1組 Yさん

 私は今回初めて命の講話をお聞きしました。今までは交通事故による死についてニュースでは見ていても他人事としてしか捉えていませんでした。しかし、お話をお聞きして交通事故による死について考えました。交通事故はいつ誰に起こってしまうのか予測できません。家族であったり友人であったり、自分に起こるという可能性もあります。自分が気をつけていても相手の不注意が原因で起きてしまいます。しかし、反対に、誰でも加害者になってしまう可能性もあります。ちょっとした気の緩みや不注意こそが大きな事故に繋がってしまいます。私はおそらく、車の免許を取得すると思いますが、車を所有すること、運転することに責任をしっかり持って不注意のないようします。
 また、事故に遭うと精神的にも肉体的にも苦痛がもたらされると思います。そして、被害にあった方やその家族の方々を支えられるのは身近にいる人々であると思います。しかし、身近にいるからこそ間違った言葉や行動で悪影響を与えてしまうこともあり得ます。それでは私たちはどのような言葉をかけてあげればいいのでしょうか。励ましの言葉や自分では良いと思っていた言葉でも、精神的に苦痛を持つ方々を悲しませてしまうことがあるため、言葉をかけるよりも相手の話を相槌を打ちながらじっくりと聞くことが大切だと思います。命の講話を通して、私の交通事故への見方が変わりました。そして、自分の行動が周りに大きな影響を与えてしまうことをしっかりと理解して、自分の行動に責任を持ちたいです。

    

3組 Tさん

 私は今回片山さんのお話をお聴きして命の大切さを改めて感じました。なにも悪いことをしていないのに奪われてしまった幼い命はかけがえのないもので、そのことは許されるべきではありません。しかし、事故というのは誰もが思いもしなかった時に起こりえて、家族や友人に囲まれて楽しく暮らしている今の生活も一瞬にして変わってしまいます。交通事故などの事故を防ぐために私たちにできることは、事故を生み出すような環境をつくらないこと、例えばいじめなどが起こらないように自分の周りの環境にも気を配ることだと私は思います。ニュースではいじめられていた子が自殺してしまったということが報じられています。それは、「複数人がその子がいじめられているのを見ているのにも関わらず」です。確かに、いじめられている現場に仲裁として、「いじめは良くないよ」と言うことはとても勇気がいります。しかし、そのことを先生に相談したり、いじめられている子の相談に乗ってあげたりと、いじめを減らそうとする動きはたくさんあると思います。そのように一人一人が小さいことでもいいからいじめをなくす環境を作ろうとすることが、人の命を救うことに繋がると私は思います。
 
今、私自身はいじめとは無関係な環境にいると思っていますが、私の知らないところでいじめが起こっているかもしれません。その人のSOSに気付くためにも、環境を整えて友人や家族とのコミュニケーションを大切にしたいです。今回のお話では今ある環境を大切にし、周りの人への感謝の気持ちを常に忘れないことが大切だと学びました。


     

4組 A君

 私は今回の講演会でよりいっそう命を大切にしたいと思いました。私は小5の時に交通事故に遭い、全治約1年という大怪我を負い、2ヶ月間入院しました。入院中、家族やお世話になっていた皆に色々迷惑をかけてしまったのですが、退院してから普段と同じように接してくれて嬉しかったのを覚えています。片山さんの場合とは違いますが、被害に遭った人々に対する態度は普段通りに接することが大切だと思いました。また、交通事故による被害、特に飲酒運転や居眠り運転の事故が多く、それらの事故で亡くなってしまう方もいます。取り残されてしまった家族達は心や体を悪くしてしまったり、お金のことなど色々な問題を抱えてしまいます。飲酒しているにも関わらず運転しようとするのはリスクが高いので誰も幸せになることができません。皆が幸せになるためには、一人一人が気をつけて周囲の人々に迷惑をかけずに行動するべきだと思いました。自分の命は親から譲り受けたものなので、自分だけのものではないと思います。ですから命を粗末にしてはいけないです。これから生きていく中で様々な事故や事件が起こりうるかもしれません。そうなったときに他人事だと思わず、しっかり関心を持ちたいと思います。また将来私も運転免許を持ち運転するかもしれませんが、飲酒運転することは絶対ないようにしたいです。また、これから社会の中で色々な人と関わっていくと思いますが、関係性を大事にし、日々を過ごしていきたいと思いました。



5組 Kさん

 今回の「命の講演会」ではご遺族の方から直接話を聴くという貴重な経験をし、命について考える良い機会となりました。交通事故は本当にいつどこで起きてもおかしくないと思います。車の運転について、私は18歳なので、卒業したら車の免許を取得し、車を運転するようになると思います。今までは、ただ車の運転をするのが楽しみだなという気持ちでいましたが、車の運転は、自分の不注意によって他人の命を奪い、多くの人を悲しませることになります。とても危険で過ちが許されず、大きな責任を伴うものだということに気付きました。私は間違いを起こすことがないように安易な気持ちで車の運転をせずに、常に周りを見てどこが危険なのかを考えるようにしたいと思いました。それから、人生は一度きりなので、後悔することの無いように一日一日を大切にしていこうと思いました。また、日々感謝の気持ちを忘れないで、言葉にして相手に伝えることが大切だということを改めて身に沁みて感じました。自分が今、こうして普通の生活ができたり、当たり前のことを当たり前にできることが凄く幸せだということを改めて感じることができて良かったです。命について考え、忘れがちになっている感謝の気持ちを相手に伝えることを思い出させてくれる機会を与えてくださったことに感謝しています。


      

6組 Mさん

 今まで当たり前のように生きていて、これからも一緒に生きていくはずであった人が突然亡くなることは受け入れ難い現実で、その後の自分の人生が大きく変わってしまうかもしれない出来事です。しかもそれが交通事故となると、加害者を恨む人もいるかもしれません。そんなことを考えながら今回の講演を拝聴し始めました。しかし、私が思っていたことには反して、内容は前向きなものでした。もちろん、息子さんが亡くなられた悲しみも伝わってきましたが、その悲しみに暮れているだけではなく、自分の体験をもとに様々な活動をなさっていることに尊敬を覚えました。特に、刑務所で講演を行ったことには驚きました。
 そのようにして講演中は片山さんの活動に対しての敬意と驚きを感じていましたが、後になって考えてみると、片山さんが私達に伝えたかったのは、少しの油断で人の命が簡単に失われてしまうことだと思います。今でこそ片山さんは「あひるの一会」として被害者支援などを行っていらっしゃいますが、本来ならば大人になった息子さんと一緒にお酒を飲んだりしていたかもしれません。そう考えるといたたまれない気持ちになります。私は現在最寄り駅まで自転車に乗って通学しているので、少しの油断で加害者にもなり得ることを改めて理解し、急いでいるときでも油断はしないと決心しました。
 今回の講演で、被害者の遺族の方々が沢山の苦労をなさっていることや、交通事故に関して日本はまだ改善の余地があることなどを知り、とても考えさせられました。それと同時に、片山さんたちのような人の思いや活動が、少しでも多くの人の心に伝わるよう、私もできる範囲でまわりの人に交通事故を減らすことを訴えたいと思いました。


9組 T君

 いのちの講演会に参加して、僕は初めて実際に事件の被害者側の方のお話をお聴きしました。この講演会で、事件の被害に遭われた方がどのような影響を受けるのかということや、そのような方にどう接するべきか、片山さんが行われている活動がどのようなものかといったことなど、報道からでは知ることの出来ないことを知りました。
 片山さんが初めにお話された実際の事故についてお聴きして、残酷さや痛々しさを感じました。父親として息子にかける情熱を奪われてしまったということや、事件後にいろいろな所へ行かれたというお話から、交通事故によってかけがえのない存在を失ってしまった片山さんの、心に受けたショックが計り知れないほど大きなものであったのだと思いました。片山さんのように、事件の被害に遭われた方と身近に接したことは僕はまだありません。しかし、お話をお聴きして、被害者の繊細な心情に理解を示し、普段通りに接することが必要であると学びました。事件など起こらないのが理想ですが、もしこれから自分の身近な人が事件の被害者となってしまったら、今回学んだ接し方を出来るようにしたいと思います。
 また、片山さんがされている活動についても知りました。加害者側を立ち直らせる指導をする活動についてお聴きして僕は驚きました。事件の被害に遭ったことは思い出したくないと考えるのが普通だと思ったからです。しかし、片山さんのお話が進むにつれて、事件の被害者を減らしたいという強い思いから片山さんがこの活動をされているのだと分かり、素晴らしいと思いました。
 いのちの講演会に参加して、僕は片山さんのように事件の被害に遭った経験を生かすことは出来ませんが、違う方法で事件の被害者を減らすことに貢献したいと思いました。