藤原正彦先生講演会

1組


 今回の講演会で藤原先生は特に今の日本人には情緒力が必要だとおっしゃっていました。藤原先生もおっしゃっていたように現代の日本では情緒力よりも論理的思考力といったものを重視している傾向があります。実際の所、僕もどちらかと言えば論理的に物事に当たろうと思っているところがありますし、ほとんどの場合はそれで解決してしまうことの方が多く、論理的思考というのは自分にとって非常に便利な道具となっています。しかし、講演でも藤原先生がおっしゃっていたように、生活する中で論理的思考だけでは対処できない場面がいろいろと出てくると思います。例えばクラス内で友達と接するとき、論理的思考だけでは必ず足りなくなっていきます。友達と接する上では思いやりや優しさ、相手の考えを理解しようと思う気持ちや相手に自分の思いを伝えようという気持といった情緒力につながるようなものが必要で、それがなければいかに論理的思考力が優れていてもまともな人間関係をつくることはできません。だからこそ情緒力は必要なのだと思います。
 では、どうすれば情緒力を持つことができるのかというと、先生がおっしゃるには日本人が昔から持っているような自然等に対する感性を持つようにすることで情緒を理解できるということでした。今、自分は周りにある自然にそういう風に目を向けて生活してはいないと思います。これからはできるかぎり自分の周りの自然等に目を向けて、その良さがわかるようにしていき、いずれは日本人にふさわしいと言えるような情緒を持ち、人とより良く接したり論理的思考と情緒力がどちらも生かせるようにしていきたいです。そのような人がより発展的な考えに到達できる人なのだと思います。

 私は、この1回きりの講話により、自分の中にある何かが死に、何かが生まれた、そのような気がしてなりません。講演会にお越しくださった藤原正彦先生。先生はもちろん偉大な数学者でありますが、それだけではありません。先生には数学に対する美的感受性の他にも、情緒溢れんばかりの人間性を兼ね備えておられます。そういった素敵な方に、心に届くような講話をして頂き、人として充実した生き方を知ることができ、大変貴重な経験となりました。
 講話を通じて深く心に実感したことは「人生を前向きに生きること」です。一見、これは当たり前のことでは、と見る人もいるとは思いますが、私は当たり前とは思いません。なぜなら、「人生を前向きに生きること」は決して楽にできることではないからです。そんなに楽観的に、一言で「前向き」なんて言えるほど、現実は甘くありません。例えば、コインには表もあれば、裏もある。そんな「表裏一体」な関係があるのと同じくして「前向き」は「後ろ向き」があります。それは「挫折」です。「挫折」は誰にでもあるし、人生には絶対に付いてくるものです。しかし、かといってこのまま「挫折」につきまとわれ、何もせずに一生を終えるのかというと、そうではありません。人生をより良く生きるためには、その避けられないものをどうにかせねばならない。それが私たちの課題です。そこに必要なのが「努力」です。「努力」は乗り越えるための唯一無二の手段だと思います。「努力」は裏切らないと言います。私は、その言葉が本当にもっともであると、改めて今回、実感することができました。

2組


 今回、藤原正彦先生の講演を聞き大変心に残った点がいくつかあります。
 一つ目は、「情緒」という言葉です。辞書で「情緒」という言葉を調べてみると折にふれて起こるさまざまの感情。情思。また、そのような感情を誘い起こす気分・雰囲気などと書かれてありました。講演中藤原先生は何度も繰り返して「情緒」という言葉を使われていました。「情緒」をはぐくむことが大切だと何度もおっしゃっていて、文部科学省などの教育方針を批判する姿はとても印象的であり、また自分なりの根拠をはっきりと提示して批判していたのでなるほどと感心しました。またその批判の仕方もいろいろな具体例をあげて自分たちでも分かるレベルでお話をしていただいたので、とても楽しく講演を聞くことができました。その具体例で一番覚えているのは天才数学少女のお話でした。その話の中でその少女が十代のうちに博士論文を書いていたと聞いたときとても驚きました。やはり世界にはこういうひともいるのだな、天才はやはりいいな、と思ってしまいました。しかし先生の話を聞いているとその少女はかわいそうだなと思いました。なぜなら幼い時から数学ばかり教えられて成長過程にたくさんある楽しみ、喜びというものを知らずに生きてきたのだなと思ったからです。先生はその少女は成長過程で情緒力が養われなかったのだとおっしゃっていました。自分もそう思うし人間というものは天才といえども凡人といえども持って生まれる才能は同じようなものなのではないかと思います。天才といわれる人はみんな「あいつは勉強しなくてもできる」とか言われますが、絶対どこかで自分を含め凡人とは違う何かをしてきたのではないのかなと思います。たとえば、幼少期に何気なく本を読んでいたとか昆虫が好きで図鑑を読みふけっていたとかいろいろあると思いますが、自分はこれが先生の言う「情緒」というものではないのかなと思います。やはり幼いときにこのような「情緒」や教養の差があるのでこの差を埋めるのは大変だと思います。しかし、勉強以外にも大切なことはたくさんあります。先生は「知識」が一番大事と言っていましたが、自分は「健康」や「思いやり」も絶対なくてはならないものだと思います。
 二つ目は「野心」という言葉です。これはこれから迎える受験においてとても重要な言葉だなと思いました。話を聞いていてやはり「野心」があるのとないのとではぜんぜん違ってくるなと思いました。自分は絶対東大合格ということを野心にするのではなく、手段として世の中に良い方向で自分の名を残して死ぬということを野心として生きていきたいと思います。自分の貢献できる分野は何か分かりませんがどんどん危うい方向へ進んでいる日本によい方向に貢献できればと思います。政治は政治家任せなどといった、ある分野はその分野の専門家に任せるといったことでは絶対日本を立て直せないと思います。自分は皆がちゃんとこれからの未来を見つめていくことが大切だと思います。

 今回講演をお聞きして、「数学は論理だけでは解けない」というお言葉が印象に残りました。物事を考えるときには常にその前提となるような枠組みが存在すると思います。私が藤原先生の講演をお聞きしてうれしかったことは、この枠組みを「仮定」であるとおっしゃったことです。論理の出発点となる枠組みはどんな人にも受け入れられるような絶対的なものではなく無数に存在しうるものなのだ、と思いました。それでは、その中で一体どれがほんとうに正しいと言えるのだろうと考えるとき、今度もまた新しい枠組みの中で考えざるを得ないのだと思います。同様にして、ある考えの枠組みそのものの正しさをなぜ、どうしてと永遠に問うことができてしまうという点が問題です。こう考えると、結局は自分が信じるべき枠組み、すなわち基本的な価値観や基準といったものは論理的思考だけでは見つけられないということになります。しかし、実際には皆それぞれ自分の価値観を持っていて、それを前提にして物事を考え日常生活を送っています。なぜそうなのかといえばその人がなぜだかそのようにあるのだとしか言いようがないと思うのですが、そういった枠組みがその人の経験や育った環境に大きく影響されるということは感覚的に何となくわかります。枠組みそのものが論理的思考では作り出せないと考えるのならば、それを生み出すのは一種のひらめき、勘、直観ではないかと思います。このひらめきが先生のおっしゃっていた情緒力であり経験的に育んでいけるものなのではないでしょうか。まさしくなぜだかわからないけれども野に咲く一輪のすみれに価値を感じる、同様に数学の問題に取り組んでいるときにふとあることに疑問を感じどうしてかそれが自分にとってとても価値のある輝いたものに感じられてしまう、これが枠組みという垣根を越え新しい枠組みを発見するという論理的思考だけではなしえない仕事をするのだと思います。
 ある前提から正しい答えを導き出すための論理的思考力だけではなく、その前提そのものに目を向け、それを壊したり作ったりしながらよりよい答えを絶えず模索し続けていくことが大切なのだと思いました。

3組


 今回、数学者の藤原正彦先生の講演をお聞きしました。藤原先生のお話しになった内容は、全体的に変わった主張が多かった印象でしたが、その主張の1つ1つを例を挙げたりしながら筋の通った説明をしてくださったのでとてもわかりやすく、共感できる部分も多くありました。特に情緒力については考えさせられる話題でした。情緒力の話を聞いたとき、自分に情緒力があるかどうか気になりましたが、あるかどうかはよくわかりませんでした。ですが、あった方が良いものであることは確かなのでこれからの人生においても遊ぶことを決して忘れず、情緒力を養っていきたいと思います。
 また、野心がないと偉業は成し遂げられない、というお話がありましたが、野心や向上心については考えたこともなかったので、これも僕にとっては興味深い内容でした。僕は自分が楽しめることを好きなだけやって、嫌いなことは極力やらなければ、結果は後から付いてくるものだと考えていました。実際、昔やりこんだゲームやスポーツは、やればやるほど上手になっていくことを実感できて、勉強面でも好きな科目ばかりやっていたため、前よりも問題をスムーズに解けるようになったと実感しています。ですが、今までやったゲームやスポーツは野心を持ってやったことなどありませんでした。野心を持った方が大きな事を成し遂げられると思い、また大きな事を成し遂げることはやりがいがあって面白いことだとも思うので、これからは野心を持って行動していきたいと思います。
 また楽観的に生きることの重要性についても教わりました。自分は少し悲観的なところがあるので少しずつ変えていきたいと思います。

 藤原先生の講演を聴いて、現代社会に向けての強いメッセージを感じました。
 日本が経済大国となる以前は、国家全体が産業化・工業化に対して執念を燃やし、急速に西洋の考えが広まりました。その結果、対象を客観的視点に眺め論理的な解決法に導くという考えが根付くようになりました。先生は物事を論理的に考え、正しく導くことも大事であるが、何よりもそのスタート地点が大事であるとおっしゃっていました。最近の日本社会はそのスタート地点を間違えている、先生はそのような主張をされていました。
 先生は講演で「情緒」という言葉をくり返しおっしゃっていました。スタート地点を間違えてしまうのも「情緒」によるとらえ方をしないからだ、と聞いて、心底なるほど、と感銘を受けました。「情緒」という考えの大切さを心から知ることができたことは今後の自分へのいい影響となりました。
 先生は「人は誰しもが挫折する。そのようなときこそ楽観的に考え、褒められたことを思い返すようにしてほしい」とおっしゃっていました。この言葉は受験期を正に今過ごしている僕にとって、とても勇気づけられるものでした。僕はこれから受験本番が近づくにつれてたくさんの悩みや挫折に直面することを恐れていました。そんな考えをめぐらせていた中で、先生の講演は不安や悩みへの対処までも教えてもらえたような気がしました。
 今回の講演を通して、本当にたくさんのことを得られたと思います。僕も数学を解く際に、この解法は何と美しいか、と言えるようになってみたいです。数学以外の教科にも美的感受性を持った視点で見られるようになってみたいです。そうすれば絶対に勉強が楽しくなるはずです。今回の講演はそんな風に思わせてくれるようなとても楽しい講演でした。多忙な中、わざわざお越しくださった藤原先生に、とても感謝しています。

4組


 私は理系の人間なので、今回の藤原先生のお話はとても自分のためになりました。将来私も何かの研究に携わるかもしれません。そんなときは楽観的に取り組んでいくことが大切だとわかりました。研究のときだけに限らず、勉強をするときも同じだと思います。悲観的に考えながら勉強をしていても志望校には受かりません。楽観的に考えていけば、自分を信じて頑張ることができます。実際に部活の試合で、負けたらどうしようと思いながらやっていた試合はだいたい負けています。それに比べて、絶対勝つという強い気持ちを持ってやった試合はだいたい勝っています。気持次第で結果が大きく変わってしまいます。しかし、自分がとても強気で挑んだ試合でも負けることはありました。一生懸命練習したのに結果が出ないと、とても落ち込みます。中学時代、最後の市大会で優勝候補に上がった私は弱気になってしまい、すぐに負けてしまいました。これは自分の中で一番大きな挫折です。直後は大泣きをし、数日間立ち直ることができませんでした。しかし落ち込むことに疲れた私は立ち直り、県南大会に向けて再び練習を始めました。そして県南大会では3位になることができました。今では、挫折して良かったと思います。そしてどん底から這い上がる心があって、良かったと思います。今思えば、楽観的に考えていたから這い上がることができたのだと思います。
 楽観的に物事を考えることが、どんなに大切なことかを改めて実感することができました。受験勉強においても悲観的に考えるのではなく、楽観的に考え、自分を信じながらやっていきたいと思いました。藤原先生のお話はいろいろ考えさせてくれるお話でした。聞くことができてよかったです。

 21世紀に必要な能力には、論理的に考える能力、知識、情緒さどがありますが、その中で論理的に考える能力については世間一般にも言われていることであると思います。また知識については藤原先生のおっしゃったとおり、現代の日本において、その重要性にもかかわらず軽視されていると思います。数学で解法が思いつくのも、以前に類題を解いていたという経験があるからだと思います。
 知識が情緒がなければスタート地点を間違えてしまうと藤原先生はおっしゃっていましたが、本当にその通りだと思うし、これから大学へ進学して、社会に出て行くと行った過程に自分が気をつけなければいけないと思います。たとえ論理的な考えをする能力に優れていても、感覚などが磨かれていなければ間違った道を歩むだけになってしまいます。大学受験や社会に出ると行ったことは、道を選ぶということなのだと思います。だから感覚を養っていくことが大切だと思いました。
 藤原先生が、ある数学の定理の美しさに感動して泣いたという数学者のお話をされたときに、自分との大きな違いがわかりました。自分が数学の定理の美しさに感動して、さらに泣いてしまうことなど想像することすらできません。
 このような感性、情緒を磨くには、日常の全く無駄だと思われているときを大切にすることだと思います。だから何事においても一生懸命にやろうとすることが大切だと思いました。
 野心、すなわち身分不相応な望みを持つことが大切で、これを持つことが何かを成し遂げるために必要なことなのだと思います。
 僕は理系なので今回の講演はとても貴重なものとなりました。そして理系の中で上手くいくには普通でない努力をすることが必要なのだと痛感しました。

5組


 藤原正彦先生のお話は、これからの自分の将来に希望を持つことができました。
 先生の「挫折を恐れるな」という言葉に、果たして自分はどうかと考えて見ると、やはり様々な面で恐れていると思います。どのような分野においても、天才と呼ばれる人々は大勢います。そのような人々に、私が到底たどり着けないと言うことは当たり前のことです。それでも天才と呼ばれる人々に勝つためには、ものすごい努力が必要なのです。これから大学受験を迎える私も、「今ここで負けてどうする。挫折を恐れるな」という気持になれました。
 将来、価値のある仕事をするために、まず何事にも大きな飛躍を望んで、新しいことに大胆に取り組もうとする気持を持ち続けようと思いました。新しいことにチャレンジして成功した、という企業はたくさんあります。何事にも挑戦するということは、仕事以外の面でも大切なことです。挫折を恐れている私には、よいきっかけとなると思います。次に、執着心を持つことを心がけたいです。今の受験勉強にも言えることですが、努力をすることで、自然と結果が出ます。自分はこの仕事に就くという強い執着心があれば、きっとその人は自分のやりたい仕事ができ、その後も努力をすると思います。私には看護師になりたいという夢があります。幼い頃の姉の事故をきっかけに、幼い頃からの私の夢です。その夢を叶えるためには、今のままではいけません。将来、看護師になったときに、これだけどりょくをしたのだから、夢が叶って当たり前だと言えるような人間になりたいです。そして、楽観的に考えてみるということも忘れずにいようと思いました。今の私は、全てのことに関して、考えすぎている気がします。少し気持を楽にして、物事を楽観的に考えて見ようと思いました。「野心を持つ」「執着心を持つ」「楽観的に考える」という3つを考えていこうと思いました。
 藤原先生のお話は、一つ一つがためになるお話でした。自分も先生のように人に尊敬される人になりたいです。

 藤原正彦先生の講話をお聴きして、僕が最も深く感銘を受けて記憶に残った言葉がいくつかあります。その中でも特に強い印象を受けた二つの言葉について今回は書きたいと思います。先ず一つ目は「楽観的であれ」と言う言葉です。一般的に楽観的というと「君の考えは楽観的すぎる」のようにあまり良い意味では用いられることがない言葉だと思っています。それだけに藤原先生が「楽観的であれ」と仰った時に僕は少し困惑し、その言葉の意味について疑問に思いました。藤原先生は続けて「罵倒や叱責された言葉は全て忘れていいから褒め言葉だけは覚えておきましょう。自分がつらいとき、苦しいときに褒め言葉を思い出して元気を取り戻し、もう一度頑張れれば良い」と仰いました。その言葉を聞いて僕はなるほどと思い、また、これから先を生きていく上でとても良いアドバイスをお聴きすることが出来たと思いました。二つ目は藤原先生が今回の講話で最も熱弁を奮われていた「情緒力を鍛えろ」という言葉です。情緒について広辞苑で調べてみたところ、「折りに触れて起こる様々な感情」とありました。つまり情緒力とは努力することによって身につけることが出来るものではありません。藤原先生も仰っていたとおり、誰もが経験するような喧嘩や恋愛などの何でも無いような日常の中で自然と身についていくものだと思いました。しかし、だからこそ情緒力はその人の本質を表してしまうものだと思います。これからは情緒力を鍛えるチャンスを見逃さないように気をつけていきたいと自覚するようになりました。今回の講話はとても得るものが多く、非常に充実しているものでした。藤原先生には機会があれば是非もう一度講演に来ていただきたいと思います。

6組


 今回の講演をお聞きして感じたことは、藤原先生が「合理的でないもの」の中に、大きな価値を見出されているということです。論理的思考ももちろん必要だけれども、それ以前に、一見役に立ちそうもない「教養」や「美的感受性」といったものがなければ正しい方向に踏み出すことができない――先生のおっしゃったことをまとめると、こうなるでしょう。先生は、現在の日本の教育の方向性を、知識を疎かにし、合理的・論理的思考を追求するものだとして批判なさいました。教育関係の職に就きたいと思っている私にとって、この考え方は大変興味深いものでした。「学力低下」と言われる中で、どうしたら学校教育は良くなるのか、という問題は、至る所で議論されていることですし、私もよく考えるテーマです。そして議論する人の多くが「ここをこういう風にすればもっと合理的になる」という論調で自説を展開します。わたしも「どうしたら無駄を省けるか」ということしか考えていませんでした。今回、先生は幼い頃から数学付けにされていた若き天才数学者が、その後伸びなかったという話から「スキップしすぎてはならない」とおっしゃいました。ゴールだけ見て近道ばかり探してはならないということです。論理的思考力を早い内から教えるのではなく、古来より教えられてきた「国語」や「数学」と言った「教養」に結びつくようなことを教え込むことの重要性に、私は今回気づかされました。そして(欧米流の)新しい方法ばかりでなく、日本古来のやり方に目を向けることの意味を認識することができました。先生は日本人には他の民族にはない素晴らしい「情緒力」が昔から備わっていて、それが文学や芸術、そして数学等の方面に発揮されてきた、とおっしゃいました。我々はつい欧米人と比較をして劣等感を抱きがちです。しかし今回「日本人としての誇り」が、私の中で少し、大きくなった気がしました。

 今回の講演会で拝聴した藤原先生のお話は、今受験生である僕にとって、将来に向けて問いを投げかけてくれるものでした。その問いとは、「受験は大切だけど、大切なのはそれだけ?」というものです。
 藤原先生のお話の中では、人生において大切になるものが沢山取り上げられていました。僕はそのうち、二つのことについて言及します。
 ひとつは情緒力です。数学の新しい定理にしろ、今までに無い工業製品にしろ、何かを創造するには出発点が必要です。出発点が何かによってその結果が決定します。そしてその出発点というのは何も無い、無の状態から見出さなければなりませんが、そのための力となるのが情緒力です。特に日本には「見出す」力を強く感じさせる文化が沢山あります。虫の声やお茶の飲み方、花の生け方に美しさを見出し、それぞれの文化を創造してきた日本人の情緒力は、他の多くのことを創造する上で重要となるものです。日本に古くから根付くこの力を活用しない手はありません。
 もうひとつは多方面での知識です。たとえ専門職に就いていたとしても、それについての知識以外について無頓着な人間は必ずしもうまくいきません。特に集団を率いるリーダーが当てはまると思います。会社の企画チームを取りまとめるにも、その中で分担される役割についての知識がないとチームをうまく運用していくことはできません。例えば広告代理店で企画をリードするには、デザイナー・ライター・カメラマン、それぞれが最大限のパフォーマンスが出来るように指示あるいは調整をしなければなりません。「クライアントの依頼がこういうのだからこのレイアウトでこんな写真を使ってこういうキャッチコピーを打ち出してていこう」という風にです。しかし、こういった判断は彼らの仕事についてある程度の理解が出来なければ成し得ないことです。
 受験で自分の第一志望の大学に向けて必死に努力を重ねていく、という経験は人生で必ず役に立つと思います。しかし目先の受験勉強に向かって猪突猛進するのでは、社会で大きなことを成し遂げることは出来ません。前述した情緒力と多方面の知識を始め、他にも大切なことは沢山あるのです。僕たちの目の前にある受験とは、人生における重要な通過地点のひとつなのです。そのことを意識した上で将来に向けて精進していこうと思いました。

7組


 私が今回の講話の中で最も頷くことができたのは、藤原先生が日本語のことを「微妙」と表現なさったときでした。あるいは「美妙」とおっしゃったのかもしれませんが、私には「微妙」という表現がしっくりきます。日本語は非常に曖昧な言語だというのが私の認識です。先ほどの「微妙」と「美妙」のように、ぱっと聞いただけではどの言葉を示しているのか分からない、ということも多々あります。たとえ文字にしてみたとしても、そこから取れる意味は更に多岐に渡るでしょう。一見すると、それは短所に思えます。しかし藤原先生は、文学を最も高尚な学問とおっしゃったように、長所としてお話になりました。そのとき私は、共感と言ってはおこがましいですが、とにかく頷きました。というのも、私は普段からこの日本語の曖昧さについて考えることがあったからです。去年は総合学習のテーマとむりやり結びつけ、大ホールで手汗びっしょりになりながら発表しました。それでも、友人には「結局何が言いたいのかよく分からなかった」と言われる始末。そんな中で、藤原先生のような権威ある方が、まさに自分が考えていたことを話してくださったのです。もちろん、自分よりもはるかに分かりやすく。このような話に正しい、正しくないはないとは思いますが、私は今「やっぱり自分は間違ってなかった!」と強い味方を得た気持ちです。講話が終わって、友人と感想を言い合っているときは、心の中では何故か自分が得意顔です。それ程に、私にとっては嬉しいことだったのです。また今回の講話では、自分の考えを広げ、深めることもできました。情緒と論理の関係などは、私には全くなかった見方で、とても新鮮なものでした。今まで国語と論理的思考力はあまり関係ないことだと思っていたので、今度は素直に感心してしまいました。藤原先生は、多分私たちのために講話の内容を考えてきてくださったのだと思います。楽観的視点の話では来たる受験に向けての動機付けにもなりました。これらも含めた上で、今回の講話が私にとって特別なものであったことは言うまでもありません。

 藤原先生が数学者だとうかがって、私ははじめ、今回の講演会の内容は私のような文系の人には縁遠いものなのかと思っていました。しかし、藤原先生の講演は私たちがこれから先、社会に出て生活していく上で大切だと感じさせられるものばかりでした。数学を説くことで養われる論理的思考力や知識の必要性、特に強調して話されていたのは「情緒力」の大切さです。「情緒力」は普通の教育だけでは身につくものではなく、日常生活の中で一見たいしたことのない経験によって養われるもので、何をするにも必要になってくるそうです。これは日本人独特の感性であり、日本の文学や芸術にも見られるように合理的に言葉では説明できないようなこの美的感受性を私も大切にしていきたいと思いました。
 また、野心や執着心を持つこと、楽観的であることが価値のある仕事に就くためには重要だということもおっしゃっていました。これは今の私たちにも当てはまることだと思います。大学受験に向けて、高い目標を持つという野心を持ち、努力を続けていく執着心、そして悲観的に考えすぎず、楽観的に勉強に取り組んでいくこと。当然だと思ってもなかなかできることではありません。野心や執着心は持つことができても、楽観的になることは難しいことです。しかしこれから様々な挫折を経験する私たちにとって大切なことだと思います。
 今回の講演をお聞きして、日本人特有の感性である「情緒」という視点を初めて知り、大切にすべきものだと思いました。そして、今回気づかされたことを日々の生活に活かして情緒豊かな人間になりたいと思います。

8組


 藤原正彦先生は、数学者であるとお聞きしていたので、講演会には、とても興味を持っていました。また、私たちが普段やっている数学とは異なり、数量や空間に関して研究する奥深い学問を実際に研究している先生でしたので、どんな話をするのか楽しみにしていました。
 藤原正彦先生は、私たちに3つのことを教えてくださいました。それは「野心」「執着」「楽観」という3つのことです。野心とは野望、つまり身の程を超えた大きな望みです。誰しも野望というものを持っていると思いますが、それは必ずしも叶えられないことではありません。世界征服といったことは無理かもしれませんが、自分の野望を上げるとすると、社長になると言うことですが、それは努力次第で叶えられることです。また、それは2点目で挙げられた執着ということも必要になると思います。誰しも、嫌いなことを続けるのは難しくなりますが、好きなことは好きになればなるほど、強く心を引かれ、それにとらわれ、つまりは執着することで、大きな飛躍を望んで、それを叶えるために取り組もうとする野心が芽生えると思います。そして、この野心を実現するためには、楽観的になる必要があるのです。何事に対しても悲観の心をもってしまうと、実際には実現し得たことも上手くいかず、落胆してしまうと思います。だからこそ、楽観的に也、あまり物事を深刻に考えず、良い方に気楽に考えることによって、為し得ないことでも、一歩ずつ明るい未来に近づいていけると思います。
 この「野心」「執着」「楽観」という3つのことは、私たちの人生をより良い方へと導いてくれ、そして実現させたいという気持を持たせてくれるのだと、私は思います。

 今回の藤原先生の講演会での力強い熱意のこもったお話には非常に感銘を受けました。先生のお話は僕ら高校生のような立場から、国や社会という大きなものにまで訴えかけるものでした。また、僕のイメージの中の数学の先生というものとは違い、堅苦しいような話をユーモア溢れる話術で僕たちに非常にわかりやすく丁寧にお話しくださり、時間が経つとともに先生のお話にのめり込んでいきました。
 先生のお話の中に教養という言葉がありました。それは現代人には足りないものであるともおっしゃっていました。僕はこれに強く共感しました。例えば国会議員の失言であったり、また現在の中高生のマナー違反の問題であったり、そのようなことがらの原因には現代人の教養の低下があることは紛れもない事実です。しかし、それらを防ぐために何かしらの対策があるわけではありません。教養を向上させるための教科書もありません。現代人は普段の生活の中で教養を身につけなければならないのです。教養というのは常識ということでもあります。当たり前のことを当たり前にできることが現代では軽薄になっていて、それこそが今、最も大切なことなのかもしれません。
 僕らが今まさに学んでいるものは知識です。それを得るためには努力が必要です。また、わからないことをわかるまで努力する執着心が重要であるとおっしゃっていました。受験勉強をしていると非常によくわかります。このことこそが学習の根本であると思います。
 しかし、知識は教養という土台があってこそ意味をなすものです。現代人は基礎を疎かにしてしまった結果、社会が不安定な状態になってしまいました。基本の大切さを藤原先生の講演をお聞きして気づくことができました。

9組


 藤原先生の講演を聞いてから、論理的思考力について深く理解を深めていこうと思いました。なぜそう思ったのかと言うと、イギリスのルースローレンスの話を聞いて、とても驚き納得したところがあったからです。今まで僕は、英語、数学や国語といった科目を小さいころから一生懸命に勉強していれば、今どれだけ楽になるのだろうかと思っていました。でも、このような単純な考えは、完全にお門違いだったと、気づかされました。実際に、ルースローレンスさんは小さいころ父親から、この子は数学の天才だと、数学の勉強だけをされてきました。おかげで、11歳という若さでオックスフォード大学に入学しました。しかし、それからというもの、特に名前の挙がるようなこともなく、ほとんど無名の人になってしまいました。どうやらこれは、若いころに経験すべきであった事をたくさんスキップしてきてしまったのが原因だそうです。つまり、父親が娘の才能をもっと生かそうと思ってやった事が、結局は駄目にしてしまったという事です。なるほどと、思いました。勉強は、早くやればやるほど、のちのち楽になるというのは当たっていますが、本来その時にやるべきだった、友達と遊んだり、会話したり、時にはケンカしたり、そして好きな子が出来て、告白して、振られたり、交際したりなどの経験をすべってスキップしてしまったことで、他の人と勉強以外での差がひらいてしまい、才能を完全に無駄にしてしまったということです。無駄と思える体験が情緒力を育てていくのだと、初めて気付かされました。しかし、今僕は高校3年生です。そういう経験とうまく両立しながら、これから勉強をしていかなければなりません。それを可能にするために、藤原先生が3つの提言をしてくださいました。まず一つ目は野心を持つということ、二つ目は努力をするということと、最後に三つ目は楽観的でいろということだそうです。自分の最大のライバルは自分という気持ちで、何をやるにしても、“It`s so easy”と言えるように、がんばります。

 今回の藤原先生による「21世紀を担う君たちへ」という題のお話をお聞きして、今までの自分の考え方を改めて考え直すことができました。
 まず、先生がこれからの時代に必要な力は「論理的思考力」と「知識」とおっしゃいました。論理的思考力とは筋道を立てて物事を考えるということですが、これは先生がおっしゃっていた「情緒力」という面で重要になってくるのだと思います。例として先生があげてくださったのは、出発点が異なると結論が異なるということでした。今の日本ではこの「情緒力」を学校教育で鍛えてしまっているところに先生は疑問をお持ちになられているようでした。そもそも情緒力というのは自分でさまざまな経験を通して得るものであるとおっしゃっていました。僕はこの点について、非常に共感できました。僕は小学生のときに、校庭を走り回ったり昆虫採集をしてみたりしたことで非常に貴重な経験ができたと、今になって思います。これは自分で進んで経験しようと思うから得られるものであり、なかなか人から教わって得られるものではないのだろう、と思いました。
 他にも先生は、小学校のうちは国語を徹底的にやることが重要だとおっしゃっていました。まず、自分の国の言葉を学習しないことには生活自体の土台が出来ていかないということだと思います。こういう重要なところをおろそかにしてしまって、特定の枝葉の部分だけを鍛えても結局、意味をなさないということです。その点、ちゃんと土台がしっかりしていればいろんな経験を元に、知識をつけることができると思います。それだけではなく、この知識を形成していくに当たって、無駄と思えるような経験も情緒力を育てていく。ということだと思います。
 最後に、先生が僕たち高校生に「野心を抱け。」と仰って下さいました。人に笑われても自分が最大のライバルであり、常に楽観的にチャレンジしていくことを忘れずにいたいと思います。今回の講演会に参加して得られたものが沢山ありました。ありがとうございました。

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