常光徹先生講演会 中3生感想

親しみを覚えた口承文芸

 3年1組 女子  

 5月22日に私達は常光徹先生の講演会に参加しました。常光徹先生は民俗学や伝承学についての研究をされている方で、今回の講演会では伝承学の、特に口承文芸についてのお話をしてくださいました。
 口承文芸でもっとも一般的なものと言えば、やはり『妖怪』についてだと思います。日本の妖怪で思い浮かべるものといったら、天狗や座敷童、河童などです。江戸取がある茨城県には河童についての口承文芸が多いそうで、常光徹先生も河童についてのお話をして下さいました。河童は、現在でこそ可愛く、親しみやすい形にデフォルメされていますが、今も昔も河童と言われて思い浮かべるものは頭にお皿がのっていて、くちばしがとがり、甲羅や鱗をもった人間に似た姿であり、江戸時代の文献にもそのような河童のイラストなどが残っているそうです。私の住んでいる千葉県にある妖怪についての口承文芸についても自分で調べてみたいと思いました。
 今回の常光徹先生の講演会を受けて、紙などで書物として残された文学や伝承以外にも「口承文芸」という新たな文芸があることに気づかされました。さらに口承文芸は昔の古めかしい話だけではなく、意外と身近な学校での怪談などがあることがわかり、より親しみを覚えました。今回の常光徹先生の講演会で話してくださったものはとても面白く、興味深いものばかりでした。自分でもそのような口承文芸について調べていきたいと思いました。

都会の怪談

 3年1組 男子   

 僕は今回の常光徹先生の講話をお聴きして、初めて知ったことがあります。例えば、日本の妖怪の中でも最も有名である河童は、日本の各地方によって、形が違うということです。僕は今まで河童は体は緑色で、頭に水の入った皿があり、背中には甲羅があって、手には水かきがあり、身長は低めというような姿であると思っていましたが、地方によっては形が違う河童もいると聞き、その形の違う河童はどんな姿なのか、それはどこの地方で伝えられている河童なのかと興味がわきました。また、形ではなく、呼び名も地方によって違うということも知って、その呼び名の由来を知りたいと思いました。他にも河童の中には、元々は神様であったり、猿などの動物が由来の河童もあると知り、河童にもいろいろな話があるのだなととても面白く思いました。
 また、常光先生のベストセラーになった著書である「学校の怪談」は、東北地方から北陸地方の山深い集落の古老たちから聞いた話ではなく、今まで、目をつけてなかった都会に住んでいる十代の子供達からの話を元に作った本であると聞き、その都会に住んでいる十代の子供から話を聞こうという発想がすごいと思いました。自分の近くにも面白い話がたくさんあるということを学べました。また、常光先生が教授を務めている国立歴史民俗博物館にも休日に行ってみたいと思いました。

 

伝統や文化の継承

 3年2組 男子

  僕は今回のお話をうかがって先生の著書の「学校の怪談」というものに興味を持ったので、少し読んでみました。僕は怖い話が嫌いなので、「学校の怪談」についても前々からどうしてこのようなことを書いたのだろうと思っていました。今回の講話をお聴きして、実は『日本の文化や伝統を学び、日本人としての高い精神性を知る。』という背景があることに気づくことができました。
 
また、実際に読んでみると面白く、とくに印象に残ったのが『制服の中の個性』です。『同色同型の服を身体にまとうことは学校という共同体の一員としての資格を表示することである。』というのは、先生方のおっしゃっていることと同じだと思いました。また、自分のシルシを創り出そうとして、制服の様々ところを少し変えようとするが、教師に注意されしぶしぶ引き下がるというのも所々に思い入れがありました。これは内面が変化しないと一時的なもので意味がないと思います。
 先生の講話から身近な学校の怪談を読んでみることで、自分自身を見つめ直すこともできました。僕たちの中の良い伝統や文化を創って継承して行かなくてはならないと思います。『河童』にも今まで以上に興味が湧いてきたので、色々調べてみようと思います。

自然を畏れること

 3年2組 男子

 僕は今回、常光徹先生の講話をお聞きして、あることに対する自分の考え方が変わりました。それは講話の中心であった河童についてです。僕はこれまで河童というものがなぜ伝承となったのか理解することができず、現代のアニメキャラクターが昔にもあったのだろうとしか考えることができませんでした。しかし、今回の常光先生の講話の中で、河童の伝承は、水がある時は人にとって必要不可欠なものですが、またある時には人の命を奪う危険なものであることを子供達に分かりやすくしつけをするためのものであるということをおっしゃっていました。そして河童は自然と人間の協調を表しているともおっしゃっていました。
 
僕は河童は神様に似たようなものに思えました。神様も子供のしつけをする時に「人が見てなくても、天から神様が見ているよ」と悪いことをさせないようにします。このように考えると、河童を含む妖怪というものは子供にしつけをしたり、自然と人間を協調させたりといったことを伝えるために作り出されたものだと思いました。少し前の時代はとにかく自然をコントロールすることが人間の夢でした。しかし今は変わっています。どれだけ自然に近づいた暮らしをするかが夢になっていると思いました。これらを考え出したのは人間なので、常光先生の専門の民俗学に繋がることに気づかされました。そして、自然を畏れること、そして感謝することが今回の講話をお聞きして大切だと思うことができました。

 

良い伝説と悪い伝説

 3年3組 男子  

 僕は今回の民俗学者で国立民族博物館教授である常光徹先生の講演会を聞いてくわしく知りたいと思ったことがいくつかあります。
 1つ目は民族学についてです。民俗学とは高度な文明を有する諸国家において自国民の日常生活文化の歴史と民俗伝承をおもな資料として再編成しようとする学問で、人間の生活での誕生から育児、結婚、死までのさまざまな民族、習慣、しきたりがあり、これらの習俗の綿密な検証を通して伝統的な思考様式を解明する学問です。
 2つ目はかっぱについてです。なぜなら今と江戸時代に描かれた絵では頭に皿がのっていることや背中に甲羅があること、手がかきのようになっていることなどは同じですが、今のかっぱのように体が緑色でかわいらしいイメージとは大きく異なり、怖いイメージで体が緑色とはかぎらないということです。その他にもかっぱの伝説の中には「かっぱによって溺れた」という人間に対して悪い伝説と、「かっぱによって水がもたらされた」という人間に対して良い伝説の両方があることにも興味がありました。僕は江戸時代、かっぱは実際に存在すると思われていたことにも驚きましたが、200〜300年ほどでこれだけかっぱのイメージが変わってしまっていることにおどろきました。
 
僕は小学生のころ、「学校の怪談」を読んでいたので、今回の講演会でその本の著者である常光徹先生のお話を聞けて良かったです。また今回の講演会をきっかけに「学校の怪談」以外の常光先生の著書も読んでみたいです。また、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館にも機会があれば足を運んで、いろいろな知識を身に付けたいです。

埴輪がある国立歴史博物館

 3年3組 男子

 僕は5月22日に常光先生の講話をお聞きしました。僕は小学生の時、国立歴史民俗博物館へ行きました。短い時間でしたがその時は楽しむことができたと記憶しています。国立歴史民俗博物館は1981年に設立され、とても歴史のあるものです。歴博に行ったとき初めて本物の埴輪を見ることができました。埴輪は予想していたものよりも、はるかに大きく、感動しました。
 
僕は講話後、常光先生が書いた、「学校の怪談」という本を読みました。意外にスリル満点でかなり怖く感じました。また常光先生はカッパの話もされました。カッパといえば私達が思い浮かべるものは、頭にお皿のようなものがあり、全身が緑色で手と足の指の間には、水かきのようなものがある、というものを思い浮かべる方が多いと思います。しかし、昔のカッパは大まかに二種類に分けられます。一つは擬人形態型で、全身がウロコで覆われくちばしがあり、頭には皿があり、皿が割れると死にます。そしてキュウリが好物です。もう一つは類人猿形型で、こちらは、全身が毛で覆われており、口には牙があり、鼻の造形がはっきりしておらず、頭部にくぼみがあり、もう一つの方と違い、くぼみに水を溜めています。
 僕は今回の常光先生の講話をお聞きして、現代の人のカッパの認識と江戸時代の人の認識ではだいぶ食い違いがあることが分かりました。また、最初に社会の授業で訪れた、埴輪がある国立歴史民俗博物館にもう一度行ってみたいと思いました。

 

少し身近に感じた民俗学

 3年4組  女子

 常光徹先生は民俗学者という事ですが、私は民俗学とは何か分からず、どんな話をされるのか、全く見当が付きませんでした。講演会で私が一番興味を持ったのはかっぱの話でした。かっぱというと見たことはなくても絵で見たことがあったため、想像の形が自分の中に作られていました。しかしそれは今回スクリーンに表示されたかっぱとは大変にかけ離れたものでした。怖くて妖怪という言葉がぴったりでした。
 常光先生の著書で「学校の怪談」という作品があったことに驚きました。小学校の時に友達と図書館に行って読んだり、理科室の前の暗い廊下で本当に妖怪は出てくるのかと試したこともあり、常光先生が書かれた作品だということを知って、民俗学というものを少し身近に感じることができました。他にもたくさんの著書があり、映画化やドラマ化もされているようなのでぜひ見てみたいなと思いました。
 私は今回の講演会の後に「妖怪変化」という本を読んでみました。全体を通して妖怪の話というわけではなく、名字と名前というのは明治になってから制定された慣行であったこと、村の風習について、長男が家を継ぐことが普通になっている中で他の兄弟はどうなのか、という視点から見ると、長男だけが村の風習にあった大人に成長して行くということなど、日常生活の中の民俗学にふれた部分がたくさんあるように感じました。当たり前の日常に目を凝らしテーマを掬い上げていくことがとても素晴らしいと思い、私もこの姿勢を見習いたいと思いました。
 先生の書かれた作品にはたくさん学ぶところがあります。まだ読めていない本もたくさんあるので、これからもっと民俗学に興味を持って読みたいし、歴博にもまだいったことがないので行ってみようと思います。

本当はいるのかもしれない妖怪

 3年4組 男子 

 先日、常光先生の講話をお聞きして、妖怪について考えました。
 まず、妖怪というものは本当に存在しているのかということです。今までに本で読んで名前はいくつか知っていますが、本当にはいないだろうと思っていました。しかし常光先生のお話を聞いて、妖怪についての文献も残っていることを知り、滅多に見ることができないだけで、本当はいるのかもしれないと思いました。
 次に妖怪は存在したとして、それは果たして生物なのかどうかです。生物だとすれば、それが生まれるのに必要な母体がなくてはなりませんし、容姿や妖怪としての形質を決めるための遺伝子が存在しなくてはなりません。しかし、妖怪についての文献が残っていてもこれらについての記述がないはずですから、存在していても生物ではない何かである可能性も考えられます。その場合、何によって動いているのか、またそれはどのようにして生まれるのかに関しては謎だということになります。妖怪の存在を証明する際にはこのような点も重要になってくるのかもしれません。
 最後に、どうすれば世間に妖怪の存在を証明できるのかということです。証言だけでは信頼度も低いですし、写真を掲示したところで、今の技術があれば合成写真を子供でも簡単に作ることができますし、何かを妖怪に上手く見立てれば妖怪のように見せられるので、すぐに疑われてしまいあまり意味がありません。滅多に見ることができないだけで、本当はいるのかもしれない妖怪の存在を科学的に証明できたら素晴らしいと思います。

 

語り継ぐことの大切さ

 3年5組  女子 

  今回、常光徹先生がしてくださった講演は、テーマが「妖怪」ということだったので、親しみが持てて、気楽に楽しく聴くことができたと思います。今回の講演では妖怪の中でも特に河童についてのお話をしてくださいました。今まで私は「河童はどんなもの?」と聞かれると、正直「不気味で気持ちが悪いもの」というイメージが浮かんでいました。しかし、講演でもありましたが、身の回りをよく見てみると、河童をモチーフにしたキャラクターなど、かわいい感じのする河童はたくさんあります。日常で普通にそれを見て、普通に受け入れていたはずなのに、どうしてそんなイメージがついたのか。それは、河童が「昔話などでつくられた架空の生物」という話を昔に聞いたイメージが強かったからだと思います。
 今回常光先生がしてくださった講演も、私の心に強く残りました。そう考えると、人が人へ直接言葉で伝え、語り継ぐことは、大きな力があるのだなと気付かされました。私たちは今年、中3の九州修学旅行で、戦争についてのお話を聴きます。そのことについても、私がしっかり受け継ぎ、次の世代へと伝えていかなければならないなと思いました。講演で紹介してくださった色々な河童の絵を見ると、どれもこれもそれぞれ全然違うということに驚きました。友達や家族などに、「河童の絵を描いて」といってみれば、みなそれぞれ違うものを描くのかな、と考えおもしろく思いました。今まで妖怪やお化けは一緒のようなものだと想っていましたが、実は全然違うということを知り驚きました。お話を聴くうちに、妖怪は、昔の時代に大人が、子どもが悪さをしないようにするために作った一種の教訓のようなものだと分かりました。それが今もなおこのように伝えられていると思うと、興味深く感じられます。今回の講演でわたしは特に「語り継ぐことの大切さ」を感じました。私も次は語る側になって、伝えていこうと思います。私たちにお話をしてくださり、本当にありがとうございました。
 

移り変わるイメージ

 3年5組  男子 

  今日、講演会でのお話を聴き、妖怪について自分なりに調べてみました。
 まず、お話の中で何度も出てきた河童です。河童は川などに現れる未確認生物、マスコミなどでは「UMA」とも呼ばれる存在です。河童の性質で僕が知っているのは、胡瓜が好物であるということと、頭の上に皿が乗っているということです。色々調べてみると、なぜ胡瓜が好きなのかというと、昔は胡瓜に子どもの名前を書き、河童に守ってもらうように願ったことが由来だそうです。寿司屋でよく聞くのは「かっぱ巻」と「鉄火巻」です。「かっぱ巻き」は胡瓜を入れているからですが、「鉄火巻」は賭博場で手軽に食べられるからだそうです。賭博場の別名が鉄火場だということも調べてみて分かりました。つまり「巻」とは日本のファーストフードとも言えます。
 そのように考えてみると、昔は、河童は守り神として日本人に親しまれていましたが、現在は常光先生のお話にもあったように、キャラクターやファーストフードの代名詞になるなど、親しみの対象になっていて、時代によって移り変わるイメージの変化が興味深く感じられました。
 このように、河童には知らなかった生態がたくさんあることが、今回の講話をきっかけとして知ることができました。僕は昔から妖怪が好きで、色々な本をたくさん読んでいましたが、今日のお話をうかがい、今まで知らなかったことをたくさん知ることができました。次は河童だけでなく、色々な妖怪について調べてみようと思います。

 

ひとつひとつに意味がある伝承

 3年6組 女子 

  今回の講話は伝承学についてだとお聞きして、私はとても難しい話なんだろうなと思っていました。ですが実際に先生の講話をお聞きすると妖怪や河童についてなど資料を使いながら紹介してくださり難しいところもありましたが、さまざまなことを知ることができました。
 今回、講話をお聞きして、私が河童に対して持っていたイメージはかわいいというものだったのに、先生が見せてくださった河童の絵はとても奇妙でかわいいとはいえないようなものであり、河童は妖怪だということを知り、私は以前より河童に興味を持ちました。そこで河童について調べてみると、河童は家を富裕にしたりもするのですが、遊んでいる子供を川へ引きずり込んで溺死させるなど恐ろしいこともするそうです。他にも河童の頭の上のお皿は生命力の象徴であるといわれていて、ひとつひとつに意味があることに驚きました。
 また河童を調べているうちに、椀貸し淵の伝承という興味深い伝説を知ることができました。今度伝承について調べてみたいと思いました。
 伝承学という難しいものからこんなに視野を広げることでき、先生の講話をお聞きできてよかったです。これからもたくさんこのような講話をお聞きしてさまざまな分野へ視野を広げていきたいです。
 

人と自然を考えるきっかけ

 3年6組 男子

5月22日、民俗学者常光徹先生の講演をお聴きし、民俗学、伝承学のおもしろさを学ぶことができました。先生の著書の中には『学校の怪談』というベストセラーがあり、僕はホラー映画などが好きなので、今回のお話をとても楽しみにしていました。今回の講演の題目を聞いた瞬間、さらに興味が湧きました。その題名とは「河童について」です。僕は日頃から本当に妖怪を見たいと思っていましたので、妖怪の一つである河童について、どんな話をしてくださるのだろうとわくわくしました。
 まず先生は妖怪と幽霊の違いについて話されました。妖怪も幽霊も同じような場所に出現し、人間を驚かすものだと思っていましたが、そうではなく、幽霊は恨みを持った人間や死んだ後も強く思っている人間のところに現れ、生きているときにできなかった思いを晴らす存在であること、そして妖怪は一定の場所、沼地や山奥などに住み着いている存在であるということでした。つまりその場所に行かなければ妖怪には会えないということです。
 次に先生は、河童はいつから人に知られる存在になったか、そして河童はどのような姿をしていると思われていたかについて話されました。河童は古くから存在し、頭には皿があり、甲羅があり、緑色をしているというイメージが一般化しています。スライドで見た河童は描き方は異なっていましたが、だいたい同じような姿でした。河童一つとっても時代や地域によって共通点や相違点があるということ、そして伝承や民俗を学ぶことは人と妖怪の関係、ひいては人と自然を考えるきっかけとなるということを教えていただきました。
 今回の講演をお聴きして、人々の生活に密着している民俗学というものに興味を抱きました。常光先生やお話の中に出てきた民俗学の先達、柳田国男氏の著作を読み、さらに知識を深めるとともに、実際に沼地に行って河童と出会ってみたいと思います。

 

日常の様々な角度

 3年7組  女子 

 小学生の頃、自分の周りでは多くの都市伝説や怪談が噂されていて、例えばそれはトイレの中からおかっぱ頭の女の子が出てきたり、放課後になると理科室の人体模型がひとりでに動き出したりするなどと、様々なものがありました。その頃、特に小学校の低学年だった時の自分はそれを信じて、トイレの一番奥の個室は決して使おうとしなかったことを今も覚えています。
 今回、常光徹先生が、伝承や言い伝えというのは自分の身近なところにも多くあるのだとおっしゃっているのを聞いて私は、自分が昔よく聞いていた学校の怪談を思い出しました。伝承などと聞くと、どこかの遠い人里離れた場所で語り継がれる何か重々しい話といったイメージがありましたが、意外にも身の回りでよく耳にすることがあり、そこからその人々が普段どの様な考えや習慣に従っているのかを感じ取ることができるのです。私は、そのような身近な物事を通して、何かを学び得ようとする常光先生の姿勢は、私たちの普段の学習や生活の中でも、とても大切なものなのだと思います。この講話で学んだものを実際にそこで生かしていけるようにしたいです。
 私は民俗学についてはあまり詳しく知らなかったのですが、今回のお話を聞いて今までより興味を持つことができました。自分も、日常の様々な角度から見つめることで、その土地の人々の個性を発見していけたら良いと思いました。また、国立歴史民俗博物館にも、是非行ってみたいです。
 私たちにとても有意義な時間を与えて下さった常光先生に感謝します。本当にありがとうございました。

面白い発見

 3年7組  男子

 「当たり前の日常の中に目を凝らし、テーマを掬い上げていく姿勢は、私たちの普段の学びの姿勢にも通じるものである。」この言葉は常光徹先生のお言葉として、配られたパンフレットにも載せられていました。
 確かに人として、最初から知らなかったことにしてしまえばそこから追求しなくてよい、こんな事する必要がないという自分の中での結論を出して満足しているのが妥当なのかもしれません。僕もそういう時だってあります。ただ、そのままにしてしまうと、その現実からずっと逃げて行ってしまうというのが結果となり、そのまま自分に身につかなくなってしまいます。今、こういう事に触れている自分も書いていて「逃げてるなぁ、自分」と思っています。ですから、今回の常光徹先生の話を忘れずに、これからも「常識」などといったモノを疑ってみると、面白い発見ができるのではないかなと思います。
 「常識」を疑い、面白い発見ができる方法として、この江戸川学園取手中学校の総合学習の模造紙作成や発表などがあるのではないかと思います。江戸取で学ぶことのできるものは、挨拶や礼儀などと、社会で使うことのできることが多いと思います。江戸取で講演会や、先生方のお話などを聞くことが、将来に繋がることとして未来に残っていくのではないかと思います。

 

想像の集大成

 3年8組 男子

 私は小さい頃、お化けなどが好きで、「ゲゲゲの鬼太郎」などを好んで見ていました。そのようなこともあり、今回の常光先生のお話はとても興味深い内容だと感じました。まず、妖怪と幽霊が違うということですが、もともと私は妖怪という枠組みのなかに幽霊というものがあると思っていました。しかし、常光先生のお話では、その両者は根本的に異なっており、出現する場所や時間、原因と全てが違っており、なるほどと納得して聞いていました。
 次に河童のお話がありました。私は今まで河童はあまり詳しく知りませんでした。川などに住んでいるというくらいの知識しかなく、むしろご当地キャラクターなどに使われているのを見かけ、可愛らしく、怖くない妖怪なのかと思っていました。しかし常光先生が、昔の人が描いた河童の絵を見せてくださり、そのようなイメージは一変しました。可愛らしいと言うよりは怖い姿であったのでとても驚きました。
 個人的に河童の生態について考えてみると、まず水辺に生息しているということで、河童は両生類の仲間なのではないかと思いました。そして、頭にある皿は実は皿ではなく骨なのではないかと思いました。この骨は水をよく通し、体内に水分を送るのではないでしょうか。このように妖怪について、色々と想像を巡らせていくと様々なことを考えます。恐らく、昔の人たちも同じように様々な想像を働かせたことでしょう。そういった想像の集大成と言えるようなものが妖怪なのかもしれません。
 
それらはある意味で伝統となる文化であって、それは次の世代へ語り継いでいかなくてはなりません。そしてそれを語り継ぐのは私たちなのではないでしょうか。今回のお話でそのような伝統についてたくさん学びました。

いつか会ってみたい河童

 3年8組  男子

 今回、常光徹先生は「妖怪」について講演してくださいました。
 僕は小さい頃から妖怪に興味を持っていました。そのころテレビ番組でゲゲゲの鬼太郎のアニメに熱中して、毎回欠かさずに見ていました。そのなかの妖怪で、一番興味を持っていたのが、ちょうど今回先生がお話くださった「河童」でした。河童と相撲を取りたいとか、頭のお皿にさわってみたいと思い、幼稚園の池にきゅうりを浮かせて待っていたことを覚えています。もともと僕は、河童はアニメなどに出てくるように非常に可愛らしい妖怪だと思っていました。しかし、講演の最中に先生がスクリーンに映し出した河童は、その想像を否定するかのように、見た目が亀とワニの合体のようで、ゾクッとするくらい怖かったです。また、人を水に引き込むなど「妖怪らしい」行動も取ると聞き、河童はそんな悪者だったのかと思い、少し悲しかったです。しかし、先生は河童は悪いだけではないとおっしゃっていました。例えば水不足の田に水を引いてくれたり、火事の時に火を消してくれたりと、良いところもたくさんあるようでよかったです。
 今回の講話をお聴きして河童について色々と学べました。妖怪の存在を認めるか否定するかは人それぞれですが、僕は「いる」と思っています。そしていつかは河童に会ってみたいです。

 

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