観 劇 会 (観世流 能)

能の迫力

 3年 男子   

 僕は今回の能をみてはじめて日本の伝統芸能について触れることができました。
 この機会がなければ、僕の人生で能などを見る機会は無かったかも知れないと思うので、この能を見させてくれたり、主催してくださった先生方に感謝したいと思います。
 僕は能を見る前に前もって能について少し調べました。
 能という語は、元々特定の芸能をさすものではなく、物真似や滑稽芸でない芸能でストーリーだそうです。
 能は、日本の伝統芸能である能楽の一分野です。江戸時代までは猿楽と呼ばれ、狂言とともに能楽と総称されるようになったのは明治維新後のことだそうです。普段の学校ではこんなにも詳しくは能について勉強することができず、歴史の授業で習うことくらいしか能についての知識はありません。
 しかしこういう機会があることで、よりいっそう能に興味、そして関心をもつことができ、知識の視野を広げられてとてもうれしいです。
 能を見て感じたことは、すごい迫力があると思いました。教科書では声の大きさや喋ってる内容などは分かりませんが、実際に聞いてみるとこんなにも張りのある大きな声で能をしてるということを初めて知りました。
 また能を演じている人が実際に声の出し方や言っている内容、そして、それぞれの動作の意味などを丁寧に解説してくださったことで、より能を楽しんで鑑賞することができました。
 次は東京の能楽堂へ能を見に行って、より能について勉強したいと思いました。

 

700年の歴史を持つ伝統芸能

 3年 男子

 10月22日、江戸川学園取手中学校の生徒は、700年の歴史を持つ能という日本伝統芸能を観ました。
 正直に言うと、司会の方のご説明が無いと、舞台上で何と言っているのかよくわかりませんでした。しかし、司会の方の面白い話や能の演技法、例えば足音を立てずに歩くすり足や、手のひらを顔の前にあてて悲しみを表現したり、手を激しくぶつけるようにして怒りを表現したり、内から外へと喜びを爆発させるような表現など、詳しい解説によって楽しく能を観ることができました。
 改めて700年の歴史について考えてみると、とても長すぎて、その深さをあまり実感できません。その700年の歴史を前にして自分を見てみると、とても小さく見えてしまいます。700年間の間にはどれだけ多くの人が生まれ、亡くなっていったのだろう、などということをふと考えてしまいます。
 能はとてつもなくたくさんの人達に支えられ、たくさんの人に愛されています。しかし、今の子供たちは能の存在を知らないと思います。
 日本の伝統芸能を私たちが次の世代に伝えられるようにしなければなりません。今はまだ能の台詞にしても、何を言っているのかよくわからないのですが、能は日本の大切な文化の一つです。僕たちはこれからも能という伝統芸能に触れ、次の世代にその良さを伝えていきたいと思います。

 

目で見て学ぶ日本の伝統

 3年 女子

 私は「能」と聞いて思い浮かぶのは、日本の伝統芸能であり、室町時代に能を大成した観阿弥・世阿弥父子の名前だけでした。
 以前、音楽の授業で能を鑑賞したのですが、舞台上で役者さんが何を言っているのか全く聞き取れないし、何を演技してるのか全く理解できませんでした。
 しかし、今回は観世流能楽師の方が実際に解説してくださったので、少し分かるようになりました。
 表現の仕方も、声を発しないで手や足の使い方だけで色々な表情や心情などを表していました。
 能の音楽は独特で、たくさんの種類の太鼓で演奏したり、一人一人違うリズムでした。それにも関わらず、一音一音ずつ力のこもった音で、私たちが慣れている音楽とはまた違っ た、大変迫力のあるものでした。
 能という伝統芸能は何百年と日本に伝わり続けるものです。そのような日本の伝統を守っていかなくてはならないと思いました。
 私たちの時代はテレビの映像やパソコンの動画といった、機械の画面を介して物や映像で見ることが多いですが、こういった能などの 伝統芸能の舞台を実際に自分の目でたくさん見て、日本の昔からの伝統を学んでいくことも大切だと思いました。


 

素晴らしい役者さん達

 3年 女子

  私は今回初めて能を鑑賞しました。映像で見るよりも、実際に鑑賞すると動きの細かさや音楽などとても迫力がありました。そして、泣き、笑い、怒りの型や摺足、謡など体験しながら理解できて良かったです。
 特に、謡では会場中に聞こえるように大きな声をだし、音の高低や言葉ののばし方が難しく、舞台に立っている役者さん達はとても素晴らしいと思いました。
 また舞では、足の動きや体の向き、扇子などの小道具などを使っており、一つ一つの動きが丁寧で、たくさんの練習をしているのだろうと感じました。
 それから、わたしは能面をしている人は一切目が見えず、能面は角度によって嬉しそうに見えたり、悲しく見えたりと、能面の向きがとても難しいと聞きました。実際に鑑賞してみると、能面をつけた人はまっすぐ歩き、どこにもぶつかりもせず、指定された場所で役をこなしていて、どのように感覚をつかんで指定された場所にたどり着けているのだろうかと不思議に思いました。
 それから、曲は4人でやっていて、誰一人とも間違えず、オーケストラのように人数はいなくても十分劇の場面にあった曲になっていて、一つ一つの楽器の役割の重要性を強く感じました。
 最後に、能の鑑賞を通して不思議に思ったことや興味深く感じたことがありました。また、日本の侘び寂びを感じる芸を何百年も伝えていき、今もなおその伝統が残っていることに対して、感動をしました。また機会があれば鑑賞したいと思います。

 

世界に誇る日本の伝統芸能

 3年 男子

  今回、僕は能の劇の「羽衣」と能の舞台での「怒った時、哀しい時、嬉しい時の三つの動作」などの所作を見せてもらいました。
 まずは教えてもらったことの一つ目は、「嬉しい時、哀しい時、怒った時」の仕草についてです。まず「嬉しい時」は右手を円を描くように一回転させるということを繰り返します。次は「哀しい時」です。哀しい時は右手を手の甲が見えるように斜めにして額に当てます。次は「怒った時」です。怒った時は両手を上に上げ回して自分の前で合わせます。この時、叩いて音を出さないようにしなければなりません。
 二つ目は「すり足」についてです。能の舞台は神様がいると言われているので、走ってドタドタと音を立ててはいけません。だから音を立てないように「すり足」で移動しなければ神様に失礼になってしまいます。
 次に「羽衣」のストーリーは、三保の松原に住み、生活している漁師・白龍が春の朝、仲間と釣りをしに出かけた折に、松の枝に掛かっていた衣を見つけ、家宝にしようと持って帰ろうとしたところ天女が現れ「その羽衣を返してほしい」と頼みます。白龍は始めは言うことを聞きませんでしたが、「それがないと天に帰ることができない」という天女の言葉に心を動かされ、天女の舞を見せてもらうことで、その代わりに衣を返すことにします。羽衣を着た天女は月宮の様子を映す舞を見せ、さらには春の三保の松原を賛美しながら舞い続け、やがて彼方の富士山へ舞い上がり、霞に紛れて消えていくというものです。
 僕はこの「羽衣」の劇を観てとても感動し、男の人が女の人(天女の役)を演じていることにもとても驚きました。これからも機会があればぜひ日本が世界に誇る伝統芸能の一つである能をもっと鑑賞したいと思います。

 

能の独創的な世界

 3年 女子

 能とは無形文化遺産に登録されている日本の伝統的な演劇のことです。
 私は鑑賞する前、能に対して難しいというイメージを持っていました。理由は普段聞きなれない古文調のセリフと、「型」と呼ばれる人物の心理・内面を表現する動作にあります。古文調というだけならまだ聞き取れそうですが、イントネーションがすごく特徴的なのでよく聞かないと分かりません。また、悲しみを表す時、怒りを表す時、喜びを表す時などの動作に決まりがあるため知識が必要です。
 しかし、実際鑑賞してみると、言葉の意味が分からなくとも動きや、面の表情の変化によって物語が伝わってきたので楽しむことができました。
 能を鑑賞していくにつれ、私は動作について興味を持ちました。特にすり足という音を立てずに上半身を固定して移動する歩き方がとても印象的でした。足の裏はほとんど床から離さず床を滑るように歩く様子は独特です。実際すり足をやる機会があったのでチャレンジしてみましたがなかなかきれいに歩けず、重心が定まりません。
 私はダンスをやっていて、動きに対して人一倍気を使っていますが、重心をぶらさず、自然に歩くのはとても難しいことです。また、すり足だけでなく、手の動かし方、体の角度、動作のすべてにおいて表現力があります。
 私は能の鑑賞をするのは初めてのことで、どのように見たらいいのか分かりませんでしたが、映画やドラマとは違う、
能の独創的な世界にとても新鮮なものを感じました。


 

能と弓道の共通点

 3年 女子

  今回の能では、普段の観劇会のようにただ鑑賞をするのと違い、摺足や基本的な泣き、笑い、怒りの型、そして謡などを実際に自分たちでも体験できる機会がありました。私は弓道部に入っているので、摺足は体験したことがありました。しかし、摺足する意味は知りませんでした。
 摺足は神様に見ていただくものとして、神様の前で足音をたててはいけないからできた歩き方なのだそうです。音をたててはいけないのは、怒りの型にも共通していました。怒りの型では、両手を打ち付ける仕草をしますが、それも実際には音をたてないように、仕草だけをします。
 また、能の舞台上では、音をたててはいけない以外にも、汗をかいてはいけないのだそうです。今回私たちが能を鑑賞した時には、冷房を効かせて部屋を涼しくしていました。しかし昔は屋外で演じていたということなので、今のように涼しくすることができず、きっと大変だったのだろうと思いました。
 そして能では、能面の向きで表情が変わると聞きました。能面をかけているため、演じている役者さんの表情はわかりません。そこで面の向きで表情をあらわしたのだと思います。顔を自分の意志で動かせないのは、とても辛いことだと思います。しかも面をかけているので視野が狭くなり、歩くだけでもきっと大変なのに、その状況で演じているのがすごいと思いました。
 表情の伝わりにくい面をかけているのに、細やかな仕草や泣き、笑い、怒りの型などで感情を伝えてしまうのがおもしろいと思いました。
 今回能と、自分が普段やっている弓道との意外な共通点も見つかり、能に興味を持ちました。また機会があったら鑑賞したいと思いました。



 

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