中等部2学年

  将 来 の 夢 

2017.1.1

治療法の見つかっていない病気にも挑む医者に     

 私は将来医者になりたいです。私が将来医者になりたい気持ちは誰にも負けません。私の母は薬剤師で沢山の薬の種類を覚えている上、患者さんへの気遣いも忘れていません。私は母を尊敬しています。その尊敬している母を超えるために医者になって沢山の人を救いたいです。しかし私が医者になりたい理由はそれだけではありません。
 私は小さい頃、医者と触れ合う機会がありました。私の父は私が一歳の時に癌になってしまい約一年間の闘病生活を送りました。その間、父の担当であった先生や看護師さんは父だけではなく、母と私にも優しくしてくださり、 遊びたがっている私と一緒に遊んでくれたと母から聞きました。先生は全力を尽くしてくださいましたが 、父は病に負けてしまいました。まだ治療法が発見されていない病がたくさんあります。でも私は担当であった先生のように治療法がなくても治そうと全力を尽くす医者になりたいです。

 次に、去年の夏、遠藤先生が亀田総合病院見学を企画してくださいました。そこでは普段見ることのできない最上階の霊安室やトレーニングルームも見ることができました。私が一番心に残ったのは患者さんへの配慮を忘れていないということです。私の父を見てくださった先生もそうですが 、亀田総合病院では病院全体が患者さんへの配慮がありました。私はこれを見て将来亀田総合病院のような病院で働きたいと思いました。

 去年の総合の時間に環太平洋パートナーシップ協定について調べた時です。私はメリットとデメリットをまとめました。その時デメリットで国民健康保険制度、保険点数制度が崩壊 する恐れがあるそうです。崩壊してしまうと良い治療を受けるには高額な医療費を払う必要があるというシステムに変わるかもしれません。私は身分で受けられる治療が変わってしまうのはおかしいと思います。医者は誰でも平等な治療をするのが本当の仕事 です。私は医者になって誰でも平等な治療を受けられるような空間を作りたいです。
 去年の社会科見学では日本科学未来館で腹腔鏡手術の体験をしました。本物の人間ではなかったので気楽にでき、すぐに終わりましたが、もし本物の患者さんだったら気楽にはできないし 、失敗は許されません。医者になって多くの人の病気を治したいです。 

「がん治療の新薬の開発」と「看護師としての社会貢献」が目標
 私の将来の夢は薬剤師です。そう決めたのは、私が中学1年生の頃に祖父をがんで亡くしたことがきっかけです。私の祖父は仕事をして動くのが好きで、入院中も病気にかかったとは思えないくらい元気でした。しかし、急に容態が変化して弱っていく祖父を見て、初めて病気の怖さを知りました。実際に二人に一人ががんにかかり、三人に一人ががんによって亡くなっているそうです。また、年々がんにかかる人は増加しています。にもかかわらず、がんを完全に治す薬は未だに開発されていません。私は自分の体験から命の大切さを学び、がんで苦しむ人をゼロにしたいという気持ちで頭がいっぱいになりました。だからこそ、将来薬剤師になって薬の研究をし、がんを完全に治すことができる薬を開発したいと思いました。

 また、高齢化が進んでいる今、医療費が増え、社会保障の負担が増しています。医療費を削減するため、在宅医療が積極的に勧められています。これは、病院で治療する代わりに在宅での医療にシフトしていけば、通院や入院に頼らず在宅での治療や療養をすることです。要介護者の在宅医療では、薬の管理ができない患者さんや、併存疾患などで薬の飲み合わせなどを管理しなければならない患者さんに対して薬剤師の協力が求められています。私も将来、高齢化社会の医療に貢献し、患者さんをサポートできるようにしたいです。高齢化社会が進むにつれて、薬剤師としての役割はもちろん、調剤薬局という在り方も今後大きく変化していくと考えられています。このように、薬剤師として働くことは、必ず人の役に立つといえます。
 薬剤師になるためには、もっと勉強量を増やして難関大学へ進学し、資格を取らなければなりません。今年は中学3年生として時間をもっと有効に使えるよう改善し、親に頼らず「自立」していくことを心がけていく1年にしようと決めました。常に両親への感謝の気持ちを持ち、昨年より気持ちを行動に表していきます。 

 

自分の手で消えてしまいそうな命を救いたい

 私の将来の夢は外科医です。初めに医者になりたいと思ったのは、まだ私が幼い頃です。小学校に入る前や小学校低学年の頃、私はよく風邪をひき、日曜日に友達と遊びに行くと、次の日の月曜日には必ずと言っていいほど体調が悪くなって学校に行けなくなりました。インフルエンザにもうんざりするほどしょっちゅうかかっていました。その度にもちろん医者に行くのですが、私はどんなに頭痛がしたり吐き気がしたりとひどい状態でも、病院に行くと安心できました。それは辛い風邪でも、病院で言われた通りにしていれば必ず良くなったからです。私にとって医者はとても頼りがいのある大きな存在でした。その頃から医者という仕事に憧れを抱いていましたが、病気と日頃から当たり前のように接している医者という存在を、幼い私はどこかで次元が違う 、何か超人的な存在のように感じていました。身近にいる医者という存在ですが、当たり前のように近くにいるからこそ、尊敬というか圧倒されるというか、そんな気持ちに させるものでした。

 しかし、そんな医者という職業も、最近では私にとって、雲の上の存在から目標に変わりつつあります。きっかけはあるテレビ番組を見たことです。ある病気の患者さんの病気の症状 や病院での診断結果が映像でスタジオに流れ、それをその場にいる研修医の方々が見て病名を推理して当てるというものです。ヒントを出し、合っているか間違っているかを判断するのは実際に活躍している総合診療医の方です。いろいろなキーワードや症状のヒントを元に、研修医の人たちがたくさんの病名を挙げ、その結論に至った理由や根拠を述べていくのですが、私はその知識量に唖然としました。聞いたこともない言葉が飛び交い、矛盾を探して候補を絞っていくのですが、こんなにたくさんのことを知っている人であっても、答えにたどり着 くのは大変なことなんだと思いました。医者という職業は、その人の努力によるものであり、医者になれる人はほんの一握りだけだとしても、私も本気で努力すればやれるのではないかと挑戦する気持ちが湧いてきました。私達は学校で多くのことを学んでいますが、私が夢を叶えれば、私の努力はいずれ誰かのためになるのです。そうなれば本当にすばらしいことです。

 また、医者とはこの世に存在する人の命を直接助けることができる数少ない職業のうちの一つです。どんなに立派な教師でも、天才発明家でも、芸術家でもアスリートでも、事故にあったり病気になったりしてしまったら元も子もありません。一人一人 の大切な命を救うことができるのがこの職業です。今、この社会では事故やテロ、震災などによって、無情にも数多くの命が失われています。そんな社会で、私の手でその中の一つでも救うことができるとするならば、私は迷わず医者を志したいです。その医者という職業の中でも、私がなりたいと思うのは外科医です。外科医はただ手術するだけが仕事ではありません。必要なのはコミュニケーション能力、リーダーシップ、信頼などです。もちろん、技術は前提として求められますが、それ以上に内面的なことが重要だというわけです。外科医は患者さんを生かすも殺すもその人次第です。 他と比べて責任を伴うものです。 だからこそ、私は外科医になりたいです。消えたり生まれたりする生命の無限の循環の中で、今にもなくなりそうな命に手を差し伸べて、一人でも多くの人を救うことが目標です。

「いかに幸せに生きるか」を考えられる脳外科医に

 小学生の頃、母が手術入院することがあり、当時の自分では成すすべもなく、術前の大丈夫という母の言葉にも不安で仕方がありませんでした。術後の安心した母の笑顔が忘れられません。その時、自分も医師になり 、人の命を救う事ができたら、どんなに素晴らしいことかと思い、それが医師を目指すきっかけになりました。
 超高齢化社会の今、少子化対策も進められていますが、少子化対策については、様々な案を提案できれば良いですが、現状の中で自分ができることは、高齢でも健康で、働ける社会にすることに貢献することだと考えています。健康であるということ、働くことができるということは、生きる力そのものであり、幸せを感じながら日々過ごすことができるということです。

 人は視覚により脳で食べる量を判断して食べてしまうという実験結果があります。飽食の現代、過食は肥満をもたらすだけでなく、食糧事情の悪化にも繋がります。脳は全てをつかさどります。脳内でドーパミンが出ることにより、賭け事が止められない人がいます。カウンセリングも重要ですが、ストレスの原因になるノルアドレナリンの分泌とドーパミンの分泌を調整するセロトニンを利用した方法など、これからの医療も様々な体の不調を脳の仕組みを利用して治療する手法がないか模索してみたいです。脳が大きく損傷しても、脳自体の統合により、失われた部分を補うように、脳神経が再構築されるそうです。かなりの部分は解明されつつありますが、まだまだ未知な部分が沢山あり、いろいろな可能性を秘めた脳の専門医、脳外科医になりたいです。
 以前は、心臓外科医になり、直接、命を助けたいと考えていましたが、現在は、命を助けるだけでは十分ではないこと、生きている苦しみということもあることを新聞等で目にすることとなり、いかに幸せに生きることができるかを考えるようになりました。そして、脳について調べ、研究し、コントロールできるようになりたいと考えています。そのためには、やはり、今年の夏に参加した創造性の育成塾の先生方の話の中に必ず出てきた豊富な知識は不可欠だと考えています。知識があることは必要最低限なことで、豊富な知識から創造性が生まれるということをおっしゃっていました。今はインプットの時期と捉え、まずは大学入試に向けての勉強に励んでいるところです。そして何事も全力で取り組んでこそ、見えてくるものがあるのではないかと思いますので、誠実、謙虚に 努力している日々です。   

 

「何もないところ」に家ができることの不思議

 建築士兼インテリアコーディネーターになり、誰でも暮らしやすい家を建てること、これが私の将来の夢です。どんどん高齢化が進んでいく日本。高齢者が安心して生活するには娘夫婦や息子夫婦と暮らしたい、孫と一緒に暮らしたいと考える方も多いのではないでしょうか? 私はどの年齢の方にも快適な暮らしを提供したいと思います。
 私が建築士に興味を持ったのは小学4年生の頃の引越しがきっかけです。家を建てる際、担当の建築士の方は私たち家族の要望を親身になって聞いて下さり、アイデアを出し、図面に起こし、実際に作り上げてくださいました。何もなかったところから自分の手でモノができ上がることってすごいと思いませんか? 私はそんな建築士の方に感動し憧れました。と同時に私たちの生活スタイルのもととなる、快適な家づくりに協力してくださったインテリアコーディネーターにも興味が湧いてきました。

 実は建築士というものは、国家資格を取得した人しか就くことのできない難しい職業です。試験は誰でも受けられるというわけではありません。「学歴」と「実務経験」などの受験資格を満たす必要があります。そこで建築士になるための一番の近道を調べてみました。大学で建築学科を卒業し、実務経験なしに二級建築士試験を行い、その後実務経験を4年積み、一級建築士試験を受けられるというものです。一方、建築学歴のない人にとっては7年もの実務経験を経てやっと二級建築士試験の受験資格を取得することができるのです。最初の方が効率的なことがわかります。

 私は目標は高く持つことが大事であると考え、東京大学理科一類を志望校にしたいと思います。最難関の大学ですが、何があってもへこたれず、大きな壁にぶつかっていき、その先にある大きなものをつかみ取りたいと思います。 目の前にあるチャンスは無駄にせず、むしろ自分からチャンスに変える姿勢を持ちたいと思います。人生は1度しかありません。その1度がどうなるかは今の自分の選択次第です。自分への甘えの気持ちをなくし、これからも一生懸命何事も努力していきたいです。
 生徒の成長を感じることが教師一番のやりがい
 僕の将来の夢は教師になることです。僕は小学生の頃からずっと、教師という仕事に憧れていました。僕がこの夢を抱いたのは、小学四年生のときの担任の先生がきっかけです。その先生は常に生徒のことを考え、また、わかりやすい授業をしてくれました。そうして僕の中に生徒を支えてあげられる教師になりたいという思いが芽生え、教師を目指そうと思うようになりました。
 このように夢を持つことは大切ですが、実現させるためには、具体的な行動を起こさなければいけません。社会人としてのマナーを守ることが重要です。教師は人の手本となり、人に教える立場の人間なので、身に付けなければいけないことがとても多いはずです。社会に出るまでには、常識をわきまえた行動がとれるようにしたいです。

 教師という夢を叶えるには積極的に行動をすることが大切です。世の中には自分の夢や目標を叶えた人とそうでない人がいます。この二つの違いはその人に積極性があるかどうかだと思います。やらされているような感覚で消極的になると、主体的な人よりも身に付くことが少なくなってしまいます。今のうちに積極性の大切さを理解し、様々なことに挑戦していきたいと思いました。

 教師というのはやりがいのある仕事だと思います。生徒が学習面や生活面で、今までできなかったことができるようになったとき、嬉しいのはその生徒だけではなく教師も同じはずです。生徒達の成長を感じられることが、教師の一番のやりがいだと思います。このやりがいは僕が教師になりたいと思った一番の理由です。生徒の気持ちを理解し、必要なときには助言できるような教師が僕の目標です。毎日コツコツと地道な努力を続けて行き、一度きりの人生を成功させたいです。


 

舞台芸術の「縁の下の力持ち」になりたい

 私が今年一番興味を持ったのは『音響』という仕事です。私はバレエを習っていますが、発表会のときに音響の人と先生が話し合っているのをよく目にします。バレエのコンサートでは、バレエの音楽と踊りが一体となって目と耳に入っていきます。バレエは音楽があるからこそ美しいものになります。それらも音響スタッフがいるからこそ作りあげられるのです。調べてみると、劇や音楽や歌などの舞台の時、CDを作るためのレコーディングの時など、普段身近 で見たり聞いたりしているものも音響スタッフによって提供されていると知りました。

 今回、冬休みに音響についての詳しい仕事内容ややりがいなど、さまざまなことについて調べてみました。
 仕事内容は音響全般に関する技術的なサポートをすること、マイクの種類や設置場所を決めたり、収録時の音のバランスを調整したりすることなどです。必要なことは工学的な知識と音楽的なセンスの両方です。優れた耳を持ち、長時間集中して細かい作業をこなせる人だそうです。音の大小や楽器のチューニングを聞き分けたり、機材の調整によって音の響きがどんなふうに変わるのかを正確に聞き取ったりする耳がなければ、ミュージシャンや役者の要求に応えることができません。さらに コンサートやライブイベントは前日のリハーサルから当日の本番後の撤収まで、休む暇なく仕事をしなければいけませんし、スタジオでのレコーディング作業は、長時間にわたって夜を徹して作業を続けることもあります。だから長い時間、集中して細かい作業ができなければいけないのです。

 次にこの仕事のやりがいについてです。それはベストな音響を提供でき、その場を盛り上げられた時感謝された時照明さんや舞台芸術さんなどの他の部門の方とのチームプレイによって一つのステージが作り上げられた時などと知りました。
 私は小さいときからピアノをやっていて、耳は良いほうだと思います。この耳を活かして『音響』という仕事に就き、様々な人に感動されたり、喜ばれたりする舞台の縁の下の力持ちとなって 舞台芸術を作り上げたいと思います。  

世界を活性化させるエンジニアになりたい
 私の将来の夢はエンジニアです。
 私は幼い頃から工作など何か物を作るのが大好きで、将来は新しい製品を開発する仕事に就きたいと思っています。一言でエンジニアといっても 様々なエンジニアがいます。電化製品等の機械を開発するエンジニア、プログラムの開発などを行うエンジニアなど。私は文房具が好きなので新たな機能を 持つ文房具を作るエンジニアになりたいです。

 今回私は世の中に送り出される1本のシャーペンがどのように誕生したのか調べてみました。パイロット社開発の「ドクターグリップ」は1991年に初めて販売されました。振ると芯が出る振り子式を搭載しており、軸幅は人間工学に基づき、やや太めに設計されているそうです。広島文教女子大学の宇士博教授と共同で開発されました。その後も様々な機能が追加されました。ドクターグリップという1本のシャーペンにも何十年もの歴史があることがわかります。開発には大学の教授等、多くの研究者、開発者が連携して多くの時間をかけて作り出されています。シャーペン1本作り出すことにも多くの失敗が重ねられた壮大なドラマがあります。今も私はこの作文をドクターグリップで書いています。私は世の中のシャーペンを使う多くの人の手に取ってもらい、魅力を感じてもらえるような画期的な製品を自分の手で作り出し、世の中を活性化させられるようなエンジニアの一員になりたいと思います。

 

勉強のおもしろさを子供達に伝えたい

  私の将来の夢は小学校の先生です。理由は3つあります。
 1つ目は、私が小学校低学年の時に出会った千葉大学から教育実習にやってきた実習の女性の先生に強い憧れを抱いたからです。その先生は休み時間一緒に遊んでくれたり、楽しい話を たくさんしてくれたり、授業中もいきいきと担任の先生の補助をしながら勉強を教えてくれました。そんな姿を見ていた私は低学年ながら、小学校の先生になりたいと思うようになりました。

 2つ目は、私自身がとても充実した6年間を過ごすことができたきっかけとなった多くの先生方への感謝の気持ち を教師になることによって示したいと思ったからです。小学1年生の頃から、学校というのはこんなに楽しいものなのだということや、授業での様々な工夫から勉強の楽しさを知ることができ 、さらに発展的な勉強をしたいと思うようになり、両親に相談し、中学受験をすることを決めました。小学校の先生が勉強の楽しさを教えてくださったことで、私は今、江戸取に入学し充実した生活が送っているのだと思います。

 3つ目は、人に教えてあげるということが楽しいと感じたからです。授業中に算数の問題がわからない友達に教えてと頼まれ、私が一生懸命教えたところ、「本当にありがとう! すごくわかりやすかった!」と言われました。私はその時とても嬉しく、自分がわかることを教えて相手がわかるようになることへの快感と共に、 それがすごく楽しいと思うようになりました。だから私は、いつ誰かに聞かれても答えられるように常に授業の内容を理解するようになりました。これも江戸取に合格できたきっかけだと思います。今はわからないことも多く 、友達に頼る立場ですが、早く頼られる存在になりたいです。

 私には、もう1つ目標があります。それは千葉大学に現役合格するということです。今の私にはとても難しい目標ですが、少しずつながら成績は上がってきました。江戸取に入学し、初めて総合得点も400点を超え、100番以内に入ることができました。努力をした分だけ報われるということが改めてわかりました。今後も日々の勉強も怠らず、千葉大学現役合格という夢に向かっていきたいです。小学校の先生とは簡単になれるものではありません。免許も取らなければいけないし、その前に大学に合格しなければなりません。けれども素敵な先生になるために努力を惜しまず、これからも江戸取で友達と切磋琢磨しながら、部活と勉強を両立させ、目標を達成させたいと思います。

宇宙のことをもっと知りたい 
 僕の夢はJAXAに勤務することです。理由の一つは、宇宙に興味があるからです。眠れない時に宇宙はどこまであるのか、太陽はいつまであるのか、考え始めると本当に眠れなくなってしまいます。それらを知りたいのです。もう一つは、宇宙には夢があります。例えば宇宙人はいるかいないかという質問の答えに興味がない人はいないと思います。そういうところに宇宙の魅力があるのです。今、空を見ると星が見えます。その星には何かの生き物がいるかもしれません。そんな空想ができるのも宇宙の魅力です。そして何より、宇宙に関する仕事をするということはとてもかっこいいと思います。

 つくば駅にはよくJAXAや産総研のバスが職員の方々を送迎するためにやってきます。そのバスが来るのを待っている方々をよく下校の時に見かけるのですが、ほぼ全員が読書をしたり書類をみたり瞑想したりしています。決して騒いだり携帯ゲームをしたりしていません。本当に頭がいい人は外での振る舞いも一流なんだなと思いました 。僕の母はつくば駅構内のコンビニでレジをしているのですが、お金を投げたり暴言を言ってきたりする人がたくさんいるそうです。しかし、JAXAの名札をつけている方はレジを終えると「ありがとう」と言って行くそうです。やっぱりこういうことを自然にできる人はかっこいいです。このような理由からJAXAで働きたいなと思っています。しかしJAXAに入るためには相当の学歴が必要です。JAXAで働きたいと思っている人は全国のトップクラスの人たちで、努力している人たちです。2017年は中学3年生になるのでしっかり集中して勉強しようと思います 。

 

人生を決めるきっかけも「一期一会」だ

 14歳の私となった2016年は私にとって将来を考える上でとても大きな出来事があった年でした。
 昨年の夏休み、母の勧めもあり私はいくつかの大学のオープンキャンパスに行きました。本来は医学部中心で見学する予定でしたが、母が医学部以外も見 た方が良いと言ったので、私は医学部のない早稲田大学のオープンキャンパスに行きました。学生達による自身の学科紹介というイベントがあり、その一つに参加してみました。私が最も興味を持ったのは経済学部でした。その話の中で心に残ったのは経済学部卒業後、外資系の金融に勤めている人のお話でした。家に帰ってじっくりと考えてみると外資系の金融に勤めたいという思いが強くなっていきました。その後道徳で産業をテーマにした授業がありました。そこで私は経済というテーマについて調べました。私は自分が将来就きたい産業のことを何一つ分かっていなかったと痛感したのと同時に、より いっそう将来の夢に興味を持つようになりました。 そして一橋大学の経済学部に行くという目標ができました。

 人生は一期一会というのをLHRで学びました。まさにその通りだと思っています。昨年の夏休みに早稲田大学のオープンキャンパスに参加しなければ、一橋大学という目標も外資系の金融に勤めるという夢もありませんでした。そう考えてみると、これからどんな出会いがあるのだろうかと期待 に胸が膨らみます。もしかしたら今年も、また新たな出会いがあって、また新しい夢を見つけることになるのかも知れません。
 よく母は私に「自分のできたと思っている結果の約80%が本当の結果だから、大学受験は自分の行きたいところの1つ上を狙うといい」と言っています。私の行きたい大学から考えると東京大学を目指すことになります。あと4年ありますがもう4年しかないということを念頭に置いて1分1秒を大事に使っていかなければいけないと思います。
チャンスを逃さない生き方を心がけたい
 僕が今回の夢を語る会を通じて得られたものは3つあります。
 まず一つ目はチャンスについてです。チャンスとは、様々な転機という意味です。僕は日常生活を送る中で様々な転機に出会っています 。小さなチャンスだと思っていたことが、実は大きな転機だったということもあります。つまり転機は思いがけないところで見つかるのです。1日1日手を抜かずに過ごし、可能性を広げるために様々なことに興味を持ち、積極的に挑戦していきたいです。
 二つ目は価値観についてです。価値観は人それぞれの考え方や進む道を決めるものです。今回の夢を語る会には、自分の価値観と組織の価値観という話が出てきましたが、これについて僕は価値観をマッチングさせることで、様々なことを効率よく進めることができるのだろうと思いま す。
 三つ目は自分自身の夢についてです。僕は将来システムエンジニアになりたいと思っています。その夢を叶えるために必要だと思ったことがいくつかあります。まず、情熱とアイデアです。これは何かを創造するためには必要不可欠なものです。情熱を傾けることができなければ、たとえ何かを生み出す能力があったとしても生み出すことができず、逆にアイデアがなければ何かを生み出すことはでき ません。自分の夢を応援してくれている人達に感謝の気持ちを忘れずに過ごしていきます。

 

まずは「医科コース合格」が次の目標

 夢を語る会で卒業生のお話を聞きして、改めて自分の夢や2017年をどういう一年にするか、考えることができました。
 僕が江戸取への入学を決めたのは、将来の夢である医師になるための医科コースがあったからです。まもなく2年が過ぎますが、江戸取の先生方は僕たちが少しでも自分の夢に近づけるように、校長先生やLHRでの講話、僕たちが書いた感想に対するコメントなど、とてもよいサポートをしてくれています。だから入学したときよりも夢について現実的に考えることができるようになりました。今の僕は医科コースに入るための目標意識が高まってきています。

 先輩方の作文を読むと、自分の将来の夢や仕事に対して強い気持ちで自信を持って前に進んでいることに感心すると共に「縁」に恵まれ、きっかけになった出来事があったことがわかりました。僕の場合は父が歯科医院を開業しているので、自然と親にきっかけをつくってもらう形で自分の将来の夢や職業に向き合っています。実際に近くにその仕事をしている父がいると仕事についての大変なところ、よいところなど現実的な話を聞くことができます。

 しかし、他の職業について考える時もあります。両親は僕が自分にふさわしい仕事を見つけることに理解を示してくれます。医科コースを目標に頑張れば、 高い学力を身につけることができると思いますので、先輩方のお話にもあったように、中学生は自分の好きなことに没頭できる絶好の機会であることを意識し、今年一年頑張っていきたいです。
ブラック・ジャックのようなかっこいい天才医師になりたい
 僕の夢は医者です。なぜ医者になろうと思ったかというと、「かっこいい」からです。医者という職業はみんなを助け、感謝される点で正義のヒーローと同じだと思いました。仕事をしても、続けるのには何か自分に対する利益がなければいけません。表面的な利益だけでなく、自分の心の中の利益も必要です。それは達成感や人を助ける喜びです。

 もう1つ、僕は医者という職業に憧れを持っています。僕は手塚治虫さんの「ブラック・ジャック」という漫画がとても好きです。その漫画の主人公は何よりも人の命を第一に考えています。患者一人一人にも家庭事情というものがありますが、それさえも救ってしまうので、まさに正義のヒーローです。僕もそのような医者になりたいと思っています。しか もその主人公は天才外科医です。人を助けるためには自分の腕を磨く必要があるということです。 そしてまた特に精神力を高めることは病気と闘う医者に必要不可欠だと思います。
 「天才とは、99%の努力と、1%のひらめきだ。」この名言は、天才も裏ではとてつもない努力をしているという意味です。それは誰にでも天才になれるチャンスはあるということでもあるのです。僕はたくさん努力して天才になってやろうと思います。

 医者には人間性も必要です。患者さんの傷や病のケアだけではなく、心のケアも不可欠です。心の傷と体の傷と病、両方治せてやっと一人前の医者だと思います。これからも江戸川学園取手中学校で学ぶことは山ほどあります。人の話をよく聞 き、1つのミスもせず、たとえミスをしてしまっても、修正を一人でできるようになりたいと思います。

 

文武両道を実践し、人格を磨いていきたい

 僕の将来の夢はまだ決まっていません。ですが、親や祖父にパイロットになれと言われます。近年、パイロットの人手が足らなくなり、困っています。僕は初めて飛行機に乗った時、とても素敵だなと思いました。たくさんの命を預かり、とても責任がある仕事でかっこいいと思います。僕はみんなのためになる仕事に就きたいです。
 僕は去年の夢を語る会の作文で、ロボット工学者、考古学者、航空宇宙関係の仕事に就きたいと述べました。僕は幼少期の頃から宇宙とロボットが大好きでした。小学一年生から小学五年生まで宇宙少年団に入っており、さまざまな宇宙飛行士の講話を聞いたり、星を観察したりととても楽しい事をたくさんしました。今僕ができることは、成績を上げることで 、特に英語です。英語は今後、絶対必要になってくる科目ですので、しっかり学習し、実用化できるように頑張ります。英検に関しても中等部を卒業する頃に、準二級までは受かっていたいと思います。

 将来の夢につなげるために必要なものは「学力」、「心力」、「体力」です。僕は今、サッカー部に所属しています。部活に出て体力をつけるのはよいのですが、夢中になるあまり、勉強を疎かにしてしまう時があります。何のために江戸取に来たのかというのを見直し、文武両道に励んでいくべきだと思います。自分が十年後、二十年後と、どういう大人になっているのかというのを見据えて行動していかなければいけません。オリンピック選手は東京オリンピックに向けて過酷な練習を四年間続けていきます。僕達もそろそろ将来への道を切り開く時が来ているのです。 
映画監督になりたい。
 僕の夢は映画監督です。映画監督になるためにすべきことは数多くあります。
 まず1つ目は、みんなの前で話すことが出来る力を身につけなければなりません。そのためには色々なことに挑戦し、総合学習の発表をするときも堂々と発表していきたいと思いました。これからは新聞作成などにも本気で取り組 み、みんなに「この新聞すごいね」と言われるような新聞を作っていきたいと思いました。
 2つ目は、みんなをまとめる力です。映画監督は俳優や女優などを動かす立場です。映画監督はみんなをまとめる力がなければなりません。もしまとめる力がなかったら、周りの人たちがついてこないので、いい映画を作ることが できません。これからの学校生活の中で係に積極的に参加したり、委員長をやってみんなをまとめる立場に立ち、将来に備えていこうと思いました。
 3つ目は、映画を知るということです。皆さんは「七人の侍」という昔の映画を知っていますか?  どういう映画かと言いますと、野武士の略奪により困窮した百姓に雇われる形で集った七人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の一団と戦う物語です 。「七人の侍」は、沢山の人に影響を与えました。「スターウォーズ」「サムライジャック」「ティーン・タイタンズ」などは昔の日本の映画をもとにして作られた作品ということです。僕はまだ「七人の侍」を見たことがないので、今度見てみたいと思います。