「夢を語る会」


 

1組

「決心」
 

 今年の冬休みは、自分の夢を今までになく真剣に考えざるを得なくなりました。自分の夢には、到底追いつかない成績で、親の信頼をなくし、自分自身の甘えから目をそらすことすら許される状況ではなくなっていたからです。ハードルを下げて、自分の今の成績に見合った大学を選択し、その中から職業を選び、生きがいを見つけて、その職業を好きになる人生もあるかもしれないとさえ思いました。しかし「壁にぶつかり、方向転換する人生を繰り返したら、いつか自分の周りは、壁に囲まれてしまうだろう、壁は打ち破るか、乗り越えなければならないだろう。」と悩みました。そうして 迎えた2012年、テレビでも、新聞紙面でも、自分の能力を信じて頂点を目指している人達の話を聴くことができました。そして、自分は、自分が医師になりたいと志してきた事をもう一度根本から考えてみる気持ちになりました。「なぜ医師になりたいのか?」「医師になって、自分はどうしたいのか?」「その気持ちがどこまで本気なのか?」それらを真剣に自問自答してみました。まず、医師になりたい理由は、病弱だった幼い頃に、痛みや苦しみを治してくれた優しい医師の魔法のあの手に憧れたこと、その手が欲しくなったこと、とても感謝したことがあげられます。この3つの気持ちを心のどこかに封じて、他の職業に就いたとしても、一生消えることはありません。きっと封じた扉の向こう側からドンドンと叩かれ、その度後悔の念と戦わなければならなくなります。だから自分は、幼い頃の素直な気持ちを大切にして、改めて医師になるという強い意志を持つことにします。やはり「一番好きな自分でいたい。」「自分に嘘をつかない生き方をする為にも医師を志したい。」と思いました
 それでは、医師になった自分は、どのようにこの職業と向き合っていくかという事です。昨年 起きた東日本大震災では、約2万人の尊い命が失われました。被災地で救命活動にあたった多くの人々の中には医師もいました。そして江戸取の先輩もその一人であったことを聴いた時、それはとても嬉しく、自分の先輩であることを誇りに思いました。自分も頑張って活躍している先輩方のようにありたいです。医師であると同時に、道徳授業をして頂いたこの江戸取の先生方に感謝の意を表す為にも、江戸取生として、社会人として、何事にも真面目に向き合っていきたいと思います。自然にあふれ、豊かな文化を持つ日本は、私達人間が愛して守り、創り上げてきたものです。私達の命なくしては、あり得ない存在です。だから自分は、「大好きなこの国の為、大切な一人ひとりの命を守りたい。救いの手を出されたら、必ず握り返して治してあげたい。」と強く思いました。人の命を預る仕事だから、自分自身が強い精神力と、正確で高度な知識を身に付ける覚悟を持ちたいと思います
 受験までの道のりは、中学3年生の勉強合宿にスタートした長距離レース(マラソン)です。自分は、今年のお正月に放送されていた大学生の箱根駅伝を見て、優勝した東洋大学の選手の一言一言を重く感じ取ることが出来ました。「誰か一人に頼る逆転は、勝利につながらない。」「一人ひとりが攻める走りでタスキをつなげる。」この言葉は、「先生に頼る勉強や受け身の勉強では、合格につながらない。自分から苦手科目を攻めていかなければ合格はできない。」と、そんな風に聴こえました。自分が才能あふれる人だと思う全ての人が、並々ならぬ努力の中で、小さな積み重ねを繰り返し、大きな成功を掴み取っているのです。箱根の山の神様と呼ばれる柏原選手も、プレッシャーで挫けそうになった時期があったと聴きました。それでも自分を信じることと毎日練習をすることで、逆境を乗り越えてきたそうです。スポーツと勉強は共通するものがあると思います。「もうだめではなく、まだ間に合う」と、諦めない気持ちで、「自分ならできる。」と信じ、毎日勉強を積み重ねることが自分の長距離レース(マラソン)です。遠藤先生からの教訓「敵は、内なる我にあり」と、柏原選手の「有言実行」この2つの言葉を肝に銘じて、2012年は結果を残す年にしたいと決心しました
 

     

「夢を考える」

 冬休みに入る前、自分の周りで、にわかに騒がれたことがありました。医科コースの面接です。医科コースに入りたいと言っている友人達は、皆医者になりたいという夢を持っています。今更ながら、友人達の素晴らしい夢に対する思いには感動させられました。しかし、それを自分に置き換えてみると、自分にははっきりとした具体的な夢がなかったことに気付かされます。自分が今後、何を仕事としていきたいのか、その為にはどのような勉強をして、どの大学の、どの学部に入って、その後どのような資格を取ればよいのかなど、自分の未来に対するプランが全く見えていませんでした。そこで、今回のこの夢を語る会を受けて作文を書くという機会を通して、夢について本気で考えてみることにしました。
 まず夢とはどのようなものか、それは将来自分がなりたい理想的な人物像のことだ思います。将来どのような職業に就いて仕事をしたいかだけではなく、その職業に就きたい理由や、どんな風に仕事をこなしていきたいかなどを考えると、より一層夢の実現に近付くと思います。では、夢をかなえるためには、どのようなことをすればよいのか、それはそれぞれの夢によって変わります。やはり勉強して、良い大学や良い学部に入ることによってかなえられることが出来る夢がほとんどだと思います。その筆頭が、医学部や法学部だと思います。このように、勉強とは、夢をかなえるための道具に過ぎないということを感じました。しかし、高いところにある夢は、勉強というはしごを持ってしか、ほとんどの場合、手にすることはできないということも改めて、痛烈に感じました
 自分は、数学が苦手です。その為、医科コースに少し興味がありましたが、諦めました。これは、自分の選択を一つ消してしまったのと同じです。これは、もしかしたら自分の今後の夢となったかもしれないものをつぶしてしまったということに他なりません。
 自分は、国語、理科、社会が得意で数学は大の苦手ですが、今回夢について、改めて考え、思い知ったことは、「5教科全ての支えがなければ、はしごは完成しない。」ということです。数学が苦手であれば、それは金具が緩んで踏み外してしまう危険な状態です。他の教科でも同じだと思います。自分の場合、はしごの金具がほとんど緩んでいるか、取れているので、いつ壊れるかわかりません。そんなことを思い知らされました
 しかし、まだ人生が終わったわけではなく、むしろ、人生80年と言われている中では、まだまだ最初のうちですので、いくらでも取り返しはつくと思います。ですが、これに甘んじることなく、自分の課題は数学ですので、数学をこつこつと勉強し、強固な長いはしごを作り、どんな大きな夢でもかなえられるようになりたいです

 
     

「夢を見付ける」

 自分は、これまで何度となく「夢」について考えてきました。夢は、生きていく上での「心の酸素である」と認識しています。夢がなければ、何事も始まらないとさえ、思っています。中学生活も後わずかで、終わろうとしている今、更に「夢」というものについて考え直してみました。そして、自分にとっての「夢」とは、紛れもなく将来就くであろう職業に他ならないという結論に達しました。
 しかし、宇宙飛行士になりたいと願った幼児期以来、就きたいと思う職業に出会っていないのです。もちろん、建築、脳科学、心理学など興味を持った分野はあるのですが、具体的な職業に結び付くには至りませんでした。節目ごとに、夢について真剣に考え、その都度、夢の大切さを実感してきたにも関わらず、肝心な職業を見付け出せずにいます。そのおかげで、勉強に対しのモチベーションが弱いままです。
 以前は、具体的な職業が決まらなくても、興味のある分野を追求していけば、何かが見付かるのではないかと思い、目的を絞って、勉強してみたこともありました。しかし、長続きはしませんでした。もっと成績を上げるために、勉強しようと決意しても、どうしても本気になれないというか、とことん突き詰めることができませんでした。その原因は、はっきりとした夢がないからだと思っていました。イメージが弱いから、いくら決意しても元に戻ってしまうのだろうと思いました。
 そこで今回は、「夢とは、将来就くであろう職業である。」と結論付けて、考えを掘り下げてみました。いったい自分は、何になりたいのか、どのような職業に向いているのか、自分という人間は何を目指し、何処へ進むべきなのか、考えれば考えるほどわからなくなりました。幼児期のように、屈託なく、適当な職業が思い浮かぶ事はありませんでした。
 いつしか、絶対「夢」というものをはっきりさせて、勉強の意味を見出さねばならないという観念に囚われていました。しかし、夢はただ考えて思い浮かぶようなものではないと思いました。まして、自分にあった職業など1日2日考えて決められるものではありません。まずは、自分をよく知ることであり、見つめ直すことではないかと思えてきました。
 勉強をする本当の意味は、心の酸素である夢を見付ける為に、勉強するのだと悟りました。これからの高校生活に向けて、「夢」を見付けるべく、勉強に励みたいと思います

 

2組

目標に向かって

 僕の将来の夢は、科学者として自然環境保護に携わることです。特に地球温暖化や生物の絶滅を食い止める研究をしたいと思っています。
 「地球温暖化を食い止める研究」とは、具体的には二酸化炭素の排出を抑えたり、また効率的に取り除いたりする方法の研究や、地球の気温上昇を抑える研究です。今、世界中で二酸化炭素を減らす取り組みがされていますが、あまり大きな効果がなく、二酸化炭素の全世界の総排出量はいまだに増え続けています。このままでは、地球の平均気温が大きく変わって、気候が変わってしまいます。そうすれば、多くの生物が絶滅し、また海面上昇、異常気象などで人間にも危害が及びます。もし、温暖化が解決されれば、砂漠化など、他のいくつかの環境問題も解決に近づき、地球全体を救うことができるのです。
 また今、地球上では一日に9種というペースで生物が絶滅している、と言われています。生物の絶滅を止めるためには、生物の種と生息地を発見し、生息地を保護し、また養殖の方法を見つけることが必要です。これは、とても価値があることです。生物の星である地球に多種多様な生物がいるのは素晴らしいことだし、学術的にも非常に大きな意義があります。逆に、進化の過程を辿って生き残ってきたそれぞれの種の歴史を、人間が途切れさせてしまうのは、あまりにも悲しいことです
 僕は自然の豊かな環境に生まれ、自然に親しんで育ちました。小学生の頃は、間違いなく友達よりも生き物と多く遊んでいたと思います。僕が小さい頃遊んでいた自然環境には、本来なら保護されるべき珍しい生物も住んでいました。しかし、そのような環境は、心無い工事や生活排水で、次々と失われていきました。その怒りや悲しみ、そして自然の中で遊ぶ喜びや楽しさが、僕が自然を守る職業に就きたいと思ったきっかけになっています。
 「取手は自然豊かな場所だ」という人は多くいますが、僕はそうは思いません。確かに取手には林や川、草原などがあります。しかしその多くは、本当の意味での自然ではなく、もともと自然だったものを人間が汚し、傷つけて出来た、いわば「自然の残骸」に過ぎません。その証拠に、林の中では動物の代わりにゴミばかり見つかるし、川で釣れる魚ももとは日本にいなかったものがほとんどです。除草剤で枯れた草ばかりの、茶色い草原も至る所にあります。本当の自然とは、もとから住んでいた生物たちが、生態系を保持しながらずっと暮らしていける環境です。このような自然と、人間の文明的な暮らしが将来にわたって共存していける環境をつくることが、僕の大きな目標です。それは難しいことですが、決して不可能ではないはずです。
 環境問題の解決は、これまでの地球の環境を傷つけ続けてきた人類にとっての急務です。美しい地球をずっと守っていくために、僕はこうした研究をしたいのです。

     

        世界に羽ばたける人材になるために

 今年の元旦、年賀状を届ける目的で一軒一軒に配達をする人、消防署で訓練にいそしむ人、その他にも多くの働いている人を見ました。お正月でもクリスマスでも関係なく、1年中働くことは、ある種の社会人にとっては義務です。また僕は冬休みに2つの記事が目に留まりました。1つは、働きたくても働けない人が数多くいるという記事で、もう1つは、御節の配達の遅れを理由に、ある会社に対して苦情が3千件あったという記事です。僕はこの2つの記事と元旦から働いている 人のいる風景を見て、「職」とは義務であると同時に権利でもあり、責任を伴うものであると思いました
 僕の将来の夢は弁護士になることです。なりたいと思ったのは法律に関心があり、他人を弁護することで役に立ちたいと思ったからです。弁護士になるには法科大学院で、既習なら2年間学習して、5年間のうち3回機会を与えられる司法試験に合格しなければなりません。
 また僕 にはもう1つ将来の夢があります。それはアメリカで弁護士になることです。日本で弁護士資格を取得した後、アメリカのロースクールに留学して、アメリカの弁護士資格を取得するという道が、日本で弁護士になった後の目標です。これからの時代は、グローバル化が進みます。この時代に生きている僕は、日本のためだけではなく世界に羽ばたき、世界のためになる人材になりたいと強く思いました。アメリカは日本と違って、医療関係専門の人や移民問題関係専門の人など特定の分野の専門の弁護士が多いということです。 これには、自由競争社会であることが影響しています。僕は租税などの、数字を生かした分野中心の弁護士になりたいと思っています。
 有名なサッカー選手でロベルト・バッジョという選手がいます。W杯でPKを外した味方に、彼はこんな言葉を掛けました。「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」と。この言葉は目標についてもいえるのではないかと思います。「目標を達成できなかったのは、目標を目指すと決意した人だけだ」と。また逆に言えば目標を達成するのも、目標を目指すと決意した人だけです。つまり、達成したいという強い信念があって初めて、目標へのスタートラインに立てるということです。「自分は無理だから」などと消極的になって現実から目を背けるのではなく、どんなことでも前を向いて挑戦していきたいと思います。そして壁に当たった時、今年の箱根駅伝で去年の雪辱を果たした東洋大学のように、失敗や悔しさをバネにして乗り越えていきたいと思います。生活面では他人にもっと信頼される人になれるように、けじめをつけて模範となる生徒を目指したいと思います。そして、夢を現実にするのだと強く思いながら、継続して学習をし、部活 をこれからも行い、楽しく学校生活を送っていきたいと思います。
 

3組

将来の夢


   私の将来の夢は翻訳家になることです。翻訳家といってもジャンルは幅広く、ビジネス用文書の翻訳や、映画やテレビ番組の翻訳など色々あります。その中でも特に私がやりたいと思うのは、外国文学の翻訳です。私は昔から本を読むのが好きで、様々なジャンルの本を読んできました。もちろん外国文学も、たくさんの作品を読みました。そしてそうするうちに翻訳というものにとても興味を持つようになりました。
 では、どうすれば翻訳家になることができるのでしょうか。
 まずは、大学の外国語学部や翻訳家養成の専門学校などで勉強をします。その後、翻訳会社に就職したり、翻訳エージェントに登録し、トライアルや翻訳試験を目指すのが一般的です。また、翻訳コンテストで受賞したり、有名な翻訳家に弟子入りするなどの方法で翻訳家の道を目指す人もいるそうです。
 翻訳家になるために必須の資格はありませんが、日本翻訳協会が行う「翻訳技能認定試験」などが実力の目安になります。
 私がなりたい外国文学の翻訳家は、原作者と同じくらい大切な存在です。原作の素晴らしさを自分の言葉で伝えることが出来れば、本当に楽しいと思います。しかし、反対に自分の翻訳のせいで作品の魅力を十分に伝えられないという可能性もあるため、それだけ翻訳家の責任は重くなります
 本当に素晴らしい文学を多くの人たちに伝えられる翻訳家になるためには、外国語の能力と日本語の能力の両方が必要になってきます。そのためには外国語の能力と日本語の能力の両方が必要になってきます。そのためには、国語と英語の勉強を頑張らなくてはいけません。しかし、英語はまだ細かなミスが目立ち、国語ではもっと表現力を伸ばしていく必要もあります。だから苦手とするところを克服して、努力を続けていこうと思います。
 また、言語の能力だけではなく、それぞれの国の文化や歴史など、総合的な知識を身につけなくてはなりません。いくら上手く翻訳できても、その国 独自の背景もあるからです。そのためには、視野を広く持つことが大切です。ニュースや時事問題にもっと関心を持って過ごしていこうと思います
 それに、総合的な知識を身につけるため、日本語の能力を伸ばすためにも、外国文学・日本文学などを問わず、様々なジャンルの本を読んでいくことが大切です。だから朝読書などを利用し、これからも読書を続けていきたいと思います。努力を怠らず、将来の夢を実現したいと思います。

 

     

自分のやりたい仕事


  僕の将来の夢は薬剤師になることです。僕が薬剤師になりたいと思ったきっかけは、父親に言われた言葉でした。僕は江戸取に入学した当初は、誰かを助けることができる仕事である医者になりたいと思っていました。しかし医者の仕事を、総合学習などを通じて調べていくと、医者の仕事はやっていて楽しくなるようには思えず、自分がやりたいと感じる仕事なのかどうかという点で、迷っていました。
 そんな時に、医者よりも薬を作ったり研究したりする薬剤師のほうが向いている、と父親に言われました。そして薬剤師の仕事を調べていくと、医者よりも面白く感じられそうだとも思いました。また、薬剤師になって薬を作ることは医者と同じように、誰かを助けることにもなると思い、薬剤師になりたいと考えるようになりました。
 薬剤師の仕事は主に病院で出された処方箋にしたがって調剤することですが、製薬会社などに勤めて研究開発をしたり、国の研究機関や厚生労働省などに勤めることもあります。僕が最初に薬剤師になりたいと思ったのは、病院などで調剤をすることで誰かを助けたいと思ったことによるものでしたが、製薬会社などで研究し、新しい薬を作ることでも、人助けをすることになり、薬を調剤する仕事よりも研究をしたほうが楽しく仕事をすることが出来るように思うので、今では自分で研究し、開発する仕事に就きたいと考えています。  
 しかし、そのような仕事に就ける人はごく一部の人で、自分がやりたい仕事をするためには、多くの知識を身につけられるような名のある大学に入ることが必要になります。
 そのために僕は東京大学を目指そうと思っています。以前、江戸取で30位以内に入ることが出来れば東大を目指すことが出来ると言われました。まずは30位以内に入ることを目標にして、普段から勉強していこうと思います。また、薬剤師の仕事は人と関わることが多いため、どのような人であっても抵抗無く同じように接することが出来るようにならなくてはなりません。ですから、江戸取を卒業するまでの間に、勉強するだけではなく道徳的・内面的なことも学び、しっかりとした心を育てられるようにしたいと思います。
 現在、薬剤師は数が多く、需要を越えているため、薬剤師になることができても、就職できるとは限りません。その中でも就職できるようにするためには、良い大学に入って、知識を多く身につける必要があります。そのためにも今、学校の勉強にしっかりと取り組まなければなりません。自分の将来のためにも、日々努力して勉強に励みたいと思います。
 
 

4組

私の夢


 私は中1・中2と夢を語る会の作文で獣医師になりたいと書いてきました。私は獣医師になりたいと本当に強く思っていて、獣医師になったら動物を診察し治療することはもちろん、動物を通して人を助ける為、人間と動物が触れ合える場をもっと広げていきたいとも考えていました。動物は人間の心を癒します。実際に、動物が老人ホームで高齢者の方の笑顔を取り戻したという実例があります。この様に、私は獣医師になったら動物だけではなく、人の助けにもなりたいと思っていました。
 そして今、私にはそれとは別の新しい夢が出来ました。しかし、人の助けになりたいという気持ちは変わっていません。まだ漠然としていてはっきりと形にはなっていませんが、私は戦争や紛争を逃れ、難民となった人達の支援に携わる仕事をしたいと考えています。また、日本から間接的に難民を支援するのではなく、現地に行き、自分の手で直接支援する人になりたいと思っています。
 私がこの夢を抱くようになった、一番の大きなきっかけは修学旅行です。特に、修学旅行で 長崎の原爆資料館を見学し、戦争の悲惨な姿を自分の目で直接目の当たりにしたことと、APUに行って自分の視野が広がったということが主な動機になっています。かつて日本も
戦争を起こし ましたが、何の罪もない国民が次々と命を落としていく戦争は絶対にあってはなりません。争い事を、力ずくで解決しようとする戦争は人の心までも傷つけます。私が特に心を痛めているのは難民の子ども達です。難民の中には、両親をともに亡くした子どもも少なくありません。まともに栄養も摂れずやせ細り、国の手によって、自分のことを最もよく理解し愛してくれる両親を奪われた幼い子ども達は、誰に頼って生きていけばいいのでしょうか。幼い子ども達の心をボロボロに踏みにじる戦争が許せません。けれど、どんなに戦争が憎くても、私には戦争を止めさせ、平和な国を作るほどの権力があるはずもなく、私に出来ることといえば難民となった人達に支援をすることくらいです。私は、戦争を止めさせることができなくても、せめて戦争で傷ついた人達の心をケアしていきたいと考えています
 また、APUでは様々な国から来ている学生の方と交流をしたことで、「世界って本当に広いんだな」と感じました。世界には、色々な言語があって、色々な宗教があって、色々な文化もあって、その国ならではの魅力もあります。APUは私にそのような世界に興味と憧れを抱かせてくれました。
 最後に、私が今叶えたい夢の舞台は外国です。世界で通じる英語は、私に夢を叶えるためには必要不可欠なものであり、しっかり身につけなければなりません。しっかり学んでいきたいと思います。
 

     

        未来への選択


 中等部を卒業する日が近づくにつれて、私にとって自分の夢を深く考える日々となりました。
 今までに、自分の夢について深く悩むことがありました。それは、趣味や娯楽と職業の関係を混合したということです。私は、音楽を聴いたり、映画鑑賞を趣味としていることを理由に、時代や国境を越えて、世界中の人々に感動を与える音楽や映画に関する仕事に憧れていた時期がありました。好きであった英語が役立ち、世界を相手にした市場の開発につながる大きな商業であると考えました。
 しかし、娯楽とは、働いた疲れを癒すもので、本業として成り立つものなのか、音楽や映画は才能がないと 務まらない職業なのではないか、幼い子供が宇宙飛行士に憧れるような計画性のない職業選択なのではないかと自問自答しました。自分自身でも明確な答え を出せないままでいました。
 その後、高等部への進級に合わせて医科コースを選択すべきか悩みました。職業の意義を考える上で、医学の道に進むことは、生命を尊ぶ崇高な職業として大変な魅力を感じました。働くことは収入を得ることと同時に、社会や地域の人々に貢献することであり、多くの人々に役立つから職業として成り立っていることに気付きました
 地位や名誉、高収入を職業選択の第一目標にすると、働く意義が歪んでしまうこと。多くの方々から感謝される職業とは何か真剣に考えました。しかし、医師は、人間の生命を預かり、失敗が許されない職業であることなどを聞くにつれて、自分にはそれだけの能力があるのだろうかと不安になってきました。その中で、国家資格について調べたり、医科コースの先輩方の努力を聞くことができました。そうすると、やはり現在の自分と、目標とする職業に大きな隔たりがあるのではないかと悩みました。
 しかし、先日行われた三者面談は、とても有意義な面談となりました。患者と向き合うことだけが医療ではないこと、正確な医療を支える研究や新薬、医療機器の開発も医療の重要な分野であることを面談の中で教えていただきました。その中で私は医療の研究や開発に関する職業を自分の夢として持っていきたいと思います。
 担任の先生から、迷っていたことへの回答を与えていただいたような気持ちになりました。しかし、その夢を実現するためには、今の自分には何が必要かを考える必要があると思います。物事を研究していく中では、様々なことに集中して、失敗なども乗り越えていかなければなりません。そのため、失敗があってもくじけずに、次に活かしていくという意志を持ち、勉強などといったことにしっかり集中していけるようにならなければいけません。また、発想力などといった考える力もなければいけません。そのため、様々な物事に関して考えていく習慣を身に付け、勉強面においても、暗記に頼った学習をせず、しっかり考えて学んでいけるようにしていきたいです。
 夢を実現した人は、皆努力し続けた人でもあります。学びの継続が自信につながるように、残された中等部での生活を全力で過ごしていきたいです。
 

5組

将来やりたいこと


 僕は将来人のためだったり、国のためだったりになる事をしたいです。嘘ではありません。おぼろげながらよく思うことで、将来はそういった仕事をしたいと考えています。そういう考えから僕には少し前から公務員、それも中央省庁に勤める官僚になりたいと思っています。先月(12月)、父の知り合いの国交省の幹部の方に時間を取っていただき、僕にお話しして下さる事になっていたのですが、北朝鮮関係で忙しくなり急遽キャンセルになってしまいました。僕はとても残念に思いましたが、また予定して下さるとうかがい、嬉しかったです。そして、冬休み中僕はテレビにも出ていて有名な元官僚古賀茂明氏の著書『官僚の責任』を読みました。読むと、日本の官僚機構の堕落ぶりを悲しみ、また将来への意欲がわきました。この本は(勿論全部を鵜呑みには出来ませんが)僕に様々な刺激を与えてくれました。以下、今僕が考えている事を書きます。
 まず僕は官僚組織の腐敗はいけないことだと思うし、それを自ら変える官僚になりたいです。官僚たちは将来のことは全て省に面倒を見てもらえる上に、上司の命令は絶対という暗黙の掟で縛られているため、「国のために働こう」と思って入省すると、はじめは組織のおかしさに首をかしげながらも次第に腐敗した雰囲気に慣れてしまいます。そして、法律を作り、予算を得、それを実行するためだとして関連する独立行政法人などを作ります。そうすると天下り先を一つ増やしたことになり、省内で評価されて昇進できます。官僚たちの中にはこういう事をしている人もいるようです。この現状は改めなくてはなりません。そこで立ち上がったのが、前述の古賀茂明氏です。この人は 2008年国家公務員制度改革推進本部事務局審議官に就任してから、「改革派の旗手」として有名になりましたが、元通産省の若手官僚であった頃から、改革への働きかけをしていました。古賀氏は自分のやったことで上司や関連団体の人に批判されるなどしても、自分のやったことを悪いとは思わず改革への運動を続けました。僕もこのように前述した省内の悪い空気に呑まれずに行動できる官僚になりたいです。国家公務員採用試験のT種に合格し官僚になることが僕の夢なのではありません。官僚になり、国のため、皆のため、という意識を持ち続け、官僚組織の改革を進めることにあります。今の僕には実現するのはとても難しいですが、これから努力することで実現できると思います
 ところで、僕は省内の悪い空気に呑まれないと書きましたが、これはとても難しいことだと思います。利権を得られれば上司に褒められ、不必要に利権を追求する事をしないと評価も冷たくなるそうです。改革をするという事は、本来不必要だけれども利権のために官僚がやっていたことをしないという事で省内の空気は当然自分に対して冷たくなります(若手の一部など改革派の官僚たちを除いて)。これに耐えて改革を続けるには、「自分は正しい事をやっている」という、まるで司馬遼太郎『関ヶ原』における石田三成のような強い意志がなくてはなりません。しかし、僕の欠点は意志が弱いことです。頭では分かっていても実際にはできないということがあります。だから僕は弱い自分から脱却したいと思います。
 夢の実現のため、今できる事は勉強を今までよりもっともっと多くする事と、日頃から強い意志を持っておく事です。そして、自分でやると決めた事は必ずやる事が必要だと思いました。将来の夢を公務員として決めつけるのはまだ早いかもしれないとも思うので、色々な事に興味関心を持っておきたいと思います。この作文に書いた事以外にも、僕には夢があります。色々な夢を思い描く僕ですが、実現には努力あるのみです。頑張ります

     

私の夢


 私の夢、それは医師になることです。以前の私はただ漠然とこの夢を持っていただけでした。しかし、中学校生活も残りわずかになり、高校に入ったらすぐに大学受験が待ち構えていることも考えると、この夢を中身、そして形のあるはっきりとしたものにしなければならないと考えました
 今回の「夢を語る会」でお話ししていただいた方の中にも医師の方がいらっしゃいました。その方の仕事のお話もお聴きして、さらに医師への魅力が高まったとともに、現実の厳しさなども同時に感じることができました。
 東日本大震災の発生からもうすぐ一年が経ちますが、未だ自分の家に戻れない人もいます。また、震災発生当時は何も行動を起こすことのできない自分にとても無力さを感じました。「夢を語る会」でお話しして下さった本校卒業生の医師の方も被災地の病院で治療をしていたということをお聴きし、改めて医師になればこのような大変な時でも人々のためになれるのだと思いました。
 また、今回の震災では津波の影響もあり、一瞬にして多くの命が消え去りました。生きたく ても生きられない人がいる中、私達は自分に与えられた命の尊さを感じると共に、毎日を生きていける健康の大切さ、ありがたさを実感します。人々のその健康で生きていられる手助けをするのが医師です。怪我をした時、病気になった時、治療をし、助けてくれるのは医師です。これは当たり前のことですが、改めてそう思うことで、私は自分の将来の夢である医師に一歩でも近づくための道を築き上げていこうと考えたのです。
 医師になるためには、学習面と精神面の両方を鍛えあげる必要があります。学習面は当たり前ですが、医師という職業は生と死を見つめて仕事をしなくてはなりません。人の命を預かるという責任感と、その人を必ず助ける、命を救うのだという強い意志が必要です。まず責任感を養うためには今現在の日々の生活を利用すべきであると思います。学校生活の中でも委員会など、自分の仕事を責任を持って行い、クラスや学校などといった一つのまとまりの中での自分の役割をきちんと果たしていきたいです。また、命を救うという強い意志を養うためには、日頃から物事に真剣に取り組み、それを諦めず、限界を決めずに努力し続けることが大切だと思います。自分の進む道に壁を作らずに、いくら失敗しても成功をつかみ取るまで突き進んでいくことで、自分自身にも自信が持てるようになりますし、それによって精神面も鍛えられ、強い意志を持つこともできると思います。
 このように、私の夢である「医師」になるためには、今以上に努力が必要ですし、もしその夢が叶ったとしても、そこがゴールではなく、むしろそこからスタートを切ることになります。様々な大変なことが待ちかまえていると思います。しかし、そのような困難などにも立ち向かっていけるような人になるために、また、医師になるという夢を叶えるためにも、内面から自分を磨き上げていこうと思います
 

6組

想像から創造

私が小学生だった頃、現実的な将来の夢など、考えたこともありませんでした。たとえ夢を 書かされることがあっても、その答えはとてもメジャーで、自分の意思は入っていないものとなっていました。それゆえ、江戸取に入学して何かと夢を決めた方が良い場面に出逢うと、困惑し正直面倒臭いと感じていました。
 しかし、今では将来の夢を早く決められたことに感謝しています。悩んだ末、祖母が以前そうであったということもあり、薬剤師を目指すことに決めました。薬剤師といっても、その枠の中には色々な活躍の仕方があります。お店で働く人や病院に勤める人、また、薬を研究開発する人などです。夢を早く決められたことに対するメリットは、将来をより具体的に考えることが出来、それに向けての努力が早い内から出来るということにあります。人は誰でも漠然とした目標よりもより具体化された目標に親近感を持ち、具体化された目標に向けての努力の方が漠然とした目標よりも身が入ると思います。
 そこで就職よりも近い将来である大学について少し調べてみました。例えば、慶應義塾大学の薬学部には六年制の薬学科と四年制の薬科学科が併設されており、それぞれチーム医療を担う薬剤師の養成、創薬を中心とした研究者の養成を目的としているそうです。他にもこのように六年制と四年制に分かれている大学はいくつかあり、また、製薬会社の工場や研究所などでの体験学習や模擬患者会というものがある大学もあるようです。少し前から高齢化社会、少子化が騒がれ、いまだその傾向が続いています。そんな中、医療や医薬など、健康への関心がこれまでになく強まっているように感じます。それゆえ、薬学の社会的役割にも期待が寄せられている現在、薬剤師に求められているものの一つとしてリーダーシップが挙げられると思います。大衆の不安への解決策を出し、それを元にリーダーシップを発揮して行動できる人が、これからの社会を支えていけるのではないかと私は思います。また、薬剤師という職業は患者さんと話す機会が多くあるため、その不安を緩和して安心してもらうことの出来るコミュニケーション能力を持ち併せた人材が求められます。したがって私は、この江戸取で「心豊かなリーダー」を目指していきます
 これまで述べてきたように将来の夢を早く決めることには色々なメリットがありますが、その反面、他の職業に目が行きにくくなってしまうというデメリットもあります。一応の夢が決まったとしても、これから先の新しい出逢いが思わぬ素晴らしい未来を拓く、ということがあるかもしれません。一つの目標に向かってただひたすら突っ走るというのも悪くありませんが、まだ自分の知らない世界は壮大に広がっているはずです。色々なことに積極的に取り組み、日々多方面に神経を行き渡らせて生活していきます

     

        夢は大きく、目標は高く

 昨年は、一学期中間実力試験において、五科目の順位が今まで最低・最悪の順位となり、3年生がスタートしました。ショックを受け、戸惑っているときに、「卒業生を囲む会」で先輩の体験談を拝聴することができました。
「勉強は、コツコツと時間をかければ絶対に伸びる。」
「自発的な考えをすることでモチベーションを上げる。」
「中学生の時から、勉強の習慣を付け、苦手教科を潰す。」
 三人三様にお話をいただきましたが、共通点は、コツコツと時間をかけ、粘り強く、動機付けを高め、厳しく勉強しなければならないということだと思いました。思い返せば、二年生の時「私の夢」と題して将来の夢について作文にまとめたことを覚えています。あれから月日が流れ去り、今日ではそのことが風化仕掛かっていた時期で、刺激と共に叱咤激励をもらった気持ちになりました
その後、一学期期末実力試験、二学期中間実力試験と順位を少しずつ戻していきましたが、満足できる状態には至りませんでした。
 僕は、生まれて間もなく心臓に大きな欠陥があることが分かりました。そのため、生後九ヶ月のときに、大学病院で心臓外科医のチームによる、約六時間に及ぶ大手術を受けました。一つの生命に多くの人々の愛情・熱意が関わっているのだと改めて知り、この感動は生涯忘れることは出来ません
 また、昨年3月11日に起きた東日本大震災の報道を見て、人間の命のはかなさと同時に「尊さ」を強く感じました。命を授けてくれた両親、命を救って頂いた医師達への感謝の気持ちを込めて、いつか自分も命を救える人間になりたいと決意したことを再確認し、気持ちを新たにしました。
 12月26日に「医科コースへの個別面接」が実施されました。1月23日の合格発表まで待ち遠しい気持ちで日々を送ることになりますが、心に誓った「立派な医師になる」という大きな夢を追って、これからも「夢追い人」の旅が続きます。完成度の高い「夢実現」を追い続けていきたいと思います。
 今年は、辰年です。「辰」は「漢書」によると「振」(ふるう)で、「動いて伸びる、整う」の意味で、草木が盛んに成長し、形が整った状態を表しているとされています。干支にあやかって、僕の夢も成長著しく、形が整う年になるように初心に戻り、自分自身に高いハードルを設定して、高い志を持った友達と共に「切磋琢磨」努力しながら、残された江戸取での 3年間を、勉強に、そして人間形成に努め、医療社会に貢献できる人間になっていきたいと思います
 

7組

「私の夢」


 私の夢は、「医師」になることです。私は、幼い頃から人の役に立てる職業に就きたいと思っていました。中学生になったら自然とつきたい職業が決まると も思っていました。しかし、実際に中学生になっても、就きたい職業は決まりませんでした。中学3年生になり、進路を決める時、私の頭に「医師」である父の姿が思い浮かんだのです。以前、テレビで見て衝撃を受けた、「早老症」という通常の人よりも早く老いてしまう病気の事も気になっていたため、「医師」になりたいと思ったのです。
 「早老症」とは、普通の人よりも早く老いてしまう病気で、まだ有効な治療はないそうです。私は、テレビでその患者さんを見た時、いつしか私が有効な治療法を生み出して、少しでも「早老症」の患者さんの助けになりたいと思ったのです。「早老症」の他にも、 世界にはまだたくさんの原因不明の病気があります。私は将来「医師」になり、自分の担当する患者さんの診療に努めながら、まだ原因不明の病気の研究をしていきたいと思っています。
 私の父は「医師」ではありますが、普段は大学の教授をしています。家で父が講義の準備をしている時に、時々、私がそれを見て不思議に思ったことを父に聞く事があります。人の体って不思議だな、と思うことがしばしばあります。私は、そのとき人の体に興味を持ちました。それと同時に疑問も持ちました。「医師」になりたいと思ったもう1つのきっかけは、自分の仕事に誇りを持っている父の他に、人の体への興味や疑問があったからです。
 もちろん、「医師」にはそう簡単にはなれません。勉強は、人一倍の努力が必要です。同じ夢を持った仲間と切磋琢磨し、くじけそうになった時でも、仲間を思い浮かべ、くじけずに頑張っていきたいです。しかし「医師」になるには勉強はもちろん、人格も磨いていかなければいけないと思います。小学生の時に、肺炎で入院した時、担当の「医師」が、とても優しく接してくれました。私も「医師」になった時に、同じように患者さんに優しく接することができるような「医師」になりたいと思いました。だから、普段からの言動に気を付けて、人格を磨いていきたいです。勉強も人一倍努力し、人格も磨いて将来立派な「医師」になりたいです。私は、将来患者さんから頼りにされて、患者さんに優しく接することができるような「医師」になりたいです。しかし、その夢を実現するためには、人一倍努力しなければいけません。それでも私は、夢に向かって努力をし続けていきたいと思います。
 

     

        未来の姿


  自分の将来の夢は、まず園芸・植物に関わる仕事をすることです。園芸研究家などの道はその後にいくつもあるのですが、まずは園芸関係の仕事に就きたいです。
 理由は、植物や動物などの生き物が昔から好きで、野原や田んぼなどの場所で生き物を観察したり、自分の手で育てたりしたからです。昔からそういったものには魅力を感じていました。そして、自分が一番好きなのが木や草花で、植物に関する仕事にあこがれています。
 園芸にまつわる仕事をするためには、まず園芸科のある大学に行くことが必要です。自分の住んでいる所に最も近いのは、千葉大学の園芸科なので、そこに入学することを第一の目標とします。そして、大学では研究をします。どれもとても意義あるもので、とても充実しているものであると思います。大学での研究をより充実させるために、今以上にしっかりと勉強して、大学生活を有意義なものにしたいです。大学を卒業した後は、大学内で自分が一体どの分野に向いているかなど、将来性も見据えながら分野を決め、仕事に就きたいです。その仕事に就いた後は、真剣に、そして自分が好きなことですから、楽しみながらその仕事に取り組みたいです。このような流れで進んでいけるように努力を積み重ねていきます。
 今、地球温暖化などのいくつかの環境問題があります。そのほとんどが自然が引き起こしたものではなく、人の手によるところが大きいです。自然に対する敬意を持たず、ただ自分のやりたいように環境を破壊していった結果が今の状態であると考えています。自分は、多くの人に自然や生き物を大切にする気持ちを持ってほしいと思っています。将来就いている職業がどんな職業であるかは分かりませんが、自分の行動を通して人々にそういった気持ちを持ってもらえるようしたいです。まず自分の将来の夢をきちんと叶えられるように、今苦手な所もある数学などを頑張ります。自分の今できること、やるべきことを一つ一つ確実に着実にこなしていって、将来きちんと夢を叶えているように努力したいです。
 人に対しての接し方で、与える印象は大きく変化します。それはもちろんお客さんに対しても同じで、不快な思いをさせてしまったり、せっかく足を運んでも満足のいく結果が得られなかったりしては、自然を愛する気持ちを伝えるどころではありません。その道の勉強以外にもすべきことはあります。将来、自分が夢を叶えている姿、自然や生き物を愛する気持ちを持った人々がたくさんいる未来を目指して今日も頑張ります
 

8組

将来の夢

私は中学3年生になってから、ふと建築士という職業に就きたいと思い始めました。小さい頃から、モデルハウスや建築関係のテレビ番組には興味がありました。特に、様々な問題を抱えた家がリフォームで大変身する「大改造!!劇的ビフォーアフター」という番組は、毎週のように釘づけになって見ていました。そして、匠が考える設計や家具の工夫にいつも感動していました。幼いながらも匠を尊敬していて、私も匠のように、たくさんの家族が幸せになれるような手助けをしてみたいと思うようになりました。けれど、当時はただ漠然と建築士に憧れていたばかりで、この職業の内容を詳しくは知りませんでした。ですから、建築士になりたいと思っている今、まず詳しいことを調べてみようと思いました。
 建築士とは、建築物の設計や工事監理などを行う技術者のことで建築士法によって定められた資格試験に合格し、免許を受けた者を言います。建築士には一級建築士と二級建築士および木造建築士があります。一級建築士はすべての建築物の設計や工事監理ができますが、二級建築士には、木造建築では高さが13メートル以下で延べ面積が1000平方メートル以下か階級が1のもの、非木造建築では延べ面積、高さ、軒高が一定以下の小規模建築などに限定されています。木造建築士は、階数が2以下で延べ面積が300平方メートル以下のものの設計や工事監理に限られています。また、建築の種類により資格試験の受験資格も異なります。一級建築士は国土交通大臣、二級建築士は都道府県知事が試験を実施し、それぞれ免許を交付されるそうです。
 私は、建築士になったらやりたいことがあります。それは、工夫された家を創ることです 。たくさんのクライアントに喜んでもらえるような快適な暮らしができる家が、どのようにしたらできるのか研究したいです。また、見る人に興味を持たせるような、不思議な建物などの建築にも携わってみたいです。この夢を叶えるためには、おそらく一級建築士の資格が必要になってきます。その資格は難しいものだと、前に聞きました。合格するためには今から日々努力していくことが大切です。建築士は理系の華とも言われるので、理系科目を中心に強化していこうと思います。
 近年、日本はますます地震が増えています。昨年の3月には大地震も起こってしまいました。そんな中、欠陥住宅は一向に減りません。むしろ増えているようです。実際に、私の周りにも欠陥住宅に悩まされている人がいます。地震大国の日本にこれ以上欠陥住宅が増えるのは非常に危険だと思います。私は、この国の建築を見直して、欠陥住宅を無くす取り組みもしたいです。具体的なことはまだわからないのですが、建築士になって修行を積んでから考えていきたいと思っています。
 夢を叶えるためには、まずは今の勉強への姿勢から変えなければなりません。大学受験に対する意識もまともにしていない今までの私が、自分の夢を叶えられるとも思いません。ですから、これからの私の課題は、より一生懸命勉強に励むことはもちろん、将来を見据えて意識を高めていくことです。高校生になろうとしているこの時期から、志望する大学などをしっかりと考え、モチベーションを高くしていきたいです。そして、夢が現実となるように精一杯頑張っていきたいです。

     

        私の生きる道、それは医師


 現在日本では医師不足により、救急車で患者さんが病院をたらい回しにされたり、小児科の医師が36時間連続で勤務しなければならなかったり、また総合病院や開業医の産婦人科が多く閉鎖されたり、地域によっては無医村、あるいは医師一人の場所があったり、とても深刻な医療問題が取り上げられています。この日本の抱える医療の問題はとても一個人の医師が簡単に解決できる問題ではありません。しかし私は医師になったら、ほんの少しでも日本の医療問題の解決に力を注いでいきたいと考えています。
 また、医療制度の変化によって、治療目的以外で病院に長期入院ができなくなったことで増加している住宅、訪問医療などにも力を注いでいきたいです。
 私の祖父は秋田県にアイバンクを創設し、角膜移植で盲目の方に再び光を与えたり、まだ交通が不便だった時代に、病院へ来られない患者さんのいる地域を日曜日に歩いて訪問して診察したり、病名不明の奇病の場合には外国の専門機関に菌の解明を依頼して病気の解明に努めるなどして、とても多くの方々に感謝され続けました。
 一方、父はレーシックの治療法で近眼や老眼などの患者さんの視力を回復させ、視力が悪い為に諦めなければならなかったパイロットのような職業に患者さんが修飾できるようにして、スポーツ選手をはじめ視力回復で多くの人々に感謝されています。祖父や父を見習って、医師になって誰かの為に、また社会の為に何かしたい、それが私の夢です
 今回の「夢を語る会」に出席された卒業生の医師の方や母の同級生の医師をはじめ、昨年3月の東日本大震災時には、日本国中からたくさんの医師が東北地方に駆けつけました。交通機関は空路と限られていて、さらには食料やガソリンなどの物資の不足が問題視され、十分な睡眠や食事が摂れないとても寒い劣悪な環境の中で、被災地で懸命に多数の患者さんの治療に専念していた光景をテレビで見聞きして、心から「助けて欲しい」と叫んでいる人を助けられる医師という職業が本当に素晴らしいと思い、感銘を受けました。
 例えば、津波に攫われながらも助かった人達は低体温症になってしまったり、狭い避難場所に大勢の人が集まることによって感染性の病気が大流行してしまったりしたそうです。また、被災地で働いているがために、自分自身も被災者であっても24時間体勢で、普段の診療に加えて、避難場所でも臨時診療をしなければならず、ついにはその医療関係スタッフが体調を崩したりするなどして本当にいたたまれない様子がうかがえました。また場所によっては、今回は被災地へ向かう際、原発事故以来心配されている放射線の被曝にも気遣わなければなりません。自分の身体を犠牲にしてでも患者を救う覚悟を持たなければ務まらない医師という過酷な職業ですが、それでも医師になりたいと思う気持ちが増していきました
 これからも勉強をし続ける姿勢を大切にして、今まで以上に勉強に励み、医師になる努力をしていきたいと思います。
 たとえどんなに大変であっても、1人でも多くの患者さんの笑顔を見るために。