夢を語る会を聞いて


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  1組
 私は昨年、一昨年もこの作文で抽象的に自分の夢について「人の役に立つ仕事がしたい」と書いてきました。ですが、今年は具体的に書こうと思います。私の夢は「本に携わる仕事をして、本を読んだ人を前向きにさせること」です。この夢を持った理由は二つあります。
 一つ目は本を読むことが本当に好きだからです。二つ目は私が本にとても影響を受けているので、自分も人に影響を与えられるような本を送り出したいと思っているからです。
 「本に携わる仕事」と書きましたが、今特に興味を持っているのが「編集者」です。編集者は作家さんと力を合わせて一つの本を作りあげます。作家さんにいろいろな面から助言をし、より良い作品を生み出すための手助けをするのが仕事です。この職業に就くためには、幅広い知識と共に柔軟な思考力が必要です。これには学校で行う勉強は勿論のこと、それ以外のプラスアルファが大切です。多くの本を読んだり、考え方の異なる人の話を聞くなども必要です。今後、これらも積極的に取り組んでいきたいと思います。
 最近、夢とは何なのかを考えるようになりました。今までの私は「将来の夢は何か」と問われたとき、周りの友達と同じことを言ったり、周りの人に勧められた職業の名を単純に答えていました。しかし、最近医科コースを希望している友人の姿を見て「このままではいけない」と思うようになりました。
 母は資格などで将来安定した生活を送れるなどの理由で薬剤師を推しています。先日ウエルシアの方が講演に来られ、話を聞くことができましたが、お年寄りの方に飲みやすいように薬の形を変えたり、飲み忘れのないように同じ時間帯に飲む薬を全て一包化したり、お薬カレンダーを渡しているとお聴きし、様々な工夫をされているのだなと感じることができました。勿論仕事の内容はこれ以外に様々あると思いますが、同時に私がやりたい仕事ではないなと思ってしまいました。
 昨年までと異なり、自分の意志で将来本気でやりたいと思える仕事を見つけることができたのは、自分にとってとても大きな成長でした。この先、もし自分の本気でやりたいと思える仕事が変わったとしても、この成長は重要なものになると思います。
 自分の意志でやりたいことをやるというのは、周りに流されない力が必要で、とても大切なことです。しかし、そればかり行っていても、自分以外の人のことを思いやることを忘れてしまう危険性があります。私は自分の確固たるこれだけは変えてはいけないというものを持ちながらも、相手のことを思いやり、変えられる物は変えることができる柔軟な考え方を持つそんな人になっていきたいです。そして、自分のやりたいことに向かって全身全霊全力で日々を過ごしていきたいと思います。

 

 
  2組
 私の将来の夢は気象関係の仕事に就くことです。私はもともと理科という教科が好きで、特に中二で学習をした気象はとてもおもしろい分野だなと思い、それから気象学に興味を持ち始めました。
 大学についてですが、私は筑波大学に入りたいと考えています。勿論、筑波大学に入ることも、気象関係の仕事に就くことも決して簡単ではないことは分かっています。これから目標(大目標)を達成するために、その過程となる小目標を私なりに三つ考えてみました。
 一つ目は苦手な英語を克服することです。私は五教科の中で英語が一番苦手で、英語で足を引っ張っているといっても過言ではありません。今グローバル化が進んでいますが、英語が苦手なのでは社会で通用しません。この間の夢を語る会で卒業生の先輩が「むしろ理系の方が英語を沢山使う」とおっしゃっていました。また、大学の入試や授業でも、英語は必須です。高校生になってから焦るのでは遅いです。また、英語は日々の積み重ねが試験の結果に現れる教科だと思います。これからは、毎日英語を勉強して、定期試験だけでなく模試でも確実に得点をとれるように努めていきます。 二つ目は定期試験で総合20位以内に入ることです。定期試験は範囲が決められている試験です。なので、定期試験で良い点数がとれない人が模試で良い得点をとれるはずがありません。今後は定期試験で100点をとることを目標に、いろいろな勉強法を試して自分に合うものを見つけることが大切だと思います。また、今までは調子が良いとき、悪いときと差があったのですが、今後の定期試験では毎回安定して上位20位以内に入れるようになりたいです。最後に三つ目ですが、自分の発言に責任を持つことです。二学期中間試験前に、私は総合20位以内に入るという目標を掲げました。しかし、その目標は達成できず、試験が終わった後にもっと勉強しておけばよかったと後悔しました。目標が達成できなかった理由は、その目標への意識が低かったからだと思います。自分が言った(掲げた)目標には責任を持って、最後まで努力すべきです。最後まで努力してもできなかった時は仕方がないのですが、今回のように後悔するような勉強しかできなかったというのが一番良くないです。今後は自分の発言には責任を持って、目標に向かって努力していきたいです。前に書いた英語を克服することや定期試験で20位以内に入るという目標は勿論のこと、日常生活でも自分の発言にも責任が持てるようになりたいです。
 今後はこれら三つの小目標を達成できるように、日々努力していきます。そして、3年後筑波大学に合格し、その後気象関係の仕事に就けるようにこれからも頑張っていきます。
 
 
 
  3組

 私の将来の夢は外交官など国や世界に関わり、世界の人々のために働くことです。外交官になることを叶えられなかったとしても、青年海外協力隊の一員となり,難民の子供達のために活動していきたいです。
 五年前私は小学四年生でした。三月十一日、私はいつものように学校に行き、いつもの通りの学校生活を送っていました。教室でクラスメイトが総合学習の発表をやっていて、総合が終われば帰れると思いつつ、その発表に耳を傾けていたその時、午後二時四十六分になりました。東日本大震災です。何が起きたのか分からない状況で、母と姉に連れられて自宅へ帰りました。帰るときに地震が来て、逃げなくてはいけない状況になったときのために、私たち三人はマンションの階段で一階から十階まで行きました。地震がいかに大きかったかを物語るいくつものひびが入っていました。家の中のテレビ・花瓶・食器棚は無事でしたが、アイロンが倒れていたり、机の下のワゴンが大きく移動していました。そして、テレビで見たものは、町を飲み込んでいく黒い津波でした。 私には岩手県に住む友人と宮城県に住む友人がいます。岩手県に住む友人とは連絡が取れなくなりましたが、仙台に住む友人は津波が隣町まで到達しましたが、何とか助かりました。私は震災の恐ろしさを本当に身近に感じることができました。だからこそ震災後にいろいろな国からの支援で、被災地の人々が勇気や元気をもらっている様子を見たとき、私は「世界の国々との結びつきは大事なんだな」と思いました。そして、江戸取に入って自分の夢について真剣に考えたとき、「世界と日本の架け橋になりたい」と思い、現在の夢に至っています。あの震災がなければ、今の私の夢はなかったのかもしれません。
 「世界と日本の架け橋」のような人になるために、私は早稲田大学の政経学部に入りたいです。昨年の夏オープンキャンパスに行ったときに、法学部の模擬講義を受けることができたのですが、その後の学部説明会の会場は長蛇の列で残念ながら会場に入ることができませんでした。
 このように、とても人気のある大学の学部のため、毎年倍率が高く入ることはとても難しいと思われます。しかし、王貞治さんの「敵との時間は短い。自分との戦いが明暗を分ける」というお言葉のように、まずは自分に負けないように努めていきたいと思います。高等部に進学するにあたって、自分はどのようなことをして、どのような学校生活を送っていかなくてはいけないのかということを、しっかり考えて行動していこうと思います。

  4組

 私は、今までなかなか将来の夢を決めることが出来ませんでした。しかし、中三にあがってから様々な経験をし、本気で将来について悩んだことで、ようやく一つの「夢」
にたどり着くことが出来ました。それは、医師になることです。
 実は、江戸取に入学したときの私の夢も医師でした。しかし、江戸取で様々なことを知り、「やはり医師はやめようか・・・。」「他の職業の方が私にむいているかもしれない・・・。」と思うようになり、ずっと迷っていました。 それでも中三の今、医師になろうと決めたのには理由があります。それは、医師への強い憧れがあるからです。そのことを強く感じたのは、中一の終わりに私が怪我をしたときでした。私は足の親指の爪をはがしてしまい、夜間の救急病院に行きました。そのときの私は、ショックで過呼吸と痙攣を起こしてしまいました。そんなパニック状態の私をなだめながら、先生は診療してくださいました。私はその様子をすごい、かっこいいと感じていました。そして、「私もこんな医師になりたい。」という気持ちを抱くようになりました。この気持ちが、今の私の夢につながっています。
 今年、私は修学旅行という貴重な経験をしました。中でも、異文化学習は私に大きな影響を与えました。それまでは、外国の人を見かけても「少し怖いなあ・・・。」と遠ざかっていました。しかし、修学旅行を通して、外国の方々は皆とてもフレンドリーで、言葉が通じにくくても、コミュニケーションをとることは出来るのだということがよく分かりました。そのような経験から、私は「国際外来」という分野の医療に興味を持ちました。日本には大勢の外国人観光客が訪れています。そのような人たちの診療を行うのが、国際外来です。今後オリンピックなどで更に需要が高まると考えられます。このようなグローバルな場で将来活躍できるよう、修学旅行での体験をしっかりと胸に刻んでおきたいと思います。
 医師になるという夢を叶えるためには、大変な努力が必要です。そして、その努力は今からしていかなければ間に合いません。そこで、これから自分はどうしていけばいいのか、ということを改めて考え直しました。まず、学習面では自主的な学習を心掛けようと思います。これは勉強合宿で得た自信をもとに続けていきたいです。また、生活面では「当たり前のことは当たり前にこなす」ようにしようと思います。これは校長先生も講話でよくおっしゃっている「凡事徹底」のことです。挨拶、八時前登校、時間厳守、校門一礼など凡事はとてもたくさんあります。これからのことを全てきちんとこなすことで、精神的に大きく成長出来ます。意識して普段の生活を送っていきたいです。
 高等部への進学まで、あと三ヶ月ほどしかありません。これからの三ヶ月間、中学生活で学んだことを振り返り、今後も夢に向かって着実に進んでいきます。

 
  5組

  私は、今回の「夢を語る会」を聞いて、気がついたことが二つあります。一つ目は自分の夢を明確に持ち、その夢を目指すことができている人は、とてもかっこいいということです。二つ目は、やはり私は、獣医になりたいと心のどこかで思っていたということです。
 私は、小学校五年生のときから将来は獣医師になりたいと思っていました。きっかけは、今回の発表であった中学二年生の方と同じで、アフリカで活躍している日本人の獣医さんのテレビを見たことです。そのため、大型動物の臨床獣医師をやりたいと思っていました。しかし、中学二年生になってから今回の「夢を語る会」を聞くまでの間、私の夢は獣医でなくなっていました。成績があまり良くなかったので獣医は無理だと思ったからです。なので、その獣医になるという夢をあきらめている間は、いろいろな職業を調べて、それでも「この職業に就きたいな」と思える職業がなく、悩む日々を送っていました。
 しかし、今回の獣医になることが夢という発表を聞いて、なりたいと思ったきっかけやどのような獣医になりたいのかということが、獣医を目指していたときの私とすべて同じで、私はまた獣医という職業について考えることになったのです。やはり私は獣医になりたいのだということに気づきました。残念ながら「獣医になりたい」とい言えるような順位ではないけれど、そこは今から頑張って伸ばしていこうと思います。とりあえず、「獣医になる」という将来の夢を、今までのように揺らいであきらめるということにしないで、目指していきたいと思いました。
 また、私は優柔不断な性格で瞬時に的確な判断ができません。普段の生活から素早く的確な判断ができるように訓練していきたいです。
 将来北里大学の獣医学部に入りたいと考えています。北里大学の獣医学部は二年生までは相模原キャンパスで、それ以降は青森県の十和田キャンパスで学びます。いずれも豊かな自然環境の中で学ぶことができ、キャンパス内には農場があり、それと別の場所には牧場があります。そのため動物とたくさん触れ合うことができるので、より実践的な学習ができると思います。
 何度も言いますが、今の成績では獣医になることはとても難しいです。しかも獣医は私の苦手な理系教科が重要なので、さらに努力しなければならないと考えています。なので、今から日常の学習時間を増やしていきたいと思います。また、「北里大学の獣医学部に入って獣医になる」という明確な目標を持ち、その目標に日々近づくことができるように、成績面でも精神面でも努力していきたいです。

 
  6組

 私が興味を持っている職業は、「生理学の研究」です。私は病気の予防や治療方法を研究して、世界中で苦しんでいる人を助けたいと思っています。
 私が生理学を研究することに興味を持った理由は三つあります。
 一つ目は病気の予防と治療方法の研究は、世界中の人々が健康に暮らし、治せる病気で命を落とさないようにするために必要不可欠だからです。私は病気の研究をして、貧しい国などで病気が流行して、きちんとした治療を受けないまま、多くの人が命を落とすことがなくなるようにしたいと思いました。
 二つ目は、私は理科と数学が比較的得意で、好きな教科だからです。私は病気の研究をすることで、得意で好きな教科である理科を仕事にできることは、いいことだと思ったからです。
 三つ目は私の叔母がアメリカ国立衛生研究所で働いているからです。そこでは色々な研究が行われていますが、私の叔母は関節炎と皮膚疾患の原因や治療、予防方法を研究しています。私は数年前に叔母から、どんな研究をしているのかを聞きました。叔母が働いているアメリカ国立衛生研究所のすぐ近くには、世界最大の臨床研究の病院があって、そこで最先端の研究が出来るそうです。叔母はそこで実験用のマウスの皮膚の変化などを観察して研究しているそうです。私は叔母のような研究者になりたいと思いました。
 生理学の研究者になるために、これから学校生活で頑張りたいことが三つあります。
 一つ目は、今まで以上に数学と理科を勉強することです。理系教科の勉強をしっかりして、高校生になって内容が難しくなっても苦手意識を持ったり、嫌いだと思わないようにしたいです。
 二つ目は理数教科ではない、国語と社会の勉強も一生懸命することです。私は特に国語が苦手で、あまり好きではありません。研究者になるために、国立大学に行きたいと思っていますが、苦手な教科があれば合格できないと思います。本を沢山読んだり、試験勉強の時に国語を特に長い時間勉強することで、国語を得意で好きな教科にしていきたいです。
 三つ目は英語の勉強もしっかりすることです。今はどんな仕事に就いても、英語が必要になると思います。研究者も英語で書かれた論文を読むことが多いと思います。また、研究者にならなかったとしても、英語を使う機会は数多くあると思います。私は学校で習う英語をしっかり勉強して、その後は英会話もできるように外国人の方々と話す機会も積極的に作りたいと思っています。

 
 
  7組

 私の将来の夢は癌の研究をすることです。具体的には癌を副作用なく薬で治せるようにする、もしくはがん細胞ができないようにするための研究をしたいと考えています。江戸取に入学して 三年間この夢の実現にむけて勉強をしてきました。 私が癌の研究をする研究医になりたいと思った理由は2つあります。
 一つ目はノーベル賞を受賞した山中先生の影響です。受賞直後の記者会見で先生は受賞したことを誇らしく思うのではなく、まだ誰の命も救っていないため、これからも研究を頑張るとおっしゃっていました。私も山中先生のような謙虚な人間になりたいと思ったのと同時に、自分も将来自分の研究により多くの人の命を救いたいと率直に思うようになりました。
 二つ目は、私の祖父が癌の薬を開発していたということです。昔から癌の話を聞かされていたので、研究をするとしたら癌の研究をしようと自然になりました。 しかし、この作文を書く前に研究医になることに迷いが生じてきました。なぜかというと、自分は研究よりも、弁護士や検察官といった職業の方が自分の長所である人間観察力が活かせると思ったからです。また、昔から討論することが好きなので、研究よりも自分にあっている職業かもしれないと思ったからです。 研究医であれば理系に、弁護士・検察官とであれば文系に進むことになるので、あと1年弱で自分の夢について早急に決めなくてはいけません。
 この冬休み中にもう一度自分の将来について考えてみましたが、やはり研究医になろうという結論に達しました。それは冬休みに祖父から薬の仕組みの話を聞いたとき、元素記号を用いて説明をされたのですが、理科で学習した記号を用いて説明されたとき、勿論難しい内容ではありましたが、学習したことがそのままでてきたことに喜びを感じたことと、不思議と自然と深いところまで学習していきたいという好奇心が湧いてきたからです。 自分は討論も好きですが、研究することも好きであろうということが分かりましたので、やはり将来は癌の研究をして、癌で苦しんでいる人々を笑顔にしたいという目標を掲げて、これからも勉強に励んでいきたいと思っています。

 

  8組

 私の夢は医師になることです。なぜなら、私の祖父が病院の院長している姿を幼少の頃から見ていて自然と憧れを抱き、また病気になったときに適切に対応している姿に感動し、私も医師になりたいと思ったからです。
 成績が思うように上がらずにいますが、そんな自分に一区切りつけて、これから勉強に励もうと思っています。
 私は今まで自分に甘くなってしまうことがあり、「明日でいいや」などと楽な方楽な方へと逃げているところがありました。でも前回の定期試験で分かったことがあります。それは、勉強の仕方を工夫し、けじめをつけて勉強すれば成績が上がるという事です。これからは科目・教科ごとの勉強の仕方を工夫してみようと思います。また勉強時間では長い時間だらだらやるのではなく、短い時間で中身の濃い勉強をしていきたいと思います。医師になるために、札幌医科大学に進学したいと思っています。何故なら、祖父の出身校ということもありますし、今年いとこが受けるということにも影響を受けています。また自分はスキーをしているので、勉強とスキーを両立させることも可能であるため希望しています。そして札幌医科大学では少人数制の授業体制なので、一人一人質の高い授業が受けられることに魅力を感じ、入りたいと思っています。
 もし医師になれたら、祖父のように必要とされる人材になりたいです。
 さらに私にはもう一つの夢があります。それは礼文島で病院を開くということです。礼文島には病院がないため,病気になるとヘリコプターや船を使い何時間もかけて病院に行くことになります。そのため、救急の患者の方は途中で亡くなってしまうこともあるのです。もしかしたら救えることのできた命かもしれません。そのような人達を少しでも救うことができるように、礼文島で病院を開きたいと思っています。礼文島は海に囲まれており、釣りを楽しむこともできます。私自身釣りも好きなので、町のお年寄りの人達と海に釣りに行ったり、囲碁を打ったりなどできたら、私は好きなことと仕事を両立して好きなだけできるなと思い、礼文島に行きたいという理由の一つになっています。
 礼文島ではお年寄りも多いため、予防医療にも努めたいです。1週間に1回病院内で足腰の運動を一緒に行うなど、幅広い年代の人達に頼られる人になりたいです。
 しかし、これはあくまでも夢であって現実になるかどうかは分かりませんが、まずはしっかりと勉強して基礎を身に付け、一つ一つの試験をおろそかにしないということ、またこれからも同じ夢を本気で追いかけていきたいと思っています。
 もし夢が途中で変わったとしても、成績の壁でなれないということがないように、どの道に進むとしても困ることがないように、日々いろいろな場面で努力したいと思います。そして夢を叶えることができたら、今まで支えてくれた人に恩返しと、ありがとうをきちんと言えるような人になりたいです。残りの3年間本気で頑張ろうと思います。