救急医という夢
私の夢は、「救急科専門医」です。略して、「救急医」といい、急病の患者さんを診療科関係なく診療します。特に重症な場合には、救命救急処置、集中治療を行うことを専門とします。
私が数多くの科がある医師という職業の中で救急医に惹かれ、なりたいと思った理由はたくさんあります。小学校低学年ほどから大好きだった祖父の死がきっかけで医師という職業に強い憧れを抱いていましたが、その中でも救急医の存在を知り、なりたいと思ったのは比較的最近です。
まず救急医を選んだ第一の理由は突然命の危機にさらされた人を助けることができるという点です。実際、私の祖父も心筋梗塞による突然死でした。それもあってこの救急医という職業に心惹かれるのかもしれません。第二の理由は、患者さんの命を救うという医学の根源である救急医療に自分の医師へのイメージが合っていたからという理由です。誰かにとって大切な人を救うという医学の根源、本質を実現できるこの職業は素晴らしいと思います。これらが私が救急医になりたい理由のうちで一番シンプルで大きな理由としてあげられる二つです。
次に救急医が実際に現場でどのような能力が求められるのかということについてですが、検査などによる詳しい情報がほぼなく、一刻を争うという緊張感のある現場の中で救急医は全力を尽くさなくてはいけません。数少ない情報の中から患者さんの予後を考え手段を選び、実行していくことが求められます。ですので先を読む力、決断力、チーム内での協調性などの能力が求められるのが救急医です。また診療科関係なく診療するので救急医が持っていて無駄な知識は何一つありません。そのため他の科の専門医と比べたくさんの知識を持つ必要があります。それも浅くではなく、深く知る必要があります。その上で、自分の強みを生かしていくことが大切です。
最後に、この作文を書くにあたり、改めて自分の夢をしっかりと再確認することができたと思います。救急医について言葉にすることでこの職業の重要性や魅力、求められる能力などが明確に整理でき良かったです。これからも自分がどのような医師になりたいのかを考え、救急医という夢を強く持って頑張っていきたいです。
教師になるという大きな夢
私には大きな将来の夢があります。私の将来の夢は教師です。多くの人から信頼され、生徒をしっかりと支えることができる教師になりたいです。
小・中学校の教師が不足しているという報道を聞いたことが、この職業に興味を持ったきっかけです。もともと教育には興味がありましたが、さらに興味を持ってこの職業について調べたところ、教員免許を取得するためには国家試験を受けるのではなく、大学で必要な単位を取得すればよいということを知りました。免許を取得するには国家試験に合格する必要があると思い込んでいた私はとても驚きました。また、免許を取得するための方法も二つあり、大学の教育学部に進学するか、他の学部に進学し、教職課程を履修すればよい、ということも知りました。このこともまた、免許の取得には教育学部に進学するしかないと思っていた私を驚かせました。そして、難関大学に進学することが重要であることを改めて感じました。そして、私の志望大学は日本の最難関大学である東京大学と決まりました。
私が教師になりたい、と思ったきっかけは他にもあります。それは私が小学六年生のときにお世話になった先生です。普段の生活から受験に至るまで、様々な相談にとても親身にのって頂きました。また、良く出来たときには褒めてくださり、出来なかったときには叱咤激励してくださいました。私は、その先生を尊敬しつつ、その先生のような教師になりたいと強く思いました。そして、私の夢を叶えるために自分の志望大学に合格することが重要であるとも感じました。
「大学」と聞くと、よく分からないことばかりで不安である反面、気持ちが高まります。それは、今までの学校とは違うことがたくさんあるからです。小・中学校では、学校内の皆が同じ授業を受けます。しかし、大学ではそれぞれの夢によって勉強する内容が異なります。そして、それぞれが専門的に勉強します。自分の興味のある分野を専門的に勉強できることはとても楽しみです。さらに、周りに自分と同じ目標を持った人がいます。そのような環境で勉強に打ち込めることが待ち遠しいですが、不安もあります。例えば一人暮らしです。今は生活の大半を親がやってくれますが、一人暮らしをすると食事・掃除・洗濯など家事をしてくれる人は自分以外誰もいません。そう思うと、とても不安になる反面、全て自分でするため、しっかり自立できるとも思います。そして自立し、これまでたくさん迷惑をかけてきた人に恩を返せたらいいと思います。
私は、東京大学に進学し、切磋琢磨できる仲間と出会い、共に夢を叶えるために努力したいです。その後、多くの人から信頼される、生徒をしっかりと支えることのできる教師になりたいです。そして、お世話になった人にしっかりと恩返しをしたいと思いました。
私は、教師になるという大きな夢に向かってこれからも一生懸命していこうと心に誓いました。
妹のために、家族のために
私は、夢を語る会で6名の方のスピーチを聴き自分の将来について、改めて考えることができました。私が初めて夢を抱いたのは小学4年生の時です。私には妹がいて、当時は5歳でした。実は、妹には食物アレルギーがあるのです。私は幼い頃、そんなに重く考えていませんでした。しかし、今考えるととても大変なことだと分かります。妹は小さい頃からみんなと同じ物が食べられず、美味しい食べ物の味が分かりません。ある日のことです。私がおやつにプリンを食べていると、妹が羨ましそうな目をして私を見てきました。その時私は思いました。「妹にそんな顔をさせたくない。私が食べられるようにしてあげるから!!」そして、私は食物アレルギー専門医になろうと決心しました。
しかし、未だに食物アレルギーを治す治療法は開発されていません。そのため、食物アレルギーを持つ人達はたくさんいます。私は、患者さん一人一人に寄り添ってアレルギーを治してあげたいです。現実はそう甘くはなく、医師になるためには、たくさんの壁を乗り越えなければなりません。まず、大学の医学部に入り6年間勉強を積み、医師国家試験に合格することが条件です。世間からは、大変だと言われることが多いです。しかし、私には治してあげなければいけない人がいるので、そんな苦痛ではありません。そして、これから様々なことを頑張っていきたいと思います。
これから頑張りたいこと。それは、コミュニケーション能力を鍛えることです。医師にはもちろん学力や体力が必要ですが、私はコミュニケーション能力が一番大切だと思っています。医師は診察することだけでなく、患者さんと話すことで成り立っている仕事です。また、医師は患者さんの笑顔を見ることで、仕事をさらに頑張ることができるとよく耳にします。普段からコミュニケーションをとることで将来に繋がっていくのではないかと感じました。そして、何より忘れてはいけないことがあります。父と母への感謝の気持ちです。私はこれまでたくさんの迷惑をかけてきました。また、これからもかけると思います。私は、本当に感謝しています。ここまで育ててくれて将来の応援もしてくれて、いくら感謝してもしきれません。もちろん、妹達にも。家族全員が私のことを支えてくれます。本当にありがたいです。私は、この感謝の気持ちを一生忘れません。そして、必ず食物アレルギー専門医になって家族を喜ばせられるようになりたいと思います。
私は今回、自分の夢について考えてみてたくさんのことを感じました。来年は、私の夢をみんなの前で発表出来たらいいと思っています。
数学の研究者
僕の夢は、大学の数学の教授になって数学に関して新たな規則性や理論、定理を発見することです。そして、これからの日本や世界のさまざまな分野に役立つようにすることです。この夢を持つきっかけとなったのは、小学校の頃の塾で40人程度いるクラスで僕1人だけが他の生徒と違う方法で問題を解いたからです。他の生徒は大体教科書に載っている解き方をアレンジしたようなものでしたが、僕の解き方は教科書とは全く違い、担任の先生に「君は新しいものを発見する能力がある」と言われてすごく嬉しくなりました。この時僕は、数学の研究者になろうと思いました。
僕は夢を達成するまでの途中経過も考えています。まずは、中学受験の塾の講師になり、ここで数学の基本となる算数の応用を振り返りたいと思います。次は、私立の中高等学校の数学の教師になりたいと思います。そのためには、今から習う数学や今までに習った数学を完璧に理解する必要があります。そして夢のゴール地点である大学の教授となって研究をします。また、この夢までこの経過の中でいろいろな人たちと触れ合いたいです。
僕は今まで親や友達、先生などさまざまな人たちに支えられてやっとここまで来ることができました。だから、僕の夢や目標の本質は、常に周りの人たちや世界中の人々のためになるようなことをしていきたいということにあります。しかし、これらの大きな目標や夢を実現させるには、周りの人たちのみならず、世界各国の人々の支援も必要になってくるので、そこで必要となってくるのは人と人とのコミュニケーション能力だと思います。今の中学や高校時代は、その人と人とのコミュニケーションを学ぶために、とても良い時期だと思います。特に実践5項目は国際社会に出ても使えることだと思います。挨拶はもちろん礼儀など夢を実現させるには、必要不可欠な要素だと思います。これからも学校内にとどまらずに近所の人たちと交流を深めていきたいです。
僕は、これからもこの江戸川学園取手中高等学校の生徒として誇りを持ち、また今年から2年生になるので気持ちを引き締めて勉強や部活などに励んでいきたいです。
宇宙開発の仕事
僕は将来、宇宙開発の仕事に就職したいと思っています。なぜなら、未開発なところや謎が多い仕事で、未知の領域を研究していく楽しさややりがいがあるからです。その一方で、ロケットの打ち上げなど、失敗したときのリスクが大きい仕事でもあると思います。
宇宙開発の仕事を目指そうと思うまでには様々なきっかけがありました。一つは、「宇宙兄弟」という漫画です。宇宙飛行士を目指す二人の兄弟の話が描かれています。話の中では、宇宙飛行士の採用試験での閉鎖環境下のミッションの過酷さや月面着陸などについて細かく表現されていて、宇宙について少しずつ興味を持つことができました。また、それと同時にチームワークの大切さを知ることができました。次に、スーパームーンという現象です。スーパームーンとは、月が普段と比べて大きくなるという現象で、テレビのニュースなどで取り上げられる機会が最近増えてきたように感じます。僕もその大きさに圧倒されたので、この天体や宇宙についての知識を深めたいとそのとき強く感じました。また、JAXAの岡田さんの講演会です。講演会では、ロケットの燃料や岡田さん自身の経験を、聴いている人を楽しませながらお話をされていました。そのときはすでに宇宙開発の仕事につきたいと考えていましたが、よりその気持ちが強くなりました。そのときどきに感じた気持ちを具体的に生かしていくためには、勉強が大切になってくると思います。またそこから希望の大学に合格したり、宇宙開発に関する知識を増やしたりすることが必要になってくると思います。まずは、普段の勉強が大切です。普段からの勉強を大切にし、定期試験などで上位の成績をとることは宇宙開発の仕事を目指すうえでとても重要なことだと思います。
次に、大学の進路です。宇宙開発の仕事につくためには、理系の学部に入学する必要があります。僕は、宇宙飛行士として宇宙に行くのではなく、日本から技術開発という形で関わっていきたいと思っています。具体的に大学を調べていくと、東京工業大学の第四類や、早稲田大学の基幹理工学部、九州工業大学の工学部などがあることが分かりました。また、普段から宇宙に関して興味を持ったことを調べていくことが大切だと思います。最近は、はやぶさ2、ニュートリノなど宇宙に関することを多く耳にします。疑問に感じたことをすぐに調べることが宇宙に関する知識を深めることにつながるのだと思います。この宇宙開発の仕事につくという夢を実現することは、そう簡単ではないので、今はまずコツコツと勉強を進めていくことが大切だと思います。また、自分を信じて夢に向かって努力していきたいと思いました。
世界のために研究する物理学者
僕は、夢と言うと二つ思い浮かぶものがあります。それは、物理学者とプロテニスプレイヤーです。僕は、幼い頃にテニスを習い始めて、プロテニスプレイヤーの試合をテレビなどでたくさん見るようになり、プロテニスプレイヤーになりたいと少しずつ思うようになりました。物理学者になろうと思ったのはプロテニスプレイヤーになろうと思い始めた時に比べるとかなり遅くなってからです。僕は、偶然マイクロ波聴覚効果、別名フレイ効果という現象を知りました。この現象はパルスマイクロ波や変調マイクロ波を利用して、人に音を聴かせるものです。この効果のとても面白い部分は、特定のマイクロ波を放射された人にしかその音が聞こえないという所です。実は、マイクロ波を放射する人が発音体を持っているわけではなく、放射される人の頭の中で音を人工的に発生させているのです。詳しく言うと、放射される人の聴覚器の一部がマイクロ波によって加熱され、それによって生じた圧力波が頭蓋骨を通り抜けて、蝸牛に音として伝わります。マイクロ波は水分子を活発に運動させて物体を加熱することができます。電子レンジの温める原理もマイクロ波によるものです。僕は、この効果を知って物理に興味を持ちました。特定の人だけに音を聞かせるなどということはSF小説や映画の中での話だと思っていたので、驚きました。それと同時に物理学がここまで進歩していたのだなと思いました。また、物理学に対して無限の可能性を感じ、わからないことについてもっと考えたいと思うようになりました。幼い頃はプロテニスプレイヤー以外は目指していませんでしたが、近頃はプロテニスプレイヤーより少しだけ強く物理学者になりたいと思っています。
僕の今の一番の夢は、物理学者になり、自分がその時一番分からなくて興味を持っていたことを研究することです。僕は、物理学者を含めた全ての科学者には、あるべき姿があると思います。このあるべき姿というのは、研究に関しての具体的なものではなく、考え方についてです。2015年にノーベル医学生理学賞を受賞した大村智さんは、河川盲目症という病気を治療できるイベルメクチンという薬の開発に成功された方です。彼はなんとその特許を放棄しました。そのおかげで多くの患者が命を救われました。科学者は、大村さんのように自分の利益ではなく、世界のために研究する人であるべきだと思います。僕は、このような考え方をした物理学者になりたいです。
安心・安全な作物を作ること
私の夢は、安心・安全な作物を作ることです。私の母は、食べ物の食材や日用品を大変気にかけています。そして、母から木村秋則さんのお話を聴き、木村秋則さんに憧れたからです。
木村秋則さんは、世界で初めて無農薬・無施肥のリンゴの栽培に成功しています。まず、世界で初めてというところがすごいと思いました。そして、無農薬・無施肥という健康的な作物を栽培して、凄いと思いました。また、木村秋則さんは沢山の本を書いています。木村秋則さんは、1978年から本格的にりんご無農薬栽培に挑戦しましたが、日本の温帯湿潤な気候で、無農薬で育てる事は、困難だったそうです。通常5月中に咲く花がようやく9月に咲き、果実は結実することなく小梅程度の大きさに留まってしまいました。さらに害虫を手作業で駆除するなどの毎日の手入れも相当な努力だったそうです。しかし、それだけ苦労を重ねても数年は実がなることもなく、10年近くにわたって収入のない状態が続いたそうです。そのような状況にあっても、自給のために育てた他の作物での無農薬・無施肥栽培において良好な成果を上げつつ、木村秋則さんは少しづつりんごの栽培改良を重ねていきました。私は、このような木村秋則さんの諦めないところにも憧れを感じました。私も最初の方は、諦めずに頑張りますが、その努力があまりにも報われないと結構あっさりと諦めてしまいます。木村秋則さんの諦めないということも、私のひとつの目標です。そして、木村秋則さんを最終的に助けたのは、大豆の根粒菌という菌の作用で土作りを行ったかつての経験でした。私は、色々な経験は将来の自分を助けることがあるということを知ったので、今のうちに色々な経験を積んでいこうと思いました。土の中の根張りをよくするため大豆を利用した木村秋則さんのりんごの木は年々状態が上向いていきました。1986年にはようやくリンゴの花が咲き、実も通常通りつくにいたりました。こうして木村秋則さんが確立した無農薬・無施肥でのりんごの栽培方法は、従来の農家から不可能とされてきたことであり、弘前大学農学生命科学部の杉山修一さんは「おそらく世界で初めてではないか」と評しています。私は、このように色々な人に認めてもらえる木村秋則さんに憧れました。このように、私は木村秋則さんの色々な事に憧れ、木村秋則さんのような農家になりたいと思いました。そして、世界中の人々に安心・安全で健康的な生活ができる作物を作り、今ある体にあまり健康的ではないものを無くしていきたいと思いました。
最小の物質から見えてくる世界
「素粒子物理学者」とは、物質の最小単位と考えられている「素粒子」の運動法則などを研究対象とする物理学者のことです。僕がそんな素粒子物理学者に憧れを抱くようになったのは小学五年生頃からだと思います。父が見せてくれた NHKの番組で、素粒子について取りあげられており、興味を持つようになりました。その後、素粒子についての本や、番組を見るようになり、自分も将来、研究してみたいと考えるようになりました。宇宙に存在するすべてのものは、どれも素粒子から成っています。自分のからだ、ゴキブリ、まだ人類が見たことのない地球外生命体・・・、どれも素粒子から成っていると考えると、思わず興奮してしまいます。
最小の物質を研究するということは、それによって形成されている宇宙などを研究することにもなります。僕は、宇宙物理学や、物性物理学などのついても、興味をもっているので、これらと強いつながりをもっていることも僕が素粒子物理学者になりたいと考える理由の一つです。
また、素粒子物理学は環境問題解決への応用も考えられています。例えば、エネルギーロスの少ない「超伝導」というものがあります。「地球温暖化の救世主」とも呼ばれる超伝導ですが超低温なところでないと、今の技術では利用できないところが課題です。そこで考えらているのが「室温超伝導」です。室温超伝導とは超伝導になる転移温度が室温であることです。ですが、これを使うには粒子物理学を利用しなくてはなりません。他にもPET(陽電子トモラモフィ)などの医学利用にも使われています。このことからも分かるように、素粒子物理学は、僕たちの生活と密接に関係しています。素粒子物理学は今後の人類の飛躍においてかかせないものとなっているのです。
先日、柏市民文化会館で行われた、物理学の権威である梶田隆章先生の、特別講話をお聞きしました。世界的にも有名な梶田先生のお話は専門知識のない僕でも理解することができるほど噛み砕かれており、とてもおもしろかったです。梶田先生は研究生活を振り返り、様々な失敗を繰り返しながらも、一つ一つ答えに近づいていくという研究者の醍醐味を楽しそうに語ってくださいました。僕はそのお話にとても共感し、自分も研究の最前線に立ち、その喜びを味わってみたいと強く感じました。梶田先生は学生時代、人生を決めるような出会いがあったそうです。僕にもこのような出会いは訪れると思います。そのような出会いを大切にしていきたいです。梶田先生は物理学の研究は「人類共通の知をつくり、知の地平線を拡げる」ものであるとお話しされました。僕は将来、素粒子物理学という分野で人類が知の地平線を拡げることに貢献したいです。
|