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「私の夢は小児科医になること」私の将来の夢は小児科医になることです。私の三つ年下の弟は食物アレルギーです。 弟が赤ちゃんの時は、卵や牛乳や小麦など、沢山の食物アレルギー反応が出ていて、現在も小麦アレルギーがあり、毎日お弁当とエピパンを持って通学しています。 アレルギー反応は激しく、体中が真っ赤に発疹が出て呼吸困難になります。私が小さかった時は弟が救急車に乗るたびに無事に帰ってきてくれるのか心配になりました。 弟の病気を見つけ、治療へと導いてくれた小児科の女医先生は私にとって小さい頃からの憧れの存在でした。 東日本大震災の時には、心身ともに傷ついた子供たちを治療し、以前の生活へ第一歩でも近づけようと努力する懸命な医師の姿がありました。 それを見てケガや病気だけではなく、傷を負った心のケアまで行って子供たちの笑顔を取り戻そうとする医師の姿に私は大きな衝撃を受けました。 小児科医になるために必要なことは、学力、判断力、精神力、コミュニケーション能力、そして一番医者に大切な「相手の立場になって考え、人を思いやる気持ちを持つこと」です。 小児科医は、言葉も話すことの出来ないようなとても小さな幼い子供も来るので、そんな幼い子供が伝えたいことを読み取らなければなりません。 だからコミュニケーション能力がとても重要です。このコミュニケーション能力は、紫峰祭や体育祭などの多くの人たちとふれ合うことで身に付けることが出来ます。 一番医者に大切だという「相手の立場になって考え、人を思いやる気持ちを持つこと」は普段の日常生活の中のマナーを守ったり、意見を交換したりすることで身に付けられます。 「規律は思いやりだ」とよく先生はおっしゃっています。だから、きちんと規律を守り、相手に迷惑をかけないように、常に相手のことを考えて行動したいと思います。今、世界中の子供たちが、何秒かに一人の割合で亡くなっているという事実があります。小さくて、幼い子供たちが育っていく途中に起きるケガや病気や心の痛々しい傷を治療したりケアしたりして、もう一度子供たちの幸せそうな明るい笑顔を見たいから、私は小児科医を目指します。 幼くて小さな尊い命を預かり扱う仕事が小児科医です。時には病気の重い子も来て治療が困難になることも出てくると思います。そんな時も冷静に最善の手を尽くして助けたいと思います。そして日本の子供たちだけではなく、海外の困っている人々のことも、もちろん助けたいと思います。 これからは、きちんと何事にも一生懸命に協力して取り組み、登下校や学校でのマナーを守っていきたいです。そして、立派な小児科医になれるよう精一杯努力していきたいです。 「私のやりたいこと」私には、まだ夢がありません。しかし、やりたいことはあります。 私は最近テレビ番組でシリア内戦について見ました。 内戦の原因は、「アサド」大統領の独裁政権に対する民主化要求」に「イスラム教内部宗派対立」が加わったもので、「アラブの春」を契機として勃発しました。 この内戦で何と言っても悲惨なのは、内線に巻き込まれた一般市民たちだと思います。彼らは平和を求めているだけなのです。 それなのに、彼らの家族や親戚、友人など、身近な人物が殺されてきました。残された人たちの心はとても悲惨な状態になっていると思います。 シリアから近隣諸国への避難民は増え続ける一方で、隣国レバノンでは15万人を超えてきています。 他の近隣国も同じように国境付近に設けられた避難民キャンプでは食糧の供給も十分でなく、難民の受け入れが限界に達しています。 ヨルダンに逃れるシリア難民の多くは、高齢者と子供たちです。60パーセント以上のシリア難民が18歳以下であり、保護者がいない子供たちも多くいます。 夜間に危険を覚悟で戦火から逃れた彼らの生活は、決して良いものとは言えません。物が少ない難民キャンプでは、強盗などもあります。 私がそんな彼らの生活で一番考えさせられたものは、水です。私たちの生活では蛇口をひねれば透明で完全な水が出てきます。 しかし、彼ら生活では蛇口をひねっても濁った水も出てきません。なぜなら、ヨルダンは世界で3番目に水が少ない国だからです。 だから、水はとても貴重なものなのです。多くの難民を受け入れている今、水不足はとても深刻です。飲料水はもちろん、シャワーも浴びられないそうです。 そんな中なので、衛生状態もひどいものです。私たちが毎日当たり前のように使用している物のありがたみを改めて実感できたと思います。 私はこのような人たちを何らかの職業に就いて助けたいと思いました。それが、私のやりたいことです。 彼らの生活を改善するためには、より簡単で安く、社会インフラを整備させるべきであると思います。 そのようにすれば、現在もきれいな水を飲めない発展途上国の人たちも、戦火から必死に逃げてきた難民キャンプにいる人たちも私たちと同じように美味しい水も飲め、シャワーも毎日浴びられます。 そして、衛生状態もかなり良くなると思います。衛生状態が改善されれば、細菌などで亡くなっている発展途上国の人たちも生きることができます。 私の父は、社会インフラに関する仕事を行っているので、父の会社を継ぐということも考えています。 まだ、何になりたいかは決まっていませんが、何になるにしても、やはり高い学力は絶対に必要だと思います。 だから、私は高い学力があり、自分の学びたいことが学べる大学へ行きたいと思っています。 そのためには、勉強の基礎となる今の中学校の勉強をしっかりとしないといけないと思います。 私は、これから自分に合った夢や目標を探し、勉強をしっかりとしていきたいと思います。 |
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2組 |
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「私の夢について」私の将来の夢は、国境なき医師団や国際連合の専門機関の職員といった国際的に社会に貢献できるような人になることです。 この夢を持ち始めたのは、小学校6年生の冬くらいでした。最初のきっかけは、塾の先生の言葉でした。 小学校6年生の冬というと、受験でピリピリしている時期でした。 その季節に先生は、「今、こうやって受験へまっしぐらに勉強できるのは家族のおかげなんだよ。 わざわざ高い月謝を払ってまで自分の子どもを志望校へ行かせてくれるんだよ。合格するのは、自分のためでも家族のためでもあるんだよ。」といっていました。 その話を聞いて、改めて親の偉大さを確認し、塾へ通えることがまず、幸福なんだとわかりました。 しかし、このときはまだ、ただ話を聞くだけでこの話が自分の夢の土台のような部分になるとは、全く思ってもいなかったし、考えもしませんでした。 そして、私が決定的に将来こうなりたいと思った出来事は2つあります。一つ目は小学校6年生の冬にやった3・11集会です。 この集会は、昨年起きた東日本大震災の様子を各学年の代表者が全校生徒の前で発表し、震災を改めて振り返ってみるという目的で行われました。 小学校6年生だった私は、代表者となりました。6年生は、災害の時に宮城県の小学校に通っていた子が震災の様子を書いた作文を朗読しました。 私は、閖上小学校の女の子の作文を読みました。 その子の作文には、家がなくなり、友達も行方不明になっていますと書かれていました。 この文を読み、今、生きられていることは幸せであり、当たり前が幸福なのだとわかりました。 この大事なことを教えてもらい、救える命を救いたいと強く思いました。作文は、今も家に大切に保管されています。二つ目にまだ入学して間もない頃に行われた遠藤先生の講話です。遠藤先生は、戦争のことを話していました。 この話をお聴きして、初めて人の話で泣きました。そして、ものすごく心が動きました。 戦争が起きて苦しむのは、人であること、その中でも世の中を全然知らなかった子どもが苦しめられることを学びました。 そんなふうに子どもを苦しめているのは大人なのです。しかし、そのように私が考えて、こうやって作文につづったとしても今のこの世は全くといってよい程変わりません。 飢えや病気が困っている人は、今も困り果てていたり、地域紛争があったりするのです。 私は、どんな理由があるからといって人々を傷つけ、人と人とが憎しみ合うのは許せません。 そして、日本は平和慣れをしつつあります。 もしかしたら日本はいつか戦争の恐ろしさを忘れてしまい、戦いを起こす可能性がゼロとは言い切れなくなっているのが現状です。 そのような事態にならないようにするためにも私は戦争している国の人達に手当てをしたり、戦争が終わるように協力したりしながら日本に戦争について語っていきたいと思っています。 そのためにも、英語と医学、そして世界情勢をこれから学んでいこうと思います。また、気配り、謙虚な行動を当然のように出来るような人になりたいです。 江戸取での後約5年間と3カ月、気持ちを切り替えて生活をしていきたいと思います。 そのためにも、この冬休み期間をかけがえのない時間であったと考えながら、新年のスタートを切っていこうと思いました。 「医者になり命を救う」今回の「夢を語る会」という行事で、僕は夢について深く考えさせられました。僕の夢は道徳ノートやLHRノートにいつも書いている通り「医者」です。 なぜ医者という職業に就きたいかというと、人の「命」を救いたいからです。「命」というのは誰にも限られた時間しかありません。 人はその限られた時間で様々なことを体験し、経験します。 しかしながら病気になってしまったり、一昨年の3月11日に起きた東日本大震災などによる自然災害でまだやりたかったことがやりきれずに亡くなってしまったりした人がいます。 僕はそのような方々の「命」という限られた時間を少しでも増やしてたくさんの人々に笑顔になってほしいと思いました。 しかし、その時の僕ではただ祈ることしか出来ませんでした。 僕は「今の自分では駄目かもしれないが、将来はできる可能性が残っている」と考えました。将来医者という職業に就いてたくさんの人の「命」を救うことを目指していきたいです。もう一つ医者になりたい理由があります。それは昨年ノーベル医学・生理学賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授の影響です。 山中教授はこれまで世界の研究者達が見つけられなかったiPS細胞というものを発見しました。 このiPS細胞というのは、この細胞さえあれば人間の体内にある様々な臓器を作ることの出来る細胞です。 このことの発見により今まで直せなかった病気が治せるようになりました。僕はこのことを知ってとても驚きました。 なぜなら、このことは日本国内だけでなく、世界の様々な国で使用でき、何万人もの「命」を救う可能性がかなり高まったからです。 そして僕が驚いたのはこのことだけではありません。 山中教授が出たパーティーの後の取材で「僕にとってもうノーベル医学・生理学賞とは過去形になります。次からの時期が大切になりますので、これからまた精一杯頑張って研究します。」といったことです。 山中教授はもう次のことを考えているということにとても驚きました。 そして、この後僕はただの医者ではなく、まだ人類が治せない病気を治せる医者となり、世界に貢献しいつも未来の自分のことを考えられる人になれるようにしていきたいです。 僕はこのような2つの理由があって医者という職業に就きたいと思いました。 しかし、この医者という職業は簡単になれる職業ではありません。学生時代からの努力の積み重ねによってやっとなれる職業です。 僕は少しでも医者という職業に近づくために、この江戸取に入学しました。 そのために僕はこの江戸取で出来ることを精一杯行い、夢の実現へと一歩一歩近づいていきたいです。 そして、第一志望の筑波大学の医学類に入り、そこで毎日毎日コツコツと勉強していき、だんだん医学の世界に入り込んでいきたいと思います。 そして将来は様々な病気を治し、周りの人々から信頼される医者となって、人の「命」を救っていきたいと思います。 |
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3組 |
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「教養のあるアナウンサーになるために」私の将来の夢は、真実を迅速かつ正確に伝える、教養のあるアナウンサーになることです。与えられた情報に対する自分の意見をしっかり持ち、臨機応変に対応できるようなアナウンサーを目指しています。将来の夢を決意するきっかけとなったのは、やはりテレビで活躍しているアナウンサーの方達の姿です。自分の意見を文章にまとめることや様々な人と言葉によって心が通じ合うことに喜びを感じている私は、自分の言葉を自分の声で、多くに人々に伝えるアナウンサーの仕事に憧れと魅力を抱いています。自分の姿をテレビの画面を通して多くの人々に見てもらうこともうれしいことだと思っています。 アナウンサーの仕事はテレビやラジオなどでニュースの原稿をただ読み上げるだけでなく、スポーツやイベントの実況、事件現場からのリポートなど、視聴者への情報提供を主とした様々な専門的な役割があります。インタビューとして話を聴く場合は、相手との円滑なコミュニケーションをとることが、高度な話術以上に要求されるとも言われます。 華やかなイメージが先行しやすいアナウンサーですが、テレビに出ている時間はほんのわずかな時間に過ぎません。取材や打ち合わせ、リハーサルなどに多くの時間を費やしています。自分が伝えるべき内容を視聴者にわかりやすく伝えるためには、まず自分自身がその報道すべき内容について熟知し、客観的な立場でその内容を把握していなければなりません。その上で、難しい専門用語などを、誰もがわかるように解説していく、豊かな表現力が必要となるのです。視聴者からは見えないところで、日々、時事問題など教養を深め、たゆまぬ努力をしているアナウンサーという職業は、とてもやりがいのあるものに思えます。その仕事を成し遂げるには、時には寝食を忘れ、多くの重圧にも耐えられる、タフな体力と精神力を今のうちから鍛えていかなくてはならないと実感しています。 アナウンサーを目指す私がこれからすべきこと。それはたくさんありますが、まず江戸取での生活を充実させていくことです。夢が現実となるためには、アナウンサーへの道が大きく開かれている大学に進学することが可能性への第一歩です。そのためには日々の学習を怠ってはなりません。定期試験では常に50位以内という安定した成績を維持することを目標に、真剣に勉強に取り組む姿勢と身につけたいと思います。また、先生方やクラスメートだけでなく、多くの人たちとの触れ合いを意識し、コミュニケーション能力を高めていこうと考えています。その第一歩として、最近、部活動に入部することにしました。また、一発勝負でやり直しのきかないのがアナウンサーとしての仕事。多くの人々に見られているというプレッシャーをはね返す度胸を持つためにも、人前で話す機会を多く持ちたいと思います。 多様な技術を習得し、幅広い知識を自分のものにしていても、暗い表情で原稿を読んでいては、視聴者に不快な印象を与えてしまいます。聞いていて気持ちのよい声、見ていて元気が出るような笑顔を人々に届けたい。自分の仕事に責任を持ち、たとえ失敗しても落ち込まず、それを次に活かすことができる人に私はなります。ピンチをチャンスに変える力があれば、人はいつまでも成長を続けることができます。一人の自立した人間として、魅力あるアナウンサーになること、それが私の夢です。 「『癌』の研究医になるために」僕の将来の夢は研究医になることです。研究医は、臨床医のように実際に病人の診断、治療はせず、大学や研究機関などで基礎医学などの研究に従事する医師のことです。僕が医師を目指す理由は、僕は鼻が悪くて、幼い頃から何度も医者にかかっていたのですが、そのお医者さん、そして親への恩返しをしたいと思ったからです。臨床医も魅力ある仕事ですが、基礎医学あっての臨床医なのです。基礎医学を専門に研究する研究医の方が、自分の医学に対する思いにふさわしいと感じています。現代は基礎医学研究者が激減しているそうです。原因は複数あるということですが、まず第一に、基礎医学者の待遇が悪いこと、第二に、研究ポストが少なく、研究費の将来が不安であること、第三に、医療現場が忙しすぎて、若手の医師に研究の機会を与えにくい、などが挙げられています。 昨年、ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授は、野田総理に研究費の不足を訴えていましたが、この山中教授は自分自身マラソンをして、研究費の寄附を呼びかけていました。この研究費不足は、基礎医学の研究者にも当てはまることです。 研究者の仕事は、いくら研究を続けても、正しい研究結果や学術論文を出さないと意味がなく、まったく評価されないという、実に厳しい世界です。僕も含めて、特に理科や歴史などに興味がある生徒は、簡単に研究者になりたいとか、科学者になりたいとか言いますが、地道に努力し、自分の学力(能力)を高め、どんなにつらくても我慢して研究しなければならないのが「学者」という職業なのです。 研究医が不足した結果起こる深刻な影響としては、 1.10年、20年後に基礎医学教員が不足する 2.橋渡し研究、臨床研究の活力低下 3.学際融合研究の活力低下 4.日本の創薬産業への悪影響 などが挙げられています。研究医は患者と直接接することが少ないだけに、臨床医より目立たない存在ですが、研究医の重要性は大きいものなのです。 これらのことから、研究医はとても厳しく、つらい仕事だということがよくわかります。しかし、そういう仕事だからこそ、やりがいがあるのだという気がします。自分の研究成果によって、多くの患者の命が救えるようになると考えると、研究医がとても素晴らしい仕事だと思えてきます。 今日、日本の死亡原因は第一位が癌、第二位が心疾患、第三位が脳血管疾患です。癌の治療法は手術、化学療法、放射線治療などが中心で、早期発見できればかなりの確率で助かります。しかし、癌の治療については根本的な治療法が確立されていないのが現状です。癌になると、本人はもとより、家族も精神的、経済的に大変です。僕の曽祖父は、僕が生まれた年に胃がんで亡くなりました。その時は家族は、看病だけでなく、いろいろ日々の生活において心労が絶えなかったそうです。 人生や日常生活を大きく変えてしまう「癌」。それを研究する研究医になりたいと思います。今僕は、医学部に合格するために特に理科系の教科に力を入れて勉強しています。実は、理科は得意なのですが、数学はあまり得意ではありません。ですから今後は数学にいっそう力を入れて勉強していきます。目標は数学は定期試験では10位以内。理科は5位以内を目指します。そして将来、国立大学の医学部に合格し、自分の夢を実現させたいと思います。おそらく医学部合格よりも、入学後の勉強や、医師国家試験の方が難しく大変でしょう。今のうちからそのことを心して、これからの勉強に励んでいくつもりです。 |
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「自分の将来の夢」ぼくの将来の夢は、コンピュータ開発の仕事に就くことです。なぜなら、コンピュータというのは、これから先の時代に絶対に必要不可欠なものだと思うからです。現在に至っても、すでにスマートフォンやタブレットなどが普及しています。ただ、それらだけではできないこともたくさんあります。だから、コンピュータが必要になるのです。そんな中で、コンピュータ界に革命を起こしたのがジョブズ氏だと思います。彼はマッキントッシュやiPhoneをはじめ、たくさんのものを作ってきました。ぼくはまさにこんな人間になりたいです。世界を変えるような、それぐらい大きい事に挑戦したいと思っています。 ぼくは、1月4日に湯島天満宮へ行きました。そこには大勢の受験生が集まっていました。他の人もまた、自分の志を持っているのだと思いました。そして、そこにはそれぞれの思いを書いた絵馬が大量にかけられていました。ぼくもこの江戸川学園取手に入りたくて、このように熱い思いで神社に行ったことを思い出しました。そして今、このぼくの熱い大きな願いはなんだろうかと改めて考えさせられました。 今回は、東大が近くにあるので東大の方にも行きました。初めて行きました。赤門ではなく、正門のほうに行ったのですが、そこから東大の校舎を見ることができました。その場からは何かしらの力を感じました。この力とは、今までの東大の卒業生、在学生の勉学への活気あふれる力なのかもしれません。また、強烈なオーラがあるようにも感じました。今回、見学はしませんでしたが、今度機会があるときに見学に行きたいと思います。 ぼくは、今回湯島天満宮と東大に行って、改めて、自分の大きな目標を持たなくてはならないと思いました。 ぼくは元々、人のためになる仕事をしたいと思っていました。一時期は医者や医療器具の開発者になりたいと思っていました。しかし、父がコンピュータの仕事している関係で、コンピュータに興味を抱いています。父がコンピュータで電子カルテの開発の仕事を行っており、ぼくもまずは、コンピュータの技術をマスターしたいと思ったのです。それで、コンピュータの本や専門書を読んでいくうちに、コンピュータの仕組み自体に興味を持つようになりました。老若男女全ての人が使い易くてわかりやすいコンピュータをまず作り、コンピュータを身近なものにすること、そして、いろいろな操作が簡単にできるコンピュータができればいいなと思っています。コンピュータは機械ですが、単なる機械ではなく、人のためになる、人を助けてくれるコンピュータを作りたいと思っています。そして人と人とをつなげる有効な手段にもなると思うのです。 まずは気をひきしめ、学校の課題にしっかりと取り組みます。そして、何度も復習することを心がけます。将来、コンピュータで人のためになれるよう、日々努力していきたいと思います。 「今、ぼくが目指すもの」沢山の人々が、健康で幸せになるように。沢山の人々が、笑顔になるように。 今、僕が目指すもの。 これは、僕が小学校の卒業文集に書いた一部分です。僕の夢は、医者になることです。両親が医療関係の仕事をしていたこともあって、家で医療関係のテレビを見ることや話をすることが多く、いつしか医者という職業に憧れるようになりました。ニュース等では、救急車のたらい回しや、医師が何日も家に帰れない連続勤務、診療科や病院の閉鎖など、医師不足による問題が言われ、茨城県でも問題となっています。そして、東日本大震災。医師たちが、自分自身も被災者でありながら、懸命に治療しようとする姿は、とても強く心に残っています。 医師という職業は、命と向き合う難しい仕事です。憧れだけで簡単になれるものではありません。医師としての向き不向きもあるでしょうし、仮に向いているとしても、多くの努力が必要となってきます。掛け替えのない命、大切な、大切な命と向き合うからこそ、赤ちゃんから、お爺さん、お婆さんまで、すべての人に必要とされる重要な仕事なのだと思います。 そして、夢をかなえるための第一歩として、中学受験をし、江戸取に入学するという道を歩き始めました。これからは、憧れだけでなく、夢への強い思いが大切になってくると思います。この先、どこまで夢への道を進むことができるのでしょう。最短の道なのか、遠回りの道なのか。それとも、全く違う道を選ぶことになるのか。それは、夢への強い思いと自分の努力次第で決まっていくと思います。 以前、新聞で天皇陛下への執刀医でもある順天堂大学心臓血管外科の天野教授の記事を読みました。そこには、「自らを駆り立ててきたのは、誰にも負けない心臓外科医になるという求道心。」「将来、自分がこうなりたいという姿を描け。トップになるという意志を持て。」とありました。この記事を読んだ時、何か心に響くものがありました。誰にも負けない、自分はこうなるんだという強い思いがあるから、努力することもできるのだと思いました。 夢を叶えるための強い思いと最大限の努力。思っただけ、言葉にしただけで実行しなければ、思っていないのと同じです。行動に移すことに意味があると思います。「あの時、もっとやっておけば良かった。」と、あとになって後悔しても結果を変えることはできません。何の努力もしなかったら、道は生まれない。努力をすることで夢への道が生まれるのかもしれないと思いました。 医師になり、沢山の人を笑顔にすること。それが僕の描く将来の姿です。その夢を叶えるために、一日一日に感謝しながら、今できる最大限の努力をしていきたいと思います。 |
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「自分の夢に向かって」私の夢は、医者になることです。それは、小学校の塾時代から友達と共に目指している夢です。私は、江戸取を医科コースがあり医者に近づけると思ったので志望しました。その友達も同じです。二人で江戸取のパンフレットを見れば「ここに入りたいね」と話し二人で一生懸命受験勉強してきました。しかし合格発表の時二人で見に行ったにもかかわらず友達のが見つかりませんでした。しかし彼女はそこで涙しながら私に「私の分まで努力して夢を叶えてね」と言い、本校を出て行きました。しかし私は2学期が始まってから授業に集中していませんでした。その様な行為は彼女を裏切るようなことです。ここで私はしっかりと反省し、夢に向かって努力し直したいです。次に夢の実現に向けて何ができるかです。まず、授業が一番ということです。私は江戸取に授業を受けに来ているのだから集中して取り組まないといけません。また授業を受けるのとセットである予習・復習もやらないといけません。また、医者になるためにはコミュニケーションを大事にし、精神力、忍耐力を鍛えなくてはなりません。そのためには授業の他にも部活動などをしっかりと取り組み充実させた学校生活を送りたいです。夢を語る会に出ていた人達はみんな行きたい大学を決め学科も決めていました。でも私は大学の名をあまり知らないし、見に行ったこともないので、まずは大学を知り行きたい大学を決めたいと思っています。夢に近づくために何事も一つ一つ努力し、未来の自分を確立していきたいと思います。また、夢を語る会で来て下さった三人の卒業生は英語が大事と言っていました。またこれなら誰にも負けないという専門知識をつくることも大切と言っていたので、中等部の間に自分の専門知識を見つけて鍛えていきたいと思います。また、この環境においてくれた両親にも感謝し続けて夢を叶えます。 「自分の夢を叶えるために」僕の将来の夢は、医者になることです。僕が医者になりたいと思ったのは、祖父や父が医者であり、その職業に憧れを抱いていたからです。祖父が新治村(現土浦市)で開業し、今は父と地元の患者さん達の診療にあたっています。開院当時から通っている患者さんもいて、外来には多くの患者さんが来るという話を聞くと、地域の人に信頼されているんだなと感じます。父は、仕事から帰るのが遅い日が多く、休みが少ないです。よく勉強もしています。そのような姿を見ていて、とてもやりがいのある仕事だと思うようになりました。僕が医者になりたいと思い始めたのは、父や祖父の姿を見てですが、今は、人の命の大切さについてよく考えるようになりました。災害・事故・自殺・病気などで尊い命が失われたというニュースをみるたびに、命がどれだけ大切なものなのかを感じています。 だから僕はその大切な命を救う仕事がしたいと強く思うようになりました。病気で辛い思いをしている人を一人でも多く助けたいです。 また、地域の小さな子どもからお年寄りにまで親しまれるような人でありたいし、ここに来れば救われると思われるような存在になりたいです。 僕は、命の大切さがわかる、人々から信頼される医者になりたいと思っています。医者になるためには、それなりの学力が必要です。 でもそれだけでなく、心豊かな人間でなくてはならないと思います。そして、体力も必要です。 僕は江戸取で「心力」・「学力」・「体力」のバランスのとれた人間になることの大切さを学んでいます。 何度か自分の思いを道徳やLHRのノートに書いてきました。 特に「心豊かなリーダーとなるための心構え」@常に感謝の心を持つA人への思いやりの心を持つB一生懸命努力をするC堪え忍ぶ忍耐の心を持つD人として不正をしないということを忘れずにいたいと思います。 これは、自分が医者になるためにとても大切なことだと思うからです。 「夢」は自分がこうなりたいと強く願えばきっと叶うものだと思います。世の中で活躍している人達は、自分の夢に向かって努力して夢を叶えています。スポーツでチャンピオンになる選手も、学問でノーベル賞を受賞する人も、話を聞くと大変な努力をしていることがわかります。世の中で活躍している人のほとんどがそれなりの努力をしてきたのだと思います。だから僕も医者になるという自分の夢を叶えるために、目標を見失うことなく日々努力していきたいと思います。夢は叶えるためにある。自分の努力次第で無限の可能性がある。このような先輩のお話を聴き、とても心強かったです。先輩達も江戸取で学び、努力して自分の夢を叶えています。僕も「命の大切さがわかる信頼される医者になる」という自分の夢を叶えるために頑張っていきたいと思います。 |
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「『教師』という道」私の将来の夢は、教師になることです。私は小学校1・2年生のときの担任の先生を尊敬していました。なぜ尊敬していたのかというと、いつでも生徒を第一に考え、とても優しく、そして字が凄くきれいだったからです。私はその先生みたいに、誰にでも親切で、尊敬されるような教師になりたいです。教師になるためには採用試験を受ける必要があります。その試験に合格するためには、たくさん勉強しなければいけません。勉強しないでいると、教師というものはずっと「夢」のままだと思います。私は採用試験に合格するために、お茶の水女子大学の文教育学部の言語文化学科に入りたいと思っています。この学科は、主に英語や国語に関する知識を取り入れる学科なのだと思いました。お茶の水女子大学について調べてみると、言語文化学科については、日本語・日本文学プログラム、中国語圏言語文化学プログラム、英語圏文化学プログラム、仏語圏言語文化学プログラムの4つのプログラムが書いてありました。その中で、私は日本語・日本文学プログラムコースに入りたいと思いました。どの学部に入るにしても、たくさん勉強する必要があります。ましてや、お茶の水女子大学は国立大学です。まずは入試に受かって入学しなくてはなりません。国立大学に合格するには、相当な勉強量が必要なので、今から時間を無駄にせずに、しっかり頑張ろうと思います。 日本語・日本文学プログラムは、上代から現代に至る日本文学に関する基礎知識の習得、文学作品に対する研究方法の習得、日本語の体系と歴史についての基礎知識の習得、日本語に対する研究方法の習得を目的としているそうです。このコースに入ることが出来たら、目的とされているものを確実に身につけて、教師の道へと近づけたらいいな、と思いました。 教師は、大学・高校・中学校・小学校のどの学校においても良い点があると思います。時には辛かったり苦しかったりすることもあると思いますが、一生懸命な生徒の姿を見ると、やる気と共にその辛さや苦しみはどこかへいってしまうのではないでしょうか。教師になると、色々な人と触れ合えたり、授業をしていると、自分も勉強になることがあると思います。そこで勉強したことを次の授業につなぐことができれば良いと思います。 また、教師になるためには、頭が良いということだけではなくて、挨拶が出来るということも大切です。挨拶ができないと上司に認めてもらえないということは、今まで何度も聞いたことがあるので、この江戸川学園取手中学校で、社会生活の土台を作りたいです。 これから先も色々なことを勉強し、たくさんの知識を身につけて、教師という夢を実現できるように頑張っていきたいです。 「将来の夢」僕の将来の夢はスポーツドクターになることです。理由は、僕はスポーツが大好きで、好きなスポーツを頑張っている人をサポートして役に立ちたいと思ったからです。具体的にスポーツドクターとは、スポーツ医学を修得し、スポーツで生じた障害や外傷、疾病を診断し、治療する医師のことです。このようにスポーツドクターは普通の医者ではなく、名前の通りスポーツのことを専門とした医師です。この医師は特別な資格が無いとなれないそうです。僕がスポーツドクターになりたいと思ったきっかけは少年野球のチームで怪我をした人がいたからです。その人の怪我は重く、1年間は全力で走ることさえ出来ない足になってしまいました。彼はとても野球が好きだったので、すごく悲しんでいました。僕はその人とは仲が良く、よく話をしていました。そして、彼と話すうちに、医師のかっこ良さに気づき、憧れの対象になっていました。さらに、彼は医者に言われたとおりに、ストレッチなどをしたら、1年もかからずに全力でプレーすることができる体になっていました。 スポーツドクターになりたいと思ったきっかけはもう一つあります。それはスポーツドクターは普通の医師とは違い、怪我や病気の人を治療するだけではなく、スポーツの魅力を世界中の人に伝えることも大事な仕事の一つです。僕は人をたくさん助けられるような立派なスポーツドクターになりたいです。 スポーツドクターになるためには、勉強も頑張って、医学部に入らなければいけません。スポーツ医学で有名な、筑波・慶応・帝京大学などです。スポーツドクターになるために努力している人は多いので、競争が凄く厳しいそうです。スポーツドクターの先進国はアメリカなので、日本で基礎を身に付けて、アメリカに留学して勉強したいです。 また、スポーツドクターは1人前の医師になった人がたくさん勉強して目指すほど人気があり、ハードルも高いです。 さらに、スポーツドクターになるために勉強だけでなく、人の話を聞くこと、相手の気持ちを理解する能力もスポーツドクターには大事な能力です。そのため、色々なことにも挑戦して、たくさんの人と接して、色々な考え方が世の中にあることを学ばなくてはいけません。 将来、スポーツドクターという大きな夢を実現させるために、今自分がやらなければいけないことは、日々の学習を大切にして、勉強に運動に精一杯しっかりと頑張っていくことだと思います。 また、普段の学校生活の中でもコミュニケーションを意識して、充実した学校生活を送り、夢を実現させたいと思います。 |
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「未来へ続く希望の光」私の将来の夢は医師になることです。小学校1年生の頃から抱きはじめた夢で、中1になった今「小児科医になろう」と固く心に誓いました。小児科医は現在減りつつあり、忙しい上に長時間労働、訴えられる可能性も考えられる大変な仕事です。しかし、そうであるからこそ伝わってくる喜びや感謝の気持ち、感じられるやりがいはそれ以上のものに値すると思います。私が小児科医を選んだ理由は、さまざまな人々の命を救いたいというのはもちろん、まだまだ先の長い子供達の未来に希望の光を灯してあげたいと思ったからです。健常者に比べて出来ることが限られていても少しずつできることを増やしていってあげられたら良いと思います。何よりもまず、希望を捨てないでほしいというのが私の願いです。以前に、「小児科医は母親との闘い」という言葉を本の中で見たことがあります。我が子の心配をするばかりに、無理難題を押し付けられることもあると思います。その場合、決して激せず、丁寧に説明することができるというのも医師には欠かせないことではないでしょうか。また、小さい子供達にとって医師とは怖いイメージが強いと思います。だから、母親からの信頼を得ると同時に子供からも受け入れられないと、小児科医は務まりません。誰からも信頼され、患者さんが安心して診察を頼めるような医師を私は目指しています。 医師は普段の診察の他に、当直というものがあることを知りました。当直の日は、呼び出されたらすぐに患者さんの所へ駆け付けなくてはなりません。このようなことが何度も続けば体力も無くなってしまいます。そのため、今から少しづつでも体力をつけていきたいです。入学当初の頃は自ら進んで徒歩通学をしていました。しかし、生活のだらけと共に、バスに乗る回数が増え、結果的にほとんどの通学をバスに依存するようになってしまいました。歩かなければと思ってもなかなか実行に移すことができない日も少なくありません。これは単なる自分への「甘さ」の問題だと思います。時には自分に優しく、時には自分に厳しくし、将来役に立つことを一つでも多く見つけ、自分を成長させていきたいです。 「夢は叶えるためにあるもの」と私はいつも信じています。何事も自分の「思い」というものがなければ始まりません。私は医師になりたいという夢を持っているからには、自分の出来る限りの努力をして、その夢を叶えたいです。そして、医師になったら、たとえ余命何ケ月と分かっている子供達にも、生きていることのすばらしさ、夢や希望を持つことの大切さを教えてあげたいです。 これらの思いを胸に、これからも努力を重ね、将来医学の頂点で輝けるような立派な医師になることが私の最大の希望、そして夢です。 「私の目標〜世界の役に立つために〜」私は将来、外交の面から日本や世界の人々を助けることのできる外交官になりたいです。その目標を達成するために必要だと思うことは四つあります。 一つ目は、幅広い教養を持つことです。相手の国の人と共通する話題があれば、よりスムーズに話し合いが進むと思います。また、親睦を深めることができると思います。そのために、いろいろなジャンルの本を読んでいて、国語の授業だけでなく、両親との会話やニュースの内容が深く理解することができたので、これからも朝読書に力を入れていきたいです。 二つ目は、自分の意見をしっかりと持つことです。自分の意見を持つためには、正しい知識をたくさん持つことが大切です。そして、その意見を相手に正しく伝える必要があります。これを達成するためには、英語を基本として、いろいろな民族の人とつながることのできる言葉を話せるようになりたいです。今は英語の語彙を増やすことと、文法をしっかり理解していくことをがんばります。 三つ目は、人から信頼されることです。人から信頼されているからこそ仕事をすることが出来るのだと思います。そのために、課題にしっかりと取り組み、提出期限を守るということを継続していきます。また、自分の役目は最後まで責任を持って行います。信頼を築いていくのはとても大変ですが、信頼は、何か一つのことで瞬間になくしてしまいます。だからこそ、継続することを大切にしていきます。 四つ目は、健康であることです。私はこれが一番大切で、大変なことだと思っています。健康を保つためには体力が必要です。そのために私は、徒歩通学をしています。最近は寒いので、眠い頭が一気に覚めて、朝読書がとてもしやすくなっています。また、十月からバレーボール部に入部しました。素敵な先輩方をお手本に、たくさんのことを学びたいと思います。 世界には、私と歳が変わらないのに学べない子供がたくさんいます。このような恵まれた環境で学べていることに感謝してこれからも努力していきたいと思います。 家が貧しくて学校に行けない。学校が遠くて行けない。紛争のせいで銃を持ち、戦わなければいけない。そんな理不尽な理由で学べない子供たちを私は外交の面で助けていきたいと思います。 そのために、日本と相手国を平和的に結んでいきたいです。最終的には、世界中の人が平和の大切さを理解することに少しでも貢献していきたいです。 これらを達成するための具体的な今年の目標は、月の読書数15冊以上、英検準2級取得、徒歩カード2枚目を歩ききる、毎日社説を読むことです。これを通して、有意義な1年を過ごそうと思います。 |
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8組 |
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「私の夢」私の夢は、救急救命医になることです。何故なら、多くの人に幸せに生きてもらいたいからです。救急救命医とは、救急患者の応急措置等を診療科に拘らず行う医師を指します。重傷を負った人や、命に関わる病気の患者に対して、一刻も早く救いの手をさしのべることが重要で、責任重大ですが、結果的にその患者が幸せを感じることができるのならば、私は、その仕事にやりがいを感じられると思います。医学界の「最後の砦」と称される救命救急の現場でも、医師不足は年々加速しています。その一方で、救命救急センターの数は増加しています。患者を救うことを第一に考える職業で働く人数が減ることは、救える命の数も減るということなので、私もその現場で働き、救えた命が一つでも増えたらいいなと思います。去年の夏期休暇中に、上級救命講習を受講しました。この講習会は、突然の怪我や病気に襲われた人の命を救うための救命処置の方法を一般市民にも広く知ってもらうことを目的として設けられたものです。心肺停止または呼吸停止が起こってから2分以内に救命処置を行った場合、命の助かる可能性は50パーセント以上であることに対し、救急車が来るまで何もしなかったときの命が助かる可能性は30パーセント以下となります。社会復帰への希望を事後に持つことができるように、「救命のリレー」は他人事ではないという意識を持つきっかけとなりました。 救急救命医になるためには、心力、学力、体力が必要です。患者の命を救いきれるまで治療を続けようとする根気強さは救急救命医にとって最も大切なものです。救急救命医は、救急患者の治療だけではなく、集中治療室や高度治療室にいる患者を診察することもあります。回復する見込みが立たないからと治療を放棄するのではなく、できる限りの努力を、惜しまずに最後まで続けるという精神力が必要不可欠となります。 救急救命医は、どの診療科の傷病者でも対応できなくてはならないため、広い知識や、どこにでも通用する学力が必要です。国家試験自体は、どの診療科でも同じ難易度ですが、いざ働いてから学習する量はとても多いと思います。少しずつ、少しずつ学習を重ねていき、昨日よりも成長した自分になって、より良い応急措置や治療を施せる様にならなくてはなりません。 また、心力、学力、体力以外にも、必要なものはあります。例えば、理解力や冷静さです。患者の様子やデータから、瞬時に状況を把握することは、治療の第一歩です。出だしが遅れると、その先の判断に影響を及ぼしたり、手遅れとなったりする危険性が高まります。迅速な対応をするためには、まず、状況を理解することが重要だと思います。 大学の医学部の試験に合格することは、容易ではありません。しかし、江戸取の卒業生には、多くの医学部合格者がいます。合格することができた先輩方の大きな支えは、切磋琢磨し合う仲間の存在だと思います。江戸取の高等部に設けられている医科コースは、基本的にクラスメイトの顔ぶれが変わらないため、仲間意識を持ちやすい環境です。難易度の高い大変な勉強も、同じ状況に立たされている仲間がいるから、試練も乗り越えて進み続けることができるのだと思います。 私達は、中等部1年生の9ヶ月目をこれから迎えます。つまり、高等部に上がるまでに27ヶ月もあるのです。医科コースにはいることだけが全てではないし、高等部に上がることもただの区切りでしかないけれども、残りの30ヶ月近くある中等部生としての時間も、約300人の仲間と共に闘っていこうと思います。救急救命医になりたいという夢をいつでも忘れずに、これからも努力を続けていきたいと思います。 「将来の夢」僕の将来就きたいと思っている職業は、外科医か自衛隊です。その魅力は一つ目に、人の役に立つことができることです。仕事とは、そもそも、人の生活を楽にさせるためなどという目的があり、人の役に立つものが多いです。二つ目に仕事には、直接お礼を言われる仕事と間接的にお礼を言われる仕事の二種類があります。その中で、僕は直接お礼を言ってもらえる仕事が好きだからです。三つ目に、かっこいいと思ったからです。四つ目に、どちらも僕が行きたいと思っている防衛医科大学校で基本を学ぶことができるからです。僕にとってこの防衛医科大は最高峰だと思います。充実した生活、臨床力を養う実践的な学習の数々、医学の基本的な教養を身に付けることのできる場、優秀な人材を養成する構成など、色々なことに惹かれました。そして、この大学は自分を超越するために努力するための機関だと思います。僕は、遠藤先生からもらった外科医という冊子を読んでみました。そこには、一人前になるために長い年月を重ねて努力しなければならない外科医に、病院に朝早くから出勤し、夜遅くまで家に帰らず努力している人を見ました。毎日そんなに努力していて、疲れているのだから、仕事をやめたくなるのだと思いましたが、その人は違い、仕事に面白さを見つけ、仕事をやめるか死ぬかだったら死ぬ方を選ぶという人でした。すべてを一生懸命やれば、つらいことなんてない、気持ちを良い方向へ持っていけば、楽しくなるということが分かりました。働くとは、命を懸けるということです。自衛隊は、遠いところへ行って、地雷を掘っていたり、人を助けたりしています。外科医も、患者と向き合い、お互い命を懸けて病気を治しています。学校で基本的な要素を学ばなければ、将来困るのは自分です。逆に自分が努力すれば、無限大の力を発揮することができます。つまり、自分がどのように動くかで今後の人生が変わります。このことをいつも意識しておけば、人の可能性は広がっていきます。 外科医の本命とは、人の命を助けるため、つらい気持ちを楽にさせてあげることです。外科医の器具は日々進化していきましたが、百パーセント命を救えるわけではありません。そのため、百パーセントに近づくための努力は大変です。 自衛隊の本命とは、国の平和を守り、そして他国への救助などのために、派遣などをされます。そのための忍耐力は欠かせないものです。さらに、長い年月、ハードな訓練を重ねて一人前になるために特訓をしていきます。 二つとも、とても大変な職業ですが、それだけにやりがいがあります。このような職業に就職するためには、日常的に基本的な生活をこなし、学校で努力をしなければいけません。そして、時間を上手く使わなければなりません。今の自分の状態を見つめ直し、しっかりした自分になるために努力したいです。 |
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