三つの柱に基づいて

 この修学旅行は、一生忘れることのできない貴重な経験になりました。「歴史・平和・異文化学習」の三本柱の下、盛り沢山の行程で、数々の素晴らしい体験をしました。特に印象に残ったことについて考えてみたいと思います。
 まず一つ目は、松下村塾です。部屋は驚くほど狭く、僕の部屋とそう変わらないほどですが、その中に何十人もの塾生を招き入れ、幕末から明治時代の日本を主導した英雄たちを多く輩出したのです。吉田松陰先生は、これからの日本のことを思い、親や弟子に愛情を注がれる人柄でもあり、師匠が弟子に一方的に教えるのではなく、松陰先生が弟子と一緒に意見を交わしたりしたそうです。文学以外にも、水泳や登山を行うなど、「生きた学問」を教えていらっしゃったそうです。僕は、現代の教育にも通ずるものがあると思いました。日頃学校で学んでいるグループディスカッションのように、意見を出し合い、その結果を発表するグループワーク方式で進められていたのではないかと考えました。まるでアクティブ・ラーニングのように、弟子に思考力、判断力、表現力を養っていたのかもしれません。
 二つ目は、異文化交流により、様々な国の方々と、お互いの文化や歴史などを、英語でコミュニケーションをとることができたことです。僕の班では、香港出身の留学生の方がお相手でした。最初は、緊張と自分の英語が通じるのだろうかと不安になり、なかなか話しかけられませんでした。しかし、留学生の方から優しく積極的に話しかけて下さり、香港の様子や、現在学んでいることなどをお聞きすることができました。英語で会話することは楽しいことなのだと思い、よい経験になると同時に、公用語である英語の大切さを痛感しました。今後は、英語の四技能をもっと勉強し、アメリカ・アカデミックツアーや、オーストラリア短期留学にも是非参加してみようと思いました。
 三つ目は、平和学習の柱である「広島平和記念公園」にて行われた、被爆者に哀悼の意を込めてのセレモニーです。負の遺産である原爆ドームを間近で見ると心が苦しくなり、言葉を失いました。今まさに自分の立っている足下に眠っている被爆者たちの悲痛な声が聞こえてくるような気がしたからです。鉄筋の廃墟となった原爆ドームが一層痛々しく感じられ、得体の知れないもの重々しいものが僕に押し寄せてくるように感じました。かつてこの場所で多数の人々の命が一瞬にして失われました。当時の人々が抱いたであろう恐怖、不安、悲しみ、絶望などが感じられ、涙があふれてきました。僕は、この光景を記憶に刻み、生涯忘れることはないでしょう。戦争は、人の命が犠牲になるだけでなく、精神や判断力をも侵し、憎しみや悲しみを生みます。そのようなことは絶対に止めなければなりません。戦争という悲しい歴史を変えることはできません。しかし、唯一の被爆国である日本にしかできないことがあるのです。広島・長崎を合わせて三十五万人もの尊い命が失われました。資料館には、とても生々しく残酷で思わず目を覆いたくなるような写真もありました。しかし、目を背けずに、現実に起きたことなのだと受け止めることが、僕たちの使命なのだと思いました。現在、「死ね」「消えろ」などとナイフのように鋭い言葉が溢れています。それにより、自ら命を絶った人のニュースも世間を騒がせています。僕たちは、軽々しく人を深く傷つけたり、簡単に命を落としたりしては、絶対にいけないのです。戦争中に生きたいと強く望みながらも亡くなった人々のためにも、絶対に許されないことです。実は、僕の曾祖父も戦死しています。まだお腹の中に祖父がいた曾祖母を残し、遠い遠い地で亡くなったのです。これから楽しい未来がある一つの家庭は壊され、残された曾祖母はどれほどの悲しみや絶望を背負い、もがき苦しんだことでしょう。その痛みは、今の僕にははかり知ることはできません。僕がこの世に生を受けたことは当たり前ではないのです。命のバトンを繋いでくれたことに感謝しましたし、人の命は尊いものだと実感しました。世界中から核兵器が一日も早く亡くなることを心から願わずにはいられません






修学旅行に参加して

 私は、今回の修学旅行で国際、歴史、平和学習の三本柱やそれ以外にもたくさんのことを学ぶことができました。そして、様々な場所で言葉にならないような感情を抱いたり、感動を受けました。 例えば、国際学習を通して、異文化理解について学ぶと同時に、今の自分に必要なことも学ぶことができました。私は、修学旅行に行く前、異文化交流が憂鬱でしかありませんでした。それは、「そんなに上手く英語なんて喋れないし、分からない。」といったネガティヴな気持ちだったからです。しかし、3日目の宮島自主研修の時私たちの班は、グリコをしていて外国人の方と仲良くなり一緒に写真まで撮ってもらいました。この時、外国人の方と交流するのはこんなに楽しいものなんだと気づくことができ、次の日の異文化交流が楽しみになりました。実際に、異文化交流では、自分から留学生の方に話しかけて会話をすることができました。この時の気持ちは、これから先に、自ら何かに挑戦する時に思い出すのではないかなと思います。また、私たちの班の留学生は、日本のことをたくさん知っていたり、英語が母国語ではないのに私たちが分からなそうにしていたら違う言い回しをしてくれました。その時私は、「もし留学した時、こんなことができるのだろうか。」と考え、今の私には多分できないと思ったので、もっともっと英語の勉強をしようと思いました。しかし、今回の異文化交流で学んだことはこれだけではありませんでした。挑戦する心、失敗を恐れない心、あと一歩の勇気そして、ポジティヴにとらえることを学びました。これらは言い換えると、逃げない心をもつということだと思います。それは、今の私にとても必要なことであり、部活や授業中など様々な場面ででてくると思います。また、逃げるということは、自分自身に負けることだと思うので、「自分自身に負けない。」をどんな時も忘れずに様々なことに挑戦していきたいです。
 平和、歴史学習では、今まで自分が考えていた世界の小ささに気付かされました。戦争はとても悲惨なものであり、二度とおこしてはいけないものだと思ってきましたが、思うだけではいけないと学びました。まずは、いじめをしないということや世界中で差別がなくなるように行動していくことが大切だと思います。松下村塾ではたった8畳の部屋から何人もの偉大な人が出ていると知り、どれだけの努力を切磋琢磨して行ってきたんだろうと思いました。私は何事にも努力は必ず報われると思っています。しかし、報われていない努力があるかもしれません。それは、報われていないのではなく、まだ努力と呼べないんだと思います。だからこそ、私は、努力したつもりでいることなく、努力と呼べるようになるまで諦めずに様々なことを頑張りたいです。





相手を理解しよう

 僕は、修学旅行の事前準備前まで核についてはなんとなくしか知っておらず、ただ、核はいけないとしか思っていませんでした。 しかし、事前学習をしているうちになんでわざわざ、日本に二発も落としたのか疑問に思い始めました。
 そこで僕は課題の事前学習以外にもアメリカが二発も原爆を落とした理由をインターネットで調べてみました。 それより、実はアメリカが核の実験を行い、核の脅威や自国の実力をソ連に知らしめるためだとわかりました。 その実験台が日本の街のことで、わざわざ二つの核燃料が違う原子爆弾を投下したということです。 実際、アメリカが広島を投下先にした理由も実験に適した規模の街だったからです。 また、アメリカにとって日本以外にもドイツやイタリアも敵国であったにもかかわらず、日本を選んだ理由は ある作者によると白人至上主義という人種差別が背景と考えているそうです。被爆者による平和講話でも、 「核兵器使用しかり戦争をなくすためにみんなができることはひとつある。それは差別をせず、いじめをしないということ」 とおっしゃっていました。また、そのことは世界が平和であり続けるためには不可欠で基本であることもおっしゃっていました。
 そのためにはどうすればいいでしょう。僕は、昨年の夏に行った個人のアメリカ短期留学や今回の修学旅行にあった 異文化交流プログラムでも、自分の言っている英語があやふやで相手をこまらせたり、逆に相手が言っている英語があやふやで 自分がこまったり、相手はちゃんと言っているはずなのに自分が良く理解できずこまったりしたこともありました。 しかし、話す人全員がたとえ、相手の言っていることがわからない、もしくは分かりにくくても、言葉以外のなにかを使い理解をしようと 努力して乗り切りました。僕はこの経験より、話すコミュニケーションではむしろ、そのなにかの方が大切だと考えています。 そのなにかとはジェスチャーとかアイコンタクトとかです。簡単にまとめると、相手の言っていることを理解しようとすることと 自分の言いたいことをしっかり伝えようとすることがあわさることです。特に前方はこの段落に書いた答えで最も大切なことです。
 もし、相手の言っていることを理解しようとしなければどうでしょう。そうなると自分の言いたいことが伝わらないことや相手の 言っていることが理解できないことによりもめごとが起こってしまいます。それが戦争につながります。
 僕は、これより差別とは相手のことを理解せずにただ自分の意見をぶつけ、自分の都合のいいように人を使うことで、 それがエスカレートしたのがいじめだと考えます。そのため、よいコミュニケーションをとることが平和であり続ける第一歩と考えます。





修学旅行を通して

 十一月八日から十一月十二日の五日間は私にとってかなり濃い出来事が詰まった五日間でした。校長先生は修学旅行の目的として三つの柱をかかげていらっしゃいました。その全ての柱は私の糧となりました。
 私の一番の柱は異文化体験学習です。私にはアカデミックツアーやオーストラリア短期留学といった海外と触れる機会があるもの全てに参加してきませんでした。なので、外国の方とコミュニケーションを取ることは初めてでした。怖かったです。英語が筆記もリスニングも苦手で嫌いな私が出来るわけない、とずっと思っていました。ましてや班長なんて務まるわけない、と思っていました。修学旅行に行きたくなくて、先輩から励まされてもその気持ちは変わりませんでした。
 そんな気持ちのまま、異文化交流の時間をむかえました。後ろに待機してらっしゃった外国人の方を見た瞬間、震えがとまらなくなってしまいました。友達にずっと背中をさすってもらいましたがそんなことをさせてしまう自分に嫌気がさしました。班長である私は外国人の方に一人で聞きに行く機会があったのですが何を言ってくれているのか分からなくてただ身振り手振りすることしか出来ず、こんなことならちゃんと英語が出来る人がやった方が価値があるのに、と思いながら目の前のラーマさんに笑いかけていました。自分の席に戻る時、私はほんの少し理由の分からない涙を流していました。 班毎で模造紙を書きあげる時も私は平常を保つことが出来ませんでした。友達から、こういうことを書いて、と言われても、英単語が分かんないから、とキツく当たりました。自分の勉強不足のせいなのに、分かっているのに口が勝手にうごいて、様子を見に来た先生にも当たりました。終了時間になって残ったのは他の班とは明らかにレベルの低い模造紙と悔しさと罪悪感でした。
 移動中、友達への申しわけ無さで目に涙をうかべていた私に、とある一人の友達が私に声をかけてくれました。 「百々さん、ありがとう。私達のために必死に模造紙を書いてくれていたの知っていたし、ちゃんと見てたよ。本当にありがとう。」 もう、涙はとまりませんでした。嬉しかったし自分が本当に情けなかったんです。自分の愚かさに強く気づかされました。 私が泣いていることに気づいた隣に座るラーマさんは私に声をかけて心配してくれました。上手く話せずうなずき、ある程度泣き止んだ私は三、四組と五、六組の発表が入れ替わる時にたどたどしい英語で感謝を伝えました。ラーマさんは優しく笑って泣いていた理由を聞きました。言葉を発せなくなっているうちに発表が始まっても尚、私をラーマさんは見つめてきます。気をきかせたラーマさんは携帯電話を取り出し渡しました。簡単に理由を説明すると、ラーマさんは一生懸命励ましてくれました。間違いは怖いことではない、大丈夫だ、と。英語が上手く理解出来ないでいましたが、止まっていたはずの涙はまたぽろぽろと溢れ出し、ラーマさんが日本語で頑張ってと言ってくれた時には完全に泣いてしまいました。
 異文化交流で、私は自分の不甲斐なさ、学力の無さ、友達の大切さ、笑顔の強み、言葉の力、そして国籍を超えれるつながり、全部学べました。行きたくなかった修学旅行も本当に行って良かったと思えました。本当に充実した時間でした。英語に対する苦手意識はまだ消えてないけれど少しずつ克服出来ればいいなと思います。そしてラーマさんにいつか会えるのなら、改めて英語で感謝をしたいです。








修学旅行

 まず、修学旅行とはなんなのでしょうか。僕にとっての修学旅行とは、3年間学校で何を学んできたか確認するための旅行なのではないかと思います。辞書での意味は知識や教養を広める目的で、学校行事の一つとして行う旅行という意味でした。今回の四泊五日の修学旅行では大きく分けて3つの学習があったと思います。
 まず一つ目、歴史学習についてです。修学旅行初日に僕達は萩の町の観光として松下村塾に行きました。松下村塾とは吉田松陰が同塾で指導した短い時期の塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出した私塾で、僕は名前は聞いたことあるけどあまりよく分かりませんでした。

 次に平和学習についてです。平和学習では実際に被爆経験のある瀬木さんという方から体験談を聞きました。いかに戦争が愚かで残酷な行為であるかということを改めて知ることができました。体験談を聞いてどんな状況だったのかイメージしようとしてもなかなか想像することができませんでした。また家族が原爆や原爆による放射能や熱線などの影響でガンなどになり死んでしまったこと、そのことがどれだけ辛いことなのか改めて知りました。今北朝鮮問題で核兵器がどうこう言われています。ですから他人事だと思って聞いていたら他人事のように扱っていたらいつか後悔するだろうと思います。もし自分の住んでいる地域に核兵器が落とされたと考えてみてください。その時どうすればいいのかわからない時に広島、長崎の原爆は一つの例になると思います。

 次に修学旅行4日目に行った異文化学習についてです。異文化学習の時シニアバディと会話する時完璧な英語じゃなくてもいいのに完璧な英語を求めてしまいあまり喋ることができませんでした。また身振り手振りで伝えることを忘れていてあまり交流することができませんでした。だけど相手の国と日本とではどのようなことがどのように違うのか理解することはできました。 今回の修学旅行は29期生が全員が全員で切磋琢磨することができる最後のチャンスだったと思います。僕はこの修学旅行で全員とではないけど多くの人と切磋琢磨することができたと感じました。また中学3年間分の楽しい思い出もでき、協力してくれた親、友達、先生をはじめとする多くの人に感謝していきたいです。





修学旅行での平和学習

 僕は今回の修学旅行を通して、普段の学校生活の中では学ぶことのできないとても様々な経験をすることができました。その中でも特に印象に残ったことは、広島での平和学習です。特に瀬木先生の被爆体験の話では、瀬木先生が子供時代に実際に広島で原爆の脅威を目の当たりにし、今までの生活を失ってしまった話を聴きました。今までに僕は何度も原爆の悲惨さを描いた絵や写真、文章を見たことがありましたが、今回生まれて初めて実際に原爆による被害を体験した方の話を直接聴き、今までには感じたことのないはっきりとした原子爆弾や戦争に対する恐ろしさを実感しました。瀬木先生の話の中では母が原爆の熱により顔の皮が剥がれている様、兄の背中に無数のガラス片が刺さり痛がっている様、父親を探すために黒焦げになった死体の上を歩いていく様、まだ息をしている人間が死人と同じように並べられ、必死になにかを求めて指を動かしている様など、今の僕らが置かれている平和な暮らしからでは想像もつかないような悲惨な光景が何度も出てきました。話を聴いていて耳を塞ぎたくなるようなことが何度もありました。しかし、瀬木先生は70年以上前というとても昔の辛い体験を、いつ、どこで、どのような行動をとり、どのようなことを感じたのかというところまではっきりと鮮明に覚えていて、それを思い出すだけでも瀬木先生自身の心が痛んでいるに違いないのにもかかわらず、その話を僕達に熱く語ってくださいました。そのため「この話から耳をそらしてはいけない。」「この話はきちんと知っていなくてはいけないことである。」と思いました。身体には腫瘍があり、余命が残り数年であると医者から告げられている中であっても、行きている限り僕達に平和について語ってくださっている瀬木先生のためにも、原爆を含め戦争で亡くなった人のためにも、僕達は原爆や戦争へのきちんとした知識をもち、自分の考えを確立させていかなければ失礼であると感じたからです。たった今であっても僕らの平和な暮らしのすぐ外側を見てみると、隣の国では核ミサイルなどの兵器の開発や実験が続き、時には僕らの平和な生活にも足を踏み入れてくることも多くなっています。平和ボケをしている僕達にはミサイルが日本上空を通過した「だけ」ではこの一件は笑い話にもなってしまいます。しかし、この事件は一歩踏み違えると広島、長崎の惨状を再び繰り返すことになってしまいかねません。
 そして今回、広島は原爆が落とされた時にどのような被害を受けたのかということを心が痛くなるほど教えていただき、このようなことをもう二度と繰り返してはならないと強く感じました。そのためにも僕達は今回の話を強く心に留めて、周りの国々との関係について気を引き締めて考えていく必要があります。今後日本が核兵器を保有する、しない、のどちらの手段を取ることになったとしても「世界唯一の被爆国」としての核兵器との接し方というものがあると思います。そしてその唯一の被爆国である日本は「世界唯一の被爆国」を「世界最初の被爆国」にならないようにするために、どのような形であっても平和の大切さを世界中へ伝えていく必要があると思います。しかし、戦争により沢山の傷を負い、苦しい思いをしてきた瀬木先生が一番最後に僕達に伝えてくださったことは、今後の日本の在り方や世界情勢などのスケールの大きいことではなく、「いじめや差別はしてはいけない」というとても端的なことでした。原爆によるとても壮大な話を聴いた最後にこのようなとてもシンプルなことを言われるとは思っていなかったため初めは驚いてしまいましたが、瀬木先生は、いじめや差別をなくしていくことが平和へ繋がっていく、とおっしゃっていました。このことについて自分なりに考えてみると、世界中では今までに何度も些細な差別などから始まった戦争があったことを思い出し、常日頃から些細な差別やいじめをなくすことに努めていけば大小問わず様々な問題を起こさずに済みます。そして、一人一人がこのような心を持ち日々の生活をしていけば、戦争の防止にもなり、平和な世界へと繋がっていくのだということを感じることができました。今回の修学旅行で僕は平和学習で平和の大切さを強く感じることができました。
「ビリョクだけどムリョクじゃない」この言葉の通りに、僕一人だけの力では世界から核兵器を取り除き、世界を平和にすることはできませんが、世界の人口70億人以上の一人一人が秘めている平和な世界への願いを強く心に抱き、行動に移すことができれば、必ずその平和な世界は実現する と信じています。遠藤先生は、瀬木先生のように実際に被爆をした方の体験談を聴くことができる人たちは僕たちの世代が最後になってしまうかもしれないとおっしゃっていました。そのような中、これからの僕達ができることは、今回の平和学習で学んだ核兵器や戦争の恐ろしさ、平和の大切さを次の世代へときちんと正しく鮮明に伝え、全ての人々に秘められている平和な世界への願いを芽生えさせることであり、それが使命であると思います。






世界で活躍する人材となるために

 僕は今回の修学旅行において、国際教育、平和教育、歴史教育について深く学び、そして大きく世界で活躍する人材へと成長することができたと思います。
 まず歴史学習については萩の東光寺や松陰神社などを見学し、特に松下村塾では高杉晋作や伊藤博文などの明治維新の原動力となった多くの偉人を輩出したということもあり自分もこの「世界を築く礎」となった人たちのように自分も日本、世界を担うリーダーとなるために日々努力していきたいと思います。また、広島の宮島では厳島神社の平家の栄華に思いを馳せ、また、今までの歴史で多くの偉人たちがここを訪れたかと思うと厳島神社の偉大さというものが強く伝わり、歴史の重さも強く感じました。
 次に平和学習では、被爆体験者の瀬木正孝先生の講話を伺いました。瀬木先生の講話はこの修学旅行で一番心に響き、自分を成長させることができました。なぜなら瀬木先生はご高齢だとは思えない力強い口調で自分の家族の原爆投下時の様子を語って下さり最後に先生は「私が一番今言いたいことは今の君たちができる事は周りから人を差別したりいじめたりしてはいけない。命は自分のものではなく日本社会や親の宝なので思いやりの心を持って生きなさい。」とおっしゃっていたからです。僕はこの言葉を聞いて自分の命を人を差別したりするのに使うのではなく、この原爆で亡くなった人たち、日本社会のために世界から戦争を無くすために一生懸命努力して使いたいと思います。また原爆ドームや資料館を見学し原爆の悲惨さについて学びその当時の様子が思い浮かんできました。
 次に異文化体験学習では京都大学の法学部の留学生と「平和な世界になるコツ」について英語でコミュニケーションをとり相互理解を深めることができました。僕は今回の機会で自分の英語の未熟さを強く感じました。しかし最後に舞台での英語の発表をすることができた事はこれからグローバル化が進む社会で活躍するリーダーとなるための第一歩とすることができました。
 僕は今回の修学旅行を通して「自分が社会で果たすべき役割」について深く感じる事ができました。僕の将来の夢は政治家です。そして英語を使って日本の文化、歴史を世界に発信し、唯一の被爆国として世界から戦争を無くすために「心豊かなリーダー」として活躍していかなければならないと思います。そしてそのためにこれからはさらにコミュニケーション能力を磨き、表現力や発信力を高め自分の知識を将来の自分を見据えた主体的な学習によって高めていきたいと思います。そして今まで以上に自分を律し「規律ある進学校」の生徒として世界に恥じない人格を身に付けていきたいと思います。






修学旅行に参加して

 今回の修学旅行には、「歴史学習、異文化体験学習、平和学習」の三本柱がありました。
 まず、歴史学習では、多くの歴史的な偉人や総理大臣を輩出した山口県萩市へ行きました。どうして萩市から多くの偉人が輩出されるのか、自分でも調べてみると、色々な説がありますが、関ヶ原で負けた毛利氏が、長門国(現在の山口県北西部)に押し込められたため、主立った人物が萩の町内に集まり、独特の教育ができて、刺激し合い、才質が磨かれたからだそうです。その偉人たちが切磋琢磨し合った場所の一つが、私たちが見た松下村塾であると思います。そこで授業をしていた吉田松陰は、一方的に話をすることはなく、塾生の意見を聞くなど対話を重んじ、各人の個性や能力が尊重され、可能性を引き出すことができたそうです。これは、大学入試改革が行われ、自分で考える力、意見を言う力が必要となるこれからの時代でもとても大切なことだと思います。
 次に、異文化体験学習では、京都大学の留学生ジュマナさんと活動しました。私たちの班のテーマは、「どうすれば、平和で友好的な社会を築くことができるか」でした。前日に広島を訪れた私たちにぴったりのテーマだと思いました。他クラスのテーマは、たいてい相手の国と意見が異なっていましたが、私たちのテーマはどの国も同じ考えを持っていることが分かりました。話し合うときは、なかなか言いたいことが英語で出てこないこともたくさんありましたが、単語だけや身振り手振りで分かってくれて、ずっと頭の中で正しい英語を考えるのではなく、積極的になることが大切だと学びました。
 最後に、平和学習では、改めて戦争の怖さを学びました。しかし、今回、被爆体験講話で、私が聞いたのは今まで私が思っていたものとは別の怖さでした。瀬木先生がおっしゃったのは、「道ばたに死体がたくさん転がっていても普通におむすびを食べられた」というものでした。普段、全うな判断ができている人間なら、人の死体を見たあとには気分が悪くてご飯は食べられないと思います。しかし、そのような追い詰められた状況に陥ると、人は残酷になってしまうと知りました。戦争もそうして起きてしまったのではないかと私は思いました。国同士がもめ始め、どんどん追い詰められていき、残酷にもたくさんの人を殺し、傷つけてしまうのではないかと思いました。しかし、その元となるもめ事は、瀬木先生がおっしゃったように、人を差別したりいじめをしたりすることで起きてしまうと思います。これからもっと世界はグローバル化していきます。そんな中でお互いに思いやりの心がなければ、争いはなくなるどころか増えていくいっぽうです。だから、そうならないためには、みんなが思いやりの心を持って平等に付き合うことが必要だと思います。




戻る