体育祭

応援団長

白組   赤組   黄組   青組

白組


 僕は今年の体育祭を白組団長という貴重な体験を通して終えることができました。今までの体育祭は、自分の参加する種目だけやり、他は友達としゃべるだけでしたが今年は違いました。自分の出ない競技では、応援席の前で旗を振り、声を張り上げ、白組を盛り上げるという仕事があり、競技では団長として注目され、とても充実した体育祭になりました。そんな中でも応援団のダンスはとても充実していて、誰にも負けないくらいの情熱を持って取り組めたと思います。
 白組応援団を初めて集めたあの日、僕ははっきりと覚えています。第二体育館に続々と集まる生徒たち、知り合いはごくわずかで、ほぼ八割が初対面でした。人数が増えるにつれ、皆自分の話を聞いてくれるだろうか、自分はリーダーとしてやっていけるだろうか、と色々な不安が胸の中に広がっていました。さらに、今まで後輩と接する機会は部活内だけだったので、後輩との人間関係も不安要素の1つでした。そんな気持ちの中で白組応援団は始まりました。
 まず僕が始めたのは、どんなリーダーになるかを考えることです。自分の考える理想のリーダー像とは、責任感はもちろんのこと、誰からも愛される人柄や、的確で素早い判断力、場を和ませるユーモアなどが最低限必要だと思います。僕はこの理想に近づけばきっと皆が付いてきてくれると信じて、とにかくがむしゃらにやろうと決めました。
 練習の回を重ねるにつれて、応援団の雰囲気はだんだん明るくなっていくのがわかり、後輩からは男女問わず慕われるようになっていきました。去年の団長には名前を覚えてもらえずなんとなく寂しかったので、自分は全員の後輩の顔と名前を覚えようと思い、積極的に話しかけた結果だと思います。高三の一部からは、団長が後輩に対して優しすぎ、もっと厳しくするべき、という声もありましたが、リーダーが怒っていいのは、下の人が生死に係わるミスをした時だけと思うので、絶対に怒らないとも決めていました。
 もちろん、途中、後輩が練習に来なかったり、声が出ていなかったりで、自分はこのままでいいのか、今のスタイル変えた方がいいのか、と悩んだ時期もありましたがダンスリーダーや副団長が自分を励ましてくれたりして、なんとか本番までやってきました。
 本番前の最後の集まりでは、今までになくまとまりがあり、声も出ていて、ダンスにも切れがあり、最高の状態で本番を迎えることができました。本番では、本当は客席でなく皆の方向を見ながら踊りたかった位、完成度の高い出来に仕上がったと思います。
 白組の結果は出ませんでしたが、最後の集まりで、学年男女関係なく皆から、先輩が団長でよかった、白組の団長をしてくれてありがとう、副田がいたから楽しく応援に参加できたなどという、温かい言葉をもらいこらえきれず泣いてしまいました。この涙には、団長という責任が解かれた解放感と、最後まで白組を導けたという達成感の感情が含まれていると思います。
 振り返ってみると、130人もの集団を引っ張るリーダーには、社会に出てからも早々なれることではないと思うので、この経験を一生の宝物として今後の人生に活かしたいと思います。


 これが僕にとって最後の体育祭になるので、今までとはひと味違う体育祭にしようと考えていました。
 最初、僕が副団長になったときは「優勝するにはどうしたらいいのか」とか「絶対優勝したい」、そんなことばかり考えていました。だからいつも優勝のことで頭がいっぱいでした。でも、みんなと朝、昼や放課後、そして休日に練習をしているうちに、その気持ちがだんだんと薄れてきました。みんなが一生懸命に、楽しく練習に参加しているのを見ていたら、なんだか優勝のことしか考えていなかった自分がバカらしく見えてきて、申し訳ないような気持ちになってきてしまいました。その日から、僕の考えはがらりとかわり「楽しめれば、それでいい」というようになりました。そしてこう思ったのと同時に、団長や他のみんなの人も同じように思っていたらしく、白組が完全に「団結」したのだと感じて、なんだか嬉しくなりました。最終的に優勝はできませんでしたが、今までがすごく楽しかったので、全く悔いはありませんでした。
 僕は、白組の副団長として、精一杯最後まで、団長やみんなを支えていくことができたのではないかと思います。「最後まで、一生懸命にやる。でも楽しむことを忘れるな」。白組は本当に最高でした!!みんな、ありがとう。

赤組


 僕は35人目の赤組の団長として今回の体育祭に参加しました。中1から高3まで役500人のリーダーという役割の団長は一見格好良く見えますが、実際に経験してみると責任感があり、やらなくてはいけないことが多いつらいものでした。しかし終始、僕はとてつもない満足感を得ていました。実際、一生忘れることのできない思い出になりました。それは僕の赤組がW優勝したからではありません。一生懸命取り組み、本当に恵まれた多くの仲間と楽しめたからです。高3生は受験生であり、また僕はサッカー部だったのでお互いで助け合いながら両立することができました。僕がこんな最高の思い出にすることができたのはたくさんの人の協力があったからです。なので感謝する気持ちが1番大切だと思っています。「俺らで最高の体育祭を創り上げよう」と意気込んで協力し合った他の3人の団長、僕についてきてくれて体育祭を盛り上げようとしてくれた同輩、先輩達の後ろについてきてくれた後輩、応援団を認めてくださっていろいろな点で協力してくださった先生方。本当に多くの人たちに支えて頂いて団長4人で最高の体育祭を創り上げることができました。また、今僕が願っていることは応援団をする人が増え、団長をやりたいという人が増えてくれることです。僕たちが一生懸命やって創り上げた体育祭を後輩のみんなが楽しいと思ってくれて、自分が高3になったら団長をやりたいな、と思ってくれたら僕たちが団長をやった意味があるのかなと思います。団長をやったら多くのことが得られると思うし、お勧めしたいです。高3は体育祭が終わると受験へまっしぐらです。受験でも今回団長をやって得た「努力すれば報われる」のを信じ努力し続けていきます。


 赤組応援団の活動を通して僕は様々な経験をすることができました。始めは情報伝達がうまくいかなかったり、他の組から踊りをからかわれたりと副団長として苦心することが多い状況でした。しかしそのうち、高校3年生全体が気を遣ってくれて動けるようになり、それを見ている後輩たちも責任感を持ってくれたようでした。伝達もうまくいき、自主的なダンスの練習も増えたような気がします。そんな赤組の仲間に恵まれたことを僕は誇りにしたいと思っています。いざ体育祭の本番となり、赤組は集まって円陣を組みました。その時、僕は2つの思いを胸に秘めていました。1つは今までの努力を最大限に発揮して、最高の演技をしたいということです。もう1つはこの日だけで赤組を終わりにしたくないということです。前者は達成できました。後輩たちが今までで一番声が出ていて、その日の朝に伝えたこともすべて覚えていて、スムーズに動いてくれていました。自分自身の演技も完璧にできました。団長の言葉に感動を覚えました。終わって皆が去った後はほとんど記憶がなく、応援席に戻った後は自然に涙が頬を伝っていました。周りの友達も涙を流していました。それをみて、二つ目の思いは必ず達成できると確信しました。その根拠はありませんが、赤組であったことが確実に心に残るだろうという予感だけはありました。閉会式で発表されたとき、赤組優勝と応援賞はとてもうれしかった記憶があります。しかしながら、何よりも赤組副団長として、頑張ったことが他のものに変えられない思い出となりました。それを作る機会をくださった先生方、家族、先輩方、仲間たちには感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。そして、この感動をこれからも後輩たちに伝えていきたいと思います。今年応援団に参加してくれた後輩たちは今度は先輩として活躍してほしいと思っています。
 赤組は最終的に最高の集団になりました。それには去年関わった先輩方、毎日僕らを支えてくれている家族、そして仲間たちの力があったからです。これからも体育祭が盛り上がることを期待しています。

黄組


 今回の体育祭で僕は団長として体育祭に参加させて頂くことができました。僕は、最初から団長になりたいと思っていたのでうれしかったです。ただ、実際僕が思っていたほど団長の仕事は甘いものではありませんでした。厳しいものから得られたことは大きかったし、その分だけ感動も大きかったです。
 僕が1番嬉しかったことは、自分が苦しんでいるときこそ多くの人が声をかけ、協力してくれたことです。その人達のおかげで僕が団長としていることができたし、最終的に黄色組がまとまることができたのだと思います。
 当日の四色応援披露でみんなで素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたことも嬉しかったです。今回は、今までよりも2週間近く練習が短くて、全員が上手くできるのか不安でした。しかし全員、練習以上のことができたからこそ、応援で2位という成績を収めることができました。全員が練習以上のことができたといいましたが、1つ謝らなければならないことがあります。振りを間違えました。すみません。
 僕がやってきた6回の体育祭の中で、今回が最も充実していたし、楽しむことができました。これも協力してくれたみんなのおかげであり、陰で支えてくださった先生方のご助力のおかげだと思います。最高の体育祭をありがとうございました。


 今年の体育祭は今まで6年間江戸取で過ごしてきた中で1番早く終わってしまったような気がします。私は今回の体育祭で黄色組応援団の女子リーダーとして臨みました。女子の応援リーダーになった時に、本当に自分なんかでいいのか、団長が中心となって動かすとは言えその近くで100人を超える人達を私達が動かす事ができるのか、と不安で仕方ありませんでした。今年は体育祭の準備がはじまるのも遅かったので、さらに不安が大きかったことを覚えています。
 そんな中ではじまった応援団でした。はじめに応援団の高3の人々を中心に応援で使う曲を決めました。たくさんあった候補の中から3,4曲を1日で決めました。けれども、次の日にはまた違う曲が良いという案がでて、曲を決めるのに二転三転しました。はじまるのが遅かった分みんなが焦りを感じていて、みんなが良い方向に持って行ってくれているはずの提案が文句に聞こえたりしてしまって、その時点で大人数を動かすことがどれだけ大変なのかを実感しました。
 後輩を含めた練習が始まったのは大型連休からでした。高校1年生は高入生が多かったので江戸取の体育祭の応援披露を見たことがない子達もたくさんいました。熱心に必死でダンスを覚えてくれる子もいれば、音にあわせて動いていればいいという感じの子もいました。その時に感じたのが団長や長をやっている人達に1番必要なのは、どれだけ人を本気にさせられるか、という事だと思いました。その日から私はまず後輩の名前を覚えていくことを始めました。自分にできることは出来るだけ後輩1人1人を見ていくことだと思ったからです。それからはどんどん練習に活気が出始めた気がしました。踊っている時も応援している時も全員の笑顔が増えた気がしました。体育祭当日も、応援披露を見ていた人からも黄色が1番みんなが笑顔で元気そうでよかった、などと言ってもらえました。
 黄色で1番良かったことは全員で楽しく応援できたことだと思っています。応援披露はもちろん競技の応援なども全部が楽しく、あっという間に終わった体育祭でした。応援するというのは人に元気を与えることと似ていると思います。その応援する人たちに元気がなければ、応援できません。そう思うと、黄色組は他のどの組よりも元気があって、すごく良い組でした。そんな組になれてよかったです。みんな最後までついてきてくれてありがとう。2,3人ではうまくできないこともみんなが助けてくれたり、元気づけてくれたり、協力してくれたりしてくれたから出来ました。本当にありがとうございました。これからも今回の体育祭で得たものを糧に頑張っていこうとおもいます。

青組


 「俺たち青組の目標はW優勝!!」そんな夢に向かって他のどの色よりも早く練習を始めた青組。その最初のメンバーはたったの12人。なかなか後輩達が来てくれない時期があり悩みましたが、がむしゃらに、勝ちたい一心で練習していくうちについてきてくれる後輩も増えてきました。約1か月の練習期間、どこよりも練習した自信はあります。雨が降っても、雷が鳴っても、それに負けないくらいの大きな声で「ソーラン!ソーラン!」とひたすら練習をして、練習するにつれて青組の気持ちも1つにまとまっていき、体育祭前日には完全に1つになりました。
 そして迎えた体育祭当日。競技は次々と進んでいき、あっという間に午前の部が終わり、いよいよ応援披露。勝つ自信しかありませんでした。けど、すごく緊張しました。曲が流れ、演技が始まってからは実はあまり覚えていません。今までの全てを込めて全力で演技するのに必死でした。それでも後ろからみんなの全力さが伝わってきて、それにとても力をもらいました。披露が終わりになるにつれて、やりきったことへの満足、終わってしまう寂しさ、支えてくれた人への感謝、青組全員への感謝、様々な気持ちが入り交じり自然と涙が溢れてきました。披露が終わってからの感動は一生忘れられないものになりました。
 今回の体育祭は応援団でない人達も青組として全力で闘ってくれました。青組は本当に1つになって全力を尽くせたと自信を持って答えられます。結果としては目標を達成できませんでした。かといってこの1ヶ月の時間は無駄だったのか?決してそんなことはありません。後輩達とともに過ごせた時間、みんなで1つになった時間、1つの目標にみんなで全力を尽くせた時間、全てが貴重な宝物です。俺たち青組は結果を遥かに凌駕する宝を得られました。青組の団長ができて、みんなと頑張って来られて本当によかった。心からそう思えます。青組のみんなは最高の仲間です。全力の果てに得たもの。それは「仲間との固い絆」です。これからも切れることのないこの絆を大切に、この先立ちはだかる様々な困難を乗り越えていこうと思います。


 今日、僕は、この江戸川学園取手高等学校における最後の体育祭を送りました。
 僕は、青組の副団長をさせていただきました。体育祭は今日という一瞬でしかありませんでしたが、僕らの体育祭は1か月前から今日まで続いていました。僕ら、応援団は4月下旬から今日まで、ダンスや曲の構成を考え、平日は、朝・昼・放課後、そして休日もダンスの練習をして、とても長い体育祭を過ごしていました。しかし、短いけれども長く感じた1ヶ月は、僕1人の力では、どうすることもできず、クラスの仲間達、そして青組のみんながいたからこそ、成し遂げられたものだと思います。
 はじめ、僕はこの体育祭を高校生活の通過点としか考えていませんでしたが、今では、かけがえのない時間であったと思います。僕は、応援団の副団長をやらせていただきましたが、それも良い思い出となりました。最終的な勝敗の結果としては、青組は応援も競技も2位どまりでしたが、努力と体育祭にかけた思いと、団結力においては、青組が1番であったと今でも思っています。特にダンスにおいては、団結力以上に、お互い心を1つにすることができたと思っています。青組だけでなく、4色ともにダンスを終えた後、みんな、やりきったという涙を流しました。僕にとって印象に残ったのは、敵同士であった赤組団長の岸田君と我らが青組団長の大塚君が、肩を抱き寄せ、わかち合い、心を1つにしたことでした。応援団だけでなく、クラスのみんなでやったロープジャンピングや綱引き、騎馬戦も心に残るものでした。特にロープジャンピングは、惜しくも1回足らずに2位でしたが、練習では100回に届かない記録であったのが、本番には109回も跳ぶことができ、僕1人だけでなく、参加したクラスメイト16人全員が心を1つにすることができ、自信につなげることができ、なによりも楽しいものでした。そして、1番最初から最後まで青の応援席で応援していたみんなには、1番、団結することの大切さを教えてもらいました。本当に、中学1年生から高校3年生まで500人以上の人たちが、声を枯らし、のどを潰すまで応援をしていてくれたからこそ、僕たちは大切なことを再び思い出すことができました。正直、今の中学生や、高1、高2はまだ、はっきりとは気付いていないと思いますが、みんなを引っ張っていく立場で、みんなに応援されることによって、1番の楽しさ、そして、仲間、みんなで支え合って生きていくという大切なことを感じられるのだと思います。
 本当に、この体育祭、および準備期間は、一生流れていても飽きないくらい、楽しく、涙あり、笑いあり、とたくさんの大切なことを感じることのできる時間であったと思います。先生方や親たちにも支えられてできあがったものです。なにより、クラスの友達、同輩の友達、後輩のみんな、「仲間」という存在があったからこそ完成したものだと今でも思っています。本当にみなさん、ありがとうございました。

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