観世流『能』観劇会

2018.10.31

「幽玄」の世界

 能は言葉を発せず、物や身体を使って表情を表現します。能は落語や歌舞伎と並び日本の伝統芸能の一つで、古くから日本に親しまれています。舞台芸術には狂言もあります。この二つの違いを調べると、最も大きな相違点はお面をつけるかつけないかという点です。能は身体を使って表現をするのに対し、狂言は言葉によって感情を表現します。また、能は霊や鬼などが主題になりますが、狂言は動物が多く登場し、観客の笑いを誘います。能は国の指定文化財であり、ユネスコの無形文化遺産にもなっています。
 能を完成させた観阿弥と世阿弥について調べると、世阿弥は能に「本説正しく、珍しきが、幽玄にて、面白きところ」と厳しい条件を設けました。能の「幽玄」とは優美という意味で、新鮮で美しく、すべての芸術が追究すべき理想の姿であると考えていたそうです。
 能には五つの流派あります。観世流、宝生流、金春流、金剛流、喜多流です。僕たちが鑑賞したのは観世流の能で、室町時代に幕府の保護を受けていたのは、「観世座」だけで、江戸時代に定められた四座の中でも筆頭の位置を占めました。これは、徳川家が浜松城の時代から観世座と縁があったためです。室町末期から流行した「謡」の中心が観世流だったことも繁栄の一因で、現在も五流最大の勢力を持ち、優美、繊細な芸風が特徴です。歌舞伎のような早い動きではありませんが、一つひとつの表現の仕方の繊細さが魅力的でした。他の流派の能もぜひ観てみたいと思います。

一歩引いた視点で見る 

 能の解説の最後で、「一歩引いた視点で見る」という言葉がありました。私は最初から何かにのめり込むことはあまりなく、いつも周囲の人たちを観察し、その意見を分析してから自分の意見を構成しています。集団の中で自分の意見を伝えるには、説得力とプレゼンテーション能力が必要になります。説得力は他者の意見を利用し、論理を構成した方が効果が上がります。説得力を向上させるには、「一歩引いた視点」が重要な役割を果たすのです。
 もちろん、反対にのめり込んで話に参加することも必要です。そちらはコミュニケーション能力にかかわってきます。他者との関係を築くことは、その先の人生で重要になってきます。情報が氾濫し、真実と虚偽との区別が曖昧になってきている現代、正しい情報は貴重なものです。正しい情報を手に入れるためには、元となる膨大な量のデータを照合する必要があります。しかし、信頼のおける他者がいれば、インターネットやテレビ、ラジオ、新聞に書籍など、個人で蓄積可能なデータに加え、人間関係を駆使した情報伝達ネットワークの構築、それが正しい情報を獲得し、説得力を高めることに役立ちます。つまり、他者とのコミュケーションを大切にしつつ、常に客観的に物事の全体像を把握することが大切なのです。能の解説にあった言葉は物事の本質であったと思います。

『井筒』の世界―せつなく、もの悲しい物語

 「能」とはどんな雰囲気の中で、どのように、何を題材にして演じられるのか、様々な疑問が浮かび上がってきました。
 公演はまず能の基本の説明から入りました。能の細かい動き、そして礼法まで教えていただき、能の奥深さを知りました。きれいな白い足袋を穿き、すり足で歩くこと、悲しい時、嬉しい時、怒った時の動作の使い分けなど、能が一つの日本文化として成立していることをしみじみと感じました。
 そして『井筒』の舞台が始まりました。笛、小鼓、大鼓の音に合わせ、女役の人の演技。せつなく、もの悲しい能独特の雰囲気の中での演技に心を打たれました。最後は美しい舞いで幕を閉じました。
 将来海外に行き、他国の人と交流することになった時、日本の伝統芸能として、能について自信を持って紹介できるようになりたいと思います。そのためにも、これからも自ら興味を持って、積極的に日本文化を理解するよう努めていきたいと思います。 

能面こそが真実の顔
  伝統芸能である能は本当に素晴らしいものだということを実感しました。能について説明してくださった方は、観阿弥の27代後、世阿弥の26代後だとうかがい、観阿弥・世阿弥が作り上げたこの伝統芸能が、長い間継承されてきたことがよくわかりました。感情の表し方や、すり足での歩き方など、詳しいことを知ることもできました。実際にその動きをしてみて、それぞれの所作に細やかな感情が表現されていることもわかりました。能を演じている時には、能面を付けているため、表情を変えることはできません。しかし、様々な決まった動きをすることで、多くの感情を表現することができるのです。
 能面はいわゆる仮面ではなく、能面こそが真実の顔であり、自分の顔を能面として使えと世阿弥の時代からいわれているそうです。能面は無表情ではなく、あらゆる表情を内蔵し、演技者の技によって無限の表情を舞台で生み出すことができるのです
 この観劇会で、日本の伝統芸能の魅力を知りました。次は違う演目の作品も鑑賞したいと思います。

人間にしかできない伝統芸能

  能の持つ力強さはもちろん、さらに繊細さも合わせ持つすばらしい伝統芸能だと感じました。一つひとつの動作が美しく、言葉遣いに関しても、実に丁寧だと感じました。
 観劇をする前から気になっていたことは「能における感情の伝え方」です。能は面をつけているため、顔の表情で感情を伝えることはできません。どのようにして感情を表すのか、疑問に思っていましたが、観劇会の冒頭で能についての解説があり、「感情は動作によって伝え、様々な感情を表すために、感情ごとに動作の決められたパターンがある」とうかがいました。解説の後、何パターンかの感情を表す動作を教えていただきました。
 現代はAIが進歩し、これからの社会は人間とAIとが共存する社会になっていきますが、能は人間にしかできない、そしてこれからも伝承されるべき重要な伝統芸能です。それを表現できるのは人間だけです。人間にしかできないということは、つまり、伝承していけるのも人間だけだということです。その意味で私たちが伝統文化に対して、関心を持つことはとても大切です。
 日本の伝統文化への関心が高まるとともに、自分の普段の言動を見返すよい機会にもなり、実りある観劇会になりました。

神への祈りの伝統芸能

 能はまさに日本の伝統芸能であり、長くて奥深い歴史を持っています。今から600年以上も前の室町時代、豊作を神に祈った田楽から舞台芸能へと発展し、能は完成されましたが、「神への祈りの芸能」として、神に敬意を表すための「」があるそうです。例えば舞台では汗を流してはいけない、大きな音を立てて歩くのではなく、すり足で歩かなければならないといったものです。このような昔から受け継がれてきたしきたりがあるからこそ、上品な美しさや清らかさを自然に作り出すことができるのだと思いました。
 心に残ったのは、無表情の能面を使って感情を表す時は、「」で心情を表現しなくてはならないということでした。悲しい時、おもしろい時、怒っている時など、決まった型で表現をする「シテ方」は、他のどの舞台芸術の役者よりも、観客に登場人物の心情をわかりやすく伝えることが求められているのです。
 マイクを使っていないのに江戸取の大ホール全体に響く声量は、「腹式呼吸」によって生み出されます。その腹式呼吸による声量が迫力を生み出し、物語のシーン一つひとつに臨場感を与えているのです。
 この観劇会は私にとって、一生忘れるのことのない素敵な思い出になることでしょう。 

心が落ち着いてく芸能

 最後まで集中して鑑賞することができた観劇会でした。わかりやすい解説もしていただき、楽しみながら勉強できました。能面も間近で見ることができ、よい経験になりました。
 どのような物語か、ある程度あらすじを知った上で鑑賞すると、容易に理解することができます。また様々な楽器を使って音楽が奏され、視覚聴覚ともに物語に引き込まれました。一つひとつの動きには様々な意味があり、そこにも注目して鑑賞しました。声の出し方も独特で、面白いと感じました。他にも足音を立ててはいけないこと、歩くときは摺り足で歩かなければいけないことなど、たくさんの決まり事があることがわかりました。
 能はまさに日本の伝統芸能であり、これからも受け継いでいくべきものです。能の解説の中で、「何か考えていて、困っていることがあったら、一歩下がって考えることが大切」というお話があり、それがとても心に響きました。能を鑑賞していると心が落ち着いてくるのに気づきます。様々なことを教えていただき、勉強になりました。 

古典学習の大切さ
  信長、秀吉、家康も好んでいたという能は、長い歴史を持つ伝統芸能ですが、難しいというイメージがありました。けれども解説がわかりやすく、よく理解することができました。能の動きは歌舞伎や狂言と比べて緩慢ですが、その一つひとつの動作が様々な意味を持っていることを学びました。次回、能を鑑賞するときは、解説がなくても理解できるよう、さらに古典の勉強をしていきたいと思います。
 能面にはたくさんの種類があることも学びました。能面の表情には様々な感情が込められています。それぞれの能面が作品の中でどのように使用されているかを見るのも、能の楽しみ方のひとつです。能をきっかけに、日本文化や伝統芸能をさらに詳しく学びたいと思いました。このような貴重な機会を設けてくださったことに感謝します。