1組

 今回の講演会で「妖怪」というなかなか聞かないテーマに興味を持ちました。お話を聞く中で、科学技術の発達をしてない頃は、本当にいると信じられていたことがよく分かりました。また、その地域ごとによって起こる不思議な自然現象から様々な「妖怪」が想像され、そこから地域の特色が分かるということがとても勉強になりました。プロジェクターでカッパの例が映し出されたとき、生き物らしいものや人間に似たようなものは私の想像に近かったものですが、そうでは無いものもありました。たくさんの人々の中でたくさんの河童がイメージされてきたことに驚きました。また、外見だけでなく、河童がいたずらをする悪い妖怪という言い伝え、親切にしてくれたという言い伝えなど、河童は良いと悪いの両面の姿で人々の目に映っていたのだと感じることができました。
 そして河童について調べてみると、牛久沼には、「悪さをする河童を捕まえ松の木にくくりつけたが、改心したので逃がしてやると草刈りをしてくれた」などの伝説がたくさん伝わっていました。こんな身近なところにも伝説があると聞くと、本当にいたのではないかと思いましたが、現在でもまだ未確認生物とされているようで残念です。
 話を聞くだけでは少し難しいと感じたことも、自分で気になったキーワードを調べることで話がよく分かりました。小さい頃から知っていた「妖怪」などのことが「民俗学」という一つの学問につながっていることに何よりも驚きました。自分の身の回りのものが、難しいと思った「民俗学」で研究されていることも講演会で学ぶことができました。
 伝承学や民俗学のことを聞いたときは難しそうだなと思っていましたが、1つ1つかみ砕いて教えてもらったことで興味を持津ことができました。興味を持ち自分でも調べてみたことで、伝承学や民俗学へのイメージが変わりました。これからは様々な機会に学んだことをつなげられるようにしたいです。また、今回の話で「民俗学」について興味を持てたので、機会を見つけて調べてみたいと思います。



 5月22日、国立歴史民俗博物館の常光徹先生の講演会がありました。民俗学、伝承学ときいても正直何のことだか分かりませんでした。しかし、事前に配られた常光先生のプロフィールを読み、僕が小学校時代に読んだことのある「学校の怪談シリーズ」の著者でもあったので、どんなお話が聞けるのかとても楽しみにしていました。
 1時間の講演はあっという間でした。話の内容は難しかったのですが、カッパの伝説などを例に、伝承学についてわかりやすくお話ししてくれました。
 身近な言い伝えは僕の記憶にもたくさんあります。「ご飯を食べてすぐに横になると牛になる」「夜、口笛を吹くと蛇が来る」など、祖母や両親から言われて育ちました。つい最近まで信じていたものもたくさんあります。しかし、今思うとなぜだろうと疑問に思ったことがありませんでした。
 常光先生は、当たり前の日常の中に目を向け、そこから学び、発見していくことの大切さを教えてくださいました。カッパは、日本昔話などでは馴染みのある伝説ですが、本当にいたのかどうか分かりません。しかし、実在していたと思った方が夢が広がるような気がします。
 民俗学、伝承学について講演をお聞きするまではとても難しいものだと思っていました。しかし、身近なところに民俗学がありました。人間の祖先、日本人の祖先が作り上げた歴史の中に、今の文化のもとがあり、それが民俗学、伝承学として語り継がれているのだと思いました。
 小学校で歴史の勉強をしましたが、そのときは興味よりも暗記することに夢中で「なぜ、どうして」という気持ちを持って取り組んでいませんでした。今回、常光先生のお話をお聞きして、歴史に対する見方が変わり、興味がわいてきました。機会があったら国立歴史民俗博物館にも行ってみたいと思います。また、学校の怪談以外の先生の著書を読んでみたくなったのと同時に、日本昔話の本を探してみようと思いました。昔読んだときとは違う感覚で読むことができそうでわくわくします。
講演の様子







2組

 常光先生のお話に登場したのは、河童、百鬼夜行でした。河童はどこにでも現れる、妖怪の代表格です。私は、河童は昔から、こうらと皿を持っていて、水かきがあるのがおもしろいと思っていました。また、河童は川でおぼれ死んだ子供だという説があるそうです。私が関心を持ったのは百鬼夜行です。百鬼夜行は普通の人には見えないそうです。一般の人が百鬼夜行に見つかると、殺されたり、呪われたりするそうです。私は、百鬼夜行というのは空気感染する伝染病なのではないかと思いました。なぜかというと、それらのものは見えなくて、向こうから襲ってくるからです。しかし、誰も見えないのではなく、安部晴明など、陰陽師には見える人がいたそうです。
 また、「妖怪の見破り方」も調べてみました。お話に出てきた、「きつねの窓」「またのぞき」の他にも、お墓で拾った古い五円玉の穴をのぞくと幽霊が見えるそうです。
 私は妖怪の話が好きなので、妖怪を知っている方だと思います。昔の人々は「妖怪がいたのはどこなのか」まで考えていたようです。水木しげる氏の妖怪大百科に「かくれ里」というのまで出てきました。
 常光先生のお話を聴いていると、今にはない、昔の人々の想像力がうらやましくなります。私はタイムスリップして、江戸時代に行ってみたくもなりました。昔の人々はきっと、闇に一種の恐怖を抱いていたのでしょう。また、起こりえないことが起きたときの恐怖や、闇への本能的な恐怖を、妖怪という形あるものにしたのです。得体の知れないものよりは、形があった方が安心なので、そこに一種の安心を求めていたのだと思いました。



 常光先生は「江戸時代の人が河童から指がとれても治る薬の作り方を教えてもらった」とおっしゃっていましたが、それが本当なのであったら、河童はどうやって初めに作ったのか、また、河童の頭は人間より優れているのではないかと僕は思いました。
 常光先生は「河童は水の象徴である」とおっしゃっていました。また、先生は「江戸時代は火事が起きたら河童が火を消してくれた」とおっしゃっていました。他にも「田んぼの水が無くなったとき、河童が現れて水を入れてくれた」とおっしゃっていました。しかし、先生は「河童は人間を川や沼に引きずり込んだり、人間のしりこだまというものを抜いたりする」ともおっしゃっていました。河童は本当は良い生き物なのか、または悪い生き物なのか、人を助けることもあるし、人を襲うこともあるので、一体どちらなのかと考えました。そして、僕が思ったことは、河童は人として良い事をしている人は助け、人として間違った事をしている人を襲うのではないかということです。
 江戸時代に描かれた河童の絵は、描かれた場所も描いた人も違うのに、基本的に同じような特徴を持っています。だから、昔の人は本当に河童を見たのではないかと僕は思いました。また常光先生は「江戸時代の人は妖怪をすごく恐れていた」とおっしゃっていました 。また「シーボルトが日本の代表的な妖怪である河童について研究していた」ということを知り、大変驚きました。  
講演の様子







3組

 私はこの講演会を聞いて、常光先生のなさっている民俗学の研究はすごく面白いなと感じました。講演会が始まる前は妖怪の研究とはどんなことをするのか不思議でした。常光先生のプロフィールの中で、民俗学という言葉が出てきたので、後で調べてみました。民俗学とは社会の生活様式や伝統文化を研究する学問だと分かりました。それによって昔の人と今の人との生活の違いが分かるのだと思いました。
 また先生の話で百鬼夜行のお話がありました、その妖怪達は古くなって使われなくなった道具からできていて、物を大切にしようということが分かりました。私も鉛筆などが短くなってもすぐに捨てずに、長持ちする方法を考え、物を大切にしていきたいと思います。
 次に河童の話では、写真が出てきました。江戸時代に書かれた河童の絵と現在のキャラクターなどに使われている河童の絵は全然違うなと思いました。また、河童の話を聞いて私は今まで、妖怪は悪いとばかり思っていましたが、河童のように人を助けることもあるんだなと思いました。例えば火事になったとき、河童が水を出して火を消したという言い伝えがあると常光先生がおっしゃっていました。このように、妖怪は悪いものだけではないと分かりました。
 常光先生のお話を聞いて、妖怪などの日本の昔から伝わってきていることは、これからも大切にしていくことが大事だと思いました。



 僕はこの常光徹先生の講演を聴いて,まず「妖怪」というキーワードを元に先生はとても重点置いて話されており,「妖怪」の中でも百鬼夜行や河童などのお話をされていました。なのでとても面白く,すぐに理解でき,とても色々なことを学びました。
 僕が何をこの講演から学んだかというと,一つは歴史とともに伝わっているものは,語り継がれていく内に変化していくということです。これがよく分かるのは先生が見せてくださった江戸時代の河童の絵と 、現在牛久市で使われているキャラクターのきゅうちゃんのイラストとの比較です。この二つを比較すると,江戸時代に描かれた方は人間にかなり近く,少し怖く感じました。一方,現在の方も人間に近いようには見えますが,あまり怖くは感じません。だから僕は伝説や伝承はその時代に合わせて変化していくものだと感じました。しかし,逆に言えば,その時代の資料があれば,その時代がどの様な風潮だったのかや,どの様な考えを持っていたかを知る重要な手がかりになります。なので僕は比較するだけでなく,その比較から分かることが一番重要なのだと思います。
 僕はこの講演を聴いて,将来の夢の第二希望である考古学者になりたいという夢が強くなってきました。なので僕はこの中高6年間を利用して,地道に物事を考えることができ,一つのことから色々な発見を見いだせるような能力を つけていきたいと思います。そのために,今日講演をしてくださった常光先生が副館長を務めておられる国立歴史民族博物館にも足を運びたいと思います。  
講演の様子







4組

 私は、怪談話や妖怪の話が好きです。水木しげるさんの「ゲゲゲの鬼太郎」の漫画も読んだことがありますし、「学校の怪談」も見ていました。今回、常光先生の講話をお聴きして、改めて妖怪とは何なのかについて、さらに詳しく知ることができました。「妖怪」と聞くと、私が思い浮かべるのは座敷童です。河童が妖怪だとは思い至りませんでした。今回、常光先生のお話をうかがって、改めて「妖怪」とは何なのかを知ることができました。また、「妖怪」と「幽霊」の違いについても教えていただきました。私は今まで、妖怪・幽霊・お化け、という言葉は知っていても、 その違いなど全く知りませんでしたので、とても興味深く感じました。
 私は、河童というのは、緑色で頭にお皿のようなものをのせていて、人間達を川へ引きずり込む恐ろしい妖怪だと思っていました。でも、常光先生の講話をお聴きして、河童への恐怖心が薄れました。また、自分の指を人間から返してもらう代わりに不老不死の薬の作り方を教えてくれるなんて、なかなか優しいし、なんだか妖怪らしくないという気もしました。人間が考えた河童の姿を色々と見せていただき、江戸時代の河童の姿など、全体が茶色で、おなかの辺りに丸い模様が二つあり、あまり河童には見えませんでした。テレビやイラストで見る河童は二足歩行をしているのに、四足歩行で大きな口を開けているなど、なんだか気味悪くも感じました。
 今回のお話で、私は妖怪や幽霊について、今まで以上に詳しく知ることができました。また、さらに詳しく知りたいとも思うようになりました。



 僕は、常光徹先生のお話をお聴きするまでは、「民俗学」という学問を知りませんでした。また、「学校の怪談」については、学校の図書館や書店でよく読んでいましたが、今まで一度も著者紹介に目を通したことがなく、常光先生も知りませんでした。だから、今回のお話をお聴きして、「『学校の怪談』の著者はこんなに凄い人だったんだ」とびっくりしました。
 常光先生のお話をお聴きして、一番心に残ったのは、「妖怪と幽霊の違い」についての話です。ぼくは日常生活の中でそんなことを考えたことがなかったので、「あっ、そういえば確かにそうだなあ」と思って感心しました。
 僕は、妖怪についての本を読んだ時に、出没地については流し読みにしていたのですが、今日の常光先生のお話をお聴きして、出没地に行って妖怪の姿を見てきたい、と思うようになりました。
 さて、日本の妖怪の中で、河童は主力的な存在ですが、今回のお話では、河童についてのお話もお聴きしました。
 僕は、妖怪や幽霊に対して、興味はあっても信じない方でした。しかし、今回のお話をうかがって、「河童の信仰がそんなに古くから続いているのなら、やはり河童は本当にいるのかもしれない。」という気もして、ワクワクしてきました。僕にとって河童のイメージは、キューちゃんのようなかわいいタイプのものでしたが、今回常光先生が見せて下さったような、仰々しい河童が人々の間で想像されていたとすると、「実際に河童を見たという人は少ないのではないか。」とも思いました。
 今回常光先生のお話をお聴きして、妖怪などに興味がわきました。機会があれば民俗学について学んでみたいし、歴博にも是非行ってみたいと思います。
講演の様子







5組

 私は常光先生の講話をお聞きして、とても深く考えさせられたことがあります。常光先生の話の内容は、化け物、怪物についてでした。この講話をただの面白い話ととらえてしまえばそれまでですが話の内容を少し深く掘り下げて考えることもできるのではないかと私は思いました。
 それは勉強する意義についてです。先生の講話では歴史や伝統という部化け物や怪物に強い興味を持ち、何時代には化け物や怪物はどのような扱いだったのか、、またこの化け物の絵は何時代に何という画家が描いたものなのかなど、歴史や伝統という分野を深く研究し、興味のある方向へ、テーマを発展させていきました。プロフィールにも書いてあるように研究者として忘れてはならない当たり前の日常に目を凝らし、テーマを取り上げていく姿勢を忘れなかったからこそ、常光先生は優秀な教授として有名になれたのだと私は思います。
 私は、以上のことから、勉強は試験のためにやるのではなく、常光先生のように「自分はこの分野が好きだから勉強する」というように勉強を好きになり自分のためにやるのだということが分かりました。また仕事に就くというのもそうやって積み重ねた努力の結晶だと思いました。私も常光先生のように真剣に取り組めることを見つけたいと思います。



 常光先生が「伝承」についての講話をして下さると知って、僕は少し考えました。伝承にも、とても多くの事柄があります。だから、常光先生が何を話してくださるのか予想がつきませんでした。しかし、そういった不明なところに対する気持ちは期待感に変わっていきました。
 さて、そんなことを考えているうちに講話が始まりました。常光先生は最初に妖怪やお化けについて話して下さいました。それら二つの違いなどを話して下さった時にはとても感心しました。今までは、違うものだとわかっていたものの、具体的な違いはよく知らなかったからです。
 これに関連して、先生は河童について話して下さいました。そこで先生はスクリーンを使って、いろいろな人が考えたいろいろな河童を見せて下さいました。そこには、緑色で頭に皿があり、指の間に水かきがあるようなよくある姿の河童や、頭部が大きくて桃色をしている姿の河童や、四足歩行で鱗のある河童など、様々なものがありました。これは昔の人々と今の人々の考え方の違いが関わっていると思いました。しかし、そんなに多くの河童のイメージの中で、残っていて有名なものは、最初に挙げた姿の河童でしょう。まだ河童の例しか書いていませんが、このようなことから、たくさんのイメージが生み出されても、ずっと先の時代まで残っているイメージはそれほど多くはないと考えられます。
 僕もできれば先の時代まで残るような大きなことをしてみたいと思います。しかし、先ほどの河童の例を考えると、大きなことをしたとしても果たしてそれが後々にも伝わってくれるかということを考えてしまいます。けれども、後々に伝承するか以前に、その「大きなこと」をしてみなければそんなことは全くわかりません。だから、「大きなこと」をすることから逆算して、今、目の前にある過程をしっかりとこなしていくよう努力したいと思います。  
講演の様子





6組

 常光徹先生は、昔都内の中学校の教員の経験があり、現在は国立歴史民俗博物館の教授、総合研究大学文化科学研究科教授、前国立歴史民俗博物館長博士と妖怪の話に詳しい先生です。さらに中学校の教員の経験があるので、河童のお話もなんだかわかりやすかったです。常光徹先生は妖怪と幽霊の違いを、妖怪は夕方に出て一定の場所でしか現れないのに対して、幽霊は夜2時から二時半の間に出てきて妖怪とは違い、一定の場所に行かなくても近づいてきて来て出てくるそうです。
 河童の話になったときに、僕はこれまで信じていなかったのですが、江戸時代に発見された河童や今の河童の絵が描かれた画像を見て、昔の河童と今の河童は頭に皿がのっていて、背中に甲羅があるということや水かきがついているということが同じであったので何となく河童を信じてきました。僕が信じていなかったときに架空の存在だと思っていた河童は、頭に皿がのっていて甲羅を背負い 水かきがついていたことは前と同じなのですが、違うことは緑色だということです。昔の江戸時代のころの書物には青い河童や亀のような体勢の河童がいたので驚きました。しかし、常光先生の話を聞き、出来る限り妖怪が出るといわれている所には近づかないようにしたいと思いました。常光先生ありがとうございました。



 5月22日の5時限目、常光徹先生のお話を聞きました。妖怪好きの先生と聞いていたので、どんなお話をするのかを楽しみに待っていました。
 僕が一番心に残った物は幽霊と妖怪の違いと河童の話です。幽霊は、死者がこの世に現したもので、妖怪は、人知では解明できない異様な物体という意味でした。このくらい、誰だって区別できると僕は思っていましたが、先生は、「追いかけてくるかこないか」の区別を言っていました。確かに、現実でも夢でも幽霊は追いかけてきますが、妖怪はある程度までしか追いかけて来ませんでした。僕は先生の言葉に気づかされました。
 河童の話では、江戸時代から河童の絵が描かれていることに驚きました。現代ではアニメやキャラクターとして河童が出ていますが、江戸時代の河童の絵はとてもこわかったのが、一番印象に残りました。僕も歴史民俗博物館にいったことがあるのですが、それでも河童の絵はこわかったです。
 今回の妖怪のお話は面白かったです。機会があったら「歴史民俗博物館」に行ってみたいです。    
講演の様子








7組

 5月22日に、国立歴史民族博物館前副館長の常光徹先生の講演会がありました。常光先生は民俗学の専門家であり、「学校の怪談シリーズ」など子ども向けの本も執筆している素晴らしい先生です。
 常光先生には妖怪、特に河童の話を詳しく説明して頂きました。私達が今まで知らなかった話ばかりでとても面白く、聞き入ってしまいました。河童には人を水の中に引きずり込み、しりこ玉を取るという悪い言い伝えと、干害の時は人間に水をもたらしてくれたり、火災の時は人に協力してくれたりする良い言い伝えの両方あることを知りました。日本人にとって河童は水の象徴であるということが良く理解できました。水の持っている怖さと、恵みを河童によって表していることが分かりました。呼び方も地域により違ったり、江戸時代には利根川にはねねこという河童が住んでいるという言い伝えがあったりと初めて知ることばかりでした。
 妖怪の研究なんて何だか変だと思いましたが、この講演会を機会に私達の生活を見直そうと思いました。水を大切に使おうと思いました。手を洗うときやお風呂でも水を大切に使おうと思いました。世界には汚れた水を利用している人もいます。きれいで安全な飲み水に恵まれていることを幸せに思いました。



 今回常光徹先生の民俗学についてお話を聞きました。面白い話や参考になる話がたくさんありました。お年玉を何故もらうのか、雑煮を何故食べるのかについて考えるのが民俗学だと聞いて、とても民俗学に興味を持つようになりました。
 妖怪と河童の話はとても面白かったです。河童は日本中で様々な呼び名があり、河郎、河伯、河太郎、かわっぱ、などたくさんの呼び名があることに驚きました。昔の人々は河童に対してとても興味を持っておりたくさんの絵を残しています。不思議な姿をしたものも残されています。江戸時代の医師であるシーボルトも河童に興味を持っていたとのことでした。河童には色々な言い伝えがあります。子どもを水路に落とすという悪い言い伝えもあれば、火事の時には消してくれるのを手伝ってくれたという良い言い伝えもあります。河童は水の象徴であり、河童を研究することは人間と自然との関係を研究することであることが分かりました。
 妖怪を見る方法も紹介されましたが、自分でも調べてみようと思います。機会があれば歴史民族博物館に足を運びたいと思います。    
講演の様子






8組

 国立歴史民俗博物館に勤めていらっしゃる常光徹先生は、妖怪の事を研究していらっしゃいまして、5月22日に僕達に妖怪の事を教えてくださいました。僕が一番驚いたお話は、昔は妖怪の存在を大人も子供も恐れていて、夜に出ると妖怪が出てきて それに出会うと死んでしまう、病気にかかってしまうなどの説があったという事です。今は、その事を信じている人もいれば、全く信じていない人もいるので、今と昔では妖怪のイメージが変わっていることが分りました。しかし、昔は妖怪を恐れていたのですが、妖怪に助けられたことや、害を与えられなかったなどという人がいるというお話をされていたので、なぜ妖怪も人に対して悪いのもいれば良いものもいるのだろうと不思議に思いました。
 妖怪の具体的なものとして河童の話もされていました。河童も昔と今では外見が違い、昔は人間に似た、いかにも妖怪らしい怖い絵がたくさん描かれていましたが、今は子供も喜ぶようにかわいらしくデザインされているので、河童という妖怪は僕には全く怖くなく、川 を泳いでいるだけと思っていました。
 この講演会のお話をお聞きして、昔と今の妖怪のイメージの違いや、妖怪の実態が分かりました。これからは妖怪のことを頭に入れておいて、夜には妖怪と会わないように、妖怪に会っても、良い妖怪だったら、楽しむようにしたいと思いました。


 今回、常光先生のお話を拝聴させていただき誠に光栄です。妖怪について話していただき、妖怪についてたくさんの知識を得ることができました。
 まず、幽霊と妖怪の違いについての説明でした。僕も昔からそのようなことが気になっていました。結論は、人を選ぶか選ばないかという違い、出る時間帯の違いでした。そう言われてみるとそうかもしれないと思いました。僕は幽霊と妖怪の違いは人の意思があるかないかの違いだと思います。幽霊は人が亡くなってもこの世にとどまってしまった怨念だと思います。妖怪は人間の怨念なのではなく、何もしないで出現する、要は自然現象だと思います。
 その次に河童についての説明がありました。ヨーロッパで発見されたことがあるということくらいしか知らなかったのですが、江戸時代からいたと聞いて驚きました。でも、一番驚いたのは、その河童が今と昔で姿が一緒だということでした。頭に皿を乗せ、背中には甲羅、手の指の間にある水かき。今でも河童を想像させられます。
 妖怪というものについてあまり考えたことが無かったので、今回のお話でたくさんのことを知ることができました。たとえば河童は今まで人を川に引きずり込むキュウリが好きな妖怪としか思いませんでしたが、人間を助けたり、人間の役に立つようなことをしている象徴だと学びました。今まで妖怪はいないと信じていましたが、今回の講演で興味を持ち、少し信じることができたような気がします。分かりやすい写真を使って説明をしてくださり、楽しかったです。今回常光先生の講演会に出席し、講演を拝聴できたことに感謝します。  
講演の様子