医師・小児科医・歯科医
家族の深い思い
3年 男子
夢とは、誰もが一度は思い描き、そこに向かって努力するものです。反面、夢は儚く頼りないこともあります。これから先に待ち受けている困難に、どう立ち向かい、どう乗り越えるか。キーポイントは、そこにあるように思います。
僕の夢は医師です。とても大きな夢ですが何年も前から変わることなく、現在に至っています。小さい頃、身体が弱かった僕は、病院通いばかりで、入院をすると違う階の移動もできず、部屋の中で過ごすばかりでした。小児病棟は、遊戯スペースもあり、大きなピアノや本も沢山ありました。母が帰ってしまうと、淋しさのあまり涙を流すことも多かったです。そんな僕にとって、白衣を着た先生は優しいスーパーマン的存在だったのです。
僕は小児科医になりたいと思っています。なかでも、障害科学の方に進み身体の不自由な子供達や、知的障害の子供達の力になりたいと考えています。僕自身、脳性麻痺の疑いがありました。母は、医師からその可能性を否定できないと言われた時、言葉が全く出なかったと話していました。その思いは、当事者にしか分からない思いです。辛いとか、悲しいなどと簡単に言葉には出来ないデリケートな問題です。だからこそ、僕に出来る何かを見い出したいのです。先輩の言葉通り、生半可な気持ちで向かう夢ではありません。真剣に向かい合いたい夢であることは、間違いありません。
今回、夢を語る会では、中等部3年生の代表として話をさせていただきました。会場には、中学受験の際にお世話になった、青木先生が見に来て下さいました。発表の前に少し話をする時間があり、僕にエールを送って下さいました。それは発表前に緊張していた僕にとって大きな心の支えとなりました。檀上から見る景色は、普段とは違ったもので、周りを見渡すと僕の心は一瞬空気に呑まれそうになりました。伝えることの難しさを身をもって感じた時間でした。同時に、今回の経験は僕にとって、貴重な体験となりました。それはこれからの生活に必ず活かすことができると思っています。
今回会場には母と祖母も見に来てくれました。医師になりたいと伝えた時、涙を流し喜んでくれました。背中を後押ししてくれたことに本当に感謝しています。中学受験も含め、どんな時も僕の力となってくれる家族の深い思いに、僕は全力で答えたいと思っています。家族に勝る支えはありません。僕は必ず夢を掴みます。
高等部進学まで残りわずかです。医科コースの面接も終わり、残りの中等部の生活を、きちんと目標を持って過ごすこと。そのことが、高等部での生活に繋がると思います。この冬期休暇を有効に使い、不足している部分の学習に力を注ぎたいと思います。


夢をあきらめない
3年 女子
「夢を語る会」の発表の中で、中3の岡田君の発表はとても衝撃的でした。自分では、十分夢について考えていると思っていましたが、十分に考えていないことが分かりました。私の夢は医師になることです。その思いは、中1の頃から変わらず、今も医師になりたいと強く思っています。しかし、いくら強く望んでも、医師になるには資格が必要です。国家資格を手にするためには、医学部に行く必要があり、医学部に受かるためには医科コースに行く必要があります。過去には、東大コースから医学部に受かった先輩がいるそうですが、やはり、同じ夢を持つ仲間たちと、3年間一緒に過ごせるのは、とても心強く、また、「一日医師体験」など、医師になる心構えを育てられる点では、医科コースに行くべきだと思います。
先日、医科コースの面接がありました。私は成績があまり良い方ではなく、面接で自分のことを上手にアピールする必要がありましたが、とても緊張してしまい、思うようにアピールができませんでした。満足のいかない結果に終わってしまった面接、そして、良いとはいえない成績から考えて、「医科コースに落ちるかも知れない」という考えが、頭を支配しました。今まで、良くない成績を見るたびに、それを感じていたのですが、実感を伴って感じたのは、この日が初めてでした。それから、私は考えました。「もし、医者になれなかったら、何になろう」と。面接の日、家に帰るなり、暗い顔をした私を見た両親は、急に「医師以外にも、人の役にたてる職業はたくさんあるよ」と言い出しました。確かにそうかもしれません。しかし、やはりどうしても医師になりたいのです。医師になれるのだったら、何でもしようと思いました。そのために、私は今ここで宣言します。たとえ高1で医科コースに入れなくても、高2で入り、私は医師になります。医師になって人の命を救い、社会の役に立ちます。今からでも遅くないと思います。今、この瞬間から勉強を頑張ろうと思います。
そのような思いを抱かせてくれた医科コースの面接ですが、もう1つ、どのような医師になりたいのか、ということも改めて考えさせられました。例えば、スーパー外科医の天野先生のような人物になりたい、と言う人もいると思います。私は、理想とする医師がいる訳ではありませんが、理想とする医師像はあります。それは、地元の小児科医の先生のように、話しているだけで、病気で弱った心を元気づけてくれるような医師です。その先生と話していると、いつの間にか症状が緩和されるような気がします。また、最新の知識を学び続ける医師にもなりたいです。『神様のカルテ』という本に、最新の技術を勉強し続ける医師が出てきます。彼女は、自分が最新の知識を学ぶのを怠ったせいで、最愛の夫を亡くしてしまいます。そのようなことは起こしたくないので、私は、目の前の患者さんにとって、その時の最前の判断を下せるような医師になりたいと思います。
今回の夢を語る会、そしてその後の面接は、私にとって「夢」とは何か、なぜそうなりたいのかを考えさせてくれたよい機会でした。たとえ、高1で医科コースに落ちても、私は高2で入ります。私は夢を諦められません。私は医師になります。


夢を実現する覚悟
3年 女子
私の将来の夢は確かな技術と思いやりの心を持った医師になることです。医学を用いて人の命を助けることで、患者さんやその家族を笑顔にできる医師という職業に、私は物心ついたときから強いあこがれを抱いていました。
つい先日、医科コース面接試験がありました。それは、夢を叶える第一歩であり、また自分の将来について真剣に考える良い機会でした。その結果、色々考えた末に「そもそも自分はなぜ医師になりたいと思ったのか」という疑問が浮かびました。特に明確な理由は思い浮かびませんでしたが、日頃お世話になっている小児科や内科の先生の姿やテレビドラマなどの影響が大きいのではないか、と思いました。中学受験の時にこの江戸取を志望した大きな理由の一つに医科コースの存在があったことを思い出したときには、夢の原点に帰れたような気がしました。
この冬、私が一生忘れることが出来ない出来事がありました。それは、曾祖母の死です。曾祖母は私が生まれたときからそばにいるのが当たり前の人でした。だからこそ未だに信じることができず、また信じたくない気持ちです。医師であれば一度は必ず立ち会うであろう死の瞬間、こんなに悲しい空間の中で、自分はきちんと医師としての務めを果たすことができるのだろうか、そう思い、決意が揺らぎました。でも、曾祖母が自分の医師になりたいという夢を応援してくれていたと思い出したとき、この悲しみに共感できる医師になろうと思い直すことが出来ました。
私が曾祖母の死後、すぐに駆けつけてくれたかかりつけの先生と看護師さんを見ていて感じたのは「医師の仕事は決して患者さんの病気を治すだけではない。対応一つで患者さんやその家族の心の負担を少しでも和らげることが出来る、それが出来て初めて一人前の医師と呼べるんだ」ということです。私も人の心を救える医師になりたい、そう思いました。
私は去年の作文の中に、立派な医師になるために必要なこととして精神力、学力、体力、この3つを挙げました。今年はこの中に「話す、聞く力」を付け加えようと思います。症状を簡潔に、より分かりやすく説明したり、患者さんの世話話や悩みを聞いてあげるためには、これらの力が不可欠です。友達や家族とのより良い会話をしていけば、これらの能力を磨くことができるので、今から相手のことを考えてコミュニケーションするのを心がけます。
自分の夢、医師について深く考えることの多かった中学3年の一年間、この一年で私は夢を実現する覚悟を身に付けることが出来ました。前を向いて、一歩、一歩自分の夢を叶えるために、これからも「心力・学力・体力」そして「話す力・話す力」を向上させることに力を入れようと思います。


高い意識を持った仲間達
3年 女子
私の冬休みは、今まで以上に規則的に過ごせた休みだったと思います。今までは今度こそはと思っても、結局後になって計画通りに行かず、根を詰めたりしていました。その理由として、今まで私は目標や夢が明確に定まっていないからだったと思います。それに、自分はどうせやってもだめだと思ったり、自分を信じることをしていなかったためだと思います。
私は医師になることを迷っていた時期がありました。小さいころから親の影響で私は医師になると思っていましたが、中学に入って「自分のなりたいと本当に思うものになりなさい」と言われてから、どうして私は医師になりたいと思ったのか、それは本心なのかと自分に問いかけても、答えが明確に出てこず、かなり悩みました。本当になりたいのかは自分でも全く分かっていませんでした。しかし、夢や目標が定まっていなければ何に向かって、何のために勉強をしているのかもさえ分からなくなってしまいます。
そんな時、弟が小さい時入院していた時のアルバムが出てきました。アルバムには弟が病気のベッドで点滴がいっぱいつながれていて横たわっている写真から、病気が治って、看護師さん達と笑顔で写っているものまでありました。それを見て、やはり医師はすごいと思いました。人の命という大変重いものを預かり、託され、その命を助けるために一生懸命やるというのはとてもすごいことだと改めて思いました。責任重大ですが、私もなりたいと思いました。今でも弟はとても元気に生活しています。それは、弟の病気を治して下さった医師の方がいたからです。私はその弟の病気を治して下さった医師の方に感謝の気持ちでいっぱいです。私もこのように、人の命を助け、感謝される医師になりたいと思います。しかし、夢や目標は語っていてもなれるものではありません。それに向かってそれなりの努力をしなければなりません。私は医科コースを受けました。そして、高い意識をもった仲間達がこんなにいると思うと、追いついていけるのか少し不安もありました。ですが、逃げていては意味がないと思いました。立ち向かおうと思いました。
私はそこそこの所でいつもやった気になってしまい、結局成果もあまり出ません。面倒くさいと思ったり、これくらいでいいだろうと思うことが毎回です。私は自分を変えたいと思います。今の甘いままでは全く自分を変えることにつながりません。目的をまず定め、それに向かって努力していきたいです。今年の冬休みはまず、目的に向かうことはできたと思います。少しずつ少しずつやると長い期間かかってしまうと思いますが、確実にやっていきたいと思います。医師になるためには、学力以外のことも身につけておかなければならないので、そのことも留意して少しずつ身につけていきたいと思います。これから沢山やらなければならないことがあるので、気を抜かずに頑張っていきたいです。
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世の中への恩返し
3年 女子
今年の夢を語る会は去年よりも気持ちをしっかり入れて臨みました。今まで参加していた夢を語る会も中等部として聞くというのは今年が最後でした。今まで大学受験をあまり意識していませんでしたが、中3の後半になるにつれだんだんと焦りが出たりするようになってきました。自分はこのままで大丈夫なのだろうかということです。高校生になれば、普段の生活は今までよりも何倍も早く感じ、あっという間に大学受験の本番を迎えることになります。その時きちんとやるべき事をやり、万全の状態で臨むには今のままでは絶対にいけないと思いました。大学受験というのは中途半端な気持ちで臨めば絶対に合格することはできません。全国規模で戦い、その中を勝ち抜いていくのです。そのためにはしっかり目標を持つ事が大切です。
私は今まで、夢や目標というのは生きている間にそのうち見つかるだろうと思っていました。しかしそのようでは本当の夢ではありません。色々な事に挑戦し、その中で「将来この職業に就きたい、この職業に就いて世の中に恩返しをしたい。」そう思える職業に就くことが本当の夢だと思いました。
まだはっきりと決まった訳ではありませんが私は歯科医になりたいと思っています。歯科医になるためには歯科大学や大学の歯学部で6年間教育を受け、歯科医師国家試験に合格し、歯科医師資格という免許を取得しなければなりません。2006年4月からは資格取得後、研修施設の指定を受けた病院、診療所などで1年以上の臨床研修が義務付けられています。このように歯科医になるためにはそれまでの道のりがとても難関なのです。今のままの私ではこの夢はとうてい叶いそうにありません。このままでは夢を目指すだけで終わってしまいます。それを防ぐためにはやはり、努力することが大切です。できる人、受かる人、夢をつかむことができている人は皆必ず努力しているのです。努力なしでは結果を得ることはできません。今は不可能だと思う事でもこれから先、努力することで結果は大きく変わるのです。今回夢を語る会に参加し、改めて気持ちがしっかりと固まりました。
先輩方の貴重な実体験を参考にできる事や、友達の夢を語っている姿を見ると私もこのようになりたいと思ったり、一緒に夢に向かって頑張っていきたいという思いが湧いてきました。もうすぐ高等部に入学します。高等部の勉強は今よりずっと難しいです。基礎の部分でわからないところを今のうちにできるようにしていきたいです。まずは目先の目標からクリアし、将来の1番大きな夢に向かって頑張っていこうと思いました。自分の目標に向かって改めて考え、先輩方の貴重な体験を聞くことのできる素晴らしい機会を経験することができてとても良かったです。何か壁に当たったり迷った事があったとしたら、今回の気持ちを思い出し、頑張っていこうと思いました。そして夢を叶え、今度は私が後輩にバトンを渡していきたいと思いました。


信頼される医師を目指して
3年 女子
私は将来医師になりたいと思っています。中学2年生までは漠然となにか人の役に立てる職業に就きたいと考えてはいましたが、具体的になりたい職業というのはありませんでした。昨年、祖父がガンになったことがきっかけで医師になりたいと思うようになりました。ガンなどの様々な治療法の開発、薬の研究、また早期発見のできる医療器具の開発など医学に関わる職業にも関心を持つようになりました。
このような職業に就くためには医学・薬学または医療の先端技術を学べる高いレベルの大学に進学しなければなりません。そのためには五教科すべてにおいて優れていることが不可欠になります。今の成績では、そのような大学に進学するのはとても厳しいと思います。今の自分に必要なことは、苦手科目を克服することと自分の得意科目を確立するということです。私はまだ毎日、宿題以外の勉強をするという習慣を身につけられていないので日々の学習をコツコツ続けていくことをしていきたいと思います。
私が理想とする医師は、相手の立場に立って考えることができて信頼される医師です。そうなるためには、今から人格を磨く必要があります。具体的には、人の話をよく聞くこと、自分のためだけでなく他の人のためになるように行動することです。積極的に多くの人と交流を持ち、より多くの考え方を吸収し成長できるようにしていきたいと思います。またいかなることにもすぐに結果が出るわけではないので粘り強さも鍛えて行こうと思います。医療研究は最新の情報などを知ることが大切です。だから、今から最近の社会の出来事にも関心を持っていきたいと思います。
医療に関する職業として、今までは患者さんと向き合う臨床医を主に考えていましたが、研究所という選択もあります。他にも調べてみると直接ではないけれど治療にたずさわる職業がありました。自分たちと関わるのは臨床医がほとんどですが、治療は多くの職種の人との協力でなりたっていることがわかり、改めて医師という職業には多くの知識が必要とされていることを認識しました。
勉強面において医師になるためにはまだまだ劣っているので、細かく自分の治さなければいけないところ、やらなければいけないことを見直していきたいと思います。自分は怠けてしまうことがあるので、時間は限られているということをしっかり認識して、無駄な時間を少なくしていきたいです。また成績をあげるために一番大事なのはやはり授業だと思うので、ボーッとすることなく集中して受け、予習・授業・復習もちゃんと行っていこうと思います。高校進学を前にして自分のなりたいことが明確になってきたので、夢を実現させられるように一日一日を大切に自分の中の弱い心に負けず、努力していきたいです。


夢を実現させるために
3年 女子
私はこの中3のいろいろな行事において毎回毎回勉強に対する意識が変わりました。そこでいろいろな行事とともに一年間を振り返ってみたいと思います。
まず中3で最初にあった行事は夏期勉強合宿でした。夏期勉強合宿では一日十一時間の勉強をし、他律的な学習から自律的な学習をすることを身に付けました。
また夢は後ろではなく前にあることを改めて考えさせられました。夏期勉強合宿の後から「短い締め切り」というものをやっています。「短い締め切り」をつくることによってより自律的な学習ができ、集中して取り組むことができます。「短い締め切り」もそうですが、私は小さな手帳に今日やるべきこと、やらなければならないことを全部書き出したりして計画的な勉強をするようになりました。計画を立てることによって、やることがたくさんあるときに頭の中がごちゃごちゃにならないで済むと思います。私は夏期勉強合宿で校長先生がおっしゃったことを思い返してこれからも自律的な学習を継続させ、常に前に向かって勉強することを意識していきたいです。
次に印象に残った行事は筑波大学医学群キャンパスツアーでした。私の夢は小児科医になることです。地元でもあり、両親が働いている病院の近くでいろいろなことを学びました。特に印象に残ったのは江戸取の先輩が言っていた「生半可な勉強をしていたら患者さんが死んじゃうでしょう。だから今本気で勉強をするべきです。」という言葉です。確かに医師という職業は一歩間違えれば患者さんの死につながる肉体的にも精神的にも厳しいものです。それは勉強でも同じことが言えると思います。毎日のつらい勉強を乗り越えていかなければ将来の夢の実現にはとうてい及ばないでしょう。だから何のために学校に行って勉強しているのか、将来の夢を実現させるには何をしなければいけないのかなどたくさんいろいろなことを考えて生活しています。絶対に夢を実現させるという強い気持ちを持って毎日の勉強に取り組みたいと思います。
三つ目は高等部進学説明会と医科コースについての全体指導です。私たちはもうすでに高校生の内容を学習しています。つまりもう大学受験に向けての勉強を始めているということです。高等部に進級すれば高一では医科コースか普通科コースに分かれ、高二では医科コースと理系と文系に、高三では医科コースと志望大学別のクラスに分かれます。もちろん高等部にあがると教科が増え、もっと難しい内容に入ります。しかし教科が多いといって気を落としてはいけません。大学受験というものはそういうものを努力して乗り越えてきた人しか合格はもらえないくらい厳しいものです。高一の段階でやる気がなければ高二・高三とあがっていってもやる気がないままになるでしょう。そこで高等部ではいろいろな選択をしなければなりません。まずは私たちが春から進級する高一では医科コースか普通科コースに入るかということです。私は医師になりたいので医科コースを希望しました。医科コースは医師になりたいライバル達が競い合うというとても厳しい環境で、しかも入れる人数がとても少ないコースです。医科コースは普通科コースと違って紫峰館があるのでとてもお金がかかるコースでもあります。つまり高いお金を出してまで両親が自分の夢の実現に向けてサポートしてくれていることだと言えます。
私は小さいときから医師になることが大きな夢でもあり、江戸取に入学した一番の理由も医科コースに入るためでした。私は生まれてすぐにしていただいた心臓の手術に対する感謝とともに今度は自分が多くの人の命を助けたいと思います。また私の両親と祖父は医師であり小さいころからその姿を見て育ってきました。さっきも書きましたが肉体的・精神的につらい医師として働いている姿に誇りを持っています。私はこの三年間医科コースに入るためにいろいろなことを努力してきました。医科コースは紫峰館と学校の授業を両方完全に身に付ける必要があり、大変忙しくなりますが全部乗り越える自信があります。絶対に夢をあきらめないという自信もあるので、私ならできるはずだと思います。これから医科コースに入るためには質の高い勉強、難しい問題を解くことができる高い学力を身に付けたいと思います。医師として震災の復興に貢献するために絶対に医科コースに入りたいと思いました。
このような三つの行事を通して勉強に対する意識が高まりより一層将来の夢に向けて頑張って努力したいと思いました。


努力すればきっとできる
3年
男子
3人の夢を聞き、実際に仕事について
一企業戦士として活躍されている先輩方の話をお聞きして、自分も今できることを全力で取り組んでいきたいと思いました。3人の先輩方の話の中で共通していると感じるところは夢に向かって努力していくことだと気づきました。やはり、人というのは自分の夢をかなえるには努力なくして実現させることは不可能だと思います。努力していないと言っている人も、その人は我々のいう努力を努力だと思わずに自然とこなしていった人なのだと思っています。それを人々は天才と呼ぶのだと考えます。
確かに人には人それぞれの生まれつきの能力や才能があると思います。しかしながら「習慣は才能を超える」という言葉を聞いたことがあります。つまり、勉強などにおいてそれらを努力することを習慣付けている人は、生まれつき優れた才能を持った人にも勝つことができるということです。すなわち天才というのはこの世には存在しないものなのだと考えています。常に努力し続けていれば、いずれその努力が習慣となって、才能を上回るはずです。私はその勉強などに対する努力を自身の習慣として確固たるものへと確立し、他の人の才能を上回るようにしていきたいです。
前回の高等部進学説明会で印象に残っていることがあります。それは校長先生による説明の際に、全国統一中学三年生学力テストとそのアンケートの結果を紹介されたときのことです。アンケートの質問で「自分には良い所があると思うか」というものに良いところがあると答えた人が少なかったことに対して先生が、「みんな良い所があります。だからこの数字は100パーセントです。私が保証します。証明書を発行しても良い。」と強く断言してくださったことを覚えています。その先生の温かい言葉によって改めて自分に自信を持てるようになることができたのを覚えています。そうして自分は努力していけばきっとできると信じて、今回医科コースへ進学を希望しました。
私の祖父が生死をさまよう状態にあった時、十時間以上もの長い時間祖父の手術をして無事に日常生活で暮らせる様に治して下さった医師の先生には心から感謝し、憧れを抱きました。現在では地方での医者不足は深刻な状態です。私はそれを少しでも抑え、地元の方々の身体だけでなく精神的なケアがしたいと思い、医療の道へ進むように決めることにしました。
医者になるのには、これからは、苦難が待ち受けているかもしれません。それでも自分は、夢に向かって日々努力を怠らず、単なる成績を上げるための勉強だけでなく、自らの将来のための勉強をしていきたいです。


子供を勇気づけることができる医師
3年 女子
私の将来の夢は小児科医になることです。今年はその自分の夢について真剣に考える機会が多くありました。中一、中二、中三と私の夢はずっと変わっていません。
私が小児科医になりたいと思った最初のきっかけは、小学4年生の時に心臓の手術をしたことです。失敗する確率はほとんどない、と言われていたものの、当時幼かった私は不安と恐怖でいっぱいでした。そんな中、私に明るく話しかけてくれたのは、担当の小児科の先生でした。車椅子に乗り手術室に向かう時、とても勇気づけられたことを私は鮮明に覚えています。私のように先生に勇気づけられた子供達はたくさんいるはずです。この先生のように子供に信頼され、勇気づけることができる医師になりたいと心から思いました。
また、今年私が医師になりたいと思う気持ちをより強くすることができた出来事がありました。それは、筑波大学医学群のキャンパスツアーです。私たちの夢の一歩先にいらっしゃる先輩方はとても輝いて見えました。夢を語る会で岡田君も話していましたが、その場にいた全員の心に響いた先輩の言葉がありました。「生半可な気持ちで勉強していたら目の前の患者さんが死んでしまう。」この言葉です。この言葉を聞いて、今の私ではこのままいってもこの責任を負うことはできない。今までの自分は甘えすぎていた、と現実を見ることができました。私は中学一、二年生の時に生半可な気持ちで勉強してしまっていました。中二から中三になるにつれて、家族や友達と将来の夢について話をする機会が増え、医師になりたいという目標を強く固めることができました。今のままではだめだと思い、中三になって学習方法を変えて今までより数倍頑張ってきました。しかし、今までの二年間の分を取り戻すことはできませんでした。とても後悔しています。こんなに悔しい気持ちにはもう二度となりたくありません。ならないためにも、これから高校生になるにつれて、人の倍以上学習していけるように努力していきます。もし、将来の私がこの作文を読み返しているのであれば、この気持ちを忘れないでほしいです。
中学三年生になって筑波大学医学群に入学したいと心から強く思うようになりました。きっかけは、私が中二から受講している紫峰館の個別授業の担当の先生が筑波大学医学群の学生であることでした。大学内の雰囲気や様子を伺う機会が増え、興味を持ち始めましたその後、筑波大学医学群キャンパスツアーやオープンキャンパスに参加して、ここで医学を学びたいという気持ちが大きくなりました。また、茨城県の人口に対する医師の数が不足している、とよくお聞きします。地元の大学を卒業し、地元の医療に貢献したいです。
今までに、こんなに自分の夢について考えることはありませんでした。自分の夢に一歩近づいている証拠なのではないかと思います。2015年には、より夢に近づけるように強い意志を持ち邁進していきたいです。


ポジティブな転換
3年 女子
病は気から。この言葉は本来、病気にかかったと思い込んでしまうことで本当に病気を呼んでしまう、というような言葉です。けれど私は、少し捉え方を変えます。「気持ちによっては、病も病ではない。」
人の心は弱いです。すぐに悪い方に、悪い方にと考えがいってしまいがちです。だから、成績の上下ですぐに自信を失うし、人に裏切られれば、人を信用しなくなります。これは診療を受け入れる患者さんも同じことです。腕を折れば、生活、勉強に不安を覚える人は少なくないし、がんの宣告を受ければ、死に対する恐怖を誰もが、少しは感じます。私はそんな心、負けそうな人に光を与える医師になりたいです。死の間際でも、しっかり、全ての可能性を広げられる医師。そのような医師になるためには、患者さんからできる限りの情報が得られるコミュニケーション能力。そして、多くの治療法を提供できるだけの知識と技術。多くの医師から意見をもらえるだけの人望の厚さが必要です。
私はまずはじめに、コミュニケーション能力を伸ばしていきたいです。私は、人との会話はとても好きです。しかし、あまり自分から口を開くことはなく、聞いて笑うことが多く、また初対面の人と話すのはとても苦手意識があります。そこが、自分の中でも医師を目指していく身として直すべき点だと思っています。目を見て、相手と、自分から積極的にコミュニケーションをとっていく。これは、私の第一の課題です。次に私が改善すべきは、計画性のなさです。私はあまり計画に沿うということができません。それをふまえて、最近は、その予定が狂っても大丈夫なように、設定期間を多少短めにすることで余裕を持たせて、なんとか間に合わせています。しかし、やはり、そういう厳しすぎる計画であるために、「少しくらい」そういった甘えが出てきてしまいがちです。この甘え、己に対する緩んだ気持ちは、命を扱う医療現場において、あってはならないものです。ですから、私は現時点で、そういった甘えは断ち切り、しっかり決めた計画が終わるまでは寝ない、そして、それが可能な計画をたてる、ということを第二の課題とします。私は以前読んだ本に、死は人を素にする、死の前ではお金や地位もないからだ、というものがありました。そしてそこには、素であるからこそ、人はそういった場面で、本当に心に引きずってきたことを清算したり、本当に心からの愛を届けられる、ともありました。私はその方のように悪いものを良いものとして届けられる先生になりたいです。そのためにも、今を今としてしっかり頑張ります。
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医者になりたいという夢への熱い思い
3年
男子
僕の夢は、医者になることです。
僕がこの夢を抱いたきっかけは、僕が幼い時に起こった出来事です。僕が幼い時、祖父が心筋梗塞で突然倒れ、病院へ緊急搬送されました。そして、家族全員が心配している中で、命が助かる確率は低いといわれた手術を受け、無事に成功し、一命を取り留めました。そのとき、家族全員が不安から解放され、みんな喜びました。そして僕は、医者は患者さん自身の命だけではなく、その家族の心も救うことのできる素晴らしい職業であると思い、強いあこがれを抱き、自分も医者になりたいという夢を持つようになりました。
また、最近は日本が医者不足に悩んでおり、特に地方の医者が不足しているということや、小児科等の医者が不足しているということなどをよく耳にします。それなので、僕は日本を担っていく次の世代の子供たちの健康を守る小児科医になって、少しでも、自分や自分の家族が受けた医療による恩恵を世の中の人々に返したいと思います。
しかし、医者になるには、国家試験に受からなくてはならず、そのためにはまず、大学に入らなくてはなりません。そして、僕は筑波大学医学群に入りたいと思っています。なぜなら、筑波大学医学群は臨床実習の期間が他の大学の医学部よりも長く、習った知識をどのようにして使うのかや、医者としての心構えやノウハウなどの、医者として最も基本的であると同時に、最も重要なことを時間をかけて学ぶことができるからです。
そして、夢を叶えるためや、筑波大学に入るためにも、来年はとても重要な一年になります。1月には、Z会模試があり、2月には期末試験と校内模試が、3月にはクラス分け試験があります。そして、3月には中等部を卒業し、4月には高等部へと進学します。また、高等部へ進学するということは大学受験までいよいよ3年を切ったということです。そして、大学受験では今年習ったことも試験範囲となります。Z会模試や期末試験などに向けて一生懸命努力をしながら、高等部進学や、3年後に控えた大学受験に向けての勉強を着々と進めていきたいと思います。
また、これからは今以上に一日一日を大切にするようにして、夢への第一歩である筑波大学に入学できるようにし、また、自分の医者になりたいという夢への熱い思いを忘れずに、精一杯努力をして、自分の夢を叶えたいと思います。
夢への第一歩を掴む為に
3年 女子
私の将来の夢は、医師になる事です。今回の「夢を語る会」では、同学年の岡田君が、自分と同じ医師になりたい気持ちを語っていました。岡田君の話を聞いた時、私は素直に「このような人と一緒に勉強を頑張りたい」と思いました。
医科コースについて深く考えるようになったことの一つとして、「高校進学説明会」がありました。そこで初めて医科コースの方針を知りました。この説明会は高校をしっかり考える良い機会となりました。しかし同時に、医科コースに入ったとしたら、やっていけるのか、モチベーションを維持できるのかと不安になりました。その不安を明るいものとしてくれたのが、「夢を語る会」での卒業生方の言葉でした。三人の先輩方の言葉に共通していたものは「今、目の前にあることを全力で取り組む」ということでした。「失敗などを恐れずに全力で取り組めば、必ず夢は叶う」というものでした。私は医師になる為に、出来る出来ないに関係なく何事にも挑戦し続け、いつかの成長につなげられたらと思います。
12月25日に夢に近づく第一歩として、医科コースの面接を受けました。面接官を担当された竹澤校長先生と医科コース長の平野先生の真剣な表情を見て、筑波大学医学部キャンパスツアーの先輩方の言葉がふいに蘇りました。「生半可な気持ちで勉強していたら目の前の患者さんが死んでしまう」と真剣な表情で話された先輩方に、強い憧れを抱いた記憶があります。
医師になる為に努力する先輩方。それを全力でサポートする先生方。前者と後者の心持ちや真剣さは同じなのだなと強く思いました。想いが同じだからこそ共に乗り越えられると思います。それらの気持ちは私達の親でも同じです。頑張って欲しいから私をこの学校に入学させてくれました。その期待に応えられるように、日々精進していきたいです。
自分の夢を叶える為に、私は「今やるべきことプラスα」を重視するようにしたいと思っています。先輩方の、「今あることを全力でする」ことに加えて、少しでも将来につながることができたらなと思います。「プラスα」がみんなと差をつける重要なものになるので、物事一つ一つを「全力で取り組んで」いきたいです。
私は、今切磋琢磨している仲間のように何でも効率よくできるわけではありません。だからこそ人一倍努力する必要があると思っています。医科コースという、人より一歩早く将来の夢の選択肢を絞った私には、いち早く夢に向けて準備ができるというメリットがあります。今のうちに生活サイクルを確立し、全てにおいて余裕を持ったスタートを切れるように心掛けていきたいと思います。
メリハリをつけた学習で、三年後は必ず目標を掴み取りたいです。

やりがいのある仕事
3年 女子
私は、夢を語る会で先輩や同級生、後輩の夢について語る姿を見て、そして同級生で夢を語る会で発表していた私と同じ夢を持った人の話を聞いて、より自分の夢への思いが強くなりました。私の将来の夢は医師です。きっかけは、5歳の頃、右腕を骨折して入院した時に、実際に医師の方と出会い、手術を体験して、尊敬し、憧れを持ちはじめたことでした。その時、私を担当してくださった先生がとても優しく、そのような所にも憧れました。しかし、私も将来になりたい職業について迷ったこともありました。私が小学5年生の頃、江戸取生の先輩方がバスで襲われたという、とても悲しい事件が起きました。私は、その時江戸取が第一志望で、また、小さい頃から江戸取の校舎を見ては、この学校に入りたいと思っていたので、そんな私にはとてもショックな出来事でした。ニュースなどでその事件について知り、私は泣きながらとても怒りを覚えました。そして、憧れの江戸取生を苦しめたこの犯人を裁きたいという思いで、裁判官を目指しはじめました。しかし、医師と裁判官では、理系と文系という正反対の職業になってしまいます。やはり、どちらかを選ばなければいけないと考え、ずっと以前からなりたいと思っていた医師を選びました。また、父が博士という職業で時々研究室にも行っていたので、理系のほうが身近に感じられるというのも、もう一つの理由でした。
こうして、一時期迷いの時期もありましたが、やはり医師になりたいとより強く思いました。最近、祖父が重い病気にかかってしまいました。祖父を担当してくださった先生は若い女性の先生で、実際にこのような若い女性が医療の場で働いている姿を見て、より医師に対して憧れを抱きました。医師とは、なるまでもなった後も大変な職業だと思います。祖父が病気になった時に感じたことがあります。それは、病気はその人だけでなく周りの人にも強く影響を与えます。その時、医師の対応次第で患者さん自身も周りの人の気持ちも救うことができます。実際、祖父を担当してくださった先生は、祖父母に1時間以上手術の方法や後遺症など丁寧に説明してくれたそうです。医師とは患者さんの命だけでなく心も背負う責任の重い仕事だと感じました。しかし、同時にやりがいのある仕事だと思います。医師とは、いつも死と隣り合わせの分、人の命をすくったという感動はとても大きいと思います。
最後に、私は医科コースを志望しています。私が医科コースに入れたら、残り3年という長そうで短い学生生活であり、受験までの期間を悔いのないよう全力で過ごしていきたいと思います。

今やるべきこと
3年 女子
私の将来の夢は医師になることです。しかし自分の今の学習では全然足りないことに気づかされました。私は自分は文系の方が向いているのではないかと思っていました。しかし医師になるためには理系に進まなければなりません。私は理系に進むことを諦めかけていました。しかし、夢を語る会で話していた人みんなが自分の夢を堂々と話している姿を見て、自分もこのままではいけないと思いました。夢は諦めるものではなく叶えるものです。理系の科目が苦手だからといって将来の夢を諦めるのはちがうと思います。自分の将来の夢をみつけることはとても大切なことです。私が医師になりたいと思ったのは医師である父の影響が大きかったと思います。人を助けるということは患者さん一人一人に責任をもつということです。どんなに大変でつらくても患者さんを助けることができるなら乗り越えていくことができるのだと思います。人を助けるという責任感は言葉では言い表せないほどのプレッシャーがあると思います。しかし、自分が学んできた技術を信じて患者さんを笑顔にするという職業はとてもやりがいのある仕事だと思いました。私はいつかこの人にみてもらいたいと思ってもらえるような医師になりたいと思っています。誰でもいいではなく、この人がいい、そう思ってもらえることが一人前になれた証だと思います。
私は中学生になって自分が決めた目標に向かって最後まで一生懸命に努力するということをあまりやり遂げたことがありません。中間、期末テストでもギリギリになってから勉強をやり始めるということがありました。そのやり方で成績が上がるはずがありません。自分で最初から限界を決めるのではなく、できるとこまで最後まで取り組んでいこうと思いました。「叶という字はマイナスにばかり考えると吐という字になり、プラスに考えると叶という字になる。」遠藤先生がおっしゃっていた言葉です。私はこれを聞いたとき叶という字にはこのような意味が込められているということをはじめて知り、そしてその通りだと思いました。私はこの言葉を絶対に忘れません。将来の夢が叶った時、この言葉を思い出してやってよかったと思えるように、今やるべきことをしっかりとやっていきたいと思います。今やるかやらないかでその後の人生は大きく変わってくると思います。自分は文系に向いているからという理由で夢を諦めるのではなく、まずはやれるところまでやってみようと思います。
中学受験の時、いつも家族が側で支えてくれました。私は家族がいなかったら途中で諦めていたと思います。大学受験を成功させることが家族に恩返しできることだと思うので、一日一日を大切に夢に向かって日々精進していきたいと思いました。


医者になりたいという強い気持ち
3年 女子
私は夢を語る会に参加し、自分の夢についてもう一度よく考え直した時、医者になるという道を選んで本当に良かったと思いました。
中学二年生の頃、私は医者になるか薬剤師になるか悩んでいました。医者になる道を選んだ場合、医科コースを希望し、無事に入ることができれば今まで一緒に勉強していた友達が部活をしたり、家に帰宅している時に紫峰舘へ行って勉強しなければなりません。ほぼ毎日夜九時まで勉強し続ける覚悟が中二の頃の私にはありませんでした。普通科に行ったほうが楽だなと思っていました。
ですが、中三になりいよいよ進路について真剣に考えるようになった時に、やはりどれだけ大変な思いを高校生の時にしたとしても将来の自分の姿を想像してみたら、薬剤師よりも医者になりたいと強く思いました。薬剤師に救えない患者さんも医者には救うことができるし、やりがいがあると思ったからです。
中三から医者になりたいと強く思うようになりましたが、中二で中だるみをしてしまっていたので成績が医科コースのレベルにとどくかとても不安です。冬休み前には希望調査票を書き、十二月二十五日には校長先生と平野先生との面接をしました。とても緊張して足が震えました。でも自分の医者になりたい思いを伝えることができたと思うので、結果発表の日を待ちたいと思います。
医科コースの合否はとても気になりますが、医科コースの試験は医者になるために必要な大学受験本番ではありません。絶対に来年一組として高校生活をスタートさせたいですが、もし普通科に進学することになったとしても大学受験で医学部に入学できれば、医者になるという夢を叶えることができます。実際に普通科から医学部へ入った先輩もいらっしゃるとお聞きしました。大事なことは医科コースに進学するか、しないかではなく医者になりたいという強い気持ちを大学受験本番まで持ち続けることだと思います。それができれば医者になる夢を叶えられます。
私は腎臓内科医になって腎不全の患者さんを助けたいです。人工透析は週に三日、半日の拘束時間を必要とします。その度に私達が一年に一回打つようなインフルエンザの注射針よりももっと太い針を打たなければなりません。その苦痛は想像できないほど痛いと思います。その苦痛を少しでも無くせるような研究をしたいと思っています。その夢を叶えるためにも、医学部に入学するためにも、今この瞬間から気合をいれなおして勉学に励みたいです。最短のテストであるZ会のテストでは中学校生活すべての集大成として今までで一番良い点数、順位を取りたいと思います。
