演劇鑑賞「火垂るの墓」

1組

 「火垂るの墓」といえば、多くの人がまず最初に思い浮かべるのはアニメです。私も小さい頃にアニメの「火垂るの墓」を観て、ひたすらに悲しくてむなしい気持ちだけが続いたのを覚えています。ですから、最初に見た時から多くの時間が流れ、物事への見方や考え方が変化してきた今、こうしてもう一度、それもミュージカルという形で観賞することができたのは、私にとって大きな糧となりました。
 私は中等部時代に演劇部に所属していて、演劇やミュージカルといったものを観るのが大好きです。舞台という限られた空間の中に、大道具や照明、役者の立ち位置、はたまた役者の演技によってあらゆる場面や状況をつくり出す。これほど大変で面白い世界はないと思っています。今回の「火垂るの墓」は戦時中、戦後のお話であり、私たちの日常とはかけ離れた時代です。それをどうやって舞台上に表現するのかと想像していましたが、劇団ポプラさんは私の稚拙な想像を遙かに上回る「世界」を舞台上、いえホール全体につくりあげていました。
 先ほども書きましたが「火垂るの墓」は戦時中、戦後といった、現代を生きる日本人からすれば非日常の舞台を描いたお話だと思います。ですから、舞台で役者さんがどんなに素晴らしい演技をして、観客にメッセージを届けても、観客にとってそれは「この舞台での」メッセージであり、自らの日常に浸透するというのはなかなか難しいのではないでしょうか。しかし劇団ポプラさんのつくりあげた世界は違いました。あえて「現代の人間」を舞台に取り入れることで、観客を「火垂るの墓」の世界に取り入れてしまったのです。ナレーションを務める役者さんがすっと劇の中に混じり込み(それも劇の世界や緊迫感を崩すことなく)、節子や清太を眺めたり、時には互いに存在を認知し合っているのを見て「ああ、これは私たちなのだ」と途中ではっ、と気付きました。戦争を経験したことのない私たちが、節子や清太、戦争の中で生きていた人々の苦しみや感情を自分のことのように感じようとするのは容易ではありません。しかし、劇中の現代人に自分を重ねることは容易で、その役者さんを通じて「火垂るの墓」の世界に溶け込み、触れることはできる。そして自分の心の奥底に一つの経験として残るのです。私は劇団ポプラさんがつくりあげた世界に溶け込み、そして戦争の痛みと、叫びと、幼い頃には悪人に見えた登場人物達の心情に触れ、そして今もなお残る戦争の傷跡を、平和の尊さを胸に残すことができました。このような「体験」をさせていただき、ありがとうございました。

 「火垂るの墓」はアニメでしか見たことがありませんでしたが、ミュージカルとアニメとで内容はほとんど同じでも、伝えようとしていることがミュージカルのほうがよりはっきりとしていると思いました。アニメよりもシーンを限定している分、ひとつひとつの場面がメッセージ性の強いものになっていると感じましたが、その中でも各場面の歌が大きな役割を担っていると思いました。最初は、物語として強調したい部分が歌になっているだけかと思いました。例えば清太と母のわかれのシーンやホタルのシーンは、アニメでもよくわかるように物語としての「火垂るの墓」の印象的な場面が歌われていました。しかし、物語の展開ではどうしても目立たない場面で「ドロップの唄」や「闇市」がどうして歌われていたのか考えると、限られた場面数の中でそこに歌を入れたのはやはり何かしらのメッセージが込められているのではないかと思いました。「ドロップの唄」は、辛い状況の中でドロップが節子にとって幸せの象徴であり、ドロップ一つで満たされる純粋さのようなものが伝わってきました。逆に「闇市」では歌詞の中の「金があれば何でも買える」という表現があり、戦後の日本で誰もが生き抜くために物資が必要であり、お金がある者や物資を手に入れる手段を持つ者が生き残れるという、弱肉強食の流れが日本で生まれたことをあらわしていると思いました。
 最後に、ずっと現代と昔の対比をするようにして物語の舞台から外れていたナレーターが物語と噛み合い始め、作者の父親と清太、節子と話すシーンは台詞がある場面では最もメッセージ性が強かったと思います。作者の父親が、今後も息子のところにもあらわれてほしいと清太に頼むところからは、戦争の悲劇を若い世代に伝えたいという思いが強く表れていましたし、孫が何の罪もなくかわいいという表現から、ほとんどの人にとっては現代が戦争とはかけ離れた平和の中にあるのだということが感じられました。ミュージカル全体を通して、物語が伝える人と人との関係だけではなく、戦争が何をもたらしたかが表現され、戦争を二度と起こしてはならないというメッセージが強く伝わり、感動しました。人が生身を使って表現したものがこれほど心に響くとは思いませんでした。

2組

 私は「火垂るの墓」を観劇して、今の時代に生まれてきたことのありがたさを改めて感じました。「火垂るの墓」というと、書籍として手に入れることもでき、映画化もされていて日本人のほとんどが知っている作品だと思います。私は小さい頃に映画を観賞しましたが、お母さんが亡くなって、焼かれるシーンを見て衝撃を受けました。まるで人間ではないかのように扱っていてショックでした。劇ではそのシーンはありませんでしたが、実際の戦争はもっと悲惨なものだったと思います。今、私たちのいる日本は戦争もなく平和な世の中ですが、今こうして私たちが家族や友人と笑い合っている間でも世界では多くの幼い命が戦争によって奪われています。戦争を完全になくすことは、もしかしたら不可能なことなのかもしれません。しかし、戦争の恐怖を伝え、戦争とはしてはいけないことなのだと次世代に教えることで、戦争を減らすことは可能になると思います。しかし、日本では戦争からかなりの時間が経っていて、それは喜ばしいことなのですが、戦争経験者の高齢化が進み、少なくなってきているのも事実です。実際に戦争を経験した方々から話を聞くことは、次世代に戦争の恐ろしさを伝えるのに説得力もあるし重要なことだと思います。それができるのは今を生きる私たちではないでしょうか。「火垂るの墓」という作品をミュージカルという形式で伝えるということに、観るまでは疑問を抱いていました。ミュージカルはたくさん観てきましたが、そのほとんどが明るい内容のものだったからです。私自身も明るく一緒に歌い、踊りたくなるようなミュージカルが好きです。しかし、今回のような新しいミュージカルを観劇して、考え方が少し変わりました。小さい子どもは戦争の映画やドラマなどを怖いと思って観られないかもしれませんが、ミュージカルなら子どもたちも観やすいと思います。戦争について全く知識のない若者のためにもっといろいろな場所で公演して欲しいと思います。

 「火垂るの墓」は元々は野坂昭如という人が書いた小説ですが、スタジオジブリが映画化してからそちらが非常に有名で、僕は小学生のときにこの映画を見ました。子供心にはかなり暗く悲惨な話でショックを受けたのが今でも非常に鮮明に心に残っています。この映画は、終戦直後、主人公の清太が戦災孤児となり駅で野垂れ死んでいる場面からはじまるのですが、この部分を見たとき僕は道端で人が死んでいるという状況にまったく実感がわきませんでした。しかし、その後どうしてそうなったのかが明かされるにつれ、戦争の凄惨さを伝えるのにこのシーンはとても大きな役割を果たしていると気がつきました。
 でも、今回のミュージカルでは、このシーンは時系列のとおり一番最後に持ってこられ、その代わり生活に困窮してホームレスのような生活をしている時に一時的に交友があった勝彦の話を元に自身で経験したことのない戦争に思いを馳せる内容のシーンが追加されていました。
 僕は最初原作とかなり異なった出だしに少し戸惑いましたが、見ているうちに、この場面が入ることで、戦時中を現在から振り返ることで、現代の恵まれた生活と戦争中の衣食住にも事欠く有様を際立たせているのだと思うようになりました。
 僕たちは今平和な世の中で暮らすことができ、私たちはそれを当たり前のように享受していますが、世界中にはいたるところで戦争があふれています。今この瞬間にも罪もない人々の尊い命が心無い者によって奪われているかもしれません。この劇の中で述べられているように、僕たちは戦争を知りません。でも、人間はこのように言葉で伝えることができます。そうして戦争の記憶や平和を守ることの大切さを風化させることなく後の世に伝え、二度とこのような無益な戦争を繰り返さないようにすることが、これからの時代を生きていく私たち高校生のひとつの使命だと思います。

3組

 「火垂るの墓」は幼いときからアニメやTVドラマで何回も観ていましたが、観る度に、戦争の恐ろしさを痛感させられます。演劇という形で観劇したのは、今回が初めてでした。私の中で「火垂るの墓」はアニメのイメージが強くて、人が演じるのと自分が持っているイメージとが異なりすぎて、つまらないかなと舞台が始まるまで思っていましたが、いざ始まってみると清太と節子がテレビ画面から出てきたように感じました。自分が持っていたイメージとピッタリでした。アニメで観るよりも、劇で間近で観るほうが、私の胸に訴えかけてくるものが強かったです。ミュージカル形式だったので、歌や踊りが大好きな私は、演技が進むにつれ、どんどん引きこまれていきました。
 終盤に神戸のルミナリエが出てきましたが、小学生の時、大阪に住んでいたので、実物を見に行ったことがありました。イルミネーションが何百メートルも続き、昼間のように明るくてきれいだったことを今でも覚えています。今はこんなに平和なのに、何十年か前までは、戦争をしていたと思うと、信じられません。栄養失調で命を失う壮絶な環境は、私には想像もできません。普段の自分の生活を振り返ってみると、本当に自分は幸せだと思いました。
 「火垂るの墓」以外に、戦争の残酷さを感じた作品がありました。「最後の早慶戦」という映画です。ラストシーンは目をつぶりたくなるような、実際の戦場の映像が流されていました。早稲田・慶應大学の学生が最後の野球試合をおこない、その後はほぼ全員が特攻隊となってしまい、戦場行く。という話なのですが、中学三年生のときに観て、目に焼きつきました。一生懸命勉強していた人達なのに、何故死ななければならなかったのだろうと思いました。
 戦争のときは、私たちと同年代の人達が無理やり戦争に巻き込まれ、自分のやりたいこと全てが出来ずに理不尽な思いをしながら亡くなった方がたくさんいる中で、現代私達を取りまく環境は、好きなだけやりたいことが出来て、たくさん勉強が出来ることは、本当に恵まれていると思いました。勉強が辛い・嫌だと思うのは、ぜいたくだと思いました。
 自己の将来を己で決めることが出来、自ら進んでいけることの有難みを今更ながら痛感したひとときでした。

 火垂るの墓は、評論家や政治家など多方面で活躍なさった野坂昭如さんの作品であり、作者自身の体験も交えて書かれたものです。その世界観が高い評価を受け、数多くの賞を受賞し、またアニメやドラマなどで実写化されるなど、形を変え今生きている私たちへ戦争の恐ろしさや命について語りかける作品の一つであります。
 私は今までに、火垂るの墓という作品をアニメやドラマを通して見てきました。その中で今回ミュージカルという形で鑑賞するということでとても楽しみにしていました。今までのアニメ、ドラマと異なり音楽も取り入れられていることで、戦争下での喜びや楽しみまた恐怖などの感情がより感じとりやすいと私は思いました。ミュージカルと言われると私は明るく楽しいものだと考えてきましたが、今回の劇団ポプラの方々の火垂るの墓を見てこのような、深く重いテーマの作品もミュージカルで表現できるのだと驚きました。
 戦争下での喜びや悲しみは、今の私たちには想像を越えるものがあると思います。しかし私がはっきりとわかることが一つだけあります。それは、二度と戦争を繰り返してはならないということです。人は忘れやすいものです。何かきっかけがなければ、その悲惨な戦争も日常で思い出さずに生活してしまいます。もう一度戦争を起こさないためにも、今回のミュージカルのようなきっかけを作り、受け継ぎ、伝え続けなければならないと思いました。平和であることが、こんなにも幸せであることを再確認でき、ミュージカルを観ることができ本当によかったと思います。
 劇団ポプラの方々が問いかえていた「なぜ戦争に反対できなかったのか。」という言葉がミュージカルを通して心へとても響きました。この言葉を胸にこれから、平和に感謝し、また未来へと伝えられるとうにしていこうと思いました。この幸せな時代を続けさせるためにも。

4組

 今年の春にイベントスケジュールが発表され、この「火垂るの墓」が上演されることを知り、そのころから公演される日を楽しみにしていました。私にとって「火垂るの墓」と言えば、まず最初にアニメーションが思い浮かびます。このお話はアニメ映画やテレビドラマにもなったのでおそらく多くの人が大まかなあらすじを知っているかと思います。そのように先入観もある作品を舞台上で、ミュージカルとしてどのように表現するのか、とても興味がありました。
 今回「火垂るの墓」を観賞して、ただ感動したというだけではなく、様々なことを考えさせられました。まず家族、兄妹の絆の強さが印象に残っています。特に兄である清太は幼い妹、節子のことをいつも一番に思って生活しているようでした。例えば二人の母が空襲で亡くなったとき、清太は母の死を妹には伝えようとせず隠そうとしていました。おそらく節子を悲しませたくなかったのでしょう。清太の節子に対する愛情がひしひしと伝わってきます。清太と節子は結局は幼くして亡くなってしまいましたが、現代を生きる私たちよりもずっと一生懸命に生きていたと思います。当時の生活は困窮を極め、明日を無事に迎えることすらもままならない状況でした。そんな中、2人の生涯は、まるで蛍のようにはかなくも「生きる」という一見して真逆の力強さも合わせもった、本当に輝かしものであったように思います。
 またこのミュージカルの中で、改めて戦争の悲惨さを痛感しました。私たちは戦後に生まれ、戦争のない平和な生活が当たり前となっています。普段の生活の中ではほとんど過去に日本が戦争を経験したということを感じることなく過ごすことができます。しかし戦争があったという事実はなくなることはありません。現に私の祖父母は戦争を経験し、どうにか難を逃れ今の私があります。祖母が時々戦時中の話をしてくれます。決して楽しい思い出ではないのに、語ってくれるのは後世を生きる私たち、そして私たちよりもずっと後の世代へと戦争のことを伝えてほしいからではないでしょうか。私たちはきちんと語り継いでいく義務があると思います。その語り継いでいく媒体として、このミュージカルもあります。
 「火垂るの墓」をミュージカル化することによってより幅広い世代の人が興味を持ってくれるのではないでしょうか。シリアスなテーマでありながら、あの友人の明るい性格は上演中、何度も救われたような気がします。
 なぜ日本は戦争をしなければならなかったのでしょうか。もう二度と過ちを起こすことがないためにも全ての人がしっかりと戦争の悲惨さと向き合い、平和を追求していかなければなりません。今回この公演を観賞することができ、本当に良かったと思います。

 「火垂るの墓」という作品自体は、スタジオジブリ制作のアニメーション映画として以前観たことがあった。映画を観たのは小学生くらいの時だったが、非常に重い内容で、最後まで観るのが辛くなってしまったことは覚えている。この作品の内容で悲惨なところは、他の多くの作品では途中にいくつかの悲劇が起こったとしても、ラストでは悲劇に巻き込まれた人物にも何らかの希望を残してくれるものが多いのに対し、そういった部分が全くないことである。観る人を感動させると言うよりも、痛ましい出来事に胸を締め付けられるようなものといえるかもしれない。そんな「火垂るの墓」がミュージカルという形で上演されると知ったとき、はじめはどういったものになるのかよく想像できなかった。というのも、ミュージカルというものについて、もともと自分はあまり知識がなかったため、ミュージカルについては漠然と、劇をしながら歌を歌うにぎやかなものだろう、というくらいの印象しかなかった。そのため「火垂るの墓」という戦争文学をミュージカルで表現するとなると、この作品に含まれる悲惨さなどがきちんと表現されているのだろうかと、今から考えればまったくの杞憂であるが、疑問に思っていた。実際に上演が始まってみると、このミュージカルは、現在進行形で物語が進んでいくのではなく、2人の兄妹を観てきた人物の息子(現代人)を語り手として、現代を生きる我々の感覚との対比なども交えながら物語を進めていく形式で、新鮮に感じられたし、当時の人々の心情などもわかりやすかった。劇中の要所要所に歌が挿入されていて、情景や心情の表現に貢献していると感じた。アニメーションやドラマとはひと味もふた味も違っていた。原爆や空襲、神戸における震災などについての解説も、内容をより理解するのに役立っており、戦争に対する劇団の方々の思いが充分に伝わってきた作品だった。戦争を直接知らない我々も、それがいかに悲惨で、繰り返されてはいけないものかということを幾度となく聞く機会はある。しかし文章や実体験を伴わない言葉で伝えるだけでは、人々を本当に心から納得させることは難しい。そのため、戦争を知らない世代に伝承していくためにも、こうした劇や映像作品と言ったものは非常に重要な役割を持っているものであると思った。この物語において、少年と妹は正義ではないし、彼らのおばさんが悪というわけでもない。戦時中という当時の異常な状況が、人々の精神にどのような影響を与えていたのか。そもそも当時と今とでは人々の考え方も異なるため、そのような背景知識がなくては我々が戦争のことを本当に理解することはできないだろう。そのために、こうした作品が上演されることの重要性があるのだと思った。

5組

 私は今回、劇団ポプラのミュージカル「火垂るの墓」を鑑賞して、平和の尊さについて改めて実感することができました。「火垂るの墓」は映像化されたものしか体験した事がなかったので、今回の演劇はとても楽しみにしていたのですが、私の想像をはるかに超えた迫力と質にとても感動しました。そして、現在の当たり前のように食べることができて、家族と一緒に安心して生活することができるのは、他の何よりもかえがたく、素晴らしい事だと思いました。世界中で起こっている戦争や核兵器の開発に対して日本は悲惨な結果になってしまった戦争の敗戦国として、また、地球上で唯一の核兵器攻撃を受けた被爆国として平和の尊さと戦争の悲惨さを強く世界に発信していく義務があると思いました。
 今回の演劇で最も印象に残っているのは、清太が節子の症状を少しでも良くしようと必死に走り回ったにも関わらず、不運にも、節子が亡くなってしまい清太とお別れをするシーンです。このシーンを見て、戦争をして誰も喜ぶ人は全くいなく、戦争がもたらすのは貧困と死だけで、戦争がありとあらゆる全ての物を全ての人から奪っていってしまうものだと改めて痛感しました。私は生まれてから、戦争という物は一切経験していませんし、家族が突然、戦争の為に亡くなってしまい一人ぼっちになったこともありません。食事だって好きな時に好きな物を好きなだけ食べることができて、苦手な物や嫌いな物は残飯として捨ててしまうこともあります。ですが、ほんの50年位前では、そんな事はできず、現在でも紛争や戦争の相次ぐ地域では餓死者が出ています。同じ人間であるはずなのに、生まれた時代・地域が悪かった為に不幸な目に遭うのは可哀想だと思いました。この演劇をもっと大勢の人に見てもらって、平和の尊さについて実感してほしいと思いました。

 僕は、今回「火垂るの墓」を観賞して、罪のない人々に犠牲を強いる戦争を二度と起こしてはいけないと強く思いました。僕たちは戦争と無関係なのでしょうか。僕は決してそのようには考えません。過去に日本は様々な戦争を行ってきました。また、今も世界で紛争や戦争が起きています。僕たちは、実際、過去に起きた戦争について、また、今起きている出来事について理解を深めて、未来に対する責任を果たすべきです。僕たちが果たすべき責任は、二度と戦争を起こさずに、平和な世界を築くことであると思います。
 「火垂るの墓」は神戸大空襲で親を亡くした幼い兄妹が終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとしますが、悲惨な死を迎えていく姿を描いています。この作品はとても有名で、僕も話のあらすじは知っていましたが、実際に観賞すると、劇団員の方々の熱い思いが伝わってきて、この作品に対する理解、そして戦争に対する理解が深まりました。
 平和なときには、戦争に対する意識が薄くなりがちだと思いますが、今のように「もの」に困らないことがいかに幸せであるか、この劇を通じて再認識することができました。
 僕たちは、どのようなことがあっても戦争を起こしてはいけないと思います。戦争は人々を苦しめるだけです。世代から世代へと、戦争の恐ろしさと平和の重要性を伝えていかなければならないと思いました。今、僕たちは新たな社会の大きな変化に直面していますが、過去の過ちを認識して、未来への確かな希望を創造する営みへ、僕たちは参加しなければならないと思います。そして、将来にわたり、この劇のような悲惨な世界に後戻りをしないように努力を継続していかなくてはならないと思います。

6組

 今回のミュージカル「火垂るの墓」を観て、改めて戦争の怖さ、過ちの大きさを感じました。私たちとそれほど年齢の変わらない人が徴兵されたり、親を亡くした戦災孤児として生きていこうとしていた事実は決して忘れてはならないことだと思いました。今の私たちの生活からは当時の生活の大変さや苦しさは簡単に想像できるようなものではないと思います。毎日の食事すらまともにできず、新しい服もなく、毎日を生き延びるために必死で生活していた同じ年代の人たちがいたことは信じられませんが、絶対に語り継いでいかなければならないと思いました。そして同じ過ちを犯すことがないようにしなければなりません。また、日本ばかりでなく他の国々でもこのような事実を知って、戦争が少しずつでもなくなっていってほしいと思いました。世界の国々では第二次世界大戦から60年以上経った今でも戦争はなくなっておらず国の判断で始めた戦争によって私たちよりずっと小さな子どもたちが被害に遭い亡くなっています。戦争が大きな過ちだと伝えていくことは、敗戦国であり、悲惨な経験をした日本だからこそできることではないかと私は思います。そしていつか世界が戦争のない平和な国々になっていってほしいと思いました。
 アニメでは何度か「火垂るの墓」を観ていましたが、今回ミュージカルで「火垂るの墓」を観たことにより、これらのことを改めて痛感させられました。

 10月26日にミュージカル「火垂るの墓」を観て、いろいろなことを考えさせられました。
 今の私たちの生活は食べるものも困らず、着るものにも困らず、また戦争が国内で起こるという心配もなく不自由さを感じずに生活しています。しかしかつての日本では戦争によって住む場所もなく、着るものも無く、食べるものも無く、次の日自分たちが生きていけるという保証がありませんでした。また、軍人だけでなく一般市民も戦争によって多く亡くなりました。今の日本の状況と比べると昔の日本が本当にそのようなものであったか疑わしくなってしまうほど、日本は急激な経済成長を遂げたと思います。
 また、普段の私たちの生活で戦争について深く考える機会はなかなかありませんが、特に夏になると終戦記念ドラマなどが毎年放送され、それを一緒に暮らしている祖父、祖母と観ることがあります。そこで戦争を経験した祖父、祖母の話を聞いて唯一世界で原子爆弾を落とされ、いかに原子爆弾が恐ろしいものだったか、また戦争が終わってもお金に不自由し食べるものがない辛い生活が続いたということなどたくさんのことを知りました。第二次世界大戦を経験した人々がお年寄りになり亡くなってしまった後の時代にも戦争の恐ろしさ、戦争のない今の生活がいかに幸せなものであるかということを語り継いでいかなければいけないと思いました。

7組

 「火垂るの墓」といえばおそらく日本人のほとんどの人が知っていると思います。私も小さい頃から何度もアニメ映画の「火垂るの墓」を観てきました。観る度に戦争の悲惨さに胸が苦しくなり、必ず泣いてしまう作品です。そのアニメ映画としてのイメージが定着していたので、今回劇で上演されると聞いたときはとても驚きましたし、劇で表現できるものなのだろうかと疑ってしまう気持ちもありました。しかし、劇を実際に観てみると、そんな心配は無用だったと分かりました。
 冒頭に役者の方々が客席に、戦争の悲惨さを伝えていって欲しいと、役としてではなく役者として訴えてきたことに、驚きつつも真摯な気持ちが伝わってきました。そして劇に入ると、工夫された演出、構成に思わず引き込まれました。食いつなぐこと、生きることすら困難で、現代では捨てられるものさえ貴重だった時代で誰もが生き抜くことに必死でした。必死なあまり、清太の叔母のように非力な子どもを見放してしまった人も多くいたはずです。清太と節子は幼く、そんな時代を生き抜くには非力で、純粋すぎたのだと思います。しかし、そんな異常な状況下でも失われることのない人の温かさも感じることができました。駐在さんや、語り手の父親などが清太と節子を気にかけ、救おうとしてくれました。それでも、2人はどんどん生気を失っていくし、戦争は容赦なく襲いかかります。終戦を迎えても、人々の戦争、生きるための戦争は終わらず、2人は他の多くの人々と共に、その戦いに敗れ、亡くなってしまいます。たとえ生き抜いたとしても、病気や怪我や貧困に苦しみ、無傷であったとしても、語り手の父親のように、自責の念、生き残ったことの罪悪感に苛まれてしまいます。誰にとっても戦争は本当に地獄なのだとひしひしと感じました。役者さん達がおっしゃっていたように、私たちは戦争を知らないし、人々の苦しみを理解することは絶対にできません。私がどれだけ戦争について知識をつけても、容易に分かったような言動をすることはできないし、それは許されません。劇を観て、今もなお自責して苦しむ語り手の父親に、あなたは悪くない、助けようと努力していたし、悪い時代だったから仕方ないのだと言いたくなりましたが、それで救われるわけではないだろうし、私の安易な慰めは逆効果かもしれません。しかし、2度とこんなことを起こさないために理解しようと努力を続けて、語り伝え続けることは、戦争を経験した国の義務なのだと思います。この悲惨な物語が、悲劇ではなく日常だった、そんな異常事態、人々の感情を麻痺させる事態が戦争なのだと、この劇は私たちに教えてくれました。ただかわいそうなお話なのではなく、すぐ近くにあった現実だという見方ができました。この苦しい気持ちを忘れないで伝えていきたいと思います。

 今回のミュージカルで上演された「火垂るの墓」はアニメ化がされたように、日本人に最もよく知られた戦争文学の一つだと思います。その戦争文学をミュージカル化したものを観ることができる機会などめったにありません。この劇は心に残るとても考えさせられるものでした。
 まず、驚かされたのは、劇としての水準がとても高く素晴らしかった点です。空襲の場面の燃える街の様子や蛍が飛び交う場面などが非常に凝っていましたし、役者さんたちの一つ一つの演技や歌声はとても感動的なものでした。だからこそ、戦争の残酷さが一層、僕の心につきつけられた気がします。役者の方が始めにお話になった「私たちも戦争というものを知りません。だからこそ演じながら皆さんと一緒に体験したいと思います。」という思いが深く伝わってきました。
 僕がこの劇を通じて一番感じたことは平和であることのありがたさです。それはこの劇の主題でもあったと思います。
計り知れない命や夢が奪われた戦争の歴史的事実の上に立って今生きている僕たちにできることは何なのでしょうか。それをこの「火垂るの墓」に訴えかけられ、大変深く考えさせられました。なぜ自分よりも若い兄妹があんなにもつらい思いをしながら死ななければならなかったのか。なぜ生き残った人が負い目を追わなければならなかったのか。そのように考えていくと、きっと誰もが今あるこの平和を守り続けていかなければならないと思うでしょう。大きな犠牲を乗り越えて僕たちがその思いを、平和を紡いでいかなければならないと思います。それをこのミュージカルで改めて感じさせられました。
 現在、平和が当たり前になってしまい、平和の大切さを忘れがちになってしまっている僕たちにとって、この「火垂るの墓」は、平和の大切さを再び僕たちに気付かせてくれると同時に、二度と繰り返してはならない悲惨な歴史を後世へと繋いでいく「きっかけ」となってくれるものでした。

8組

 先日、私はミュージカル化された「火垂るの墓」を見ました。見る前までは、ミュージカルというと楽しく踊っているイメージしかなかったので、「火垂るの墓」のような戦争に関連したミュージカルができるのかとても疑問でした。さらに、私は今回のような本物の劇を見たことがなかったので、場面転換や楽しい雰囲気から暗い雰囲気までどうやって表現するのだろうと、いろいろ想像してみましたが、まったくイメージが掴めずにいました。実際に見てみると、楽しい場面と、悲しい場面や緊張するような場面とでは、光の色の使い方をはじめ、人物の心情を描くために様々な工夫がなされており、その工夫の仕方に驚かされるのと同時に戦争の悲惨さを改めて感じました。
 「火垂るの墓」は、二人の兄弟が主人公になっていますが、戦時中兄弟二人だけで生きていくのは本当に難しいことだと思います。わたしにも兄弟がいますが、もし自分たち兄弟がその状況下にいたら、私は妹に対してあそこまで立派に振る舞えないと思います。今回のこのミュージカルを見て一番感じたことは、戦争は生き残った人々も、亡くなった人々と同じくらい辛く悲しいということです。
今まで私は、戦争で亡くなった方ばかりをかわいそうだと思っていましたが、生き残った方も、知り合いが亡くなるのを目の当たりにしたことや、大切な人が亡くなったのに自分が生きていることに対する悔しさなどによって、戦後にもかかわらず、生きていくことが楽ではなかったと思います。
 このように、誰もがつらく悲しい思いをするような戦争というものは、二度としてはならないと思うし、絶対にしたくないと強く思いました。第二次世界大戦から長い年月が経ち、戦争を経験したことのない人々が増え、実際に戦争の悲惨さを体験した人々が少なくなってきている今、今回のミュージカルのようなものは大変貴重なものになっていると思います。今回感じたり、学んだりしたことを忘れずに生きていきたいです。

 今回の「火垂るの墓」は、私にとって初めてミュージカルを観る機会となりました。この舞台の原作は、神戸大空襲の戦争体験を基に、食べる物も無く衰弱死した幼い妹へのレクイエムとして書かれた作品です。舞台は、戦争のむごさや、平和への願いなどが非常にストレートに訴えられていて、とても考えさせられました。
 原作者の息子の役の方の説明は、戦争への思いを私達観客へわかりやすく伝えてくれるものでした。犠牲者の数や、背後に映し出される当時の写真がより一層、当時の様子を明確にしていたように感じます。
 私の世代は、戦争をまったく知りません。しかし、何百年も前ではなく、私達の祖父母が子供の頃には、私が暮らしているこの日本という国と、他の様々な国の人々が戦争による被害を受けました。そして、今回の舞台でも触れられていたように、生き残った人々にまで様々な苦しみを与えました。特に、唯一の原子爆弾を投下された国である日本で戦争の苦しみを伝え続け、平和を訴え続けることは、非常に大切なことであると思います。
今日でも、国家間や民族間で争いが絶えることはありません。その原因の多くは、複合的です。権利や自由といったものを求めている場合もあります。しかし、戦争は、人間生活の一番根底にある、自分や大切な人の幸福を、私達から奪います。
 物資的に恵まれた環境の中で生活していると、様々なものへのありがたさを忘れがちです。当然のことのように過ごしている日々の大切さや、いかに自分が恵まれているのかということを、この舞台を通じて再認識することができました。

 他の国では食糧難に苦しんでいるときに、私たちの周囲では多くの食べ物が捨てられてしまいます。今、私がドロップや米を貰っても、節子のように大喜びすることはないでしょう。十分すぎるほど、食べ物に恵まれた生活をしているからです。
 今この瞬間に飢えで苦しんでいる人々がいるにも関わらず、日本では60%もの食べ物は無駄に捨てられます。
 今を生きる私たちは、伝えていかなくてはならないことがある、そして改善の為に一刻も早く動かねばならないことがある。そうしたことを考える大変素晴らしい機会に恵まれ、本当によかったです。

9組

 今回の「火垂るの墓」の演劇はミュージカルであるということを聞き、戦争末期の話で悲しく、そして暗いイメージの小説である「火垂るの墓」と、楽しく明るいイメージのミュージカルとを、どのように組み合わせて上演するのかとても興味深く、楽しみにしていました。
 実際始まってみると、「火垂るの墓」とミュージカルとは違和感なく融合していました。ところどころにはユニークなところがたくさんありました。若い頃の戦争の体験を語っている男性の息子が途中すっと出てきたと思ったら主人公である節子と会話をしたり、ファミリーレストランでその息子が食べ残してしまったハンバーグを欲しがる節子にあげたり、また空襲による被害の様子がわかる写真が映し出されたりして、戦争の様子というものを理解しやすくするための工夫もされていて、1時間40分の公演は本当にあっという間に感じられました。
 私が今回一番印象に残ったのは、舞台俳優さん達の次々とめまぐるしく変化していく表情の豊かさです。私が座っていた座席は最前列だったので、舞台俳優さん達がすぐ目の前でしゃべったり、歌ったり、踊ったりと、迫力もありましたし、表情がはっきりと見られたのが何より良かったと思います。
 舞台俳優さんの表情の他に圧倒されたのは踊りです。踊りの場面で印象に残っている場面があります。それは「ドロップスの唄」です。舞台俳優さんがイチゴ・レモン・メロン・チョコといろいろな味のドロップスになって楽しく踊っている姿は、当時ドロップスがどれだけ貴重なもので、もらったときどんなに嬉しいのかということが伝わってきました。もう一つ心に残っているのは、一瞬ですが玄関と扉や押し入れの扉は、道具を用いずに舞台俳優さんが演じていたユニークな場面があったことです。
 江戸取生として最後の年に観ることができて本当によかったと思える、心に残る演劇でした。

 10月26日に「火垂るの墓」を観劇しました。私は、アニメ映画、ドラマを観たことなく、原作も読んだことがありませんでした。タイトルと戦争下の話であるということしか知らなくて、初めて見るので今回の公演をすごく楽しみにしていました。また、戦争文学をミュージカルで行うこともあまりないと思うので、とても興味を持っていました。  「火垂るの墓」は、1945年6月5日に起こった神戸大空襲での体験を基に書かれた作品でした。今から66年前の話です。その当時のことが、ミュージカルを通してよくわかりました。町が焼き尽くされたとき、母の死がわかったとき、空襲から逃げるとき、歌によって当時の人の気持ちがよく表されていました。特に、ドロップをもらったときのシーンが印象に残っています。ドロップを1つもらっただけなのに、ものすごく喜んでいる姿が描かれていました。当時は栄養不足になるほど食糧がなく、少しの食糧を分けて食べていたそうです。ですからドロップ1つでも貴重なものだったのだとわかりました。今の日本では、米もお菓子もどこにでもあるし、不自由なく生活できています。このような環境に感謝していきたいと改めて感じました。
 そして、兄弟の絆も描かれていました。母が空襲で亡くなった後、2人きりになってしまったときも、兄が妹を引っ張って、助け合う姿がありました。戦争下では勤労動員や軍隊に呼ばれるなどして、家族が一緒にいることは不可能だったそうです。今、家族がいるということを当たり前に思っていましたが、本当に幸せなことであると感じました。
 今回「火垂るの墓」を観劇して、普段当たり前だと思っていることが、本当に幸せなことだと感じました。これから二度とこのような空襲や戦争を繰り返さないように、世界平和が続くようにしたいと思いました。

10組

 今回はミュージカル「火垂るの墓」を鑑賞しましたが、ミュージカルというものを今まで観たことがなかったので、楽しみにしていました。力強い唄とキレのある動きの演技が合わさって、大変迫力がありました。特にメインで演技している人の脇で演じている人の動きも細かくて、ミュージカルの世界に入り込むことができました。このような演劇やミュージカルに縁のなかった僕でも、やってみたいという魅力を感じました。
 僕たちは戦争を体験したことがなく、その意味では「本当の戦争」を知りません。実際に体験した人たちの話を聞くか、テレビなどの映像を通して見るくらいです。正直に言うと、ほとんど実感が湧きません。しかし、ミュージカルを見せていただき、話や映像にはない臨場感があって、当時の状況の悲惨さ、無残さが恐ろしいくらいに伝わってきました。不謹慎かも知れませんが、自分たちが今の時代に生まれて良かったとさえ思いました。戦争というのは、負けたら当然のごとくあらゆるものを失い、たとえ勝ったとしても失うものが多くあります。現にこの戦争の結果、日本は200万人近くの命が奪われ、戦勝国のアメリカでも約30万人の方が亡くなっています。得るものの代わりに失うものが多すぎます。両国の間に不協和音が生じたのならば、折り合いが付くまで話し合えばいい。それが簡単ではないのかも知れませんが、何よりも戦争なんて言う無謀なことで決着をつけなくてもいいのに。そんなことを改めて強く思いました。
 僕はどちらかといえば、感情表現が苦手で周りとコミュニケーションを取るのが苦手です。でも、今回ミュージカルを見せていただいて、すごく興味を持ちました。大学へ行ったら演劇サークルに入りたいと思っています。僕自身が今回経験したような、観客の背筋がぞくぞくするような演技をしてみたいと思いました。
 すてきな歌と演技を見せていただき、ありがとうございました。

 私にとって『火垂るの墓』の話や、プロのミュージカルを見ることは初めての経験でした。
 私は高校2年生まで、演劇部に所属していました。校内の発表で、何度か大ホールの舞台をつかわせていただいたことがあり、舞台がどのように使われるのか、非常に興味がありました。実際に使われた舞台は、私の想像以上のものでした。舞台にこんな使い方があったのかと驚くばかりでした。特に私が興味を持ったことは布の使われ方です。ミュージカルが始まる前に舞台のセットを見た時、真ん中に垂れ下がる布が何に使われるか疑問に思っていました。ミュージカルを通して、その布はいろいろな使われ方をしていました。例えば映像を映し出すために使われたり、光を当て、後ろを見えなくしたり、時には時空を超えていることを表したりしていました。また、はじめの方では、また別の大きな布が、舞台の一番手前に垂れ下げられ、赤い光によって爆撃で辺りが焼き尽くされる中、人々が逃げ惑う姿が表現されていました。他に、布以外では、光の当て方であったり、衣装の使われ方、大道具の使われ方、舞台横の椅子や机を使われ方などによって、場面の変化や人物の変化、心情の変化がわかりやすく表現されていました。
 『火垂るの墓』という話は、私にとって「戦争をテーマとした暗い話」というイメージがありました。今回、このミュージカルを見て『火垂るの墓』という話は、ただ暗く、悲しいだけではなく、その中に喜びがあり、苦しみがあり、怒りがあり、感動がある、奥行きのある話であることを初めて知りました。平成を生きる私たちにとって戦争は、遠く離れた過去の出来事です。劇中で節子が倒れたときに来た医者に、日本敗戦を聞かされた清太の気持ちを理解できるとは思えません。舞台もそうですが、戦争について改めて考え直すいい機会を頂いたと私は思っています。

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