エストニア国立男声合唱団コンサート
に参加して


 



4組 Sさん   

 その時、私は凄いと思いました。

9月13日、エストニア国立男声合唱団のコンサートがありました。私は合唱部なので、普段から合唱にふれる機会が多く、合唱に親しみを感じていました。でも、私が所属する合唱部は女声合唱。コンクールでさえ混声の合唱を聞いたりすることがあっても、男声だけの合唱を聞いたりすることは全くと言っていいほどありませんでした。そのため、男声合唱の良さがわからないまま、マイナーなものだと思っていました。

 しかし、それは間違った考え方なのだと思い知らされました。指揮者が手を振り、合唱団が歌い始めるとホール中には美しいハーモニーが響き渡りました。私はあまりの凄さに鳥肌が立ちました。一つ一つのパートの声質は揃っていて、パート同士のハーモニーが一つの曲としての一体感を作り上げていました。合唱にとって、声質を揃えることと別パートとハーモニーを作ることはとても大切なことであり、同時に難しいことでもあります。その二つを見事に完成させることができるのはとても凄いことです。また、男声特有の低音もなめらかでとても綺麗でした。女声合唱でも低音を出すことがありますが、出せる音域の関係で低音をうまく出せないことがあります。なので、あの低音には憧れを抱いてしまいました。

 私は、今回のエストニア国立男声合唱団のコンサートで男声合唱の良さがわかりました。重みのある低音とそのハーモニー。どちらも女声合唱では表せられないものです。音楽はいろんな方法でハーモニーを作ることができます。ですから自分の好みだけではなく、いろんなものに視点を置いてみることも大事なのだと今回を通してわかりました。






6組 A君   

 私は、先日の合唱を聞いて、美しい音程や、音の強弱、音のバランスなどが素晴らしいと思いました。しかし、私が最も感動したことは、合唱での団結力の高さです合唱は、とても単純で、簡単なように思われ易いのですが、実は、周りと息を合わせないと、音程がずれてしまったり、強弱がバラバラになってしまったりするのです。それだけ、音楽の中で、合唱は、団結力の高さが必要である難易度の高いものだということが出来ます。

 「勉強は団体戦」という言葉があるように、私は、学習においても、団結力は、必要だと思っています。例えば、勉強で分からない問題があった時、友達に聞いたり、逆に友達が分からないような問題は、教えることができます。また、友達から、問題集を紹介してもらったり、勉強を一緒にすることによって、互いのモチベーションを維持することもできるのではないかとおもいます。私は今まで一人で勉強をすることが多かったので、友達と勉強をする機会を増やしていければいいと思います。

 先日の演奏は、周りと息が揃ったすばらしい合唱だったのですが、このようにすばらしい合唱にするためには、それだけ工夫が必要になるのだとおもいました。どれだけ歌のセンスがある人でも、いい歌を歌えるようにするためには、色々と工夫しなければならないように、先日の合唱団の方々も、それだけ工夫を重ねてきたのだと、思われます。そして、このことは、学習においても同じ事がいえます。勉強で、大事だと思われる問題を、何度も反復演習したり、より自分に合っている教材を選んで買ったりすることが、それにあたるのだと思います。私の今の状況では、もっと勉強の効率を上げる方法があるとおもうので、そのような方法を考えていきたいと思います。

 先日の合唱は、とても素晴らしく、そして、以上に上げたようなことを合唱で学んだので、それを活かして、今後の学校生活に取り組んでいけたらいいとおもいます。






8組 K君 

僕はエストニア国立男声合唱団コンサートに参加していくつか思った事があります。まず先に思いついたのは、壇上にピアノが無かった事です。僕はあまり芸術面には詳しくないので、経験談でしか語れないのですが、本校の合唱部のコンサートや、僕が小学5年生の時に参加した市の合唱コンサートにはピアノがあったかと思います。しかし、今回のエストニア国立男声合唱団には無かったので非常に驚きました。

しかし、その疑問を裏切るように、公演が開始した瞬間素晴らしい歌声にまた驚きました。楽器無しにあれだけの公演に出来るのは凄いなと思いました。次にプログラムの途中で日本語入りの曲があったかと思います。僕は失礼ながらカタコトの曲になるだろうなと思っていました。しかし、流暢な日本語の合唱でまたまたびっくりしました。最後にこのようないい意味期待を裏切り続けられた素晴らしい公演を聴けて僕はすごく幸せです。本当にありがとうございました。 






10組 S君   

 僕は今回のエストニア国立男性合唱団の演奏を聴く以前、楽器のメロディーが無い音楽は面白くないと考えていました。だから、この合唱団のほとんど楽器が使われない演奏を聴いて衝撃を受けました。

何故なら、声の質や高さなどの違いで、彼らは楽器を使わずとも奥深い演奏をしていたからです。その理由はやはり合唱団の彼ら一人一人の個性の強さからきていたと思います。言い換えれば、一人一人が違う楽器となって成立している物が彼らの合唱なのだと思いました。しかし、僕はこの合唱が成立する上で彼らの声以外でもう一つ重要な事があると思います。それは何かというと指揮です。そもそも、僕は彼らの合唱を聞く前、ただ前で指揮をする指揮者と言うのは音楽で本当に必要なのかよく分からない部分がありました。それに当然、一人一人が違う色で存在している合唱はそれだけで充分凄いと思います。でも、その違う色同士を調和させるキッカケが無ければ、それはただ大勢で自分一人の音楽をしているに過ぎません。だから、勿論、声を楽器のように使える彼らも凄いけれども、それを纏めて一つの音楽を成立させている指揮者は今回の合唱を語る上では必要不可欠な存在なのではないかと思いました。

最後に、今回の合唱は聴く以前の自分では考えられない程、自分の中の音楽の定義に変化がありました。そして、まさに彼ら、エストニア国立男性合唱団の合唱は指揮と声というたった2つの手段で創られる最高級の音楽であったと思いました。