今回の講演会は、今までの講演会の中で一番思い出に残りました。講演会の前に、東儀秀樹さんをテレビで拝見したことがあり、そのときは「日本の古典楽器は、予想していたよりも良い音だ」というくらいに思っていました。そのときは、まさか自分が代々受け継がれている笙を吹く機会をいただけるとは思ってもいませんでした。
今回の講演会で、特に僕は雅楽に興味を持ちました。しかし、今回の講演会ではその他にも、ものごとを受け入れることの大切さ、自分の可能性、ものごとの可能性を追求することの意義を教えていただきました。東儀先生は本当に同じ人間なのかと思ってしまうくらい多才だと感じます。世界史の授業でレオナルド・ダヴィンチなど古代には万能人と呼ばれるような人物がいたと習いました。昔の記述なので伝説めいたものもあり、誇張しているのだろうと思っていました。しかし、実際に目の当たりにしたことと、東儀先生のお言葉をお聴きして考えが大きく変わりました。先生自身はものごとをフラットに見て、何でも良さを見つけようとして今に至っている方なのだと思いました。自分の可能性を否定したり、ものごとを否定したりしても、何も良いことがない。たしかにそうだと思いました。新しいことに挑戦することは怖いことですが、そこを踏み出す勇気の先には、必ず何かしら自分に返ってくるものがあると教えていただきました。日本は古来から一つを極めることを賞賛する傾向があります。それが良いことか悪いことかは僕にはわかりませんが、そのような傾向に流されて「たくさんのことに手を出すと、他のものが必ず疎かになる」と決めつけてかかるのは間違いだと確信しました。「自分の身の周りにあるものに対して見方を変えるだけで、何でもないことでも光り輝いて見える」というのは僕の好きなMr.Childrenの詞のコンセプトなのですが、それを改めて強く確信できました。可能性は元からあるものではなく、自分で探すから見つかり、自分で切り開くからこそあるものなのだと先生の生き方を知って、思いました。
また先生は僕が立候補してステージに立ったことを、とても評価してくださいました。自分が行動を起こさないと、起こることも起こらない。自分が言葉だけで思っていたこと
が体に、心に染みついて離れないものとなり、自分の力になった気がします。この講演会によって今までの頭の中にあった良い言葉、良い話に対する見方が変わり、自分の力にすることができるようになった気がします。あの短い時間で、これから先はもちろん、今までの過去もより価値の高いものになり、僕の人生の原点になった気がします。
これから大学受験をはじめ、数々の人生のイベントがあります。しかし見方を変えればそれは僕の人生にとって大切なもので、とても良い思い出になり、成長させてくれるものです。こういう心境でこれからの人生に臨めることは、僕にとって宝物になります。今回の公演に参加させていただいて本当に良かったです。東儀先生、ありがとうございました。これからのご活躍をお祈りしています。
人は、自分に限界をつけたがる生き物です。それが意識的であるかどうかは別として、どこかしらそういった方に思考は及ぶものです。「自分には無理だったんだ」「やっぱり駄目だったんだ」。自分に限界を定めることで、失敗した時に納得できるようにするのです。それは諦めの為の言い訳であり、自分を守るための予防線でもあります。しかし、それは本当に限界なのでしょうか。自らが定めた上限に従うことは本当に正しいことなのでしょうか。私は東儀秀樹さんの講話を聞いて、それが全くの的外れであることに気づかされました。限界とは自分が決めるものではありません。ましてや他人が決めるものでもなく、それは決して自分には正しく認識できないものなのです。その点において、東儀秀樹さんの姿勢は驚嘆に値するものがあります。東儀さんは、「やりたい」と思ったことにチャレンジし続け、そして常にそれを楽しんでいます。雅楽についての技術ももちろん素晴らしいのですが、私はむしろこちらに注目したいと思います。
東儀さんは、決して自分の限界を設けることをしません。それは音楽性にも出ていて、雅楽を様々な音楽と組み合わせていることからもわかります。これは東儀さんが「やりたい」と思ったからに他ならないでしょう。また、東儀さんの趣味の幅広さには本当に驚かされます。音楽関連からスポーツ、はたまた文化的なものまで幅広く取り組んでおられます。それもこれも全部、東儀さんが「やりたい」と思ったからではないでしょうか。私が思うに、東儀さんは「やりたい」と自分が思うことに正直なのでしょう。そういう意味で東儀さんは自分に対して真摯であり、自由なのだと思います。
今回の講話において、東儀さんは何度も「大切なのは一歩を踏み出す勇気」だということを強調しています。「やってみなければわからない」のだから、自分に限界を設けることはナンセンスだということです。東儀さんはそのことを私達学生に対して伝えたかったのではないでしょうか。「やりたい」と思う気持ちに正直になり、まずは一歩を踏み出す。 それが東儀秀樹さんの生き方だと私は思いますし、私達はその姿にあこがれ、勇気を分けてもらいました。
自らだけでなく、他人にも生き様をもってして勇気を分け与える。きっとそこにも東儀秀樹さんという人物の強さと、魅力が秘められているのだと私は思います。
私は昨年、日光東照宮の楽団の演奏会をお聴きする機会があり、それから雅楽に興味を持つようになりました。そのため、4月のはじめに東儀秀樹さんが来校されるということを知ってから、その日をとても楽しみにしていました。
今回の講演会で一番勉強になったのは、各楽器の音色と味わいを教えてくださったことです。前回聴いたときには雅楽の曲は不思議で美しいものだ、と感じましたが、今回一つ一つの楽器の音色や背景を教わったことでまた一段と雅楽の世界が深いものになった気がします。特に私は雅楽で使われる楽器の大部分が西洋の楽器の原型であり、千数百年もの間、その形・音色を保ち続けていることを知って、笙・篳篥・龍笛といった楽器が伝えられている日本の文化をとても誇りに思いました。
また、私は東儀さんのいつまでも夢を持ち続けようとする姿勢に驚きました。JーPOPを雅楽としてアレンジすることはもちろんですが「自分にはまだ人生の半分が残っているから、スポーツは無理かもしれないけれど、まだまだやりたいと思うものがあるかもしれない」という言葉通り、講演会中のお話も多岐にわたり、私は一時間があっという間に思え、その一時間の中で自分の中の何かが変わった気がします。
私は今回の公演で、雅楽だけでなく日本の文化をきちんと他の国の人に伝え、魅力をもっと知ってもらいたいと思いました。また雅楽も、もう一度じっくり聞く機会を見つけたいと思います。今回、雅楽を聴いてとても充実した時間を遅れたように感じたのと同時に、奥深さの片鱗が伺えたからです。もっと雅楽をよく知って、次は家族にもこの良さを伝えたいと思います。本当に貴重な機会を頂き、ありがとうございました。
「雅楽」と聞いて僕が真っ先に思い浮かべるのは、音楽の授業で習った「越天楽今様」という曲です。雅楽の代表曲だと教わりました。しかし思い浮かんだからといって、他に何かを詳しく知っているわけではなく、テンポが遅くて歌詞も入っておらず聴いていてつまらないもの、という感想を持っていただけでした。
しかし今回、雅楽の歴史や生の演奏を東儀秀樹先生から、お聴きすることができ、それらのイメージは払拭されました。1500年以上前の時代から現在まで、ほとんど形や音色を変えることなく受け継がれてきた雅楽に大変魅力を感じました。紹介してくださった笙、篳篥、龍笛の3つの楽器の内、篳篥は東儀先生が良く演奏していらっしゃるので知っていたのですが、他の2つは知らなかったので、それぞれの特徴を説明していただきながら音色が聴けて良かったです。この3つの楽器は「天」「地」「空」を表現していて、合奏することで天と地と空が合わさり、音楽表現がそのまま宇宙を作ることと考えられてきたそうです。また、飛鳥時代から日本で演奏され続けているこの楽器が、西洋楽器であるパイプオルガンやオーボエのルーツであるということには大変驚きました。現代の音楽には欠かせない楽器の起源が日本にあるのだと考えると、とても嬉しかったです。そしてそうやって形や音色を変化させ、様々に普及していったのとは逆に、そのままの形で、そのままの音で、こうして現在まで継承されてきたということに、言葉では表現できない重み、迫力を感じました。
伝統とは、守るべき物だと思いますが、それにとらわれない革新も僕は大切だと思います。雅楽の楽器を使ってのJ−POPの演奏は大変新鮮で面白かったです。まさに先生がおっしゃる「古典とオリジナルの両立」だと感じました。素晴らしい雅楽が、より多くの場面で演奏され、日本の伝統としてこれからもあり続けることを願っています。貴重な体験をありがとうございました。
私は今回の講演会を、すごく楽しみにしていました。というのも、国語便覧などで篳篥などの写真を見たことがあるだけで、実際の大きさや音色を知らなかったからです。初めて見たときは、篳篥の小ささに驚きました。リコーダーのようなものを想像していました。しかしそれ以上に驚いたのは、その音色です。もちろん、笙や龍笛の音色も、すごくきれいだと思いました。空から降り注ぐ日の光などが、自然と思い浮かびました。けれども篳篥の音色は、他のどんな音よりも心に沁みました。今まで聴いたどの音よりも、どんな楽器と比べても、一番良い音を出す楽器だと思いました。ただ音楽を聴いただけで涙が出たのは、たぶんこれが初めてです。
「ジュピター」を聴くとき、聴き始める前は、本当に日本の楽器と西洋の楽器が合うのか疑わしいと思っていました。先月、江戸取で催されたジョイントコンサートでもジャンルの異なる音楽が組み合わされたものを聴きましたが、私は充分に理解できていませんでした。しかし曲が始まったとき、私はそれまでの認識を改めました。「ジュピター」は、本当に素晴らしいものでした。耳や頭で聴くのではなく、心にただ沁み、そして涙が出てきたのです。平原綾香さんの歌う「ジュピター」で涙を流したことはないのに、録音された音と篳篥の音色が重なった途端、涙が溢れてくるのは自分でも不思議でした。
今回の文化講演会は、今までの講演会の中で最も興味深く、かつ面白いものでした。オーディトリアムがあんなに笑いに包まれることはめったにないことだと思います。この講演会で最前列に座れたことは、本当に幸運でした。
今回の講演会では、一歩踏み出す勇気についても学びました。私は優柔不断で、気付いたときにはもう遅い、というようなことがままあるので、何かあったときは今回の講演会を思い出し、前に進みたいと思います。
この度、東儀秀樹さんにご来校していただけたことをとても嬉しく思っています。東儀さんの講演を聴いて、印象に残ったことが多々あります。
一つ目は雅楽についてです。雅楽と聞くと、とても堅苦しいイメージがあったのですが、東儀さんが「夜空ノムコウ」や「キセキ」を演奏しているのを聴くと、雅楽の楽器もとてもなじみやすいと思うことができました。今回東儀さんが紹介してくださった楽器の中で特に印象深かったのが笙の音色でした。東儀さんがおっしゃっていたように、本当に天から光が降り注いでいるような音色でした。とてもきれいな音色だったので、お話にあった牛が集まってきたというエピソードもわかる気がします。今回の公演で雅楽の素晴らしさを知ることができました。
二つ目は「自分の好きなことを同時にいくつもやる」ということです。同時にいくつもやると疲れてしまうのでは、と思ったのですが、好きなことだから続けられるというお話を聞いて確かにそうだと思いました。僕はまだ「自分の好きなこと」というものがはっきりとわかっていません。まずは「自分の好きなこと」を探していきたいと思います。また、色々なことにチャレンジすれば、人間的にも成長できると思うので、できるだけ多く見つけていきたいです。
今回、東儀さんの講演をお聞きして、これからの人生において、何事にもチャレンジしてみることの重要性を知ることができました。やらないで後悔するよりも、やって後悔する方が自分にとってプラスになると思うので、これからは何をするにも妥協せずにやっていきたいと思います。
現代ではあまり有名とは言えない音楽ジャンルである雅楽についての面白さを東儀秀樹さんから学び、心に残る講演会でした。笙、篳篥、龍笛という特徴的な楽器とそのすばらしさは僕も共感できたような気がします。特に篳篥は格別でした。息の吹き方や加減次第で音の厚みや音程が変わるというのは、よほど変わった民族楽器でない限り、間違いなくこの世のどこにもない楽器です。多少はどの楽器も吹き方で変わるとはいえ、ここまで変わる楽器には、初めて出会った気がします。その音程を自由自在に操れる東儀秀樹さんの才能は非常に素晴らしいと実感しました。篳篥で東儀秀樹さんの編曲した様々な曲を演奏したとき、厚みのある音と、さりげなく消えていく音の組み合わせや、ビブラートのような技法には本当に驚きました。一つの音から次の音へ移動するのが流れるようで、二胡とも表情は似ていると思いました。しかし、そのなめらかな音と、空気が摩擦しているような少々の雑音がうまく雰囲気を出していて耳に心地よい音になっていました。僕はこの楽器ならばきっと新しいジャンルの音楽をつくることができるのではないかと思いました。伴奏にピアノ、エレキギター、ジャズベース、ドラムを使用し、篳篥にしかできない音色に仕上げて、ブルースの節を演奏すれば、ロックでもジャズでもなく、強い和風ジャズロックというべき音楽になります。伝統音楽というジャンルを越えるというのは正にこのことで、まだまだたくさんの可能性があるのではないかと思います。きっとそういうこともあって東儀秀樹さんは篳篥が一番お気に入りなのではないかと思いました。実際、東儀秀樹さんは色々なジャンルに挑戦なさっているので、ジャンルを越えるという発想もたくさん思いつかれるのだと思います。僕はこれからの現代音楽において、このような独特の世界観を持つ音楽が盛んになったらもっと面白くなるのではないかと考えています。東儀秀樹さんにはこれからも自由に音楽の素晴らしさを伝えていっていただきたいと思います。
私は今回の講演を聴かせていただくまで、雅楽を鑑賞するということは、昔の日本の楽器や文化に触れることだと考えていました。しかし、東儀秀樹先生のお話や演奏を通して、雅楽は今の時代にも生きている一つの音楽であると感じるようになりました。雅楽で用いられる管楽器は、現在一般的に使われている楽器のルーツとなっているのに加え、西洋の音楽やポップ音楽ともコラボレーションできることが分かったからです。
私は、恐らく他の多くの生徒もそうだと思いますが、今回雅楽の生演奏を初めて聴きました。最初に感じたことは、雅楽の管楽器は一様の音が出ず、演奏が難しい分、自由に感情を表したり、人の声に近い音を出したり、楽器を作った人々の世界観を表現したりすることに長けているということです。世界観という点では特に、「笙」「篳篥」「龍笛」は「光」「人の声」「龍の声」、つまり「天」「地」「空」を表すことにより宇宙を創り出すものであり、また雅楽は神への捧げものであったため、流行によって変化したり途絶えたりしなかったというお話は印象的でした。このような美しい世界観の存在は、雅楽の継承によって後世に伝えられるべきであると同時に、現代の人々も知るべきものだとも思います。雅楽というと伝統の重さから遠い存在のように考えがちですが、私は今回の演奏を通して、雅楽が少し身近に感じられるようになり、今までより幅広い音楽に触れて見たいと思いました。
また、東儀秀樹先生のお話は、聴いていて勇気の出てくるものでした。お話しの中に、「できるんじゃないかな」と思ったことは、やってみてから戻っても、脇道に逸れても良いから挑戦することが大切という内容がありました。また、やりたいことは責任を持ってやるので、多くのことを一緒に行っても、どれかが疎かになることはないそうです。私たちが何かに興味を持ったり、何かをやってみたりするきっかけは、日常の中にたくさんあるのだと思います。ただ、そのきっかけにより行動を起こせるかどうかが、新しい世界や楽しみを見つけ、豊かな人生を送れるかどうかの分岐点になるのでしょう。私は今、受験勉強に専念していますが、その中でも好奇心を持ち続けていたいと思います。そして、大学に入ったら、自分が将来就きたい仕事に関係のあるものだけでなく、色々なことを学び、挑戦したいです。
このような芸術に触れる機会を作っていただき、ありがとうございました。
この講演会で、東儀秀樹先生は篳篥と笙という楽器を演奏してくださいました。これまで私は日本の楽器について、ほとんど知りませんでしたが、1400年前から使われている楽器を初めて聴いてとても感銘を受けました。
特に笙という楽器は、天から降り注ぐ光をイメージした音だということでしたが、まさにそのような透明で清澄な音でした。もしも極楽に音楽があるのならば、きっとあのような音だろうな、と思いました。
東儀先生が話された内容で最も印象に残ったのは、東儀先生がアメリカの草原で笙を吹いたとき、遠くから多くの牛が先生の周囲に集まってきて、東儀先生のすぐそばで笙の演奏に耳を傾けていたというお話です。音楽、特に古い日本の音楽は、人間の世界で完結せずに、自然の世界とも深い結びつきを持っていたのだと思いました。私は先日、古代の日本人が松を吹き渡る松風の音を音楽の理想としていたと、古文の授業で学びました。それは、本当だったのだと思いました。
目の前の真っ暗な道を手元のランプだけで突き進む、ということはとても困難なことだと思います。その行為が挑戦です。先人達の足跡をたどっていくだけでも大変なのですから、前人未踏の地となれば行く先もわからずにさまよい続けることになります。では、何のためにそこまでして困難に立ち向かうのか。自分は東儀先生の講演をお聴きした中で「挑戦することで何らかの報酬が返ってくる」という言葉が心に残りました。挑戦するものは進んだ先にある財宝を手に入れようとしている、そしてその財宝は簡単には手に入らず、お金で買えるものでもない。そんな価値のある財宝が欲しいからこそ、手に入れたいからこそ挑戦するのだ、と思いました。
東儀先生が挑戦なさっているもののなかで、自分も陶芸とバンドをやっていた時期がありました。今でもベースを手にすることはありますが、やっている時が一番楽しいものだと感じます。知らなかった技術となればなおさらです。また、自分よりうまい人を見ていると「あやかりたい」という思いに駆られます。そして、その技術を身につけたい、と思います。
東儀先生の、いろいろなものに挑戦する姿勢には大変感銘を受けました。どこまでもより上へ、という向上心こそが自分たち人間という生き物の原動力だと思います。誰かのための自分ではない、自分は自分のために存在しています。その自分は今の自分よりも上の自分でありたい。だからこそ、人間は努力します。そしてその努力を重ね、時間を重ね、経験を積み上げた者こそが翼を手に入れられるのだ。東儀先生の講演をお聴きして、そのことを改めて気付かされたような気がします。
はじめは、雅楽と聞いても何のことかよく知らなかったので、昔の音楽としか思っていなかったのですが、東儀秀樹さんのお話、演奏を聴いているうちに、雅楽について、どんどん興味が湧いてきました。
東儀秀樹さんのお話の中に、雅楽では、笙、篳篥、龍笛を合奏することが基本の表現で、それは「天」「地」「空」を合わせることで、音楽表現がそのまま宇宙を作ることと考えられている、というお話があり、話を聞いたときにはよくわからなかったのですが、実際に生で演奏を聴いてみると、聴こうと思って意識的に聴いていたわけではないのですが、自然にすっと入ってくるような感じで、聴いていてすごく体になじんでいくような感じがしました。
篳篥と比べると、普段私たちが良く耳にするピアノの音は、断続的にド・レ・ミと区切れていますが、篳篥の音は切れることはなく、人が歌っているような感じの音でとても落ち着く音色でした。
楽器の音として聴くというよりも、空気のようで、意識外のところで聞いているような感じがしました。
今回の講演会は、ただ音楽を聴いて「よかった」「すごかった」だけで終わるものではなく、東儀秀樹さんのお話もすごく為になりました。
何事も始める前から「自分にはどうせ無理だろう」とあきらめるのではなく、興味を持ったら、とにかくチャレンジしてみようと思いました。
今回演奏をお聴きして、古典に対する興味が深まりました。