もう一度見学したい歴博
私は、今回の社会科見学で国立歴史民俗博物館と伊能忠敬記念館に行きました。午前中は国立歴史民俗博物館に行きました。
19世紀後半から1920年代まで展示してある第五展示室に行きました。資料や映像が多くとても勉強になりました。展示室では、関東大震災が起きた時に、中国人・朝鮮人が大量虐殺にあったと知りました。とても残酷だと思い、二度と繰り返してはいけないと強く思いました。その他にも無声映画で当時の俳優のブロマイドや映画のポスターが展示されていました。私が見に行ったのは近代をテーマにした第五展示室でしたが、それ以外にも中世・近世・現代・民俗など、多くの展示室がありました。機会があったらもう一度訪問してゆっくり見学したいと思いました。昼食は「米屋」で頂きました。うどんがとても美味しかったです。
午後からは地元のガイドさんが同行して佐原を散策しました。佐原の歴史的な街並みを通りました。私が住んでいるつくば市とは大きく違い、木造建築が多く歴史を感じました。その後、伊能忠敬記念館に行きました。伊能忠敬は小学生の時に学習漫画で何度か読み知っていたので、とても楽しみにしていました。ガイドさんが丁寧に説明してくれたので伊能忠敬の一生が理解できたと同時に地元愛をとても強く感じることができました。その中でもとても印象に残っているのが「伊能図」です。伊能忠敬が描いた日本地図が人工衛星から見た日本とほぼ同じであったことに驚きました。この精密さから伊能忠敬の仕事は、とても細かかったのだと思いました。見学時間が少なくもう少しゆっくり見学したかったです。他には、東京バンドワゴンの映画に使われた看板とのれんを紹介していただきました。
学ぶことがとても多く、非常に充実した一日でした。
忘れてはいけない過去
私は今回の社会科見学に参加して、佐原の町と国立歴史民俗博物館を訪れ、今まで教科書を見て学んでいたことを実際に見ることができました。私は小学校の時にも同じ場所を訪れたことはありますが、その時と今回では事前に知っている知識の量が違ったので、様々なものを異なる視線から見学することができました。
私がこの社会科見学で一番今までと異なる視線で見学できたのは、国立歴史民俗博物館です。私は第六展示室を見学し、世界中で戦争が起こっていた時代について学びました。その中でも特に印象に残ったのは、「戦後の生活革命」についてです。戦後の生活革命とは、戦後十年くらい経ったころから日本が高度経済成長期に入り、三種の神器が普及していたころの日本で起きた大きな変化のことです。しかし、人々の暮らしが便利になっていくのと同時に、公害が発生しました。私は今まで、公害がいつ・どこで・なぜ起きたのかは知っていましたが、そこから、地域の人々がどのように公害と戦っていたのか知りませんでした。だから、この展示室で公害による被害を受けた人々が戦っている様子を当時のニュースなどで見たとき、日本にはこういう過去があったということを忘れてはいけないと思いました。
最後に、今回の社会科見学で学んだことを生かしてこれからの勉強に役立てていきたいです。
二度とやってはいけない戦争
私は社会科見学で、「国立歴史民俗博物館」と「佐原の町並み」について学びました。はじめに歴博では、時代によって展示室が分かれており、自分が興味のある展示室を見学することができました。私は、第六展示室で「戦争の時代」を勉強しました。ここでは、物事の説明だけではなく、この時の様子が細かく表現されていました。また、その時代の過酷さを紙芝居や本などで体験できました。本物の銃弾や陶器でできたお金(鉄などの資源が武器に使われたため)、支給された国民服なども見ることができました。また、映像でその時代の教育方法を学びました。このことから、戦争は国民を精神的に追い詰めることであり、もう二度とやってはいけないことだと思いました。
次に、「佐原の町並み」についてです。ここでは、ガイドさんが町並みを案内してくれました。伊能忠敬の住居やジャージャー橋を見学しました。どれも古い趣があり、とても楽しかったです。佐原ではこうした古い趣を活かし、ドラマやCMの撮影をしているそうです。私が好きな東京バンドワゴンの撮影現場も見ることができて、嬉しかったです。そして、伊能忠敬記念館にも行きました。伊能忠敬の生い立ちを調べ、また地図について詳しく知ることができました。
以上のように、社会科見学では、様々な歴史について学びました。今回学んだことを二年生から始まる歴史の学習にも活かしていきたいと思います。
伊能忠敬から学んだ努力する姿勢
今回、一番印象に残ったことは「伝統」の大切さです。国立歴史民俗博物館では日本の文化について知ることができました。私の班は第四展示室を中心に見学しました。ここで感じたことは時代の流れによって文化はどんどん発展し、伝統として継承されていくということです。今の日本は多くのものが機械化されていますが、昔は何でも手作りで試行錯誤しながら生活していたという事実を改めて実感しました。伝統を継承することでより多くの人とつながることができます。そしてその伝統がより多くの人に愛されることになっていけば、そこには好循環が生まれるはずです。
伊能忠敬と佐原についての見学では佐原という街に伝統を感じました。四組の案内をしてくださった方は「佐原は伝統があり、多くの宝物がある素晴らしい街です。」と元気よくおっしゃっていました。
佐原は重要無形文化財や日本の音風景百選になっていますが、それは多くの人々に支えられているからです。実際に行ってみて、佐原も江戸のように栄えていたのだろうなと感じました。また佐原の
街の人々についてもう一つ感じたことは、伊能忠敬をとても尊敬し 、誇りに思っていることです。百選に選ばれた樋橋の長さを測ったというエピソードや忠敬の家、記念館は、佐原の街や人々と深く結びついています。これはとてもすばらしいことです。
最後に、伊能忠敬から学んだことは、大きな夢に向かって小さな努力を積み上げることの大切さです。忠敬は小さい頃から星が好きで、地球の大きさを測りたいという偉大な夢を持っていました。そのような夢をかなえることができたのは、毎日のように星を丁寧に計測して地道に努力した結果です。今回私が忠敬から学んだ、あきらめずに努力するという姿勢を見習い、私も将来なりたい自分になれるように一生懸命勉強をしようと思いました。
昔のことに興味を持つようになった社会科見学
3月1日、私たちは国立歴史民俗博物館、伊能忠敬記念館、佐原に行きました。この社会科見学で歴史を沢山学ぶことができました。
最初に見学したのは、国立歴史民俗博物館です。私は、第二展示室で平安時代から安土桃山時代までの日本の文化と生活を、貴族や武士、庶民といった様々な階層の立場から見学しました。この展示室には、昔の生活の様子を再現した模型や鎌倉の地図、お経が書かれた書物などか展示されていました。様々な物が展示されている中で、特に興味を持ったのは、板木という木の板です。板木とは八〜十七世紀の印刷文化で、印刷するために文字や絵を彫った板のことです。第二展示室には、沢山の板木が展示されていて、その表面は墨で印刷をするためか、黒くなっていました。私はこれを見て、細かく、美しく文字を彫る技術は素晴らしいと思いました。
次に、伊能忠敬記念館と佐原に行きました。伊能忠敬記念館では忠敬の生涯や測量道具、伊能図などが紹介されていました。記念館に入ると、目の前に忠敬が作った大日本沿海輿地全図と現在の日本地図とを比較するスクリーンがありました。忠敬の地図と現在の地図はほぼ同じで、大日本沿海輿地全図の正確さに驚きました。また、この地図を作るのに五十五歳から地球一周分を歩いたと知り、さらに驚きました。大日本沿海輿地全図が明治時代に焼失したことは残念ですが、正確な日本地図として大正時代まで約百年使われたことは素晴らしいことだと感じました。そして、忠敬が使った測量道具も展示されていました。忠敬が使った測量道具は、職人に特別注文して作らせたもので、当時、最も精密なものだったそうです。象限儀という天体観測をする道具は特に大きく、この道具を使った場所は忠敬の地図に星印としてかかれていました。
佐原は小江戸と呼ばれ、日本遺産に認定された町です。佐原には伊能忠敬が30年余りを過ごした伊能忠敬旧宅や伊能忠敬記念館があり、歴史的景観が広がっていました。その町に樋橋という橋があります。この橋は伊能忠敬旧宅の前に架かっていて、30分間隔で橋から水が落ち、落水音を聞くことができます。この橋はあふれ落ちる水音から、ジャージャー橋とも呼ばれています。私は以前、この樋橋をテレビで見たことがあり、気になっていた橋なので、実際に水の流れるところも見れて良かったです。
私はこの社会科見学を通して、色々な時代の歴史に触れ、様々な功績や素晴らしい物を知ることができました。今回、歴史について自分から見て体験したことで、以前より、昔のことに興味を持つようになりました。この経験を忘れず、4月から始まる歴史の授業に一生懸命、真剣に取り組んでいきたいです。社会科見学を設けて頂いたことに感謝し、学んだことを中学2年生で役立てていきます。
平和で安全な暮らし
私は、今回の社会科見学に参加して、中学2年生で習う歴史がとても楽しみになりました。初めに、佐原の町並みを見学して私が一番心に残っているのは「とよはし」です。「とよはし」の三十分に一回橋から滝のように水が流れ出る様子や、橋の下を船が通る場面を目の当りにすることができました。その光景は、とても迫力があり感激しました。佐原の人々は「とよはし」を「ジャージャー橋」とあだ名をつけて呼ぶほど親しんでいることを知りました。「とよはし」の周辺には伊能忠敬の旧宅や博物館があり、「とよはし」同様に伊能忠敬も地元の人々に親しまれていることを知ることができました。私はこの町の人々のように自分の住んでいる場所の良い所を沢山見つけ、多くの人に紹介できるようになりたいと思いました。
次に歴史民俗博物館では、第六展示室を中心にグループで見学しました。中でも最も印象に残った展示は、戦時中の兵士の衣・食・住についてです。戦時中の食べ物は質素で量や品数が極端に少なく美味しそうには見えません。衣類や住まいも質素で色合いも地味な印象で、寝床は硬く生活は今よりとても大変に感じました。もし、今の私が戦時中の生活をすることになったら苦痛に感じると思いました。これからの未来の日本が再び戦争をすることなく平和で安全な暮らしを送る大切さを改めて感じました。
今回ゆっくり見学のできなかった歴史民俗博物館の展示室については、家族と一緒にじっくり見学したいと思いました。
目標を達成できる人間
伊能忠敬や日本の歴史、佐原の街並みなど、様々なことに触れた今回の社会科見学に参加して、日本の今までの歴史、日本が歩んできた道や、日本地図を作成した伊能忠敬、彼と関わりの深い佐原を歩くなど、多くの体験をすることができました。
歴史民俗博物館では、第三展示室を見学して、江戸時代の人々の暮らしや、江戸の発展などが絵図や模型で分かりやすく展示されていたので、「江戸」を感じ、楽しく学ぶことができました。特に、展示室の最初にあった「江戸屏風」が印象に残っています。江戸の町や人々の様子がとても細かく描かれており、驚きました。他にも、江戸の町の模型など、立体的な展示物と合わせて知識を深めることができました。また、伊能忠敬記念館では、伊能忠敬の生涯を年表で表した展示物や、当時の測量の方法、その道具など、今まで知らなかった様々な情報を吸収することができました。その中でも、特に印象に残ったことが三つあります。一つは、伊能家の経営難を救い、元の状態に立て直した商人としての手腕とその努力です。二つ目は年老いてからでも新しいことに挑戦する意識です。三つ目は一度決めたことを自分の命の尽きるまでやり遂げたことです。この三つのことから、自分が何かをしていても、常に新しいことに挑戦し、前進し続ける意欲と、それを最後までやり続ける根気を持った伊能忠敬のような人間になりたいです。そのために、一度決めた目標はどんなに時間がかかっても達成できるよう、あきらめずに取り組む精神面を強化していきたいです。心の強さを自分の武器だと胸を張って言えるような人間へと成長できれば、自分を信頼し、より大きなこと、新しいことに挑戦でき、さらに自信が付くという良い循環になっていくと思います。その第一歩として、2年生への進級をきっかけに、今までの自分を大きく上回る成長をしていくためにも、成績の向上を目指していきたいです。
今回の社会科見学に参加して、特に伊能忠敬という人物の偉大さ、知らなかった一面に気付き、彼のように自分の決意を形にする行動力のある人間へと成長するためにも、まずは目標を立て、それに沿った努力を続けていきたいです。2年生の最初の目標は、1学期の中間テストで5教科合計で上位10人の中に入れるようにしたいです。春休みの間に1年生の学習をしっかりと定着させ、2年生の学習に活かせるようにしていきたいです。伊能忠敬のように、この目標を達成できる人間へと成長するべく、この春休みを有効活用し、この目標の達成に向けて一生懸命頑張っていきたいです。
謙虚と努力の偉人
僕は小学生のころから、歴史の偉人の本を読んでいて、伊能忠敬も本で読んだことがありました。しかし、社会科見学でボランティアガイドの人から、自分の知らない伊能忠敬を色々教えていただきました。例えば、伊能忠敬の夢や、伊能忠敬の描いた日本地図と今の日本地図の角度が違う理由です。伊能忠敬の描いた地図の大きいものは畳二百十四枚分はあると聞いて、日本の形、大きさ、位置を実際に歩いて描いた地図の正確さは現在の地図の技術に劣ることことがないのが偉大だと思いました。今の地図と伊能忠敬の地図で角度が違う理由は、地図の中心が違うからだそうです。今は兵庫県が中心ですが、その頃は京都が中心だったので、今の地図と角度が違うそうです。伊能忠敬の夢は地球の大きさを測ることで、もし、これが実現されていたら、その技術を応用してもっと今の技術が発展していたかもしれません。
また、国立歴史民俗博物館では第五展示室の近代に行きました。近代に行きたかった理由は、小学校、映画館、国内産鉄道といった日本で新しいものが多くでき、和から洋へと街の景観が時代の中で一番変わったので、興味を持っていたからです。一番最初にできた小学校は山梨県にあって、洋風の建築と思っていたのですが、壁や建物内はですが、今のチャイムが鐘ではなく大太鼓だったり、小学校の一番上には、しゃちほこがあったりと、まだ少し名残のある擬洋風建築でした。映画館があった大正には東京は戦争の景気があったりして、人口が、三百万人を超えていました。その頃に神戸で国内産の鉄道が完成しました。映画館は多くの人の娯楽となり、映画は今でも人々の娯楽としてあります。その頃の映画を観てみました。今ではあまり多くないですが、コメディ映画が多く、映画の宣伝は今でもありますが、ポスターで行っていました。
伊能忠敬はとても謙虚で努力を重ね続けた人だったそうです。江戸取の校訓「誠実・謙虚・努力」の中で、謙虚と努力の偉人であることに気づき、僕が見習う人であり、伊能忠敬のような謙虚で努力の人になるという一つの大きな目標を作ってくれた人であります。この大きな目標は達成できないかもしれません。でも、達成できなくても、それに向けて必死に努力をすることはできます。それによって、大きな目標に近づくことができます。短期間での努力は、結果を成さないので、少しずつこつこつと努力を積み重ねていけば、大きな目標を達成することができる、目標に近づくことができます。少しずつ積み重ねるために、今はどうすればいいのかを考え、それを実行することです。有言実行をスローガンとして掲げ、忘れることなく目標が達成される日まで、日々努力を重ね続けます。
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