、普段あまり見る事が出来ない自然と調和したような暖かい雰囲気の景観を見る事が出来てとても心地良かったです。最後に私達が訪れたのは小野川沿いにある伊能忠敬記念館です。以前までは伊能忠敬は「日本全国を測量して地図を作り上げた人」というイメージしか無くあまり知りませんでした。しかし、今回伊能忠敬記念館を見学して、伊能忠敬の意外な性格や生活風景を目にする事が出来ました。これまでは教科書でしか見た事の無かった伊能忠敬が作成した日本地図も、実際に本物の物を見る事が出来ましたが、その迫力さと正確さに一瞬目を疑いました。江戸時代にまだ鉄道や飛行機など便利な乗り物が発達しておらず、ましてや日本全国を歩き回って測量するなんて考えられなかった事だと思いますし、50歳から勉強を始めて何年かけてでも正確な日本地図を作成しようとした伊能忠敬は本当に素晴らしい人物であると思います。今回伊能忠敬記念館を見学し、伊能忠敬の素晴らしい生き方と地図の大切さに改めて気づく事が出来ました。今回の社会科見学を通して、現在私達は令和という新しい時代に生きているからこそ、この時代を形成してきたこれまでの人々の努力や日本の政治、教育、生活風景の発展など知っておくべきだと改めて感じました。これからも歴史を学ぶ上で今回の社会科見学で得たものを活かし勉強に励んでいきたいと思います。


                                      


2組 

 社会科見学に行く前、昔の街並みが見れる佐原や、国立歴史民俗博物館に行くと聞いて、私は、今まで昔の町並みをガイドブックや、テレビでしか見たことなかったので、とても楽しみにしていました。実際に行って見たところ、ガイドブックでみた物よりも迫力があり、更に専門家さんが、佐原の街並みの景観を昔とそっくりにする為に、電線の地中化が行われているということを聞いて、佐原町の町並みのような、国で選定された重要伝統的建造物群保存地区は、人の様々な工夫によって、景観をより良い物にしているのだな。と思いました。伊能忠敬記念館において、伊能忠敬は日本地図を作る為に、日本中を歩いていたのではなく、星座を観測して、こよみを正しくする為に歩いて、日本地図が完成したということを聞いて、「伊能忠敬は、西洋学を学ぶ為に歩いたのか。」と思い、驚きました。また伊能忠敬は、浅間山の噴火において、食料に困っている人が続出し、餓死している人が多い中、伊能忠敬は名主であったので、貧しくて、お金の出せない人にはお金を出し、米を安く引き渡し、佐原で餓死した人はいなかったということを聞いて、「伊能忠敬は正義感がある人であり、とても優しい心の持ち主なのだ。」と思いました。国立歴史民俗博物館において、私が見に行った第展示室では、新しくリニューアルオープンをしたと聞いて、実際に見て見たら、大きいナウマンゾウの模型があったり、昔の人々の暮らしが再現されているところがあったりしたので面白かったです。

  

2組 

  今回僕は初めて佐原に行きました。真ん中に小野川があり、とても水運が盛んであったことが実際に見てわかりました。元々伊能忠敬は小関家の三男で名前が三郎右衛門でした。そして伊能家を継ぐことになりました。近くにあった歯科医院のところまで伊能忠敬の敷地だったことはすごいと思いました。さらに伊能忠敬のおかげで、収入が倍になったと聞いて、すごい天才だと思いました。昔のお金で3万両、今のお金で45億円にもなる資産を持っていたので、すごい商売上手だと思いました。そのため、幕府が測量のためのお金をあまり出してくれないからという理由で自分の家の財産の少しを測量に使うということをした人でした。伊能忠敬は50歳で本格的に天文学を学ぶようになり、最後まで天文学のために尽くした人であることがわかりました。さらに国立歴史民俗博物館にも行きました。国立歴史民俗博物館で僕らの班は文化についての展示室を見学しました。入り口の近くにはおせち料理の事が書かかれており、いろいろな種類がありました。さらに、昔の家の中を再現したところに入ると昔に行った気分でした。田植えに関する展示や、猟師、漁師のコーナーもありました。宗教的なことも文化のコーナーにあり、厄年や埋葬などの展示がありました。また呪文などで「ちちんぷいぷい」や「くわばらくわばら」などもありました。少し時間が余ったので、中世の展示室を見学しました。とても広く、すべて見られなかったのでまた行きたいと思います。

  

                                     


3組 

 この社会科見学では、「国立歴史民俗博物館」と「伊能忠敬記念館」と「佐原の街並み」に行きました。特に、印象に残っているのは歴博です。私は、列島の民俗文化について展示されている第展示室を見学しました。「民族へのまなざし」というゾーンでは、日本各地の特徴的な文化の展示や子供部屋を再現した展示などがあり、見応えがありました。また、「おそれと祈り」というゾーンでは、日本が中国から影響を受け、人生の節目に当人だけでなく家族や地域を挙げて儀式が行われている様子が分かり、とても身近に感じることが多いと思いました。そして、「くらしと技」というゾーンでは、時代とともに整備された環境で技がはぐくまれ、それに伴い儀礼や信仰が発達されただけでなく、列島の文化の根幹にも大きな影響を与えたことが分かりました。また、人々が良いくらしを求めて様々な工夫をしていたことが分かりました。展示室を見学して、「民俗」は私たちの日常生活の身近に存在するものだと感じました。ここで学んだことを生活に生かしていきたいです。

     

3組 

 私が今回の社会科見学で一番印象に残ったのは、歴史民俗博物館での見学です。歴史民俗博物館では、第四展示室の民俗に関する展示を見学しました。私は小学校の頃一度歴博を訪れたことがあり、その際おせち料理のサンプルや妖怪に関する展示があったりと一番印象に残ったのが第四展示室でした。あやふやになっていたところを思い出したり、より史料を細かく読み込むことができ、とても充実した時間になりました。また、伊能忠敬記念館では、地図の精度の高さにとても驚きました。そして、伊能忠敬旧宅を見学して、家の近くにある伊能忠敬家宅跡の石碑や富岡八幡宮の敷地内にある伊能忠敬の像を思い浮かべました。いただいた資料の「忠敬の年表」のところに書いてある「江戸に住み」というのは近所のことなんだなと思いとても身近に感じました。伊能忠敬さんに関してより詳しく知りたいと思いました今回の社会科見学で来年度の歴史の学習がとても楽しみに思えました。




4組 

 「故きを温ねて新しきを知れば、以て師となるべし。」今回の社会科見学では、歴史を学び、新しい知識をたくさん得ることが出来、とても充実した一日を過ごすことが出来ました。私の将来の夢は歴史学の研究者です。それを目指す身として、今回の社会科見学では学ぶことがとても多かったです。
 最初の佐原の町並みでは、当時の人々の暮らしの様子に、風景から思いを馳せることが出来ました。現代の都心に多い高層ビルなどとは違う、歴史的建造物は様々なことを考えるきっかけとなりました。例えば、古い建物を維持してきた地域の人達の努力についてです。これは一人がこの建物を残そう、と考えるだけでは成し遂げられない事だと思います。多くの人々の協力により、佐原の町並みは当時の様子と変わらずにあり続けるのだな、と地域の人々の努力にとても感銘しました。私も今の日本を作ってきた大切な歴史を守れるようになりたいと今回の社会科見学を通して思いました。
 次の伊能忠敬記念館では、伊能忠敬の諦めずに継続する力について学ぶことが出来ました。地球の大きさを出すという、大きな目標の達成を目指し、およそ地球一周分までにも及ぶ距離を歩いた伊能忠敬の諦めない姿勢を、私も今後の勉強面などで参考にしていきたいです。伊能忠敬のような意思の強い人になれるよう、まずは目標達成のために出来ることを目先のことから行って行きたいです。
 また、伊能忠敬の生涯から私はもうひとつのことを学ぶことができました。それは好奇心と行動力です。伊能忠敬は49歳で家業を全て長男に譲って隠居した後、50歳で幼い頃から興味を持っていた天文学を本格的に勉強するために江戸へ出たそうです。大人になってもなお、夢を諦めない姿勢、そして衰えることのない好奇心からは参考にすべき点がたくさんあります。私も彼のように大人になっても好奇心を絶やさず、また、行動力のある人間を目指していきたいと思いました。
 そして最後の国立歴史民俗博物館では、今回の社会科見学で最も印象深く、そして興味深いことをたくさん学ぶことが出来ました。私たちの班は平安時代から安土桃山時代までの日本の文化と生活を、貴族や武士、庶民といったさまざまな階層の立場から探っていく第2展示室を見学しました。事前学習で興味のある事柄などを主に調べてみましたが、いざ博物館を回ってみるとジオラマや模型など、文章や断片的な写真だけでは伝わらないようなことまで分かりやすく学ぶことが出来ました。例えば、平安時代の貴族住宅の様式である寝殿造について、事前に調べ、写真なども見ましたが、博物館に展示されていた模型で見てみると、「知識」としてでしか捉えていなかった事柄が模型を通してこの目で知ることで、「事実」として捉えることが出来ました。視覚で体験することでより知識も定着し、とてもいい経験でした。元々知っていた模型などの展示物を改めて見ることで、また違うものを見ているような、新しいことを学んでいるような新鮮な気分になり、もう一度知識を確認してみようと思うことも出来ました。
 歴博の展示物は事前学習では調べていなかったことについても扱われており、その中で特に興味を抱いたのは印刷文化についてでした。今まで印刷文化には触れたことがなく、事細かに説明が綴られた文章を読んでいくうちに、とても興味が湧きました。歴博では、知識をより深めるだけでなく、新しい学びの扉を開くきっかけにもなりました。機会があればもう一度、歴博に訪れ、今回まわることの出来なかった展示室にも行ってみようと思いました。
 今回の社会科見学では温故知新という言葉の通り、歴史から新しい事柄を沢山学ぶことが出来ました。

  

4組 

 今回の社会科見学は、たくさんの人が協力してくださったからできたものだと思います。コロナウイルスの影響で行けるかどうか心配だったのですが、ガイドさんや食事会場の人もマスクをしてくださったり、アルコール消毒をしてくださったり、僕達にとても気を遣ってくださいました。おかげで無事に社会科見学をすることができて、とてもありがたかったです。
 佐原の伊能忠敬の家は木造建築の立派なもので、浸水被害を防ぐ工夫がなされていました。水田に水を引くためにあるジャージャー橋も、昔の人の工夫がなされていました。江戸時代の時の大火事の時、住民の人たちが、お世話になっている忠敬のために、川の水をかけて火事を防ぐことが出来たというお話をガイドさんがしてくださいました。このことから伊能忠敬はたくさんの人に好かれていたということが分かりました。自分の家も火事で大変なことになっているはずなのに、伊能忠敬の家を優先しました。これは住民の人たちが伊能忠敬のことを尊敬していたからです。僕も人から尊敬されるように人格を磨いていこうと思います。
 伊能忠敬はとても正確な地図を作りました。人工衛星もありませんから歩いて計測しなければならないのに、それを成し遂げました。普通の人ができないようなことです。これはとても素晴らしいことだと思います。絶対に諦めない心があったからこそ、このようなことができたのだと思います。諦めない心の大切さを教えてもらいました。
 伊能忠敬の地図は、大図、中図、小図と分けられていて、大図はとても大きな紙22枚分ととても大きいものです。歩いて計測することも時間と労力がかかりますが、地図を描くことにもたくさんの時間が必要だったと思います。伊能忠敬が作った地図は、明治時代まで使われましたが、その背後にある苦労を知ることができて、とても勉強になりました。
 歴博では第四展示室を見学しました。ここでは民族のことや、生と死のこと、祭りのことや道具のことなどが展示されていました。昔の人が作った道具はたくさん工夫されていて、今ある道具も昔の道具を真似している部分がたくさんありました。今まで気が付かなかったことに気が付けたのがよかったと思います。
 日本は祭りが沢山あります。祭りとは、先祖を祀ったり感謝や祈りを捧げるものです。日本は祈りが多く、病気にならないために「エンガチョゆびきった」などの風習があります。また、日本は昔から妖怪がいると信じられています。特に有名な河童についてはたくさんのことが調べられていて、いろいろな川に伝説があります。例えば、白神山地にいる河童は水虎といったり、北海道にいる河童はみんつちといったりします。これだけいろいろな話が残っているということは、それだけ身近なものだったということだと思います。もっと妖怪のことを調べてみたくなりました。
 今回の社会科見学では、日本の昔に触れられました。伊能忠敬のように周囲の人に尊敬されるような人になりたいと思いますし、もっと身近なものを見直してみたいと思いました。社会科見学ができるように最善を尽くしてくださった方々に感謝します。



5組 

 今回の社会科見学を通して、各時代の人々の生活や文化、伊能忠敬について学ぶことができました。まず、国立歴史民俗博物館では私たちの班は主に第展示室(近世)を見学しました。その中で印象に残ったものがつあります。1つ目は江戸橋広小路模型です。この模型は江戸の都市社会の仕組みや、都市で花開いた文化が明らかになっています。江戸は日本最大の城下町だったので、とても栄えていて人・物の行き来が激しかったようでした。農民や商人、土方人足などの区別がつくくらい細かく表されていて、分かりやすかったです。また、火の見やぐらや土蔵などの建物もあり、どれも見たことがなかったので新鮮でした。そして、それらの建物が建てられた理由を知ることができました。例えば、土蔵は江戸の火事から家財を守るためにあったそうでたくさんありました。火の見やぐらも、火災をすぐに消せるようにあり、江戸は火事の対策がしっかりしていたと考えられます。つ目は北前船です。各地に城下町ができて人が集まるようになると、様々な商品が流れるようになります。北前船はそんな時代の流れの変化の中で生まれた船です。船は丈夫にできていて、帆があったので優れた帆走性能があったと考えました。佐原街並みガイドウォークではレトロな雰囲気を楽しみながら歩きました。佐原は重要伝統的建造物群保存地区で、伊能忠敬旧宅は国指定史跡になっています。旧宅の中に入ってまず目に入ったのは、段の雛人形でした。段のものはあまり見たことがなく、豪華で美しかったです。伊能忠敬記念館では、伊能忠敬が作った日本地図の正確さが分かりました。衛星写真で撮った日本とほとんど同じで驚き、測量するにあたって、色々な道具を使い分けていました。また、伊能忠敬は商人で、私は「日本地図を作った人」というイメージしかなかったので勉強になりました。最後に、社会科見学で見たこと・聞いたことを今後の学習に活かしていきたいです。


  
 

5組 

 私達は今回社会科見学で、いろいろな時代の歴史を学びました。歴史とは人類の記憶で人類の物語です。確かに過去は絶対に変わることはありません。だから歴史を学ぶことに意義がないという人がいます。一理あるように聞こえますが、それは全く違います。歴史家EH・カー曰く「歴史とは未来と現代と過去の対話であり、現代の視点で過去を断罪するものでは無いし過去の事実のみを語るだけのものではない。」と言います。○○年に誰がなにをしたか、というのははっきり言ってどうでも良い事なのです。それが分からず歴史を学ぶ意味なんて無いと言うのでしょう。しかし歴史を学ぶ本来の意義は人類や民族の未来にとって何が良いかを考える場なのです。だから過去を断罪するものでは決して無いのです。歴史はその民族が作り上げてきた財産です。その民族がその地域で培ったもので、大切な記憶です。過去に生きた人がいるから今の生活があります。成功と失敗が幾重にも重ねられた教訓です。○○年に誰が何をした。「だからなんだ?これからの為にどうすれば良いか?」ここが一番大切なのです。僕は今回の社会科見学では明治時代について調べました。北海道開拓、産業革命、明治維新とこの時代は日本を取り巻く様々な列国の脅威に恐れながら追いつけ、追い越せと戦後の次に日本人が全力で働いた時代です。故に日本は不平等な条約の改正を認めさせるほどの国力を付け、世界が驚倒するまでになり世界の一等国になりました。しかしそこに至るまでの犠牲は数えきれません。日本には偉大な歴史があります。今の日本は日本人の血と汗と命で作られた国です。そこに学ぶ価値が無い訳が無いと思います。最初に言いましたが歴史は物語です。童話とも言えますがそれは1人の小説家が書いたものではなく、今まで地球に生まれ、死んでいった人たちが描いた大きな物語です。そこには人としての生き方や人として大切な事、没落していく人の悪癖など様々な教訓が詰まっています。

    

                                        


6組 

 私が社会科見学に行って学んだことがいくつかあります。最初に私が社会科見学に行って学んだことは、伊能家のために尽くし、人々のために尽くした伊能忠敬のことです。私は最初、伊能忠敬については日本を測量した凄い人と言う事しか知りませんでした。しかし今回の社会科見学に行って、さらに深く伊能忠敬のことが知ることができました、そして伊能忠敬は凄い人だと思いました。若い頃には伊能家のために尽くして、歳を取ったら国のために働くなど、私の人生では考えられないことでした、私が伊能忠敬と同じ立場だったら、できなかったと思います。私は伊能忠敬が偉人になったのはその諦めない心と財産を私利私欲のために使わず、利他の精神があったからだと思います。私も伊能忠敬を見習って、どんな事にもくじけない心と財産を人々のために使えるような人になりたいです。次に行った国立歴史民俗博物館では私の班では第五展示室に焦点を当てて見ていきました。第五展示室では文明開化や産業の開拓などの近代について焦点を当てて展示をしていました。そこで私が学んだことは10万と言う死者と340万と言う罹災者を出した、東日本大震災のことについてです。私はその時まだ私は歳くらいだったのであまり記憶がなく、小学校などでも東日本大震災の話はされましたが、とても怖くて辛い思いをした方がたくさんいたということはわかったのですが、その内容はあまり知りませんでした。ですから、実際に知ってみると、この世の出来事かと疑うほどのことでした。東日本大震災の怖さを知った私はいつ来るかわからない自身に備えて、非常食や地震が起こった時の逃げ場所を示すハザードマップを作ったり、地震に向けて二度とあのような被害を出さないように万全な準備が必要だと思いました。またもし、東日本大震災のような地震がきた時は、パニックにならず冷静に対処し、自分の身の安全が確保できたら、他の人の補助もしようと思いました。



6組 

 まず、午前中に千葉県香取市にある佐原の町へ行きました。そこでは、現地にお住いのガイドさんの解説と共に町並みを歩き、伊能忠敬の人生について学びました。町並みを目で見て、解説を聞いて、思ったことは沢山ありましたが、私の中で最も心に残ったことはガイドさんの佐原への想いでした。「仕事だから」という雰囲気は全くなく、とても楽しそうにお話される様子がよく伝わってきました。また、伊能忠敬の歴史について改めて学ぶことができました。今までは顔と名前、何をした人なのかという最低限の知識しか覚えていませんでしたが、楽しみながら様々な知識を学ぶことはとてもいいことだと思いました。午後には千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に行きました。歴博には小学生のときの社会科見学で1度訪れたことがありました。当時は歴史についてあまり理解出来ていませんでしたし、今も得意な分野ではありませんが、歴博に行くと歴史を好きになれます。中学生になり、また行けるのかと思うととても楽しみでした。前回行ったときには工事を行っていた第展示室を見学できるようになり、私はそこを主に見学しました。第展示室は氷河期から奈良時代あたりまでの人々の生活が展示されています。そこは他の展示室と比べると実際に作られていたものが沢山ありました。実際のものでなく、複製されたものや人々や動物たちの模型も展示されていましたが、とてもリアルであり本物と間違えそうになるほどでした。また、少し時間に余裕があったため、中世や現代に関する展示室も見学しました。クイズや大きな図を使って楽しく学び、過ごした時間は本当にあっという間でした。 いつもは教科書やビデオなど使って様々なことを学んでいますが、こうして実際に目で見たり耳で聞いたり、普段出来ないような体験をして学ぶと、記憶に残りやすいと思いました。あまり博物館などに行こうと思うことがない私ですが、ただ遊んでばかりではなく、楽しみつつも学習出来る所に休日は出掛けてみようと思いました。

                                       


7組

 私達は26日、国立歴史民謡博物館、伊能忠敬記念館に行ってきました。国立歴史民謡博物館は第1展示室から第6展示室まであり、私の班は第展示室を周りました。ここは、19世紀後半の近代の出発から1920年代までをつのテーマで構成しています。見学していると、昔のヤマハのオルガン楽器が展示してあったり、関東大震災の恐怖が映像などで流されていました。又利根川沿岸の水運鉄道網も学びました。利根川水運は、江戸と関東地を結ぶ物質輸送の主役として隆盛を誇っていました。又、近代に使われていた家具や生活用品も見れました。伊能忠敬記念館では、最初にガイドさんが、佐原町の街並みを案内してくださりました。伊能忠敬が住んでいた旧宅や醸造業してた土蔵造りの店舗など伝統的建造物が沢山ありました。日本古来の街並みをしれた良い機会でした。

     

7組

 今回私は、226日に社会科見学の為、国立歴史民族博物館にに行きました。私たちの班は第展示室、近世を見ました。そこでは江戸時代の半ば、16世紀から19世紀の歴史や当時の様子などが展示、描かれていて、ものすごく迫力があり、感動しました。その中で一番印象に残った所は、国際社会の中の近世についてです。日本は江戸時代に鎖国をしていたと思われがちですが、世界との交流がなかったわけではありません。長崎でオランダや中国、朝鮮半島などとはずっと貿易を続けていた為、現代がこのように発展したのも他の国々から文化などを日本に入れたからでもあると思います。今回国立歴史民族博物館に初めて行って今までの授業で習っていた歴史が現実になったように詳しく、そしてわかりやすく学べました。今後も今日学んだ事を忘れずに、年生の歴史の授業に生かしていきます。

 

                                       


8組

 私たちは26日、社会科見学で佐原の街並み・伊能忠敬記念館・国立歴史民俗博物館を訪れました。今回の社会科見学では主に、「学校の授業で習っている事柄について、実際に目にして理解を深めることの大切さ」「自らの興味・関心に応じて、必要な情報を収集して調べ学習を行うこと」「集団で行動する上で求められるマナーや姿勢・態度を身につけること」のつを学ぶことが出来たと思います。
 佐原の街並みは、国で選定された重要伝統的建造物群保存地区になっており、江戸時代・明治時代・大正時代の建物がそのまま残っていて、とても見ごたえがありました。佐原の街並みの中には伊能忠敬記念館があります。伊能忠敬記念館に所蔵されている「伊能忠敬関係資料」2345点は平成2229日、国宝に指定されています。伊能忠敬は55歳のときに初めての測量を行った、まさに大器晩成という故事成語が良く当てはまる人物だと思いました。
 後に訪れた国立歴史民俗博物館は、第一展示室から第六展示室まであり、「先代・古代」「中世」「近世」「民俗」「近代」「現代」という時代別に展示されています。つの展示室ではそれぞれ人々(日本)の文化と生活、国際社会との関わり、暮らし、技などが時代別に詳しく展示されており、来館者と展示物との間のコミュニケーションをはかる工夫が多々見られました。展示ケースの前には手すりを設けてコンピューターを用意して、解説が分かりやすくなっていたり、音や匂いが展示の中に組み込まれていたり、体験学習コーナー「れきはく」では寺子屋のテキストやすごろくの体験が出来たり、来館者に分かりやすい展示の工夫が目立っていて、とても面白く、為になったと思います。
 今回の社会科見学では主に歴史について学ぶことが出来ました。来年には歴史の授業が始まるので、「学校の授業で習っている事柄について、実際に目にして理解を深めること」が大切なだと言うことを意識しながら、これからも勉強に励んでいきたいと思います。


  

8組

 今回の社会科見学は、今年の組での最後の学校行事でした。だから、この社会科見学は、私にとって本当に心に残った行事となりました。
 最初に佐原に行き、昔ながらの古風な町並みを見学しながら歩きました。私は、小学年生の時に度佐原に行ったことがありました。その頃の私はまだ幼かったのであまり興味を持たないまま見学していました。しかし、中学年生になり、いろいろなことに興味を持つようになってからは、歴史的な古い佐原の町並みにも興味を持ち、こんな素敵な町並みがあるのかと興味深い気持ちになって見学していました。佐原には、古い看板や川にかかっている橋などがあり、本当に昔の町並みが連想できました。佐原の古い町並みには、そのような昔の町並みを連想できるような工夫がされているのだと思いました。そのような工夫は人の心を引きつける、とても素晴らしいものだと私は思いました。佐原の見学が終わり、おいしい食事を頂いた後、歴史民俗博物館に行きました。私は、歴史民俗博物館にも、小学年生の時に行ったことがありました。私たちの班である班は、第展示室を見学しました。第展示室には、平安時代と鎌倉時代についての資料が展示されていました。例えば、私は壇ノ浦の戦いに興味を持ちました。理由は、壇ノ浦の戦いの場面を描いた様子が分かりやすく紙で展示されていたからです。なので、私は壇ノ浦の戦いの情景描写、そして規模の大きさがとてもよく分かり、イメージがたくさん湧いて来ました。そのようなイメージしやすい資料や紙を掲示したりすることも工夫のつなのだと思いました。佐原にも工夫がたくさんありましたが、歴史民俗博物館にも工夫がたくさんありました。今回見学させて頂いた佐原の古い町並みと、歴史民俗博物館は、工夫あふれる素晴らしい場所だと思いました。また今度行く機会があれば行ってみたいと思います。