夢を語る会の感想

1組 

 将来、私は医師になりたいと思っています。当初の憧れの医師像は、かなり漠然としたものでした。しかし、その輪郭が少しずつ見え始めてきました。自分が目指す方向として明確になったのは、基礎研究に携わるよりも臨床医になりたいということです。昨年は、山中教授がノーベル医学生理学賞を受賞なさったこともあり、医学分野での研究がどれほど人類にとって重要で貴いものであるかを、一層実感しました。しかし、私には患者さんと実際に向かい合い、目の前にいる人のために全力を尽くすという方が適していると感じています。そのような思いに至ったのは、医師体験やボランティア活動での影響が大きかったからだと思います。先月私は、介護施設にボランティア活動として参加させて頂きました。そこで多くのご老人と接する機会に恵まれたのですが、当然のことながらそれぞれ個性があり、話す内容も様々でした。そのような方々と接するのに必要なのは、経験や思いやり、そしてコミュニケーション能力なのだと痛感しました。医師という職業は、患者さんの人生に大きく関わっていくものです。責任感と誠実を持って尽くしていく姿勢が最も大切であり、それを忘れずにいれば、信頼関係が築かれるのではないかと思います。

             

1組 

 僕は将来、医療という形で社会に貢献したいと考えています。僕の性格から考えて臨床医か研究医かどちらかという話になれば、現場に身を置く臨床医の方を選択すると思います。というのも、僕は目の前に問題があるとすぐに対応しようとする人間だからです。
 生命は限りあるもの、つまり生命には必ず終わりがあるというのが現代の一般的な考え方です。僕は、始まりでも終わりでもなくて、その途中の在り方について注目してみたいと思います。人の一生を考える上で、無視していい時期というのは存在しないはずです。せっかく命を持っていても、それなりに充実して生きていかなければ、それは無駄になってしまいまう、というのが今の僕の持論です。
 充実した人生を送るためには、僕は心の持ち様が大切だと考えています。何かをするといった行動が充実するのは、行動がその人の心にどう捉えられるのかが「原因」です。そして、心の状態を良い状態で保つためには、体を動かすことが必要だと考えています。
 そこで、人々が実際に運動をすることが出来るような体を作りたい、ということで整形外科に今は興味を持っています。僕自身がスポーツをし、怪我で苦しんだ経験があるので、スポーツ医療は特に注目しています。

 

2組 

 私の将来の夢は、食品を研究し開発する人になることです。昔からぼんやりと食品に関する仕事が出来たら楽しめるんじゃないかなと心の中で思っていました。しかし、具体的にどんな職業があるのか分からず、まずは身近にいた小学校の栄養士として働くことを考えていました。小学校六年生の時に行われた職業体験で栄養士の仕事を少し体験させてもらい、バランスの取れたメニューを考えたり、仕入れ先の産地や値段を気にしたりすることが面白かったのを今でも良く覚えています。日本は今、高齢化社会にあります。人々の娯楽となるお菓子や老人用に考えられた食品レトルト食品やアレルギー対応の食品など、ニーズに合わせて食品を研究し、よりよい製品を開発することが出来たら、自分にとってやりがいを感じられるだろうと思うようになりました。栄養士になれば直接的に人々の生活をサポートできますが、もし研究、開発職に就き、非常に有効な発見をしたら、間接的でもより多くの人のために成るのではないかと思います。豊かな経験を積み、奥深い授業を受けて自分の決断をするためには、設備や環境、教授などよりよいものが集まった大学に行くのが確実です。そのためにできることは全力で自分の学力の向上に努めることだと思います。他にも大事なことはあるけれど、2013年、何よりも頑張らなくてはならないのは学習になります。将来への第一歩として、これからも頑張りたいと思います。

2組 

 僕は、将来社会に貢献できる仕事をやりたいと思います。社会に貢献できる仕事はたくさんありますが、その中でもエンジニアになりたいと思います。なぜなら、僕の父がエンジニアであり、海外で活躍する父の姿を見るととても憧れ、社会に貢献しているように見えるからです。また、いつも忙しそうにしていますが、その分とても充実しているように見えるからです。
 しかし、エンジニアになるのは、とても難しいことです。なぜなら、専門知識を身につけただけではエンジニアにはなれません。自分の専門分野を必要とされなければ、仕事に就くことができないからです。ですから、必要とされたときに他の人より優れた能力がなければならないと思います。そのためには、やはり最高峰の大学に入る必要があります。これからのたった一年頑張るだけでその後の何十年という間、自分の興味のあることを仕事にすることができることになります。今後の一年の頑張り次第で今後の人生が決まってしまうということを忘れずに努力し、エンジニアになるという夢を実現させていきたいと思います。
 

3組 

 私が今の時点で定めている将来の夢は看護師ですが、その為には看護学部に入らなければならないのは言うまでもありません。看護学部に入ったら、その後なるものはほぼ確実に看護師(保健師、助産師)だと思います。看護師になるために入る学部ですし、国家試験を受けて合格することで資格が貰らえるような仕事ですから、当たり前というえば当たり前なのですが、それはそれだけ早く将来の夢をはっきり決めておかなければならないということでもあります。つまり、看護師の夢は中途半端に決められないと言うことです。私もしっかり将来の夢に対する意志を固めて同じ夢をしっかり持っている人達に負けないよう、取り組んで行きたいと思います。母の影響も大きくあるというのも事実です。母は看護師の資格を持っているので看護師という仕事が小さい頃から身近にありました。何より私は母の人柄をとても尊敬しています。ですから、その母が就めている職業に就きたいと思い始めることが出来たのです。

3組

 小さい時から僕が将来なりたいと思っていた職業は歯科医でした。父が歯科医なので、仕事場での治療法の変化などを聞くことができ、よく感心させられました。最先端の歯科医療を学ぶには東京へ行く必要があります。それは大学に入っている最中のことではなく、歯科医として社会へ出た後のことです。東京へ行って学ばなければいけないのです。僕は社会へ出てからも学ぶことがあることを有り難いと思います。終着点がないからこそ、日々頑張っていけるのだと思います。また、地方にはなかなか最先端の歯科医療が行き届いていません。僕は父の後を継いで地元で働くつもりなので、東京で学んで帰ってきた後は地元の皆さんの助けになれるような歯科医になりたいと思います。
 僕は今、江戸川学園に通わせてもらっています。そこは僕に歯科医になるための第一歩を踏み出すチャンスを与えてくれます。江戸川学園に入れたのは周りの支えがあったからこそです。僕はチャンスを逃すつもりはありません。また、僕にチャンスが巡ってきたように、次の子どもたちにもチャンスが巡ってくるように社会貢献したいと思います。そして将来、チャンスの掴み方を自分の子供に教えてあげたいと思います。 

 

4組 

 祖父や、叔父、父など、身近な人が建築をしていることもあり、私にとって建築家は小さい頃から知っている職業でした。人が将来のことを考えたとき、自分の住む家というのはとても大切なものになってくると思います。何をするにも住む場所がなければ何も始まらないし、一日のスタートも一日の終わりも自分の家で迎える人が大多数だと思います。毎日を充実した日にするためにも、まずは自分の家を住みやすい自分の空間にすることが大切だと思います。
 では、自分の理想の建築家になるためにはどうすればいいのでしょうか。人と人との関わりの中で、言葉を交わし合い一緒になってものを作り上げていく、クライアントの方の理想図を自分の理想として一緒に考えていける、建築家はそのような仕事です。夢を語る会で、卒業生の方が、新聞記者や小説家など言葉を大切にする職業だというようなことを言っていました。もちろん、そのような職業は、言葉を第一に考える職業であることは間違いありません。しかし、私は同じくらい建築の世界にも言葉やコミュニケーションが必要だと思っています。私はこの学校生活の中で、毎日誰かと言葉を交わしています。将来の理想に近づくためにも、私は今からでも友人とのコミュニケーションを大切にしていきたいと思っています。

         

4組 

 今、私は小学校の先生になりたいという夢があります。私が小学校の頃に抱いた夢も教師という職業に就くことでした。そのころは両親を見て、ただ漠然とその職業に憧れを抱いていたような気がします。私の両親は教師です。父も母も、どちらもその日にあった学校での話を家でしています。その話は良いことばかりではないし、どちらかといえば良くないことが多いです。しかし、生徒の話などをしているときなど、とても楽しそうに話しているように見えます。きっと、この仕事にやりがいを感じているのだと思いました。そのような両親を見て、私も両親と同じように教師になりたいと思いました。
 私は生徒の一人一人の良さや悪いところをしっかりと理解し、生徒と同じ目線で生徒の話を聞いてあげられる先生になりたいと思っています。生徒が自分のことを認めてくれたら、生徒達から先生の所に来てくれると思うので、私は毎日生徒達に囲まれているような先生に憧れています。卒業しても、生徒の記憶に残るような先生になれるように頑張りたいと思います。
 

5組 

 私は動物園の飼育員になりたいと思っています。動物に関わる仕事は他にもありますが、私が動物園の飼育員を選んだかというと、動物園はまさに異世界と呼べる空間であり、この空間に興味を持ったからです。
 動物園にはたくさんの生き物が暮らしています。人間にとってこの空間は異世界であり、不思議な世界であると同時に、そこで暮らす動物たちにとっても不思議な異世界だと思います。本来ならば遠く離れた世界で暮らしているような種類の動物達が、自分たちのすぐそばで暮らしている。自分たちとは全く違った性質を持つような動物の性質を近くで見ることができる。まさに異世界、不思議な世界と言うことができると思います。私はこの異世界をもっと知りたいと思い、楽しい場所にしたいと考えています。
 そして私が動物たちの持つ力に魅力を感じています。動物たちは人間では補いきれない力を持っています。ネコカフェで人の気持ちは癒されます。ドッグセラピーは様々な治療に大きな功績を残しています。このように、動物たちだけが持つ力を私は本当にすごいと感じました。そんな動物たちと身近に接することができる動物園の飼育員になりたいと考えています。

5組

 僕の夢は、製薬会社で新薬の研究、開発を行う職に就くことです。その理由は一つは「祖母が根治するのが難しい病気である糖尿病の合併症で亡くなったこと」で糖尿病を完治することのできる画期的な薬を開発したいと思いました。二つ目は、「化学の授業で薬のことを少しですが勉強したこと」です。そこで思ったことを一言でまとめれば「毒と薬は紙一重」だということです。人間にとって毒である「アニリン」は無水酢酸でアセチル化することで「アセトアニリド」という物質になります。これは今ではさらに構造を変えた「アセトアミニフェン」という物質ですが解熱鎮痛剤として使われています。また別の例を上げると副作用の強かった解熱鎮痛剤「サルチル酸」も「アセトアニリド」と同様無水酢酸でアセチル化し、「アセチルサリチル酸」という物質が使われています。こちらは比較的有名で一般名は「アスピリン」と言われ、少量で使うと血小板凝集抑制剤としても使われており、薬とは量を変えると使い道が変わったりしておもしろいなと思い、薬学を学びたいと思いました。将来は、希少疾病の治療薬の開発をやりたいと思います。また、希少疾病の中でもあのイギリスの理論生物学者ホーキングも苦しめられている病気「筋萎縮性硬化症」の治療薬を特に開発したいと思います。

 

6組 

 夢を語る会は、私たちと同年代の子がどのような夢を抱いているのか聞くことが出来ます。更に、社会で活躍されている先輩のお話も聞くことが出来て、自分の夢について考え、その裾野を広げていける良い機会だと思います。3人の先輩から話を伺いました。最後に話して下さった先輩の言葉に、「自分次第で無限大」というものがありました。自分の人生は自分で切り開いていかなければならないのだと改めて実感させられた気がします。
 自分の中で分かっていて、達成しなければならない夢、そして目標であるのが大学合格だと思います。この夢を実現させるためには、自分に負けないことが大切だと思っています。やはり最後に信じることが出来るのは、それまで努力してきた自分自身です。未来の自分を裏切らないように、今の私が頑張らなくてはならないと思いました。将来の夢が決まっていなくても、目の前にある小さな目標を1つずつ達成して、それを積み重ねていけばいいのではないかと思います。今の私に出来ることを精一杯やっていきたいと思います。

6組 

 「夢を語る会」でもあったように、私も、夢は叶えるものだと思います。そのためには、とにかくその夢に必死になることだと思います。そして、どんなことがあっても諦めないことです。学歴や資格も必要なものですが、一番大事に持っていなくてはならないのが、情熱と諦めない心だと思います。私は、野球選手になりたい、お医者さんになりたい、建築家になりたい、といった職業的な夢について、自信を持って語れる夢はまだありません。ただ、これからの人生において、大きな夢はあります。それは、幸せになることです。これは、世界中のみんなが言うことかもしれませんが、やはりこれに尽きると思います。理系の私は今、主に薬学部への進学を希望しています。中学2年生のころに、職業体験というものがありました。もちろん私は、「病院」を選びました。総合病院だったのでいろいろな体験ができました。その中でも強く印象に残ったのが、薬剤師の仕事です。今までの印象とは全く違って、とても新鮮で、実際に体験もしてみて、とてもやりがいを感じました。薬学の知識を持って、世界中の困っている人達に何かできることはないか、今まではそう考えるようになりました。これからの自分のがんばり次第で、どのようにしてこの目標にたどりつけるか楽しみに思います。

 

7組 

私は今回の夢を語る会で、卒業生の先輩方のお話を聞いて色々なことを考えました。私は、アナウンサーという仕事に興味を持ちました。お台場のフジテレビを見学して感じたことを書きたいと思います。
 アナウンサーという仕事は、私たちが普段テレビで観て想像しているよりも長い時間、働いていることが分かりました。新聞を読んで常に世の中の動きを知っていなければならないし、生放送のニュースの前には、原稿を読んだり、打ち合わせをしたりします。また、現場に行ってレポートしたりすることもあります。
 アナウンサーは、与えられた原稿を読むだけではなく、自分なりの解釈で番組やイベントのカラーを作っていくなど、表現力が求められます。大変なことも多いのですが、たくさんの人たちと共に力を合わせて、一つのイベントや番組を作ることには、様々な人との出会いがあり、多くの経験ができます。どんな仕事にも、大変なことが沢山あります。そして、どんな仕事にもやり甲斐があると思います。

7組

 私は小学5年生の時から、ずっと同じ夢を抱いてきました。それは、小学校教諭になることです。今までにないくらい魅力的な授業をしてくれたり、とてもたくさんのイベントを企画してくれた当時の担任の先生を好きになって、私も次第にその先生のような先生になりたいと思ったことがきっかけでした。
 私がこの夢を持って年を重ねると共に、ただ単に子供たちと楽しく学ぶ教員になるというだけではなく、「いじめ問題」を始めとする様々な教育問題と真剣に向き合い、問題の発生を未然に防いだり、子供たちのカウンセラー役として「心の教育」もできる教師になりたいと思うようになりました。
 教育問題の中でも「いじめ問題」は、最近特に深刻化していて、自殺をしてしまう子供も大勢います。人生は一度しかないのだから、もっと人生を大切にすべきなのに、自殺をしてしまうのは、心に深い傷を負っているからだと思います。だから、私は、カウンセリングもできる教師になりたいと思うようになりました。
 夢を実現させるためには、まず大学に入り、勉強して教員免許をとらなければなりません。これから、目標の実現に向けて努力していきたいと思います。

 

8組 

 私はコピーライターになりたいと思っています。昔から、テレビCMやラジオCM、商品や企業のキャッチコピー、駅のホームに貼られている広告や電車の中吊り広告、歌の歌詞を見ておもしろいな、と思ったのがそもそもきっかけです。そのうち、広告ってじっくり見られることはないのに、ぱっと見て多くの人が共感したり全員理解することができるすごいものだとわかるようになりました。そしてそれがコピーライターという職業の人のセンスと努力によって築かれているというのがわかり、その人達に尊敬の念を抱くようになりました。私もキャッチコピーを作りたい、広告制作に携わりたいという気持ちが芽生えました。 コピーライターという仕事はもちろん広告のコピー(言葉)を考えることです。以前読んだ本にはそのコピーができるまでの企画書が公開されていました。その本で広告コピーには必ず生まれてきた道筋があり、ちゃんとした理屈があることも知りました。例として新潮文庫の「yonda?」キャンペーンが紹介されていました。その中には従来の新潮文庫のブランド力に頼るものではなく、もっと直接的に「売り」に結びつく活動をしようとした人々の工夫と苦労がよく書かれていました。また、広告を作る際、決してすべてを一人で仕事をすることはないそうです。クリエイティヴディレクター、アートディレクターなどとチームを組んで仕事をするのです。そういった団結力を発揮するのも私がコピーライターに惹かれる理由です。コピーライターになるのに専門学校や学部があるわけではありません。自分の見たこと、経験したことを素直に表現することができることで人々の心に響くコピーができます。私は今後物事を色々な角度から見たり、視野を広くもち、多くの経験を積み、将来の夢を叶えていきたいと思います。

   

8組

 私の夢は企業に勤めることです。何故企業に勤めたいかというと、女性の会社員の方々が仕事をしている姿を見て憧れたという理由もありますが、まず第一に私達が何気なく買っている商品に販売元の企業の方がどれだけの工夫を凝らしているのか気になり、実際携わってみたいと思ったのがきっかけです。その夢により、商学部か経済学部に進むべきだと分かりました。それからの学部を詳しく調べる前までは、私が学びたいことにまさに当てはまる学問はないと思っていました。ですが、詳しく調べるうちに「マーケティング」というものがあると知りました。「マーケティング」とは、商品の販売やサービスなどを促進するための活動という意味です。私が学びたいことよりも広い範囲を示す言葉のようですが、それを学べば良いと分かりました。もともと人間の心理にも興味があったので、その分野にも関係のあることが学べると思うと今から楽しみです。また、会計や情報の利用方法など、企業に就職したらすぐに必要となる技術も習得したいです。できれば公認会計士の資格も取りたいと考えています。難しいとは思いますが、自分の夢のためですから頑張ります。やりたいことがたくさんあってこなすのが大変でしょうが、実際挑戦した学生の方が書いた文章を読んでいると、充実した学生生活を送っているようで、私も同じような道を辿れるに頑張ろうというやる気が出てきます。成功した方の話を聞くことはモチベーションを高く保つために必要だと思いました。
 

9組 

 私は幼い時からずっと人と関わる仕事がしたいと思い続けてきました。どんな形であれ、沢山の人と出会い、互いに知り合っていくうちに、一人ひとりに共感できる存在でありたいという気持ちがあります。そのような中で、私は教員になりたいと思うようになりました。私が目指しているのは、中学・高校教諭です。生徒は心理的にアンバランスになりやすく、抱える悩みも多い時期です。それを理解し適切なアドバイスをするのは容易なことではありませんが、授業や生活指導を工夫することで少しでも生徒の役に立つことができれば、教師にとって大きな喜びとなります。今までの私のように将来のことで悩む生徒にとって、各々の人生への一歩を踏み出せるような教育指導をしたいと思っています。色々な生徒と関わるうちに気づかされることも多いのではないでしょうか。周りの意見を聞いて、生徒の立場を一番に理解できる教師になりたいと思いました。私が教師になれるのかと不安に感じるところもありますが、せっかく自分で見つけた道なのだから、諦めずにまっすぐに進みたいです。
 今までの私は、将来の夢について、自分のやりたい仕事とそのメリットだけを考えていました。しかし、それだけでは結局自分のことだけしか考えておらず、周りの人々にもプラスになるようなことは何もありません。将来に対する考え方の転換が、教師を目指す一つのきっかけになったのです。この目標を持つことで新たな自分が切り拓ければ良いと思います。

         

9組 

 毎年ステージ上で並々ならぬ気迫を感じさせる発表者と比べ、これまでの僕には夢というものがありませんでした。ただ何となく、与えられるだけの生活を送っていました。しかし、最近そんな僕にも夢と言えるようなものが見えてきました。それは、心理カウンセラーという夢です。臨床心理士としての資格を得て、様々な人のカウンセリングをしたいと思っています。僕がカウンセラーの仕事に憧れるようになった理由は主に二つあります。
 僕は小学生の時に、心理カウンセラーの方にお世話になることがありました。カウンセラーの方はとても優しく、ひとつも聞き逃さずに僕の話を聞いてくれました。その当時はなんとも思いませんでしたが、今となっては深く感謝をしています。
 また、今年の夏、東京に住んでいた僕の祖父が亡くなりました。後には病気の祖母がひとり残りました。僕ら家族やその他の親戚だけでは祖母の世話をしきれないので、デイケアの方を呼ぶことにしました。僕はデイケアの方のあまりの対応の良さに驚きました。デイケアの方にとって祖母は知り合いではないのに、まるで自分の家族のように優しい態度で接していました。人と接し、支えてあげるということの凄さを実感しました。
 全くの他人であっても、まるで自分のことのように喜び、悲しみ、慈愛の心でもって接することができる人間に僕は心から憧れます。僕はこれから、未来の目標を叶えるために、しっかりと勉学の道を歩んで行きたいと思います。
 

10組 

 私は将来、公認会計士の資格を取りたいと思っています。その理由は父にあります。私の父の仕事は会計士で、今父はもう独立していて、自分で事務所をやっています。私は小さい頃から父に、大人になったら父の事務所を継いでほしいと言われ続けています。私もそうなんだと小学生で考えていました。今考えてみると、その時の私は自分は会計士になってお父さんの仕事を継ぐのだと周りから言われていたことを単純に受け止めていて、それを夢だと言っていただけでした。そして、本当の現実を知ったのは高校生になってからです。それは、私が自分の将来を本気で考えなければならなくなったからでした。私は父に初めて自分から会計士という仕事について話を聞きました。そして、自分が本当にそんな仕事ができるのか迷い、不安でした。その理由は二つあります。第一にやはりその難しさです。高校生になり、現実的に考えるようになるとどうしても不安は出てくるものです。しかし、それよりも第二の理由が私には重いものでした。初めて仕事がどういう物なのか知り、その責任の重さを知りました。会計士は自分の判断で会社をつぶしてしまうことがあるというのです。大げさかもしれませんが将来の自分が正しい判断を下せるよう、これから私は自分を成長させていきたいです。 

10組 

 将来、私は歴史学者になりたいと思っており、実際に現場に赴いて独自に分析・調査をおこない、幅広い文献を研究していきたいと思っています。私は4、5歳の頃から友達がきっかけで三国志に興味を持ちました。実際の史実に基づいたストーリーで、その登場人物たちに興味を持ち調べました。そこから歴史全体に興味を持ち、日本の特に戦国時代にも興味を持ち、調べるのが楽しくなっていきました。その中でさまざまな疑問も湧いてきて、自分の力で調べてみたいと思うようになりました。
 歴史学というのはいろいろな種類があります。例えば、東洋全体を研究する東洋学や政治の歴史を研究する政治学などがあります。私はその数多くある歴史学の中で日本史学、特に中世の研究をしてみたいと思っています。そのためには今から日本史を広く理解し、史跡が周囲に多くある関西の大学に行きたいと思います。以前、関西にある国立大学の説明会に行ったときに史学部の研究室に行きお話を聞きました。研究の方法は自分の中で、ある仮説を立ててそれを研究所にある文献などを用いて真偽を求めるという作業の繰り返しだそうです。それにも大変興味が持てました。
 歴史学者は狭き門かも知れませんが、今から努力をすることでその狭き門を突破できる可能性は広がるはずです。そのためにもしっかりと勉強し、それを習慣づけていきたいです。