1組 Hさん

 今回、私達が見させて頂いた「雅楽」は、音楽の授業でしか映像を見たことが無く、とても貴重な時間になりました。雅楽は、約千年前につくられた日本の伝統音楽ということですが、演目の一番目の平調音取(ひょうじょうのねとり)、二番目の越天楽と、鳥肌が立ち、心と体全体で言葉では表現することができないほどの感動を味わうことができました。この鑑賞会が始まる前は、つまらないだろうと思っていました。普段、聞いている現代の音楽とは明らかに違う雅楽は、そのときの私にとって、それほど魅力がないもので、興味がありませんでした。しかし、演奏が始まってから、私は今までの自分の考え方に後悔しました。生まれてから17年間、とても美しい雅楽と触れ合ってこなかったことがもったいなかったと思いました。
 また、演目の最後の「舞楽 陵王」は授業で見た映像との違いが大きく、とても驚きました。まず、陵王が身につけていたお面です。座席からも分かるほど、とても大きく、威圧感のあるものでした。怖いと言うよりも、王としての威厳を感じさせ、画面を通してでは分からない雰囲気を感じとることができました。もう1つは、陵王の動作です。動作はとても大きいのですが、とても静かでした。印象は強いにも関わらず、激しくないということが凄いと思いました。現代では、印象が強いものとなると、騒がしいものが多いと思います。その物の純粋な美しさだけで、ここまで印象が強いということはとても凄いことだと思います。そして、それは実際に見なければ分からないことでした。
 今回、このような機会がなければ、私は一生、雅楽を聴くことはなかったと思います。このような貴重な機会を設けて頂いたことに感謝いたします。




2組 G君

 僕は、今回初めて「雅楽」というものを聴きました。聴いた時の第一印象は、想像していたものよりも大変明るく、音色がきれいだということでした。昔から継承されている音楽だからと勝手に低重音の音楽だと解釈していたので、とても印象に残りました。しかし、雅楽に対してほとんど何も知らない僕は、たくさんある楽器の中でどれがどんな音を奏でているのかがわからなかったので気になっていました。すると演奏者の方が僕のような楽器についてあまり分からない人達のために、詳細に説明してくださいました。そのことによって、その後の演奏がより興味深いものとなり、満喫することができました。特に、雅楽での校歌の演奏は非常に優雅なものでした。また、最後に行われた「陵王」という舞楽は、華やかな演奏とともに舞う姿がとても美しく力強かったので見入っていました。
 最近の音楽というものは、コンピューターなどを使って作るものが多く、それは楽器本来の音色ではないと思います。それに比べて雅楽は昔から伝わる音楽なので楽器本来の音色を楽しむことができます。雅楽をもっと身近な音楽にするためにも、こういった機会を増やし、日本の誇るべき文化をみんなで楽しみたいです。



 


組 O君

 伶楽舎の雅楽を聴いてまず感じたことは、雅楽は私たちが普段聴いている音楽とは全く違う音楽だということです。私たちが聴いているポップスには一定のリズムがあり、そのリズムを聴いていると自然に体が動きます。また、ポップスにはハーモニーの流れがあり、曲の流れに変化を感じます。
 それに対して雅楽には明確なリズムもハーモニーの流れも感じられませんでした。まるでゆっくりと流れる川のように曲は演奏され続け、いつのまにか終わります。越天楽という曲を聴いていたとき私は、まるで秋風のようにさわやかで柔らかい風が私たちを包みこみ、ゆったりとどこかへ流れていくように感じました。雅楽が日本の宮廷で演奏されていた時代に人々は、あのようにゆったりとした時間の中で生きていたのだと思います。そのような意味で、雅楽は古代の人々の時間感覚が封じ込められた化石だと思います。
 また私には、篳篥、笙、琵琶、箏といった様々な楽器が常に一体となって心地よいサウンドを作り上げていることも印象に残りました。現代のロック・バンドだと、ヴォーカルやギターがバンドの中心として目立つ役割を果たし、ベースとドラムは後ろの方でバンドを支えています。それに対して雅楽の楽団には中心というものが無く、全ての楽器が平等に大切な役割を担っていると感じました。今回の伶楽舎の演奏を聴いて私は、世界には様々な音楽が存在することを認識することができました。





4組 T君

 今回、僕は雅楽というものを初めてしっかりと聞くことができました。僕は、雅楽を聞いてまず、きっと僕は、このような機会がなければ、こうした音楽に触れる機会はなかっただろうと思いました。
 僕は、雅楽のことを知らなかったわけではありませんでしたが、きちんと聞いたことはなく、もし今回のような雅楽の演奏会がなければ、僕の雅楽に対するイメージは、古風で理解をするには、難しい教養が必要で、何か難しい知識がないと、聞いていても退屈なものになってしまうだろうと思っていました。しかし、実際に雅楽の演奏を聞くと、そのような難しい知識は必要なく、とても心が落ち着く演奏を聴くことができて気持ちが穏やかになりました。
 また、僕は今回の演奏会を聞いていて、雅楽のような素晴らしい文化を知らないということは、とてももったいないことだと思います。雅楽のような昔からの伝統文化などが演奏会の時などは、退屈だと思う人はいると思います。しかし、その演奏会が退屈かどうかは、実際に聞いてみないと分からないので、それを聞く前に退屈なものと決めつけて聞かないということは、とてももったいないことだと思いました。それから、自分の生まれた国にこのようなとても素晴らしい文化があるということは、とても誇らしいことで、僕がもし他の国に行って自分の国がどのような文化があるのかを知らないということは、恥ずかしいことだと思うので、これから先、このような機会があった時は、積極的に参加してみたいと思いました。 



 


5組 S君

 僕は今まで雅楽という言葉を聞いたことがありませんでしたし、その音楽も聞いたことがありませんでした。だから僕は、今回の講演会をとても楽しみにしていました。実際に雅楽を聴いてみて、とても驚きました。何より驚いたことは、雅楽で用いられる楽器の多さです。楽器は全部で八種類あり、笙、龍笛、琵琶、篳篥、箏、鞨鼓、太鼓、鉦鼓です。今までで一度も名前を聞いたことがないものばかりでとても驚きました。演奏者の方から1つ1つ楽器の紹介がありました。どれもがとても綺麗な音で様々な特徴がありました。この8つの楽器の中でも特に笙と篳篥が印象的でした。笙は今までに聞いたことがないような音色でとても凄かったです。また、笙は息を吐いても吸っても音が鳴るため、途中で息継ぎをすることなく、音を鳴らし続けることができるということで、とても驚きました。そして、篳篥は、竹でできた管に、芦で作ったリードを差し込んでいる縦笛で雅楽の中では最も小さな楽器ですが、その小さな楽器からは想像もつかないくらいの大きな音が出ます。僕の知っている楽器の中に、篳篥ほど大きな音が出る楽器を知らなかったので、とても驚きました。楽器の紹介の後に演奏は始まりましたが、校歌を雅楽用に編集したものを雅楽で聞き、いつもとは違った感じで新鮮さがあり、良かったです。僕は、今回の講演会を通じて、自分が知らなかったことなどを沢山学ぶことができて、とても良い経験になりました。




6組 Y君

 先日、雅楽という日本古来の音楽を鑑賞しました。恥ずかしながら私はこの鑑賞会まで雅楽というものを名前だけしか知りませんでした。演奏を聴いて初めて、この雅楽が神社や寺院で演奏される音楽だということを知ったほどでした。
 
ゆっくりとしたテンポと独特な音色、過度に打ち鳴らされない楽器は厳かな雰囲気を醸成します。また、指揮者がおらず、ポピュラー音楽に見られるようなリズムパートも存在しないため、聞いているとその厳かな雰囲気と相まって心が落ち着いてきます。
 重無形文化財に指定され、無形文化遺産にも登録されているという雅楽ですが、現代人にとっては今ひとつ関心が薄いように思います。私自身、前述したとおりこの講演で初めて雅楽を知りましたが、この講演以外で雅楽を鑑賞する目的で雅楽を聴いたことがある方は本校生であっても数えるほどしかいないと思います。この機会がなければ一生雅楽を鑑賞することは無かったという方がほとんどかもしれません。雅楽に限らず、日本の伝統芸能と呼ばれるものは衰退の一途です。実用性の低い物や人の興味関心が薄いものは需要が無くなり、廃れていくというのは自然の摂理であるかもしれませんが、日本の貴重な文化です。衣食住の全てにおいて欧米化が進んだ現在の日本で、古来の伝統をいかに残すのか私達には課題があると改めて思いました。