1組
「決心」
今年の冬休みは、自分の夢を今までになく真剣に考えざるを得なくなりました。自分の夢には、到底追いつかない成績で、親の信頼をなくし、自分自身の甘えから目をそらすことすら許される状況ではなくなっていたからです。ハードルを下げて、自分の今の成績に見合った大学を選択し、その中から職業を選び、生きがいを見つけて、その職業を好きになる人生もあるかもしれないとさえ思いました。しかし「壁にぶつかり、方向転換する人生を繰り返したら、いつか自分の周りは、壁に囲まれてしまうだろう、壁は打ち破るか、乗り越えなければならないだろう。」と悩みました。そうして
迎えた2012年、テレビでも、新聞紙面でも、自分の能力を信じて頂点を目指している人達の話を聴くことができました。そして、自分は、自分が医師になりたいと志してきた事をもう一度根本から考えてみる気持ちになりました。「なぜ医師になりたいのか?」「医師になって、自分はどうしたいのか?」「その気持ちがどこまで本気なのか?」それらを真剣に自問自答してみました。まず、医師になりたい理由は、病弱だった幼い頃に、痛みや苦しみを治してくれた優しい医師の魔法のあの手に憧れたこと、その手が欲しくなったこと、とても感謝したことがあげられます。この3つの気持ちを心のどこかに封じて、他の職業に就いたとしても、一生消えることはありません。きっと封じた扉の向こう側からドンドンと叩かれ、その度後悔の念と戦わなければならなくなります。だから自分は、幼い頃の素直な気持ちを大切にして、改めて医師になるという強い意志を持つことにします。やはり「一番好きな自分でいたい。」「自分に嘘をつかない生き方をする為にも医師を志したい。」と思いました。 それでは、医師になった自分は、どのようにこの職業と向き合っていくかという事です。昨年
起きた東日本大震災では、約2万人の尊い命が失われました。被災地で救命活動にあたった多くの人々の中には医師もいました。そして江戸取の先輩もその一人であったことを聴いた時、それはとても嬉しく、自分の先輩であることを誇りに思いました。自分も頑張って活躍している先輩方のようにありたいです。医師であると同時に、道徳授業をして頂いたこの江戸取の先生方に感謝の意を表す為にも、江戸取生として、社会人として、何事にも真面目に向き合っていきたいと思います。自然にあふれ、豊かな文化を持つ日本は、私達人間が愛して守り、創り上げてきたものです。私達の命なくしては、あり得ない存在です。だから自分は、「大好きなこの国の為、大切な一人ひとりの命を守りたい。救いの手を出されたら、必ず握り返して治してあげたい。」と強く思いました。人の命を預る仕事だから、自分自身が強い精神力と、正確で高度な知識を身に付ける覚悟を持ちたいと思います。 受験までの道のりは、中学3年生の勉強合宿にスタートした長距離レース(マラソン)です。自分は、今年のお正月に放送されていた大学生の箱根駅伝を見て、優勝した東洋大学の選手の一言一言を重く感じ取ることが出来ました。「誰か一人に頼る逆転は、勝利につながらない。」「一人ひとりが攻める走りでタスキをつなげる。」この言葉は、「先生に頼る勉強や受け身の勉強では、合格につながらない。自分から苦手科目を攻めていかなければ合格はできない。」と、そんな風に聴こえました。自分が才能あふれる人だと思う全ての人が、並々ならぬ努力の中で、小さな積み重ねを繰り返し、大きな成功を掴み取っているのです。箱根の山の神様と呼ばれる柏原選手も、プレッシャーで挫けそうになった時期があったと聴きました。それでも自分を信じることと毎日練習をすることで、逆境を乗り越えてきたそうです。スポーツと勉強は共通するものがあると思います。「もうだめではなく、まだ間に合う」と、諦めない気持ちで、「自分ならできる。」と信じ、毎日勉強を積み重ねることが自分の長距離レース(マラソン)です。遠藤先生からの教訓「敵は、内なる我にあり」と、柏原選手の「有言実行」この2つの言葉を肝に銘じて、2012年は結果を残す年にしたいと決心しました。
「夢を考える」
冬休みに入る前、自分の周りで、にわかに騒がれたことがありました。医科コースの面接です。医科コースに入りたいと言っている友人達は、皆医者になりたいという夢を持っています。今更ながら、友人達の素晴らしい夢に対する思いには感動させられました。しかし、それを自分に置き換えてみると、自分にははっきりとした具体的な夢がなかったことに気付かされます。自分が今後、何を仕事としていきたいのか、その為にはどのような勉強をして、どの大学の、どの学部に入って、その後どのような資格を取ればよいのかなど、自分の未来に対するプランが全く見えていませんでした。そこで、今回のこの夢を語る会を受けて作文を書くという機会を通して、夢について本気で考えてみることにしました。 まず夢とはどのようなものか、それは将来自分がなりたい理想的な人物像のことだ思います。将来どのような職業に就いて仕事をしたいかだけではなく、その職業に就きたい理由や、どんな風に仕事をこなしていきたいかなどを考えると、より一層夢の実現に近付くと思います。では、夢をかなえるためには、どのようなことをすればよいのか、それはそれぞれの夢によって変わります。やはり勉強して、良い大学や良い学部に入ることによってかなえられることが出来る夢がほとんどだと思います。その筆頭が、医学部や法学部だと思います。このように、勉強とは、夢をかなえるための道具に過ぎないということを感じました。しかし、高いところにある夢は、勉強というはしごを持ってしか、ほとんどの場合、手にすることはできないということも改めて、痛烈に感じました。 自分は、数学が苦手です。その為、医科コースに少し興味がありましたが、諦めました。これは、自分の選択を一つ消してしまったのと同じです。これは、もしかしたら自分の今後の夢となったかもしれないものをつぶしてしまったということに他なりません。 自分は、国語、理科、社会が得意で数学は大の苦手ですが、今回夢について、改めて考え、思い知ったことは、「5教科全ての支えがなければ、はしごは完成しない。」ということです。数学が苦手であれば、それは金具が緩んで踏み外してしまう危険な状態です。他の教科でも同じだと思います。自分の場合、はしごの金具がほとんど緩んでいるか、取れているので、いつ壊れるかわかりません。そんなことを思い知らされました。 しかし、まだ人生が終わったわけではなく、むしろ、人生80年と言われている中では、まだまだ最初のうちですので、いくらでも取り返しはつくと思います。ですが、これに甘んじることなく、自分の課題は数学ですので、数学をこつこつと勉強し、強固な長いはしごを作り、どんな大きな夢でもかなえられるようになりたいです。
「夢を見付ける」
自分は、これまで何度となく「夢」について考えてきました。夢は、生きていく上での「心の酸素である」と認識しています。夢がなければ、何事も始まらないとさえ、思っています。中学生活も後わずかで、終わろうとしている今、更に「夢」というものについて考え直してみました。そして、自分にとっての「夢」とは、紛れもなく将来就くであろう職業に他ならないという結論に達しました。
しかし、宇宙飛行士になりたいと願った幼児期以来、就きたいと思う職業に出会っていないのです。もちろん、建築、脳科学、心理学など興味を持った分野はあるのですが、具体的な職業に結び付くには至りませんでした。節目ごとに、夢について真剣に考え、その都度、夢の大切さを実感してきたにも関わらず、肝心な職業を見付け出せずにいます。そのおかげで、勉強に対しのモチベーションが弱いままです。
以前は、具体的な職業が決まらなくても、興味のある分野を追求していけば、何かが見付かるのではないかと思い、目的を絞って、勉強してみたこともありました。しかし、長続きはしませんでした。もっと成績を上げるために、勉強しようと決意しても、どうしても本気になれないというか、とことん突き詰めることができませんでした。その原因は、はっきりとした夢がないからだと思っていました。イメージが弱いから、いくら決意しても元に戻ってしまうのだろうと思いました。
そこで今回は、「夢とは、将来就くであろう職業である。」と結論付けて、考えを掘り下げてみました。いったい自分は、何になりたいのか、どのような職業に向いているのか、自分という人間は何を目指し、何処へ進むべきなのか、考えれば考えるほどわからなくなりました。幼児期のように、屈託なく、適当な職業が思い浮かぶ事はありませんでした。
いつしか、絶対「夢」というものをはっきりさせて、勉強の意味を見出さねばならないという観念に囚われていました。しかし、夢はただ考えて思い浮かぶようなものではないと思いました。まして、自分にあった職業など1日2日考えて決められるものではありません。まずは、自分をよく知ることであり、見つめ直すことではないかと思えてきました。
勉強をする本当の意味は、心の酸素である夢を見付ける為に、勉強するのだと悟りました。これからの高校生活に向けて、「夢」を見付けるべく、勉強に励みたいと思います。
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