イトロ少女合唱団の演奏会をお聴きして

7組 H君

今日のコンサートが始まる前、歌にあまり興味のない僕は、時間が過ぎるのを待つだけだろうというマイナスのイメージを持っていました。しかし、遙々遠い国、チェコから日本に訪れてくれたこと、数々の素晴らしい実績を上げていることから失礼ながら多少、興味が惹かれる部分がありました。そしてコンサートが始まり、その歌声を聞いたとき、呆気にとられました。曲の出だしと同時に、どこからそんな声が出せるのかと衝撃を受けると共に大変感動しました。機械のような正確な発声かと思えば、鳥のさえずりのような澄んだ声は、心の中に染み込んでいくような歌声でした。特に「もろびとこぞりて」という曲は昔よく聴いていて、歌を聴いたときは懐かしい気持ちになり、心打たれました。また母語でない言語を驚くほど上手に歌っていたことに驚きました。もし目をつぶって聴いたなら日本人の歌声だと思うほどでした。何カ国語も駆使して歌っているとなるとやはり世界トップレベルの合唱団は日々、相当の努力をしているのだと思いました。もし再び日本で公演するときは、是非とも会場に足を運んでみようと思いました。これからもさらなる感動を世界中に届けてほしいです。

このコンサートが自分に精神的に良い影響を与えてくれたのは間違いありません。この歌で得た感動を何か他のことに生かし、それをさらに他のことに生かす、と思うように何事もプラスの方向に進んでいくような努力をしていきたいです。>そして自分と同じくらいの年齢の少女達が世界中を回り、人々を感動させていると思うと、勇気も湧いてきました。まさか僕が、合唱を聴いて、こんなにも感動するなどとは、思ってもいなかったので、この感動を自分の成長に繋げていきたいと思います。今日の合唱は、僕の音楽に対する考え方を大きく変えてくれました。素晴らしい合唱をありがとうございました。

 







8組 Kさん

 始まりを告げる鐘の音が鳴り、登場した彼女たちは凛とした姿で、とても魅力的でした。登場してすぐ、合唱が始まり、彼女たちの歌唱力に圧倒されてしまいました。美しすぎるその声は、幾重にも重なり合い、大変惹きつけられました。一方で、一人一人の歌声に注目して聴いてみると、また違った魅力を味わうことができ、非常に楽しかったです。今回の楽曲構成は、今の時期にピッタリと合っていて、クリスマスソングから民族的な歌、そして日本ならではの曲まで全13曲ありましたが、誰もがどこかで一度は耳にしたことのある曲だったので、親しみ深く聴くことができました。

 少女合唱団の皆さんが、私たちを囲むようにして歌ってくれた時には、会場全体が彼女たちの素敵な声に包み込まれ、一つに融合するような感覚を大ホールにいた全ての人が感じたのではないかと思います。彼女たちの中には、それぞれソロパートを担当していましたが、私はそのような彼女たちの姿を見て、私だったら歌詞が飛んでしまったり、不安になったりしそうだけれども、彼女たちは、そのような不安を感じさせることなく、完璧に歌い上げていたので、その姿を尊敬するとともに、彼女たちは本当に歌を歌うことが好きなのだろうと思いました。それと同時に、私たちの目の前で、何気なく合唱を行っていた彼女たちも、私が想像する以上に厳しい道のりを辿ってきたのだろうと思いました。一握りの人だけが通ることを許された本当に厳しい道のりを辿ってきたのだろうと思いました。そのように考えながら聴いていたので、彼女たちの歌に、より一層胸を打たれました。中でも、「花は咲く」の曲は、彼女たちの透き通った歌声と歌詞に込められた想いが相俟って、ゆっくりと胸に溶け込むようでした。

 夢を追いかけ、異国の地で懸命に公演している彼女たちの姿を思い起こすと、その力強さと歌うことへの真っ直ぐな気持ちを今でも感じることができます。今回のコンサートは、自分にもいつか、そのように取り組めるものを見つけたいと思わせてくれるものでした。

  







9組 K君

 127日、私は「合唱」という言葉の意味を知りました。 というのは、言葉としての、額面通りの意味ではなく、 もっと概念的なものです。

決して今まで合唱というものを嫌いで避けてきたわけでもない私は、これまで学校の授業や友人たちとの繋がりのなかで何度か「合唱」 を経験したこともあれば、映画好きということもあり、 様々な映画やミュージカル、メディア等を通して「合唱」 を耳にし、目にしてきました。
 しかし、チェコ少女合唱団≪イトロ≫の「合唱」 は今まで私が経験してきた「合唱」とは明らかに違っていたのです。

目を閉じ、彼女達の歌声を聴いた私の頭の中に浮かんだ光景は、教会でした。 ステンドグラスに彩られた大きな壁、ドーム状の天井の天辺からは華やかなシャンデリアが垂れ下がり、 ステンドグラスから射し込む陽光と合わさり、眩しい、 神聖な光となって私達に降り注ぐ。

ふと、絶え間なく耳に届く音色に気付いて顔を上げれば、正面の壁に組まれた圧倒的なスケールとサイズ感を持ったそれの存在を知る。

とてもとても大きく、それでいて繊細な音色を奏でるパイプオルガン・・・、それが彼女達のイメージでした。
他に類を見ない圧倒的な歌唱力、そしてそれを指揮し、聞く者の心を鷲掴みにして離さない超次元のパフォーマンスを実現させるイジー・スコパル氏。

彼女達の織りなす合唱を聴けば聴くほど、私の中で公演会の始めに耳にした「世界一」という言葉、その意味、価値が強い説得力を持つようになってきました。

 ところで私が最も感動した楽曲は「花は咲く」でした。東日本大震災の復興テーマソングとして選ばれ、多くの人に歌われたこの曲は、当然私も幾度となく歌ったことはありました。テレビで流れるたびに。被災地を応援したい、という一心で。
私が何に感動したのか。彼女達の歌声の美麗さ、日本語の発音の上手さに・・というのも、もちろんありますが、私は歌が持つ力に強く感動したのです。

彼女達はもしかしたら東日本大震災が起こったことなど知らないかもしれない。復興を願って、という思いなどは、なかったかもしれません。しかし、そんなことは関係なく彼女達が歌い、奏でた「 花は咲く」は間違いなく被災地で今も復興活動に勤しんでいる方々の心に届き、彼らの力となった気がします。

「歌には力がある。」最初に言った人は誰なのでしょう。全くその通りだと思いました。言語の壁も、宗教の壁も、人種の壁も容易に乗り超えてしまう、そんな力があると思うし、そのことに改めて気づかせてくれたチェコ少女合唱団≪イトロ≫に感謝すると同時に、こんな素敵な機会を下さった本校に入ることができて本当に良かったと思いました。

 この世界にはポップス、ジャズ、ロック、そしてミュージカルやオーケストラ、合唱など多種多様な「音楽」があります。今まで聞かなかったもの、知らなかったものがまだまだ沢山あるのでしょう。
これからの人生の中で一体どれだけの音楽に触れ、感じ、楽しむことができるのか、本当に楽しみになる、そんな公演会だったと思います。

 







10組 Yさん

「その日に予定がなければ公演にぜひ行こう。その日に予定があれば、キャンセルしてでも公演に行こう」。そして、「イトロはアメリカの全合唱団の歌唱様式や性格を変えた」。合唱団のことを何も知らなかった私はこれらの言葉を聞いた時、何を言っているのだろうと思いました。自分と同世代、または私より年下の女の子たちが予定をキャンセルしてまでも見に行くべきものがあると言ったり、アメリカの合唱様式を変えたりとはいったいどういうことだろう、と正直思いました。

しかし、実際にその合唱を聴いて、その意味がわかりました。「すごい」、ただその一言に尽きます。理由はなく、ただただ胸に染み、鳥肌が立ちました。私は声楽のことは全く分かりません。ただ、イトロ・チェコ少女合唱団の歌声は一般の人とは声の重みも通り方も全く違うように感じました。合唱について何も知らない私がたいそうなことは言えませんが、私のような素人が「すごい」と感動すること自体が「すごい」ことだと心から思いました。

イトロ・チェコ少女合唱団のみなさんは歌っているとき、とても生き生きとしていました。楽しく歌うときは身振り手振りをつけて、聴いている側も、心がうきうきしてしまうほど楽しそうに歌い、しっとり歌うときはホールの空気をガラッと変えて歌ってくださいました。

公演では私たちの知っている曲も含めて12曲ほど歌ってくださいましたが、その中でも私が一番感動したのは日本の歌である「花は咲く」です。この曲は東日本大震災の後、NHKが作成した曲で、復興応援のチャリティーソングです。紅白歌合戦で歌われたり、フィギュアスケート選手の羽生結弦選手がこの曲でスケートを披露したり、今までたくさん耳にしてきました。私が小学生の時にも歌いました。

「誰かの想いが見える 誰かと結ばれている 誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に」

当時、小学校の教室で体験した地震とテレビで流れる津波の映像が怖くて仕方ありませんでした。後に、「花は咲く」の歌詞を知り、心打たれるものがありました。そんな「花は咲く」をイトロ・チェコ少女合唱団のみなさんは日本語で歌ってくださいました。ソロで力強く始まり、さびのところで、全員の声が交ざります。手に花を持ち歌うその姿と声に、大変感動しました。訳もなく涙も出てきました。

素敵な歌を聴けて本当によかったです。そして、貴重な体験でした。今では「予定をキャンセルしてでも聞きに行くべきイトロ・チェコ少女合唱団の公演」と言われる理由が分かる気がします。また日本に来日するときは、大切な予定があっても公演を聴きに行く、そんな気持ちです。ありがとうございました。

 

 

 







11組 D君

先日、江戸取オーディトリアムが天使を思わせるような歌声に包まれました。僕は、彼女たちの歌声を聴いている間、別世界にいるように感じ、心地よい気分になり、また不思議な感じもしました。

  音楽の美しさは、テクニックと音色の美しさと表現の豊かさで成り立っています。彼女たちの演奏は、これら3つの要素を全て満たしていました。テクニックの面では、歌い出しの揃った発声、声量、そして歯切れの良さがとても良かったです。音色の美しさの面では、声がとてもよく響いていて、またヴィブラートの量がほどよくとても印象に残りました。そして、一人一人がそれぞれ素敵な声でした。また生まれ持った才能もあることがわかりました。そして、表現の豊かさの面では、声質の強弱の幅が広く、どのような音をどのような箇所で、どのように歌うかが、よく考えられていてとても素晴らしかったです。その上、表情に豊かな情感が溢れ、完璧の一言でした。

 僕は、ヴァイオリンを弾いているので、同じ演奏家として見習うべきことがありました。それは、舞台上での自信です。僕は、本番でとても緊張するため、演奏のスケールが小さくなって、大きなミスをする傾向があります。その一方、彼女たちは緊張している様子もなく、堂々と演奏していました。その演奏の陰にはやはり、豊富な練習量と多くの公演を経験してからなのだと思います。それが彼女たちを緊張感から解きほぐしているのだと思います。気持ちを込めて練習に励んでいる姿が想像できます。これは一見、当たり前のことだと思いますが、とても大切なことです。これは、本当に見習わなければならないと思いました。舞台慣れも同様に大切で、演奏家の姿勢としての心得だと思います。 私たちは、彼女の歌声を聴いて、ある意味で奇跡を感じたはずです。もちろん、彼女達は、元々素晴らしい才能を持っていますが、ほとんどが多大なる努力によって成り立っています。私たちは、今回の演奏から、ただ単に感動したということで終わらせずに、彼女達を見習い、受験勉強をはじめ、自分の将来に向けてなすべきことを努力によって、彼女達のように奇跡を体現できるということをしっかり心に留めるべきだと思いました。

 

 







1組 Yさん

 イトロ チェコ少女合唱団の歌声は、美しい、綺麗といった言葉では語り尽くせないほどの純真で、輝くような歌声でした。全員自信に満ち溢れていて、聴いている側が勇気づけられました。このような素晴らしい合唱を聴くことができ、大変幸せだと思います。

 僭越ですが、元合唱部員として、イトロ少女合唱団がどのような点で素晴らしかったかを述べたいと思います。まず演奏が始まった時に感じたのは、その体力と腹筋の強さです。私達高等部生が聴いたときはすでに中等部生の前での演奏を終えた後でしたが、声に疲れを感じさせることなく、最初から最後まで歌い上げたことが、すごいと思います。次に、その一体感の素晴らしさです。合唱とは、集団で作り上げるものですから「苦手なところはお互いにカバーしあう」というところから始まり、「一人一人が完璧に歌える」状況を経て、「集団で一人の人間のようになる」という状況に至ります。通常の合唱団では、良くてせいぜい個々の実力が高く、うまいという段階までしか至りません。しかし、イトロの少女たちは完全に「一人の人間が複数の音を出しているように聴こえる」という段階に至っていました。そう聴こえる理由は、音がずれないこと、タイミングが揃っていること、そして声質が揃っていることです。音程はさることながら、タイミングに関して言えば、外国語の曲は子音に破裂音や巻く音が多く、揃えるのがとても難しいのですが、それを難なく揃えていたのには、本当に驚きました。さらに声質についてですが、イトロの方々は、大人の透明感のある美しさとは違う少女の合唱独特の発声法を駆使していました。空気の量よりも、音の伸びと声質の若々しさを優先させた発声に、私は感動しました。さらに、その演出にも感動しました。日本公演に合わせて、日本人が十二分に楽しめる曲を準備してくれていて、大変嬉しかったです。挨拶をした2人は流暢な日本語でした。しかし何といっても一番感動したのは「ハレルヤ」でした。想像していたのとは違う編曲でしたが、ハミングとじんとくるソロの歌声は、心から感動しました。ただ私個人としては、「こきりこ節」に感動しました。はじめプログラムをいただいたときは、なぜ最後にこのような不思議な曲を持ってくるのだろうと思っていましたが、今は、素晴らしい選曲だったと思います。そして、最後に強調したいのは何と言ってもその実力です。まずハミングですが、いったいどのような出し方をすればあのようにまっすぐで大きな伸びのある声質になるのでしょう。ハミングが大きく出せる人は、声も大きく出せるのですが、それにしても驚異的な音域の広さだと思います。また、パート編成はされていたとはいえ、先ほどまでアルトの声質だった方が、急にソプラノと同じ音で歌い、かつその高音が美しいことに驚きました。反対に明らかにソプラノの方の低音も美しく、豊富な練習量がうかがえました。さらに、ソロの方が、全く動じずに歌い上げたことに大変感動しました。もちろん人にもよりますが、急に一人で歌わなくてはならなくなるので、ソロはなかなかその実力を出し切れないものだと思っていました。私も、部活で二回ソロを務めましたが、練習の半分ほどしか実力は出せませんでした。努力の賜です。

 合唱、つまり「音楽」は、瞬間芸術と呼ばれ、その一瞬しかできないものです。形に残らず、すぐ消えてしまう、そんな「芸術」に青春をささげる彼女たちは、本当に輝いて見えました。そして、その様な彼女たちの「芸術」を聴くことができて、本当に幸せな時間を過ごせました。彼女たちの歌そのものは瞬間にしか存在せずとも、私の心の中には、これからもずっと存在し続けます。本当にありがとうございました。