「戦争が人を変える」 1年1組 
 『火垂るの墓』はテレビや本を通して内容を知っていたので、そのミュージカル版を見ることができるということでとても楽しみにしていました。
 普通ミュージカルというと、フィクションが多いのですが、今回の場合ノンフィクションで、しかも戦争ものということで、日本人で特に若い世代である私達がその事実を見直すためのよいきっかけとなりました。衝撃的なオープニングの音響や映像から、戦時中の様子を少し理解することができました。劇中で私の心に最も強く残った言葉は、清太の友人の「戦争が人を変えるんだよ。」という一言でした。親戚のおばさんはとても意地悪で嫌でしたが、もともと精根がそうであったかもしれませんし、働かない清太に苛立っていたのかもしれませんが、戦争がおばさんを少なからず変え、戦争が清太と節子を殺したことは確かです。物暗い照明、物悲しい旋律、ホタルをイメージした光、特にホタルは人が亡くなる時の悲しさや、戦後の儚さをより一層引き立てていました。
 ホタルのように人間もはかなく限りある命ですが、その命を精一杯生き抜くために、私達は戦争を見つめていく必要があるとこの劇を見て強く感じました。
「平和の重要性」 1年1組

 今回火垂るの墓をミュージカル形式で初めて鑑賞し、考えさせられることがたくさんありました。一人で妹を大切に養おうとするたった十五歳の兄と両親を亡くしても泣きわめかず事実を受け入れた幼い妹を見て、率直にこの兄妹は強く生きていると感じました。同時に、当時の食糧事情や兄妹が生きるために盗みを働かなければならない事実、努力と無関係に進む妹の病状といった今では考えづらい状況から改めて無慈悲に襲いかかる戦争の冷徹さを実感し、本当に「人が人でいられなくなるのが戦争」なんだと思いました。
 また、老いた友人勝彦が兄妹の霊に謝罪すると清太が「あの時は皆頑張っていたから」と声をかけるシーンがありました。あの兄妹の例は氷山の一角で、世界中で多くの名もない人々が同様に苦しみ、死んでいったのだろうと思います。そう考えると益々私達は戦争についてもっと知る必要性があるし、戦争を絶対に美化してはいけないと思いました。私は戦争を知りません。しかし兄妹含め友人や誰もが一生懸命生きようとしたのを見て、平和が「当たり前」な時代だからこそ生きてることに感謝し、戦時の人々より強い思いで平和を祈らなければと思いました。
 
今回この舞台を見て平和の重要性、戦争の悲惨さの両方を考えさせられ、とても良い機会でした。これからも命を大切に、思いやりある人間になりたいと思います。



 
火垂るの墓をみて」 1年2組 

私は今回、戦争が題材となっている火垂るの墓のミュージカルを観るということで、昨年修学旅行で訪れた長崎で被爆をされた方のお話を聞いたことを思い出しました。そのお話にはたくさんの大切なことが詰まっていました。そしてその中に、どうかこの戦争体験を語り継ぎ、二度とこのようなことがないようにして欲しい、というものがありました。
 劇を観ていて感じたのは、この劇は語り継ぐ方法の中の重要な一つであるということです。話を聞くのとは違う衝撃を感じました。 照明や音楽があることで、戦争がよりリアルに感じられ、空襲や原爆のシーンは正直なところ心の底から恐ろしい、怖いと思いました。劇を観た後、心が重たくなる思いでしたが、それは自分で抱え込まずに語り継がなければならないという思いにもさせてくれた気がします。
 また、火垂るの墓を観てもう一つ感じたのが、親の大切さです。親がいることでの幸せ、そして親が自分を大切に思ってくれていることの幸せを痛感しました。帰る家があって、食べる物がある、自分の周りは幸せで満ちていることがわかりました。
 私は空襲では東京大空襲ぐらいしか知りませんでした。なので、神戸や日本各地で空襲があり、想像をはるかに超える被害があったことで自分の無知さがわかりました。このようなことは二度と起きてはいけないので、自分も何かしらの形で語り継いでいきたいと思います。
 

素晴らしい演技」 1年2組
 今回の火垂るの墓を観劇して、思ったことは、ただただ「凄すぎる…」でした。私は演劇部に所属しています。そのため、前々から火垂るの墓を楽しみにしていました。そして当日、大ホールに入り舞台を一目見た時、最初の「凄い…」が私の口から零れました。同じ舞台上で演技をやらせていただいている身として、どんな大道具、舞台構想で来るのかと身構えていたのですが、本当に私達には考えられないような空間の使い方で大きな衝撃を受けました。
 今回の劇で私が最も感動し、思わず涙を零してしまったシーンがあります。それはM-10の「ヒロシマそしてナガサキ」です。赤色のホリゾントをバックに演出されたあのダンスからは、被爆者の怒りが生々しく伝わり、まるで人々の悲痛な叫び声が聞こえてくるようでした。
 役者さんの演技も勉強になることばかりで、特に節子の動き、立ち振る舞いは幼い女の子の言動そのもので、最初は子役が演じているのではないかと思ってしまったほどです。いつしか私は、劇から色々な舞台や演技に関する技術を学び取ろうという姿勢を忘れ、一人の観客として劇の中にのめり込んでいました。
 最後にこの江戸取の大ホールで素晴らしい劇を観ることができて、本当によかったです。

「平和への風潮を広げる」 1年3組 

 中東では未だに紛争が続いています。原因は主に宗教上の理由が多いわけですが、テレビに映る紛争を続けているある人は「どちらかが滅びれば、この負の連鎖は止まると思って行動している。」と話していました。しかし、紛争を続ける限り、負の連鎖は終わりません。さらに周辺の地域の人々にも恐怖心や悲しみなど、遺恨を残してしまうことになります。いつの時代も力でねじ伏せることは良い解決策とは言えません。
 日本も今回の劇のように第二次世界大戦を経験しています。今もなお多数の人が苦しんでいます。世界平和のためには先代の人々の失敗を生かし、互いがより良い関係を築いていくことです。そのためにも戦争の凄惨さを訴え、後生の人々に語り継いでいくことが必要です。日本はまさしくその失敗を生かし、戦争放棄を公言しています。日本が先頭に立って、平和への風潮を世界に広げていくことが肝要なのだと思います。 

「平和な世界を」 1年3組

 「火垂るの墓」を一番最初に見たのは小学校二年生で、サッカーの夏合宿の時です。その時、米軍の戦略爆撃機B29が爆弾を投下しているシーンの後、人々が逃げまどう姿に恐いなと感じました。また、節子が「お腹一杯になっていない。」と言いながらも、我慢している姿が偉いなと思いました。そして、爆撃で死んでいった母親の代わりに頑張る清太は、とても中学三年生には見えないほど大人びて見えました。節子が栄養失調で衰弱していく様子を見ると、どうしても泣けてしまいます。どうしてこんな小さな子がこんな悲しい目に遭わないといけないのか、と思いました。今回のミュージカルはアニメを見たときの記憶を思い出しながら見ました。二度と同じような過ちが起きないように、今を生きている私たちが未来の子ども達のためにも、平和な世界を守っていかなければいけないと感じました。 

火垂るの墓を鑑賞して」 1年4組 

 僕がこのミュージカルを鑑賞して感じたことは、人間臭さとたくましい彼らの生き様です。清太と節子のたくましく生きる姿には、胸を打つものがありました。そして、戦時中の窮地に立たされた人間の心情がありありと表現されていました。それを表現する技術も凄いと思いましたが 、そのような表面的な感想以上に見入ってしまいました。特に、原爆のシーンでは、思わず身震いしてしまいました。
 では、あの戦争をどう思うか。僕は戦争という手段を取ることは絶対にあってはならないと思います。しかし、過去の戦争に対しては何も言えないのが僕の本音です。
 僕は「あの戦争がなければ」とはやはり思えません。僕は戦争があった今現在しか知りません。あの戦争がなかった現在を知るよしもありません。それに、その言葉を発することは、本当の鎮魂歌にはならないと思います。
 平和の反対は戦争か。僕は違うと思います。平和の反対は混乱で、戦争は国政の一部です。国のためと思い、戦った人々に、手を合わせることが大切なのではないでしょうか。ただ、いつまで戦後なのだろうかと疑問に思います。国に誇りを持つことがいけないのでしょうか。国のためにと餓え、亡くなった人々を誇りに思うべきではないでしょうか。そして、日本がどう誇りを持ってこれから国としてあるのか、僕たちの課題だと思います。

「事実を忘れることなく」 1年4組

 10月26日の水曜日に劇団ポプラによるミュージカル「火垂るの墓」を観ました。僕は、かつてジブリ映画で「火垂るの墓」というアニメを観たことがあります。しかし、まだ幼かったために、内容を細かくは理解していませんでした。ですから、幼い頃の記憶を埋めるつもりでミュージカルを観ました。
 ミュージカルの内容は、戦争によって両親を失ってしまった兄妹の話でした。その兄妹は身寄りも少なく唯一頼れるはずのおばさんにさえ冷たい仕打ちを受けてしまいます。そして二人だけでやっていこうと兄妹はおばの家を出て暮らすようになるのですが、食料はほとんどありません。やがて妹が衰弱によって亡くなり、兄もその後を追うように亡くなってしまいました。
 この作品が伝えようとしていることは、戦争の悲惨さです。空襲では沢山の家が焼かれました。8月6日、9日の広島・長崎原子爆弾では、多くの尊い命が失われました。これは二度と忘れてはいけない悲惨な出来事です。私たちは、戦争を経験したことはありませんが、この悲惨な出来事が起こった事実を忘れることなく、後世へと語り継いでいくことが、私たちのすべき事だと思います。

「後世に伝える」 1年5組 
 戦争は罪のない多くの人々の命を一瞬で奪い取ってしまう行為です。そして、それは人々の心に大きな傷を残し、無実にも関わらず罪の意識を持たせます。
 私たちは普段、とても平和な世界に生きています。しかし、常に平和の中にいるために、かえってその平和を認識することができず、日々の生活に様々な不満をもちながら過ごしていることがよくあります。しかし、私は今回の劇を見て過去に一体どのようなことがあったのかを知り、劇を見るということによって間接的に体験したことで、自分がいかに平和で幸せな生活を日々送れていたかということをはっきり認識することができました。そして、戦争を知るということは平和を認識するためにも、また同じ過ちを私たちが犯さないようにするためにも、とても重要なことだということが分かりました。
 今、戦争を実際に体験した人々は徐々に減り、その戦争を後世に伝える役目が、戦争を体験した人から戦争を体験していない人へと変わりつつあります。そして近い将来、その戦争を体験した人は誰一人いなくなるでしょう。しかし、そこでこの戦争の記憶が失われてしまっては、これまで必死に自分の体験を語ってくれた人々の努力が無駄になってしまいます。だから私は、もっとこの戦争について知り、未来の人たちがこの戦争を忘れず、同じ過ちを繰り返してしまわないように少しでも伝えていけるようにしていきたいです。
「戦争の悲惨さ」 1年5組

  今回の観賞会がミュージカルの火垂るの墓と聞いて、劇ならばおおよその想像ができたのですが、ミュージカルは想像が全くつきませんでした。俳優の人達は皆声量がすごくて、物語以外にも感動することがたくさんありました。
 僕はジブリのアニメの火垂るの墓を見たことがあって、どんなストーリーかは知っていました。神戸の大空襲で家を失い、母を失い、兄妹二人だけに突然なってしまうのはどれだけ大変で厳しいかは想像できません。まして、妹の節子はまだ幼く、そんな妹を守っていかなければならない兄の清太もまだ中学三年生です。自分と一 歳しか違わない年で、あれほど厳しい現実に立ち向かっていく清太の姿には大きな勇気をもらうことができました。どんなに頑張って生きようとも、当時の人々も己が生きていくことに精一杯で、親戚の人に冷遇されてしまうシーンにはとても心が痛みました。そして二人だけで生きていく決意をし、必死に生きようとしても幼い節子には無理があり、どんなに清太が栄養のあるものを食べさせたくても食べ物がなく、ついに節子が死んでしまうのを見て、改めて戦争の愚かさと悲惨さを感じました。そして今、自分が不自由のない生活を送れていることに、心から感謝をする気持ちを持つことができました。

「戦争の恐ろしさ」 1年6組 

 私は今回「火垂るの墓」を観て、戦争の恐ろしさを改めて実感しました。また、お腹一杯食べられることに感謝しなければならないと思いました。
 劇の中に、現代との比較ということで、語り手がレストランで料理を注文する場面が出てきます。その場面で、私は「今と昔って、食べるものが全然違うなあ」と思いました。当時は、ほとんどが粟やヒエで、白米なんてたまにしか食べることができなかったのです。私達は、そうした昔の食べ物と比べると、信じられないほど美味しい物を食べています。それなのに、食べ残しをするのは本当によくないことだと思いました。これからは、私も食べ残しをしないようにしなければと、真剣に決意しました。
 また、戦争というものが、それが終わった後でも人々を苦しめ続けるものなのだということが、心底わかったような気がしました。戦争が終わっても、人々の暮らしは楽にはなりません。私は、地球上から早く戦争がなくなって欲しいと、今回「火垂るの墓」を観て、強く願わずにはいられませんでした。

「平和のありがたみ」 1年6組

僕はアニメの「火垂るの墓」を観たことがありましたが、とても小さい頃だったので、ほとんどストーリーを覚えていませんでした。ですので、今回のミュージカルはとても新鮮な気持ちで鑑賞することができました。
 今回、このミュージカルを鑑賞して僕が感じたのは、戦争というものが本当に悲惨で恐ろしいものなのだということです。中学3年生という僕達と同年代の清太という少年が、幼い妹の節子を一人で守りながら生きていかなければならない状況を作り出したのも、戦争です。何も罪のない人々が巻き込まれてしまうのが、戦争なのです。戦争が引き起こした悲劇は、この「火垂るの墓」で描かれたもの以外にも数多くあるはずです。幸い、こうした悲劇を乗り越えた人々が、現在の平和な世界を作り出してくれました。僕達は、この平和な世界を作り出してくれた人達に感謝しながら、今のこの平和の有り難みを噛みしめながら生きていかねばならないと、心から思いま
した。

「幼い命」 1年7組 

 火垂るの墓は、テレビアニメ、小説でかなり昔ですが読んだことはあります。当時小学5年生の私には戦争がどうだとか、そんなことなどわかりませんでした。この作品だけで戦争の全てを語ることはできませんが、私はこの作品を見るたび、これ以上国民が、世界の人たちが同じ思いをしてはならない気持ちにはなります。
 あまり言いたくはありませんが、清太はおばさんのうちにいる間、何か手伝いをしようと思ったでしょうか。ただ妹と遊んで何もしていないような気がします。それでいて疫病神といわれても・・・という思いもするのです。節子が「この家いやや」というのを聞いて、ただでさえ食料困窮状態の中、妹のためだからと家を出て行くのは小野田寛郎さんのような人でない限り無理だと思います。おばさんからいじめられ、生きていくのも辛い状況まで追い込まれていたなら話は別ですが、私にはそうは見えません。小野田氏とはフィリピンのルバング島で終戦後も29年間任務終了の命令を受けるまで戻らなかった方ですが、小野田氏の言葉の中に「人は一人では絶対に生きていけない」というものがあります。亡くなられた方を私は責めたくはないのですが、それだけは伝えたいのです。彼らのような幼く未来のある人たちが亡くなることは絶対に避けねばなりません。そのために私は、我が国と世界の歴史と文化、そしてこれらを紡ぎ伝えていく国民を守りたいと思っています。
 色々と述べましたが、彼らは自分たちの楽園へは行けたのではないでしょうか。短い間でしたが、二人で過ごしていたときは本当に幸せそうでした。死んでしまったとはいえ、彼らは蛍となって自由になったように見えます。今、蛍となって飛んでいる節子と清太にこれからの我が国を背負うものとして私は言いたいことがあります。君たちのような少年少女は出しません。戦争内容の真実や嘘にかかわらず私はそう思っています。
 

「和平的な解決」 1年7組

今回の「火垂るの墓」のミュージカルを見て、僕は戦争というものについて色々と考えさせられました。まずこのミュージカルは、戦争という場面を舞台にしているのとは対照的に陽気な音楽を使った演技が多く、現代では何とも思えないような小さな幸せも戦時中では大きな喜びになっている、という「今」と「昔」の価値観の違いが表されていると思います。また、語り手と演じ手が干渉しあうなどというような演出もされていて、全く飽きることがなく見ることができました。
 このミュージカルで伝えたかったことは、「戦争を繰り返してはいけない」ということです。しかし戦争をなくす、ということは、ケンカを無くすということと同じくらい難しいことだと思います。どんな些細なことでも争いは簡単に起きてしまいます。そして、それを防ぐために抑制力を生む核兵器などが作られてしまいます。どうして争いを無くすために争いの道具である武器が作られなければならないのでしょうか。確かに争いは無くならないかもしれませんが、できる限り減らすことは可能だと思います。そのためには、しっかりとした国のリーダーを選ぶことが必要であると思います。そうすれば、大概のことは話し合いで解決できるし、そうでなくても和平的な解決(物資の贈呈など)だってできます。そして日本のリーダーをしっかり決めるためにも、国民が選挙に興味を持つことを一番の目標にするべき ことだと思います。
 

「教えてもらったこと」 1年8組 

今回、私は火垂るの墓のミュージカルをみて様々なことを感じました。幼い兄弟二人で、最後まで一生懸命に生きたことはすごいことだと思いました。私は、このように戦争もなにもない平和な時代に生まれました。もし、明日にいきなり戦争が始まったとしたら、私は強く生きてゆくことなんか絶対できないと思います。両親にも頼りっぱなしなのに、ましてや食べ物も十分に食べられない中で、生きてゆけません。私は、戦争の中で力強く、諦めずに最後まで生きた二人に、なにかとても大事なことを教えてもらった気がします。そして、人々を死や悲しみでいっぱいにさせる戦争は、なにがあっても二度と起こしてはいけないと思いました。私は、戦争を経験していないので分かりませんが、食べ物も困窮を極め、お風呂にも入れず、家も焼け出され、毎日空襲警報に耳をすませる生活は想像もつきません。惨く、意味のない戦争を二度としないように、私達のあとの世代にも伝えていきたいと思いました。

「日々大切に生きる」 1年8組

 この度僕は10月26日に演劇鑑賞会「火垂るの墓」に参加させて頂きました。僕はこれまで一度も本格的な演劇というものを見たことがなく、さらに戦争というものについてはテレビや本などの情報を通してある程度自分なりに理解しているつもりだったため、正直なところ演劇鑑賞会にはあまり興味がありませんでした。
 しかし、実際に演劇鑑賞会に参加させて頂いてみるとこれまでの考えが色々変わりました。まず、何が変わったかと言うと演劇には他のどれとも違った良さがある事に気が付いた事です。なぜなら演劇はテレビなどとは違い、生で見ることができるため迫力がより強く、喜怒哀楽などの感情表現が非常にわかりやすいと感じ、そのため多くの年代の方々が楽しむことができると思った為です。
 さらにもうひとつは戦争や紛争についての考えです。何が変わったのかと言うとこれまでぼくはある程度戦争は仕方なかったりするものであって完全否定はできない場合もあると考えていましたが、この演劇鑑賞会を経てぼくは仮にそうであっても、決して肯定してはいけないと強く思いました。なぜなら必死に生きようとしているあの兄弟がやっと戦争が終わったのになぜ餓死しなくてはならなかったのかを思うとあまりにも悲しすぎるからです。
 最後に僕はこれらの事を踏まえて二度とこのような無益な戦争を日本で起こさないためにも僕達のような新しい世代がこのような数多くの悲しい出来事を忘れず、日々を大切に生きていこうと思います。

「平和の大切さ」 1年9組 

僕は、火垂るの墓という作品はアニメとドラマで見たため、ストーリーは何となくわかっていましたが、舞台としてミュージカルとして見たのは初めてでした。今、この平和な世の中からすると、ほんの60年前に、日本がアメリカや中国などと戦争をしていたなんて考えられないことです。だから最近は戦争の残酷さが忘れられつつあるのだと思います。作品中の最後の場面で、「戦争は被害者までをも加害者にする」と言っていました。辛いことが二重に襲ってくるわけですから、それはとても悲しいことです。本当は作品中のおばさんもあんなに冷たい人ではないのだと思います。戦争は人をも変えてしまいます。戦争などしても、勝者、得をしたものなど表れないのです。罪の意識があれば、戦場で人を殺してしまったことを、一生嘆き続けなければなりません。
 今回、平和ということを深く考えさせられ、国と国とが、人と人とが争いをしないことがどれほど大切なのかがわかりました。今でも戦争が絶えない地域があります。その人たちにも、この平和の大切さを伝えていければと思います。

「二つの感動」 1年9組
 私は今回のミュージカル、火垂るの墓を見 て、二つの感動を得ました。さらにその感動から様々なことを学び取りました。
 まずその一つは役者さんの演技に無駄がないと思ったことです。舞台の左右での登場など、舞台の表をまわらずに、一人二役を演ずることで可能にしていたり、時に人間以外のものを演じたり、役者の方に常に暇がありませんでした。限られた人数で舞台の可能性を無限大に広げていく発想に感動しました。
 
次に感動したことは、本編の内容についてです。火垂るの墓はアメリカとの戦争末期についての作品です。私はこの作品を以前から戦争で亡くなっていく人たちの苦しみを伝えている作品だと思っていました。しかし、このミュージカル火垂るの墓では亡くなっていく人たちの苦しみはもちろん、残された罪のない人々も罪の意識や心の傷を負って、日々を生きていかなければならないということも伝えていました。今、戦争を直に体験していない私たちにできることは、この様な戦争のむごさをまず理解して、そのむごさを後世へと語り継いでいくことではないでしょうか。私は今回のミュージカルを通じて、これから長い人生の中で、やるべきことが少しだけ見えたような気がしました。