高等部2学年 「夢を語る会に参加して」
1組

Y君
 
私の将来の夢は医師です。この職業に私が憧れを感じるようになったのは小学校四年生の頃助けることが難しいとされる患者さんの命をその知識と技術で救う医師の姿がとても魅力的に感じられました。それから七年以上が経つ今、私の医師という夢こそ変わりませんが、医科コースに在籍したこの約一年半の間で、私の医師への認識がかなり深まったように感じます。医療を題材にしたテレビドラマなどを見ていると、医師が万能の存在であるかのように錯覚してしまうこともありますが、そんなことはありません。医学としての限界があり、医師もまた技術的に限界があり、ミスを100%防ぐこともまた難しいのです。そうしたことを知る中で、自分はどんな医師になりたいのか、考えるようになりました。
 私は、医師が忘れてはならないと思うことがあります。それは「師」であろうとすることです。医師の「師」は先生の意味、医師は人を導く役割として、医療者としての技術面でも、また人間的にも完璧が要求されているといっても過言ではないのです。しかし当然ながらそれは簡単なことではありません。ただ、その実現のための努力を惜しんではいけないと思います。師に近づくため、師であるために、「本当にこれでいいのか」常に自分に問いかけていくことが大切です。
 それだけではありません。今日の医療には遺伝子による子どもの産み分けの是非から安楽死の是非まで、医療が人の生から死に至るまで直接関わるものだけに、このような問題は枚挙にいとまがありません。そのような簡単には答えの出ない問いに答える義務をまた医師は負っています。医療を取りまく問題の多くは「正解」がありません。それでもそれらの正解を探し続けようとする姿勢を忘れてはなりません。
 大学受験まであと一年となりました。
医師になる上で、大学入学は通過点でしかないといえばそれまでですが、夢の実現の第一歩としての医学部の意味は他学部のそれよりも大きいように感じます。今までの積み重ねを考えれば、残された時間はあと僅かしかありません。自分に与えられた時間を最大限活用し、一年後、「あのときもっと頑張っていたら」と思うことがないよう、自分を信じて本気で生きていきたいです。そして何より、自分を支えてくれる両親・先生方・クラスメイト、そしてこうして夢を語る会のために足を運んでお話をして下さる先輩方での感謝の気持ちを忘れず、そうした方々の思いに結果で応えることができるよう、努力を重ねていきたいです。
2組

Y君
 自分が将来何をしたいのか、何になりたいのか、そう考えた時に自分は身の周りに魅力的なことで溢れていて、悩んでしまいます。朝、目を覚ました時からすでに新しい発見の一日が始まっています。デジタル時計はどのように正確に時を刻むのだろうか、どうして風は吹いているのだろうか、人はどうして喜怒哀楽の表情を持つのだろうか、そういった身近なことの一つひとつ自分を興味で一杯にします。それが、自分に深く知りたいという感情を芽生えさせます。そのため、将来の夢の願望は広がっていく一方です。
 しかし、大学に入ったならばある程度の方向性を決めなければなりません。大学で勉強したことが仕事につながることが多いですし、大学は就職の準備期間であるからです。だからこそ、将来の方向性を決める時、慎重にならなくてはいけません。限られた時間を使うのですから、そこで後悔はしたくありません。
 そのような中で、自分の夢を明確にしようと思うと、やはり物事を知りたいという気持ちが関連してきます。身の周りはもので溢れており、それらは何で作られ何で形成されているのか、そういったことと考えることが自分は好きです。理論づけて分解していくことが大好きなのです。数学にも思う節があります。難しそうに見える問題でも簡単な公式を組み合わせるだけということが多くあります。一見複雑そうでも分解してゆけば非常に簡易となる。それは自分にとって感動的なことでした。
 そして、自分は「化学」という分野を見つけました。化学とは定義としては、物質の構造、性質、振る舞いなどを分子・原子レベルにおいて扱い、それらが相互作用や反応でどのように別のものに変化するかを研究するとさせています。自分はこれ以外にはないと感じました。子供のように不思議に対して貪欲な自分に答えを導き出してくれる、これほど魅力的なことはありません。同時に、化学は分解したものから新しいものを組成するといった特徴もあります。
自分には感謝の気持ちを伝えたい人が多くいます。両親、友達、先生方、自分が成長する過程で携わってきた人たち全員にお礼の言葉を述べたいのですが、言葉だけで片付けてしまうのは申しわけないと思っています。自分を支えてくれた人たちは、自分の成長を願ってのことですから、出来れば成長した自分として恩を返したいと思っています。ですから、考える力を得た自分は、何か物を作って恩義を返したいのです。何か役立つ物を作って、直接的ではなくても間接的に恩返しをする、それが出来る化学の創造性に自分は惹かれました。
 こういった理由で自分は化学者になりたいのですが、周りから見たら「こいつが化学者になれるのか」と思われているかもしれませんし、自分自身も自分が化学者になれるという図は中々想像できません。ですが夢が決まっているならば、それに向かって着実に努力を積み重ねてゆけばいいのです。筋道が曇っていても一歩一歩前に進んでいけば、必ず夢に辿り着けると自分は信じています。
今何が出来るのだろうか、今何をするべきなのだろうか、そういったことを毎時毎秒考えて一つひとつ遣り遂げれば自分の中の可能性を広げていけると思っています。自分は、自分の手で自分の未来を閉ざすことのないように、これからも努力し続けたいと思っています。
3組

K君
 僕には夢が二つあります。一つはクリエーター関係の職に就くこと、もう一つは教職に就くことです。両方を実現させることはできませんが、それでも未だに悩んでいます。
 前者の夢を志す理由は、僕が絵を描くことや物を創り出すことに楽しさを一番感じるからです。世に溢れている物一つ一つにアイデアがつまっていて、あっと驚くようなものがたくさんあります。もし僕がこのような職に就くのであれば、世の人々の気持ちを少しでも動かせるようなものを創り楽しみたい、そんな気持ちが強いです。
 後者の夢を目指す理由は、僕が生きてきた約十七年間の中で長い間触れてきた職であり、見ていて人との快い関わりが多い職であるように思われるからです。
 どちらの夢も方向性は違っても僕が強く望む夢の形ですが、もうそろそろどちらをとるか、あるいは新たな選択肢が現れるかもしれませんが、道を一つに絞らなければならない時期です。僕は高二の初めまでは、二つでも三つでも、夢の選択肢は多い方がいいと考えていましたが、高三が近づき、将来を決める時期が目前に迫る今、とある心理学の記事を読んで考えが変わりました。その記事には、二つ以上ある目標の達成率は、一つだけに絞られた目標の達成率よりかなり低くなるということ、選択肢の存在が判断力を曇らせるということが書かれていました。僕は似たような言葉を聞いたことがあります。「器用貧乏ではなく一点特化を目指せ」「選択をしないのは逃げだ」これらはすべて父から聞いたもので、父も兄もこの言葉を聞いて一つに絞った結果、二人とも成功しています。そのためこの記事を見て、父からの言葉と結びつけた結果、一つに選択肢を絞ることが成功への一歩だと考えるようになったため、
夢は何だと聞かれたらこれだと答えられるよう、高三になるまでに絞っておこうと決意しました。
 今はまだ夢を一つに絞れていません。叶えたい夢はあるにも関わらずただ自分のイメージを重ね、具体的にはどのようなことをするのかを調べず、自己満足で終わってしまっている。これが僕が夢を一つに絞りきれない最大の理由だと気付きました。このことに気付いただけで終わらせず、自分がいかに真面目に夢について考え、今後どのようにして逃げずに選択するかが大事だと、今回の夢を語る会に参加して感じました。
4組

Yさん
 私の将来の夢は看護師になることです。きっかけは昨年の夏のある出来事でした。私は毎日病院に行って、看病することになりました。私は病院に行くのが本当に嫌でした。看病することが嫌なのではなく、健康を害し病院に入院している人たちを見るのがつらかったのです。そんな時に、私に元気をくれたのが、看護師さんでした。私が病院に行くと、「いつもおつかれさま」,「頑張ったね」と声をかけてくれました。私はこの言葉に元気づけられました。看護師さんの方が疲れているだろうに、明るく私を気遣ってくれるのです。私は人の役に立つ仕事にあこがれ、看護師になりたいと思うようになりました。この出来事が当時夢がなかった私に夢を考えるきっかけを作ってくれました。
 将来看護師になったら、大学卒業後の数年間は、国内の総合病院ではたらいている看護師としての経験を積み、最終的にはJICAに入って、海外で活動したいと思っています。皆さんJICAとは何かご存知ですか。JICAとは青年海外協力隊のことです。JICAとは青年海外協力隊のことです。JICAが人材を派遣するところは、主に発展途上国です。例えば、スーダンで、スーダンはアフリカ大陸に位置する国です。古代エジプト文明が栄えていた地域なので、数々の遺跡が残っています。スーダンの北部は、砂漠気候なので、降水量はとても少なく、日中の気温が一年中40℃越えるところもあります。実は、今世界中で問題視されているエボラ出血熱は、スーダンのエボラ川から広まったと言われています。このような国では、医療技術が十分に行き渡っていません。安全な場所ではないし、すぐに日本にかえることができません。しかし、私には世界の現状を自分の目で見たいという思いや、困っている人を助けたいという思いがあります。
 だから、海外で活動したいと思いました。
 看護師になるためには条件があります。高等学校卒業後に看護師養成施設で3年間、または大学で4年間学んで、看護師国家試験の受験資格を得て,その試験に合格することです。
また、看護師は幅広い年代の人と関わるので、コミュニケーション能力が必要であり、医師の手助けをするので、行動の素早さが必要です。海外活動をするには英語力も必要です。
 今まで何も考えていなかった私が、一つの夢を持つことで、次から次へとやるべきことが見えてきます。大学についても考えるようになりました。国際交流に力を入れている大学なら、海外の病院での研修ができるかもしれない。様々な経験をすることで、より自分に必要なものが見えてくると思います。
 将来の夢を叶えるために私は今、大学へ行くための勉強をしています。しかし、全力で勉強をしていると自信を持って言えません。なぜなら、私は睡魔に負けてしまうからです。
家で勉強をしているとき「昨日いっぱい勉強をして疲れているから寝ていいや」などど、自分に言い訳をして集中力を欠いてしまうことがあります。看護師は楽な仕事ではありません。このような自分に弱い私が将来看護師になって働けるとは思えません。このスピーチの原稿を書きながら、夢があるにも関わらず、夢に向かって全力で努力しない自分が情けないと思いました。今、私がやるべきことは、自分に負けない強い自分をつくり、夢に向かって全力で努力することです。
5組

S君
 僕の将来の夢は、沢山の人が安心して生活できる街を作ることです。なぜこの夢を持ったのかというと、理由は3つあります。
 1つ目は、僕が中学1年生のときに東日本大震災を経験したからです。地震が発生したとき僕は学校で授業を受けていて、とても大きい揺れを感じたのを今でも覚えています。家に帰りテレビでニュースを見ると、津波で流された後の住宅街、大火事の石油コンビナートなどが放送されていました。その映像を見た時、将来、震災に負けない街を作ろうと思いました。地震や津波に強い街を作れば、東日本大震災のように、被害を最小限度に抑えることができます。しかしそのような街を作るには沢山の問題点があります。多額の建設費であったり、その街の景観を崩さないための問題であったりなどの問題です。将来、このような問題を解決できるような仕事をしてみたいと思います。
 2つ目は、自分が小さい頃から、テレビや本などで、ヨーロッパやアメリカなどの都市や街に強い憧れを持っていたからです。日本では見ることのできない都市や街の映像や写真を見た小さい頃の自分はとても興奮しました。今年、カナダ修学旅行でバンクーバーやバンフの街を見たとき、日本とは違う街を見ることができてとても嬉しかったです。人が住みやすい街を作るためにも、日本の街だけでなく、世界を視野に入れて、これから大学生になったら色々な国の街を見てみたいです。
 3つ目は、両親の存在です。父も母も建築関係の仕事をしていて、家にはいろいろな建築関係の本があります。小さい頃からそのような環境で生活していたからこのような夢を持つことができたのだと思います。父は再開発の仕事をしていました。街をより良くするために働いている父は憧れの存在です。毎日、朝早くから夜遅くまで働いていて、なかなか仕事の話を父とすることはできないのですが、とても大変であるということは伝わってきます。僕も父のように街を作ることができる仕事をやりたいです。このような夢を持つことができて、両親には感謝しています。
 今、世界では、住みたくても安心して生活できない人や、災害で自分の住んでいた街や家がなくなってしまった人々が沢山います。そのような中で、自分は何も不自由なく生活を送ることができています。だからこそ僕は世界で困っている人たちのために住みやすい街を作りたいのです。日本だけでなく、世界の人たちのために働いてみたいです。
 今の自分のままでは決してこの夢を達成することはできません。その原因は、やらなければいけないことをやっていなかったり、努力が足りていないからです。
大学受験までのあと1年、後悔しないように今から努力して夢を達成できるように頑張ります。
6組

Mさん
 医師になることが夢である私にとって、今回の夢を語る会を受けて思ったことは、医師になるためには何をしなければいけないのか、何を目指さなければいけないのかということを改めて考え直さなければいけないということです。
医師になるという夢は物心が付いた時からの私の夢です。なぜ、そんな早い時期から医師になることを夢にしたのかというと、それは母の夢が医師になることだったからです。私の母は36歳で大学に入り、40歳で看護師になりました。そんな母親を私は本当に誇りに思っています。そんな母が私に常に言っていたことがあります。それは、「もし生まれ変わったら医師になりたい。」ということです。その言葉を聞くたびに、また医師という職業を知れば知るほど、私にとってとても魅力的なものになっていきました。小学校、中学校と学年が進むごとに真剣に考える機会も増えていき、また医師という職業の魅力や責任の大きさ、医学部に合格することの難しさや国家試験の内容など、多くの知識を得ることができました。それら全てのことを考える中で、
将来の夢を医師と定め、医師になるためには何でもしよう、そしてしなければならないと決意しました。
もちろん理系の最難関である医学部に入るためには、他学部の受験生より2倍も3倍もの努力が必要です。それに加えて、医師になって何をして、何をしたいのかということをより具体的に考えなければいけません。今現在は産婦人科医になりたいと思っています。産婦人科医を目指すのには2つの理由があります。1つ目は、正常な分娩が困難な方々や、高齢出産をする方々の身体的、精神的な手助けをしたいということです。2つ目は私と母の昔からの夢を叶えるためです。なんと母はまた大学に入って、助産師になることを目指しています。そして私は医師になることを目指しています。最近、「2人で一緒に働けたら幸せだね。」とよく話をします。私と母の夢です。私はその夢を絶対に叶えたいです。だから、全力で頑張っていきます。
7組

Kさん
 私は今回で夢を語る会に参加するのは5回目となります。毎年、在校生の【夢】を聴くうちに、自分の将来の目標を明確にしていかなくてはならないと思うようになりました。そして、高2になった今、ようやく自分のやりたいことを見つけることができました。
 まず、私は東大に行きたいです。理由は、日本一の大学で自分が学びたいことを学びたいからです。極端な理由かもしれませんが、なぜ東大に行きたいのかと聞かれると、やはり私はこのように答えます。また、私は特にこれといった「学びたいこと」がまだ明確になっていません。先ほど「やりたいことを見つけた」と申しましたが、大学で学びたいことはまだ明確にできてはいないのです。しかし、東京大学には、進学振り分けという制度があります。2年間、みんなと同じ教育を受け、成績を基に自分の学びたい学部へと進むことができます。私はこの2年間で、今まで出会ったことがないものに出会えるかもしれない、自分にも興味を持つことが出てくるかもしれないと思いました。ですから私は東大に行きたいです。まだ自分が見たことのない世界を見てみたいです。
 そして大学を卒業したら、教師になりたいです。これは小学生の頃からの夢でした。ですが、私は江戸取に入学し、いろいろな職業について調べていくうちに、自分が本当にやりたいことがわからなくなりました。そして、あれこれ迷っているうちに文理選択をする時期になり、理系科目が苦手という理由で文系に進みました。また、私は吹奏楽部に所属しており、高2で最高学年となるため、今まで以上に部活動に力を注ぐようになりました。自分が今までに受けてきた活動面の注意や、演奏面での指導を、今自分が後輩にしています。すると、私の中である変化が生まれました。人に何かを教えることが楽しいと感じるようになりました。そして、再び教師になりたいという気持ちが芽生えてきました。それと同時に、吹奏楽部の顧問の先生になりたいと思うようになりました。私にとって吹奏楽とは、初めて全力で取り組むことができたものでした。そして、初めて心から楽しみ、熱中できたものです。私は、音楽の楽しさ、教えることの楽しさ、そして人と触れあうことの楽しさを、吹奏楽を通して学びました。ですから、
私は吹奏楽と一生関わっていきたいです。そして、吹奏楽とともに高校生活を送っている高校生徒ともに、もう一度コンクールでの「ゴールド金賞」という賞を目指したいです。私たちが届かなかった全国大会という晴れ舞台を目指して、もう一度努力したいです。だから私は高校の教師となり、吹奏楽部の顧問になります。そして一生音楽を愛し続けます。それが私の吹奏楽への恩返しです。
 最後になりますが、私は高2にしてようやく教師を目指そうと決心しました。しかし、そのためには専門科目が必要ですが、私には得意科目も好きな科目もありません。だから私は東京大学に行って、自分の好きなことを見つけたいです。夢の実現に向けてこれから1年間の受験勉強に励んでいこうと思います。
8組

S君
 私は今回の「夢を語る会」に参加して、自分の夢や目標について具体的に考えることができました。
 私の夢は国際的な仕事に就くことです。中でも英語を使っていきたいと思っていて、大学生になったらイギリスに留学したいと考えています。 
 留学したいと思った理由は幾つかあり、一つ目は私の好きな人物である白州次郎が、イギリスに留学していたことです。二つ目は、私の英会話の先生がイギリス出身だということです。そして、外国で生活してみたいと思ったからです。また、イギリスはとても歴史があるので、その伝統を自ら感じ取りたいと思ったからです。
 そのためには、先ず大学に合格しなければなりません。英語は、単語・熟語・文法がすべてできなければ長文は読むことができません。だから、バランスよく学習していこうと思います。具体的には、単語帳が二冊あるので、これを完璧にし、熟語は市販のものとプリントを併用し、ピクシスを4月までには終えたいと考えています。文法は厳しいと思いますが、やれるところまでやりたいと思います。 
 大学に合格したら、一年間普通に行くと留学に必要な要件のうちの一つをクリアしたことになります。そして、イギリスの大学が使っている英語検定で一定の点数をとれると、留学の許可を取れるので頑張りたいと思います。
 最近は留学関係機関が増えているそうなので、それも活用できたらよいと考えています。日本の大学も一流大学のほうが留学関係の試験の結果が良く、情報量や留学先に先輩がいると心強いと思うので、しっかりと勉強します。一流大学に行くのとそうでないのとでは、モチベーションにも関係してくると思います。
 
留学する人が少ない中で、今こうして思えるのは親のおかげです。海外旅行に行く機会が多かったからもっと知りたいと思うことができたのです。大学受験も留学もしっかり成し遂げ、立派な人間になりたいと思います。私の夢を叶えるには、とても多くの課題があります。しかし一つ一つ確実に乗り越え、夢を実現します。
9組

A君
 高校二年生になり、大学受験まであと一年ちょっととなりました。大学進学というのは夢の実現へ向けての第一歩ではないでしょうか。
 僕の将来の夢は「皆を幸せにするツアーコンダクター・プランナーになる」ということです。この夢を持ち始めたのは高校一年生になった時です。その時までは志望大学も特に決まっていませんでした。このままだは、ただ漠然と大学に通うことになってしまうと思い、色々考えていた時に、たまたまオーストラリア短期留学に参加する機会がありました。現地では英語しか通じないという状況の中で、ふと思いついたのがこの「ツアーコンダクター・ツアープランナーになる」ということだったのです。僕は、元々計画を立てたりすることが好きだったので、英語を完璧に話す事が出来るようになって、皆を旅行に連れて行けるようになれば、多くの人達を幸せに出来るのではないかと思ったのです。その後、高校二年生になってカナダ修学旅行に行きましたが、ここでも改めてこのような気持ちを感じることが事が出来ました。
 では、この夢を実現させるためにはどうしたら良いのでしょうか。まず目先の目標としては、観光学部や観光学科がある大学に進学するということがあります。この様な大学は色々ありますが、僕は第一希望として立教大学の観光学部、第二希望として東洋大学の国際観光学部を目指しています。この様な大学に進学すれば、大学生のうちに色々な場所に留学することが可能になり、観光に関する自分の能力を高めることが出来ると思っています。こうした大学に進学するためには、学力の向上は欠かせません。特に、英語力は絶対に磨いておく必要があります。僕の第一希望である立教大学は、早稲田大学や慶應大学には及ばないものの、明治大学などと並んで、その次くらいに難しい大学です。ですから、受験科目の英語・国語・日本史が早慶レベルか、それに近いレベルに達していないと、合格することができません。そう考えると、今の自分の学力はまだ不足しており、今のままではいけないと思います。今の自分の学力では到底太刀打ち出来ません。ですから、
高校三年生から勉強を始めるのではなく、今のうちから入試問題などとしっかりと向き合い、着実に力を付けていく必要があると思っています。
 また、資格を多く取得しておく事も重要だと思っています。英語検定やTOEICなど、英語に関連する資格が仕事柄必要になってきます。こうした資格を大学に進学してから積極的に取得することにより、就職が有利になると考えています。ですので、大学入学後は、こうした資格に積極的にチャレンジし、有能なツアーコンダクター・ツアープランナーになれるよう努力していくつもりです。
 僕は中学校時代には、「自分の夢」という作文を書くと、いつも内容が違っていました。目標も定まらず、フラフラしていたと言ってよいでしょう。しかし、高校に入り「ツアーコンダクター・ツアープランナーになる」という具体的な目標を持つことができるようになりました。大人になって、世界各国に行けるんだと思うと、すごく楽しみです。そのためにも今は勉強することが第一だと思っています。受験勉強に本格的に入っていくと、非常に辛く、厳しいこともあるかもしれません。しかし
夢の実現のために、何としてもそれを乗り越えて希望の大学へ進学しようと決意しました。そして、旅行会社に就職し、江戸取生の研修旅行や修学旅行に関わることが出来れば最高です。「ツアーコンダクター・ツアープランナーになり、母校の生徒の旅行を企画し、添乗する」これが自分の夢です。そうなれるよう、全力で頑張ります。
10組

Y君
 僕の夢は通信社に入社して世界各地を取材することです。一番の理由は先進国と発展途上国の格差を埋めることに貢献したいからです。この格差を埋めるためには、私たち先進国の人間が貧困地域を支援することが不可欠だと思います。また、通信社に入社することができれば世界で起こっていることを実際に自分の目で確かめることができるので、より具体的に発展途上国との格差を埋めるための対策を練ることができると思います。また、仕事を通して世界中を回ることができるのもこの仕事の大きな魅力だと思います。僕は幸運にも今までに何度か海外へ行かせてもらいました。その度にまだ足を運んだことがない国に行きたいと思うようになりました。だから、今は外国で仕事をしたいという思いが強いです。
 そして、通信社に入社するためには余裕をもって仕事に臨めるくらいの知識を身に付けられる学習環境がある大学に行かなければならないと思います。また、大学の名前が有名であればあるほど、新しい研究結果などの情報も知ることができるでしょうし、良い学習環境といえると思います。そして、有名な難関大学に進学するためにはしっかり勉強していくことが大切だと思います。しかし、今の自分の勉強時間では難関大学に合格することは不可能だと思うので、もう一度自分の生活スタイルを見直して勉強時間を増やそうと思いました。そして勉強では集中力も問われますので、できる限り、公共の自習室に行って勉強するなど、周りに目があるところで学習して勉強の効率を高めることも大切だと思います。そして、平日の大半は授業を受けながら過ごしているので、先生が言っていることや黒板に書いていることを確実にメモしておくことも大事だと思います。
 また、就職活動を学歴のみで乗り切ることはできないと思います。なぜなら学歴だけで就職が決まるのであれば就職活動をする必要がないからです。
日頃から新聞やニュースを見て世の中の動きを把握することも必要ですし、コミュニケーション力など多くの資質が就職するうえで必要になると思います。だから日々精一杯努力して生きることが大事だと思います。
 最後に、毎日地道に勉強する人はきっと毎日働く人になると思います。反対にそうでない人は就職しても長続きすることはないと思います。だから、今与えられている課題にどう取り組むかが将来につながっていくと思います。そして、今こうして考えている就きたい職業やこれからしてみたいことがこの先変わることがあるかもしれません。大切なのは、どんな仕事をしていても必要になる知識であったり、最低限のマナーであったりと、高校生の時に養い育てることができる能力だと思います。