田中優子先生講演会をお聴きして

 

       

 

10組
 今日の片山さんのいのちの講演をお聴きして、事故で家族を失った人の悲しみや命というものがどれだけ大切なものなのか非常に考えさせられました。 私は事故で家族や友人を亡くした経験が一度もないので、犯罪被害者の悲しみがどれだけのものなのか、正直、よく分かりません。しかし、以前に私がよく遊んでいた友人の母が交通事故で亡くなりました。 その日からその友人は暗い人間になってしまいました。友人からいつもの楽しそうな笑い声や笑顔が消えてしまったことは今でも鮮明に記憶に残っています。 私も毎日、友人が悲しそうに過ごしている姿を見ていてとても辛かったです。いつも遊びに行く友人の母が急にいなくなってしまうことなど考えもしませんでした。 私は悲しむ友人になんて声をかけて励ませばよいのか、とても悩みました。しかし、当時の私は、どういう声をかけてあげればよいのか分かりませんでした。 友人の深い悲しみを前にして、こんなことを言っては余計なお世話になってしまうのではないか、自分の中でいろいろな感情が混じり合い、どうすればよいのか分からなくなってしまったのです。
 しかし、今になって考えてみればそれは、私の考え過ぎだったような気がします。どんな言葉でも友人として心配しているという気持ちをしっかり込めて、励ましの言葉をかければ友人の心にも届いたと思いますし、少しは心が救われたはずです。そしていつまでも心配するばかりではなく、周りにいる私達は悲しみを理解しつつ、いつも通りに接してあげればよかったのではないかと思います。犯罪被害者の方の悲しみが消えることはありませんが、いつまでもその悲しい記憶に浸っているばかりではいけないと思います。犯罪被害者の方も悲しみを乗り越えるという気持ちに切り替えて、一人で悲しみを抱え込まず、多くの人を頼って乗り越えていけばよいと思います。私の友人も悲しみを乗り越えて、今では昔の明るさも取り戻し、元気に生活しています。
 ニュースなどで毎日のように報道されている死亡事故ですが、それを見ていてもなぜか友人の母が亡くなった時のような悲しみは込み上げてきません。海外の貧しい国などでは毎日何万人もの人が死んでいるという事実も分かっているのに、さほど悲しみはありません。友人の母の命も海外の貧しい国の人々の命も同じ命なのに…。これは私の心が冷たいからなのでしょうか。ニュースで亡くなってしまった方の名前なども報道されますが、その亡くなられた方のことを悲しみ、一週間以上経ってもなお、記憶に残っている人は少ないのではないかと思います。 毎日のように人が亡くなり、それが当たり前のようになってしまっているのではないでしょうか。私達は命の重さを改めて考え、事故を起こさないように心掛ける必要があると思います。

 

   

 

      

      






11組
 今回行われた「いのちの講演会」では、とても「命の大切さ」を感じることができました。ご家族を亡くされた方から、このような講演会という形で、お話を直接うかがったのは初めてでした。今、私たちに話して下さっている方が、過去に実際、ご子息を亡くされたのだと思うと、とても他人事とは思えませんでした。また、悲しげに話している姿を見てとても胸が苦しくなりました。話の中には、多くの方が出てきました。隼くんや、ご家族、車で隼くんを轢いてしまった人、隼くんと一緒に横断歩道を渡ろうとしていた人、隼くんの同級生。自分がいつ、どういう状況になってもおかしくはないと思いました。もしかしたら、私も明日、家族に「行ってきます」と言っても、「ただいま」とは言えないかも知れません。そのような被害を少しでも減らしていけるようにしたいです。
 お話を聞いていて、本当に隼くんはかわいそうだと思いました。信号無視をしていたわけでも無く、法律を守っていたのに、車に轢かれてしまったからです。8歳という年で命を奪われてしまいました。私は今、16歳なので、ほぼ半分の長さしか生きることができなかったということです。8歳から16歳まで、どのような人生を送っていたか振り返ってみると、いろいろなことがありました。小学校や中学校で、多くの人と出会い、いろいろな感情を抱き、何かに全力で取り組み、充実した生活を送ってきました。そして、これからもそうだと思います。たったの8年間ですが、隼くんは経験できなかったのかと思うと、本当に悲しくて仕方がありません。将来の夢を隼くんも抱いていたと思いますが、自分も命を大切にして、隼くんの分までしっかりと生きていきたいと思いました。
 そして私は、「信号を一緒に渡ろうとした人は、もっと何か対策はなかったのだろうか。そして犯人は轢き逃げしないわけにいかなかったのだろうか」と思いました。自分がもし加害者になってしまったら、その場にいた人だったらと考えると、自分もできるかどうかわからないと思いました。しかし、どんな立場の人になってしまったとしても、命を大切にする行動は取らなければいけないと思います。私も学校に登校する際に、駅まで自転車を使っています。そして細い道や、周りには、多くの歩行者がいて、歩行者と自転車とでは、加害者に自分がなってしまうことがあると思います。私は、もしそうなってしまった場合に恐怖から逃げず、命を守れる人間になりたいと思います。
 今回聞いた隼くんのような被害を減らすために、一人一人が命を大切に思い、行動できるようになると思います。

 

         

      

 







1組 

 私は今回の講演を受けて、自分の「命」は自分一人だけのものではないのだということを感じました。大切な人を亡くせば、その人の中でも何かが亡くなっていく。それは、生きがいであったり、日々の当たり前であった幸せ、情熱、未来への希望であったり。それは全て、お金で買うことはできません。そしてそれをなくす、奪われるのは、何も悪いことをしていない、ただ普通に生きていた人です。 その時、たまたまそこを歩いていたというだけで。たったそれだけで、一瞬のうちに何もかも全てが亡くなってしまう。それはすごく理不尽なことだと思いました。命の大切さ。私たちは、それを無くして初めて、その本当の重みに気づくのだと思います。 それとは裏腹に、現代の社会では、自らの命を絶つ人が年間2万人を超えています。身内を亡くされた遺族にとって、この数字はどう映るのだろう、と思いました。 自分の命を大切にできない人は、他人のことも大切にできないと思います。私は将来、医師を志している者として、まずは自分の命を大切にし、常に周りに感謝の気持ちを忘れずに行きたいと思いました。
 また、私が今回の講演でもう一つ思ったことは、なぜ私たちはこんなにも恵まれているのに、日々不満や愚痴ばかりこぼしているのだろう、ということです。
事故に遭って亡くなられた方々と私たちの差は何だろう。そう考えたときに私は、そこには何の差もなく、みんな毎日を当たり前に生きている、あるいは生きていた人たちである、ということに気づきました。 もしかしたら、自分が事故に遭っていたかもしれない。そう思ったとき、自分が毎日を生き、学校に登校でき、友達と昨日のテレビの話をしたり、四時間目の終わりを告げるチャイムが待ち遠しかったり、そういうことも全て自分が今生きているから感じられることなのだ、と初めて気づきました。 それは、言われてみれば、当たり前で根本的なことだけれど、たいていの人は気づいていなかったのではないのかなと思います。気に入らないことや、不満、そういうのも全て生きていられるから感じられることです。 それなのになぜ私たちは不満や気に入らないことばかりを見つけて、それを批判してばかりいるのだろうと思いました。 どうせ生きるのだったら、不満ばかり見つけていないで、生きがいや楽しみを見つけられたら、と思います。 まだ難しいことかもしれないけれど、何か不満に思ったり愚痴を言ってしまいそうになったら思い出していきたいと思います。 私は、治療をするだけの医師ではなく、患者さんの心もきちんと診られる医師になりたいと思っています。 そのために今、何をするべきか、心がけるべきなのか。今回の命の講演会を通して、今自分のすべきこと、自分に足りないものを見つけることができました。 この初心を忘れず、小さなことや普段見逃していることを見つけ、常に感謝の気持ちを忘れない、そのような人になりたいと思いました。

 

        

      

 

 







2組 

 「いのちは一人一つしかないもの、お金では絶対に買えないものです」という片山さんの言葉を聞いて、こみあげてくるものがありました。 僕は、中等部の時に「命の尊さ」について、どれだけ命が大切かを実感したことがあります。 その時に教わったこととして、「自分が生きていることはとても幸せなことで、それは自分たちの母が頑張ってくれたから」というものです。 そもそも、僕たちが今、何の不自由もなく生活できてるのは、奇跡といっても過言ではありません。世界中では数えきれないほどの子供をはじめとする多くの命が毎日毎日失われていっているのです。 その命は失われるためにあるということは絶対にありません。どの命も生きるために存在しているのです。 失わるべきではない命が世界中でたくさん失われているにも関わらず、一方では自殺や殺人などで自ら命を断ったり、意味もなく人の命を奪うという行為をする人もいるのです。 この事実は何とも理不尽なことだと思います。人は皆、母親が自己の命の分身として「赤ちゃん」として生まれてきます。はじめはみんな同じです。それがいつの間にか理不尽な方向へと進んで行ってしまう人もいます。 しかし、「いのちとは、一体何ですか」と問われたら、きっとそれぞれに違う答えを出すはずです。 僕にとっての「いのち」とは、もちろん大切なものですが、この命ある限り、人のためになることを一つでも多くするためにあるのだと思います。 人は、生きていればきっと良いことはあります。だから、僕らの一番の親孝行はまっすぐに、元気に、しっかりと生きていくことだと思います。 だからこそ、片山さんが子供を八歳で亡くされたということがどれだけ悲しいことであったのか、どれだけ悔しいことだったのかは計り知れません。 現に、僕らが何をしようと、今はまだ世界中で起こっている飢えやテロなど様々な事件を止めることはできません。 しかし、大人にならなくても僕らにも出来ることはたくさんあると思います。 今を生きているというこの時間をどれだけたくさんの人のために割けるかが重要だと思います。今僕らが考えることは、小さなことではなく「いかにして自分の人生を使うか」ということです。 今生きている時間は一分一秒が一度きりなのです。だからこそ僕たちは今できることをしっかりとこなして、自分のいのちと向き合っていくべきだと思います。

 

        

      

 

 







3組 

 私たちは毎日、新聞やニュースで死亡事故について見聞きします。死亡事故の報道がない日はおそらく一日として無く、悲しいことに私たちは普段そういったニュースにあまり気を留めることはなく、他人事と思って聞いているために死を身近に感じることは少ないと思います。だから、今回の講演会で実際に家族が被害に遭われた方のお話をお聞きして、被害者の家族は、家族を失った悲しみをずっと抱き続けるのだと改めてわかりました。
 家族を失うこと。何よりも大切で、かけがえのない家族を亡くすことは本当に悲しいことです。ましてや、交通事故のような防げたかもしれないことによって失ってしまったら、どんなにやり切れないか、想像もつきません。しかし、それは誰にでも、いつでも起こり得るのです。
何気なく暮らして、それが当たり前のように感じている人がほとんどだとは思いますが、決してそうではありません。誰でも事故の被害者になり得ますし、また、意図しなくても加害者にもなり得ます。そのようなことを避けるためにも、私たちは一人一人が事故を起こさないという気持ちを強く持っていかなければいけないと思いました。
 そこで、私は事故をなくすために、具体的に何ができるかということを考えてみました。私は高校生という身分なので、そんなに大それたことはできません。そこで考えついたのは、簡単かもしれませんが、まずは私が交通ルールをしっかり守ることが大切だと思いました。横断歩道では信号が青になるまで待つとか、自転車に乗っているときにはスピードを出しすぎないとか、歩道側を走るとかいったことです。それは本当に些細なことかもしれませんが、私の姿を見た人がルールをきちんと守るようになれば、その人がこれから起こすかもしれなかった事故を未然に防いだことになるでしょう。そして、またその人の正しい姿を見た、また別の人がその人を手本とし、ルールを守るようになれば、更に事故を防げます。実際にそんなことが起こることは少ないとは思いますが、少しでもルールを守る人が増えて、事故を未然に防げたらと思います。
 今回「いのちの講演会」に参加して、改めて人のいのちの大切さを実感するとともに、事故を減らしたいと思うようになりました。事故は被害者やその家族にとってはもちろんですが、加害者にとっても精神的なショックを与えるもので、誰にとっても悪いことです。事故は誰にでも起こり得ることですが、一人一人の心掛けによって防げるかもしれないものでもあります。大切な自分のいのちや家族のいのちを守るためにも、私たち一人一人ができることをして事故を減らし、悲しむ人を減らして、いつか死亡事故ゼロの日が訪れたらいいなと思います。交通ルールをしっかりと守って、自分のいのちも他人のいのちも大切に守っていきたいです。

 

        

      

 

 







4組 

 僕が今回の講話で学んだことは、世の中には、幸せな、僕達のような人もいれば、逆に、片山さんのような、事故や事件に巻き込まれて、幸せだったのが、幸せではなくなってしまった人がいるということです。
 片山さんの息子さんは、17年前に8歳の若さでひき逃げ事故に遭われ、命を奪われてしまいました。もし、事故に遭わなければ、今頃は25歳です。立派な社会人になっていた事でしょう。まだ、この世でやりたかったことがたくさんあったことと思います。それが突然できなくなってしまった。遺族の悲しみ、悔しさ、そして憎しみがそこに生じます。その感情や思いは、一生消えることなく遺族の方を苦しめ続ける事になります。このようなことが、起こっていいわけはありません。そのために僕達が最低限出来ることは、横断歩道を渡る時に車が来ないかどうか確認することや、信号を遵守することです。交通事故を無くすためには、今は、それ位しか出来ませんが、交通事故以外にも、身近なことで、遺族や被害者の方が苦しむことがあります。
 その一例が、いじめです。いじめは、一人の人間を複数の人が悪口を言ったり、嫌がらせをすることですが、それは次第にエスカレートし、いじめる側の仲間が増え、いじめられている人に救いの手を差し伸べる人がいなくなっていきます。一人に対し、集団でいじめることが怖い所だと思います。一対一ならまだ対処の仕方、向き合い方があるかもしれませんが、集団においては、救いを求める先もなくなり、精神的に追い詰められた結果、自殺に至ってしまうということもあります。特に今年は、いじめによる自殺が最も多いと言われるほど、現代社会におけるいじめは陰湿化していると言えます。 そのためには、いじめが起きない環境を作らなければならないと思います。 まず、命の大切さを学ぶ必要があります。そのために、江戸取では中学1年生の時に道徳の授業があります。命は、一つしかありません。失ってしまったら、もう二度と取り戻すことが出来ないものです。だから、自分の命を大切するとともに、他人の命も大切にしなければならないのです。そのことを、社会生活を送る誰もが心に刻んでいくことが本当に大切なのだと思いました。
 今回の講話は、僕にとって大変貴重で、大切なものになりました。片山さんのお話をお聴きしたことは、事故・事件の被害者の遺族の方々の思いを知り、そういう辛い思いをする人を減らすために、僕たちにどのようなことが出来るのかということを考えるきっかけとなりました。そして、命の大切さを改めて実感し、自他共に命を大切にしていこうと強く思いました。
更に、大人になった時、幸せを奪われた方が再び人生における幸せを見出して生きていくことができる社会作りに携われる人間になっていきたいと思いました。