観世流の能を鑑賞して


1組 

 私は今回初めて能を見ることができました。能を見て感じられたことがあります。資料に載っているような衣装で舞っていて、また、ゆっくりとした動作だったため、日本古来の雰囲気を感じることが出来ました。
 今回より前に能を見たことのある友人がいます。その友人が見た能は、解説が無く、能で演じられていることの意味すら分からなかったそうです。しかし、今回は、能を演じる前に能の授業ということで、この表情の時はこの仕草をする、と仕草の事と表情や能を演じる時のルールなどを教えていただいたので、すごく楽しめたそうです。その友人は、古文が得意で、歴史も詳しいので、そのように楽しめたと思いますが、私は解説があってもよく分かりませんでした。このことから、日本古来の能や歌舞伎などで役者さんの言っていることが分からないのは、私の知識が足りなかったからだと思います。これからは、能などの日本古来の芸能を見る時だけではなく、日々の生活でも生かせるので、知識をつけていきたいと思いました。知識が無くては、知識のある人と比べて楽しめるものも減ってしまうと思います。それどころか、理解ができないのでそのもの自体に苦手意識を持ってしまうと思います。そんなような大人にならないようにするためにも、しっかりと6年間で勉強をして幅広い教養を身につけ、様々な物事に対して興味や楽しさを感じられるようになりたいと思います。
 このような体験から私は江戸取のイベント教育は学習意欲を高める大切な行事だと思いました。

   

      

  

2組 

 約700年前から受け継がれてきている観世流の能を見る機会を与えられている私たちは、とても幸運だと思います。
 古典というものは見ただけですぐに良さが分かるようなショーとは違います。私は幼い頃からバレエやヴァイオリンといった古典と関わってきました。そのどちらも、基本の繰り返し、古めかしい曲の練習ばかりで、心踊るような楽しいものではありません。古典や伝統は、私のなかでは時代遅れで価値を見いだせないものという印象がありました。
 小学生のときに私は地域の伝統について調べました。私の地域には約400年間続いている国指定無形民俗文化財「綱火」というお祭りがあります。「綱火」の保存会の方々は、私たちに実際に体験させてくださいました。今まではつまらないと思っていたものですが、実際にやってみると、受け継がれてきている理由が分かる気がしました。そのとき、伝統に関わることの楽しさを実感しました。今回の観劇会でも、謡を実際に口に出したり、型を教えていただいたり、実際に体験することで、今までよりも能がずっと身近に感じられました。
 江戸取は、41周年目にNew江戸取として出発しました。40年間ひとつのことを続けていくということは簡単なことではないと思います。それは先輩が作ってきてくれたものであり、「誠実、謙虚、努力」という校訓や「心力、学力、体力、三位一体の教育」といったぶれない柱があるからこそ、新しいものを取り入れ、発展し、伝統を守り続けていくことができるのだと思います。今日の観劇会は、こういったことを気づかせてくれるいい経験になりました。

    

 


3組 

 私は、今回、「観世流 能」の観劇会を通して、日本の伝統文化と歴史に触れることができました。観劇する前は難しそうで不安に感じましたが、見たことが無いので楽しみでもありました。そんな能について興味を持った点が2つあります。
 1つ目は、能の踊り方です。能の踊りは動きがとてもゆっくりで、滑らかでした。私は踊りと聞くと、ヒップホップなどのハイテンポなものを思い浮かべてしまいます。一方で、能はすり足で歩き、音を立てていません。これは、神を敬っているからだそうです。笛や鼓の流れるような音楽は心地よく、私の心に響いてきました。強さと華やかさの両方を兼ね備えた能の音楽は、能を演じる方々をより一層引き立て、とても迫力がありました。
 2つ目は、能面です。女人の能面は、角の生えた怒りを表すときの面と、それ以外の時につける面の2種類しか無いそうです。怒りの顔に変わったら、前の顔には戻れず、それを悲しむ場面が出てくる演技もあるそうです。「2つの面だけでは、感情を表せないのでは?」と思いました。しかし、感情を表すのは、面ではなく動作でした。能では、感情を表す動作の事を「型」と言います。型は、手を額の方へ動かして泣くという気持ちを表すなど、手や足を使って気持ちを表します。能の独特な気持ちの表し方を鑑賞し、実際に能の「型」を体験することもできたので、とても楽しい時間を過ごせました。
 今回、「観世流 能」の観劇をしましたが、とても難しかったため、まだ理解できないところが多くありました。今度日本の歴史ある文化に触れる時は、もっと事前に調べてから鑑賞したいと思います。古文の授業では、能に出て来た難しい文を読むそうです。これからの古文の授業が楽しみです。

  

4組 

 私は「能」という言葉は知っていましたが、実際の能を見たのは初めてでした。私は小学校の時、鼓をたたいたことがあります。能は鼓や笛に乗って昔の踊りを踊るものだと思っていました。能を見る前に受けた授業で、能には長い歴史の中で出来上がったもので、様々なしきたりに従って物語を演じることだと知りました。能には舞台があって松の木など様々な事柄が決まっていることに驚きました。また、能面という面にもいくつか種類があって、小面や般若の面は見る方向によってさまざまな表情を表現できることに驚きました。実際の能を見ると想像しているものとはだいぶ違いました。動きに切れはあったけれど、ゆっくりしていました。音楽のリズムは早くなったりゆっくりしたり複雑なものでした。特に笛は印象に残りました。私はピアノを弾いていますがクラシックとは全く方向性が異なるものだと思います。役者の台詞は難しくて聞き取ることができませんでした。舞台の内容は解説文があったので少し理解することはできましたが、解説文がなかったらわからなかったと思います。能は例えて言えば日本の古典的なミュージカル様式の詩劇ということだけれど、能の動きの中には多くの決まりがある中で物語を表現するということが面白かったです。私は日本の古典芸能を見たのは初めてでしたが、古典芸能の奥深さを知ることできたので、これからは狂言や歌舞伎などの演劇に興味を持てるようになればいいと思います。

  
 


5組 

 10月31日に、観世流の能の観劇会がありました。「井筒」という題目の能で、観阿弥、世阿弥の子孫方に当たる方の能を鑑賞させて頂きました。最初の45分間は能を行う上で基本となる動作について実際に学びました。能は必ず面をかぶって舞うので悲しい、嬉しいなどの感情は表情から読み取れません。そのため舞台上では動きで表現をするそうです。例えば「悲しい」は左手をゆっくりと息をしたに吐きながら左目の所に持って行きます。「嬉しい」は息を上の方に吐きながら手を仰ぐようにします。「怒り」は、左右の手をパンと音を立てずに合わせる動作をします。実際にやって、舞台上ではこんな気持ちでこういう風に舞っているのかと実感出来ました。つぎに、実際に「井筒」を鑑賞しました。物語は、ある秋の日に諸国を旅する僧初瀬参りの途中に在原寺に立ち寄りました。そこに、仏にたむける花水を持った女が現れました。その女は幽霊で成仏出来なかった在原業平妻でした。2人は小さな頃にこの寺で背比べをし、和歌を読んで結ばれたそうなのですが有る日在原業平は不倫をして妻はなぜか問いただそうと業平を追いかけますが、男は井戸の近くの木に登ったそうです。妻は井戸をのぞくとそこには男の顔が浮かび上がっていて、飛び込んだと勘違いしたそうです。そして妻も飛び込み、成仏できないままさまよっていたので最期にこの世で舞を舞わせて下さいと言い、成仏して行きました。私はとても切ないストーリーだと思ったし、とても奥深さのある作品だと思いました。今回、このような貴重な体験ができて嬉しかったです。ありがとうございました。

  
  

6組 

 私が初めて能を知ったのは小学五年生の時で、社会の歴史の授業で観阿弥と世阿弥が出てきたところから知りました。私はその時、少し能に興味を持ったので、観阿弥と世阿弥について自分で少し調べてみたこともありました。そして中学校に入ってから、能を鑑賞出来ることを知って、楽しみにしていました。実際に鑑賞すると能の背負っている歴史的な重さのせいか、かなりの迫力があって、とても面白くて、見てよかったな、と思いました。また、今回は能の歴史や能の表現などについても教えて下さったので、とても貴重なイベントになったと思います。悲しみや怒りなどの感情を、ゆっくりと一つ一つ表現する舞がとても印象に残りました。ちょっと理解するのが難しかったところもありました。けれども、私はとにかく今回能を見ることが出来てよかったです。他にも見る機会があれば、色々な能を見てみたいと思います。私は小学五年生の時に知ってから観阿弥と世阿弥のことをよく覚えていて、それらは私にとってはかなり印象が強かったので、今回見た能はとても心に残りました。観阿弥や世阿弥に直接会ったことはありませんが、彼らの残した能はまるで本物の表情が色鮮やかに舞っているように素晴らしいもので、とても印象が強かったです。またこのような貴重な機会があればいいなと思います。

 


7組

 私は国語の授業の際に初めて能というものを知りました。能というのを教科書に記載されていた写真で見ました。写真を見た限り私は歌舞伎に似ているなと考えました。そこで私は調べてみました。そうすると能と歌舞伎の違いを調べてみた所、能とは室町時代にでき、面をつけるのに対して歌舞伎とは江戸時代にでき、白塗りをしたりします。簡単にまとめるとこのような感じです。そして、観劇会が近くなってきて実際に能を鑑賞できることを知りました。そして、当日になり、始めの45分程は能について山階彌右衛門さんが解説をしてくれました。能の基本のすり足のすり方や能の面については女の人の顔は怒っている時だけ般若になり、それ以外は体の動きで表現するとおっしゃっていました。実際に私たちがやってみたりして役者の方々はすべての動きを覚えて能を演じていると思うと本当に大変なのだと感じました。やはり、顔の表情は人と話したり、演じたりする際にはとても大切なことなのだと考えさせられました。そして、なにより女の人の役を男の人が女の人の身振りをして演じているのに驚きました。そこは歌舞伎と能の共通点なのだと考えました。また、女の人の衣装はとても重く、少なくとも10s、重くて20s程で小さい子供を背負っているくらいで、それですり足をしたりするのはとても集中力がいるものだと感じました。実際に能を見てやはり歌舞伎とは違い良い意味で派手ではなく、おしとやかな感じで見られたので驚いたりすることなく吸い込まれるようでした。また、人生で能を見る機会なんてあまりないと思われます。今回の井筒は国語の授業でも学んだことだったのでより良い経験になりました。

          

8組

 「日本芸能 能 観劇会」を鑑賞して、初めて知ったこと、勉強になったことなどがたくさんあり、僕は今までで一回も能を見たことがなかったので貴重な体験でした。今までで、最初に見た能は、山階彌右衛門さんが司会をする、「井筒」でした。この能を見る前の説明の時に勉強になったことは、舞台に出た時は汗をかいてはいけない、歩くときはすり足で歩くなどです。能には色々作法があって能を演じる人たちは大変だなぁ、と思いました。そして、すり足の説明の時に、山階さんが、「皆さんがもし、廊下を走るときはすり足で走るとばれない。」とおっしゃった時、僕は実践してみようと思いました。山階さんが能は最低限の音しか出してはいけないと説明してくださって、実際に見てみると、びっくりするくらいに静かでした。また、能に出てくる仕草を教えていただきましたが、その中で難しかったのは、怒っているときの動作でした。なぜなら、これは拍手の動きを少し大げさにしたものでしたが手を合わせるときに音を出してはいけなかったからです。今回見た「井筒」は、お墓に出てくる霊が主人公であらすじを見ると、とても悲しくなるような内容でした。この「井筒」という作品はとでも上級者向けで中学生の僕にはあまり分からない所もありましたが、時折山階さんが出てきて説明してくださったので僕にでも理解ができました。最後に、山階さんが時折笑い話を交えながら説明して下さってくれたので、能について少し詳しくなれた気がしました。僕は能の礼儀を普段の生活に生かしたいと思います。