1組 「努力は自分を裏切らない」

 私は、今回藤原先生の講話をお聴きしてとても感銘を受けました。特に、先生は情緒に関するお話を熱心にしてくださり、それは生まれながらに持っているものとは異なった美的感覚を養う土台であるとおっしゃっていたことが印象に残っています。この時、例として紹介してくださったわずか17歳程でドクター論文を書いた天才少女と音楽家の両親を持つ5人の姉妹を対比させて説明してくださり、とても納得してお話を伺うことができました。他にも、論理的思考も重要であるが物事の正しい糸口を見つけるための知識がより大切であるとおしゃっていました。先生のお知り合いの方は、大変偉人な方ばかりで驚きましたが、その方々が色々な分野において活躍されている影には必ずそれ相応の努力が隠れているそうです。ここから私は努力は自分を裏切らないという言葉がふと浮かびました。このことを信じて私も勉強を頑張ろうと思います。そして最後に先生がおしゃていたことは、常に楽観的であるということです。気持ちがネガティブになってしまうとそれだけで頭の回転がいつもの半分以下となり余計にできなくなってしまいます。従って、このようなことを防ぐために出来る限り楽観的に物事を見て、より頭を働かせることで最善の行動をとることができるように日頃から意識してみようと思います。私は今回の講演会を通じて自分の中にはなかった考え方を知ることができました。今後もいろいろな考え方を知って自分の中での多面的思考を養いたいと思いました。

1組 「困難に立ち向かう

 実のところ私は数学が苦手科目であると感じており、数学者でいらっしゃる藤原先生のお話は自分の理解の限界を超えてしまうのではないかと不安に思っていました。しかし先生のお話にみるみるうちに魅了されていき、気が付いたときには前のめりになってお聴きしているほどすばらしいお話でした。江戸取在学中のこの講演会が催されたことに感謝しています。
 中でも最も印象に残っているお話は「最も実りある時代は、最も苦境が多かった時代である」ということです。これは日本人がはかないものに趣を感じる理由の一つではないかと考えました。例えば桜の場合、寒さが厳しい冬を耐え抜いた桜こそが美しい花を咲かせることができるという例です。自分が言わんとすることを身近なものに託し、比喩として表現するという美的感受性は、古来から日本人の心に根付いていたことを実感すると同時に日本人であることに誇りが生まれました。
 来年にはいよいよ私たちも受験生となり、苦悩や困難の連続の日々を送ることになると思いますが、苦しい時は藤原先生の「挫折は生きる上で避けては通れないもの。恥とは挫折することではなく、挫折を恐れることである」や「けなされたことは忘れ、誉め言葉を徹底的に思い出せ」というお言葉を噛み締めつつ困難に立ち向かい、そして乗り越えていこうと思います。

 

2組 「自分達に必要なものは」

 自分は今回の藤原正彦先生の講演会を拝聴して、今自分達に必要なものは何なのか、そしてどのようなものを持って大人になり、二十一世紀を担っていくべきなのかについて知り、深く考えることができました。藤原先生曰く人が正しい方向に進んでいくのに必要な物は、道筋を立てる「論理力」とその道筋に必要な「知識」、そして思いやりの気持ちや、『もののあわれ』のような「情緒力」が特に必要だというのを聞きました。もしも知識や論理力がなければ人は正しい判断ができず誤った方向へと進んでしまい、たとえ論理力と知識を持っていても情緒力がなければ、論理の出発点を作ることができず、新たに物を作り上げることができないということを聞いて、自分はこれら三つが揃って初めて立派な一人前といえるような人であるといえるのだと思いました。また、その情緒力は生まれながらにして持っているものではなく、後天的に教育によって養われていくものだが、ここ二、 三十年の日本教育ではそれが全くもって養われておらず、それが今の政治などに反映されてしまっていると聞きました。自分はそれを聞くと同時に、この情緒力を自分は養っていけているのだろうかと自身に問いかけてみました。そして、自分はまだ情緒力を持っていると誇れるほどそれを持ててはいないと思いました。 藤原先生の講演会の副題は「二十一世紀を担う君たちへ」でした。自分たちはいずれ江戸取を卒業して、大学をも卒業して、社会人になっていきます。将来自分が大人になった時、一端の人間として論理力・知識・情緒力を持ち正しい判断のできる、恥じることのない大人になりたいと思いました。そしてまたいつの日か親となり、子どもができた時にその子どもに情緒力を養わせていきたいと思いました。

2組 「野望を達成する」

今回の藤原正彦先生の講話を、僕は心底楽しみにしていました。
僕も先生と同じく幼い頃から算数が大好きでした。将来は数学者になりたい、という想いを抱き、これまで生きてきました。そんな僕の後押しをして下さったのは藤原先生のお言葉でした。中学生の時、何気なく手に取った先生の本に魅了されました。数学者であり且つ、感性豊かな彼に僕はとても心惹かれました。そして遂に、この江戸取で先生のお話を間近で聴ける事となったのです。
 講演の中で特に先生が話されていたのは、やはり情緒についてでした。論理的思考には限界があるという事はこれまで数多くの先人達が指摘してきました。にも関わらず、今も昔も人々は未だに理性に偏重しがちです。それ故取るに足らない、下らない事を軽視してしまっています。しかし、人間にとって大切なのはそういったくだらない事にあるのです。人間には確かに理性が必要です。しかし逆にそれしかないのは非常に人間性に欠けて、詰まらない事だと思います。身分不相応な野望を持つのも、蝶や桜を愛でるのも、理性のみでは出来ません。感性が、情緒がそれを形作るのです。

 
また、二十一世紀を担う僕らへ向けて、藤原先生は大切な事を三つ挙げて下さいました。野心と努力と楽観的である事です。野心は自分を動機付けて、努力は今の自分を肯定的に捕らえ、こうして楽観的に大きな事を成し遂げる事が出来るのです。今の自分は藤原先生には及びません。しかし、僕は数学者として大成したいと、幼い頃から夢見てきました。これからも絶え間無く勉学に励み、将来の野望の達成を目指そうと思います。
 
藤原先生はユーモアたっぷりに講演して下さり、僕もかなり元気付けられました。この様な素晴らしい講演会を高校生の内にお聞きできて感謝の念で一杯になりました。

 

3組 「今私達にできること」

 とても記憶に残る講話でした。「すごい」言い方は悪いのは分かりますが、そう思ったのは事実です。日本人というものは何かと言葉を濁す傾向にあるものだと思います。それは日本の相手の気持ちを考えて行動する慎重な性質から来るのでしょうが、時にそれは人々をいらつかさせる原因になるのだと考えます。藤原先生はかなり激しく自らの意見をおっしゃていました。しかし、私はしれに対して、不快を感じることはなく「すごい」と思ったのです。他人の言わないことを言う。これが数学者か。「すごい」と思いました。講話を聞いて全ての人が感じたのではないのでしょうか。広い世界で活躍する人の考えは何か心を奪われるものがあるのです。また、「数学」に対する考え方も大きく変わりました。目の前にある巨大な扉が少し開かれた、そんな感じがしました。今まで見れなかったものが少し見えるようになり、扉の向こうにはいったいどんな世界が広がっているのか、好奇心というものはつきないものです。一部を見るくらいなら全部見たい。こういう願いをかなえるためにも知識は必要であるのでしょう。今私達に出来ることは知識をたくさん手に入れることです。何かを起こすにはそれに見合った知識を持たなければならない。そのために学校に 通っているのだと改めて認識しました。

3組 「自分の意見を持つ」

 今回、藤原正彦先生の講演会に参加し、藤原先生の話の内容、話し方共にとても面白く、聞き手を自分の世界に引き込まれてしまいました。講演を聞く前は、「数学者の方なので数学の話をするのかな」と思っていました。しかし、実際に聞いてみてとても驚きました。教育のことや政治のこと等、僕の考えていたものとは完全に違っていたためです。藤原先生は、自分の意見をとてもはっきりとおっしゃっていました。口調も堅苦しいものではなくユーモアもあり、すごく聞きやすかったです。はっきりと自分の意見を言えるということは、それだけ自信があり、その根拠となることがあるのだと思います。僕はいつも自分の発言に自信も根拠も無いことが多いです。そのため、今回の講演はとても新鮮でした。
 講演の途中で、「挫折」についての話がありました。頭がいい人はもともとある程度頭がいいのだと思っていました。しかし、人間は挫折を乗り越えることで最終的に頂上に登れるそうです。藤原先生にもそのような経験があると聞いてびっくりしました。また、有名な学者や将棋の棋士が話に出てきたことで藤原先生の人脈も凄いと思いました。藤原先生の知識の豊かさはこのような人達の影響もあるのかなと思いました。今回の講演会はとてもためになる内容で、面白かったです。

 

4組 「日本人の特性」

 今回の講演会には、本当に驚かされました。この話は絶対に後々自分のためになる、ただそれだけを考えていたような気がします。数学には美的感受性が必要であり、それは経験によって養われるということ、このような情緒力というものは、学者になるためだけではなく、一般人においても必要であるということ、正確なプロセスを辿るための論理力以前に、正解に辿り着ける出発点はどこかを見極める力である情緒力が重要であるということ。藤原先生のおっしゃった内容で難しいことなど何ひとつなく、全てが的を射たものばかりでした。具体例も多々あげてくださり、今から勉強面などに生かしていける事もたくさんありました。話は全てのものを芸術にする、日本の異常とも言える美的感受性というところにまで及び、これも共感できる内容でした。日本人の美観は確かにどの国の人よりも勝っています。国民がそれに気付き、日本という国単位で変化を遂げることで、世界がそれに注目します。世界の人が日本から情緒力など学ぶことで、世界を、人類を救うことができるかもしれない、藤原先生のお話から、私は日本人の限りない可能性を知り、日本に生まれたことに誇りを感じることもできました。

4組 「違う視点の大切さ」

 藤原正彦先生の講話をお聴きして、今までとは違う視点から物事を考えることができ、多くのことが学べました。まず、これからの社会を作っていかなくてはいけない私たちに何が必要なのかが分かりました。その必要なものとは論理的で合理的で理性的であり、十分な知識と教養を持つこと、それ以上に大切なのは美的感受性をもっていることであると藤原先生はおっしゃっていました。私はこの言葉を聞いたとき衝撃を受けました。美的感受性と素晴らしい社会を作ることにはどんな関わりがあるのか全く分かりませんでしたが、お話をお聞きしている内に分かりました。だからこそ、もともと美的感受性が優れている日本人が修行をし、より美的感受性を発達させることが出来れば、日本人が率先してより良い社会を作り出すことが可能になると思いました。次に、私が一番心に響いたお話は苦境を乗り越える方法です。野心を持つこと、執着心をもつこと、そして楽観的になることは自分に不足していることばかりです。つい本当の理想よりも少し下の目標を持ってしまいがちですが、まずその時点で挫折を恐れてしまっています。このままでは一生楽な道を選び続け、何も出来ないで終わってしまう気がします。そうならないように、これからは堂々と野心を持ち、それに向かって努力し続け、四苦八苦しながら苦境を乗り越えていきたいと思いました。

 

5組 「物事を見る視点」

 藤原先生の講話をお聴きして、まず私は数学への見方が変わりました。今までは、数学は他の学問の基礎であったり、経済的において不可欠なものであり、実用的なものだと思っていました。しかし、藤原先生が熱く語ってくださった数学についてのお話からすると、数学は芸術なんだと思えてきました。公式があり、それをきれいに証明できると、美しいと感じる、そのように感じる方々もいるようです。残念ながら、私はあまりそのように感じたことはありませんが、いつかそのように自然と思ってみたいです。また、今後私達が必要だと藤原先生がおしゃていた「野心」「執着心」「楽観」の三つは、今のところ全て、私には備わっていません。実現可能の確率が低い夢は持たないし、すぐ諦め、「もう嫌いだ」とよく言ってしまいます。この三つを持つ事は決して難しいことではありません。たくさんあるわけでもありません。だから、私はこの三つは備わっている人間になります。そしてその三つを土台として、もっと様々なよいものをもち合わせた人間になりたいです。今回の講話で、見方の変わったものが色々ありました。今後も、どんな方向からでも物事を理解できるよう努力し、自分の考えもしっかり持てるような生き方をしていきたいと思います。

5組 「重要なもの」

 藤原先生が初めに挙げた重要なことというのは、論理的思考、知識、美的感受性の三つです。この中でも一番大切だと思われるのは、美的感受性、つまり高次の情緒で、これがないと研究も成功せず、凡人になってしまうのだとおっしゃっていました。これを育てるのは日常の無駄に見える時間で、これを踏まえ無駄なことは本当にないのだと改めて思いました。次に、あることを達成するには野心、執着心、楽観的という三つのことが大切なのだそうです。特に楽観的というのは意外と大事なことで、頭がよく働くようになるだけでなく、挫折から這い上がるためにも必要です。そこで先生は、楽観的になれる方法を教えてくださりました。褒め言葉を思い出すという方法です。私も苦しい時はこれを実行していこうと思いました。最後に論理・合理・理性+美的情緒が世界を救うのだと話されていました。貴重なお話を伺うことができて光栄に思います。

 

6組 「強い心を持つ」

 藤原先生は、理論的思考力、知識力、情緒力という三つの力が大切であるとおっしゃていました。論理的思考力とは、物事を筋道を立てて考えていく力であり、以前から多くの人が言ってきたことです。知識力とは、物事を論理的に考えていくために必要な知識であり、基礎となる力で、この力が足りないと、物事を論理的に考えられず、大局的に見ることも出来ないと、おっしゃていました。そして、最も大切な力が情緒力だとおっしゃていました。情緒力とは、動物にもともと備わっている喜怒哀楽ではなく、教育によって育てられてきた「高次の情緒力」である。例えば、将棋や碁の世界で、達人は、次の最善の一手となる一手が一つだけ、美しい形で見える。この美しいものを美しいと感じる力が「高次の情緒力」、藤原先生がおっしゃていた情緒力です。この情緒力によって正しいスタート地点を見つけ、蓄えておいた知識力を使って、物事を理論的に考えていけば、正しい結論が導き出されるとおっしゃていました。自分は、美しい形を見つけ出せる感受性と、惻穏の心を持って、その上、野心と執着心も心の中に持ちながら、自分にはできるという強い心で、物事に立ち向かおうと思います。

6組 「考え方の変化」

 私は藤原先生のお話にとても感銘を受けました。何故なら、藤原先生のお話は私が今まで聞いてきたことや考えていたことと異なった考えであったためです。
 私は今まで、自分を客観的に見て、冷静に物事を判断するのが理想であり、正しいことだと教えられてきましたし、私自身もそうあるべきだと思っていました。しかし、藤原先生は主観的に自分を見て、楽観的になれば良いとおっしゃっていました。私が今まで考えていたことと、まさに正反対のことだったので驚くと共に、確かに常に客観的に自分を見て冷静になろうと神経を使うよりは、主観的に自分を見て少し楽観的になった方がかえって良い判断ができるかもしれないと思いました。
 また、藤原先生は、自分が最大の敵であるともおっしゃっていましたが、私はどんなことにおいても負けたくないと思う相手がいて、その人に勝つために努力し、互いに切磋琢磨して自分を高めていくのであり、最大の敵は他人だと思っていました。それもよく考えてみると、相手に負けたくないと努力するということは、努力するために自分の中の様々な感情と戦っているということであり、言い換えれば自分が最大の敵だということになります。
 藤原先生の講演をお聞きし、今までの自分の考え方が全く異なったものであったりと考え方が大きく変化しました。まだ、興味深いお話ばかりでとても貴重な時間となりました。

 

7組 「広い視野を持つ

  僕は、今回の講演会で、「論理より情緒」という話を聞いて数学に対する考え方が変わったように思います。藤原先生は、数学を解くには、問題を解く力である論理だけではなく、問題を見つけ出す感性である情緒力が大切だという話をしていました。藤原先生の言う情緒力とは、普段僕たちが解いているあらかじめ決められた問題を解く力ではなく、新しく問題を発見するためのセンスのことだそうです。僕にとって、数学を解くことは、与えられた問題を解くことであって、新しく問題を作ろうなんてことは、考えたこともありません。だから、藤原先生の話は、新鮮でした。やはり、数学を職業としている人は、考えることが違うと思いました。僕は、文系で、数学は苦手だし、数学者になるつもりもないけれど、藤原先生のように広い視野を持って、様々なことに取り組んでいこうと思いました。 
 また、野心を持つこと、その野心に執着心を持つこと、そして、楽観的になることが大切だという話がありました。野心とは、身分不相応な望みのことだそうです。だから、野心とは、自分の現状に満足しないで、もっと高いところを目指そうとすることなのだと思います。そして、野心をいつまでも持ち続けることが執着心であって、野心が挫折したときに立ち上がるために、楽観的になることが大切なのだろうと思いました。
 藤原先生の話は、数学に関してだけでなく、色々な分野に通じることだと思いました。

7組 「強い信念」

 藤原正彦先生の講話は今の自分に自信を持たせてくれました。なぜなら藤原先生のおっしゃった3つのことが全て今の自分に必要なことだったからです。その3つのことというのは簡単にまとめると、将来の夢・目標といった野心を持ち、それへ強く執着し、野心を実現するまでは楽観的であり続けなさいということでした。今の自分の野心は東大に合格することです。そのために日頃の勉強、授業に集中し絶対に合格するのだという強い信念を持っていきたいです。自分は悲観的な方で、いつも物事をマイナスに考えてしまいます。しかし、藤原先生があるフランス人の数学者はいつも難問を前にしてIt’s so easy!と自分に自信をつけて取り組んでいたとおっしゃっていました。これは良い方法だなと自分は思いました。テストや模試の問題を前にして、「こんなの楽勝だ」くらいの気持ちで臨みたいと思います。しかし、そうするにはそれなりの実力を持ち合わせていないといけません。誰にだって挫折はあると藤原先生はおっしゃっていましたが、自分は勉強においてそれを味わったことがありません。つまり挫折するほど勉強したことが無いからです。挫折を味わうくらい今後は頑張りたいと思いました。今回の講話で自分の勉強に対する姿勢をつくることができて良かったと思います。

 

8組 「価値観を考え直す」

 私は今回のイベントが行われる前、どういうお話がされるのか全くわかりませんでした。「国家の品格」の名前は知っていましたが、内容までは知らなかったからです。しかし、実際の先生のお話はとても興味深いものでした。また、それと同時に自分が元々持っていた価値観を考えさせられるお話でもありました。
 まず、今の教育のお話から始まり、昔と今の日本や世界が今どのような状況にあるのかまで話が広げられました。特に共感したお話は教育のあり方についてです。最近物理学や化学者の日本人による大発見のニュースをよく見かけます。先生は「この人達は今のような教育を受けて育ったのか。」と疑問を投げかけられました。どうなのだろう、と私は考えてしまいました。先生は情緒力こそが今必要なのである、とおっしゃいました。これは生まれつきの力ではなく教育によって培われるものだそうです。今は情緒を育てるような教育が失われつつあるのでしょうか。数学は論理的には解けない、美的感受性こそが必要である、というのは少しびっくりしたお話でしたが、自分の中に日本的な情緒は育っているのだろうか、と心配になりました。また、昔の日本の心を今の日本に取り戻せれば日本は世界で一番すばらしい国になるという話では強く心をうたれました。日本人は他国の人とは違う価値観を持っています。将来国を背負っていく私達がそのことを心がけていけば、「日本人らしい」日本が世界に評価されるのだ、と私は考えます。

8組 「意見を発すること」

  先日、藤原先生がこの江戸川学園取手高等学校にいらっしゃてくれました。僕も中学一年生の時にあった朝読書で、若き数学者アメリカという藤原先生がお書きになった著書を読んだことがあったので、講話をしに来てくれると聞いてものすごく興奮しました。藤原先生は今現在、お茶の水女子大学で教授をなさっていて、この江戸川学園取手高等学校で数学という学問を教えてくださている杉本先生の恩師でもあるそうです。誰かに恩師と言われる先生というのは大変素晴らしいと思うので、講話が楽しみで成りませんでした。藤原先生の話し方は、人を惹きつけるものがあり、開始10分もしたら学校の全ての人が夢中になって話を聞いていました。「これはこうだ」とはっきりと述べて、反対意見を恐れていませんでした。多少なりとも皆、反対意見があったら、「本当にこれで大丈夫なんだろうか」と後々不安になります。しかし、藤原先生はそんなことを全く感じませんでした。将来、僕もこんな人になりたいと思います。また、藤原先生のご講話は、この前あった学年部長板橋先生の話の内容と一致している点がいくつもありました。高いレベルで話をしている人は同じことを考えているのだと思いました。藤原先生からは色々な事が学べたので、これを普段の生活に生かしたいと思います。

 

9組 「情緒力を育てる」

 先日、藤原正彦先生の講演会に参加しました。藤原先生は数学者でいらっしゃるので、論理的で難しいお話をなさるのだろうと思っていましたが、実際はとても親しみやすく、かつ分かりやすいシンプルな言葉で伝えてくださったので、とても楽しく拝聴させていただきました。
 「情緒」という言葉が先生のお話の中で繰り返し出てきました。辞書的な意味だと「情緒」は「情緒不安定」などという言葉で使うように喜怒哀楽を示していますが、先生の講話の中での「情緒」の意味はそれではありませんでした。私達が普段感じていること全てが、例えば勉強の悩みや人間関係のことなどが、私達を成長させる鍵である「情緒力」を育てているそうなのです。今悩んでいること、楽しかったこと、友達との何気ないおしゃべりなど、一見何でもなく思えるようなものでもたくさん経験していき、「情緒力」を高めていきたいと思いました。私達高校生は、子供でもなければ大人でもない微妙な年頃で、微妙な年頃だからこそ毎日いろいろなことが起きるし、いろいろなことを感じます。この先の人生を大きく左右する時期なので、否定することはせずに思いっきりやりたいことをやり、「情緒力」を育てていくことが、今の私達がするべきことなのだということを教えていただきました。高校生活は人生で一度きりなので、後悔することがないよう毎日楽しんでいきたいと思います。

9組 「無駄な時間が大切」

 数学者でいらっしゃる藤原正彦先生の講話で、「情緒力」についてお聞きしたのは、とても意外なことでした。先生の講話の中には共感できる内容がいくつもあり、「まったく取るに足らない時間」こそが「情緒力」を育てるというのもその一つでした。僕は前々から、無駄を徹底的に省き、何事も簡略化する社会に疑問を抱いていました。まったく無駄なことにこそ人生の楽しみがあり、そこに本質があるのになぜ、と思っていました。無駄を排除した社会には何の面白味もないと思います。無駄な時間は実はとても重要な意味を持っているのです。特に子供の頃のそれは、人生をも左右してしまう程の影響力を持ちます。僕自身も小さい頃に過ごした無駄な時間は、今では何にも変えることのできない宝物として記憶に残っています。その無駄な時間が今ある自分の根っことなっていることは言うまでもありません。
 無駄な時間の重要性の他にも共感できるところはありました。それは、楽観的に考えることについてです。物事について最初から悲観的に見ていると、できることもできなくなってしまいます。物事を楽観的に見ることができるのは自分です。悲観的にしか見られなくなるのも自分のせいです。つまり、先生の言葉通り、自分にとって自分が最大の敵であり、支えでもあるわけです。心の持ちようで人は大きく変わります。すべては自分次第なのです。そう思えた講演会でした。

 

10組 「講演をお聴きして」

 7月11日に藤原正彦先生の講演をお聴きしました。パンフレットでプロフィールを見た際に小学五年生で将来は数学者になると決めたと書いてあってとても驚きました。数学者の方がお話しされるということで、とても難しいのだろうと最初は思っていましたが、とても面白かったです。藤原先生は知識がないことはとても怖いことだとおっしゃっていました。先生がおっしゃっていたように、例えば政治家が知識がないために正しい判断ができないとしたら怖いことです。また藤原先生は美意識についても話されていました。華道や書道などは、花はどこにでも咲いているのに、わざわざ生けるし、文字は読めればよいのに習字にするなど欧米人にはない文化だと思います。今回の講話をお聴きして、知識の重要性と同時に情緒の重要性についても認識する機会となりました。

10組 「教養と情緒」

  藤原先生のお話をお聞きして、一番記憶に残っている言葉は「教養」と「情緒」です。これは繰り返し藤原先生がおっしゃっていた、私自身大切なことだと思ったからです。この二つの言葉は一朝一夕につくものではなく、また感情を表にすることでもありません。どちらも感受性に関わります。「教養」は学習をして身につけるものではなく、物事の道理などを知っていることだと感じました。この教養を身につけることは、難しいのではないかと思いました。これは知識だけでは身につかず、時間もかかります。かといって、時間をかければ身につくと一概に言いきれないとも思います。学習のように単語を繰り返し練習すれば身につくのではなく、その対象への関心や興味があってこそ身につくと思います。情緒に関して藤原先生は数学についておっしゃていました。私は不思議に思いました。どうして数式に感動するのかと思いましたが、これは人によって違うのは当たり前だと考えました。言われなければ気がつかなかったことや私のように共感しにくいと思うことは、その世界を知らないからだと思います。また同じく感動など情緒を感じても人それぞれ差があります。教養と同様に難しいものだと思います。現代を生きるにおいて、知識や論理のみでは成り立たないと思われるものが多くあります。それらは、その根本が分かっていないからです。だから「教養」や「情緒」はそれを解して、解決や発展に結びつけるために必要なことだと講話を通じて想いました。