演劇会「ベニスの商人」感想文

 

 

 1組 Tさん

  今回のシェークスピアの物語は前に一度読んだことがあったので、どういう劇が見られるのかとても楽しみでしかたがありませんでした。劇を見て、プロの役者さんは基礎がとてもしっかりしていて、いろいろなことを学ぶことが出来ました。特にサリネ役の丸橋さんの演技は印象的でした。丸橋さんが言葉を発すると観客全員が笑っていました。演劇は観客を泣かすことは苦ではありませんが笑わすことは非常に難しいと学んできたので、観客一体となって笑いが起きていることに感動しました。劇に出演していた他の役の人達もとても聞き取りやすく、その役の個性が出る声をしていました。ポーシャ役の亜槍さんは2重の声を使い分けていて本当に尊敬します。最初に登場された時は地声かと思いとても驚きましたが、裁判官役の時は声が2オクターブぐらい低くなっていたので声を変えるだけでも役のイメージが大きく違ってくることを学びました。次に大道具が素晴らしかったです。三通りの舞台構成でどれもきれいな色遣いでした。大道具は作るのに時間がかかるので私たちが劇をするときはなるべく少数にしているのですが、この劇ではふんだんに使っており、まるでベニスの町に行ったような気分でした。大道具以外でも衣装やメイクがとても華やかで美しかったです。最後に照明です。色や明るさを変えると雰囲気が全く違って見えて場面をイメージしやすかったです。楽しいときは明るい色、悲しいときは暗い色という感じでした。プロの劇が間近で見ることができて嬉しかったです。学んだことを私達の劇でもいかしていきたいです。

 

 3組 Nさん

  私は演劇部に所属しているため、今回シェイクスピアの「ベニスの商人」を観劇できると知って、この日をとても心待ちにしていました。劇はユーモアにあふれた、とても楽しい演出で、劇の間中笑いが絶えず、また中世のベニスの人々の生活風景が生き生きと表現されていました。私がこの作品を観て感じ、考えさせられたことは、主に二つです。
 一つ目は、友人というものの存在がいかに大切であるかということです。この「ベニスの商人」の主人公であるアントーニオーは、友人バサーニオーへの友情のためにユダヤ商人のシャイロックに多額の借金をして、その罠に落ちてしまうわけですが、バサーニオーもまたアントーニオーのためにすべてを投げ打ってこの友人を救おうとしていました。互いに真の友人と認め合い、友人が困っている時には自分にできることを何でもしようとするその姿は素晴らしいものでした。お互いに信頼し合って助け合うことができる真の友人を作るというのは、そう簡単なことではありません。だからこそ、普段当たり前のように一緒に過ごしている友人は、自分にとってかけがえのない存在なのだと思います。時には葛藤したり、いがみ合うこともありますが、それを共に乗り越えていける友人を本当に大切にしていくべきだと改めて実感しました。
 二つ目は、差別や偏見の惨さです。この「ベニスの商人」の舞台にもなっている中世のヨーロッパにおいて、ユダヤ人は多くの偏見にさらされ、差別されていました。この作品に登場するシャイロックというユダヤ人の商人も、そうした差別を受けた一人だったのです。劇中でシャイロックは傲慢であくどい人物として描かれています。それはユダヤ人の文化や発想が、キリスト教を中心とする西欧社会では全く受け入れられていなかったからなのです。シャイロックが何度も叫んでいたように、ユダヤ人が悪口を言われたり、蔑まれたりすることはしょっちゅうだったのです。この劇の結末も、シャイロックに対して異様に不利な判決で終了します。シャイロックの言動に問題があったとはいえ、貸した金は返ってこない、さらには自分の財産まで没収されるでは、ユダヤ人に対する差別と偏見なしには考えられないことです。それは中世の西欧のことという人もあるかもしれませんが、現代においても差別や偏見は存在します。今もなお、様々な理由から周囲に受け入れてもらえず、差別を受けている人は沢山います。そのような人達の力に少しでもなれるよう、私もきちんと相手の話に耳を傾けことができるようになりたい、そして差別や偏見をこの世の中からなくしていきたいと思いました。
 今回「ベニスの商人」を観て、沢山のことを考え、また感じさせられました。とても楽しかったし、また同時に自分のためになったと思います。


 

 5組 Fさん

「シェークスピアって堅苦しいし難しいから楽しくないよな」と今まで私はずっと思っていました。でも、そんな私の思いこみを覆すほど、今回の舞台は親しみやすいものでした。とても分かりやすかったし楽しんで観ることができたのです。
 しかし、このまさに『喜劇』と言える舞台の裏側に悲しい事実があることも確かです。それはシャイロックの存在です。確かに彼は人間の道理から外れた惨い要求をしていました。でもユダヤ人の立場からすると、彼らは日々、惨い迫害を受けていたのですから、これくらいの要求はしても良いだろうという想いもあったのです。そう考えると、アントーニオがシャイロックにかけた慈悲は皮肉のように思えてしまいます。あの裁判のシーンをシャイロックの立場で観ていた私にとって、アントーニオの慈悲は「良いとこ取りだ」と思ってしまいました。お咎めが少なくなかったにもかかわらず、この事件解決を素直に喜べなかったのは、「普段はユダヤ人の悪口を言っているくせに今だけ良い人ぶって・・・」という気持ちがあったからだと思います。
 ちょっと違う角度から観ると『悲劇』とも言えるこの舞台で、シャイロックから学ぶことは、恨みを恨みで返すようなことをすれば、新たな悲しみが生まれるだけだ、ということです。アントーニオの復讐心から起こったと言えます。彼の憎しみが自らの不幸を招いてしまったのです。「仕返し」ではなく「分かり合う」ということを目的に行動すれば、きっとうまくいったでしょう。現代人である私たちは、シャイロックの悲劇を通して、今の自分の在り方を学べるのだと想います。

 

 

 

 6組 Oくん

 今回、劇団芸優座の方々が江戸取にいらっしゃり、公演をして下さいました。その内容は「ベニスの商人」で実に面白い演劇でした。
 まず、鑑賞者が我々高校生ということもありユーモアあふれる台詞や動作が多く含まれていたように感じました。我々は紫峰祭において演劇を行いましたが、今回の「ベニスの商人」では、やはりプロの演技の迫力は別格であると納得させられるものでした。
 細かな内容面では、勧善懲悪系統かと考えていましたが、言葉巧みに相手の盲点を突くというスリリングな展開でした。そのような話が現在まで広く知られているということは、当時の英国人の性格が現れているということもあるのかも知れないと考えてみました。当時、高利貸しへの嫉妬というのも、キリスト教徒の慈悲の精神が根強くあったからなのでしょうか。
 私たちが生きているこの現代と、当時のルネッサンスの時代では、価値観など全く異なっているのが普通であるにも関わらず、比較的分かりやすいようにしていたことに、役者さんの演技力に加えて、翻案の非常に高い技量からなされたものであると感動しました。
 私が鑑賞した中で一番心に残った場面は裁判の場面で、セリフ回しが多い場面でしたが非常に盛り上がっていたことが印象深いものでした。次に印象に残ったのはポーシャ姫の求婚者がやって来る場面です。モロッコ王の性格が際立っているところや、鉛の箱にポーシャ姫の絵が入っているということに、どのようなことを暗示しているのか、謎かけがあるように思い、あれこれと考えさせられたところでした。
 今後もこのような機会があれば、じっくりと鑑賞し、劇におけるメッセージ性を見出していきたいと思います。

 

 8組 Yさん

  私は、演劇「ベニスの商人」を観て、まず友情がとても美しく描かれているなと思いました。友人の願望をかなえるために自分の命と引きかえにお金を借りる約束をするなんて、なかなかできないことです。お金を返せない場合、体の肉を取るという、一見冗談じみている約束でしたが、友人のためにそこまでの約束ができるのはすごいなと思います。もちろん劇の中でのお話なのですが、「もし私だったら約束できるだろうか」と考えてしまいました。そしてもう一つ、裁判の場面で、自分のことはいいから友人だけは助けてくれというところがありました。そこで、アントーニオーとバサーニオーの二人は、本当に心からの親友なのだと思いました。これを見て、「親友は絶対いたほうがよいし、大切にすべきだ」と心から思えました。自分が大変な時、困っている 時に助けてくれたのは、自分のことを思い返して見てもやっぱり親友でした。友人のありがたさについて、改めて考えさせられる劇だったと思います。今まで以上に、私も友人を大切にします。
 次に私が思ったことは、最後に悪者にされてしまったユダヤ商人シャイロックがかわいそうだなということです。確かに「肉を1ポンド取る」としつこかったけれど、一応は約束通りだったのに、結局財産まで取り上げられることになりました。人の命を奪おうとすることは悪いけれども、やはり約束は約束なので、シャイロックの言うことにも一理あるのではないでしょうか。一方的に悪者だという見方では、浅いのではないかと疑問に思いました。
 本当に今回この劇を見ることができてよかったと思います。ユーモアが感じられる場面も混じっていて、観ていて楽しかったし、考えさせられるところもあって、とても面白かったです。
 

 10組 Sさん

  私はこの度のイベントで、人生で初めて観劇をしました。劇なんて、映画とさほど変わらないだろうと思っていましたが、劇には劇にしかない大きな魅力を感じました。その魅力については、やはり、何と言っても臨場感に溢れていたことです。役者さんの息づかい、足音、もちろんセリフが生々しく伝わってきます。セットも立体感があり、映像とはまた違ったリアルさがありました。内容については、まずユダヤ人というだけで違った色眼鏡を通してみられてしまうのは、完全に人種差別だということを強く思いました。劇中にも何度も「ユダヤ人の」という形容詞つきで呼ばれた金貸し屋は、たとえ中身が非人道的でもかわいそうだと思いました。同時に、日本で織田信長が活躍していた時代に、ヨーロッパではユダヤ人は疎まれる存在であり各地で避けられていたことがよくわかりました。裁判も、はっきり言えば正当でない気がします。人肉の件はやりすぎにしろ、借りたお金を返さず延滞したのはアントーニオの方ですので、少なくとも金貨し屋が不利益を被るのは間違っていると思います。日頃からアントーニオから犬扱いされるなど、たびたび嫌がらせを受けていた腹いせというのもわかります。きっとそれだけではなかったに違いありません。シャイロックはこう言います。《キリスト教徒がユダヤ人にひどい目にあわされたら、(右の頬を打たれたら左の頬を差し出せという)御自慢の温情はなんと言いますかな?仕返しと来る。それなら、ユダヤ人がキリスト教徒にひどい目にあわされたら、我々はあんた方をお手本に、やはり仕返しだ》理屈が通っているとしか考えられません。しかしこれも「ユダヤ人だから」という謎の不当な理由で、キリスト教徒に有利な判決を下したのでしょう。その後、ましてや金貸し屋に向かって死ねだの慈悲を乞えだの、改宗しろだの、よく言えたものです。信教の自由はどうやらベニスにはなかったようですが、このような風潮の産物が、世界史でいうところのユダヤ人大虐殺に直結していると思うと、風潮が何百万もの命を奪うその恐ろしさに身震いします。作品についてですが、喜劇という見方が一般的ですが、最近は視点をシャイロックに移し悲劇という見方もあるそうです。個人的には、哀れなシャイロックが主人公でもいいような気もするので悲劇という見方に賛成です。
 また、何事も外見で判断してはならないということがわかりました。王女に結婚を申し込んだ人たちは、きらびやかな装飾に目を奪われた結果、痛い思いをしています。物事の真髄は見かけだけではわからないのだと学びました。 これは人間にもあてはまるところはあるのではないかと思います。例えばマリーアントワネットは、派手ですが教養はちっともなく、農民の食料不足の訴えに対して「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」と返します。とんでもないです。みかけが素晴らしくても中身がなければ優れているとは言えません。箱も同じです。
 ベニスの商人から学んだことは、人種差別は醜いということと、見掛けが立派でも物事の真髄はわからないということです。



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