ウォークラリー

1組

 今年のウォークラリーは、高等部最後の行事となりました。クラスの友達との思い出を作る最後の機会と言っても過言ではありませんでした。体力向上という本来の目的もありますが、その過程をいかにして楽しむか、ということも前もって友達と相談していました。その結果、最後のウォークラリーはとても思い出深く、楽しいものになったと思います。
 今年、私たちは列の先頭を歩くことになりました。毎年、前を歩く先輩方が少しずつ少なくなっていく様子を見ていた私は、前を歩く先輩がいなくなってしまったことに感慨を覚えました。自分が前を歩くのはまだ先のことだと思っていたので、もうその立場になってしまったのかと思うと、時が経つのはあっという間だと感じました。
 今回のウォークラリーは、今までのウォークラリーよりも、身体的な苦痛は少なかったように思います。普段の私は、体育の授業くらいしか運動をする機会がなく、とても体力が衰えてしまったと思います。しかし今回のウォークラリーで、それほど苦痛がなかったのは、やはり友達と一緒に楽しい思い出作りをするという気持ちを持っていたことが大きいと思います。今までも、確かに友達と仲良くなって話をしながら歩いてはいました。しかし、3年ともなると友達の性格や趣味がよくわかり、時間も忘れて楽しむことができるようになり、疲れもほとんど感じませんでした。
 これまでのウォークラリーを通じて、単なる体力向上という目的だけでなく、友達と一緒に何かをすることの楽しさや、やり遂げた後の充実感、達成感というものを感じ取ることができたように思います。卒業まで残り少なくなった時間を充実したものにしようと思える一日になったと思いました。

 今回、ウォークラリーに参加して改めて歩くということの素晴らしさを体験することができました。常磐線快速電車は、上野−取手間の約40キロを40分で移動します。特急電車であるフレッシュひたちは、さらに短時間で移動できます。このように便利な移動手段があるにも関わらず、僕たちは10キロの道のりを2時間かけて歩きました。時間ばかりがかかると思われがちですが、実際に歩いてみれば、様々なことを学ぶことができました。
 授業のある日、僕は電車で学校に行きます。車窓から見える利根川の岸辺は殺風景に見えます。ところが歩いてみると様々なものがあることに気付きます。畑、看板、バスケットゴールなど電車からは確認しづらいものに気付いたのです。ウォークラリー中は清掃活動も一緒に行いました。僕はゴミ袋を片手にゴミを拾っていたため、思わぬ所にゴミがあることにも気付きました。電車が橋を渡るときは、電車の中では想像もできないような音の響きに驚かされました。橋付近に住んでいらっしゃる方には、大変騒々しいものであると思います。
 僕は、歩くことそのものの良さも今回学びました。それは、歩いた分だけ進むということです。10メートル歩けば10メートルより多くは進めませんし、それより短いということもありません。車や電車のように、座席に座れば目的地に着くというものではありません。自分の力で歩いた分だけそのまま自分に返ってくるという、ある種、素直さが良い点だと思います。車や電車は、自分の力ではなく電気やガソリンで動いています。自分の使ったエネルギーと進んだ距離がつり合っていません。僕は歩くことが勉強にも似ていると思っています。やった分だけ自分に返ってくるという点です。また、じっくりやる分、いろいろなものが見えてくるという点も似ています。素早く教科書を目で追うだけでは分からないようなことも、音読してみたり、書いたりすれば内容がしっかり身につきます。ウォークラリーで折り返し地点に差しかかったとき「着実に進んでいる」という実感が湧いてきて、ゆっくりだけれども歩き続けて良かったと思えました。
 これからの人生、電車で進むかのごとく物事がスムーズに進むこともあれば、歩くペースのようになかなか思うように進まないときもあると思います。しかし思うように進まないときこそわかることや見えることがあり、それを感じながら様々さ状況を楽しめる人になりたいと思っています。

2組

 高校3年生のこの時期だからこそ感じることがあります。
 高1のときは高2、高3を見てついて行こうと思い、高2では中堅学年として独特の気持ちを持っていました。このウォークラリーという行事では毎回、僕の目には高校3年生の姿というものがありました。そしてこの行事に対して特別の前向きな気持ちを抱いてきました。それだけ受験を目前にした高校3年生というものを意識し、その姿勢に目を引かれたのだと思います。
 今回は高校3年生だからこそ持つことができる積極性がありました。1つの行事を終えていく中で受験へ、そしてその先へと歩む、その歩幅を定め、一歩また進んでしまうこと。もう一つ、先輩として先を歩いて行くことで、後輩たちにウォークラリーの意義を感じ、追いかけてきてもらうこと。何をするわけでもないが、不思議と自分が先頭を歩いていることが意識されました。
 普段は、見向きもしないうちに移り変わっていくだけの風景も、見知らぬ空間として出会えます。本当に幼かったときに覚えて以来の植物の手触りや、折れた茎の感覚を思い出しながら、今はもう、その世界から遠のき離れてしまった隔絶の感とともに、僕はアスファルトの上を歩いて自然のずっと生き続けている姿を感じ続け、心を打たれました。今はもうそんなものに触れてばかりもいられない。そんな複雑な気持ちを覚えました。自然は感情が乏しく、自然は悲しんでいない、泣いていない、なぜかそんな気ばかりがしました。最初は全く寒いと思っていなかったにもかかわらず、手足は冷えていき、乾いた冷たい風を浴びながら歩いていました。どこまでも歩き続けていくような感覚に襲われながら歩いていました。
 今、感想文を書いて思います。あの場を歩くことは、自分の心の層に出会うことなのだろうか。確かに出会ったはずだ、と。

 10月19日にウォークラリーがあり、私たちの入学した年度から始まったウォークラリーもついに6回目を迎えました。幸い天候にも恵まれ気持ちのよい日差しの中、とても楽しいひとときを過ごすことができたと思います。また、今回のウォークラリーは受験生である私たち高校3年生にとっては残りの学校生活における唯一と言っても差し支えない行事であり、受験勉強に疲れた私たちに休息を与えてくれる丁度良い機会にもなったと思います。6年前、私が私立江戸川学園取手中学校に入学し、最初にウォークラリーという行事のことを耳にしたとき、正直に言って「歩くなんて大変そうだし、面倒だ」と思っていました。しかし、このウォークラリーという行事を体験していくにつれどんどん楽しみになり、そしてウォークラリーがどんどん好きになっていきました。今年に至っては楽しみで仕方がなく、前日から友達とウォークラリーの話をするほどでした。私はウォークラリーには3つの楽しみがあると思います。まずは景色です。ウォークラリーをする中で毎年新しい発見があって面白いし、土手からの景色は何度見ても開放感がありとても素晴らしいと思います。そして、何といっても江戸取生の行列です。あれだけたくさんの人数が一緒に歩いているのにあまり乱れることなく進んでいく姿はとても美しく江戸取生らしい姿であると思います。次にゴミ拾いです。ウォークラリーをするとき、各クラスにはゴミ袋が渡されます。歩いていくうちにゴミを拾うのはなかなか楽しく、いっぱいになったゴミ袋を見ると、とても達成感がありました。それに、地域の環境を守ることにも一躍買うことができ、一石二鳥であると思います。そして、最後に交流です。ウォークラリーでは友達と一緒に歩くことでたくさんの交流ができます。今年も、今までクラスであまり話をしたことがなかった人と親しくなることができ、とても有意義なものになりました。このように、ウォークラリーには楽しみがあり、今年もたくさんの思い出を作ることができました。もう受験が目前まで迫っていますが、今回のウォークラリーの思い出を受験勉強の糧にして頑張っていきたいと思います。

3組

 10月19日、ウォークラリーがありました。毎年この時期に行われる恒例の行事ですが、僕たち高校3年生にとっては今回が最後ということでいつも以上に楽しみながら歩きました。
 ウォークラリーを行い、とてもためになったことがいくつかあります。まず1つ目として、クラスメイトとの交流を深めることができたことです。10キロという長い距離をクラスごとにまとまって歩くことで、普段あまり話すことのないクラスメイトとも話すことができましたし、仲の良いクラスメイトとはさらに関係を深めることができました。2つめとしては、歩くことの楽しみを改めて実感できたことです。高3になってから、バスで登下校することが多くなり歩くことが少なくなっていました。ウォークラリーで、自然が豊富な土手沿いを歩くことによって、とても気分が爽快になりましたし、クラスメイトとの会話も盛り上がり、歩くことがとても楽しかったです。これからはなるべく徒歩通学をしようというよいきっかけになりました。また、歩くことは体力向上につながることがわかりました。部活を引退してから、体育の授業以外ではほとんど運動をしていなかったので、ただ歩くというだけなのにとても疲れたのを覚えています。歩くことの大切さを教わった気がしました。
 そのほかに、ウォークラリーを行なって気がついたことがあります。それはゴミの多さです。僕は副委員長ということで、ゴミ袋を持って歩きました。土手を歩いていると一見何もないように見えますが、注意深く見てみると透明なビニール袋や飴の袋など様々なゴミが落ちていて、とても残念な気持ちになりました。一人一人がゴミを捨てる心がけを持つべきだと思いました。
 今回のウォークラリーで、全校での学校行事は最後となってしまいますが、団結を強めたクラス全員で大学受験に臨みたいと思います。

 高校3年生となった自分にとって、今回のウォークラリーは高校生活において最後の行事でした。しかし、受験が迫り切羽詰まって余裕など全くない中では、行事といえど憂鬱なものでした。「時間がもったいない」「勉強をしたい」と考えてしまうほどでした。今思えば、とても視野が狭まっていたと思います。そのときは、勉強だけでなく様々なことで心に余裕が持てませんでした。そのため、いつも心のどこかで苛立っていました。歩き始めたときにも「どうしてこんなことをしなければならないのか」と苛立ちながら歩いていました。しかし、歩いているうちに落ち着いて様々なことを考えていました。「これからどうしようか」ということや「自分が本当にやりたいことは何だろう」ということ、そして「なぜ、最近こんなに余裕がないのだろう」ということなどを考えていました。そして自分は目前の受験ということだけにとらわれ、焦っていて、そのせいでいつも何かを考えているようで実は何も考えられていなかったということに気がつきました。このとき初めてウォークラリーの目的に気がつきました。それは、「自分自身と対話する時間を持つこと」です。結局のところ、人はだませても自分自身はだますことができません。焦って様々なことに手を着けても、身につけることはできないと言うことです。これまでの自分の態度を反省し、これからどんなに焦っていても落ち着いて、冷静に一歩ずつ進んでいくことを今回の教訓としていきたいと思います。このような教訓を得る機会はなかなかないと聞きます。なので今回のウォークラリーは、これからの人生における重要な時間になりました。このような機会に恵まれたことに感謝しつつ、これからの良い出会いを祈りながら目の前にしか得ている受験に向かって一歩ずつ進んでいきたいと思います。

4組

 高校3年生のウォークラリーといえば、全校行事最後のイベントです。友達には、受験勉強の息抜きとしてこのイベントを楽しみにしている子も多かったようですが、最初、私は正反対の気持ちでした。
 私の中1から高2までのウォークラリーの記憶はといえば「足が痛くなった」。ただそれのみです。たった10数キロ歩く時間で後々まで記憶に残せるような素晴らしいおしゃべりができるはずもないと思っていたし、ましてや歩くことの効用と言われても疲れた身体でどうして考えることができましょう。そんな感情が強かっただけに、今年のウォークラリーが予想以上に楽しかったことは驚きですし、同時にどこかほっとしたような気持ちも生まれました。
 今年のウォークラリーを楽しむことができた理由の1つとして、カメラを持つ役割に就けたということが挙げられます。写真を撮るときは誰しも笑顔になります。去年まで「折り返し地点はまだ?」と言っていた道のりを、笑って通ることができたのは素直に嬉しかったです。
 他には、少し変わったことがありました。ネズミが出たのです。ハムスターのように小さく、かわいらしいネズミで、私はどうしても写真に収めたかったので、後を歩いていた6組のところまで後退して撮影してきました。ネズミについて池田先生の解説もお聞きすることができ、満足することができました。不思議と疲れは感じなかったです。
 最後の方は、みんなでしりとりをしました。高校3年生が本気でしりとりをするという状況も、なかなかないので面白かったです。ただ、みんな地名や生物用語が出てくるあたりさすがだと思いました。
 学校生活最後のイベントがこうして楽しい思い出として残せるものになったことを私はすごく嬉しく思います。クラスのみんなのおかげだと思います。

 雨天中止、小雨決行という予定だったが幸いにも当日に雨は降らなかった。風が強く肌寒く感じた。周りの級友の顔を見ると、あきらめにも似た表情でこれから始まるイベントを待ち受けている人が多かった。たぶん、僕も似たような顔をしていただろう。
 スタート直後の足取りは、当然軽いものだった。しかし、これから10キロ以上もの距離を歩かないと行けないと思うと、気分まで軽い…、というわけにはいかなかった。10月半ばではあったが風が吹くとかなり寒かった。温かい飲み物を持ってくれば良かったと思った。道ばたには、先生がいらっしゃったが寒くなることを予想していたのか、防寒具を身につけている先生もいらっしゃった。クラスメイトは、僕もそうだが、持参したカメラで、卒業アルバム用の写真を撮ったり、おしゃべりをしたりしていた。先生はひたすら前に歩き続けるので、ペースの遅い僕たちはたびたび走って追いかけなければならなかった。
 そうこうしているうちに、折り返し地点までやってきた。意外なことに疲れはあまり感じず、道のりは順調だった。スタートは高3の1組から学年ごとに出発していた。復路である土手の上から、下の往路を歩く一年生らしき集団を見ていると「ああ、彼らはまだ半分以上も残っているんだ」と少しかわいそうに思えた。途中でネズミを見た。僕が見つけたわけではなく、前を歩いていた人たちが騒いでいるのでわかった。小さいネズミで、大きめの消しゴムほどの茶色いネズミだった。「かわいい」という黄色い声も上がったが、触りたいとは思わなかった。なぜ茶色いのか気になった。踏みつぶしたら寝覚めが悪い、などと考えながら避けて歩いた。
 学校生活最後のイベントも終わりが近づいてきた。そう考えれば感慨深いものがあるかと思っていたが、僕は疲れていた。疲れていると頭が働かないものだ。クラスメイトの中には、まだ最初のテンションを維持している人もいたから感心した。
 結局、僕のクラスは、全員がくじけることなく学校にたどり着いた。このモータリゼーションの時代に、自分の足だけで歩いた自分を褒めてやりたい気分だった。ひたすら疲れた。終わってみればの話だが、なかなか楽しかった。高三になってまで参加しなければならないなんて、と思っていたが、たまには頭を休めて身体を動かしてみるのも悪くはない、と思った。

5組

 私にとって、今回のウォークラリーは6回目でした。6回目ともなると、道も風景も覚えているので、とても懐かしい気持ちになります。
 今までのウォークラリーの思い返すと、毎年たくさんの思い出がありました。友達と歩くことは、一人で歩くことよりも何倍も楽しいし、これから先こういった機会はめったにないと思うので、とても貴重な時間を過ごすことができたと思います。
 特に高3は、他学年よりも行事が少なく、高校生最後の年なのに、あまり思い出を作ることができません。また今の時期は、受験まで残り少ないので精神的にも追いやられてしまいがちです。そんなとき、ウォークラリーは最適でした。勉強から解放され、外の空気を吸うことで気持ちがリフレッシュされます。そして自分が望んでいる未来を築くために、また頑張ろうと前向きになることができました。
 中学1年生の時を思い返すと、初めてのウォークラリーはとても長く感じ、疲れ切っていたような気がします。しかし、年を重ねるにつれて長いと感じることはなく、だいぶ疲れにくくなりました。そういう面で、自分の成長を感じることができました。
 それと同時に、6年という期間が短かくも感じました。社会人として働くのも、そう先のことではないような気がします。社会に出ることは、新しい世界を知ることができるし様々なことに挑戦できるので楽しみでもある反面不安でもあります。大人になると辛くて自分を見失いそうになることがあるかも知れませんが、そんなときは6年間歩いた利根川の土手を歩いてみるのもいいかなと思いました。
 ウォークラリーは、成長を感じさせてくれたり、気持ちをリセットさせてくれ、自分を見つめ直す良い機会でした。とても楽しかったです。

 6年間ウォークラリーに参加してきて毎回思うのは、気分がとても晴れやかになるということです。この受験期のまっただ中において部活はおろか身体を動かす機会は体育の授業以外にありません。固まった筋肉をほぐせる良い機会でした。
 改めてウォークラリーにおいて河川敷を見渡すと、いろいろな景色が見えることに気付きました。季節は秋、もうじき寒波がどっと押し寄せ、防寒具が手放せなくなるだろうという時季。草木はその葉を少し縮こませ、冬に備える様子を見せます。雑草は少し枯れ、農作物もおおかた収穫済み。風も割と寒く感じるようになりました。
 僕たちはいよいよ大学入試への道の終盤へ来ています。やるべきことを見定めるべく精神を張り詰め、少しでも状況を良くしようとする中、ウォークラリーといった行事はとてもありがたいものでした。文頭に書いた通り、とても精神をすっきりとできる、身体を動かせる。また、仲の良い友達と一緒に身体を動かすことができ、楽しい時間を過ごすことができる。いわば一石三鳥であったと言えます。各先生方、ご引率ありがとうございました。この楽しい時を糧にして受験に負けない精神を積み 上げていこうと思います。そして必ずや僕たち一人一人が行きたいと望む第一志望の大学に行くことで、先生方のご努力、僕たちの努力を夢、希望から、現実へ変えられるよう全力を尽くしていきたいと思います。

6組

 高入生の私にとっては3回目の参加となった今回のウォークラリー。毎日勉強するか、食べるか、寝るかの生活の繰り返しだった高校3年生にとっては楽しみな行事でした。
 今回のウォークラリーは風も穏やかでそれほど寒くなく、とても歩きやすい天気の中で行われました。なかなか外に出る機会の少ない私たち高校3年生にとっては歩く途中で見つけた柿の木やトンボなども新鮮に感じられました。普段なかなか話せなかったクラスの友達とも楽しく話すことができました。普段は少し怖い担任の池田先生とも楽しみながら話すことができ、とても良かったです。そうしているうちにあっという間に折り返し地点まで来てしまいました。私は少し寂しくなってしまいました。それと同時に、足も少し疲れが出てきましたが、先生方が途中に立って「頑張れ」と応援してくれるだけで「あと少しだし、頑張ろう」と思うことができ、「疲れた」などと弱音を吐くこともなく、最後まで歩き通すことができました。
 翌日は案の定、足が筋肉痛になり、立ち上がるのにも苦労しました。しかしその後3日間くらいは足がむくむこともありませんでした。それを実感したとき、改めてウォーキングは体にいい運動なのだ思いました。
 最近、私の母も夕方ウォーキングに行っています。私は歩くのが面倒だと思ってしまい、行っていませんでしたが、時間があったら私も一緒に歩こうと思いました。

 ウォークラリーの目的は、健康を維持するためだと聞いていました。しかしウォークラリーから得られるものは、それだけではありません。そうしたことを今年は特に強く感じました。
 高校3年生になると、受験勉強の影響で自然と、友人とゆっくり接する時間がこれまでより減ってきてしまいます。そうした状況の中で、ウォークラリーのように、友人とゆっくり話したり、楽しんだりしながら一緒に歩くことは、なかなか得られない機会だと思います。そのため今年はこれまで以上に、楽しむことができました。
 また高校生活最後の行事ということで挑んだわけですが、やはりみんなで何かを成し遂げることは、得られるものが大きいと思います。これは江戸取生活6年間で、学んだことの1つです。もう江戸取で、このような機会が無いのは、非常に残念に思います。しかし大学に進学すれば、そのような機会は、これまでより多くなることでしょう。その時にこれまで積み上げてきた経験を活かすことができれば、その行事をより良いものにできるはずです。行事を自分の力でより良いものとする。進学後、あるいは社会人となってから、そうした役目を果たせるような人間に成長するために、今回のウォークラリーを含め、これまで多くの行事に仲間と協力して取り組んできたのではないかと、僕は考えています。
 これからは勉強に費やす時間が生活の中心になってしまいますが、大学に進学してからも、仲間と共に様々な行事に取り組んできたことを忘れることなく生活していきたいと思います。
そして一緒に行事に参加してきた友人たちも、そうであって欲しいと、今僕は願います。

7組

 10月19日の午後ウォークラリーが行われました。江戸取生活でクラス全員が参加する最後のイベントだったので、少し悲しい気持ちでした。そして、6年間はあっという間だったなあと思いました。
 歩く前は、高校3年生になってから運動は週3回の体育だけで、座っていることが多いので10キロ歩けるか不安でした。また、友達と話す内容は勉強のことばかりで、話す内容が無くなってしまったり、疲れそうと思っていました。しかし実際は冗談を言ってみんなで笑ったり、普段なかなかじっくりと話すことがない将来の夢を語ったり、悩みを相談したりと話題が絶えず、充実していてとても楽しかったです。
 今回のウォークラリーで友達の将来の夢を聞いて、自分の夢は曖昧だと思ってしまいました。折り返し地点を過ぎて、「最後のウォークラリーが終わってしまう」と話していると、1人の友達が「将来は教師になって江戸取で先生をするから、私にとっては最後ではない」と言いました。その言葉を聞いて、その友達が本当に格好良く見え、すごいと思いました。私自身は、将来なりたい職業が1つに絞れていないので、自分がどんなふうになるのかよくわかりません。でも、その友達のように1つのはっきりした目標に向かってこれから頑張ろうと思いました。
 受験まであと3ヶ月もないこの時期に、クラス全体、友達同士の結束を高めることができて本当に良かったと思います。受験は個人戦ですが、会場にはクラスの人もいるので、団体戦でもあります。4月から今まで朝8時から夜8時くらいまで、一日の半分を一緒に過ごしてきたクラスの人がいたからこそ勉強を頑張ることができたし、これからも支え合っていくことができると思います。ウォークラリーで語り合った夢が全部叶うといいなと思いました。

 ウォークラリーは僕たち高校3年生がクラス全体で身体を動かす最後の学校行事であり、それは友人達との交友関係を深めたり、日々の勉強からの気分転換の場になったり、微力ながら地域清掃もしたりと、多岐に渡る効果をもたらすものでした。それらは実に有意義であり、僕はここ最近では感じ得なかった爽快な気分を味わうことができました。その中でも僕が特筆したいことは、友人との交友関係におけるウォークラリーの効果です。
 ウォークラリーでは長い時間、友人達と話すことができましたし、野外の、特に自然の中での活動ということで気分が開放的になったためか、普段見せないような素直な自分を自然と見せていて、終始楽しい話で盛り上がっていました。それによって皆との交流が深まったように思います。また、自分でも驚いたことに、5キロメートルの折り返し地点では出発前の予想に反して「短すぎる。もっと皆と一緒に歩いていたい」と思う自分がいました。秋の寒空の下で何キロも歩くことがこんなにも惜しいと思うとは予想していませんでした。それほどにこのウォークラリーは楽しく、有意義なものでした。
 また、他にも印象的だった出来事がありました。道中、通りかかった幼稚園の中から、園児たちが無邪気に手を振って挨拶をしてくれる姿を見たことです。この時、僕は身体の疲れが吹き飛び、心が温まるのを感じました。最近、自分の挨拶がいかに形式的なものになってしまっていたかを思い返し、挨拶がもたらす効果の素晴らしさを改めて確認することができました。
 このように、僕はウォークラリーから大切なものを得ることができました。この体験は友人達、先生方や取手の自然、どれが欠けてもあり得なかったと思います。このウォークラリーは、僕たち高校3年生にとっても、大変有意義な行事でした。このような機会を設けてくださった先生方に非常に感謝しています。このウォークラリーに参加できて、本当に良かったと思います。

8組

 高3生にとって、受験がだんだん近づいてきて、本当は少しでも多く勉強していたい気持ちの中、私たちはウォークラリーに参加しました。江戸取に入学してから、いろいろな行事に参加してきましたが、このウォークラリーが最後の行事です。もちろん、自分たちで約10キロ歩くということで、疲れるかなという気持ちもありましたが、それでもクラスの皆で参加する最後の行事は、やはり良い思い出になりました。
 歩いているときは、友達といろいろな話をしました。もちろん、仲の良い友達ばかりですが、もっともっと仲を深められたように感じました。途中、近くにある幼稚園から、幼稚園生がすごく元気に手を振ってくれました。とてもかわいかったです。私たちも手を振り返し、幼稚園生からたくさんの元気をもらいました。また、きれいな花も咲いていました。受験生ということもあり、普段は外に目を向けることが少なくなってきている中、久しぶりに外を歩いて、そのような自然に目を向けることで、すがすがしい気持ちになりました。
 10月ももう終りに近づき、受験生活もだんだんと、つらいなと思うことが増えてきましたが、このウォークラリーは本当にいいリフレッシュになりました。そして何より、このウォークラリーで感じたのは、やっぱり学校って楽しいなということです。仲良しの友達、クラスのみんな、先生方、そういう当たり前の環境がすごく楽しいなと感じました。体育祭、文化祭など、もちろん楽しい行事がいっぱいでしたが、このウォークラリーもそれに負けないくらい、よい思い出になりました。

 今年度で卒業となる僕たち高等部32期生にとって、今回のウォークラリーが最後の学校行事でした。歩きながら友人達と様々な会話をし、僕は長いようで短かったこれまでの学園生活について回想していました。中等部生だった頃のウォークラリーで、とにかく列について行くのが精一杯で泣きそうになりながら歩いて靴擦れがひどかったことから、紫峰祭やハワイ、カナダへの修学旅行などの大きなイベントまで、6年間の学園生活での様々な出来事を思い出しました。やはり今回のウォークラリーは学園生活で最後のイベントであるという点が非常に大きく、どうしても懐古的になってしまいがちでした。そんな中でもにぎやかに楽しく歩ききることができたのは一緒に歩いた友人達のおかげだったと思います。教室を離れ、気持ちの上でも勉強や受験のことを離れてただひたすらに歩き続けるだけという極めてシンプルなイベントであったからこそ、普段は話さない、あるいは話せないような腹を割った会話ができたのであり、互いに友情を深め合うことができたと思います。今回、友人達と共に歩いたことは、残りの受験勉強を乗り切る糧となる、一生忘れることのないかけがえのない思い出となりました。
 今回のウォークラリーは、僕たち32期生の最後の学校行事にふさわしい、楽しくてにぎやかな最高の形で締めくくれたと感じています。今回に限ったことではありませんが、ウォークラリーに出発する前は、正直に言うと「面倒くさい」とか「疲れるから嫌だ」と思ってしまうのですが、終わってみると普段気付かないことに気付けたりして、翌日の疲労感以上に得るものはとても大きかったです。僕はもうウォークラリーに参加することはありませんが、この素晴らしいイベントが江戸取の伝統として受け継がれていくことを心から願っています。

9組

 10月19日水曜日、毎年恒例のウォークラリーが行われました。10キロという長い距離をクラスメイトと歩き、さらに親睦を深めると同時に、体力の向上を図ろうということが目的です。
 当日を迎えるまでは、本音を言うと「受験生なのに時間がもったいない」「疲れが残ってしまうのではないか」などと思っていました。しかし、私たち高校三年生は、ウォークラリーが最後の行事となります。卒業アルバム用の写真やDVD用の映像も撮ると聞いて、思い出作りとして、難しいことは考えずに楽しもうと思うようになりました。
 いざ始まってみると、途端に男子たちがにぎやかになり、見ているだけの人も楽しそうにしていました。3年生になってから、教室が受験生の雰囲気となり、部活動もなくひたすら勉強をし、運動といったら体育の授業くらいでした。休み時間も個々に勉強をしていますから、なかなかゆっくり話し込める時間もありませんでした。ですから、話も尽きることなくあっという間に折り返し地点まで来てしまいました。折り返し地点では、すれ違った他のクラスの友人や先生と声を掛け合ったり、手を振ったりするのが恒例となっていますが、今回は「全学年での行事は最後で、私たちもあとは受験と卒業式だけで高校生活も終わってしまう」と、所々で何気なく思われ、少し寂しくもなりました。楽しい時間は不思議と短く感じるもので、すぐに学校に到着してしまいました。
 今回ウォークラリーを終えて、運動不足も多少解消され、最後の思い出を作ることができ、充実した行事になったと思います。
昔から手がかかると言われてきた32期生ですが、やはり楽しむときは思い切り楽しみ、勉強もやるときはしっかり取り組めるメンバーです。あとは、皆で笑って卒業式を迎えられるよう、精一杯勉強に励んでいきたいです。

 高校3年生である僕にとって今回は最後のウォークラリーであり、今までで一番楽しかったです。それは、このウォークラリーが高校生活最後のイベントだったからだと思います。全部で約10キロという長い距離ですが、1人で歩くのではなく皆と話しながら、時には少しふざけ合いながら歩いているとあっという間に時間が過ぎ、終わってしまったという感じを受けました。
 ウォークラリー中には、高校3年生の思い出作りということもあり、卒業アルバム作成のための写真をたくさん撮り、今回初めてビデオカメラで撮影もしました。僕自身が直接撮影したわけではないので、どのように撮れているかはわかりませんが、たくさん友達と一緒に撮影しました。現像され卒業アルバムになったときが今から楽しみです。
 ウォークラリーが終わり、教室に戻って少しの間待っているときにも、歩いている間にあんなことを話したり、こんなことをしたりした、と思い出をかみしめながら楽しい気分に浸っていました。部活を引退して受験勉強中心の生活になり、運動をする機会が体育の授業くらいしかない僕たちにとって、今回のウォークラリーは天気にも気温にも恵まれて、良いリフレッシュの時間になり、また頑張ろうという気持ちになることができました。
 10月も後半にさしかかり、入試まであと2、3ヶ月しかない追い込みの時期に入ります。ここからは今まで以上に一生懸命勉強していくため、くじけそうになることもあるかも知れません。しかしそんなときには一緒に歩いた友達と励まし合い、乗り越えていこうと思います。

10組

 僕は、このウォークラリーに参加してとても良かったと思いました。しかし、最初はあまり乗り気ではありませんでした。それは受験前の思い出作りにはいいかもしれませんが、なぜこの勉強の忙しい時期に高校3年生がウォークラリーに参加しなければならないのか、疑問に思っていたからです。「時間が惜しい」という人や「疲れる」という人もいて、自分も同様の考えを持っていました。けれども、ウォークラリーがいざ始まってみると、クラスの雰囲気が変わったことに気がつきました。それは、久しぶりに見た雰囲気で、体育祭で頑張っていたときと同じように感じました。今まで僕たちのクラスだけではなく、他のクラスにも、高校3年生は独特の緊張感があり、ピリピリした空気がありました。そのため精神的にとても疲れている人もいました。けれども、このウォークラリーでは、どのクラスも和やかなムードの中で始まっていたので気持ちが安らぐような感じだったと思います。また、受験前の思い出作りとして写真を撮るよい機会でもあり、多くの思い出を作ろうとクラスの皆は楽しそうにしていました。そしてこのウォークラリーは、高校3年生の中では参加することができる残り少ない行事の一つです。全校で行う行事としては最後の行事になります。そのため、皆充分に楽しもうと頑張っていました。その姿は体育祭のダンスの時にクラス一丸となって頑張った姿と重なって見えました。そして、ただ楽しんだだけではなく、嬉しかったことは広がっていると前から人がやってきてすれ違うときに先頭の仲間が「右によけて」と周囲の友達に声をかけていたことでした。それは、当たり前のことですが、昔の僕たちだったら気がつかなかったことだと思います。周囲に少しでも気を配れるようになったのだとうれしく思いました。そして、ウォークラリーが終わった後はただの疲労感だけではなくいろいろな感情がわき起こりました。その中でも皆でやり遂げたという達成感が一番大きかったと思います。けれども、この学校へ登校するのも残りわずかだということを感じ、寂しく思いました。それは、こんな楽しいことも、もうないのだなと思うと少し残念だったからです。しかし、僕は高校3年生としてウォークラリーに参加して、様々なことに気付くことができ、また皆で思いで作りができたので、参加して本当に良かったと思いました。

 10月19日、僕はウォークラリーに参加しました。今まで何度もこのウォークラリーに参加してきましたが、その中でも今回のウォークラリーは高校生活最後の行事だったので僕にとって思い出に残るものになりました。
 高校三年生になると机に向かって勉強をすることが日々の生活の多くを占めるようになってきたのに加えて、僕は徒歩通学をしていないので普段、心行くまで運動する機会が少なく、ストレスを溜めてしまいがちになっていました。しかし、ウォークラリーで新鮮な空気と土手から見ることのできるとても眺めの良い自然環境の中を歩くことで心身ともにリフレッシュすることができ、良い機会になりました。
 ウォークラリーでは10キロという距離を歩くことになりますが、決して楽に歩くことのできる距離ではないと思います。途中、疲労がたまり嫌気がさしてしまう瞬間がありますが、それでも歩き通すことができるのはクラスの仲間の存在があるからだと思います。最後まで歩き通すという同じ目標を持って挑戦し、達成するという体験はウォークラリーという行事の醍醐味の一つであると感じました。楽しい時間はすぐに過ぎてしまうと言いますが今、ウォークラリーを終えて振り返ってみると、まさにその通りであったように思います。多少辛いことでも仲間と挑戦したことによって、あっという間に終わって楽しかったと思えるほど有意義な時間を過ごすことができました。
 今回のウォークラリーに参加して爽快感や達成感を得て、とても充実した時間を過ごすことができましたが、参加して何よりも感じたことは仲間と過ごす時間の大切さでした。仲間と歩きながら語らうという経験はこれから先、きっとないと思います。今回のウォークラリーは高校生活最後の行事にふさわしく、良い思い出をつくることができたので、参加して本当に良かったと思いました。

戻る