2組 |
僕はウォークラリーを終えて、得たものがたくさんありました。ウォークラリーというものは、ただ単純に歩くだけではなく、歩きながら何を考えるのかがとても大切になってくると思います。現代の忙しい生活の中では、自分1人でじっくり考える時間を取ることが難しいです。だからこそ、ウォークラリーでは自分の考えを膨らませ、人間的な豊かさを育てる時間にすることが重要だと僕は思いました。実際に僕が考えていたのは、自然についてです。今年でウォークラリーは4回目ですが、僕には取手の風景が毎年違って見えます。確かに自然は変わり続けているので、毎年少しの違いもないという事はありません。しかし、1番の理由は、自分の心が変わっている事だと思います。自分の心が変われば、見ているものが同じだとしても感じ方は変わってきます。今年は中等部から高等部に進学した、大きな境目の年だと感じています。ですから、当然、気持ちの変化も大きかったはずです。考え方も少しずつ大人に近づいています。大人になるということは、物事を深く考えられるようになると同時に、子供の頃のピュアな気持ちを忘れることでもあります。中学1年生の頃の自分を思い返してみると、自然には目もくれずに、友達と話していた自分がいます。その頃に比べると格段に心が成長していると思います。今では、自然について考えるほどに深く物事を捉えることができるようになっています。しかし、その一方でピュアな心を失ったような気もします。純粋な気持ちを持って何かに取り組むあの頃に比べて、今の自分は行動に対して何かしらの理由を必ず求めてしまいます。自分がこのことをする理由はあるのか、する意味はあるのかなど、そのようなことを考えてしまっています。それでは、いけないと思います。だから僕は純粋な大人になります。ウォークラリーを通して、今回もまた色々なことを学べました。来年もまた楽しみにしています。 |
4組 |
私はウォークラリーに参加して、ウォークラリーの大切さについて気付くことができました。私は部活を辞めて7ヶ月が経っており体力が著しく低下しています。少しトランポリンをやっただけで全身筋肉痛になってしまいます。そんな中10km歩いたウォークラリーは私のフィジカルとメンタルにきました。最初の方は友達とお喋りしながら楽しく歩いていましたが、折り返して1kmぐらい歩いたとき照りつける強い日差しといつになったら着くのだろうという感情が私の心身を打ち砕いていきました。いつの間にか友達との会話もなくなっていきました。沈黙が続く中、私は必死に話題を探し続けて、なんとか途切れ途切れですが会話をすることが出来ました。ここで私のコミュニケーション能力の低さを実感しました。コミュニケーション能力が高い人ならば2時間40分ぐらいずっと会話が尽きずに話せると思います。来年のウォークラリーまでにコミュニケーション能力を少しでも高くし最初から最後まで会話が尽きないようにしたいと思います。4回目のウォークラリーに参加して色々学ぶことが出来ました。今回のウォークラリーでは大学受験の面接の時に必要なトーク力・コミュニケーション力そして精神力と身体力を磨くことが出来ることに気付くことができました。卒業するまであと2回しかありませんので、友達との仲を深めることが出来るウォークラリーという行事の1回1回を大切にしていきたいと思います。 |
6組 |
今回のウォークラリーは、私にとって4回目のウォークラリーであり、変わったことと言えば今年から高等部生として中等部生の頃歩いた道を逆方向に歩くということくらいで、クラスメイトも慣れた様子で楽しそうに歩いていました。そもそもウォークラリーの意味とは体力の向上かつコミュニケーション能力の向上の為にあるのだと思います。3時間も歩いていると4回目で慣れているとは言え、流石に体力的にも精神的にも厳しくなってきます。そんな時に如何にして最後まで楽しみ切るか、それは友達と話すことです。いつもは話さないような友達とくだらない話をしたり、疲れた者同士励ましあったり、英単語を共に覚えたりと友情を深めることにより今後の学校生活に良い影響を与えてくれると思います。 |
8組 |
私たちは今年で4回目のウォークラリーですが、高等部生としては初めてのウォークラリーだったので、昨年までとは道を反対側から進んでいったということもあり、昨年までとは違って新鮮な気持ちで挑みました。 |
10組 |
自分にとって初めてのウォークラリーは、天候にも恵まれ、利根川周辺の自然を楽しみながら、気持ちよく行うことができました。そして、いろんなことを得ることができました。 |