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常光徹先生の民俗学の講演を聞いて、この度迷信や風習について興味を持ち、少し自分なりに調べてみました。 |
1組 |
僕は、今回の常光徹先生講演会をお聴きして、民俗学という学問に少し興味を持ちました。民俗学という学問は、どのような分野に属するのか正しく理解していませんでした。しかし、今回の講演会を通して知ることができました。歴史学や考古学などと比較すると、起源は新しいので今後少しずつ発展していく学問体系だと思いました。 |
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私が常光徹先生の講演をお聞きして思ったことは主に二つあります。 |
2組 |
今回、講演会をして下さった常光さんが教授をされている国立歴史民俗博物館には、行ったことがありませんが歴史関連の博物館には何度も行ったことがあります。僕は、日本史がとても好きで、昔から残っている物には特にわくわくさせられます。 |
3組 |
今回の講演のテーマは、「伝承学」についてでした。はじめに抱いた印象としましては、そのような学問が存在し、それを研究している場所があるのかというものでした。「伝承学」というと、現在と過去の違いを考えるような、自分たちとは全く関係のない学問なのではないかと考えてしまいました。 |
3組 |
先日5月22日水曜日に、民俗学者である常光徹先生による講演会が行われました。今回の講話の内容は、「民俗学・伝承学」というものについてでした。「民俗学・伝承学」というと、一見自分たちにあまり関係のないものに聞こえてしまいそうですが、講話を聞いていくにつれ、実際は身の回りにたくさんあるものなのではないかと感じることができました。例えば、講話においても話されていた、「霊柩車が通ったら親指を隠す」ということについては、幼いときに祖父から教えられたような記憶が残っています。よく考えれば、このことについても「民俗学・伝承学」の一つなのではないかと思いました。 |
4組 |
私は今回の常光徹先生の講演をお聴きして、初めて知ったことが二つあります。一つ目は、霊柩車を見たら親指を隠すなどの行動についてです。私は小学生の時に親指を隠さないと親に不幸がおこると友達から聞きました。講演で親の死に目に会えないなど、他の意味で知っている人もいると知り驚きました。人から人へ語り継がれていることだから違いがあってもおかしくないだろうとは思っています。霊柩車ではないですが似たような言い伝えで夜に爪を切ると親の死に目に会えないというのがあります。この話は私の周辺で聞く限り余り違いがありません。霊柩車の話も爪切りの話も共に人から人へ語り継がれて広まったことなのに、認識の差異があるのは不思議だと思いました。また、霊柩車を見たら親指を隠すという行動は昭和の初め頃からということも初めて知りました。 |
4組 |
僕は5月22日に常光徹先生の講演を聴きました。今回のお話を聴いて思ったことや感じたこと、家に帰って調べて学んだことについて書こうと思います。 |
5組 |
私は妖怪や怪談というジャンルのものが好きでしたので、今回の常光先生の講演会は、始まる前から何よりの楽しみでした。どんな話が聞けるのだろうかと楽しみしている中で聴いた民俗学の話は、私が想像していた話を越えて興味が掻き立てられ、得るものが多いものとなりました。 |
5組 |
私は、常光徹先生の研究にとても感動しました。今回のお話にあったことのうち、親指を隠すという仕草は、実は私もしています。それは、昔、親から「霊柩車が通るときは、親指を隠さなければならない。そうしなければ、親の死に目に会えなくなるぞ。」と教えられてきたことだからです。しかし、何故霊柩車なのか、親指を隠さなければならないのかについては知らないと言っていました。この講話で知ることができて本当に良かったです。 |
6組 |
今回の常光徹先生による講演会のテーマは、「民俗学」についてでした。先生はくしゃみや霊柩車など、民俗学をあまりよく知らない私たちでも分かりやすい身近なものを例に挙げて話してくださいました。その中でも、特に印象に残ったものがありました。 今回の講話を通して私は、このように身の回りの民俗について興味を持ち向き合ってみることができました。私は以前から民俗や神話など、人々の間に昔から語り継がれていることについて調べてみたいと思っていました。しかし、なかなか深いところまで掘り下げて調べてみることはできていませんでした。今回私の中で民俗に対する様々な考えが整理できました。だからこれからは、身近な慣わしが今日まで伝わってきている所以により着目していけるよう、当たり前のことに対しても何か疑問点が無いかどうかを注意しながら生活すると面白いだろうと思いました。 |
6組 |
伝承学という学問を初めて聞いた時、その内容が全く想像できませんでした。しかし講演をお聞きして、都市伝説のようなものを扱う学問なのかと自分の中で解釈していました。 |
7組 |
私はここまで深く民俗学に触れる機会に出会ったのは今回が初めてだと思います。今までは、せいぜい国語の教科書で柳田国男さんの文章を読んだぐらいで、民俗学という言葉すら聴きなれないものでした。しかし、今回の講演をお聞きして民俗学は私達の気づかないうちに当たり前のように存在していて誰でも考えることができる学問なんだということがわかりました。 |
7組 |
わたしは、昔から、それもさかのぼること小学校時代から、怪談話が大好きでした。ですから、常光先生が怪談にちなんだ、日常のあらゆる不思議を語ると聞いて、非常に興味を抱きました。かつて小学生だった時に、図書室に何度も足を運んでは、様々な怪談について書かれた本を読み、ぞくぞくした興奮や喜びを覚えていたことを思い出し、常光先生のお話を聴くことができることを楽しみにしていました。 |
8組 |
初めて「民俗学」と聞くと、「学」の字が付いていることもあって非常に難しそうなものだと思ってしまいますが、話を聞いていると、とても身近で、慣れ親しみやすい学問だということがわかりました。自分たちの身のまわりにある様々な疑問点に興味、関心を持ってそれの答えを探る、というのはとても面白いと思います。答えを出す方法も、印象的でした。子どもや老人など様々な人と関わり合い、話を聞くことで研究を進めていくという点も、一人やごく少数で行う研究よりも人間味や温かみがあっていいな、と思いました。研究室の中にいるだけでなく実際にいろいろな人たちと関わって研究をしているのだと思いました。 |
8組 |
夜に口笛を吹くと蛇が出る、霊柩車を見て親指を隠さないと親が早死にする、夜に爪を切ると親の死に目に会えない、など僕たちの身のまわりには様々な科学的根拠がないような伝承があります。そうした伝承は親から子へ、子から孫へと言い伝えられてきています。僕自身、祖父母や母親などから言い伝えについて「これをしてはいけない」「こうしなければならない」などと言われることがあります。僕が聞いたときはただそれに従うだけで、どうしてそう言い伝えられてきているのかなど、深く考えたことはありませんでした。理由や、そうした言い伝えができた背景について知ろうということがありませんでした。 |
9組 |
私は「民俗学」という言葉をパンフレットで目にした時、この学問は古代民族の慣習や文化について学ぶものなのではないか、というイメージがありました。自分たちの身の回りにあるようなものや、話されている内容が「民族」の学問対象になるということが、思い浮かばなかったのです。しかし、それは大きな勘違いで、民俗学とは私たちの身近な言い伝えや日常生活の中のささいな疑問や起源を突き詰めていくものでした。私自身、確かに日々生活している中で、「これはどうしてこういう風に呼ばれているのか」「こういう状況の時どうして人間はこういう行動をとるのだろうか」などと、ふと思う瞬間がよくあります。しかし、それはあくまでその時限りにしてしまい、その後は特に深く考えたり気にしたりすることもなく、そのまま普通に使ってしまっています。なかなか突き詰めて考え、そこから新しい発見を得ようとするところまでいかないのです。そしてそうした自分に対して疑問を抱くこともなく、日々新しい情報や目の前の出来事と向き合って過ごしています。しかし、今回のお話をお聴きして、自分なりに、たとえ正解にはたどり着けなかったとしても、抱いた疑問を突き詰め、深めていくということは楽しい作業であり、新しい発見が得られたときには感動や驚きが多いのではないかと思いました。 |
9組 |
「民俗学」という言葉を辞書でひくと「民間伝承を素材として、民族文化を明らかにしようとする学問」とあります。一見難しそうですが、民間伝承とは普段の生活の中で受け継がれてきた知識・技術・風習の事であるわけですから、実は決して難しいものではありません。実際、講話の際に例に挙げていただいた「おにぎりはなぜ三角形なのか」「なぜ霊柩車を見たら親指を隠せというのか」といったものは、本当に身近な生活の中にあるちょっとした疑問と言えるものです。しかし、そうした事柄について、一つ一つ丁寧に考え、様々な時代の文化的背景や風習などを見ていくと、実は奥が深いものであり、人間の様々な考え方や物事の捉え方がその背後には潜んでいるのだということが見えてきます。このように、様々な慣習・行事・言葉の中に籠められ、満ちている私たちの生活を丁寧に分析し、掘り下げていくことが民俗学であるということを、今回の講話を通して知ることができました。自分とは遠いところにある学問であるように感じていたものが、じつは非常に身近なところにあるものなのだ、ということを非常に新鮮に感じました。 |
10組 |
常光先生の講演会に参加して、身近に起きる出来事を注意して見ていきたくなりました。先生の講演の中の2つの話を聴いて、「ああ確かに」と気付くところがたくさんありました。 |
10組 |
今回の講話をお聴きしてとても興味深いお話がたくさんありました。僕は学校の怪談を小学生の時に読んだことがあったので、常光先生に会えてとても感動しました。 まず常光先生の専門の民俗学のお話をお聴きして、非常に学ぶことがたくさんありました。今日まで僕は民俗学の存在を詳しくは知りませんでした。しかし話をお聴きしているうちに現在の生活文化を相対的に説明する学問であるということが分かりました。日本人が無意識にやっていることや、合理的に説明がつくことの中から古代的な意味を見つけることは簡単なことではないと思います。しかしそれを常光先生は取り組んでおられます。僕も常光先生のお話をお聴きして、そのような民俗学について興味を持ったので、機会があれば是非調べてみたいと思います。 他にも常光先生は国立歴史民俗博物館の教授とお聴きして驚きました。昔、母と国立歴史民俗博物館に行ったことがありました。小さかったのであまり詳しくは覚えていないですが、いくつかの時代ごとにフロアが分かれていて、昔の本などがたくさん置いてあったことだけは覚えています。とにかく何か重みがある古いものがたくさんあることを感じました。 先生は、誰しも当たり前と思っていることに眼を凝らしてテーマを見つけておられます。普通の人が特に気にもとめないようなことを気に止めて、色々な人から話を聴いたり、見たりして謎を解明する姿勢は大変素晴らしいと思います。今回は、興味が沸いてくる話やためになる話、おもしろい話など様々な種類の話を聞けて本当に良かったです。 僕は今度、常光先生の民俗学についての本を読み、日本の文化や伝統について学んでみいと思います。 先生は霊柩車を見たときに親指を自然と隠してしまうことや、汚いものに「エンがチョ」と言ったり、くしゃみをすると訳の分からない言葉を吐くことはいずれも民族文化の鋳型であるとおっしゃっていましたが、僕には良く理解できませんでした。民俗学を調べるにあたって重要な資料となる伝承学についても難しく感じています。多分基本的なものが全くできていないから、理解ができないのだと思います。ですからもっと、こういったことを調べて、勉強してみたいと思いました。 古くからの慣習や信仰、伝説、技術、知識などを今の時代だけでなく、後の時代につなげていくことが大事であるということも今回のお話をお聴きしてとても良く分かりました。それは昔話の伝承などということにも、つながるのではないかと思いました。 今回の話を聴いて考えさせられることが数え切れないほどありましたが、1つ1つ時間をかけながら興味が持てた事は、調べていきたいと思います。 これから僕は大学へ進学することになりますが、こういった民俗学や、伝承学を勉強する学部への進学にも興味を持ちました。 |