1組
今回の修学旅行は僕にとって、とても充実したものになりました。なぜなら、結団式で副校長先生がおっしゃっていた、普段の生活ではなかなか学ぶことのできない三つの柱である「異文化理解」、「平和学習」、「歴史観の涵養」を学ぶことが出来たからです。「異文化理解」においては、APUで海外からの留学生とふれあうことによって、留学生達のカルチャーショックや日本の見方などを学ぶことができ、また英語に対する学習意欲を高めることも出来ました。「平和学習」では、第二次世界大戦時に実際に原爆が投下された長崎の平和公園を訪れ、原爆資料館で原爆の脅威について学び実際に戦争や原爆投下を経験された方の話を聞くことが出来ました。実際に原爆が投下された長崎で戦争や原爆の恐ろしさを目で見たり、手で触れたりすることでしか感じることのできない想いを感じることが出来たと思います。最後の「歴史観の涵養」においては、弥生時代の吉野ヶ里遺跡にはじまり戦国時代の熊本城、明治時代の御花など、様々な年代の歴史や文化にふれることが出来ました。
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2組
私は修学旅行を通じてたくさんのものを学ぶことができました。
中等部最後の旅行には、楽しい点が多くありました。その中で最も印象に残ったものは、立命館アジア太平洋大学(APU)です。ここの学生は皆英語で話すということを知っていましたので、最初はとても不安でした。実際プレゼンテーションやパネルトークに於いては訳してくれる人がいないと意味がわかりませんでした。このままだと一日何も分からないまま終わるのかとさえ考えていました。しかしその考えは昼食時に吹っ飛びました。僕らの担当学生の言っていたことを聞いていると、聞こえてくる単語と担当学生の素振りから何となく意味が分かるようになったからです。彼は韓国人でしたので、班員の名前をハングル文字で書いてくれました。また、こちらのつたない英語を理解しようとしてくれたので、間違いはあったとしても、何回か言うことで意味が通じました。この時から不安は楽しさに変わりました。午後になると異文化交流があり、担当学生が日本の不思議なところを五つ話してくれました、むろん英語だったのでわかりにくかったのですが、何とか意味を理解することができました。中には自分でも確かにそうだな、と思うようなものがあったりして、文化は違っても案外感性は似ているところがあるのだなと思いました。その後、グローバルという題でグループごとにまとめるグループディスカッションを、担当学生のアドバイスを受けながら進め、クラス内でのグループプレゼンテーションを行うときには意思疎通ができるようになっており嬉しく感じました。他の人も積極的に参加していて、最初面倒だなと思っていたところもありましたが、結局はみんな楽しんでいたように感じました。最後のクラス代表者による全体発表では、担当学生が発表内容を英語にしてくれて、それの感想もまた英語であったため聞いていてためになりました。APUでの交流が終了したときに感じたことは、外国人とコミュニケーションをとれたことの達成感と、自分の英語力のなさに対する無力感でした。それでも、一日中英語で話すということは貴重な体験で、英語への関心が高まりました。今回の旅行はAPUや平和学習のような学習機会の他に、自主研修という楽しみ機会があったり、良いホテルに泊まったりととても充実していました。自主研修は事前にしっかり計画をたてることで予定通り行動でき、気になっているところへ行くことができたので、APUの次に良かったと思っています。心残りのない最高の旅行でした。
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3組 |
4組 修学旅行は、僕がこの学校に入学したときから、楽しみで仕方がなかった行事の一つです。紫峰祭など、他にも楽しみだった行事はありましたが、中等部と高等部で、それぞれ1回ずつしかない修学旅行は、特に楽しみでした。修学旅行のしおりが配られた頃、中等部での学校生活ももう終わりに近いと再確認し、また、修学旅行に出発するまであと少しだということで、とても楽しみでした。 1日目、まず羽田空港に集合しましたが、毎日顔を合わせている皆と一緒だったせいか、よく知っているはずの空港が、今まで行ったことのある羽田空港とは違う場所に思えました。九州到着後、最初に行った柳川での川下りは、見たことはありましたが、実際に船に乗ったことはなかったので、とても楽しみでした。父方の祖父は、柳川の近くで働いていたので、修学旅行に出発する前に、あらかじめ祖父から話を聞いたりもしました。 2日目のAPUについては、出発前から「自分たち以外に日本語を使う人があまりいないような環境で、まともにコミュニケーションすることはできないのではないか。」と不安でした。しかし、実際に行ってみると、単語だけでも充分意思の疎通ができたので、少し安心しました。そして、それまではよく知らなかったAPUについてや、PRENGOというサークルについての話を聞くことができたり、外国の方々の考えを聞いたりすることができました。APUで過ごした1日によって、これまで英語に対して持っていた嫌なイメージが、少し消えた気がします。 3日目は、阿蘇山と熊本城に行きました。阿蘇山では、滞在した時間は短かったのですが、火山の火口に近付くという貴重な体験ができました。僕は、大阪城や姫路城には行ったことがありますが、熊本城に行ったのは初めてでした。関東にも、皇居など城や城跡を見られる場所はありますが、実際に見る機会はあまりないので、これも良い経験になりました。 4日目は、長崎で実際に原爆を体験した方から、原爆についての講話をお聞きするなど、戦争と平和に関する学習をしました。先生方もおっしゃっていたように、これから原爆を体験した方々から直接お話しを聴く機会というのはなくなってゆきます。今回お話を聞けたことは、非常に良い経験になりました。 5日目は、吉野ヶ里遺跡と太宰府天満宮に行きました。太宰府は、話に聞いたことはありますし、お守りも持っていますが、実際に行ったのは初めてでした。 僕は、この修学旅行を通して、日本の歴史について、原爆の悲惨さと平和の大切さ、またグループ行動の大切さなど、本当に様々なことを学ぶことができました。この経験を、必ず今後に活かしていこうと思います。
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5組
私は今回の九州修学旅行を通して考えたことが2つあります。1つ目は「初体験」ということについてです。私は、モノレール、飛行機、どんこ舟、路面電車に乗るのも、九州へ行くのも初めてでした。モノレールでは、電車よりも遠くの景色が見えました。一番驚いたのは、路面電車に乗る人の多さです。学生、高齢者、子供連れの親子など様々な世代の人々が大勢乗っていました。そのため、私たちは路面電車を待っていたけれども、次の路面電車に乗るように言われて、行ってしまいました。長崎では自転車に乗っている人をほとんど見かけませんでした。路面電車があるから自転車はほとんど必要ないのではないかと思いました。2つ目は「平和学習」についてです。私は広島にも、長崎にも今まで行ったことがありませんでした。だから、平和公園にある祈念像が原爆の脅威や、水、平和、犠牲者の冥福を祈っていることや、特定の人種の顔ではないことなどを初めて知りました。平和はどの国の人であっても、そうあってほしいと思うから、特定の人種の顔ではないのだと思いました。爆心地
公園では、その当時の地層を見ました。そこには、人が生活していた跡がありました。本当にそこに人々が生きていて、暮らしていたことが感じられました。原爆資料館では、爆風により曲がってしまったたらいや、
被爆した人の体から出てきたガラスの破片、爆風により破損した石像などを見ました。今まで、本で読んだり、小学校の授業で調べたり、総合の時間に調べたりなどしましたが、やはり実際の物を見てみると、原爆の脅威がより伝わってきました。私は自主研修で日本二十六聖人殉教地に行きました。そこでも、首だけになってしまった石像を見ました。平和講話では、実際に被爆された方のお話を聴きました。父親が留守の時に原爆が投下され、帰ってくるのを待つ不安な気持ちは、規模は違うけれど、東日本大震災の時に、私の父がなかなか帰ってこれずに、帰ってくるのを待っていた時のことを思い出しました。
被爆して、周りの人が次々と亡くなっていくのを見て、いつ自分が死ぬのだろうかと思って生きていくのはとても不安だと思います。そうして生き残った人も、今はもう年をとり、あと少ししたらもう誰もいなくなってしまうかもしれません。平和の中で生きることのありがたさを忘れずにいたいと思いました。 |
6組
私は、九州修学旅行で、とても有意義な五日間を過ごすとことができました。はじめに、旅行での三つの柱について振り返ります。 |
7組
私はこの修学旅行で、普段体験できないことをたくさんしました。特に印象に残っているのは、APUでの国際交流についてです。グリーンランドの方のお話では、グリーンランドの人は日本にたったの3人しかいないと聞き、とても驚きました。日本にはいったい何カ国の人がいるのか、とても知りたくなりました。機会があれば是非知りたいです。また、グリーンランドの方のこれからの夢を聞いて、素敵だと思いました。それと、私のグループリーダーはベトナム人のアンさんという女性の方でした。私たちはアンさんから日本とベトナムのカルチャーショックを聞いたとき、少しだけ世界を知ることができたような気がしました。グループディスカッションでは、グループで協力し合ってグローバル化についてみんなで考えを出し合いました。私の班の発表はクラス代表になりました。皆の前で発表するということは、中学に入ってから初めてなので、少しだけ緊張しました。また、私の班はすべて英語で、自分たちだけで発表しました。私はこのAPUで感じたことは、自分の英語の勉強不足です。気持ちを伝えようと頑張りましたが、伝わりきれなかったときもありました。また、英語が聞き取れなかったときもありました。次のこのような機会があったとき、自分が勉強不足だと思わないよう、ちゃんと勉強していこうと思います。 |
8組
修学旅行はつい最近のことですが、今思い出すと内容が濃かったせいか少し前のことのように思えます。初めてのことばかりで全てが印象的ですが、その中で特に心に残ったのは平和学習です。
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9組
私は11月6日から11月10日の九州修学旅行を通じて、学んだことが2つあります。まず1つ目は、異文化交流の時に学びました。2日目に立命館アジア太平洋大学を訪問しました。この立命館アジア太平洋大学では、パネルトークやグループディスカッション、グループプレゼンテーションなどを行いました。この中で、私が一番印象に残ったことは相互理解活動です。相互理解活動では、APUの学生さんが自国と日本の文化の違い(カルチャーショック)のTOP5を紹介していらっしゃいました。その中でも特に驚いたことは、味噌汁をスプーンで飲まないということに戸惑いを感じていらっしゃったことです。私たち
9b班がお世話になったAPUの学生さんは、中国出身のCiCiさんという方です。CiCiさんは日本に来て、味噌汁をスプーンで飲まないということに驚かれたそうです。確かに、お味噌汁はお箸で食べますが
、味噌汁意外のスープはスプーンやレンゲで飲みます。普段私たちが何気なく送っている生活の中にも、海外の方から見ればカルチャーショックを受けることがたくさんあるのだと感じ、とても楽しかったです。また、日本人の国民性である本音と建て前に、カルチャーショックを受けたこともお話してくださいました。私は、日本の文化にカルチャーショックを受けたことなど、全く出身国が異なる外国の人と共通語である英語で話せることの素晴らしさも学ぶことが出来ました。
4泊5日の九州修学旅行を終えて、自分の中に深く印象に残っているのは、4日目の平和学習です。長崎を訪れて改めて平和を学ぶことが出来たと思います。中でも、原田美智子先生の平和講話では衝撃を受けました。今まで小学生の頃や中学に入ってから教科書の文字や挿絵の中でしか見てこなかった原爆という歴史が自分の中に飛び込んできた気がしました。小学
1年生、7歳という若さで被曝した原田さんの人生は今の僕には予想も出来ません。今までの穏やかな生活が爆弾1つで滅茶苦茶になってしまう原子爆弾の残虐さは原田先生のお話から、そのときの状態が目に浮かぶようでした。雲と雲の間に長崎の街が見えただけという偶然に偶然が重なり、原子爆弾が落とされたのかと思うと、憤りを感じました。爆発したその場にいなかった原田先生のお父さんまでも原子爆弾の残留放射線によって亡くなられて、僕まで悔しく感じました。ですが身近にいる大切な人が次々と死んでしまった原田先生の悲しさとは比較にはなりません。それと同時にその場にいなかった人までも被害を加える原爆の威力の大きさを感じました。原田先生が僕たちに教えてくださった事は絶対に思い出したくない思い出なのに過去を振り返って、お話ししてくださいました。僕たちもちゃんと過去を五感で知り、後に生まれてくる人に伝える義務があると思いました。原爆資料館では、被曝された方の遺体や傷跡など目を背けたくなるような写真がありました。僕もおそらくあの資料館にいた人全員が、知る必要があるという思いで、必死に目に焼き付けていたのではないかと思います。原爆のすさまじい威力や爆風、熱さの中で一本の柱でこらえ続け、実際に見ることができた神社の鳥居に、やはり神様はいるのだな、とそのたくましく堂々としていた姿に元気をもらえました。また、資料館の原爆投下直後の建物
1つない長崎の写真を見て、自主研修の時に訪れた異国情緒にあふれ、とても楽しい長崎に復興した長崎の底力に感動しました。日本は二度と戦争をしないということを憲法で定めており、僕たちの生活は原田先生のお話の通り、ボタン
1つで何から何まで機械がしてくれる生活を送っており、それが当たり前だと思っています。しかし、今回の平和学習で「当たり前」という言葉は使ってはならないと考えるようになりました。なぜかというと僕たちが考える当たり前の今日は、戦争や病気で亡くなった方々がどうしても生きたかった明日なのだから、ちゃんと生きようと思ったからです。「当たり前」はその生活や機械、食べ物を望んでいるのに叶わない人達に失礼と思いました。長崎、広島で大切な人をなくして悲しみに暮れている人もいるのだから今の生活の一瞬一瞬を大事にして、感謝の気持ちを忘れないで生きていこうと思えるようになれた平和学習でした。 |