観劇会「赤ひげ」の感想

 

 

1組 女子

「お願いだから、長次を死なせてやって。そして私も長次と一緒に死なせて。」

「こんな風に死ぬのは良くない。持って生まれた寿命を自分で捨てるなど……」

これは、今回江戸取に来てくださった、東京芸術座のみなさんによる「赤ひげ」という演劇の中で、私が一番印象に残った場面での会話です。

あまりの貧しさに、盗みをたびたび繰り返すことでなんとか生き延びていた長次の盗みがばれてしまい、心中をして、皆で一緒に天国へ行くことを望んでいたけれども、「赤ひげ」こと新出先生や、新出のもとで修行中である見習いの保本の協力によって一命をとりとめてしまうという場面です。

なぜこの場面が印象に残ったのかというと、患者に「死なせて。」と言われ、悩んでしまった保本に対する「赤ひげ」の台詞がとても胸に響いたからです。それは、「人間は考えたことと感じたことを履き違えてしゃべることがある。しばらくしてからゆっくり考えろ。お前は本当に医者になりたいのか。病に侵された人間に真摯に対峙する気構えはあるのか。見習いとはいえ、お前は医者だ。助かる命は助けるのが当然だ。もし何かが欠けていたとすれば、患者の様子の変化、心の中を覗く努力が足りなかったのだ。」という台詞でした。私は将来、医師になりたいと思っているので、この「赤ひげ」の台詞は本当に身に染みました。そして、改めて『患者の様子の変化』や、『心の中を覗く努力』をすることの重要さを強く感じました。

他には、「この子は体も病んでいるが、心がもっとやられている。やけどのようにただれているのだ。」という台詞からは、人間は体の病気、つまり目に見える病気だけではなく、心の病気になることもありうるのだということ、そして、「病を治すだけではなく、人間そのものを直すのが本当の医者なのではないか。」という台詞からは、患者を、すべての面において、より健康な状態にすることが医師として本来あるべき姿であることなどが伝わってきて、「赤ひげ」の台詞は、将来医師を目指す者の視点から見れば、非常に勉強になることが多かったです。私も将来、貧困と無知を生み出すものに強い憤りを表し、行動を起こしていく「赤ひげ」先生のように、力強く、いろいろな方から信頼される医師になりたいと思いました。

最後に、今回の演劇「赤ひげ」を見て、感じたたくさんのことを、忘れないようにして、これから先のあらゆるところで、生かしていきたいと思います。東京芸術座のみなさん、とても素晴らしい劇を見せていただき、ありがとうございました。これからも、たくさんの人たちに感動を与え、活躍してください。

 

 

1組 男子

 私は今回の「赤ひげ」のような演劇を鑑賞する機会が少なく、小中学生の頃に学校で公演された演劇を数回、鑑賞した程度でした。今までに鑑賞した演劇も今回の「赤ひげ」も、今の時代とは全く異なった時代背景でしたが、当時の人々の考えも今の私たちの考えも似たようなもので、訴えかけていることは現代を生きる私たちが忘れかけている心情だと思いました。

 「赤ひげ」の舞台となったのは、江戸時代中期の貧しい患者の診療を行っていた養生所でした。物語はそこで医師として働くことになった保本という男が現れたところから始まりました。保本は当時、日本よりも進んだ医療技術を持っていたオランダの医学を学んでいて、医師として高い位に就くことを目指していたにも関わらず貧しい患者を診療することになってしまい、養生所内で反抗的な態度をとっていました。養生所の責任者であった「赤ひげ」こと新出医師にも素直に従っていませんでした。保本はせっかくオランダの医学を学び、優秀であったというのに、経済的に厳しくなっていく一方の養生所で働くことになり、非常に不満だったと思います。しかし、養生所での新出医師の言動で保本は自分の考えを変え始めました。医師の役目は病を治すのではなく、人間そのものを変えること、この新出医師の理念に賛同した保本は養生所で懸命に働いていき、患者一人一人と向き合っていきました。

 「赤ひげ」では社会的弱者の権利について訴えていたのではないかと私は考えます。いつの時代にも、どのような場所にも、強者と弱者は存在します。「赤ひげ」における弱者は貧しい患者達で、医師であり強者の立場である保本は弱者である患者の治療中に乱暴な態度をとっており、新出医師がいなければその態度を変えていなかったと思います。新出医師の小石川養生所は病院というより、今でいうボランティア施設に近いものだったと思います。私はそのようなところで活動出来ることは素晴らしいことだと思います。弱い立場の人のことを考え、助けになろうとする、そのような考えを持って行動して行きたいです。

 今回の演劇で得られたものはとても大きかったです。今後も機会を見つけて演劇を鑑賞したいと思いました。

 

2組 女子

今回、東京芸術座による「赤ひげ」を鑑賞しました。「赤ひげ」を鑑賞して、私は「赤ひげ」と呼ばれる新出去定に、強く惹かれるものがありました。

 ここで少し、あらすじを書きたいと思います。一人の若者・保本登は小石川養生所の責任者で、「赤ひげ」と呼ばれる新出去定に会うように言われて養生所を訪れますが、知らない間に養生所の医師として働くように、段取りがつけられていました。保本は、長崎で優秀な成績を収めての江戸入りでしたが、幕府の御番医になることを夢見ていたにも関わらず、貧しい患者を診療する養生所に送り込まれてしまい、心が沈んでいました。この行き所のない不満を抱えた保本は、ことあるごとに反抗的な態度をとります。しかし、様々な人々の生き様と世の中の有り様とに直面した保本は、反抗をやめ、「赤ひげ」の生き方に強く惹かれていく、という話です。

 一番初めに書きましたが、私も保本と同じように、「赤ひげ」・新出去定に惹かれたのだと思います。病気を治すだけではなく、その人の気持ちや考えをも、いい方向に変えていってくれる「赤ひげ」は、医者としてだけではなく、人として素晴らしいと思いました。私自身は医者を目指しているわけではありませんが、「赤ひげ」の話から深い感銘を受けました。

 また、ただ単に惹かれただけではなく、学んだこともたくさんあります。保本は、自分の思い描いていた未来とは違う現実に触れ、反抗的な態度をとっていましたが、こうしたことは私たちにも起こりうる話だと思います。誰でも自分の思い通りにいくような人生などはないと思いますし、自分の思い通りにいかずに壁にぶつかり、それを乗り越えていくからこそ人は成長していくものだと思います。そんなときに私たちは、反抗的になったり、事実に目を背けたりとかするのではなく、しっかりとその壁を見つめ、何をすべきか、どう行動すべきかなどを考え、事実に向き合うことが大切だということを学びました。私たちも、高校生になって、将来のことについてじっくりと考えなくてはならない時期を迎えています。そうした自分の将来に向けて進んでいくときに、もし保本のような立場になったとしても、今回観た演劇で学んだことが生かせればよいと思いました。

 最後に、私も「赤ひげ」のような人間になるために、自分のことだけではなく、周りのことや社会のことなどをきちんと考え、いろいろな出会いを大切にしていきたいと思います。また、人との関わりを大事にし、感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。

 

2組 男子  

 オーディトリアム大ホールで、東京芸術座の方々による演劇「赤ひげ」を鑑賞しました。この話は、山本周五郎著『赤ひげ診療譚』をもとにしています。

 時は江戸時代、主人公の保本登は3年間長崎で蘭学を学び、幕府の御番医になることを夢見て江戸入りしました。しかし、理想と違い、貧しい患者を診療する養生所の医師として働くことになりました。最初は、養生所の決まりに反抗していましたが、江戸幕府の悪政によって生活に困窮する人々の生き様と世の有り様に直面し、養生所の責任者である「赤ひげ」・新出去定の、貧困と無知とを生み出すものへの強い憤り、またそれに対して起こす行動に保本は胸を打たれます。その保本の心情の変化を描いた作品でした。

 私がこの演劇を見て、一番心に残ったのは、保本登が最初は御番医になることを夢見ていたのに、「赤ひげ」の姿に心を動かされ、最後、念願の御番医になれるのにも関わらず、「養生所」に残りたいと願った場面です。新出の持つ、正しい道を進み、間違ったことは決して許さない強い心が、保本登を変えたのです。人を変えること、そして人が変わることは、簡単なことではありません。実際、保本登の前にいた若い医者は、「赤ひげ」を乱暴だと嫌い、御番医になることを喜んで養生所を去っていきました。こうした身の処し方と比較してみると、保本が変化、成長できた原因は、「赤ひげ」の姿だけではなく、保本自身の中にもあったと思います。彼は、医学への関心が強く、患者をなんとしてでも救いたいという気持ちを人一倍持っていました。だからこそ、「赤ひげ」によって変化することができたのだと思います。

 この劇で、心に残った「赤ひげ」の台詞があります。世の中の変化についていけない人々に気持ちを寄せる台詞です。「貧困と無知に苦しむ者たちに俺は却って人間の面白さを感じ、未来の希望が持てる」。厳しい徴税や学ぶ場の不足など、江戸時代には、貧困と無知を生み出すさまざまなものがありました。「赤ひげ」は、それらに対して強い憤りを表し、行動を起こします。間違ったことが浸透している世の中において、それを指摘することは、決して簡単なことではありません。大多数の人々は何にも言えず、間違ったことがまかり通ってしまいます。現代でもそうです。天下りなど政治的な問題をはじめとして、いろいろな問題が解決されていません。解決しようと行動する人がいても、他人から逆に非難されてしまうこともあります。社会自体が変わることで、こうした問題の解決を目指していかなくてはならないと思いました。

 

3組 女子

 私は今回「赤ひげ」を観劇して、新出先生の考え方に心を動かされました。物語が進んでいくのと同じように、彼の考え方がどれほど素晴らしいことかがわかったように感じました。

 最初の方では、私は新出先生を「素晴らしい人」とは思っていませんでした。人使いが荒く、長崎から帰ってきた保本の反論も聞かずに話を進めていってしまうような新出先生のことが私は嫌いでした。保本の言葉に耳も貸さずに自分の都合だけで話を進めてしまうこんな医者のところに患者がくるのだろうと思ったこともあったほどです。しかし、話が進んでいくうちに、新出先生が「貧困と無知のために苦しんでいる者たち」のために一生懸命働いていることが分かり、私は自分の考えが至らず、情けなくなりました。それと同時に、貧しくて生活が苦しい人も精一杯生きている。その手助けをしている新出先生や保本たちはすごいなと思いました。

 今回のパンフレットには「赤ひげ」の原作を書いた山本周五郎さんが「どう生きたか、ではなく、どう生きようとしたか」ということに重きを置いた、とありました。私はこの言葉を見たとき、とても驚きました。「どう生きようとしたか、よりも、どう生きたか」の方が重要だろう、なぜこんなところに重きを置いたのだろうかと思ったからです。しかし観劇した今、なぜそうしたかが分かるような気がします。「どう生きたか」というのはただの結果です。「本当はこんな風に生きるつもりはなかったが、結果的にはよい生き方をした」ということもないとは言い切ることができません。それに対し「どう生きようとしたか」というのは結果ではなく、途中経過のことを言っているのだと思います。

「どう生きようとしたか」ということには必ず「このように生きる」と決めた目標があります。その目標があれば、その人の生き方は自動的によくなっていくと思うのです。これは人の生き方だけでなく、勉強にも言えることだと思います。「この大学へ行く」という目標があれば、自動的に自分の計画通りに勉強ができると思います。

 私には「教師になって人に物を教える」という目標があります。しかしそのような目標があるにもかかわらず、生き方も勉強もなかなかよくなっていません。今回「赤ひげ」で、私はとても多くのことを学ぶことができました。ここで学んだことはこれから生きていく上で大切なことなので忘れずに生きていきたいです。そして、自分の目標である教師になって、新出先生や保本のように人が生きていく手助けをしたいと思いました。

 

3組 男子

主人公の保本登は長崎への遊学が終わると小石川養生所から呼び出されます。養生所の責任者である新出去定、通称「赤ひげ」に会うように言われてやってきましたが、すでに養生所の医師として働くことが決まっていました。保本はさまざまな人々の生き様と世の有り様に直面します。そんな中、「赤ひげ」が貧困と無知を生み出すものに強い憤りを表し、行動を起こしていく姿に保本は胸を打たれます。

「赤ひげ」を観劇して、強く感じたことは、貧しいということは不幸なことであるということです。しかし不幸であるから可哀想ということではなく、人間が自分の力ではどうすることもできない運命や不幸に見舞われたとき、それをどう受容するかということを見せてくれます。不幸には多くの面があると思います。不幸を背負った者にしか分からない事、味わえないことも、また不幸になって初めて幸福だった自分を知ることもあると思います。不幸があってこそ偉大な人生が歩めるということまで考えさせられます。

だからといって、不幸は幸福に裏打ちされているから大切なのであって、不幸単体であると、あまり良いものではありません。貧しいということは、それだけ自由の幅がせまいわけです。やれることは少なくなり、自由はききません。親が貧しいと、子も貧しくなってしまうのです。

ここで僕が思ったことは、親への感謝です。日常生活も一般よりは高く、私立の進学校にも入れてもらいました。世の中には貧しくて勉強したくてもできない人々が多くいますが、僕はそうではありません。好きなだけ勉強ができます。環境も整っています。そんな中で自分は果たして勉強をしているかと考えると、その時間も短く、密度も浅くしかしていません。

今回、「赤ひげ」を観劇して、僕は今精一杯生きなければ貧しい人に対して失礼だということを感じました。例にあげた勉強だけでなく、できることを精一杯やらなければならないと強く感じました。

 

 

4組 女子

 私は、主人公保本登の大きな成長を通して、色々なことを学びました。まず、保本は、通称「赤ひげ」、新出去定と出会って、すぐ行われた手術で挫折を味わったと思われます。最初の彼はプライドが高く、やけに自分を過大評価している節がありました。そんな中で、あの過酷な手術を目の当たりにし、そこで自分は何もできなかったということに気づきます。あの手術のシーンはとても迫力があり怖い印象があります。様々な境遇が重なって、彼のプライドはずたずたにされてしまいました。しかし、人生においてはそのような経験は大切であると思います。自分の無知や無力さを知ることは、自分を見直し、大きく飛躍させるチャンスです。医師は患者の命を預かる仕事で、少しの判断ミスも許されません。知識が乏しいのはとても怖いことです。医学の知識に関わらず、私もこれからの人生でどんどん多くの知識を積極的に吸収していきたいです。

その後、保本は様々な登場人物に出会いますが、私が一番印象に残ったのは、お絹と長治一家です。お絹は人を異常なまでに怖がり、避けていて、保本は最初いらだっていました。「患者の気持ちに寄り添いなさい」という赤ひげの言葉に私は胸を打たれました。もし心が傷ついている人が近くにいたら、私はどう接するだろうと考えてみました。私はこうした方が良い、ああした方が良いとアドバイスをしてしまっているのではないかと思います。「気持ちに寄り添う」とは、真摯にそして丁寧に接することだと思います。辛い思いをできるだけ吐かせてあげて、その上でどうこの困難を抜け出せるかを自分で見つけさせていくことが、本当に人を救うことではないかと私は思いました。赤ひげは、病だけではなく、人間の心を治し救ってきていました。長治のように、一見とても元気そうなのに、実は色々なことを悩んでいるという人が自分の周りにもいるかも知れません。彼ら一家は結果的に無理心中を図ってしまいますが、そうなる前に外からは見えない心の闇に気づいてあげられる人間になりたいです。

最終的に、保本はこの養生所に残れることになりますが、彼は地位や名誉よりも大切なものを見失わずにいます。私も人のために全身全霊をかけられるような人間になりたいと思います。

 

4組 男子

 この演劇は貧困や無知に対する戦いがテーマの作品でした。貧困だと必ず心が貧しくなり、荒んでしまうのでしょうか。はたまた豊かならば絶対の幸福を得ることができるのでしょうか。僕はこの演劇を見て、人間の幸福とは一体何であるかについて考えました。

 貧しくても幸福度世界最上位の国があります。ブータンというユーラシア大陸内陸部の辺境にある小さな国です。しかし一方では江戸時代の日本のように反乱を起こす農民達もいました。また、現代の豊かになった日本やアメリカなど先進国の幸福度は低いのです。僕は幸福には二種類あると思います。

 一つは物質的な幸福です。何かを得たときに感じる嬉しさや、何かを成し遂げたときに感じる達成感です。人間の文明を今現在まで発展させてきたのはこの物質的な幸福感を得るための人々の努力に他なりません。しかし、その先に幸福が継続するかは分かりません。その得たものを、当たり前に存在するものだと思ってしまうと、幸福感をいうものの本質は日常の中にあると思います。普段の生活の中で、継続的に感じられる幸福感が人間として本当に重要だと思うのです。

 演劇では、江戸時代の日本で幸福そうに見える人はあまりいませんでした。しかし「赤ひげ」こと新出去定と、見習い医師の保本登の、劇の後半では幸福とは少し違いますが、明らかに使命感に燃えていました。夢がある人には希望があります。それだけで夢のない人とは生き方が違うのです。そして、ブータン国民は皆そういう人々だと思うのです。希望の先に幸福は存在すると思います。現代の日本ではあまり大きな夢を持っている人はいません。また、常時希望を持っている人も少ないと思います。それが幸福でない一つの理由だと思います。また、僕は仲間に誇りを持つことで人は幸せになれると思います。さらに、常に感謝の気持ちを持つことで人はもっと幸せになれると思います。常に感謝していれば、日常のどんなものにもありがたみを感じ、自然と幸福になれるのです。

 人間は医学をはじめ、絶えず科学を進歩させてきました。たしかにそのおかげで豊かになった人は存在しますが、幸福感には直結しませんでした。また、貧富の差は拡大の一途を辿り続けています。日本では今、ほとんどの人が昔に比べて豊かになっています。しかし、幸福度は変わっておらず、自殺者の数も増えています。僕は皆が幸福になるためには、皆がそれぞれ人にために良いことをすることだと思います。全ての人が周りに幸福感をもたらしていけば、一人残らず全員が幸せな気持ちに慣れるはずです。貧困でも無知でも、前向きに生きるべきです。前向きな気持ちこそが、幸福への第一歩なのです。僕はこの演劇から、このように感じました。

 

5組 女子

  今日、私は赤ひげというお芝居を鑑賞しました。今回の演劇に対する感想を一言で表すと「驚きと感動」でした。私は、最初「赤ひげ」を鑑賞すると聞いた時、全く内容が想像できませんでした。赤ひげとは今回の演劇の舞台である小石川療養所の責任者、新出医師のあだ名でした。私が赤ひげに抱いた印象は少し厳しくて、高圧的でありながらとても頼りがいがある患者第一主義の医師です。少ない予算のなかでの多くの患者を相手に、多くの問題を抱えながら貧困と無知に憤りを感じながらも一心に患者を助けている様には、とても感動しました。また、もう一つ感動した点は、最後に保本医師が出世するチャンスを目の前にしながらも、そのチャンスを捨て療養所に残ると決意したことです。お芝居のはじめでは、保本医師は貧しい患者を診なければならないところに赴任させられたことに対して不満を募らせ、大変反抗的な態度をとっていました。赤ひげの医学に対する考え方や患者に対する接し方を知るに従って心を開いていく保本医師を見ていると、改めて赤ひげの人望のすごさを感じました。長崎帰りだというプライドと知識だけで患者を診ようとして、患者自身と向き合おうとしていなかった保本医師が、人を通して病を診ることができるようになっていく変化に深く考えさせられました。どのように豊富な知識を持っていたところで、知識だけでは頭でっかちになってしまいます。やはり、経験や思いやりは何事においても欠かせないことなのだと感じました。そして、「貧困」ということに対しても考えさせられました。食べるものが無く、空腹でめまいがする・人を売り買いするということは、今の日本では考えられません。あまりに悲惨な時代背景に衝撃を受けたとともに、今の自分の境遇に感謝しました。


 上演時間は1時間45分だったのですが、そんなに長い時間、劇を観ていたということを感じないほど引き込まれ、心を揺さぶられました。そうした感動を与えて下さった東京芸術座の皆さんに感謝するとともに、このような観劇の機会を与えて下さった学校にとても感謝しています。ありがとうございました。

 

5組 男子

 今回、このような機会に東京芸術座の方々の『赤ひげ』を観劇できたことを僕は大変嬉しく思います。劇団の方々の素晴らしい演技、そして原作『赤ひげ診療譚』に込められたメッセージを伝えようとする姿勢に強く感銘を受け、同時に「表現者」としての見本の姿を学べたような気がしました。
 僕はこの学校では文芸同好会に所属していて、小説を書いて部誌として学内出版したり、インターネット上のサイトに投稿したりしています。そのため普段からどうしたら他人に自分の考えていることが伝わるかを考えることがあります。頭の中にある物語というものはなかなかどうして扱いづらいもので、それが既存の作品であれ、オリジナルの作品であれ、それがいくら人を感動させる物語であっても、それを上手く表現した人に伝えなければ全く意味がありません。小説なら文章、音楽なら旋律、映画なら映像、そして演劇なら演技と、自分の感覚を他人の五感で実感できるように語りかけなければならないのです。その語り手となるのが「表現者」であると僕は思います。
 今回観劇した『赤ひげ』は物語の背景における起承転結がある話ではなく、様々な出来事が起こる環境の中に主人公が身を置いていくうちに主人公の価値観が変わっていく様子、さらにそこから生まれた主人公の決意を描いた「心情描写」に重点を置いた話でした。これを表現するのは非常に難しいことで、ただでさえ文字を使用して心情の直接表現ができる小説でも自分の思うように上手くは人に伝えられないのに、ましてや動作と台詞だけで全てを表現する演劇でそんなことができるのかと僕は観劇しながら思っていました。しかし役者の方の一つ一つの演技がとても繊細で、泣く演技や叫ぶ演技全てが感情的であり、気がつくと僕はすっかり『赤ひげ』の世界に引き込まれていました。途中からはもう何も考えることなく、ただただ役者の方の演技を心で感じていました。
 今回の観劇で自分が一番感じたことは、何といっても東京芸術座の方々の迫真の演技力でした。個々人がそれぞれ共通の表現を成し遂げようとする姿に非常に感激しました。特に主人公の保本登の心情の変化が自分には印象的で、さまざまな問題にぶつかり、困惑して、そして成長していく過程を描いたこの作品はとても優れたものだと思います。舞台演出もこっており、また一時間四十五分といったわずかな時間の中であれほどの作品に仕立て上げられた脚色および演出の方も素晴らしい表現者だと思います。
 『赤ひげ』の観劇会は純粋に演劇として楽しめ、また、自分にとって様々な勉強となりました。僕もこの高校生活の中で東京芸術座の方々のような表現者になれるよう、日々精進していきます。

 

6組 女子

 赤ひげという作品を初めて知りました。小石川養生所の医師となった保本登の話です。小石川養生所と聞くと、目安箱への建議にもとづいて設けられた施設ということしか思い浮かびませんでした。養生所を続けていくのはとても大変そうでした。養生所は収容者の食事や薬を無料で提供しています。しかし、幕府から経費を削減されてしまいます。さらに収容人数は次々と増えていきます。医師たちも疲労が蓄積されていっているようでした。
 
江戸時代には、今ほど医学が進歩していません。養生所の責任者である新出も、「患者の症状や様子で病名が分かったとしても、治療法がないため医師は何も出来ないことが多い。」と嘆いていました。苦しむ患者を目の前にして何も出来ないというのは、悔しいというか自分自身に対して腹立たしい気持ちになったのではないかと思います。このような状態から現在のところまで医学が進歩したのは、保本のようにオランダ医学などを学び、それを広めていったからだと思います。しかし、進歩したとは言え、今も治療法のない病気が多くあります。また、新しい病気も発見されています。医学の進歩は永続的に必要とされるものだと思います。治療法を見つけ出すためには実験が必要です。そして、その実験をするためには多額の費用が必要となります。しかし、現状では日本の実験の費用はまだ少ないそうです。そのため外国で研究をしている人もいます。これからは国内の環境がより整備されてほしいと思いました。

 

6組 男子

  今回、私は東京芸術座による「赤ひげ」を鑑賞しました。この劇は、小石川養生所が舞台になっている江戸時代のお話でした。一人の若者、保本登が養生所の責任者である「赤ひげ」に初めは反抗的な態度をとるのですが、次第に「赤ひげ」の生き方に強く惹かれていきます。

 私はこの劇を鑑賞して、胸を打たれたことや学んだことはあります。その一つ目は、困っている人を助けるという精神です。保本登が「赤ひげ」に胸を打たれた動機は、「赤ひげ」が貧困と無知を生み出すものに強い憤りを表していたからです。「赤ひげ」は病を治すだけではなく、人間そのものを治すのが本当の医師ではないかと考え、生活に困っている貧しい患者を助けていた医師です。「赤ひげ」の言葉に「富み栄えている者よりも貧困と無知のために苦しんでいる者たちにこそ人間のもっともらしさを感じ、未来の希望が持てるように思える」というものがあります。この言葉に、そして、自分のことよりも他人のことを優先して多くの人を助けようとする精神に、私も保本と同じく強く胸を打たれました。私も「赤ひげ」のように困っている人に手を差し伸べ、他人のために自分の人生を尽くせるような人間になりたいです。

 二つ目は、直面した問題に立ち向かうことで人は成長するということです。保本登は、養生所で働き始めたときは自分の理想とは違うところで働いているため、不満を抱えて反抗的な態度を取っていました。しかし、彼は様々な人々の生き様と世の有様に直面したり、「赤ひげ」の貧困や無知を生み出すものと闘っている姿を見たりして、気持ちに変化がありました。あんなにも養生所で働くことを嫌がっていた保本登が、最後の場面では自ら養生所で働き続けたいと言いました。それには、新たな困難に立ち向かおうとする彼の決意の強さが現れていて、働き始めたときと比べてとても成長したと感じました。今後は、私も自己変革することで自分自身を高めていきたいです。

 

7組 男子

 僕は、「赤ひげ」の劇を見て、いろいろなことを学びました。

 まず、この「赤ひげ」は江戸時代の養生所を舞台にしています。長崎でオランダ医学を学んだいわばエリートである保本は、江戸に出てきて幕府の御番医になることを夢見ていましたが、父の友人の推薦により、小石川養生所に送られ、知らぬ間にそこの医師になってしまいます。そこで「赤ひげ」と出会い、医術の意味や本質に気づいていくというストーリーです。

 「赤ひげ」は貧乏と無知が敵だと言っていましたが、まさにその通りだと思います。なぜかというと、きちんと三食食べられる人は健康であり、あまり病気をしないからです。しかし、三食どころか満足に食べられるかどうかすらわからない人は不健康であり、病気にもかかりやすくなってしまいます。病院へ行くと、お金がかかります。しかし、満足にものが食べられない人は、病院へ行くお金がありません。病院も利益を出さなければ経営していけません。給料をもらえなければ医師、薬剤師、看護師の人たちも生活ができません。そのような中で自分の給料をけずり、患者を無料で見る「赤ひげ」はすごいと思います。「赤ひげ」は医師という職業の本質を理解し、どのような人が自分を必要としているのかということがわかった上で医師を続けています。また、幕府に逆らってでも無料でやり続けることもすごいと思います。僕もこのようにしっかりと職業の本質を理解し、自分がどのような人に求められているのかということをしっかりと見極めて将来の職業選択に生かしていきたいです。

また、この劇の中で最初、保本はいやいや養生所の仕事をしていました。しかし、最後は医師という職業の本質を理解し、きちんと目標をもっていました。僕もこの江戸川学園取手高等学校での残り二年半の生活の中で自分の目標をしっかりと見つけられるようにしていきたいです。

 今回、「赤ひげ」は医療関係の話でした。しかし、別に医科コースだけが関係しているというわけではなく、精神力や物事の本質を理解することなど、様々なことを学べました。もっと視野を広げ、江戸川学園取手高等学校での残りの二年半で行われるひとつひとつの講演会などからできるだけたくさんのことを学び、この学校を卒業して、社会に出てからも役に立つことができるようにしていきたいです。また、このような、すばらしい作品を見て、自分の心をもっと豊かなものにし、心豊かなリーダーとなるためのかけ橋にできればいいなと思いました。

7組 男子

 今回の「赤ひげ」は、江戸時代の約千八百三十年〜千八百四十四年、つまり天保年間の時代のことです。天保と聞いて真っ先に思いつくのが天保の大飢饉、天保の改革などです。天保の大飢饉といえば、寛永・享保・天明に続く江戸四大飢饉の一つです。そのような大飢饉に見舞われていることも考えると当時の実際の養生所は僕達の想像をはるかに超える苦難があったと思います。

 あらすじによると養生所は2度の飢饉に見舞われており、また江戸政府の悪政によって訪れる人々は一様に生活に困窮しています。そのような養生所に知らない間に医師として働くことを主人公(保本登)は決められてしまいます。許嫁との破談などもあり、不満を強い不満を抱えた主人公は、最初、ことごとく反抗的な態度をとっています。しかし、養生所にかかわる人や養生所に療養に訪れる人々の生き様や、世の在り様に直面しているうちに、考え方が徐々に変わっていきます。そして、最後には、「病を治すだけでなく、人間そのものを治すのが本当の医師ではないのか」と考え始めています。この物語を通して、主人公は応えきれない問題にぶつかりながら大きく成長していることが表されています。

 このような主人公の心の変化に触れ、僕も楽な方へ逃げるのではなく、困難に立ち向かい自分を変えていきたいと思いました。難しい事をするより簡単な事をするほうが自分にかかる負担が遥かに少なくすみます。楽な選択肢があるならば、いつも楽な方を選んでいました。後先考えずに目先のことだけしか考えないで楽な方を選んでしまうと、後で後悔することになります。安易な方法には安易な結果しか得られないのです。しかし、頭でわかっていてもなかなか変えられません。困難に向き合うような生き方はなかなかできないのです。この赤ひげを観て改めて、困難を乗り越えることができればその分の確かな充実感と結果がついてくることに気づき、困難な事に向き合っていきたいと思いました。

 また、大飢饉などのせいで自分一人ですら生きることが難しい状況で、貧しい者(弱者)を見捨てずに助けるということのすばらしさについても深く考えさせられました。普通は他人よりも自分を優先してしまいます。今回の劇では貧しさ、無知からくる様々な問題を抱えた人々が困っているのに対し、赤ひげ先生は、そのような人々を見捨てずにまるで我がことのように助けています。その行為によって命を救われた人物もいました。僕はその尊い行為に強く心を打たれました。

 自分達の生活においても、同じような場面にこれから何度も向き合うことがあると思います。そういうことに立ち向かう正義と勇気の気持ちを強く持ち、また、他人の困難にはこれを見過ごさず援助するような仁の気持ちを大切にしていきたいと思います。

 

 


8組 女子

 私は今回初めて赤ひげというお話を知りました。有名な東京芸術座という劇団の方々が、今回私たちの学校でやってくださるということで、以前からとても楽しみにしていました。赤ひげは江戸時代が背景のお話で、演じていた方々の着ている服や家の造りなどが、昔風の雰囲気で、見ている私たちまで、まるで江戸時代にタイムスリップしているかのようでした。それはやはり、出演していた方々の演技に心がこもっているからだと思います。今回のこの劇を見ていて、出演している方々がなりきっている登場人物の心情、気持ちがひしひしと伝わってきました。

 長崎から小石川養成所へと来た、保本登は、初めは「こんな貧しく、汚いところで働くのは絶対に嫌だ」と、周囲の人々に言っていました。しかし、いろいろな出来事、例えばお絹との出会いや、一家心中しようとした家族の手当てなどを通じ、彼は成長していきました。私は、その彼の成長は「赤ひげ先生」と呼ばれている新出去定の影響が強くあったのではないかと思います。人々が貧困と飢えで苦しんでいるにも拘わらず、江戸幕府はその状況を改善しようとはしません。幕府に「赤ひげ」は怒りを感じながらも、そんな体制には負けないという強い意志が感じられました。最終的に保本登は、小石川養成所から離れることが決まっても、自らここで働いていきたいと言っており、彼が「赤ひげ先生」のように、強く成長したことを見ている私たちも実感することができました。

 この「赤ひげ」というお話は、医師という仕事だけではなく、どんな仕事でも自分の信念を持ち、まっすぐに取り組んでいくことが大切であると、今回の劇で学ぶことができました。私は今、高校生で、これからの人生をどのように生きていくのか、どのような職業に就いていくのかはまだ分かりません。それは私だけではなく、江戸取にいる皆さんもそうだと思います。しかし、たとえ生き方が違っていても、しっかりとした強い意志を持つことが必要なのだと思います。

 今回、「赤ひげ」では、たくさんのことを学ぶことができました。東京芸術座の劇団員の皆さん、本当に有意義な時間をありがとうございました。

8組 男子

 今回赤ひげという作品を鑑賞し、様々なことを感じることができました。普段あまり劇を鑑賞することがないので、とても良い経験になりました。今回の劇を通じて、江戸時代の医療のことがとてもよく分かりました。貧困者はどの時代にもいます。現代となっても平等という問題は改善されていないと思います。今回の劇から医療問題、そして貧富の問題について改めて考えるきっかけを得られました。医療問題については、劇の台詞でもあったように、医学は日進月歩しているという言葉がとても印象に残りました。今の時代と江戸時代の医学を比較すると、大きな差があります。その長い歴史の中で様々な人物が関わっています。僕も医学というと全く違う世界のように考えてしまいます。しかし、医学に関わる勉強も必要だと、今回の観劇から学ぶことができました。今回の劇では、江戸時代の貧困者への看病の仕方などが良く再現されていてとても面白かったです。蘭学の医学知識や当時の人々の生活についてもっと深く知りたいと思いました。日本の歴史を学ぶことで今の時代につながる部分があると思います。そして昔の人々の精神を大切にすべきだと思いました。江戸時代の医学の精神も今でもとても大切だと思います。薬や機械がない中で治療をするということはとても大変なことです。また、人々の貧富の差の問題についても考えることができました。劇を見ると、貧困者はひどい仕打ちを受けたりしていましたが、昔の人々の貧富の差に対する考え方をもっと知りたいと思いました。平等という言葉があったのかどうかも分からない時代に、貧困者はかすかな光を頼りに日々生活していたのだろうと思います。なぜ裕福に暮らしている人々と助け合うことができなかったのか、様々な思いはありますが、それは現代の社会にも影響していることは少なからずあります。現代でも仕事のない人や、生活が満足に送れない人々がたくさんいます。そのような人々の問題をしっかり考えることが私たちには求められていると思います。

 今回の劇を通して、医療と貧富の差について考えることができました。時代が進んでいくにつれて改善される問題もあると思いますが、また新たに生じる問題もあると思います。そういう問題とどう向き合うか、現代に生きる私たちに求められていることを忘れてはならないと思いました。

 

9組 女子

 私は、七月頃に校内でのイベントに関する掲示物で観劇会のことを知ってから、この作品を見られる日を楽しみにしていました。私は、今まで見た演劇は、「アイーダ」や「オペラ座の怪人」など、劇団四季のミュージカルだけでした。ですから、初めて見る東京芸術座の公演はどのようなものなのかとても興味がありました。

 大ホールに入場したとき、まず舞台上に設置された大道具の大きさと迫力に、大きな感動を覚えました。いつも色々な先生方の講話をお聴きしている時のホールとの違いは大道具と背景が設置されていることが、私にとっては舞台が別世界であるかのように見えました。

 演目が始まってすぐに、私は次の感動に出会いました。役者の方々の声が、まるでマイクを使っているかのような、大きく、ホール中に届く声だったからです。更に、それは張り上げて出しているものではなく、ごく自然な声でした。

 私がこの舞台を見ていて、一番印象に残ったものは、赤ひげの、「人の死」や「医療」に対する強い信念です。なぜなら、赤ひげは、決まりに従わずに、治療を必要とする人々を治療したり、「人の死ほど荘厳なものは無い」と言って、当時の医療の技術を使っての治療だけではなく、もう亡くなる直前の患者のそばにいて、死を見届けるように主人公に言ったりと、自分の歩む道を強く信じて医者の仕事をしていたからです。私は赤ひげのように強い信念や心意気を持って生きることは、職業に関係なく重要なことだと思いました。

 最後の、保本さんが赤ひげに頭を下げて「ここに居たい」と強く懇願するシーンも印象的でした。赤ひげは、その後の保本さんのことなどを考えて、保本さんは自分のところにいない方が良いと強く言っていました。しかし、保本さんの心意気に打たれ、彼は保本さんが診療所に残ることを許可しました。赤ひげのこの場面での厳しい言葉は、本当は保本さんのことを考えてのことだったと分かり、赤ひげの心の広さ、優しさに感動しました。

 私はこの観劇会で、様々な物の見方が変化しました。それに、今まで見ていた劇団四季とはまた違うすばらしさであり、東京芸術座の劇を機会があれば是非観たいと思いました。これからも時間を見つけて、毎年一回でもプロの演劇を観たいと思いました。

9組 男子

 僕はあのように演劇を間近で見たことが今までありませんでした。つまり、初めてのことだったのです。そして、内容はもちろん良かったのですが、何よりも演じている役者さんたちが本当に楽しそうに演じていると思いました。あのように、自分の仕事に熱中できて、なおそれを楽しみに出来るのはすばらしいことです。僕もそのような職について、自分の仕事に誇りが持てるようになりたいと思いました。

 役者さんの演技は本当に素晴らしいものでした。喜ぶシーン、怒るシーン、哀しむシーン、楽しそうなシーン、喜怒哀楽が繊細で、感情移入も巧みでした。それでいてユーモアにも満ちていました。嫌われ役の人には申し訳ないとも思いましたが、多少の嫌悪感も抱きました。気がついたら、僕も、もうその世界に入っていました。村人Aになったように、これはシナリオ通りに行われる演劇だと分かっていても、その場その場でハラハラドキドキという感情が止まりませんでした。劇が始まる5分前は、観劇に対してあまり興味が持てませんでしたが、僕の予想は良い意味で裏切られました。演劇を鑑賞している間に、すっかりその世界に魅せられてしまっていました。

 僕はこのように演劇や、それに近いドラマなどはあまり見ない方です。しかし、その代わりアニメや漫画などは本当に大好きで、毎日必ず見ています。しかし、僕はこれらをただの暇つぶしとして見ているわけではありません。その場の台詞の意味や、表情、音などを深く感じ、まるで国語の勉強をしているかのような錯覚さえ感じます。

 そして、僕は今回、同じように、表情、音などを中心に見ることにしていました。しかし、演劇を鑑賞したのが、初めてだったので難しく、その場で考える余裕を持つことができませんでした。また、先に述べたように、演劇の鑑賞中はその内容にすっかり魅せられてしまっていたので、そのようなことは忘れていました。そのこと自体は少し悔しかったと思います。

 僕は演技というほどのものではありませんが、アニメや漫画の真似を友達とすることがあります。演じていて、とても楽しく感じます。ですから、生き生きと演じている役者さん達も、こんな気持ちから演技の世界に入っていったのかもしれないと思いました。

 演技という世界のことに関して考えると、俳優よりも声優の方に興味があります。それはやはり、アニメなどが好きだからだと思います。そのような考えを持つ僕自身でしたが、今回の「赤ひげ」はもう一度観てみたいと思える作品でした。今回の鑑賞会で得るものが多くあり、とても良かったです。