観世流 能 観劇会 感想


1組  2組  3組  4組  5組  6組  7組  8組 


  1組

 私は今回、初めてこの目で能を観ました。社会や国語の教科書やテレビなどで存在を知ることがあっても、あまりこの目で見られる機会もなかったので、今回学校で観ることができる機会を得られたことはとてもありがたかったです。 初めて、能を鑑賞して一番に思ったことは「静かだな」ということです。鑑賞中に司会の方が「能は本当に必要最低限の音しか出してはいけない」とおっしゃっていましたが、本当に静かでした。

 説明の中で喜びを表す仕草が出てきましたが、その仕草は両手を大きく振りかざして、最後に手をあわせるという仕草でした。しかし、その場合にも「手をたたく音はだしてはいけない」と説明を聞いた際にはそこまで徹底するのかと驚きました。 しかし、本当に必要最低限の音だけにすることにより、観客の注意を役者の一動作、一動作に集中させることができるものなのだと実感しました。

 「羽衣」という演目も、小さい頃に読んだ馴染のある昔話で、通常の能よりわかりやすくてよかったです。
 今回は能を鑑賞するという、同年代の子供なら触れ合いにくいであろう日本の伝統芸能に触れ合える機会を得られ良かったです。今回、見て少しわかりにくかったり、まだ理解できない仕草などもあったので、これから様々な事を勉強し、あと数年して大人になった時もう一度見るとまた新しい面白さが発見できると思うので見てみたいと思います。
 
 

 
  2組

 今回観賞した能の『羽衣』の中で、最も印象的だったのは「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」という天人の台詞です。天人は白龍を憐れむ様にこの台詞を言いました。しかし、天人が諭しているのは白龍ばかりではなく、観客をも諭していたのではないでしょうか。少なくとも、私にはそう思えました。

 また、能では、幽霊が出てくるものが多いようです。ある旅僧(ワキ)がその土地の者(シテ)に出会い、その土地のゆかりの出来事について、見てきたかのようにその人物は話します。そして、「私こそ、そのゆかりの者だ」と名乗って消えます。ここまでが前半です。間狂言では、里人(アイ)がゆかりの出来事について、くわしく語り、弔いを勧めます。後半では、旅僧の夢に前半の土地の者の霊が現れ、その苦悩や苦しみを舞い、夜明けとともに消えます。

 『羽衣』に出てくるのは天人です。要はシテは現世の者ではない事が多いという事なのではないでしょうか。シテに対して、ワキは何処にでもいるようないわば普通の人間です。観客と同じ普通の人間のワキと現世の者ではないシテ。そのふれあいは当時、憧れだったのではないでしょうか。現代にも通じる未知の者達との出会いへの憧れが感じられました。
 
 私は、今回、『羽衣』を観賞して、『羽衣』の全てや他の作品も観賞したいと思いました。
 
 

 

  3組

 今回の能の観劇会は、わたしにとって、とても衝撃的な体験となりました。始め、とても分かりやすく、面白く能についての解説をしてくださっているときは、特に響く声だな、などと思うことはなく、ただ単純に楽しんでいました。しかし、謡が始まると、その腹の底から出していると言っても足りないくらいの声に圧倒されました。地謡の方々の、そろった中にも勢いの強い歌声、シテの方の、一人で、しかも能面をつけているにも関わらず、良く通り、ブレのない歌声。どちらも観客の心を揺さぶるような声でした。そして、私の心に一番初めに浮かんできたことは、「私も人の心を動かせるような声を出したい」でした。

 ここで、なぜ「もっと聞きたい」ではなく、自ら出したいと思ったのかというと、私は演劇部に所属しているからです。そして、今、私の課題の一つに、声のことがあります。声量が小さい、声が通らない、息が抜けてしまうなどです。これらは、能の発声では起こらないことです。

 それでは、能の発声法とはどのようなものなのでしょうか。そう思い、少し調べてみたのですが、腹式呼吸や丹田など、すでに私の知っていることばかりで、これというものはありませんでした。ただ、大抵のものに書いてあったのは、「自分自身、模索しながら作り出した。言葉で表現するのは難しい。」ということでした。きっと、能で謡をしている方々は、物凄い努力を重ね、あの声を出しているはずです。そう思い、今私は少し恥ずかしく感じています。努力すべきところを、ある種の「コツ」でなんとかしようとしていたのですから。この事を反省し、日々少しずつ、地道な努力を続けて、いつかは今回能を見せて下さった方々のように人の心を動かせるようになりたいです。
 
 


  4組

 今回私は初めて能を観劇しました。それまでは社会の教科書で存在だけは知っていましたが、それ以上のことは知りませんでした。それなので、今回見た能は私にとってとても刺激的なものでした。

 細かい所まで気にかけられた丁寧な動きや、感情を表した動作、観客席までしっかりと聞こえる大きな声。どれをとっても私にとっては初めてのものでした。それを体験できたのはとても嬉しかったです。そして、ただ能を見ていただけなら見落としていたであろう、すり足や感情を表した動作も、解説してくださった方のおかげで見落とすことなく、しっかり見ることができたのは貴重な体験となりました。

 また、今回の観劇会を通して、昔の人の感性や考え方、文化などを、教科書を読んでただ漠然と理解するのではなく、目で見て耳で聞いて実際に体を動かして体験したことも新鮮でした。松の木を神として、神の御前だから音をたてないようにしているという話はただうるさいから音をたてないようにしているのではなく、きちんと深い意味があって音をたてないようにしているということがとても強く印象に残りました。

 今回の観劇会で能という日本の伝統芸能を見て私は多くのことを学び、多くのことに興味を持つことができました。観劇会の前にはあまり興味を持っていなかった能も、今ではもっと知りたいと思っている自分に私はとても驚いています。もし次に能を見る機会があったのならば、次はもう少し理解を深めた状態で観劇したいと思いました。
 
 

 

  5組

 僕は、今日初めて日本の伝統芸能の一つである能を見ることができました。「能は、話している言葉が現代語と異なるため、事前に予習をしておくように」と言われ、予習をしておいたおかげで、よく分かりました。

 今回、印象に残ったことが3つあります。1つ目は、能をお客さんに見せるとき、舞台ではすり足で歩かなければならないということです。松には神が宿っているので、できるだけ音を立てずに歩かなければならないということを教わりましたが、僕なら、緊張して音を立ててしまいそうです。出演者の皆さんは、皆、早足で歩くときも足音が全くしないので、とても凄いと思いました。

 2つ目は、舞台で汗をかいてはいけないということです。神の前で汗をかくことは、とても無礼にあたるからです。僕は、小学校5年生の時に表彰されたことがあるのですが、そのときは500人の生徒に見られながらの表彰で、とても緊張して汗をかいてしまいました。今回の出演者の皆さんは、1000人もの観客の前でも汗をかかずに演技をしていて、そこがまた凄いと思いました。

 そして3つ目は、能は予習をしっかりして、内容を頭に入れてから聞くと、案外分かるということです。最初は、話している内容がよく分かりませんでしたが、予習で頭に入っていた「羽衣」のところは、内容を掴むことができました。

 僕は、江戸取にはいってから、数々の貴重な体験をしてきました。今回も、能という日本の伝統芸能を見ることができ、とてもよかったと思います。次の機会には、全ての話が分かるように聞きたいと思います。
 
 



  6組

 僕たちは、10月29日に能を見ました。能というのは室町時代に観阿弥・世阿弥父子が大成した日本の古典芸能のひとつです。

 今回見た能は「羽衣」という作品でした。ワキとシテという登場人物が居ました。天の羽衣という昔話で内容を少し知っていましたが、能で見るのは初めてだったので、とてもおもしろかったです。劇中には日本古来の音楽も奏でられ、厳かな雰囲気がありました。室町時代からこのような文化が大切にされ、現代でも演じられるということがすごいと思います。今回のことをきっかけに能以外の他の日本の伝統文化や古典芸能に興味をもってみたいと思いました。

 能の観劇だけではなく、今回は司会者の方が能の動きについて教えてくださいました。まずはすり足についてでした。すり足は神様の前で足音を立てないようにするもので、かかとを上げずに静かに歩きます。立ち方は腰を落とし、ひざを曲げます。実際にやってみたのですが、意外と難しかったです。次は型です。型は感情を表す動作です。たくさんの動作があり、おもしろかったです。とても貴重な体験ができ、新鮮な気持ちになることができました。

 「羽衣」を鑑賞するだけではなく、能の世界の感情表現のやり方などについても教えていただきました。またいつか機会があれば能を見てみたいと思います。
 
 




  7組

 私は今回、今まで知らなかった能について勉強になることがたくさんありました。

 まずとても驚いたのは、能の舞台上での歩き方についてです。能はもともと神様に見せていたことから、神様の前では音を立てないすり足という歩き方をするそうです。実際にやってみるととても難しく、普段の舞台ではこれに躍ったり、歌ったりもしなければいけないと考えると、とても大変なんだなと思いました。また、感情を表す型も体験しました。どの型もシンプルでゆったりした動きをしているなと思いました。他に能の歌い方も練習して、とても分かりやすく、楽しく学ぶことができました。

 さらに、能では使用する楽器について、とても勉強になりました。能で楽器を演奏する囃子方の方たちがそれぞれ出す大きなかけ声がとても印象的でした。一人一人はそれぞれ全く違ったリズムで演奏しているのに、それが全部組み合わさると一つの曲になっているところがすごいなと思いました。中でも小鼓はひもの握り方で音の高さが違っておもしろかったです。
 「羽衣」では、天女の舞が優雅でとても美しかったです。その中でも時々力強い足踏みあって、とても印象的でした。天女の能面にはとても華やかな飾りがついていてとてもきれいでした。能面は表情が変わらないのに、ふとした角度で悲しそうに見えたり、嬉しそうに見えたりするんだなと感じました。
 能の動作は一つ一つが静かでゆっくりしていました。日本に古くから伝わる能を少しでも知れたことが、私にとってとても新鮮でとても良い経験になったと思います。今回のような日本の古典芸能にふれる機会を大切にしていきたいと思います。
 
 



  8組

 今回の観世流「能」の観劇会で初めて能を見るという貴重な経験をすることができました。僕の家族も皆見たことがなく、能というものは社会の歴史で学んだ程度しか知りませんでした。能は、700年程前の室町時代に観阿弥、世阿弥親子によって生み出されたものです。観阿弥は田楽の持つ面白さに曲舞の旋律を取り入れて、大和猿楽を総合的ドラマとして創り出し、世阿弥は夢幻能の完成を成し遂げ、高度な芸術に飛躍させました。山階彌右衛門さんが解説してくれました。

 今回公演いただいた能は「羽衣」という能で、能と言えば「羽衣」と呼ばれるほど人気の曲だそうです。羽衣の物語は、漁夫が三保の松原で美しい衣を見つけて持ち帰ろうとした時に、天女が現れて羽衣がないと天上界に帰ることができないと涙します。涙を流す動作は閉じた右手で顔を隠す、離す、を繰り返して表します。能は元々、豊作の時に神様に感謝するためのものでした。舞台の背面に描かれている松の木は神様を表しています。そのため能の舞台の上では音を立ててしまっては神様に対して失礼であるため、すり足で移動をし、喜怒哀楽を表す動作でも音を立ててはいけないのです。音を出さずに表現することは大変だと思いました。怒っているという感情を表す動作を皆で練習した際、手と手を合わせるタイミングで音が出てしまいました。能を職にされている方達は大変な努力をされているのだと実感しました。また、能の言葉は聞きなれていなかったため、とても難しかったです。その言葉を観客に聞こえるよう大きな声で発声するには腹の底から声を出すため、力強さを感じました。

 能は中学生にとってもっと難しいイメージがありましたが、解説が多く、笑い話を含めてお話ししてくださったので、能が少しはわかったような気がします。すり足をする理由が礼儀にあることから、今回の体験から普段の礼儀についてよく考えて活かしていきたいと思います。