常光徹先生講演会の感想

 1組

 5月22日の5限目に、常光徹先生による講演会がありました。僕は、昨年の紫峰祭の準備で、妖怪について調べたので、妖怪についてはまあまあ知識があるのではと思っていましたが、今回の講演をお聞きしてまた違った考え方もあるのだなととても感心しました

 最近は、今回の講演会で取り上げられた、「かっぱのキューちゃん」のような、滑稽で可愛らしい妖怪の絵が多いように思われます。もちろん、江戸時代に描かれた、恐ろしい形相をしている、少しグロテスクなかっぱの絵もありますが、それ以上に可愛らしいものが多い気がします。おそらく、江戸時代のころの妖怪は、人々から恐れられ、かつ忌むべき存在であるものがほとんどだったと考えられます。なぜなら、江戸時代のころに、さまざまな怪談を集めた物語集が多く出版され、そして百物語をはじめとする怪談会がたくさん開かれたからです。

 妖怪が実在するかどうかはわかりませんが(いてくれた方が夢があるとは思います)、「妖怪は実在し、それは恐ろしいものである」と考えが多くの人々の支持を受けていなければ、そうした怪談もブームにならないと思うし、その当時に大人気になった、いわば肝試しである、百物語などの怪談会もなかったと僕は思います。しかし、現代の妖怪に対する考え方は、江戸時代のころのそれに比べてだいぶ変わったと思います。もちろん、「妖怪は恐ろしい」という考えは変わっていないと思いますが、今は、少し滑稽でかわいいデザインの妖怪も多いです。また、牛久市営のバスの名が「かっぱ号」であったり、「かっぱ祭り」という名の祭りがあるなど、ある場所に住むとされる妖怪が、その地のシンボルであることもあります。

 つまり、現代は、妖怪が人々に受け入れられるようになり、人々の間で親しまれるようになったのではないかと思います。

 私は、今回の講演をお聞きして、驚いた事が大きく分けて二つあります。

 一つ目は、講演に来てくださった先生の講話内容です。先生は妖怪や幽霊についてすごく詳しく教えてくださいました。特に感心したことは、昔と今では、同じ物についての価値観が違うことです。例えば河童を例にしてみると、江戸時代の頃の人々は河童に怖いイメージを持っていましたが、今では、可愛いキャラクターのように描かれていたりします。江戸時代と今では、何百年もの年月が経っていますが、その時の風潮によって百八十度、感じ方が異なってしまうのでびっくりしました。

 また、私は今まで妖怪と幽霊は、ほぼ同じものだと考えてきました。しかし、実際は全く別のものだと分かりました。妖怪と幽霊の違いは、三つあるそうです。一つ目は、場所です。妖怪は山や川などのある特定の場所にいますが幽霊は自由にどこにでも現れることが分かりました。二つ目は時間帯です。妖怪は夕暮れ時に現れ、幽霊は午前二時頃から午前三時頃に現れることが分かりました。三つ目は、人です。妖怪は、だれにでも姿を現しますが、幽霊は特定の人にしか姿を現しません。幽霊は、成仏できなかった人が幽霊となるようです。

 二つ目は、職業の広さについてです。私は今まで、妖怪や幽霊を研究したりする職業があるとは思っていませんでした。自分のしたい事をそのまま研究に生かして、「学校の怪談」などの有名な本を出版できた先生はすごいと思いました。やろうと思えば、できない事なんてないのだ、と思いました。研究はとても大変な仕事です。それでも諦めずに続けられたことはすごいと思いました。

 2組

私はこの常光徹先生の講演会の「妖怪について」を聞いて一番最初に面白いと感じたものはかっぱの話しでした。

私は小学校の時や先生の講演会を聞くまで、ずっと妖怪やお化けなんて絶対にないと思っていたので、信じている人がいるなんてと思っていました。しかし、今回、先生の講話を聞いて色々な場所に都市伝説や怪談話があることがわかり、またかっぱの色々な写真や絵がたくさんあったので、もしかしたらお化けや怪物もいるのかもしれないと、少し自分の考えていたことを改めて考え直してみようと思いました。

 また私がもうひとつ面白かったことは「学校の怪談」です。私は先ほど書いた通りあまり怪物や妖怪などを信じてはいませんでしたが、学校の怪談は色々な話しがあり、とても面白かったのを覚えています。そして、学校の怪談を読んだ時は、著者はたぶんとても若いお兄さんのようなイメージがありました。しかし実際にパンフレットを読み、常光徹先生にあってみると、とても真面目そうなひとで正直なところ、とてもイメージにはあっていませんでした。しかし、実際に先生のお話を聞いてみると、その土地ならではの怪談などがたくさんあるということなど、とても興味深いことをおっしゃって下さり、とても立派な職業をしている人も、こういうことに興味をもってもいいんだと、とても安心しました。

 最後に私が、常光先生の講演会を聞いている時にすごいなと思ったことは何事にも関心を持ち、自分でいろいろなことを調べていることです。このことは勉強やそれ以外のことでも言えると思います。私も将来常光徹先生のように、立派な職業に就けるように、これからも日々勉強に励んでいきたいと思いました。また別の機会にも先生の講演をお聞きしたいです。 

 僕は今回、常光先生の講演をお聞きして、民俗学という学問を初めて知りました。そして民俗学はとても幅が広い学問であることを知りました。また、そのひとつひとつの内容がとても深いことが分かりました。

 今回の講演では、妖怪について話して下さいま
した。僕は、妖怪というものが最近になって伝わったと思っていましたが、江戸時代や、もっとその前から伝わっていたことが分かり、とても驚きました。

 また、河童の
話もありました。昔の人が河童を想像して描いた絵をスクリーンで見て、いろんな形をしていて、人それぞれだなと思ったし、やはり今と全く違うなとも思いました。その他にも妖怪と幽霊の違いなど、興味深いお話があってとても面白かったです。

 
民俗学という学問の面白さを改めて感じました。そして、これを機に日本の文化や伝統をもっと知りたいと思いました。常光先生、ありがとうございました。



 3組

 5月22日に、常光徹先生の講演会がありました。私は常光徹先生の「学校の怪談」を読んだことがあったので、今回の講演会を楽しみにしていました。

 私はこの講演会をお聴きして、いろいろなことを知ることができました。まずはじめに、妖怪と幽霊の違いについてです。私は今まで、妖怪も幽霊も同じようなものだと思っていました。違いを言うとすると、妖怪は人間以外の動物などの霊で、幽霊は人間の霊だと思っていました。しかしそれは少し違って、妖怪は相手を選ばず、現れる場所が決まっているのに対し、幽霊は現れる相手を選び、現れる場所が決まっていないそうです。そして、妖怪と幽霊では現れる時刻も違うそうです。言われてみれば、そのような気がします。たとえば、妖怪の座敷わらしは人間の子供のすがたをしています。また、相手を選ばずに現れて決まった場所に現れます。よく考えると、幽霊のなかには「動物霊」と呼ばれる動物の霊もいます。妖怪と幽霊には、しっかりとした違いがあることを講演会で知ることができました。

 次に、河童についてです。河童には、たくさんの呼び方があることを知りました。私は全国どこでも呼び方は河童だと思っていたので、とても驚きました。河童の伝説についても知ることができました。牛久沼に河童の伝説があることは知っていましたが、その内容までは知りませんでした。

 いろいろなことを知ることができたこの講演会を忘れないようにしたいです。

 私は常光徹先生の講話を聞いて面白いと感じたことは、妖怪の話です。私は昔から怖い話が好きで、妖怪の種類は沢山知っています。学校の怪談もアニメで見ていました。とても面白かったです。今回の講話では河童の話が沢山でてきました。そこで河童にはいろんな種類があるのだなと思いました。今まで河童にはあまり興味がありませんでしたが、写真を見てから、少し興味を持つことができました。そして、きつねの窓がとても面白く感じました。あの仕草で妖怪に見えるというのはすごいと思いました。是非やってみたいと思いました。

 私は今まであまり博物館に行ったことがありません。行ったとしても学校の校外学習で行ったくらいで、そんなによく見ることができていませんでした。博物館という場所に行ってみたいと思ったことはありませんでしたが、今回の講話で国立歴史民俗博物館に行ってみたいと思うようになりました。博物館に行って、より自分の知識を深めることができたらいいです。そして、関心を深めることができたらいいなと思いました。

 怪談というものは、好きな人と苦手な人に分かれてしまうと思います。私は大好きです。そのため、怪談やきつねの窓といった今回の講話で紹介されたことについて、もっと大勢の人々に関心を持ってもらいたいと思いました。

 今回の講話は自分が今まで知らなかったことについて、沢山学ぶことができる良い機会となりました。是非、もっと詳しく知ることができるように、博物館に行ってみようと思いました。

 4組

 私は先生のお話をお聴きする前、歴史が苦手でした。しかし、今回の講演でそこまで歴史は退屈なものではないのだなと思いました。その中で私が一番気になったのは、かっぱについてです。牛久沼のキャラクターは以前から知っていましたが、昔の怖いかっぱを知ってからは、そのキャラクターに対しての、愛着が湧きました。妖怪は今までは怖くて図書館で今回見たような絵を見つけても、少し見ただけで閉じてしまいましたが、この講演を経て、勇気を出してじっくり見てみようという気が湧きました。

 しかし、私は、ある疑問をもつようになりました。それは、「江戸時代のころに、かっぱの目撃情報がたくさんあるのに、今はなぜ信じられていないのか。」ということです。そのことに、関しての、私の予想は、どこにでも普通に生息している生物の影や、目の光などの条件が組み合わさって、かっぱのような不思議な生物に見えてしまうというものです。その予想を考えたときに再び浮かんできた新たな疑問は、「どんな大きさのどんな種類の生物を見間違えたのだろうか。」です。私はこれを機にこういった疑問を常に追求していきたいと思います。

 二年生になって、社会が地理から歴史に変わったので歴史に興味を持った今、社会の勉強も避けずに頑張ろうと思います。常光先生が携わっている歴史民俗博物館にも、ぜひとも足を運びたいと思います。そこで、今湧いている好奇心を大切にしたいと思います。縄文時代などの、遺跡は教科書でよく見ますが、現代に近い時代の遺跡は、あまり見たことがないので、そこのあたりを、じっくり見ていきたいと思います。今回の講演で学んだことを、大切にして、今までとは違う新たな自分に向かって、目標を立て、歩み続けていきたいと思います。

 僕が常光先生の講話をお聴きして最も印象に残ったことは、妖怪と幽霊の違いについてです。まず一つ目の違いから驚きました。妖怪は一定の場所、たとえば井戸や、物置小屋や山奥などにしかおらず、あまりその場所から動くことがないので、合わないための方法は単純にその場所に行かなければ良いということです。しかし、幽霊は場所を移動するのでどんなところへも追ってくるということです。ではどうすれば会わないですむのか、それは人から恨まれるようなことをしなければ良いということです。幽霊は妖怪より優秀なのか人を選ぶことができるそうです。選ばれるのは自分を殺した人とか、自分をいじめてきた人など、死ぬ前に恨みをもたらしてきた人にだけ見えるということです。これが二つ目の違いです。

 さらにもう一つの違いは出てくる時間帯です。妖怪は夕方頃に出現し、幽霊は夜中の2時、昔では丑三つ時に現れたそうです。僕は昔小学生の頃妖怪と幽霊は一緒なのかなと思っていました。しかし、以前にテレビで妖怪の研究者の方が、妖怪と幽霊の違いについて話しているのを見ました。そのときもカッパの写真を見せていましたが、想像とは違ってとても怖かったのでとても鮮明に記憶の中に残っています。改めてみるとやはり違うなと思います。なぜ妖怪や幽霊は生まれてしまったのでしょうか。幽霊は恨みがあるから生まれたということを聞いたことがあります。しかし見える人と見えない人がいる中で本当に存在しているのかしていないのか、よく分かっていません。僕は見えない人なので見えない方がいいと思っているのですが、絶対にいると言っている人もいます。江戸時代からこのような議論は幾度も繰り返されているようですが、僕はいなくなってくれればよいなと思います。


 5組

 5月22日、私は、「伝承学」について常光徹先生の講話をお聞きしました。今回の講話で特に興味を持ったことが2つありました。

 1つ目は、「伝承から学んだこと」についてです。私は、伝承学とは何のことかをあまり知りませんでした。伝承とは、伝え聞くこと、古くからあるしきたり、信仰、風習、言い伝えなどを受け継ぎ、後世に伝えていくことなどの意味があります。常光先生は、毎日大勢の子供達と接しているのに10代前半の子供達の話を聞いてみようという発想が無かったそうです。しかし、「目の前の伝承」という言葉をヒントに子供達の話に耳を傾けるようになると、気づいたことがたくさんあったそうです。私は、このエピソードを知り、伝承だけでなく普段の生活においてもこのことが言えるのではないかと、思いました。灯台もと暗しと言うように身近にはとても大切なものがあるのではないかと、考えさせられる話でした。

 2つ目は、「怪談」についてです。怪談とは、怖さや怪しさを感じさせる物語の総称のことです。常光先生は、具体的に河童などというように例を挙げて興味深いお話をして下さいました。民俗学のフィールドを身近な学校に求め学校の怪談に注目して聞き取り調査を行ったそうです。すると、全国の数百校から1000話以上の様々な話が集まったそうです。私は、これを知ってなぜ、怪談話ができたか、なぜ、このように広まっているのかという疑問を持ちました。この疑問はまだ解決していませんが、全く知らなかったことに関心を示し、話を聞いてみるとたくさんの楽しみや新しい面白さを発見できることが分かりました

 今回は、伝承というタイトルのもと、身近なことや新しい発見などについて学ぶことができました。今後は、これを生かして色々な所へと関心を示し知恵を広げていけたらいいなと、思いました。 

 常光徹先生の講演をお聞きして、まず僕がなによりも先に受けた印象は、非常に失礼ながらいわゆる胡散臭さ、というか大の大人が妖怪などという非科学的なものについて語っていることについての一抹の疑念といったものでした。非常に偏った見方なのですが、なんとなく民俗学、と聞くとオカルトやエセ科学といった印象を受け、よく知らぬ間に不思議と距離を置いてしまうようなところが僕自身に少なからずあったように思います。

 しかし、講演を聞いているうちに、決してそうではない、ということに気付きました。最初は、重ね重ね失礼ですがいきなり妖怪について、などと何をいきなり言い出すんだこの人は、ぐらいの気持ちだったのですが、聞いていくうちに、研究の対象は確かに非科学的で、実在がはっきりしていないことでも、その研究の仕方は、極めて体系的で、すごく学問然としている、ということを知りました。それは具体的には河童には地域ごとにその風土に合った様々な伝承があり、地域ごとに呼び名も異なる、と要約すればこういう話だったかと思います。

 「河童」という存在を地域ごとに分解し、その地域の風土などからそれを解析する、というのはすごく学問らしいように感じられます。また、その後の、河童が人にとって害になることも利益になることもするのは河童というものが水の象徴だからである、という話にも深く納得し、感銘を受けました。これはつまり河童というものが人々の水に対する認識であるということであり、そこから人々の精神性、ということまでをうかがい知ることができる、ということになると思います。だとすれば、これは民俗学とは伝承から当時の人々の風土や精神までを調べることができる、極めて有用な学問であるといえるのではないでしょうか

 また、これらの考え方、つまり情報をプロファイリングしてそれらのことから他のもっと高度な情報を読み取る、という考え方は、とても高尚で日常生活には無縁であるようでいて実はここまで複雑ではなくともよくいわれるものでは資料読解など、すべてのことに活きてくる考え方だと思います。今回の講演をお聞きして、民俗学、というものについての見方を180度変えるとともに、日本人の精神性の一端に触れ、またとても重要な考え方を学ぶことができました。これらのことを今後の生活に活かしていきたいです。
 6組

 今回の常光徹先生の講話を聞いて「妖怪は本当にいたのかな?」と思いました。しかし、そう考えたのは一瞬でした。なぜならば、いたという根拠がないのに信じるなんてできないからです。だいたいの人がそう考えると思います。それは今科学が進歩しているからそのように考えてしまうのでしょう。なかなか非現実的な話には素直に耳をかたむけられないでいます。

 例をとってみると分かるのですが、まだ科学が進歩していない時代には雨が降ったり、雪が降ったり、雷が鳴ったりなどは、神の仕業だと思って恐れ、神に祈りを捧げていたからです。私達が「なぜ雨が降る」「なぜ雪が降る」「なぜ雷が鳴る」のかを詳しく説明できるのは科学が進歩して全て解明されているからです。科学が進歩しているから私達は「伝説」や「言い伝え」を信じられないのだと思います。実物を見ないと信用できない、証明されないと納得しない、それが今の僕たちの考えなのです

 しかし、昔の人達はなぜ妖怪の絵を書けたのでしょうか?想像で書くにしても河童の絵はみんな同じです。「頭のお皿」「亀のような甲羅」「尖った口」なぜ想像がここまで一緒なのか。そう考えていくと少しだけ「実は実在していたのではないか」と思いました。ですが現時代に河童がいないので「やはりいないんだな」と改めて思います。もし絶滅していても河童の化石かなんかが見つかっているはずです。最後に妖怪がいる、いないを信じるのは個人の自由だと思います。いると思っている人にいくらいないことを説明しても、根拠が無いので相手を説得できません。反対にいないと思っている人にいると説明しても同じです。いる、いないに関係なくこのような話があることが面白いと思いました。

 私は520日に常光徹先生の「伝承学」について、というテーマの講話をお聞きすることが出来ました。この講話では主に、私たちが普段あまり触れることのない「妖怪」について、常光先生がとてもわかりやすく説明してくださいました。私はこの講話をお聞きするまで妖怪などのものにあまり関心がなく、自分から調べてみるということをしたことがありませんでした。しかし、常光先生の講話をお聞きして、「伝承学」というものをみる視点が変わりました。

 まず最初に、妖怪などの言い伝えは、日本に昔から伝わる伝統的な文化なのだ、ということです。私はそのような言い伝えなどは、ただ単に人が楽しむものにあるものだ、と今までずっと思っていました。しかし、よく考えてみると、それらの言い伝えは昔の人々から受け継がれて現在残っているものです。そういった違う視点から見られるようになり、自分の視野が大きく広がって、とても嬉しく思います。

 次に、常光先生は私たちがよく耳にする、「カッパ」について話をしてくださいました。カッパの話の中で1番印象強く残っているものは、昔から言い伝えられた中で、カッパはたくさんの種類があるということです。前に映された資料を見て、とても驚きました。人のようなもの、亀のようなものなど、様々な種類がありました。私が思い込んでいたカッパとはかけ離れたものが多く、興味を引かれました。自分でも詳しく調べたいと思います。

 私は今回常光先生の講話をお聞きして、物の考え方、見方を変えることが出来ました。私たちの祖先が代々受け継いできてくれた、ということにもとても感動しました。私も、受け継がれてきた伝統文化を大切にし、後世に伝えていきたいと思います



 7組

  常光先生は、私たち中等部生たちの講話では主に妖怪の、とりわけ、河童について話して下さいました。

  私は今まで、あまり妖怪や幽霊、お化けなどの存在を信じていませんでした。私は、自分で見て、聞いて、感じたことしか、信じられないたちなのです。しかし、今回の講話を聞いて、私のように、頭から否定しなくても良いかなと思いました。自分で見たことがなくても、聞いたことがなくても、それは自分が見たことも、聞いたことも無いだけで、本当にいないのかは証明できないのですから。いることを証明するのは簡単です。本物を用意すればいいのです。しかし、いないことには連れてくるわけにもいきません。なので、証明できないのです。だからといって、いないと信じる訳にも行きません。ですが、今回の講話の中でスクリーンで見せていただいた資料も、目撃情報によって作成されたものだと思うので見たことのある人もいるわけです。私は今回の講話を機に、妖怪を信じようと思いました。

  また、河童についてですが、私は河童だと言い伝えられている姿が昔のものと、あまり変わっていないことに驚きました。河童なんて、見たことがある人の方が少ないというのに、その姿はどれも似ている。そんなこともあるのかと、感心しました。もし、彼らが見たものが本物であったのなら、世の中には見たことも無いような、奇妙な生き物も居るのですね。逆に、見間違いであったのなら、なにを見間違えれば、あの姿になるのかが気になります。私は今回のような、人に信じてもらうことが難しそうな仕事は、大変だとは思いますが、その分やりがいのある仕事だと思います。私は、そのような、やりがいのある仕事に就いて、その仕事を楽しめるようになりたいです。

 僕が初めて常光先生の事を知ったのは、去年の十一月ごろだと思います。先生の作品の「学校の怪談」のドラマを視聴したからです。自分が想像していたものとは違い、恐怖というよりも「面白さ」を感じました。そこで学校の怪談をもっと調べてみたときに常光先生の事を知ったのです。

 今回のお話の中で河童の話がありました。先生のお話の中で河童が人間に幸や不幸をもたらしていたという記録があるという事や、時代が進むにつれて書かれている河童の絵が変化していることなどをお聞きして、河童が「実在する」のだろうかという事は別問題として昔の人々の「心の中」には河童がいたのだと思いました。また、先生のお話の中で河童にも良い記録と悪い記録があるのはなぜだろうとおっしゃいました。そのとき先生は、「河童というのは水の妖怪で、人間には水が必要不可欠なものであり、最も身近にあるものだ。しかし、水というものは扱い方を間違えると大変なことになる。だから、河童には良い面と悪い面がある。」とおっしゃいました。

 その時僕は世の中には使い方を間違えると取り返しのつかないことが数多くあるのだなという事を思いました。

 日本の文化の一つと言っても良い「妖怪」ですが、今回の常光先生のお話をお聞きしたことで、少しイメージが変わりました。妖怪というのは、人間の良い所悪い所を客観的に映し出しているのだと思いました。もし、現代に妖怪が現れたらそれは悪い妖怪が多いのではないでしょうか。これからの将来が良い妖怪が出てくるような世の中になっていくといいなと思います。またいつかお話を聞ける時を楽しみにしています。ありがとうございました。

 8組

 僕は今回の常光徹先生の講話をお聞きして、伝承についてよく知ることが出来ました。今回の講演内で見た河童の絵と現代の河童のイメージを比べると似ているものがあったり、少し現代のイメージと違うものがあったりと絵によって様々でしたが、昔からずっと川に現れる恐ろしい妖怪という特徴は変わっていませんでした。僕たちが伝言ゲームをやると、5〜6人でもまったく正確に伝わりません。そう考えると、伝承の正確さには驚かされます。さらに,日本のそれぞれの地方において長い間伝承が途切れることがなかったことも凄いと思いました。それは、昔の人にとっては伝承が生活するうえで重要なことを伝える手段であったからで、河童の話は子供たちに川は危ない所であると伝えるためのものであったからなのでしょう。

 現代においては、人に伝える手段として文字の他写真や映像など色々なものがあり、生活において伝承ということを意識していません。例えば、地震や津波などの自然災害の恐ろしさを伝える言い伝えは日本全国にあるということで、2年前の東日本大震災でも、昔からの津波の恐ろしさの言い伝えどおり行動していたらもっと多くの人が助かったと言われています。そうしたことから文化の伝承も含めて現代の我々も伝承の持つ機能をもっと大切に考えて、先人の知識や技術を後世に伝えてくべきだと思います

 それから、幽霊は「場所を選ばない」「真夜中に出る」そして「人を選ぶ」、妖怪は「場所が決まっている」「人は選ばない」という話を聞いて幽霊や妖怪にも定義があるのが面白かったです。「伝承」は自分にとって身近なものでは無いと思っていましたが常光先生のプロフィールを見て小学生の頃、常光先生著書の「学校の怪談」を読んだことに気づきまた今回の講演を聞いて身近なものに感じました。

 私の家の近くには「歴博」があり、常光先生の講話にとても興味を持っていました。それに、もともと怪談は好きな方だったので聞いていてとても面白かったです。

 妖怪と幽霊は違うと思っていましたが違いはあまりよく分かっていませんでした。常光先生の講話を聞いて、違いが分かったと思います。出現場所の違いや、時間帯の違いという点や、人を選ぶという点などは確かにそうだと思います。昔の人は色々なものを見て、感じて多くの伝説を残してきたことが分かりました。自分も妖怪がいたら一度だけでもぜひ見てみたいと思いました。

 河童の話では、今の河童のイメージと昔の河童のイメージがずいぶん違うことが分かりました。今は可愛い感じの河童のイメージですが、昔の河童はもっと怖い顔をしていたり、四足で歩いていたり、スッポンのようだったり、様々に考えられていることが分かりました。河童は人を水の中に引きずり込んだりする悪い面もあるけれど火事を消してくれたり、人を助けることもあるという良い面もあるという事も分かりました。

 妖怪も幽霊も人間に悪影響が及ぶだけだと思っていましたが、そうではないということも分かりました。又、昔の人々が作り出したもの全てが伝統ではなく、考えられていたものも伝統として伝わっているのではないかと思いました。将来、日本の文化や伝統を紹介するとき、そういったところまで伝えられるような人になりたいです。そのために普段から、何気ない日常生活を歴史的な面から見つめ直すようにしようと思いました。また、今度は実際に国立歴史民族博物館に行ってくわしく昔の人の生活についていろいろなものを見て回りたいと思います