社会見学(足尾銅山)中3生感想

 3年1組   

 今回、社会科見学で訪れた足尾銅山という場所は、受験の時や中学の歴史の授業で習い、公害が起こった場所として知っていました。しかし、足尾という場所に何が原因で公害が発生したのかやそこに住んでいた人たちがどのような影響を受けたのかについてはほとんど知りませんでした。だからガイドさんからたくさんお話を聞くことができてとてもよかったと思います。
 最初に訪れた本山精錬所ではガイドさんから当時の画像を見せて頂きながら歴史や鉱毒による影響について教えて頂きました。松木村に住んでいたたくさんの人々が精錬所から流れてきた鉱毒のせいで立ち退かなくてはならなくなり、松木村から人がいなくなってしまいました。被害はそれだけではなく、森林の木が枯れ、はげ山になってしまったと聞きました。そして現在、緑を増やすために植林を行っています。
 次に植林体験をしました。私たちが植林をする前にすでに植林されている苗木があるのを見て、ボランティアをしているのは私たちだけではないと感じることができてうれしい気持ちになりました。NPOの方々が百万本の木を植えることを目標に植林をして、昔のような豊かな緑の山に戻そうと頑張っていらっしゃいました。そのお手伝いができたことをとてもうれしく思います。私たちが今回植林をした苗木が何百年後かに大きく成長しているのを想像してもっと苗木を植えて早く豊かな山に戻ってほしいと思いました。壊してしまった自然を元通りにするのはとても難しいことですが、それを成し遂げようと頑張っている人たちをみて心を打たれました。
 最後に松木村跡へ行き、ガイドさんのお話を聴きました。昔はたくさんの人々が住んでいたが精錬所から流れ出た鉱毒や、煙として大気中に放出された亜硫酸ガスによる影響で人が住めなくなってしまったということを教えて頂きました。こんなに詳しく教えて頂いたのは初めてで、教科書には載っておらず普段気付くことができないことを学ぶことができました。教科書に載っている年号や事柄を覚えるだけでなくて自分が住んでいる国で起きてしまった歴史としてしっかりと記憶に残すことが大切だと感じました。公害が起こったことによって現在までもたらされる影響の悲惨さを忘れてはいけないと思いました。
 今回の足尾銅山見学を通して、自分が知っていたこと以上のたくさんのことを知ることができました。実際に行ってみないと分からないことがたくさんあると感じ、教科書では伝えきれないことだらけだと思いました。植林体験という貴重な体験をすることができて自分が見て感じたことを周りの人に伝えていけたら足尾に緑を増やそうとする人が増えてくれると思います。公害やその被害に遭った人々のことを私は忘れません。二度とこのようなことを引き起こしてはいけないと強く思います。
 

 3年2組 

  今回の社会科見学で、実際に足尾銅山や付近の村などを訪れてみて改めて公害問題の深刻さがどれほど大きかったのかを考えることができました。
 まず、鉱石を還元することによって金属を取り出す精錬と呼ばれる作業を行っていた本山精錬所跡を見学しました。公害の原因となったのは亜硫酸ガスであることは知っていましたが、そのガスを排出してしまった精錬のことについてはよく知りませんでした。そのため、今回の社会科見学で実際にその場所を見ることができ、またガイドの方の説明を聴いて、精錬について知ることができてよかったと思います。またその亜硫酸ガスが人々に影響してしまうのを最小限に抑えるために煙突を高くしたりするなどの様々な対策をしたり、法律などが制定されたりしていたそうです。実際に見てみてもとても高く、これなら公害も防ぐことができるだろうと思いましたが、他にも原因はあり、完全に防ぐのは色々な工夫や苦労があったのだろうと感じました。このような公害問題があったことや今までの道のりを忘れてはいけないと思いました。また、後に語り継いでいくことが大切だと思います。
 次に植林体験をしました。足尾銅山は亜硫酸ガスの強い酸によって木がなくなったり、その他にも様々な理由で緑が少なくなってしまったそうです。しかし今では少しずつ緑が戻り始めていました。写真などで見比べてみても、その差は一目瞭然でしたが、これでもまだまだ足りていないとおっしゃっていました。公害が与えた被害はこのように自然にまで影響していることにとても驚きました。植林をする場所に向かう途中には、小中学校の名前が書かれている看板があり、その周りにたくさんの木が植えられているのを見て、足尾の人々のみならず、たくさんの人々が参加して凄いと思いました。自分も参加することができ、本当に少しではあるけれど、貢献することができて良かったと思います。
 最後に過疎化してしまった村付近を見学しました。そこで、山が黒くなっている部分がありました。それは精錬の過程において出た不純物の置き場のようになってしまった場所だそうです。また、それを取り除くことや木を植えることは難しいかもしれないと聞きました。
 いつか足尾銅山が緑豊かな場所になってほしいと思います。そのためにも、植林や足尾銅山についてしっかり知ってもらうことは本当に大切だと思いました。そしてこれから植林などの取り組みがもっと広がるといいなと思います。
 

 3年3組   

 ガイドさんにご説明いただいた足尾銅山鉱毒事件の原因と現在の対応についてのお話は、とても興味深いものでした。
 僕は中学受験をしましたが、足尾銅山鉱毒事件は、日本の公害問題の原点と言われる事件で、中学受験でもよく出題されていました。しかし、受験の時に習ったのは、「足尾銅山から排出される有害物質が、川に流れ込み、その川の周辺の村の農業、漁業、林業に甚大な被害をもたらした。」というレベルで、それ以上知ろうとも思っていませんでした。なぜなら、足尾銅山鉱毒事件は、僕が生まれるよりずっと前の出来事で、今の自分には全く関係がないと思っていたからです。しかし今回、実際に被害に遭った場所に行ってみて、「自分は他人だから知らなくていい。」「昔のことだから、今は関係ない。」などと思っていてはいけないと思いました。
 今回ガイドさんが説明してくださった内容には、中学受験の勉強では習わなかった箇所もあり、たいへん勉強になりました。たとえば、足尾銅山から渡良瀬川にたれ流された鉱毒によって起こった被害なら多少は知っていても、煤煙によって被害が生まれたことは知りませんでした。また、銅の精錬のために、銅山周辺の山林を乱伐したり、大量の硫黄分や硫酸を含んだ煤煙によって、周辺の森林は大きな被害を受け丸裸となり、保水力を失った山では、洪水が頻繁に起こるようになり、鉱毒被害はさらに深刻化していった、ということにも驚きました。

 3年4組 

 今回、校外学習で足尾銅山を見学しに行きました。「足尾銅山」という言葉を初めて聞いたのは小学生の時でした。中学受験の勉強で、足尾銅山鉱毒事件によって、田中正造が運動を起こしたというくらいしか知りませんでした。だから、この機会で人と自然の関わりについてもっと深く知ることができればいいなと思いました。
 実際に足尾銅山へ行ってみると、僕の想像とはかけ離れた風景が広がっていました。以前の足尾銅山は東洋一の銅山といわれるほど、良質な銅がたくさんとれていたそうです。しかし今は、人間が開発を進め過ぎたせいで自然が破壊されてしまい、緑のかけらもない山になってしまいました。僕は、この現実を目の当たりにして、絶望しました。自然というものは、時に人間を襲うこともあります。地震や大豪雨によって大災害をもたらします。しかしそれと同時に、人間も簡単に自然を襲うことができてしまうのかと思いました。今ここにある資源は、永久に未来に残るものではありません。だからこそ、今ここに生きている者の責任として、できる限りのことはしなければならないと思いました。
 また、その破壊された自然を取り戻すための植林活動もしました。一度破壊されたものを元通りにすることは、大変難しく厳しいことです。しかし、誰かがやらなければ絶対に取り戻すことはできません。だから僕もその1人となれるように活動を行いました。100万本植えることを目標としていますが、まだ何十年も時間がかかるそうです。僕たちは、木を植えることだけで自然を取り戻すことに貢献するだけでなく、この活動を伝えるということで、もっと様々な人が植林をし、自然が戻るようにしていかなければならないとおもいました。
 最後に、足尾銅山による公害被害のことについても考えなければならないなと思いました。銅を生産する過程において発生する、別の物質による影響で公害を発生させてしまったそうです。また、その鉱毒が川に流れて被害はさらに拡大されてしまいました。僕は、人間が開発を進めていくことは、時代が変わっていく中で仕方ないことだと思います。しかし重要なことは、その「光」と「影」を知ることだと思います。メリットだけに目を向けるのではなく、しっかりとデメリットとも向き合い対策を考える。そういうことが必要なのではないのかなと思いました。起きてしまったことはもう変えることができません。それを活かし、次に同じことを起こさないようにするのが大事なことであり、責任でもあると思いました。
 今回、校外学習で足尾銅山を訪れ、様々なことを学びました。学ぶだけで終わりにせず、活かしていきたいと思います。
 

 3年5組   

  私は足尾というところについて、昔に鉱害があって田中正造という人が告発した場所という、授業で教えてもらった程度しか知りませんでした。しかし、社会科見学で足尾に行って、より多くのことを知ることができました。
 まず、足尾銅山鉱毒事件についてです。これは古川市兵衛が足尾銅山の経営をし始めた時くらいに最初に起こりました。なぜ、政府が運営していたときは鉱害が起こらなかったのに、民営化した途端に鉱害が起こったのでしょうか。足尾で解説して頂いたボランティアの方に伺えばよかったと、今更ながらに後悔しています。
 また、実際に銅を掘っていた場所を見て、本当に驚きました。木々はあまり生えてないし、大地の色は黒鋼色で、「自然」とは異なりました。これを見て、足尾銅山鉱毒事件が一体どれだけ大変な事件だったのか分かりました。それだけではなく、そこに行くまでの道の周りの森も、ほとんど同じ樹ばかりだったので、人工的に植えられたものだと思います。
 植林体験ではとても貴重な経験をすることができました。今まで木を植えたことがなかったので、植え方を学ぶことができてよかったです。また、いま普通にある森林がとても長い時間をかけてつくられていることに気が付きました。何もないところに森林をつくろうとすることはとても大変で、根気のいることなのだと思います。植林体験をやらせて下さったボランティアの方々は、長い間山に木を植えたり、足尾について教える活動を続けられていて、それだけ足尾のことが大切なのだと感じました。自分も足尾に木を増やす活動に関わることができてうれしかったです。
 足尾は鉱毒事件で大きな被害を受けましたが、足尾銅山で取れた銅は日本の発展を支えたと思います。お金が作られたり、たくさん輸出されたことで、日本は経済的にとても豊かになったと思います。鉱毒事件などの負の歴史と共に、良い歴史もしっかり把握して、様々な角度から足尾について考えたいと強く思いました。
 私は足尾に社会科見学に行って、足尾で起きた銅山での鉱毒事件はたくさんの方々の大切なものを奪い、森林がなくなってしまい、植物が育たない土地にしてしまいました。しかし、足尾銅山で取れた銅は、日本が発展していくために必要だったという側面もあると思います。一つの物事の良い面と悪い面の両方を知り、そこから自分で考えていくきっかけとすることが大切だと思いました。足尾に行ったことで、自然の大切さを再確認しました。自然があることで私たちは今、生きられているのだと思います。これからも、自然に感謝をして生活していこうと思います。

 

 3年6組  

  社会科見学で私は今回初めて足尾町に行きました。歴史の授業で足尾鉱毒事件について習ったので大体のことは知っているつもりでしたが、事前学習をして実際に行ってみて初めて気づいたことがたくさんありました。
 事前学習では、主に歴史面について調べました。私が詳しく調べた「田中正造の明治天皇への直訴にはどのような問題があるのか」については、どんなに当時の政府が相手にしてくれなくても決して屈せず、田中正造が農民のためにと命を懸けて直訴した強い気持ちがとてもわかる行動だなと思いました。
 当日のバス内では、それぞれ事前に調べてきたことを発表し、自分が調べられなかった内容も共有することができたのでとても良かったです。足尾の現在の環境についてそれまで私はあと少しというところまで緑が戻ってきているのかと思っていましたが、バス内の発表の中でまだまだ緑を取り戻している途中だということを知りました。
 現地に着くと環境ガイドの方がとてもにこやかに、丁寧に説明してくださいました。
 木がない山は雨水を貯めておくことができないため、その約八割が流れてしまい土砂崩れなどの自然災害につながるというのは、足尾町だけでなく木の伐採を行っている世界中で問題になっているとよく耳にします。今までは話を聞いたことがあるくらいでしたが、実際に木が数本しかはえていない山や土が見えている山を見て、木の大切さが改めてよくわかりました。
 また、一度はげ山になってしまうと百年以上かけて少しずつ自然を取り戻していくという話も聞きました。そのために行っているのが私たちも体験した「植林活動」です。しかし、その植林をするためにも国土交通省の方が土壌づくりをしてくれていると聞き、実際に移動中にも重機が山の斜面で作業をしているのを見ました。その他にも種を混ぜたアスファルトのパネルを一枚一枚手作業で貼っていると聞き驚くのと同時に植林一つとってもいろいろな人の手がかかっているのだなと思いました。
 バスでの移動中、すぐ横を川が流れていてその水がとてもきれいだったので驚きました。現在は川にイワナやヤマメなどの魚もすんでいると聞き、少しずつ自然を取り戻しているのを自分の目で見ることができて良かったです。環境ガイドの方は足尾に住んでいる方で、美人湯と呼ばれる温泉の話や普段の生活の様子も話して下さって、現地の方の話を直接聞くことができた貴重な体験でした。
 今回の社会科見学では、実際に行って自分の目で見たことで今まで知っていたこともより深く知ることができ、自然がいかに大切なのかがとてもわかりました。今回は主に自然のことについて学ぶことができたので、次回いく機会があれば事前学習だけではわからない歴史のことも資料館などで知れたらいいなと思います。過去に起きてしまったことは変えられないからこそ、変わる未来に向けて歴史をふまえながら自然を大切にしていきたいと思います。

 

 3年7組   

 近年、中国から、大気汚染物質が日本に飛来し、今でも、公害問題が日本を悩ませています。
 そんな中、足尾銅山に行き、当時のお話をよく聞くことができたのは、とても良い経験になりました。そして、現地のガイドの方のお話を聞くにつれて、どうやら、鉱毒は足尾銅山で銅をとっていたせいだけではないと いうことが分かってきました。
 私はこれまで、銅山の持ち主である古河市兵衛が欲張って、無理に銅を生産し続けていたと思っていました。しかし、足尾銅山鉱毒事件の裏には、世界的に銅の需要が増えていたことがあります。当時、日露戦争の最中であった日本は、莫大な資金を、生糸や銅を輸出することで得ていました。その役割あって日本はロシアに勝利しました。しかし、国を挙げて銅を生産し続けた結果、工場から排出された煙や、有毒ガス、排水が木々を枯らし今でも完全には元通りになっていません。
 私は、それらの公害問題は、すべて昔の出来事だと思っていました。しかし、足尾銅山の周辺の山々には未だに緑の見えないところがありました。足尾銅山が閉山して四十年近く経った今も、完全にはもとの自然が戻っていないのです。これは、今まで日本が経験してきた多くの公害問題でも、同じ事がいえます。一度汚染されたものをまっさらな状態にするのは、とても難しいことで、世間から忘れられてはいけないことであると、今回の社会科見学を通じて学ぶことができました。
 ですから、植林を体験し、現在も、足尾銅山の公害対策が続いていることを知れたのはとても貴重な体験だったと思います。そして、植林は思っていたよりも遙かに大変でした。急な山道を重い苗と土を持って上り、足場の悪いところで作業しなくてはいけませんでした。しかし、現地のガイドの方の話によれば、昔は女性たちが、私たちが登ったよりも遙かに高い、そして遙かに急な斜面を背中に苗を背負って登り、苗を植え続けていたそうです。そこまでの危険を冒してまで植林を続けても未だに木が全く生えていないところもあるのは、なんて深刻な問題なんだと衝撃を受けました。
私が衝撃を受けたのは植林だけではありません、政府の足尾銅山における政策に正面から立ち向かった田中正造の生き方にも衝撃を受けました。
彼は若い時からずっと、年老いても足尾銅山の鉱毒と、政府に正面から立ち向かい続けました。中でも私が驚いたのは、高齢になり、病床に伏してもなお、鉱毒問題を亡くなるまで気にかけ、生涯の仕事として、全うしたことです。
 未だ、解決していない公害問題に、田中正造の後を継いで向き合っていくのはとても大切なことです。私たちは、今回の体験を忘れずに、過去のことにも向かい合っていかなくてはならないと思いました。

 3年8組 

  私が足尾銅山に行って感じたことは2つあります。1つ目は近代化を進めるためには公害の対策をきちんと取らなければいけないということです。明治時代、日本政府は近代化を進めました。その一方で足尾銅山のように公害被害にあって苦しんだ人もいます。亜硫酸ガスで木が枯れたり、銅を取り出す燃料にするために木を伐採したりしたことで山から木がなくなりました。木がなくなったことで土砂災害が発生しました。見学の時も山を見ましたが、その後を多くの場所で確認することができました。その時に公害が発生した当時の写真を見てみると山には緑がなく、岩のような状態になっていました。私はそれを見た時にとても驚きました。それと同時に公害の恐ろしさも感じました。日本の近代化のためには銅は欠かせないものでした。今でも銅は色々なところで使われています。足尾銅山は東洋一の銅山と呼ばれていました。鉱石に含まれている不純物を取り除いて銅を取り出すには亜硫酸ガスを排出しなければいけませんでした。そして銅をとったあとの廃石をくだいて渡良瀬川に投げ捨てたために川は青白くなり、これが原因でなくられた方もいたそうです 。いくら近代化のためとはいえ、人々の命が犠牲になったというのはひどすぎると思いました。近代化というのは人々の暮らしを豊かにするために行ったはずなのに、人々を苦しめることになってしまったのはとても残念です。このようなことが起こってしまったのは銅を増産する事だけに目が行ってしまい、自然への影響や公害の可能性を考えなかったからだと思います。
 二つ目は公害の事を後世に伝えていく事の大切さです。私はガイドさんの言葉で印象に残っている言葉があります。それは「緑を取り戻すために頑張った人がいた事を忘れないでください」という言葉です。当時、山の緑を取り戻すために山に登って木を育てた人がいました。その当時の山はとても険しく、一歩でも踏み間違えたら危険な状態だったと聞きました。その人たちが命がけで土や木を増やしたからこそ今の足尾銅山があるという事を心に刻もうと思います。公害の事実だけでなく、そこから立ち上がろうとした田中正造さんをはじめとする人々がいた事も忘れてはいけないと思いました。人はどうしても日が経つとわすれてしまうものなので、私は今回、足尾銅山を見学したことを機に公害があったことを次の世代に伝えていきたいと思いました。
 経済の発展と公害の問題はとても複雑で難しい面がありますが、人は自然の植物などにも大きな影響を受ける生き物です。足尾銅山のように木がなくなってしまったことで川のやそこに住む魚、大気汚染によって人々にも影響が及びました。まずは自然と人というのは同じ生き物であることを忘れないで将来の自分の子孫に伝えていきたいと思いました。
 


 

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