2018.5.8 姜尚中先生講演会 〜君たちはどう生きるか〜


『姜尚中先生の講話をお聞きして』

 今回、姜尚中先生は、「君たちはどう生きるか」というテーマで、ご自身の学生だった頃のこと、国籍の問題、夏目漱石と自分との接点、学生の頃の思い出から、人生論にいたるまで、様々なことを語られました。  特に先生が、「人生は砂時計と似ていて、未来の砂は、確実に現実という、くびれを通って、過去に流れていきます。君たちにも、15年という過去が、確実に存在する。」という話をしてくださったことが印象的でした。私は、人生を砂時計にたとえていることに興味を持ちました。15年という期間を、長いととらえるか、短いとらえるか。それは人それぞれだと思います。しかし、誰にとっても、15年間という年月は、決して無駄なものではなく、貴重なものだと思います。この話を聞いて、時間は、とても大切なものだと改めて痛感させられました。過去という落ちた砂を大切にしたいと思いました。過去の失敗を未来に生かしていき、過去の失敗を恐れず、様々なことに挑戦していき、成功した時には、たくさんの人に支えられていたから、成功したのだという感謝の気持ちを忘れずに持ち、幸せや日々の日常を、当たり前と思わず、ひとつひとつに喜びを感じていきたいと思いました。姜尚中先生の講話の後、生徒から、「なぜ戦争はなくならないのか?」・「いじめがなくならない理由」などたくさんの質問があがりました。姜尚中先生は1つ1つの質問に丁寧に回答してくださいました。その質問の中で、感銘したのは、いじめをなくすためには、やっている側と、やられている側に焦点を置くのではなく、傍観者に視点を置いて、傍観者の11人感情を知ることが、重要だと、先生がおっしゃったことです。なぜ、傍観者に視点を置くということに気づかなかったのだろうと驚かされました。この講和を機会に人間存在の根源的な問題について考えていきたいと思います。今回先生からいただいた言葉は、10・20年後、私たちを支える確かな礎となりました。





『姜尚中先生の講話をお聞きして』

講話を聞いて、「深い」というのがぴったりな言葉だと思いました。1番印象に残ったものは「いじめ」についてです。自分の経験上、いじめは絶対に無くせないと思います。でも、少なくすることはできます。人間は一人ひとり違くて似たような考えが集まったのが世論で考え方が違う人は除け者にされることが多いです。だから理解しにくい考えがあっても仕方がないです。本人が気に入らない子にはっきり伝えるのは良いと思いますが面白がって他の人が言うのはどうかと思います。面白がる人がいなければいじめは起きないはずです。陰で「こういうところを直して欲しい」って他人と話して盛り上がるより本人に直接言えば本人も気づけて自分もすっきりして絶対にいいはずです。それでも特に女子は他の人と盛り上がるからいじめは無くなりません。小学校の時にいじめに限りなく近いようなことがあってその子のことをみんな見て見ぬ振りをしていました。私も傍観者となっていました。今考えると幼稚だったなと思います。自分で直接庇わなくても先生にこっそり言うとか他に方法は沢山あったはずです。このことは56年経った今でも後悔しています。だからこれからは周りをよく見て、自分にできることをどんどんやって生きます。自分の後悔もあり、改めていじめについて深く考えられ、とてもためになりました




『姜尚中先生の講話をお聞きして』

私は今回の講話で、失敗してもそこから何を学んだか、そこからどう行動するかということが、とても大切なことだということを改めて感じました。私は実際に『君たちはどう生きるか』を読みました。コペル君はその世代の等身大で描かれていて、とても私の心に響きました。コペル君は色々な失敗をしてしまいます。しかし、その度に叔父さんがアドバイスをしてくれます。そうしてコペル君は少しずつ変わっていきます。そしてコペル君はアドバイスを生かして生きていくと決めます。叔父さんのアドバイスは、自分で思っていても中々行動に移せなかったりするものです。しかし、それを他人に言われることによって改めて気づくことがたくさんありました。私も今まで色々な失敗をしてきたし、これからも失敗をすることがあると思います。今はまだ失敗をしてもアドバイスをしてくれる人がいるし、取り返しがつきやすいです。しかし、社会にでたらその様なことをしてくれる人は中々いないし、取り返しがつかないことになってしまうかもしれません。だからこそ今、失敗をした時、そこから色々な事を学び、生かしていくことが大切だと思います。しかし、そこで学ぶことをしなかったらまた同じ失敗をしてしまいます。失敗は自分が成長する、変わるチャンスだと思います。失敗してくよくよしたまま、それに背を向けるのではなく、きちんと自分がしてしまった失敗に向き合おうと思いました。向き合ったことでもしかしたら凄く落ち込んでしまったり、立ち直れなくなってしまうこともあるかもしれません。しかし、それも失敗から背をむけずきちんと向き合っている証拠だし、その失敗を反省している証拠だとおもいます。私はこれから、失敗してしまっても、きちんと向き合おうときめました。そして、色々学んできちんとした人間になりたいです。また、もし友達が何か悩んでいたら相談に乗ってあげられる経験や知識も持っておきたいです。





『姜尚中先生の講話をお聞きして』


私は今回の講話で、失敗してもそこから何を学んだか、そこからどう行動するかということが、とても大切なことだということを改めて感じました。私は実際に『君たちはどう生きるか』を読みました。コペル君はその世代の等身大で描かれていて、とても私の心に響きました。コペル君は色々な失敗をしてしまいます。しかし、その度に叔父さんがアドバイスをしてくれます。そうしてコペル君は少しずつ変わっていきます。そしてコペル君はアドバイスを生かして生きていくと決めます。叔父さんのアドバイスは、自分で思っていても中々行動に移せなかったりするものです。しかし、それを他人に言われることによって改めて気づくことがたくさんありました。私も今まで色々な失敗をしてきたし、これからも失敗をすることがあると思います。今はまだ失敗をしてもアドバイスをしてくれる人がいるし、取り返しがつきやすいです。しかし、社会にでたらその様なことをしてくれる人は中々いないし、取り返しがつかないことになってしまうかもしれません。だからこそ今、失敗をした時、そこから色々な事を学び、生かしていくことが大切だと思います。しかし、そこで学ぶことをしなかったらまた同じ失敗をしてしまいます。失敗は自分が成長する、変わるチャンスだと思います。失敗してくよくよしたまま、それに背を向けるのではなく、きちんと自分がしてしまった失敗に向き合おうと思いました。向き合ったことでもしかしたら凄く落ち込んでしまったり、立ち直れなくなってしまうこともあるかもしれません。しかし、それも失敗から背をむけずきちんと向き合っている証拠だし、その失敗を反省している証拠だとおもいます。私はこれから、失敗してしまっても、きちんと向き合おうときめました。そして、色々学んできちんとした人間になりたいです。また、もし友達が何か悩んでいたら相談に乗ってあげられる経験や知識も持っておきたいです。



『姜尚中先生の講話をお聞きして』

君たちはどう生きるか。私は姜尚中さんの講話を聞いて自分自身の生き方について考えました。私は大切なものを失ったことがありません。しかし、失うかもしれないと思ったことはあります。祖母が心筋梗塞で倒れてしまったときのことです。その時偶然家族で帰省していたのですぐに救急車を呼ぶことができ、今では普通に生活できるまでに回復しました。祖母が倒れた時私はとても混乱しました。大好きな祖母が死んでしまうかもしれない。もうあの優しい声が聞こえないかもしれない。お味噌汁の味、一緒に作ったケーキ、まだ日常として続いていくだろうと思っていたこと、それら全てにあと一回なんてないのかもしれない。そう思ったら、私と巡り合う事の全てが奇跡であるように思えました。だからそれら一つ一つに後悔のないように接していこうと誓いました。また、姜尚中さんの講演をお聞きして小さい頃の自分について思い出したことがあります。私の家ではクリスマスが近づくとリビングにクリスマスツリーを飾ります。幼い頃は一番上に飾られていた星を見上げて大きいなと思っていましたが、去年飾った時には私の腰の半分までの高さしかなく私もこれだけ成長したのかと感動しました。毎年行う身体測定で何センチ伸びた、などの数値で表されるとあまり実感が湧きませんが自分の体験した事からだと不思議と自分がよく見えてくるな、と身をもって実感しました。そして姜尚中さんのお話から、これがコペルニクス的発想なんだと思い嬉しくなりました。私は、君たちはどう生きるかが1年生の時に必読図書として推薦されていたので母に買ってもらい読んだことがあります。当時は、叔父さんがコペルニクスくんに宛てて書いた手紙の内容があまり共感できませんでしたが、今回姜尚中さんのお話をお聞きしてもう一度読み直しました。すると、世界の中での自分の大きさ、周囲の人の存在の大きさが今までに感じていたより大切なものに思えてきました。同じ物語のはずなのに明らかに2年前よりも深く心に響いた感じがします。最後に、君たちはどう生きるかについて私は巡り合うもの一つ一つを奇跡と捉え周囲への感謝の気持ちを忘れずに生きていこうと思います。


『姜尚中先生の講話をお聞きして』


私は、今回の姜先生の講和を受けて、考えた事があります。 それは、戦争についてです。姜先生がおっしゃっていましたが、作家の夏目漱石さんは、戦争を批判する本を書いていたそうです。夏目漱石さんがちょうど生きていた時代は日露戦争の時でした。姜先生もおっしゃっていた通り、その時戦争に対して賛成派と反対派で社会は大きく別れていました。現代を生きている私たちは、もちろん戦争に対して良い印象は全く持っていないと思います。それは、日露戦争から第二次世界大戦までの間日本は、たくさんの犠牲者を出し続け戦争に参加してきました。私はここで、少しの犠牲でもその犠牲となってしまった人を悲しむ人はいるということを忘れずにしたいと思いました。しかし、当時の日本は、富国強兵という、政策をとっていたと社会の授業で習いました。天皇は、国の象徴、殖産興業、徴兵令など、今の日本では考えられない事もいつくか習いました。しかし、それが、明治時代の日本である事も確かです。日本は、第二次世界大戦で、莫大な被害者をだしてしまいました。それまで、戦争に勝ち続けてきた日本を見ていたからこそ、今回も勝てると思ってしまったのだと思います。それは、当然思うことだし、私も当時生きていたのならば思ってしまったと思います。しかし、終戦後日本はもう、戦争をしないという政策を現代までしてきました。その事に関してはとても平和だし、無駄な犠牲者をださず、とても良いと思います。しかし、今、北朝鮮の問題や、アメリカの問題など、もしかしたら、戦争に繋がってしまうのでは?という問題がたくさん起きているのも知っています。私はもちろん、戦争を体験したことはありません。しかし、歴史を勉強している中、酷い被害もたくさん勉強しています。やはり、戦争をするべきではないと思いますし、もしも、私に子供ができたら、戦争は、してはならないということもたくさん受け継いでいけるようにしたいと思いました。 戦争について、よく考えることができる、良い体験となりました。姜先生、ありがとうございました。



『姜尚中先生の講話をお聞きして』


 私は、姜尚中先生が、「君たちはどう生きるか」というテーマで講話をしてくださるということだったので、とても楽しみにしていました。  先生のお話をお聞きして、印象に残った事がたくさんありました。その中で私は、いじめについて考えてみました。私は、いじめというものは絶対にいけない事だと思っています。もし自分が誰かにいじめられてしまったら、立ち直れないくらいに深く傷ついてしまって、その時の怖くて辛い気持ちを忘れることができずに、ずっと苦しみ続けてしまうと思います。しかし、他の誰かがいじめられている場面に遭遇した時に、すぐにかけつけて強い態度でやめさせることが自分にできるのだろうかと思いました。もしその場に自分がいたら、怖くなってしまい、勇気がでないかもしれません。しかし、そんな時にも、自分がされてしまったらどう思うかということを、相手の気持ちになって考えて行動しなければならないと思いました。また、講話の後に「いじめはどうしてなくならないのですか。」という質問に先生が答えてくださったことを私も聞いていたのですが、先生の友人などがいじめを受けてしまっている時に、助けてあげられなくて、先生ご自身も辛かったということがわかり、とても考えさせられました。  私は、いじめや、その他にも、世の中でしてはならないことをしないようにするためにはどうしたらよいかということについても考えてみました。規則やルールで決められているからやってはいけないと思うのではなく、どうしてそのような規則やルールがあるのか、破ってしまうことによってどうなってしまうのかということを自分の頭で考えて、行動することが大切だと思いました。そのためには、これから色々な事に積極的に取り組み、たくさんの経験を積むことが必要であると、改めて強く感じることができました。



『姜尚中先生の講話をお聞きして』


「君たちはどう生きるか」という問題について、僕は今回の講話を聞くまで考えたことがありませんでした。「起きて、学校に行き、勉強をして、部活動をして、帰って、ゲームをして、寝る、という人生に、何の意味があるんだろうか」と、漠然と考えたことはありますが、部活動も学校生活も楽しいので、「僕たちは何故生きているか」そして「僕たちはどう生きていくのか」という問題には向き合わずに生活していました。
 今回の講話が考える機会になったので、改めて考えてみました。「いかに生きるか」というのは、「何故生きているのか」が分かっていなければ考えることはできません。そこで、まず、「何故生きているか」について考えることにしましたが、これは、たいへん難しい問題です。生きているのが辛い人は、別に無理をして生きなくても良いかもしれません。人生には苦痛が付きもので、苦しい時には、死ねば楽になるかもしれません。しかし、悲しさや悔しさと同時に、楽しさも嬉しさも自ら手放すことになってしまいます。少なくとも僕は、楽しむために生きたいと思います。
 次に、「どう生きるか」についてです。僕はこれから、自分に正直に生きていきたいと思います。楽しむために生きるには、好きなことをしっかりあきらめないでやり遂げることが必要だと思います。そのために、自分の気持ちを良く見つめ、自分に正直に生きていきたいと思います。

もどる