中1 檀ふみさん朗読劇をお聴きして 
 

朗読の「美」

 場面、状況、雰囲気によって変化する語り方、奏者が演奏する旋律が一体となって聴衆の一人として聴いていた僕の頭と心に響きました。
 僕は小学校で初めて朗読を聴かせてもらいましたが、物の見方、捉え方が異なる中学生となった今は、朗読の「美」に触れることができたと思います。
 一つは、表現技法から感じ取れる感情と雰囲気です。語り手である檀さんの語り方は、背景が頭の中で想像できるという独特な表現がありました。抑揚をつけることで台詞をただ言うだけでは伝えられない、登場人物の変化する心情、感情や情景が感じられたり、思い浮かべられたりしました。また、檀ふみさんが作り出す会場の雰囲気を強調し、聴衆の心を揺れ動かすような奏者の方々の楽器の演奏が朗読劇をより一層、まるで目の前で繰り広げられているかのように思われるものにする効果がありました。また、時制が変化したり、場面が変わったりするごとに入る間奏も素晴らしかったです。抑揚の大小や音色の流れる速さによって喜怒哀楽の感情、今起きている現状をより強調する雰囲気が読み取れで、ストーリーの大まかな背景、流れが理解でき、心に、頭に、深く広く印象が刻み込まれるものでした。
 朗読の「美」には表現技法という、相手側に直接美しさを与える外面的な「美」もあれば、今見ていた視点を変えることで見られる別の種の美しさ、いわば内面的な「美」もあるのだと思います。今回、朗読劇で僕が見た内面的な「美」は、「一体感」です。語り手の語り方、奏者の尺八と琵琶の持つ美しい音色、会場の雰囲気等、一つ一つが独特な感動を与えるものですが、それらが一体となって朗読することで、より深い感動を与えるものとなっていました。
 
内面と外面は一見対照的ですが、一体となって得られたものが、今回の朗読劇で感じることができた朗読の「美」です。

 

印象的なセリフ

 私は今回の朗読劇をお聴きして、「芳一!」と亡霊が呼んだところが一番印象に残りました。なぜなら、檀ふみさんがとても感情のこもった声で、このせりふを演じていたからです。
 私は、「耳なし芳一」を以前、母から教えてもらったことがあり、大体の話の内容を知っていました。しかしその時は、ただ単に「何か怖い話なのだ」ということしか分からなかったと思います。多分それは、檀ふみさんのように、亡霊の立場になったつもりでせりふを読んでくれなかったからだと思います。そんな私が、今回の檀ふみさんの朗読劇をお聴きして、とても新鮮に感じ、さらにこの物語の内容がより深く分かりました。
檀ふみさんの「芳一!」というせりふは、この朗読劇が終わった今も、頭の中で繰り返しリピートされ、一生忘れられないと思えるほど印象的でした。
 私は、国語や英語のスピーチでは、これからは今回の朗読劇のように、イントネーションを工夫して、聞いている人に印象づけるようにしたいと思います。なぜなら、聞いている人が私の言葉を印象に残してくれることで、私の言いたいことがより深く伝わると思うからです。ですから、国語の音読や英語のスピーチ、また日々の家族や友人達との一回一回の会話を大切にしていきたいと思います。
 今回の朗読劇では、私にたくさんのことを学ばせていただき、本当にありがとうございました。

 

美しさと気品

 私は、檀ふみさんと言えば、「とと姉ちゃん」のナレーションをしていらっしゃる方という印象を持っていました。なぜなら、私は「とと姉ちゃん」を月曜日から土曜日まで録画をして、毎日学校から帰ってきた後、夕食の時に家族でご飯を食べながら見ていたからです。
 実際に、
檀ふみさんの朗読されている立ち姿を拝見すると、美しさと気品が感じられました。朗読劇が始まると、琵琶や尺八の音が聞こえてきて、その音色が、実際の風の音、海の音、不気味な音に聞こえてきました。そして、檀ふみさんの語りが始まると、心にしみこむ美しい声に夢中になり、「耳なし芳一」に出てくる赤間関の阿弥陀寺の風景や墓地に連れて行かれた芳一の姿を想像することができました。
 私が「耳なし芳一」という本に出会ったのは、小学校五年生の夏で、その時に読んだ印象はただただ恐ろしいというものでしたが、今回の朗読をお聴きして、改めて「耳なし芳一」の場面などを深く知ることができました。
 今回、檀ふみさんのような一流の方の朗読劇を聴くことができて、とても感動しました。江戸川学園取手中学・高等学校では、今回以外にも著名人を招いた講演会が開催されているので、こうした一流の方々のお話を聴くことで、将来に向けて、自分の視野を広げて、様々なことを身につけていきたいと思います。

目に浮かんだ情景

 私は、今回の檀ふみさんの朗読劇をお聴きすることができて本当に良かったと思いました。私は今回の檀ふみさんによる「耳なし芳一」の朗読劇をとても楽しみにしていました。「耳なし芳一」のお話は、日本の代表的な昔話のひとつとして題名だけは知っていて、確か亡霊などがでてくる怖い話であるというイメージはありましたが、詳しくはどのような物語であるかは知らなかったのでとても興味がありました。
 このお話の物語は次のようなものでした。壇の浦の合戦の様子を盲目である芳一が琵琶を弾きながら語るのを、その戦いで敗れて死んでしまった平家の人々の亡霊達が夜にひそかにその姿を現してその琵琶を聞いていました。それに気づいた和尚は、亡霊たちから芳一を守らなくてはと思い、芳一の体中にお経を書きつけました。しかし、うっかり耳に書くのを忘れてしまい、そのお経を書き忘れてしまった耳を亡霊にもぎ取られてしまいました。芳一はそれ以降「耳なし芳一」と呼ばれるようになったという話でした。改めて考えてみると、とても怖いお話です。
 
檀ふみさんの朗読は、声だけでその場面の情景が目に浮かぶほどとてもよくその物語世界を表現されていて、物語に引き込まれるようなものでした。また琵琶や尺八の演奏についても、わたしは生演奏をお聴きするのは初めてでしたが、物語の場面にとても効果的に使われていました。私は今回朗読や楽器の演奏をお聴きして、物語をここまで引き込まれるように表現することができる檀ふみさんと演奏の方々はすごいと改めて思いました。そして今回のとても素晴らしい朗読劇をお聴きすることができて本当に良かったです。また、今回のような朗読劇を聴く機会があったら是非またお聴きして、自分のよい経験を増やしていきたいと思いました。

 

聴いている人を惹きつける力

 檀ふみさんの朗読劇をお聴きして、一番印象に残っているのは言葉に聴いている人を惹きつける力があるということです。「耳なし芳一」の話は知っていたのですが、朗読を聴いていると、初めて聴く話のように夢中になって聴き入ってしまいました。聴いている人を惹きつけるように、声の大小とトーンを変えていました。他にも、台詞を読むときにそれぞれの役に合った声、例えばお腹の中から力強く発声したり、なごやかな声色になったり、とても感激しました。また、大勢の中で堂々と話せるのもさすがだと感じることができました。私もクラスの前で堂々と話せれば、と思いました。将来、檀ふみさんのようなおしとやかで、堂々とした女性になりたいと思います。
 朗読以外にも、印象に残っているものがあります。それは、朗読に合わせた琵琶と尺八の演奏です。琵琶はこの物語のメインである楽器であり、とても印象的でした。弦をこすり合わせる音や、壇の浦の戦いの段の語り聞かせはとても迫力がありました。尺八は深みがあってきれいな音色でした。一番印象に残っているのは、芳一が耳を取られるシーンです。鳥肌が立ちそうになりました。この朗読会を聴いて音読に興味を持つことができました。参加できて良かったと思います。


努力する姿勢

 私は今まで朗読劇を聞いたことがありませんでした。人間の声が琵琶と尺八の音と調和して、人の心をつかむというのは簡単なことではないと思います。ただ話すのではなく、そこにいくつもの工夫を合わせることによって初めて、聞き手が興味を持つものです。今回の朗読劇では、琵琶がもつ特徴的な音と檀ふみさんの静かな語りが、物語の恐ろしさや哀れさを表現していました。特に、芳一に誰かが近寄ってくるところは、尺八の震えた音がより恐怖を感じさせます。琵琶の堅く張ったような音と、尺八の柔らかく丸みのある音を場面によって使い分けていたのが印象的でした。
 楽器だけではなく、檀ふみさんが台詞のところと語り手のところをうまく使い分けているところも素晴らしいと思います。私は、檀ふみさんがナレーションをしている作品などを見て以前から感動していました。そして今回、檀ふみさんが目の前で朗読されるのを本当に楽しみにしていました。
私は、檀ふみさんの朗読の調子に惹き付けられて、すっかり虜になってしまいました。芳一に話しかける優しい和尚の声、芳一に対して怒鳴る和尚ではない人物の声。口調や強さがそれぞれによって違い、どうしたらそんなに変化させられることができるのかが不思議です。
 
檀ふみさんのように、朗読によって人を感動させようと努力する姿勢は、その情熱が周りの人たちにしっかりと伝わるものなのだと改めて感じることができました

語り継がれる物語

 今回は檀ふみさんによる朗読会ということで、「耳なし芳一」を聴かせて頂きました。
 「耳なし芳一」の舞台となった赤間神宮では、7月15日に耳なし芳一琵琶供養祭が行われています。今年にあった供養祭でも「耳なし芳一」が朗読されていることを知りました。
 芳一が実際にいたのか、いたとして本当に亡霊が耳を取ったのかどうかはわかりません。あくまでも伝説ですが、この話は今もなお赤間神宮や今回の朗読会等で人々に語り継がれています。何百年もの時を経て、今に至るまで語り継がれているということは、何百年も前の人々の生活を映し出していると考えることが出来ます。例えば、冒頭に芳一が「琵琶法師として身を立てた」とありますが、現代でこのようにして生活している人はいたとしても、決して多くはありません。これはとても自然なことですが、何百年も前の世の中が映し出されています。
 
このように物語、神話、伝説などで昔からあったものは多くあります。それらの話は昔の人々が語り継いだことで、今それらの話があります。そして、今回の朗読会のようにまた語られます。そのように、語られていく物語は昔からどのような世の中だったか、人々は物事に対してどのように考えていたのかなど、様々なことが表れています。これを現代に生かすことも物語や神話、伝説が語られる一つの理由だと思います。
 今回の檀ふみさんによる朗読会で物語や神話、伝説が語られる理由をまた一つ考え、知る事ができました。これからもこういった会に積極的に参加し、自分でも語れるようになりたいと思います。

華やかさと迫力のあるステージ

 テレビでしか見たことがなかった檀ふみさんが、自分の数十メートル前にいるということに、信じがたい気持ちになりました。
 尺八と琵琶の音がとても美しく、その音を聞いただけで、物語の空気が伝わってきて、文章を読むだけよりも理解が深まったように感じます。檀ふみさんの朗読を生で聞くのは初めてのことで緊張しましたが、とても滑らかな口調で、音の強弱をつけたり、登場人物の会話文は低めに読んだりと、とても工夫がされていました。一番感動したのは、息継ぎが聞こえなかったことです。前触れがなく、ふっと音が始まることが不思議でした。朗読が終わった後、友達に聞いてみると、私だけでなく友達も息継ぎが聞こえなかったそうで、驚いていました。
 生で聞いた檀ふみさんの声は、テレビで聞いた声と同じでした。有名な方なのでこういう場に慣れているとは思いますが、沢山の聴衆を前にして、堂々としている姿はとても格好良かったです。私がクラスで発表するときの姿とは正反対なので、憧れてしまいます。
 
一人の人がステージで朗読するというのは、寂しいイメージがありましたが、尺八や琵琶も加わり、華やかさと迫力がありました。聞き終わった後は満足感に包まれました。こういうお仕事はプレッシャーもあると思いますが、観客の満足感が伝わると嬉しいのではないかと思いました。
 
今回は、檀ふみさんの朗読を間近に聞けて、本当によかったです。とても印象に残りました。

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