社会科見学 足尾銅山


1組  2組  3組  4組  5組  6組  7組  8組 

  1組
  私は、実際に足尾銅山に行き、人間の勝手でこれ程まで豊かであった自然が破壊されてしまうということを実感しました。ガイドさんの見せてくださった写真には緑が全くなくなってしまった山が写っていました。また、松木村跡を訪れた時もここに昔、人の住む村があったとはとても思えませんでした。これらから、「足尾鉱毒事件」の悲惨さを実感することができました。
 破壊した自然を取り戻すため「百万本の木を植える」ということを目標とした植林活動に参加して、自分の植えた一本の木が百万本分の一本となり、山に緑を戻すことができると思うと嬉しくなりました。
 私はガイドさんや植林の所で出会ったボランティアの方が、みんなお年を召された方が多いことに対し
今後は私たちがそのような活動を受け継いでいかねばならないと思いました。
 植林の活動もあと百年近く続けなければ、百万本は達成できないそうです。そうなれば、私たちだけでなく、
次の世代の子供たちにも公害のもたらした被害について、そして自分の身を犠牲にしてまで解決しようと努力した人々のことを、私たちがしっかりとした理解のもとで、伝えていく必要があります。 
 今回、足尾銅山を訪れて、文面でしか知らなかった公害の悲惨さを実感することができました。二度とこのようなことを起こしてはならないと強く思いました。

 

  2組
 私は今回社会科見学で足尾銅山の周辺地域に行き、現在の地域の様子を見ました。廃村になったところの1つを見ました。もとは村があった場所には墓石が3つありました。まわりには草がたくさん生えていて、もともと人が住んでいたと思えるしるしは、この3つの墓石だけでした。その他にあった墓石はそこから少し離れたところにある寺に積み重ねられていました。村人全員が別の場所に移り住まないといけないほど、ひどい被害を受けたのだと思いました。
 また、植林をしました。植物が枯れてしまった山に木を植えるということをしている団体があることを知りました。昔、銅山から毒ガスが出なくなっても問題は終わりではなく、毒ガスによって枯れてしまった自然を元に戻すために、現在も活動している人たちがいることが分かりました。ですが、山にはまだ小さな木がほとんどで、数も少ないことも分かりました。
 
自然を元通りにすることはとても難しいとです。ですがそれでも元通りにするために動いている人たちがたくさんいて心打たれました。
 足尾銅山の周辺での被害はとてもひどいものでしたが、今も少し離れたところには人が住んでいて、足尾の緑を増やしていくための活動が続けられています。自然や他の人たちのことを軽く考えて、足尾と同じようなことが起きてはいけないと思いました。

 
  3組
 私は中学校生活の中で初めて実施される社会科見学をとても楽しみにしていました。また、今回行った足尾銅山もめったに行かないところなので更に気持ちが高まりました。
 実際に行ってみて、私が思っていた足尾銅山とは異なりました。私は木が沢山生えていてその中の山の表面から銅が採れると思っていました。現実はあまり木が生い茂っておらず驚きました。木がない原因が、足尾銅山がまだ経営していたときの鉱害や道具として使われてしまったのだと学びました。
この社会科見学で植林体験をし、緑の大切さを知りました。また普段の生活で無駄に電気、紙などを使わずに資源を大切にしていこうと思いました。
 頂いた資料の中に、「銅」は今のペースで掘り続けるとあと30〜50年くらいで掘り尽くしてしまうとありました。私たちの中で資源の一つである銅はとても大切です。
 しかしその銅がなくなってしまうということを今まで考えたことがありませんでした。限りある大切な資源として理解していきます。しかし、銅を消費していくと鉱害も発生しかねません。便利さのメリットの分、量が減り鉱害を引き起こすデメリットもあります。そのために太陽エネルギーなどの環境に優しい資源が今後主流にしていければいいと思います。
 
今回の社会科見学で、足尾銅山で起こった鉱害やそれの被害にあった人々のことを私たちは決して忘れません。このことを次世代に伝えていきます。
 
 
  4組
 今回、私は総合学習として足尾銅山へ行きました。これまで、小学校と中学校の社会の授業の中で、公害の一つとして「足尾銅山鉱毒事件」を習っているときに、公害が起こった場所として足尾銅山の地名は知っていました。しかし、名前は聞いたことがあったけれど、足尾という土地はどのような場所なのかということは、ほとんど知りませんでした。なので、私は今回の足尾銅山の社会科見学をとても楽しみにしていました。
 足尾銅山ではまず最初に本山精錬所に行き、ガイドさんより足尾銅山の歴史や鉱害についてのお話をお聴きしました。
 足尾銅山の上流にあった松木村はかつて多くの人が暮らしていたのに、精錬所から流れ出た鉱毒によりさまざまな災害を受け、松木村に住んでいた人々が次々に村を立ち去ってしまったということを知り、足尾銅山鉱毒事件がどれほどの被害を受けたのかが分かりました。
 次に、足尾銅山で植林体験をしました。私は植林をするのは初めてだったので、最初は水田などで植林をするのかなと考えていました。しかし想像とは違い、
一歩踏み外せば落ちてしまいそうな高い場所で植林をしたので、とても怖く感じました。私たちが植林をした苗が百年後には大きく育っているのを想像して、とても楽しみになりました。 
 最後に松木村跡へ行きました。松木村跡には、精錬所から出た鉱毒により今でも木や草が生えず、砂に交じって銅が含まれているとガイドさんよりお聴きし、
公害により現在にまでもたらす悲惨さを目の当たりにしました。今回はガイドさんにより、足尾銅山の様々なことを学ぶことができました。もっと足尾銅山について調べてみたいと思いました。

 

  5組
 僕は今まで山を見るということは多くても、実際にそのふもとまで行ったり、登ったりするのは筑波山を含めて2回目でした。
 足尾銅山は、中学受験の時に鉱毒がひどいということと、田中正造が命を懸けて足尾銅山の自然と人を守ろうとしたということを学びました。その
足尾銅山を見学することで、自然に対する意識を高めることができると思い、できるだけ学べることは学ぼうと思いました。
 最初にふもとに着いた時、川や空気がとてもきれいだなと思いました。
鉱毒があったというので、どんなにひどい自然環境なんだろうと思っていたら、鉱毒があったことを思わせない程の美しい自然環境でした。田中正造の意思が受け継がれていると思い感動しました。
 植樹の時に足尾銅山の今と昔の姿を見ましたが、昔の姿はとてもひどく、今はだいぶ木が生えた方だということでした。
 植樹体験では、「足尾の山に100万本の木を植えよう!」という目標を掲げていました。今までに何万本かを植えているそうです。ボランティアの方々が紙芝居で足尾周辺の歴史について丁寧に教えてくれました。木を植える斜面では、何度も転びそうになりましたが、無事に植え終えることができました。今回の体験で様々なことを学ぶことができてとてもよかったです。

 

 

  6組
 社会の教科書に載っているほど、歴史的に価値のある場所である足尾銅山に行って、普段の授業では学べないようなことや、気付くことが出来ないことに出会うことが出来ました。実際にその場所に行くまでは、公害のことや被害について、詳しいことは教科書で読んだことしか知りませんでした。しかし、せっかくの機会だったので、少し自分で足尾銅山の公害についてより詳しく調べようと思いました。
 実際に調べてみると自分の知らないことがたくさんあってとても驚き、一層興味が増しました。そして当日、
足尾銅山に到着すると、自分が想像もしていなかった豊かな自然がそこには広がっていました。その風景を見るまでは足尾銅山では公害があったということでイメージが固まってしまっていたので、当たり前ではあるのですが、直接観てこなければ分からなかっただろうと思います。しかし、全てが美しく再生したわけではなく、やはり当時の被害の爪痕が、工場跡や人工的に植えられた苗木という姿で見られました。それらを見ると、予想外の山々の姿を見た時と打って変わって教科書に載っていた「覚えて点数にする事柄」ではなく、自分のこの国で本当に起きてしまった1つの日本の歴史なのだと、目を覚まされる思いがしました。
 今回の足尾銅山周辺の見学を通じて、自分にとって知る機会が多かったと感じています。一つ目に足尾銅山の公害について、自分が分かっていると思っていたこと以上の様々な事情や、その当時の考え方など調べて分かったことがたくさんありました。きっと今回の機会がなかったら、深く調べようとは思わなかったと思います。また、実際に行ってみなければ分からなかったこと、気付かなかったことが多く、行って良かったと本当に思いました。
 
最後にこれを機に、様々な歴史の名所や施設へ積極的に足を運んでみたいと思います。自分の知らないことはまだまだあり、教科書では伝えきれないことだらけだということが今回の行事でよく分かりました。
 

 

  7組
 僕は今回の社会科見学を通して、鉱毒問題がかつて栄えた足尾銅山周辺の町にどのような影響を与えたのかを知り、改めて鉱毒問題について考えることができました。
 足尾銅山は銅を含んだ鉱石を製錬することにより、排出された廃棄物を処理しきれなかったために起こりました。有害な物質が水に流れたり、煙として大気中に放出され公害問題となったことが分かりました。
 人の手によって破壊された自然は自然の力だけではなかなか回復せず、木々を植えたりしなければ、元の状態には戻りません。また、山の土も雨などにより流れ落ちてしまいます。
今回行った植林を通じて自分たちが行ったことは自分たちで責任をとらなくてはならないと思いました。これから僕は自身の利益のみを考えるのではなく、環境のことも考え今ある自然を守れるように努力しょうと思いました。 
 


  8組

 小学生の頃から社会で学習していた「足尾銅山」は、栃木県にあるということで隣の県である茨城県に住んでいたり、最近発覚したことである曾祖父が昔足尾銅山で働いていたという事実により私にとって身近なものに感じていました。
 今回初の試みである社会科見学で実際に行くことになり、改めて教科書やパンフレット等で調べ、今まで知らなかったことも知識として蓄えられました。これだけでも学習が深められました。しかし、実際に足尾銅山で説明をお聴きしながら見学していくと「百聞は一見に如かず」でまだまだ学習しなくてはいけないことが沢山あり、本当の意味での理解をできていなかったのではないかと思いました。
 特に驚いたことは山の圧倒的な茶色さです。今まで学習してきた中でも鉱害により森林がほとんど失われたとあったのですが、「やはり山は山に変わりないのだからある程度はあるものだ」と勝手な思い込みをしていた自分は「鉱害」というものをなめていたなと思うほどに木が少なく、多少オーバーな表現ではあるのですが、ほかの山に比べ、木の本数を数えられるのではないかと思うほどでした。
 また、
説明して下さった方のお話の中にも「足尾の子供は緑の絵の具が残る」とありました。これは、小学校で風景画を描く際に足尾に木がなかったため緑色の絵の具を使わなかったことで多く残ったそうです。また、当時は密集していたという民家も、現在では点々としています。私の曾祖父も体調を崩し、足尾から引っ越したと聞きました。それほど多くの人が鉱害により環境を変えざるをえなかったということです。
 そんな事件から何十年もたった現在、「100万本の木を植えよう」というテーマのもとにNPOの方々が植林により、自然豊かな足尾を取り戻そうとしています。
 今回その活動に貢献することはとても貴重な体験となりました。そして
植林だけが足尾を救うのではありません。自分が目で見て感じたことを、体験したからこそ分かることを、周りの人に伝えていき、これらの活動が実になって足尾に再び子供たちの笑顔が咲くほどになることを願っています。