「九州修学旅行」感想文
 1組 

 

 今回の修学旅行は僕にとって、とても充実したものになりました。なぜなら、結団式で副校長先生がおっしゃっていた、普段の生活ではなかなか学ぶことのできない三つの柱である「異文化理解」、「平和学習」、「歴史観の涵養」を学ぶことが出来たからです。「異文化理解」においては、APUで海外からの留学生とふれあうことによって、留学生達のカルチャーショックや日本の見方などを学ぶことができ、また英語に対する学習意欲を高めることも出来ました。「平和学習」では、第二次世界大戦時に実際に原爆が投下された長崎の平和公園を訪れ、原爆資料館で原爆の脅威について学び実際に戦争や原爆投下を経験された方の話を聞くことが出来ました。実際に原爆が投下された長崎で戦争や原爆の恐ろしさを目で見たり、手で触れたりすることでしか感じることのできない想いを感じることが出来たと思います。最後の「歴史観の涵養」においては、弥生時代の吉野ヶ里遺跡にはじまり戦国時代の熊本城、明治時代の御花など、様々な年代の歴史や文化にふれることが出来ました。
 また、僕は今回の修学旅行において、この三つの柱以外にも学ぶことがあったと思います。それは、仲間の大切さや協調性です。今回の修学旅行は、今までの研修旅行や体験学習、勉強合宿よりも班行動が多くありました。その中で、最後まで皆がバラバラになってしまうことなく協力し続けることができたのは、班員一人一人が、班行動が中心の協調性というものを学ぶことが出来たからだと思います。さらに、班行動において大切な時間厳守も今回の修学旅行では徹底することが出来たと思います。僕達が宿泊した部屋が毎回集合場所から遠かったということもあり、全員が早め早めの行動を心掛けることが出来ました。また、五分前集合を守ることによって次の行動がスムーズになり、より自分たちの修学旅行を充実させることが出来たと思います。入学当初からずっと心掛けてきた挨拶も、今回の修学旅行で徹底することが出来ました。集合場所に向かう時や、ホテルの廊下で先生方やホテルの方とすれ違った時、街中で一般の方に声を掛けられた時など、挨拶をしなければいけない場面はたくさんありましたが、その度に大きな声で挨拶をすることが出来ました。
 今回の修学旅行では、副校長先生がおっしゃっていた三つの柱の他にも班行動や挨拶、五分前行動などたくさん学べることがあり、「遊び」の旅行ではなく「修学」の旅行にすることが出来ました。今回の修学旅行で学んだ事をこれからも生かしていきたいと思います。また、今回僕達が楽しく修学旅行に行くことが出来たのは、両親をはじめ、先生方、バス会社の方々やホテルの方など、たくさんの方々のおかげだと思います。本当にありがとうございました。


 

 私は、今回の修学旅行に参加して沢山の日常生活では絶対にできない体験をすることができました。
 一日目のどんこ舟は、二年ほど前に一度乗ったことがあったのですが、その時と季節が違ったこともあり、全く違った景色を見ることができました。また、家族や親戚と行くのと、友達と大勢で行くのとでも楽しみ方が全然違ったので、一つの事でも状況などが変わるだけで様々な見方ができるということを改めて認識しました。
 二日目のAPUでは、実際に行く前は初めて会う外国人の方と英語だけを使って交流するということがとても不安でした。でも実際にAPUで一日過ごしてみると、APUリーダー達が優しく接して下さったこともあって英語で話すことにチャレンジできました。リーダーと会話をする中で意味のわからない単語や聞き取れない単語が沢山ありました。でも、リーダーにわからないと伝えればわかりやすい単語で言い換えてくれたり、私たちが聞き取れるまで何度も言い直してくれたしりし、私たちも理解しよう真剣に取り組むことができました。一日のプログラムが全て終わる頃にはリーダーともすっかり打ち解けられていたし、本当に充実した一日を過ごすことができました。また、APUでのプログラムの一つであったPRENGOの紹介はとても強く印象に残っています。プレゼンのときに見た映像に写っていたPRENGOのメンバーの方々がとても生き生きと活動してらっしゃって、とても興味が湧きました。
 四日目の平和学習では、今までよりももっと原子爆弾の恐ろしさを感じました。私たちは、家族や友達などの大切な人たちがいつも近くにいることを当たり前に思って毎日を過ごしています。でも、戦時中の日本は決してそうではなくて、常に死と隣り合わせの生活であったことを、平和講話を通して感じることができました。今の日本では、社会全体が常に死と隣り合わせという状況を経験することはありません。だからこそ、普段から周りの人に感謝して過ごすことの大切さを痛感しました。そして長崎という場所で実際に戦争を経験した方から直接お話をお聴きするという本当に貴重な体験ができたことに感謝して、今もまだ世界中で核兵器が作られ続けていることや、その恐ろしさを後世に伝えていくことが私たちにできることだと思います。平和であることを当たり前に思わず、とても幸せなことであることをしっかりと認識することが大切だと思います。そのことに気づいたきっかけである原田先生には、とても感謝しています。ありがとうございました。
 今回の修学旅行は、全体的に周りの人たちに感謝することの大切さを学ぶことができました。五日間の班行動で班内でより協力することができるようになったし、クラスの結束力も高まったと思います。九州での五日間を忘れることなく、これからも仲間を大切にして楽しい学校生活を送っていきたいです。

 

 

 

 2組

 

  私は修学旅行を通じてたくさんのものを学ぶことができました。
 一つ目は立命館アジア太平洋大学での異文化体験学習です。私は、直前まで楽しみな反面、英語に自信がないこともあってとても不安でした。外国の方と交流しコミュニケーションを取るのも今回が初めてで、通じなかったらどうしようという思いでいっぱいでした。私たちのAPUリーダーは中国の方でとても気さくで話しやすく、積極的にコミュニケーションを取ることができました。通じるか不安だった私の英語力でもたくさんの事を話せて良かったです。でも私が使える表現方法が少ないせいで伝えるのに時間がかかってしまったものもあります。もっとたくさんの事を学んで身につけていきたいと思いました。異文化交流体験では学べたものがもう一つあります。それはプレゼンテーションとパネルトークでのことです。プレゼンテーションではAPUの学生の方々のお話を聞くことができました。APUの方々は自分の将来のことをとてもよく考えていらっしゃいました。留学をして様々なことを学んで身につけて目標を持っていました。明確な目標を持っていろいろなことに挑戦されていました。何よりも尊敬すべきだと思ったのは自分の理想論を語るのではなく、リスクのことも含めて考えて人生計画をしていらっしゃいました。自分のことをよく考えていたからこそできることだと思います。パネルトークでは一人一人が違った角度から話してくれた幅広い意見を聞くことができて自分の考えを深めることができました。異なる文化が交流することで可能性は無限に広がって私達の活用の仕方次第で良い方にも悪い方にも繋がるのだと思いました。
 四日目の自主研修では協力することの大切さを学ぶことができました。行きたい場所がたくさんありましたが、その中から絞って移動時間もたっぷりとって計画を立てたつもりでした。しかし思わぬところで時間がかかってしまい自主研修行程計画表通りに行動するのはとても大変でした、みんなと協力して地元の方々にもたくさん助けてもらいとても楽しかったです。
 私はこの五日間の修学旅行で様々なことを学ぶことができました。団体行動の大切さと責任、目標を持つこと、挑戦すること、このほかにも修学旅行だからこそ学べることがたくさんありました。私は三日目集合時間に遅れてしまいたくさんの方々に迷惑をかけてしまいました。修学旅行はすべてが集団行動で一人一人が自覚を持って行動することが大切なんだと思いました。楽しくとても充実した五日間でしたこの経験を生かして残りの半年も二組のみんなとたくさんの思い出をつくりたいと思います。

 

  中等部最後の旅行には、楽しい点が多くありました。その中で最も印象に残ったものは、立命館アジア太平洋大学(APU)です。ここの学生は皆英語で話すということを知っていましたので、最初はとても不安でした。実際プレゼンテーションやパネルトークに於いては訳してくれる人がいないと意味がわかりませんでした。このままだと一日何も分からないまま終わるのかとさえ考えていました。しかしその考えは昼食時に吹っ飛びました。僕らの担当学生の言っていたことを聞いていると、聞こえてくる単語と担当学生の素振りから何となく意味が分かるようになったからです。彼は韓国人でしたので、班員の名前をハングル文字で書いてくれました。また、こちらのつたない英語を理解しようとしてくれたので、間違いはあったとしても、何回か言うことで意味が通じました。この時から不安は楽しさに変わりました。午後になると異文化交流があり、担当学生が日本の不思議なところを五つ話してくれました、むろん英語だったのでわかりにくかったのですが、何とか意味を理解することができました。中には自分でも確かにそうだな、と思うようなものがあったりして、文化は違っても案外感性は似ているところがあるのだなと思いました。その後、グローバルという題でグループごとにまとめるグループディスカッションを、担当学生のアドバイスを受けながら進め、クラス内でのグループプレゼンテーションを行うときには意思疎通ができるようになっており嬉しく感じました。他の人も積極的に参加していて、最初面倒だなと思っていたところもありましたが、結局はみんな楽しんでいたように感じました。最後のクラス代表者による全体発表では、担当学生が発表内容を英語にしてくれて、それの感想もまた英語であったため聞いていてためになりました。APUでの交流が終了したときに感じたことは、外国人とコミュニケーションをとれたことの達成感と、自分の英語力のなさに対する無力感でした。それでも、一日中英語で話すということは貴重な体験で、英語への関心が高まりました。今回の旅行はAPUや平和学習のような学習機会の他に、自主研修という楽しみ機会があったり、良いホテルに泊まったりととても充実していました。自主研修は事前にしっかり計画をたてることで予定通り行動でき、気になっているところへ行くことができたので、APUの次に良かったと思っています。心残りのない最高の旅行でした。
 

 

 

 


 3組

 
 11月6日から4泊5日の修学旅行に参加して、様々な経験をしました。まず一つ目は、長崎で平和講話をお聴きしたことです。平和公園へ向かう途中でバスガイドの山口さんがしてくださった永井隆さんのお話を聞いてとても胸を打たれました。周りの友達の表情もとても暗くて、一人で戦争のことを知ろうとするよりも何倍も戦争の悲惨さを理解することができました。私は戦争を知りません。小学5年生頃までは母方の祖母から毎年、終戦の日には当時の話を聞いていましたが、その頃の私は幼くて、理解が全くできていませんでした。中学3年生になり、あの頃より少し大人になった私にこのような機会があり、 良かったと心から思います。
 二つ目はAPUでインドネシア人のフィデラさんと交流したことです。私は英語は苦手だし、初対面の人と話すということも苦手なので、正直初めはマイナスのイメージばかり頭の中にはありました。しかし冒頭のミレニアムホールでの活動時、私の隣に座ったフィデラさんは積極的に話しかけてくださったので、段々緊張もほぐれてきました。APUでの異文化交流の中で最も感じたのは、私たちの心の中にある世界は意外と小さいのではないか、ということです。私は、以前は異文化と言われるととても難しく、分からない遠いものだと思っていました。しかし実際には異文化というものは私たち日本人が感じている文化に近く、そして似ていたので以前の印象との違いにびっくりしました。これを感じたことで様々な大切そうなことにたどり着きました。共通点を見出すことでいろんな文化を持った人と仲良くできるということ。異文化を学ぶことで自分の国の文化への理解が深められそうだということ。そして、国籍や文化などは関係がなく、私たちはみな同じ人間だということです。異文化を知ると世界が近くなる。グローバル化が進んでいく現代の中で将来困らないような大人になりたいです。
 三つ目は長崎の自主行動についてです。自主行動はこの修学旅行で一番楽しみでした。お昼ごはんを食べたお店には4班ほどの江戸取生もいて楽しかったです。目的地までの道が分からずに周囲の人に尋ねたらとても親切に教えてくださって本当にうれしかったです。交差点付近で地図を囲んで迷っていたら、わざわざ声を掛けて教えてくださった方もいました。私も今度は困っていそうな人を見つけたら、自ら手助けをすることのできる心の広い人間になれたらな、と思います。
 最後にこの修学旅行では平和の尊さ、ありがたさや異文化を知ることの重要性など様々なことを学びました。私はこれらのことを正確に理解することで、将来は心豊かなリーダーとなれるようにこれからも毎日頑張っていきたいと思います。

 


  11月5日から中等部24期生は九州に修学旅行へ出発しました。以前から楽しみで、中3になって早く11月にならないかなと思っていました。しかし、集合場所は学校ではなく、羽田空港での現地集合でしたので、時間通りに空港に集合できるのか心配でもありました。期待と不安で始まった修学旅行でしたが、修学旅行から帰ってきて振り返ってみると、いろいろな出来事があったと思いました。一番印象的だったのが長崎での自主研修です。自分たちで好きな場所に見学に行けるし、好きなものが食べられるので、大変楽しみにしていました。不安点でもあった集合場所に遅刻するということもなかったのでよかったです。生まれて始めての路面電車にも乗れましたし、きれいな景色も見られたので、とてもうれしかったです。中華街もにぎやかでいろいろなお店もありました。
 九州修学旅行での3つの大きな柱の一つである長崎平和学習もとても印象的でした。原爆資料館の実物の資料一つ一つを見ることで、自分たちにも原爆の恐ろしさというものを実感できたと思います。平和講話でも実際に被爆してしまった方からの、後世に絶対に語り継いでいかなければならない大変貴重なお話をお聴きしました。講話を聴くだけでなく、自分たちがこれから何をしていかなければならないかということを考えていかないといけないと思います。また、三本柱の二つ目の異文化体験学習は楽しく、積極的にできたと思います。修学旅行に行くこと自体は楽しみだったのですが、APUに行くことにあまり気が乗りませんでした。バスの中から大学を見てみると、担当学生が横一列に立っていました。「この人たちと一日中英語を交わさないといけないと思うといやだな」と思っていましたが、いざ担当の学生に近づいていくと、とても高い声で歓迎されました。それがきっかけで一気に緊張が解けました。いろいろな話ができてとてもよい体験になりましたし、何よりちゃんとした英語が話せなくても、単語を言ったり、ジェスチャーをしたりすればなんとなくでも伝わるということが分かりました。言葉で伝わらなくても心が通じれば、コミュニケーションはとることができるということを実際に気づくことができたと思います。そして、三つ目の柱である、歴史観の涵養の点では様々な歴史的な資料を見ることができました。原爆資料館でもそうでしたが、熊本城や吉野ヶ里遺跡など大変昔の時代にタイムスリップできたと思います。熊本城での天守閣からの眺めは大変きれいでしたし、吉野ヶ里遺跡での竪穴住居や物見櫓は弥生時代の人々の暮らしぶりがよく分かりました。
 九州修学旅行では歴史的な部分からこれからの自分たちのことまで幅広く学びました。今回の思い出を大切にするとともに、学んだことを日常生活に生かしていこうと思います。


 

 

 4組
 

 修学旅行は、僕がこの学校に入学したときから、楽しみで仕方がなかった行事の一つです。紫峰祭など、他にも楽しみだった行事はありましたが、中等部と高等部で、それぞれ1回ずつしかない修学旅行は、特に楽しみでした。修学旅行のしおりが配られた頃、中等部での学校生活ももう終わりに近いと再確認し、また、修学旅行に出発するまであと少しだということで、とても楽しみでした。
 1日目、まず羽田空港に集合しましたが、毎日顔を合わせている皆と一緒だったせいか、よく知っているはずの空港が、今まで行ったことのある羽田空港とは違う場所に思えました。九州到着後、最初に行った柳川での川下りは、見たことはありましたが、実際に船に乗ったことはなかったので、とても楽しみでした。父方の祖父は、柳川の近くで働いていたので、修学旅行に出発する前に、あらかじめ祖父から話を聞いたりもしました。
 2日目のAPUについては、出発前から「自分たち以外に日本語を使う人があまりいないような環境で、まともにコミュニケーションすることはできないのではないか。」と不安でした。しかし、実際に行ってみると、単語だけでも充分意思の疎通ができたので、少し安心しました。そして、それまではよく知らなかったAPUについてや、PRENGOというサークルについての話を聞くことができたり、外国の方々の考えを聞いたりすることができました。APUで過ごした1日によって、これまで英語に対して持っていた嫌なイメージが、少し消えた気がします。
 3日目は、阿蘇山と熊本城に行きました。阿蘇山では、滞在した時間は短かったのですが、火山の火口に近付くという貴重な体験ができました。僕は、大阪城や姫路城には行ったことがありますが、熊本城に行ったのは初めてでした。関東にも、皇居など城や城跡を見られる場所はありますが、実際に見る機会はあまりないので、これも良い経験になりました。
 4日目は、長崎で実際に原爆を体験した方から、原爆についての講話をお聞きするなど、戦争と平和に関する学習をしました。先生方もおっしゃっていたように、これから原爆を体験した方々から直接お話しを聴く機会というのはなくなってゆきます。今回お話を聞けたことは、非常に良い経験になりました。
 5日目は、吉野ヶ里遺跡と太宰府天満宮に行きました。太宰府は、話に聞いたことはありますし、お守りも持っていますが、実際に行ったのは初めてでした。
 僕は、この修学旅行を通して、日本の歴史について、原爆の悲惨さと平和の大切さ、またグループ行動の大切さなど、本当に様々なことを学ぶことができました。この経験を、必ず今後に活かしていこうと思います。


 

 今回の九州修学旅行で一番心に残ったのは、長崎での平和学習です。今回の長崎の平和学習では、改めて戦争や原子爆弾のむごたらしさや、平和の大切さを感じました。広島や長崎からは遠い関東にいると忘れてしまう、戦争や原子爆弾について、もう一度考える良い機会になり、「戦争は絶対してはいけない」ということを再確認しました。原田先生のお話では、数少なくなった被曝者の方の直接の声で語られる、貴重な内容をうかがうことができました。とても辛く、悲しいお話でしたが、その辛さや悲しさを思い出してまで、僕たちに話して下さった原田先生の気持ちを、これからは僕たちが受け継ぎ、たとえ実際に戦争を体験された方がいらっしゃらなくなっても、僕たちの子供や孫に受け継ぎ、決して戦争の起こらない、平和な世界を創っていきたいと思いました。今回の長崎の平和学習では、日々の生活で忘れそうになる平和の貴さを再確認し、また戦争について多くのことを学べ、何よりも貴重な被曝者の方のお話をお聞きできて、とても勉強になりました。
 次に心に残ったことは、APUでの留学生の方との交流です。僕は普段英語が苦手なので、「海外との交流なんて、日本にいれば必要ないし、日本語さえ喋れれば良い。」と思っていました。しかし、今回APUで行った、留学生との英語を使った交流を通して、「やはり、海外の人たちとの交流は必要だ。」と思い直しました。それは、海外では日本とは違った物の見方がたくさんあって面白いことがわかったからです。また、そういった自分とは違った考え方をする人のことを理解することが、平和にも繋がるのではないかと思いました。さらにまた、グローバル化により、日本だけではできない何かができるようになるとも感じました。今回の交流を経て、苦手だからといって英語を遠ざけるのではなく、積極的に学び、そして使っていきたいと思いました。
 次に心に残ったことは、九州の豊かな自然です。僕たちは初日に柳川でドンコ舟に乗れました。その川はとても水がきれいで澄んでいました。また風も澄んでいて、都会では味わえない自然の豊かさがあり、とても癒されました。さらに、3日目に行った阿蘇山では、自然の美しさだけではなく、強さや恐ろしさも感じました。九州の豊かな自然を見て、僕は自然の大切さや偉大さを学びました。これからは自然をもっと大切にしていこうと思いました。
 その他にも、今回の修学旅行では、多くのことを学び、いろいろなことを感じることができました。とても充実した内容だったと思います。

 

 

 

 

 5組

 

 私は今回の九州修学旅行を通して考えたことが2つあります。1つ目は「初体験」ということについてです。私は、モノレール、飛行機、どんこ舟、路面電車に乗るのも、九州へ行くのも初めてでした。モノレールでは、電車よりも遠くの景色が見えました。一番驚いたのは、路面電車に乗る人の多さです。学生、高齢者、子供連れの親子など様々な世代の人々が大勢乗っていました。そのため、私たちは路面電車を待っていたけれども、次の路面電車に乗るように言われて、行ってしまいました。長崎では自転車に乗っている人をほとんど見かけませんでした。路面電車があるから自転車はほとんど必要ないのではないかと思いました。2つ目は「平和学習」についてです。私は広島にも、長崎にも今まで行ったことがありませんでした。だから、平和公園にある祈念像が原爆の脅威や、水、平和、犠牲者の冥福を祈っていることや、特定の人種の顔ではないことなどを初めて知りました。平和はどの国の人であっても、そうあってほしいと思うから、特定の人種の顔ではないのだと思いました。爆心地 公園では、その当時の地層を見ました。そこには、人が生活していた跡がありました。本当にそこに人々が生きていて、暮らしていたことが感じられました。原爆資料館では、爆風により曲がってしまったたらいや、 被爆した人の体から出てきたガラスの破片、爆風により破損した石像などを見ました。今まで、本で読んだり、小学校の授業で調べたり、総合の時間に調べたりなどしましたが、やはり実際の物を見てみると、原爆の脅威がより伝わってきました。私は自主研修で日本二十六聖人殉教地に行きました。そこでも、首だけになってしまった石像を見ました。平和講話では、実際に被爆された方のお話を聴きました。父親が留守の時に原爆が投下され、帰ってくるのを待つ不安な気持ちは、規模は違うけれど、東日本大震災の時に、私の父がなかなか帰ってこれずに、帰ってくるのを待っていた時のことを思い出しました。 被爆して、周りの人が次々と亡くなっていくのを見て、いつ自分が死ぬのだろうかと思って生きていくのはとても不安だと思います。そうして生き残った人も、今はもう年をとり、あと少ししたらもう誰もいなくなってしまうかもしれません。平和の中で生きることのありがたさを忘れずにいたいと思いました。

 


 私は今回の修学旅行に参加して、いろいろなことを学び、様々なことを楽しみ、たくさんの思い出をつくることができました。その中でも特に思い出に残っていることは3つです。一つ目は、APU異文化交流です。私は英語が得意科目なので、英会話も少しはできるかなと思っていましたが、実際、全くといってい良いほど聞き取れませんでした。リーダーの方などがゆっくり何度も話してくれたり、単語を紙に書いてくれたときは分かっても、全体で話している人の英語は全くといって良いほど聞き取れず、まだまだだなと痛感しました。もっと英語を聞き取って、自分でも話せるよう、訓練したいと思いました。また、向こうでの研修を通して、異文化を認め合い、出身国が違っても仲良く協力しながら未来を作り上げていかなければならないと思いました。「みんな違ってみんな良い」だと思います。また、私は、将来APUの学生さんたちのように海外ボランティアをしたいと思いました。今回の研修で、たくさんのことを学び、目標を見つけました。この目標に向け、これから努力していきます。2つ目は熊本城です。私は、歴史が好きで、特に戦国時代が大好きです。だから熊本城を見学できてとても 嬉しかったです。お城に行くまでの狭い道は、清正公も歩いたんだと思うとぞくぞくしましたし、貴重な資料も天守閣からの眺めも見られたし、とても良かったです。また、中のつくりもある程度残っているお城では、囲炉裏があったり、竈があったり、茶室や黄金の部屋、何と言っても108畳もの大広間があり、まるで時代劇か大河ドラマの中に入り込んだような気持ちで、本当に大興奮でした。本当に嬉しかったです。3つ目は平和学習です。資料館の見学と平和講話で原爆の恐ろしさをひしひし感じました。もし自分だったらと考えると、よけいに悲しくて、怖くて、涙が止まりませんでした。そのような体験を実際にした方が本当にいらっしゃるのだと思うと、とても心が痛みました。戦争は絶対にいけないことなのだと実感しました。私たちの世代は、戦争を絶対に起こさないようにするのはもちろん、戦争の残酷さ、原爆の恐ろしさを後々の世代に伝えていかなければならないと心から思いました。このほかにも、ここには書ききれないほどたくさんの思い出があります。今回の修学旅行で、たくさんのことを学び、たくさんの思い出を作ることができました。修学旅行に行かせてくれた両親、先生方をはじめ、この旅行を作ってくださった全ての方々に感謝します。


 


 6組
 

 私は、九州修学旅行で、とても有意義な五日間を過ごすとことができました。はじめに、旅行での三つの柱について振り返ります。
 まず異文化体験学習では、私達のために十九カ国ものAPUリーダーが参加してくださったことに感謝しました。私は人見知りな性格なので不安を感じていましたが、担当学生のザラさんを始め、APUの皆さんが温かく受け入れてくださって、私も頑張って話すことができました。私が最も深く感じたのは、積極性の違いでした。APUの人々は皆世界を視野に入れていますが、江戸取生はそうではなく、内向きな志向だったことに気付きました。私も英語は好きですが、海外への移住となると考えてしまいます。しかし、今回刺激を受け、APUの人々のようになりたいと、新たな将来像を見ることができたので、見失わないように、日々頑張りたいと思います。
 そして、平和学習です。授業や総合学習で色々と勉強してきたつもりでしたが、現地で学び、私達の予備知識では全く不十分だったことを思い知らされました。バスガイドさんからは、その時を生きた人々の様々な思いを学びました。資料館では、被害の悲惨さを改めて知りました。原田さんのお話からは、罪なき人々の多くの悲しみを知りました。自分達が戦争や原爆に巻き込まれることを想像すると、胸がしめつけられます。家族の安否を気遣う人、友達を目の前で失う人、自分より早く子供を亡くす人、そして何より、戦争・原爆で亡くなる人がいては絶対にいけません。昔の人々の意志を受け継ぎ、平和な世界にしなければならないこと、改めて、深く胸に刻まれました。
 それから、歴史観の涵養については、今回、御花や熊本城、長崎市内、吉野ヶ里遺跡や太宰府天満宮と、ほぼ毎日触れることの出来たテーマでした。色々な時代にタイムジャンプしましたが、特に印象に残っているのは、四日目の長崎です。長崎は外国との窓口であっただけあり、行く先行く先に、西洋や中国に関した建物があり、とても楽しかったです。多くの歴史が詰まった盛りだくさんの五日間でした。
 話は変わりますが、凄いなと感じたことを2つ紹介します。一つは、熊本城のコスプレです。忍者・武士・占い師など、それぞれの人が来場者を楽しませるために、役に成りきっていることに感動しました。そしてもう一つは、宿泊ホテルの素晴らしさです。城島高原ホテルでは、江戸取の動画を流して下さっていましたし、嬉野館は夕食が盛りだくさんであり、ホテルオークラは今の私達には豪華すぎました。景色も良く、五日間。毎日が素晴らしかったです。

 ここまで良い思い出を書きましたが、反省することもたくさんあります。そのことも忘れずに、五日間を胸にしまって、あと半年を切った中学生活を頑張り抜きたいです。


 

 僕は、今回の修学旅行を通じて、いろいろな面において多くのことを学んだと思います。
 一つ目は、異文化交流です。僕たちは二日目にAPUに行きました。僕は、修学旅行へ行く前は英語で話すことが面倒なことだと思っていました。しかし、実際にAPUでの異文化交流に参加してみると、グループリーダーの大学生の方が色々な話をしてくれ、とても楽しかったです。交流の中で「不思議の国日本」というコーナーがありました。そこでは、APUのリーダーが感じた自国と日本との違いを話してくれるコーナーでした。僕たちのチームのリーダーは韓国の方です。話の中で、僕が一番驚いたのは、韓国では首から上は触れてはいけないということです。どんなに親しい人でも、首から上を触れられるととても怒るそうです。このように、日本にいてはわからないことを知りました。これから、他の世界の文化や習慣、常識を知っていく必要があると思いました。
 二つ目は、平和学習です。長崎の原爆資料館にいるときだけ、みんなの空気が違うような気がしました。僕は、資料館での展示物に、言葉を失いました。小さな子は泣いていたりしていました。この展示されている資料を見て、いかに一瞬にして多くの人が命を失い、悲しみ、今でも苦しんでいる人が大勢いることを改めて実感しました。そして、今でも核兵器が増え続けていることを知り、どこで、いつ、また同じような悲劇が起きてもおかしくないことを知りました。そして、原田先生のお話では、その当時の様子、いる場所が少し違っただけで、今、この場にいられなかったということを聴き、ぞっとしました。人が殺し合うといった行為はおかしいと思います。いろいろな国々が平和を語っていますが、核兵器は増え続けています。本当に戦争にならないためには、今回の原田先生のように、その人の話を聴き、その恐ろしさを知るべきだと思います。しかし、十年後、二十年後には、当時のことを知っている人たちはいなくなっていると思います。そこで、僕たちが責任を持って次の世代の人へ伝えて行く必要があると思いました。
 僕は、この修学旅行を通じ、APUでは英語が話せることがいかに大切なことか、他の国では自分の知らない異文化を知り、長崎での平和学習では、戦争や原爆の悲惨さを改めて実感し、次の世代の人に伝えていくことが大切だと思いました。今回学んだことをこれからの生活に生かしていきたいと思います。


 

 

 7組
 

 私はこの修学旅行で、普段体験できないことをたくさんしました。特に印象に残っているのは、APUでの国際交流についてです。グリーンランドの方のお話では、グリーンランドの人は日本にたったの3人しかいないと聞き、とても驚きました。日本にはいったい何カ国の人がいるのか、とても知りたくなりました。機会があれば是非知りたいです。また、グリーンランドの方のこれからの夢を聞いて、素敵だと思いました。それと、私のグループリーダーはベトナム人のアンさんという女性の方でした。私たちはアンさんから日本とベトナムのカルチャーショックを聞いたとき、少しだけ世界を知ることができたような気がしました。グループディスカッションでは、グループで協力し合ってグローバル化についてみんなで考えを出し合いました。私の班の発表はクラス代表になりました。皆の前で発表するということは、中学に入ってから初めてなので、少しだけ緊張しました。また、私の班はすべて英語で、自分たちだけで発表しました。私はこのAPUで感じたことは、自分の英語の勉強不足です。気持ちを伝えようと頑張りましたが、伝わりきれなかったときもありました。また、英語が聞き取れなかったときもありました。次のこのような機会があったとき、自分が勉強不足だと思わないよう、ちゃんと勉強していこうと思います。
 他に印象に残ったことは、平和学習についてです。私が原爆資料館や爆心地公園などに行ったことがなかったので、たくさん思うことがありました。一番印象に残っていることは、資料館にあった、「十年後に足のこうから取り出されたガラス」です。見ているだけで、とても痛い気持ちになりました。もし私があの時代に長崎にいたら、多分生きているのが辛くなると思います。だから私は今、このように普通に生活できることが素晴らしいことだと思い、生きていこうと思います。平和講話で一番印象に残っていることは、サイレンの音です。テレビなどで聞いたことはありましたが、実際に聞くと鳥肌が立ってしまいました。なぜ原子爆弾を作るのか、とても疑問です。誰も嬉しいことなんかないと思います。私たちは写真を撮るたびに「ピース」をします。この「ピース」とは「平和」という意味です。また、勝利の「Vサイン」という意味もあります。昔チャーチルという人が、ピースをして「これは勝利のVサインではない。二本の指は広島と長崎のことで、広島と長崎の原爆により、平和がもたらされている」のようなことを言っていたそうです。私はこれを聞いたとき、何の意味もなく使っていたピースが、とても深い意味があったとは思ってもいなかったので、少し感動しました。このように、知らなかったことを少しずつ、いろいろなことを通して知っていきたいです。


 
 今回の九州修学旅行の中で最も印象が深かったことは、立命館アジア太平洋大学での異文化交流と長崎平和学習でした。
 まず、APUでの異文化交流についてです。研修を受ける以前は、いったいどんな感じで接していけばよいか分からず、当惑していましたが、いざ行ってみると自分から接してみることでコミュニケーションをとることができました。ここで、誰かとコミュニケーションをするには失敗をおそれずに自分から出ていることが重要だと再認識しました。これからは英語を使ってでなくても、自分の意見を発言するときや会話をするときなどにも自分から積極的に参加しようとする意志と、それを実際にすることが大切だと感じました。
 さて、次のAPUでは異文化とは何か、ということについて学び、考えました。そこで僕はまず異文化を理解していくためにどのような姿勢で接していくべきかを考えると、相手の文化の異なる点ではなく、共通点を注目する姿勢が大切になります。その理由として、最初から異なる点を意識して相互の文化の理解をしようとするのは、「自分はあなたとは違いますよ」と行って会話を始めることだからです。これでは相互の深い理解などということなど望めません。それに対して、共通点を見つけることは相互の親近感を芽生えさせることができ、理解をすることに近づいていかれるのではないかと思います。
 そして、グローバル化をどう活かしていくのか、という議題に対して、僕は自分から積極的、主体的に動くことによってグローバル化により時代の流れに乗って社会を発展させていくべきと思います。しかし、だからといって自分を見失う、すなわち日本の独特な文化をないがしろにして、なくしていくことがあってはなりません。グローバル化によって情報は世界中に伝わるようになり、その結果、文化が画一化、合理化される傾向があります。そして、それは日本の独特で美しい文化の損失に通じてきます。現に、現代の日本人で人のことを考えず、個人主義で行動するような人が増えているのもその影響があるでしょう。そのようにして日本の礼儀正しい文化を失うことは大きな損失です。まずは日本人、自国の文化をよく知ることが大切です。これからは自国の文化についてよく学んでいきたいと思います。無論、その家庭で日本中心主義を掲げるようなこともせずに、世界の中の日本という謙虚な姿勢で自国への誇りを高めていきたいと思います。
 次に印象に残ったことは長崎平和学習についてです。今まで長崎に原子爆弾が落とされたことについては文字でしか知りませんでした。そのときは、自分で分かっていたつもりになっていました。
 しかし、事前の総合学習などの機会で調べてみると自分が知らなかった事実や想像だにしていなかった悲惨な状況が分かってきました。そして、実際に爆心地公園や資料館を見学して、戦争とはなんて非常なものなのかと言葉を失ってしまいました。長崎という町は鎖国をしていた当時の日本の中で唯一、西洋の文化を採り入れ、定着させてきました。キリスト教を信仰している人々もかなりいたはずです。そのような街に原爆を投下するというのは、戦争というものが人間を非常にしまうせいからでしょう。
 最後に原田先生は平和講話をして下さいました。この中で特に印象的だったのは、今なおも原爆症に苦しむ方々がいると言うことです。原爆が落とされてから今年で 67年です。そんなに年月が経っているのに今になっても発症される方もいらっしゃることを聞いて、原爆というものの卑劣さ、そしてこのような兵器を二度と使ってはなりません。
 そのためにも、これからの世代を担う私たちが過去の過ちを素直に見直し、よく知ることによって、積極的平和を実現させようと行動することが大切です。受動的に行動するようなことはせずに、自分から何ができるのか考えていきたいと思います。
 修学旅行の中で以上の2つ以外でも九州の自然、文化の多様性を感じました。今回九州を訪れたことでいろいろなこちらとは異なる文化に興味を抱くことができました。この興味を好奇心に変えて調べていきたいと思います。
 最後にこの修学旅行に行くことができたのは、ホテルの方々、バスの運転手さんやガイドさん、原爆の体験を話して下さった原田さん、学校の先生方、そして両親といった人たちのおかげです。ここに感謝の意を示して、これから有意義な生活を送っていきたいと思います。有難うございました。これからも宜しくお願いします。




 

 

 

 8組  

 

  修学旅行はつい最近のことですが、今思い出すと内容が濃かったせいか少し前のことのように思えます。初めてのことばかりで全てが印象的ですが、その中で特に心に残ったのは平和学習です。
 私は小学校の頃から戦争について調べることをよくしていました。そうしているとやはり原爆のことは頭にはいってきます。広島では14万人、長崎では7万人が1つの爆弾で亡くなった。それは知った瞬間、衝撃的でした。そのとき私は14万人、7万人という数字がどのくらいかわかりませんでしたが、とてつもなく大きな数字ということだけはわかりました。そしてその後、私は図書館に通い、原爆がどのようなものなのか調べ始めました。だから私は小学生にしては多くの原爆についての知識を持っていたと思います。先生達はよく「原爆は特にいけない」と言います。理由は「非人道的兵器だから」といいう意見が最も多いです。それを聞くたび、何故非人道的兵器は特にいけないの、と私はいつも思っていました。同じ殺していることに変わりないのだから。爆弾7万個を使って7万人殺そうが、1個で7万人殺そうがどちらも同じくらいいけないことだと思いました。しかし、よく考えてみると原爆はその一瞬だけでなくじわじわと戦争が終わった今でも人々を苦しめていることが一番いけないのだと思います。
 今回、講話をしていただいた原田さんも後遺症があるとのことでした。原田さんの父もそのせいで亡くなっています。原田さんは私達に辛い思い出を淡々と話して下さいました。私は後半、急に涙が出てきて最後の詩を聞いたとたん完全に泣いてしまいました。詩は2つ読んで下さって、1つは原爆で亡くなった母への息子の気持ちで、もう1つは原爆で亡くなった息子を思う母の気持ちでした。たぶん私はその2つの詩に感情移入していたのだと思います。
 私達が戦争を経験された方の気持ちをわかることは出来ません。しかし考えることは出来ます。私が聞いた当事者の話は私の子どもの世代は多分聞くことができないでしょう。だからこそ、私達はその貴重な話をしっかりと受けとめ、考え、次の世代に語り継がなければいけないと思います。もしそのことをしなければいつか同じおろかなことが 繰り返されるかもしれないから。記念館は班行動だったのですが、もう少しじっくり見られたら良かったです。将来広島の方にも行ってみたいと思います。やはり戦争のむごさや悲惨さを象徴するのはこの 2つの市だと思います。
 この修学旅行はとても楽しかったです。考えさせられることも多かったです。高校生の修学旅行ではそれ以上の体験が出来るのを楽しみにしています。


 

 この5日間は感謝、感謝、感謝、感謝の日々でした。今回のこの修学旅行で僕は3つの感謝の気持ちを大事にしました。それは平和への感謝、支えてくれている人への感謝、そして友達、仲間への感謝です。
 1つ目の平和への感謝について、僕らは明日があることが当たり前だと思っています。こう思えるのは平和な中にいるからです。今回の平和学習で、原子爆弾ファットマンによる長崎の惨状を学び、さらに実際に体験した方からの話を聞き、いかに戦争が醜いものか学びました。僕は戦争は自己中心的な平和への欲望が生むものだと思います。自分が平和を求めるあまり、他人の平和を犯すことになるのです。例えば宗教的な争いにおいても、他の民族も同じ宗教にしてしまえば、勝った方の民族の宗教の平和は保たれます。しかし、負けた方の民族の宗教の平和は犯されます。また、領土の取り合いによる争いでも、領土拡大が出来れば国土に余裕が出来ます。それによって国の強さをアピールし、その国を攻めようとする国は減り、その国の平和は保たれます。その反面、国土を失う国の平和は犯されます。このように自己中心的な平和への欲望が、他人の平和を犯し戦争を生みます。では戦争を無くすためにはどうすればいいのでしょうか。僕はお互いの平和を欲し、平和な状況にある人々は平和に感謝することだと思います。第2の被爆国を出さないために僕達日本人は平和に感謝し、平和の尊さ、戦争の醜さを伝えていかなければなりません。
 2つ目の支えてくれている人への感謝について、今回の修学旅行にはたくさんの人達の支えがありました。旅行会社の方々、航空会社の方々、バスの運転手さん、バスガイドさん、ホテルの方々、そして先生方。この方々達がいなければ何も出来なかったでしょう。何十人もの人達の支えがあって、今回の修学旅行は成功したのだと思います。僕達は日々色々な人達の支えがあって生活しています。家庭では家族、学校では先生方の支えがあります。この人達の支えがなければ僕達はまともに生活など出来ないでしょう。従って僕達は支えてくれる人達に感謝しなければなりません。この感謝の気持ちを持てれば、周りの人々は快く支えてくれます。また、常に支えてくれる人達への感謝の気持ちを忘れてはいけません。

 最後の友達、仲間への感謝について、友達がいなければ今回の修学旅行はつまらないものになっていたと思います。友達がいたから楽しく過ごすことができ、また共感し合うことでより深く感動することが出来ました。今の世の中は友達、仲間同士の結びつきがもろいと思います。ほんの些細なことで結びつきが切れてしまうことが多くあります。本来人間は昔から辛い時も楽しい時も仲間同志で分かち合ってきました。しかし今日はそれを分け合おうとせず、独占するものや、分け合いたくても分け合えないものが多いです。何をするにも人間は誰かといた方がいいはずです。それが今崩れている原因は友達、仲間への感謝がうすれてきているからだと思います。時に友達、仲間とけんかすることがあっても、仲直りしたいと思うはずです。それは、その友達、仲間が好きで、一緒にいると楽しいからだと思います。どんなにけんかしても友達や仲間は最高です。そんな友達、仲間に感謝は自然に出来るはずです。
 今回の修学旅行は僕にこの3つの感謝の気持ちを深めさせてくれました。この3つの気持ちをこれからも育みながら生活していきたいです。



 

 

 9組
 

  私は11月6日から11月10日の九州修学旅行を通じて、学んだことが2つあります。まず1つ目は、異文化交流の時に学びました。2日目に立命館アジア太平洋大学を訪問しました。この立命館アジア太平洋大学では、パネルトークやグループディスカッション、グループプレゼンテーションなどを行いました。この中で、私が一番印象に残ったことは相互理解活動です。相互理解活動では、APUの学生さんが自国と日本の文化の違い(カルチャーショック)のTOP5を紹介していらっしゃいました。その中でも特に驚いたことは、味噌汁をスプーンで飲まないということに戸惑いを感じていらっしゃったことです。私たち 9b班がお世話になったAPUの学生さんは、中国出身のCiCiさんという方です。CiCiさんは日本に来て、味噌汁をスプーンで飲まないということに驚かれたそうです。確かに、お味噌汁はお箸で食べますが 、味噌汁意外のスープはスプーンやレンゲで飲みます。普段私たちが何気なく送っている生活の中にも、海外の方から見ればカルチャーショックを受けることがたくさんあるのだと感じ、とても楽しかったです。また、日本人の国民性である本音と建て前に、カルチャーショックを受けたこともお話してくださいました。私は、日本の文化にカルチャーショックを受けたことなど、全く出身国が異なる外国の人と共通語である英語で話せることの素晴らしさも学ぶことが出来ました。
 2つ目は4日目の平和学習のときに学びました。4日目に長崎の平和祈念公園や原爆資料館に行きました。また、実際に原爆が投下されたときにその場にいらっしゃった原田先生の講話もお聞きすることが出来ました。原爆資料館では原爆が投下されたときの被害の範囲や原爆の威力の大きさなどを知りました。原爆が投下されたことによって多くの死者や被害者が出てしまったことを実感しました。また、原爆資料館には原爆が投下された当時の映像や被害があった範囲、負傷した人達の写真、熱線で溶けて変形したガラスの瓶や水が沸騰したときになるような状態の煉瓦などが展示してありました。当時の日記などもあり、その日記を映像と共に流している場所もありました。私は原爆資料館を訪れて原爆の悲惨さを知りました。また、原田先生の講話をお聞きして原爆がどれだけおそろしいものかということも実感しました。原爆が投下された当時の様子、原爆投下後の被害を詳しくお聞きしました。私は原田先生の講話をお聞きして、原子爆弾は一瞬で全てのものを奪ってしまうのだと思いました。投下される前まではそこに存在していたものが、投下された後は跡形もなく消されてしまうのです。このような現状があるのにも関わらず今現在でも核を保有している国があると知り、原爆が投下される悲惨さを知っている私たちが止めなければならないと思いました。九州修学旅行を通じて平和であることは当たり前ではない、ということを実感しました。
 

 

 4泊5日の九州修学旅行を終えて、自分の中に深く印象に残っているのは、4日目の平和学習です。長崎を訪れて改めて平和を学ぶことが出来たと思います。中でも、原田美智子先生の平和講話では衝撃を受けました。今まで小学生の頃や中学に入ってから教科書の文字や挿絵の中でしか見てこなかった原爆という歴史が自分の中に飛び込んできた気がしました。小学 1年生、7歳という若さで被曝した原田さんの人生は今の僕には予想も出来ません。今までの穏やかな生活が爆弾1つで滅茶苦茶になってしまう原子爆弾の残虐さは原田先生のお話から、そのときの状態が目に浮かぶようでした。雲と雲の間に長崎の街が見えただけという偶然に偶然が重なり、原子爆弾が落とされたのかと思うと、憤りを感じました。爆発したその場にいなかった原田先生のお父さんまでも原子爆弾の残留放射線によって亡くなられて、僕まで悔しく感じました。ですが身近にいる大切な人が次々と死んでしまった原田先生の悲しさとは比較にはなりません。それと同時にその場にいなかった人までも被害を加える原爆の威力の大きさを感じました。原田先生が僕たちに教えてくださった事は絶対に思い出したくない思い出なのに過去を振り返って、お話ししてくださいました。僕たちもちゃんと過去を五感で知り、後に生まれてくる人に伝える義務があると思いました。原爆資料館では、被曝された方の遺体や傷跡など目を背けたくなるような写真がありました。僕もおそらくあの資料館にいた人全員が、知る必要があるという思いで、必死に目に焼き付けていたのではないかと思います。原爆のすさまじい威力や爆風、熱さの中で一本の柱でこらえ続け、実際に見ることができた神社の鳥居に、やはり神様はいるのだな、とそのたくましく堂々としていた姿に元気をもらえました。また、資料館の原爆投下直後の建物 1つない長崎の写真を見て、自主研修の時に訪れた異国情緒にあふれ、とても楽しい長崎に復興した長崎の底力に感動しました。日本は二度と戦争をしないということを憲法で定めており、僕たちの生活は原田先生のお話の通り、ボタン 1つで何から何まで機械がしてくれる生活を送っており、それが当たり前だと思っています。しかし、今回の平和学習で「当たり前」という言葉は使ってはならないと考えるようになりました。なぜかというと僕たちが考える当たり前の今日は、戦争や病気で亡くなった方々がどうしても生きたかった明日なのだから、ちゃんと生きようと思ったからです。「当たり前」はその生活や機械、食べ物を望んでいるのに叶わない人達に失礼と思いました。長崎、広島で大切な人をなくして悲しみに暮れている人もいるのだから今の生活の一瞬一瞬を大事にして、感謝の気持ちを忘れないで生きていこうと思えるようになれた平和学習でした。



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